ゲームマスターはプレイヤーの行動をすべて予期しきちんと準備しておくべきだという風潮が、一部にはあるような気がします。失敗したら、マスターの準備が悪かった、となるわけです。
しかし、実際には人間たるもの、エラーがないなどとは考えにくいうえに、人間の相手をするわけで。予想しない行動やできごとは、わりとあたりまえのように起きるんですよね。
準備をすること事態はたいせつなことなんですけど。準備してあるのに外れて失敗したときに、だれかプレイヤーの責任だと思ってしまったりすると、まずいですよね。やはりこう、不測の事態は当然起こるものであるという意識を持っておいたほうがいいような気がします。
勝つことが楽しいってのは、どういうことなんでしょうね。おそらく正確には、たいていは「勝つことだけが楽しい」わけではないと思います。
たとえば「勝とうとして頭を悩ませるのが楽しい」とか「相手を罠にひっかけるのが楽しい」とか「勝とうとして取る手だての遊び手による違いがみえるのが楽しい」とか「意外な手を見るのが楽しい」とか。ほんとの楽しさは「勝利を得ること」ではないことが多いのではないかと思うわけです。
……まあ「結果としての勝利を得ることだけが楽しい」人と遊びたくはないですよね、たぶん。自分が勝てないと楽しめない相手とゲームするのは、全敗でも楽しめる別の部分に楽しみを見いだす必要がありますし。(あー、ゲームマスターって、往々にしてそうなのかも知れないけど)
「勝利を得る」のは作業上の目標であって、結果自体が楽しみのほんとの部分かってと、なんか違うではないかなあ。
ただ漫然とゲームをやっていると、楽しくないことになりやすい傾向は、あるのかも知れません。
そのためには、目的があり参加者の中で共有されていると、いいんでしょうね。これはゲーム内の目的、ゲームを駆動するための目的ではありません。ゲームを遊ぶことの目的です。
そしてまあ、目的が個人的であっても機能するが、共有されるほうが望ましいのは。協力型のTRPGシナリオにおけるPCの目標と同なのかもしれませんね。
ゲームシステムやシナリオをテストプレイするといいます。しかし、そのとはの評価項目や、試験のためのプランってのは、どんなものなのでしょうか。
よくよく考えてみると、とりあえず動かしてみて、駄目だと感じたところ、つまり自分の無意識の対応では処理しきれなかったところだけが直される、といったことになりがちなのではないでしょうか。これでは、プログラマが自分で使うだけでエラーテストが完了した気になるようなもので、不特定多数の人間が使うものを作成するつもりなら、役にたちませんよね。
ゲームシステムやシナリオのテストにおいても。発生しやすい問題点について問題が露呈しやすいような運用プランを立てるとか。実際のはじめてみる人間の行う行動手順にのっとって経験知識をないものとしての実利用テストを行うとか。可能な利用のされかたを四分法など駆使して網羅的にリストアップして問題が起きないか検証するとか。いろいろと、論理的なテスト方法を確立して行くべきなのかもしれませんね。現状をみるに。
楽しみかたに齟齬があれば問題が生じやすい……と考えていて。よく考えて見るとそんなことはないんですよね。
実は、同じ楽しみかたをしていいのは一人だけであるような、同じ楽しみかたをする人間が複数いるとどちらも楽しくない楽しみかたと。同じ楽しみかたをする人が入れ歯より楽しくなる楽しみかたと。二種類の楽しみかたがあるというわけです。
事態をコントロールするとか、自分がいちばん強いとか、独占欲のあるものはかちあいやすいのかな。これも、内輪などで独占対象の役割分担なんかが行なわれていると、問題が顕在化しなかったりするんですよね。
手順や声、光や音、そして匂いにも、儀式を盛り上げる力があるということを、法事で痛感してみたり。
ゲームにおいてプレーヤーレベルでは、これを実現しにくいけど。ゲーム世界のなかでの儀式などでは、そのあたりうまく演出していけるといいのかもしれませんね。儀式の手順が複雑なほど、アクシデントや妨害や、必要になる事物・人物などの、いろいろなシナリオのネタも仕込みやすいでしょうし。
ゲームマスターとして、プレイヤーが思うように効果的な行動をしてくれないとか、行くべき場所を思いついてくれない、といったことに悩まされることは、わりと良くあることのようです。
プレイヤーがなにが出来るかわからない、知らない、というのが原因で行動がとれずにいる場合。PCの置かれている現状を明確にして、プレイヤーとゲームマスターのあいだで現状認識の共有を計る必要があります。なにができるのか、いまどうなってるいのか。それがわからないと。行動のしようもないわけですからね。
ここで地図などは、有用な、どう行動できるのかのヒントを与える道具とも見ることができます。地図は、ぱっと見てて認識できる図示という方法によって、いまここにいる、他にこういういけるところがあるというのが見て取れるわけですよね。
地図に限らず図や物を利用して、全員にみえる形で現状を提示し、共有するというのは、たいへん有用なノウハウだと思います。試してみてはいかがでしょうか。
ゲームの進行管理を支援すしたいのであれば。意識せずとも自動的にうまく進行されるようになっているのが理想的なのだと思います。意識する必要があると、実際のゲームそのものに集中できなくなる恐れがありますからね。
だからまあ、じつは進行管理そのものをゲーム化するのは、あまりいい方法ではないことが、多いのではないかと考えています。むろん、進行管理ゲームそのものを楽しむのが目的であれば、それはそれで問題ないんですけどね。
「俺はゲームルールや判定なんか使うよりも、ルールレスでやったほうが面白くできるね」
そう豪語していた人間にとってさえも、使いたくなるようなゲームシステム。という方向でものを考えてみるのも、面白いのかも知れません。
誰でも安定して遊べる底上げのためのシステムというのは大切だとは思いますけど。それ以外の方向でものを考えるというのは、特に同人では試してみる価値があるんじゃないでしょうか。
うまく話が流れるように結果をコントロールする……ありていに言えば望んだ成功を押しつけるためのシステムではなくて。
成功しても失敗しても、それなりに盛り上がり一貫性があり、まとまりのある面白い話が組み上がるようなシステムという方向ってのも、あるんですよね。
例えば、犯罪を犯したとして。現行犯や占いで即決で手を切られるとか、そういう世界ではなく、まともな法秩序が曲がりなりにもあれば。犯罪が発覚して、証拠が集められ、拘留。そして申し立てその他の裁判という手順が執り行われるわけですよね。
こういう世界は面倒であるという見方もありますが、手順が決まっていて時間がかかるということは。逆にいえば、各段階に行動の余地があり、シナリオの材料などに用いることができるわけですよね。
ゲームシステム的でも世界設定的でも良いから、この手の手順が明確になっていると、それだけでシナリオがいくつも作れてしまいますよね。
2000年分の一覧へ。
TRPGな一言の総合情報へ。
連絡先 / ディレクトリルートに戻る / TRPG.NET