シナリオ作成になれないうちは、シナリオへの導入法をひとつしか用意しないということになりがちです。あげく、それがうまく受けてもらえないと、受け入れるまでごり押しするといった事態を招いたりします。
ここで対策はふたつあります。
ひとつは、一つしかない導入を受けざるを得ないようにキャラクターを作成させる、も しくはキャラクターを見てうけざるを得ないような導入のシナリオを考えるというもの。PCと導入をあわせるわけですね。PCを組織に所属させて任務という形で導入を行うなどが、楽な手です。
もうひとつは、PCにとってのメリットがある、複数の導入方法を用意すること。バリエーションゆたかな導入法が用意されていれば、多少断られようと、気にする必要はなくなりますよね。手間をかけたくないのであれば、複数用意した導入のうち、どれが良いかプレイヤーに選んでもらうのもいいでしょう。
名前を考えるときのノウハウにも色々あるとは思いますが。そのうちの一つを。
名前の頭一文字を、登場するおもなキャラクターで変えておく。という方法があります。これは、メモを取る時にも図示する時にも、色々と便利だったりします。
「あ」と書いてあればあではじまるやつ、「い」と書いてあればいではじまるやつ、というわけですね。
マスターによる図示やメモでは、手早く書けるのが重要ですから、一文字で区別できるというのは、色々と便利なわけです。
あとまあ、最初の発音が違うと、口頭での聞き分けも楽になりますしね。
現代などに近い時には特に、そうでなくても社会が機能していれば必要になる考えとして。PCやNPCの行動が社会的に、どのような波及効果をもたらすのか、というものがあります。
たとえばまあ、テレビカメラの前で有名人を殺すのと、人知れぬ荒野で戸籍も持たない存在を殺すのとでは、同じ行動であっても社会的な副作用がまったくちがいますよね。
そのあたりをプレイヤーもマスターも配慮できてこそ、シティアドベンチャーは面白くなるわけで。意識的に「この行動は社会的に見てどう思われるのだろう」という視点は、忘れないようにしておくと面白くなると思います。
まあ、アクションばりばりを楽しみたい時には邪魔になったりしますけど。
ある程度以上に強いキャラクターってのは
でしか認識できなくなる傾向があるような気がします。
質的なものは、やはりこう、人間の範疇でないと想像できないというのは、ありますかねぇ。
通常のオフラインの(インターネットなどを使わない)セッションにおいては。疲れて集中力が落ちないように、適度に休憩を入れることが推奨されていますよね。まあ、学校の授業よりは楽しみでやっているとはいえ、休憩なしには一時間ももてばいいほうでしょうか。
しかし、チャットセッションにおいては、時間がかかるせいもあってか、意図的に途中で休憩をはさむという光景が記憶にありません。むろん、対話に時間がかかったり、出番のない時には好きに休めるというのもあるでしょうけど。やすみなく続けていていいもんなんでしょうかね。
モンスターデータは読んで面白いもの、こう使いたいと意欲の出てくるようなものであってほしいなあ、などと思います。
強さの量的な違いだけにおわって、無味乾燥でつまらないってのは、わりとありがちですよね。定性的な質の違い、そのモンスターだからこそという特殊なありかたとか、存在形態とか、生態とか、そういうのがあるとシナリオフックにもなって良いんですけどね。
吸血鬼なんかは、弱点や性質やなにかをしでかす時の手順や拘束、精神的方向性なんかが詳細にありますから、そういう意味で面白いんですけど。それくらいの芸の細かさが、すべてのモンスターについて欲しいところですね。
ただ強いだけ、特殊能力があるだけでは、飽きますから。
ゲームシステムを作成する人は良くいるわけですが。仲間うち以上に利用してもらいたい場合には「これを使えばこんなことが出来るんだ」という新鮮な感動があってほしいかな、とか思います。
ルール上の仕掛けに限らず、データや資料、添付されている小道具なんかでも良いわけですけど。
そういった「これを遊ぶからこそ」という物が見えないと、なかなか遊んでみようという気にはなりにくいんじゃないかなと思います。
社会的性別(ジェンダー: gender)と生物学的性別(セックス: sex)を分離してキャラクターシートとに記述するというのは。その二つが分離して認識されるような社会、たとえば近未来ものでは有用なのかも知れませんね。
サイバーパンク小説なんかではファッションとして身体改造や性転換を行うなんてのはざらですし。
初期のTRPGには、のちのゲームシステムでは失われているが、じつは重要な機能を果たしていたゲームギミックが色々とあります。たとえばゲーム進行管理を行うためのターン制の時間管理システムも、その一つです。
ターン制は現在のゲームデザイン的視点からみると。ゲーム内時間を一定時間で区切ってどれだけの時間がかかったか、時間経過によりなにが変わるか管理するという、ゲームの進行管理を行うための基本的なツールであると考えることができます。時計に管理された人間にとっては理解しやすい概念ではありますかね。
このようなターン制をあたりまえの規定の概念として利用していた人間にとって、別のゲームシステムでルールブックに規定されていなくても、ターン式に時間管理を行なうことは頭に染みついてしまっていまして。自動的に無意識に、それまでの経験で運用できるわけですけど。そういった経験を持たない人には自分で見いだして運用しろというのが、現状に近いでしょうか。良く書かれたシナリオから学習するということも可能でしょうけど……。
むろんシーン制のゲーム進行管理などがあれば、むしろ無意識のターン制の意識は邪魔になったりすることもあるでしょうけど。意識的にターン制を活用するためのノウハウを公開、醸成しておくのは、有用で必要なことでないかと思います。
セッションの進行そのものをゲーム的にすることと、セッションのバランス取りがルール的に組込まれているととは、わりと混同してしまいやすいような気がします。
たとえばGURPSのようなコスト型のキャラメイクとかは。割り振りかたやルール運用で優劣が出るようなゲーム的な要素なんですよね。いちおうCPが同じであれば、機会平等ではあるわけですが。これに結果平等を求めてしまうというのは、わりと良くあることだと思います。
機会平等を提供するのか、結果平等を提供するのかは、デザインサイドでも意識的に明確にするべきでしょうね。そうしないと焦点がボケてしまいますからね。
たとえば一PCが一ターンに一行動しか取れない場合のターン制では、一ターンあたりのプレイヤーの行動機会が平等になることをめざしているのでしょうかね。しかし、ゲーム的に一ターンあたりの行動回数を増やしたり、二ターンかけての行動とかになると。ターンあたりの機会平等制は失われて、もっと大きな時間単位での時間という資源の取り扱いの平等性に移行するのかも知れない。これが、たとえばどれだけ行動宣言しても一ターンあたりにルール的に処理されるのは一行動だけである、とか言ったルールであれば、結果平等なのかな?
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