「各PCの(とるべき問題解決の)行動を予期して活躍シーンを用意したシナリオ」を作る、ノウハウがあります。
これは、マスタリングノウハウとして、けっこー普遍的に「良いことである」と言われてきたと思うんですけど。じつは「その行動を特定PCがしない限り事態が動かない(ようするにPCの予定された行動待ちになる)」シナリオの作成というのと表裏一体で。結果としてゲームマスターの「PCにやって欲しいこと」の押しつけになりかねない、というのを最近感じています。
特定人物が犯人でないことを示す、偽の証拠をあらかじめ提示して。それにたいして反論を探して真相に迫る、というシナリオの組み方もありますね。
この場合、偽証とその反証の探し方のセットを沢山用意することが、シナリオの作成になるのかもしれません。
偽証データが沢山そろっていると便利かも。
特にチャットなどで、時間内にきちんと終わらせるとかするためには、きっちりとしたタイムスケジュールつきで、議題を提示しておいて、考えてから来てもらうというのが有用なのですが。
TRPGだと、なかなか難しいですよね。
そのあたりのバランスをどう取るかは、腕の見せ所なのかも知れない。
TRPGでは、やることが沢山あるうえに、頭の中でだけ処理されるから。どうしてもすべてを配慮することが難しいという面があると思います。
対処として、物理的・ルール的データによる明示的表現というものがあるわけではありますが。これって結局、ルール処理するための意識化の作業の分、処理も重くなるし。結果としては注意力を分散してうまくいかなくする原因になりやすいように思います。
いちばん手軽なのは、ルールでとくに規定しないで、わかりやすく図示したり、図表を見ながら処理したりするという、ノウハウを使う事なのかもしれませんね。
「○○という職業・組織は現実はそんな歪んだ行動理念は持っていない」
というような、世界設定やキャラクターにたいする反論をしてしまいたくなることは、良くあることです。とくに自分の経験した職業や所属した・知り合いの居る組織などについては、そう感じるのは誰でも良くあることでしょう。
しかし、このように反発されがちな、類型化され、誇張されたキャラクター像というものは。ゲーム中の機能を実現するため、もしくは遊びやすくするためには、実はそこそこ有用なんですよね。そういう意味で、わざと歪んだキャラクターや世界設定・組織設定・思想設定などを行なうというのは。意識的にせよ、無意識にせよ、しかたないことなのかもしれません。
プロの書く優れた一般小説とかであれば、ある程度の専門家が読んでも穴のないように作ったうえで面白くするとかも可能かもしれませんけど。一般受けするジャンルものなんてものであれば、崩しまくったほうが受けやすいというのはあると思います。そして、TRPGは由来的にも現状の機能的にも、ジャンル物の再話として構築された遊びですから。ありきたりで歪んだ、事実にそぐわない設定にするのは、当然なのかもしれませんね。
準備することには、さまざまなメリットがあります。
しかし、これらの利点は、同時に危険性を秘めています。
まあ、たとえばの例に過ぎないんですが。単純に準備に時間をかけまくることが良いことであるとは、思わないほうが良いのかもしれません。
葛藤の解決、対立の解消。それがドラマを生む原動力なんですよね。
しかし解消の過程がシミュレータにより明確に規定されるというのは。結局のところ、解消が作業になってしまうという問題があるんですよね。特にTRPGでは、人間に把握できる程度にルールとデータを単純化しないといけないわけで、結局「見切ってしまえばただの作業」になる危険は大きいんですよね。
そして作業に堕してしまえば、ゲーム構造そのものは単なる重荷にしかならないような気もする。
このあたり、対処は「描写で遊ぶ」以外に何か無いもんだろうか。
協力型でないゲームであれば、色々と手もあるんだけど……。
セッション中にプレイヤーが、ゲームマスターに設定を提案するということは良くありますよね。捜索する・情報を得るための場所とか、情報源や手助けになりうる専門家とか、
しかしこのときに、うまく提案しないと、マスターの反感を買ったり、わがままであると感じられたりすることがあるように思います。
「〜というものはありますか」
よりも
「〜のようなものとしてなにかないでしょうか」
とでも聞いたほうが、いい感じかなと。まあ、最初のでも
「〜はありますよね」
「〜はないの?(不満そうに)」
とかよりはましだけろうけど。
広義のゲームってのはもともとコミュニケーションのツールとしての側面を強く持っていたと思うんですが。コンピュータゲームに代表される一人遊びのゲームって、そういう意味ではかなり異端ですよねぇ。
しかしTRPGってのはこう、競争型でないぶん、けっこう一人で充足してしまう危険もある遊びではあるんですよね。
そのあたりも含めて、コミュニティのツールとしてのTRPGの位置づけというものを、再考してみる価値はあるかもしれませんね。
自分にも、他人にも。完璧を期待しないこと。自分が完璧だと思わないこと。このあたりは、たいせつな事なんだと思うんですが。
実のところ、完璧を目指して疲弊してポキっと折れてしまうとか、良い点を評価するのではなく、不具合ばかり意識してしまうってのは、良くあることなんですよねぇ。
「シナリオの解決するべき課題」ってのは結局「ゲームマスターがやりたい/やらせたいこと」なんですよね。PCの目標や行動規範が「プレイヤーがやりたい/やらせたいこと」であるのと良く似たものに過ぎない。
だからまあ、「ゲームマスターがやりたい/やらせたいこと」と「プレイヤーがやりたい/やらせたいこと」をうまく整合させながらセッションを展開させるんだ、という意識を持たないと、いろいろとまずいんでないかな。
そうしないと「ゲームマスターがやりたい/やらせたいこと」を押しつけるだけのマスターになりますからね。
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