最近は、色々なルールが改定新版とか完全版とか、二版・三版が出るようになっていますよね。
しかし、旧版の知識があればあるほど、また新版のルールが旧版に近ければ近いほど。相違点を認識せずに旧版のままで思いこんで処理してしまう危険が大きいんですよね。
やはりこう、どこが変化したのかを意識的に読み解いていかないと、いけないんでしょうかね。
また旧版の知識が邪魔をするのはデザインする側にもあって。旧版で記述済みのことや、サポートで回答してあったことなどは、あたりまえの事実として意識に定着しやすいのか。新版では細かいデータや制限などが抜けてしまったり、説明不足だったりしてしまうもののようです。
これを踏まえると「なにが無くなったか」を意識的に比較調査しておくのも、重要なのかも知れませんね。
あるいみ無茶苦茶だけど、部屋を移動するたびにびっくり箱をあけるようなわくわく感のあるダンジョンものってのも、いいものですよね。
洗練されたリアリティのあるダンジョンの作りかたなんかは、けっこう色々と論じられてきたわけですけど。そういう、ほんと楽しげなダンジョンの作りかたってのは、見かけないような気もします。
強制的で無償の労働奉仕なんてのは、二度と奉仕なんかやりたく無いと思わせる効果しかない上に、自発性を破壊するわけですよね。
しかしこれをサークル運営者がやって、サークルを崩壊させたり。TRPG嫌いを発生させたりというのは。けっこうよくあることだと思います。学校系や地域にサークルが少ない場合だと、強制力が働きやすいのでけっこう危険ですよね。
自発的ありかつ対価が有るのでなければ、継続的に役に立ってはもらえない。遊んでもらえない。そのあたりは、誰もが、きちんと意識しておいたわうが良いんでしょうね。
TRPGでセッションを進行させる機能を持つのは、問題解決の物語という限定されたストーリーなわけです。小説などには使えるストーリーでもシナリオにはならないな、と思ったら。
この三つのどれかを見いだすことです。どれかがあれば、TRPGのシナリオらしいものにできると思います。
行動の意図がつかめないの・伝わっていないために。うまく反応できないとか、無茶苦茶なことになったりというのはよくあることかと思います。
むろん意図をあえて示さないことで、予想していない意図を深読みしてもらって、それを上手く採用しつつプレイするという手もあるわけですけど。一般的には行動には意図も明言したほうが安全ですよね。
シリアスな話を、丹念に楽しみたいのであれば。プレイヤーの数は極力抑えたほうがいいようですね。どうしても人数が増えると、ちゃちゃや冗談が増えたりして、上手く機能しにくい気がします。
これは、一場面において、話の持つドラマ構造などにに直接関与しないプレイヤーが増えて、暇になるせいなのかも知れませんね。TRPGでは敵対者がマスター管理になりがちなので、さらにドラマに関与できる人数が減ってしまう。
そう考えると、パーティ内対立を上手く使えば、シリアスな話も人数が多めでも運用しやすいのかも知れませんね。そうでなくても、ドラマ上の役割を積極的にNPCでなくPCに割り当てることができると良いのかも。
想像することやアイデアを出すことに長けた、熟練し……あるいは才能あふるる人は気がつきにくいことなのですが。
なにかキャラクターを考えてみて、とか。演じてみたいものは内科とか。取りたい篤農力はないかとか。どんなキャラかイメージしてみてとてか。あまり材料のない段階で問われても、どうしようもない・答えられない人間というのは一定の割合で存在するわけですよね。
割り振り式はイメージできる人にとっては有り難いし、ゲーム的なチューニングをしつつデータを構築するのが好きな人にも向いていますが。いちいちイメージや戦略を固めてからキャラクターを作るのは、手軽に楽しみたい人や、イメージを先にまとめられないひとにとっては、苦痛でさえあるわけですよね。
ランダムに決まってしまう、クラスを選ぶだけなどは、そういうひとにはありがたいものなんで。広く遊ばれるものを考えるうえでは、昔のものだと思ってしまわずに、イメージ先攻でない作成についてもう少し用意されていると良いんでしょうね。
掲示板やなんかの評価を見ていますと、不満点ばかり目にしてしまうということがありますが。実際には楽しんでいる部分・人は多いはずなんですよね。
反省点や問題点も良いですが、もっと「こう楽しんだ」「これこれが楽しかった」というものが、明確になり共有されていると。「これも遊んでみよう」という気もちが起ききやすいんでしょうね。
実際まあ、リプレイ系とかは「こう楽いんだ」というのが伝わってきて。見ていて遊びたくなる気を起こさせる物になりやすいのかも知れませんね。
英雄とはなにかというのは、人によって定義や捕らえ方は違うとは思いますが。私は「世界のありかたを変えてしまった」存在が英雄なのかなと考えています。その行く先に道が出来、かつてなかったものをあたりまえにしてしまう。
これをTRPGで表現できれば、手応えのあるものになるんでしょうけど。
パターンを再現するシミュレートとか、ゲームとしての再構築とは相反する概念なのかも知れませんね。
最近。人間、切羽詰まってからでないと、なかなか調べないし知識をものにできないものなのだなあとか。致命的な段階にいたるまで楽観的な解釈で警鐘・予兆を見逃してしまうものなのだなと、再認識してるんですけど。
これもまた、法律の理解と順守や、TRPGのルールの習得や、サークル運営のありかたなどでも、よくあることなんでしょうね。失敗するのはしかたないけど、失敗を糧に回避できる力を得るべく努力しましょう。
仮想世界よりも現実のほうが面白いし。現実味や臨場感や決定の重みなど、やりがいがあるものなのは事実だとは思います。
しかしTRPGのような仮想体験には。少なくとも、予行演習や誇張した状況で理解を進めるという効能があるんですよね。面白いということを取り除いてさえ、有用さがある。
このあたりを理解し、説明し、価値として提示していくのは。そして訓練としての方向性でのデザインを考慮するのは。今後もっと必要になるのかも知れませんね。
ちなみに、別に若者にだけ疑似体験による訓練が必要なものではなくて、生涯必要なものであると思います。失敗をしてからでないと勉強しないし、身にもつかないし、考えも深まらないし。失敗を避けるために必要な行動を自然に取れるようになるには、痛い思いをしないと駄目なものなのだなとと、実体験として痛感したところなんですよね。
2000年分の一覧へ。
TRPGな一言の総合情報へ。
連絡先 / ディレクトリルートに戻る / TRPG.NET