いろいろと話を聞いていると、TRPGがほんとうに危機的情況なのかと問われて、うんと素直に答えにくい気がしてくる今日このごろ。
定量的で誤解の余地のない分析が必要ですよね。気分として「なっとらん!!」だけでは意味がないわけで。
SF冬の時代論争とかをみていてもそう思うんだけど、「だめだ、だめだ」と言うこと自体が、市場や供給者の心理を冷やす原因になっていないのか、って懸念もありますしね。
基本的に同人的な創作ルールってものは「仲間うちで楽しく遊ぶため」として作成されるものだと思います。だからまあ、目的が「広く遊んでもらう」ものとしてデザイン・製作されているものではないから、そのままでは商品品質にはなりにくいわけですよね。
しかし、公開されているルールを見て遊ぼうという場合には、そんなことおかまいなしに見るわけで。そうなると「仲間うちで遊ぶ」ためのシステムには点が辛くなるというのはあるわけでしょう。
やはりこう、想定利用者を明確にして公開するのは重要かなぁ。参考のためとか活動報告の意味で公開しても、自分がマスターをする専用のルールとして公開しても、目的と対象層にそった機能を果たせるならば、文句を言うのは筋違いなわけですからね。
自分の役割というか、やることを暗黙理に固定的に規定して。自分のやろうとしていることの出来るまで、出番を待つ体制になってしまう、ということがあるように思われます。
「今日は○○技能で敵を倒してみよう」
「○○さんのキャラに叱ってもらつてからなだめようかな」
みんな待ちにはいって動かないとか、マスターがなんか進めてくれるまで動けないとかは。そういう心理があって、しかも言わないことが原因なのかも知れませんね。
ゲームシステムが複雑怪奇かどうかなんてのは、じつは入門するうえでの主要な障害ではないみたいですね。
などのほうが重要であり、ゲームシステムの出来・不出来は、あまり意味がないのではないでしょうか。
むろん、継続するうえでは出来・不出来は問題になるとは思うけど。
プレイ中の雑談というものがあります。これに目くじらたてるというのは、わりと陥りやすい罠かもしれません。
たしかに雑談を野放しにすると、セッションが崩壊するわけですけど。完全に禁止するのは、コミュニティの維持機能を逆に阻害してしまい、結果として遊び仲間としての意識を阻害するんですよね。
むろん、雑談の内容が一部にしかわからないようなネタで、かつ長時間継続したり頻繁に発生したりすると、コミュニティの維持にも有害なうえにセッションの進行にも有害なんですけどね。話してる人間にとっては楽しいけど。
まあ、このあたりも、節度をもってほどほどに、としか言えないかのなあ。
セッションの難易度、バランスの取り方とは難しいものですよね。
うまくいくと簡単。うまくいかないと不当に難しい。といった感想になるし。
ちょうどよくしようとしているのがわかるようになると、手のひらで踊っているような感覚になるからなぁ。
やはりこう、バランスをとってシナリオをつくるなんて考えずに、ごりごりと押したりして。プレイヤーが自発的に「ヤバければ手を引く」ことができるようにするとかのほうが良いのだろうか? などと思ったりもしますが。難しいところですね。
「共通の認識を刺激しあう」楽しみというものが、TRPGを遊んでいるときの大きな楽しみの一つとなっているのではないでしょうか。
これは普通に駄弁っているときの楽しみの一つでもあるわけですが、TRPGにおいては「共有する世界」というものがあるので、それを刺激しあうことによって「共通の認識を刺激しあう」楽しみが得やすいのではないかとかんがえています。
この観点からいえば、「ネタがわからない(もとねた、世界設定、過去の経緯)」とか「価値観の相違の露呈」とかがあると、一気につまらなくなるのが、納得しやすいですね。
さらにいえば。雑談の楽しみとしての「共通の認識を刺激しあう」ことを考えてみると。「微妙にズレていたり、自分の価値観にそぐう方向であらたな発見があったりする」と、いちばん楽しいというところでしょうか。このあたりTRPGではコントロールが難しいところですね。煮詰まって世界についての知識差が大きくなると、微妙なズレとはいえないし。
オリジナル世界設定というと、まず神話体系や国家などから作りはじめるというけ以降が、散見されるように思います。
しかし、これは昔から言われることですが。実際にセッションで利用されるような小さなところから作ったほうが、有用なんですよね。
出身の村とか、ホームタウンとする街とか。そのあたりから作ったものを公開してみてるというのは、セッションに役にたつ世界設定の公開という意味で、もっと盛んであってもいいように思います。
反省会をするとよい。とまあ、良くいいますが。実際には反省会をうまく活用するのは、たいへん難しいものがあります。たとえ全員に信頼関係があってさえ、ね。
なぜなら、反省会として悪かった点について分析し、改善点を検討するというのは、ほっとくと容易に糾弾会とか自虐会になるんですよね。
まあ、これはある程度しかたないことで。人間、悪いところを見つけるのは簡単で気分がいいんですよね。誉めるべきところを見つけるのは、それに比べると心理的にも技術的にも高度だと思います。
でまあ。安易に"反省会"にするとやっかいなので。できるだけ「良かったことはなにか」を明確にしていくポジィティブなやりかたが、好転させるうえでは有用なのではないか、と最近は考えています。
他人の良かった点を把握していくというのは、自分の技量を磨くうえでも有用でしょうしね。
正直なところ、TRPGには幾多の弱点があり、現状は閉塞的な縮小再生産の方向に向かっているのではないか、という危惧があります。
1999年はTRPGの出版状況などは、その前よりは安定して来たようには思いますが。しかし、ここで満足してしまってはジリ貧ではないでしょうか。いかんせん、TRPGのメリットは減殺されつつあり、ゲームとしての本質は、昔から大差ないままに来ているわけで。
TRPGに発して、今のTRPGを大きく越えた「より広いなにか」を求めて、もっといろいろと検討して行きたいと思います。むろん、継承されていないいままでのノウハウなんかの集積も継続して行きたいですね。
結局のところ、現状では、プレイヤーメインの人が読みたくなるようなコンテンツやサービスというものが、見えてないんですよね。
この二つが、いまのところあるもので。実際にアクセスも多いわけですが。他に何か、提供できないものでしょうかね。
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