どんなゲームであっても、参加者の一部が結託している場合には、基本的に困ったことになることが多いですよね。
これがマルチゲームであれば、残りのほうが多い場合には、未だ大同団結のチャンスもある(ないならデザインが駄目ですな)けど。TRPGでは、他のプレイヤーを抑止するゲーム的手段が提供されていないことも多いし、結託されるとそもそも抑止できないことが多いんですよね。
PCが排除されるだけならまあ、ゲーム内で納得がいったとしても。プレイ環境上、プレイヤーが(意識的にせよ無意識にせよ)結託してプレイヤーを排除してしまうってのは、良くあるうえに対策がなくて。これがTRPGで辛いところなのかなぁ。
FEARのデザイナーによるリプレイなんかは、世界の持つ葛藤を使い潰して、世界のあり型を変えてしまうような話を扱うことが多いような気がします。
SFとかファンタジー的に面白い物語ってのは、世界の持つ葛藤を解決して世界のあり型そのものを変えてしまうくらいの勢いがあるほうが良いというのはあると思いますから。これ自体は面白くするうえでは良いことなんでしょうけど。デザイナーでないひとには、中々できないんですよね。心理的に。
まあ、リプレイで「そこまでやっても良いんだ」ということを示しているのだ、と解釈することもできるわけですが。
逆にいえば、変えてしまうような世界、使い潰せる世界をシナリオをつくるようにデザインする方法論や支援システムがあれば良いのかなぁ。ドラゴンマークにはそのあたりを期待したいですね。
バロディというかパクリというか。好きな作品の登場人物をネタにしてキャラクターを作成したり、好きな作品の筋や状況設定を利用してシナリオを作成したりというのは、良くあることだと思います。
しかし、あまりにも元ネタのままだと、幻滅してTRPGを楽しむうえで重要な仮想世界のらしさを減殺したり、元ネタを知らないひとを阻害したりといった問題が発生しやすいのもたかで。そのため、全員が元ネタを好きでそれを再現したわいわいしたいと望んでいる場合でなれば、ネタをうまく消化しておくほうが良いのが普通です。
たとえばキャラクターなどでは、名前、口調、能力、外見・来歴、葛藤などは、すべて同じにしないのが望ましいでしょうね。それらが、複数元ネタと同一であると、元ネタを想起させやすくなりがちなわけで。とくに名前は単独でさえ色々と辛いですね。
もっとも一般的な消化方法は
あたりでしょうか。どちらにしても、異化作用を利用して、自分なりのものにしてしまうということになりますかね。
世界設定で身分差や階級差が書いてあっても、実際のセッションではあまり活用していないことも多いかと思います。
混在している時には、階級に応じて相手の反応を露骨に変えるとかいったことをやってみるのも、演出的に面白いかも知れません。
また、シティアドベンチャーでは、階級や所属にあわせた情報源を工夫すると、社会に属しているという実感が湧くうえに、それぞれのPCの設定に応じた見せ場というか使いみちが出てきて便利ですね。
PCが死んだ後、プレイヤーとしては何をすれば良いのだろうか。というのはほとんどのルールブックで明記されていないことですよね。
ゲームからの脱落時の処理について明記されているゲームは、もともと少ないとは思いますけど。TRPGは拘束時間が長いから、明記されていてしかるべきなのかも知れませんね。
セッションが上手くいかなくて、もしくはうまくルールが運用できないとき。ルールがダメダメだからだという結論に飛びついて誘惑にかられがちです。
もしルール運用が上手くいかなかったなら。まず、ルールブックを読みなおすことからはじめてみてはいかがでしょうか。経験的に見て、明確に書かれていることでさえ理解していないことは多いし。自分の好みや経験や願望に合わせて解釈してしまって、書いてないことを主張したり、明確に書いてあることについて結論を創出したりといったことは、よくあることですよね。(製作者側もそうなりがちだけど、それはまた別の問題ですか)
こう言われても、自分だけは大丈夫だと無根拠に確信することが多いんですが。その心を押さえて、問題を感じたらルールブックに戻ってみることを心がけてみてはいかがでしょう。自分の解釈に固執せず、虚心にルールを読んでみるというのは、簡単なことではないですが、新しい世界が開けてくるかも知れません。
まあ、それでうまく行かないなら、別の策を考えるしかないわけですけどね。
シナリオを作成するうえで、あらすじとか目標とか、途中のイベントとか、敵とか。それだけ考えればいいや、と考える人は多いようです。しかし、これで遊べるのは、相手がいつもの相手だったりして、反応がある程度予想できる時で、しかもマスターが慣れている場合なのではないでしょうか。
はじめてのシナリオとかでは、基本構造は完結にして、予定した方向に行かなかった時にどうするかを準備しておくというのも、うまいやりかたかも知れませんね。
プレイヤーが指摘したシナリオの穴を埋め、適切な真相をその場で決定したり。予想していなかった解決手段を提示された時に、適切に対処したり。そういったアドリブが苦手だ、という人は、それなりに居るかと思います。
でまあ、もしアドリブが苦手なのであれば。いくつかのタイプのシナリオは遊ばないのが手軽だと思われます。具体的にいえば、巻き込まれ型のシナリオや、PC間の対立があるようなシナリオ、都市や荒野を舞台にした行動の自由の大きなシナリオは、避けたほうが無難でしょう。起きうる事態が多くなるうえに、予想のできない結果になることが多いからです。
逆にいえば、依頼を受けた状態や命令により最初からPCに任務を課して、PCは協力して一つの目標に邁進し、舞台を制限することで。アドリブが不得意であることは問題になりにくいように工夫できるのだと思います。
別にアドリブが得意であっても、このように制限さたれた環境のほうが、練り込みやすいぶん、プレイヤーの創意工夫を活用するのも楽ですし。良いんですけどね。
ゲームマスターを育てるのも、長所をまず誉めるところから。というのを心がけるのは、たいせつなことだと思います。ひたすらに失敗を指摘されるというのは、面白いものではありませんからね。たとえ有用でも。
もしも失敗点を指摘するなら、簡単で具体的な対処法がある場合だけ、ミスを指摘する。という形にするといいでしょう。もしくは、本人が失敗したなと思ったところだけについて、対策を相談してもらうくらいで。それでも十分、たくさんでてくると思いますから、少しずつで良いと思いますが。
ここでだいじなのは、いままで自分がマスターとしてその人を相手に、指摘したくなった点についてきちんと守れているかどうかも考えることです。自分が実践できてないような心がけなんかを要求すると「お前ができてもいないようなこと要求するなよ」と反発されますしね。ほどほどにしましょう。
他人の欠点とその改善策は良くわかりますが、自分の欠点は、なかなか認識できないし、指摘されても納得できないものですからね。
アドリブが得意かどうかの判断方法をいくつか考えてみました。
アドリブといっても内実はさまざまですが。実際のセッションで矛盾点や予想していなかった必要要素が判明して、その場で矛盾の解決や新しい設定などをでっちあげる能力について考えてみましょう。
矛盾する二つの事実から、いくつの解釈を見いだすことができるか。それも短時間で。これは、三題噺なんかを試してみると、わかるんでないかと思います。みっつだとややこしいので二つでも十分ですが。
たとえば、IRCの #もの書き のほうでお題として出されたもののひとつに、
「ガラスのような音」というものがありまして。ガラスのようなという形容と音という、ストレートに結びつかない二つの言葉から、どのような話や詩を思いつくかといったことをやったのですが。こういったものに、どれだけたくさんの結論が出せるかは、アドリブ能力に絡んでるのではないかと思います。
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