TRPGな一言:2000年07月後期分


目次


2000/07/21:相手がどう理解しているか理解しよう

別にTRPGに限ったことではありませんが。いかんせん状況の認識と共有が口頭のみで行なわれやすいTRPGでは、相手に伝え言葉が意図したように理解されていると勘違いしていると、いろいろと問題が起きることがありますよね。

やはりこう、自分の伝えたいように伝わったと思いこまず、相手がどう理解しているか、どう解釈したのかを理解しようとつとめることが大切なんだろうと思います。そのためにも、自分の言葉で現状の解釈を述べなおしてもらう、説明は複数の方法で冗長性をもって行う、など、いろいろと工夫するべきなんでしょうね。

2000/07/22:ゲームシステムのベンチマークシナリオ

たとえばゴブリン退治ものであってすら、多様な要素を詰め込めますよね。各種の戦術や罠、仕掛けや、情報収集や、作戦や、詐術や、人質や、困難な地形や、調査や、撤退や、奇襲や、迷い道や、水や食糧の不足や、非協力的な村人や……。

そういったいろいろな要素を使う標準ファンタジーシナリオを用意して、それがゲームシステム的に処理できるか、マスターとして処理できるかという観点で見て、ゲームシステムの評価に使えないかとかいうアイデアを思いつきました。

たとえば『ゴブリン退治』についてのベンチマーク用シナリオを作成して。ルールごとに「こうやっと処理できます」と実装させるわけです。そうすると、なにができてなにができないか、なにに向いていてなににむかないのか、というのが分かりやすく見て取れるのではないでしょうか。むろんルールで実装する人間によって効率や処理性能が変わったりするでしょうけど、そのあたりはPCのベンチマークテストといっしょですな。

2000/07/23:プレイヤーがパランスを調整する

我々日常的に、あまり無茶はしませんよね。自分の能力にみあった行動をとり、みあった問題の解決を請け負ってるのがふつうだと思います。まあ実力を理解していないこともあるけど。

そのあたりを考えると。適切な難しさの課題に調整することは、ゲームマスターがやるべきことではなくて、むしろプレイヤーの義務である。という風潮にできないもんでしょうかね。マスターのお手盛りでバランス取ってるのは、あまりいいことではないのではないかと疑問を持ったりしています。

まあ、提示された状況から、PCの強さにみあった目標を選定する能力、PCの強さにみあった計画を立てる能力、がプレイヤーに必要になりますが。

そのためにはゲームシステム的なりで、相手の強さや難しさが明示的に理解できる、もしくは理解するための手順と能力が用意されている必要があるのかな。まあ暗黙の理解とゲームシステムにたいする知識、暗示とお約束でいままでこれは処理されていたけど。それだけでは、どうもねぇ。

2000/07/24:ランダムと割り振り

ランダムってのは、コントロールできないからこそ盛りあがるんだけど。結果に望むものがあったりすれば。ごまかしもあるし、合意の上での良い数字や、不満なら振りなおしなんかも起きてしまう。

対するにポイント割り振りは、考える楽しみがあるし、機会均等ではあるけど。考える能力だけがものごとを左右してしまうので、楽しめるのは一部の人になりがちですよね。能力とやる気と研究心がそろっている場合には、みんな切磋琢磨して面白いけどね。

どちらにしても、それなりの欠点はあるんで、うまく組み合わせられるかどうかが、デザインの腕の見せ所ですよね。

2000/07/25:史実の人物とからめる

過去の時代を舞台にしたゲームで、派手に史実や歴史上の人物とからめるのは面白いけど。小説と違ってどう転がるかわからないから、結果として歴史通りにおさまるようにするというわけには、なかなかいかないんですよね。プレイヤーの協力があればともかく。

やはり過去の史実とはパラレルワールド扱いとするのが楽なのかな。

2000/07/26:やりたいようにやりたい

結局のところ、ゲームシステム(ルールとワールドなどの総体)にたいする要求というものは。自分のやりたいことのできるものが欲しい、という欲求なのだろうか。と思わないでもありません。特にゲームマスター。

それがシミュレート的な精密さであっても、超人的活躍ができることであっても、どこかで見たようなキャラクターを表現できることであっても、ね。

このあたり考えてくと、デザイナーの作家性が強かったりコンセプトが明確であるほど、カルトなファンはついても、広まりにくかったりするということになるかな。無色透明で好きに使える素材のほうが、結局広まっているような気がするし。

2000/07/27:こつこつやれば報われる

いまの多くのTRPGにしてもCRPGにしても、こつこつやれば報われるというのは、あるように思います。

実のところ、こつこつ精一杯努力してもジリ貧になるというのもよくあるのが、現実の商売なり、生きることということだったりするとは思いますが。

ゲームシステム的に、こつこつやればやっただけの利益が得られるか、もしくは死亡するか、ということになる。それはまあ、冒険、一か八かの活動というものは、そういうものかも知れないけど。もうすこしこう、ジリ貧の状況というものが表現できて欲しいかな。

日常生活や移動なんかで資金的にジリ貧とか、借金があるからとか、そういうのは。酷い状況で悪化しつつあるしより悪くなる可能性もあるけど、打開の可能性もある。そんな状況をルール的に取り扱うことを可能にしていたのかも知れませんね。

2000/07/28:社会的モラル

TRPGを遊ぶ集団によって、PCの持っている・期待されている社会的なモラルというものは、大きく異なるものですよね。

このあたりのモラル面のすりあわせというのは、なかなか難しいような気がします。普段の生活や、生きかたなんかが大きく影響しますしね。

2000/07/29:遺跡から圧力鍋は出てこないのか

遺跡発掘というシチェーションはTRPGでは良く扱われるわけですが。これが商業的に意味があるためには、稀覯品や戦闘用の品々だけではない、もっと生活に密着した機材がある必要がありますよね。

現代文明が崩壊して、いろいろなものを発掘すると考えてみれば、いろいろながらくたや、生活用品が出てくるだろうという気はしますし。

まあ、古代魔法文明のあるようなものだと。魔法的な生活用品について、詳しく考察されていないというのは、あるとはおもいますが。生活用品なんかは細部のはなしなわけですが、細部まで理論だって魔法体系が構築されているというわけではありませんし。

ちなみに圧力鍋は、機構的に単純だけど新しいもので、かつ極めて調理上の変革をもたらす存在、の一例としてあげました。

2000/07/30:努力したくなるといいね

趣味において努力とは、しなければならないとかいうものではなくて。したくなるものであるべきだとは思います。

なんにしても、あれこれ「こうしてみたい」という欲求を誘うようにできていると、楽しみやすいんでしょうね。まあ、商品としては「すべて満たしてくれる」ようなもののほうが、良いのかも知れないけど。

2000/07/31:試行錯誤ができないほどリスクが高くて良いのか

試行錯誤ができるためには、ゲームバランスが致命的であることは良いことではないんじゃないか、などと考えてます

ゲームバランスが致命的で、どんな行動も細心の注意を払っていないと即座に死亡したりするようなものだと。最適な方法を遂行するだけで、いろいろと工夫するというか、試してみて学ぶというわけには、なかなか行かなくなるように思います。

短時間で終り、同一・類似の条件で何度も再挑戦するようなゲームであればすぐ死んでも再挑戦するという形でリトライして、試行錯誤もできるわけですが。TRPGのようなゲームでは、再挑戦のできないようにするのは、学習効果としてはうまくないのかもしれません。

まあ、リスクが低いのもつまんないわけですけどね。行動の結果としての良くない結果は必要だけど、それが即座に致命的であることは望ましくない、といったところかなぁ。

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