ひさしぶりにPBeM Ring などをながめていましたが。いやはや、ボーイズラブ系の多いこと。ざっと見た限りでは、2/3がそれ系でした。
もともと同人誌即売会、特に地方のものでは過半数がそれ系っぽかったりするように思いますので、まあ、熱意と人とがあるのは確かでしょうけど。
こういう人達は、TRPGは遊ぶのかなぁ。その仲間うちだけで閉じていれば、なかなか見えてこないわけですけど。それなりに居るはずですよね。
ゲームデザイナーに限らず、デザイナー近辺の人間にとっては。あるルールの運用や詳細については、明文化されていないものも了解があるのがふつうですよね。だからまあ、そのまわりではうまく機能する。
しかし、それを他の人間が読んだ時に、果たして理解できるか、運用できるか、不足を感じないか、となりますと。なかなか読みにくい・理解しにくいものが多数派な気もします。
どこまで成文化するか、どこまで解説するかなどは難しいですけど。ルールを分かるように書く、読みやすいように書く、必要な情報が得られるようにする、努力ってのは。まだまだ不足してるんでないでしょうかね。
ストーリー指向のプレイスタイルというものがあります。これが具体的にどういうものであると考えるべきか、いまいち良くつかめていなかったのですが。これが特定の展開を再現することを目的とする――望んでいる結末と、望んでいる経緯を再現する――ためのゲームであると考えると。ストーリーを理想の展開に維持することを目的としたゲームであると考えることができるのではないでしょうか。
しかしストーリー指向というと、プレイヤーの望んだ結果を生成するためのルール的権限を提供するという方法になりやすいような気がしますが。ストーリー維持ゲームととらえるのであれば、ゲームシステムがストーリーを再現してはならないと考えることもできるかもしれません。
予定された展開をなぞることだけであれば、それが目的としてプレイヤー間で共有されているのであれば放っておいても達成できるわけで。予期された展開のための行動にリソースをつぎ込ませるのは、手間をかける作業になるような気がします。だからルールレスなんて言いだすわけですね。
むしろストーリー維持ゲームにおいては、ゲームシステムはストーリーから自動的に逸脱させる機能を果たして。プレイヤーはその逸脱にどう対処するかを考え、工夫することを楽しめるようにすると考えると、良いのかも知れません。
キャラがたっている。という状態になにを期待しているかは、いろいろとあるようですが。
私としては、その行動が首尾一貫しているか、周囲の状況と整合性があるか、というあたりだと思います。
しかし、いつでも○○するとか、変な部分だけを強調するのがキャラを立てることだという誤解があるような気がします。まあ、キャラクターを印象づけるうえで、安易で手軽な方法なのは確かですけど。どうしても、覚めてしまう危険性があると思います。同様に無個性でもいいじゃないか、といって都合良くだけ動くというのも、覚めてしまいますよね。
人間、一からなにかを考えるのはたいへんですよね。だからまあ、なにかヒントというか、元になるものがないと、キャラクターが作りにくい人は、多いんだと思います。
もしかすると、イメージ先行で数値の割り振りや能力の選択などによってキャラクターを作成する傾向が。パロディ的というか、元ネタ再現的なキャラづくりを増やしているのかもしれないなあ、などと思ってみたり。そうでなければ、自分をもとにしたキャラクターになりやすいのかな。
乱数的であったりアーキタイプをうまく利用したりして、独自な発想が沸いてきやすいようなものになると。色々と、パクリくさくないキャラクターづくりがやりやすいのかも知れませんね。
ゲーム内でのギャンブルとか、ミニゲームとか、格闘大会とかは。ついついはまってしまいがちではないかと思います。
これはあまり致死的でないリスクでの対立や挑戦ができるからなのかな?
明確な結果の出る対立型ゲームの楽しみに感情移入が加わって。ゲームの結果が長期的な金銭やコネなどに反映されることの、手応えがあることとか。楽しくなる原因には色々あるんだろうとは思います。
シナリオ上の道具としてのギャンブルとか競争を、ゲーム内のミニゲームとして出してみるというのは、目先も変わるし、面白いし。どう対処するかで、キャラクターの価値観の演出にも使えるので。いろいろと工夫してみるといいと思います。
TRPGのような規模の業界で、マス広告が売り上げにどれだけ貢献するかというのは、あまり期待を持たないほうが良いのかも知れませんね。認知効果はともかく、そこから買おうというアクションに結びつけるというのは、なかなか難しいとおもいますし。
むしろ、口コミのほうが有効なのかも知れません。三千部刷ったとして、たとえば30人のサークルで全員が買おうということになれば、そのうちの一パーセントが一サークルの決断で売れてしまうことになるわけですよね。これは、それなりにでかい。
そういう意味で、オンラインセッション団体で、全員ルールブック所持、というものは、売れ行きに貢献しうるんでしょうね。オフラインでもやるといいのかも知れない。
人間の範疇を越えた能力の表現は。一度に処理できる対象の分量や処理時間の短縮のような量的拡大か、強いもの同士の相対差、そして物理的な破壊力としてしか記述できない傾向が強いんですかね。
もっと質的な表現ができれば面白いんだけど、現実をもとにできないから、どうしても安易に制約なく望みがかないやすくなるかどうか、くらいしか考えにくいのかも知れない。
JGCあわせの製品が沢山あるわけですが。JGCって八月末なわけで。夏休みの最後に出されても買い手としては困るんじゃないかな、とかいつも思います。
主要遊戯層を考えれば、新製品はぜったい七月末に出すべきですよね。夏休みに遊びたおしてもらうと考えれば。だからこそ、おもちゃ業界とかでは、休み前やクリスマス前とかに新製品を出してくるわけで。
今年だと『パワープレイ・プログレス』の出た時期は、夏休みに遊びこむにはちょうど良かったんですよね。
シナリオを作成する時に、何かやっかいで巨大な力を持つ組織や個人の陰謀であることにするというのは。なぜそんなことが起きたのかを考えるうえで、楽な方法のひとつだと思います。
ただまあ、これをプレイヤー側から見た時には、注意すべきことがありますよね。その背景になる陰謀が、背景というよりもシナリオの解決すべき課題なのか、そうでない完全にアンタッチャブルで事件解決に使えないものなのか、というあたりが区別しにくい、というあたりです。
このあたりはマスターとしての伝達のノウハウを身につけ使うか、どちらとプレイヤーがとってもうまく処理できるようにシナリオを組むか、率直に「今回はそのあたりは触れられないよ」と明言することになるんでしょうかね。
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