相手の行動がおなじでも、相手に対する先入観によって、その解釈は容易にかわりますよね。わずかな行動を悪意にとってつまらなくなったり紛糾したり、ちょっとした問題があっても好意に結びつけたりするわけです。まあ極端な話、あいてが好みのタイプの異性である場合を考えてみれば、良くわかると思います。
でまあ、先入観に惑わされることなく楽しみましょう。といっても、なかなか人間は先入観を排除することができませんし、無駄でしょう。
そういう見地から、良い先入観をもってもらえるように、外見や言動を調整するというのは、人生を楽しくいきるためには、便利なことだと思います。良い先入観のためには良い第一印象、ですよね、まずは。
そのうえで、さらに相手にたいする寛容の念と自己コントロールを身につければ、TRPGのみならず、生活一般が楽しくなるかも知れません。……なるといいなあ。
さくさくとアクセスログなど眺めてみますと、衆議院からのアクセスなどもありますようで。国会議員が「趣味はTRPGです、なぜなら……」とか言いだす時代になると、面白いのかも知れないですね。
いやいや、ほんとうは、そんな他力本願なこといわずに、各人が自信をもって「趣味はTRPGです、なぜなら……」と言えるようになるべきなのかな。
敵にしても味方にしても、妨害すること、行動すること自体が、その存在の持つ能力を開示し、固定し、限定し、逆用できるようにする。というのがあると良いなあ。と思ったり。
例えばテレパシー通信を傍受されたら、相手はテレパシーを傍受しようとしている、能力と行動の偏向をもつことがわかる。それを利用し、テレパシー攻撃や、偽装通信や、無駄情報による飽和攻撃などを試みることができる。とかね。電波傍受とその逆用とかみたいに。
情報交換の処理の明確化、情報交換のデメリット、というあたりは、もうすこし考えると面白いのかも知れませんね。
情報収集のロールで、さいころの出目のせいで絶対に必要な情報が得られなかった。そのためシナリオのなぞが解けなかったり、解けるまでやたら時間がかかってしまった……という失敗は良くあることだと思います。
このようなことは、情報収集を判定させる時に「得るのに成功する」か「得るのに失敗する」のどちらかの結果しかでないようにしていると、起きやすいように思います。
情報収集の判定では、
などという方法を取ると、比較的スムーズにいくかと思います。事前に渡せる情報を、分類しておくといいですね。
世界設定やシナリオには、なんというか、再現性やもっともらしさよりも。
「そんなのありかよ」とか「うひゃー、そこまでやるか」となるような、けれん味があるというのも、人をひきつけやすくて遊びやすくする、良い手なのかも知れませんね。
ドラマの基本要素は対立葛藤であるといいますが。それならば、どちらも同様に確からしい対立のテーマをたくさん用意してやれば、シナリオの材料になるのだろうか。
そのような対立のある価値観を質問として提供して、キャラメイクにもするというのも古典的ですよね。その世界ならではのキャラクター性を掘り下げる、理解するのに役立つし。
このあたり、もっと応用を考えてみても良いのかも。
プレーヤーの好みにより、望んでいるガジェットの再現度や細かさ、処理手順の詳細さなどが、おおきく異なるというのは良くあることですよね。
これにたいする対策として、汎用ルールなどでは、すべて詳細にするとか、詳細化のための追加ルールを用意してオプションとするとか、まあ色々とあるわけですが。結局、参加しているメンツの中で、詳細さについての妥協というか協調・合意が必要になるわけですよね。
いっそのこと、プレーヤーごとにルールの詳細さが違っても機能するようにゲームシステムが組まれていれば、面白いのかも知れません。それでも問題なく機能するようにするのは、いろいろと難しいわけではありますが。目標としてもって見るのは、良いのかも。
現実には、自らの失敗を認めて、やりなおしをするのは難しいですよね。どうしても合理化し、理由をつけて反論し、それで良いのだと思いたがる。
でまあ、この失敗を認めるということの難しさというのは、謎解き系のシナリオなんかで、行き詰まりが起きる時にも、良く見られると思います。犯人や動機や犯行手段、そして捜査方法などについて、「これでいける」と思いこんでしまい、それに反する証拠や誘導が見えなくなってしまうとかね。シナリオ上は見当違いなことをやりつづけて、時間だけ消耗してしまい、あげく「このマスターだめだよ」となってしまったり。
別にこういったプレーヤーが問題だ、というわけではありません。人間なんだから、そういう罠に陥るというのは、あたりまえですし。そういう罠に陥りやすいということを考慮しながら、プレイして行く、マスタリングする、シナリオを用意する、とうことを心がけるのが建設的なんでしょうね。
セールスマンのおだては基本戦術なんだなあ、などと先物取引のひとのセールストークなんぞを聞いていて思ったわけでありますが。
こういったおだてってのを、プレーヤーもしくはゲームマスターが使うことは、良いことなのだろうか悪いことなのだろうか。意識してるのかしてないのかわかんないけど、多用してる人も居ますよね。
おだてていい気分になってもらうというのは、楽しむための良い手ではあるんだと思うけど。長期的にも良いことなのかは、難しいですねぇ。
ヒーローポイントのようなものを、判定の結果がわかる前に使用するのか、結果がわかった後に振りなおしに結果の修正に使用するか、というのは、ゲームの性格を大きく変えるものですよね。
結果のでる前だと、ここぞというところで掛け金を張り込んで賭けるようなもので(スーパーひとしくんみたいなもんか)、ギャンブル性をより高める効果があります。一か八かの感覚の強さは、スリルや緊張感におおきく影響するもだと思いますから。そのあたりのギャンブル的楽しみという楽しみを提供したいのであれば判定結果のでる前にポイントを使うようにデザインするべきなんでしょうね。
これが、結果のでたあとに使うようにデザインされていると、結果を意図したものに納めるために使うような感じで、結果のコントロール性が増してギャンブル性を除去・軽減することになりますよね。この場合には結果としてヒーローポイントは、失敗しないための保険、成功を買うための通貨、という感じになるんでしょう。
2000年分の一覧へ。
TRPGな一言の総合情報へ。
連絡先 / ディレクトリルートに戻る / TRPG.NET