TRPGな一言:1999年11月中期分


目次


1999/11/11:自由度のバランス

無制限な選択肢の自由度は、なんでもできるがゆえに、なにをして良いのか分からなくなることがある。特になにかしたいことがあるプレイヤーでなければ。

何をするべきかの誘導があると、なにかしたいことがあるプレイヤーにとっては、邪魔に思えたりする。

このあたりのバランス感覚も難しいよな。

1999/11/12:パーティの意思決定

TRPGにおいて意思決定というキーワードで物を考えるときには、PCの意思決定を担当プレイヤーが行なうというレベルでのもの以外に、パーティとしての意思決定という概念を忘れてはならないなぁと思ったのですが。

じつはパーティとしての意思決定を最高効率に持っていくためには、もっとも有能な意思決定者ひとりにすべて任せてしまう必要があるんですよね。複数の意思決定者がいる組織なんてのは、決定が明確にならないわ、なかなか決定できないわと、ろくなもんにならないのは周知の事実かと。ことわざでも「船頭多くして船山に上る」といいますよね。

パーティの意思決定を重視して、PC個人レベルの意思決定を無視するほうが、時間あたりの行動量でも、行動の良さでも最適である、という概念を利用すると、いろいろと面白いことが見えてきます。

たとえば、とってもシビアなゲームバランスでのセッションで生き残るためには。パーティの最適効率を出すために、意思決定をもっとも有能な人間だけが行なうというのが最適になってしまい。継続して遊んでいる集団のプレイスタイルが、決定者が一人のものに固定する公算が強いだろう、という推測ができます。

この意思決定者は一人しかしないという状態は、実際にけっこう発生しているんでないかと思います。そして、このような状態のセッション環境のもとでは、その他のプレイヤーは「見てるだけで楽しい」とか「熱いセリフをいうのが楽しい」とか「ダイスを振って敵をぶちのめすのが楽しい」とか、考える以外の楽しさを取得するのは当然のことなんじゃないかな、と思ったり。

1999/11/13:NPCは控えめに

チャットセッションで良くある失敗として、NPCを同時にたくさん出しすぎるというものがあります。

口頭で処理する普通のセッションでも複数のNPCを使い分けるのは大変ですが。行動や言動を解説や誘導などと同時にキーボードで打ち込む必要のある、チャットセッションにおいては、複数出すことの負担はオフラインでのセッションよりもかなり高いんですね。

むろんまあ、プレイヤーの全体としてのキータイプ速度が遅くて、ゲームマスターはキー打鍵の達人であれば。運用自体は問題ないかもしれませんけど。複数出して会話させまくったりすると、プレイヤーが混乱したり、発言する機会を逃したりするという問題も生じます。

だからまあ、チャットセッションではNPCはふつうよりも控えめに、最小限の数しか出さない、というのか望ましいのではないでしょうか。

1999/11/14:展開の自由度、選択肢の自由度

TRPGは自由度があるのである、という言葉がありますが、これについては、話の流れの自由度と、問題解決に使える選択肢の自由度との混同がされているという問題があるように思われます。

一本道でなくても、中心となる展開の方向性というものがないと、ゲームマスターとしてシナリオもへったくれもないわけですよね。どんなに話が自由度が高いと称しても、一定の幅や方向性を規定する「目標とするシーン(往々にしてクライマックスのジレンマとか。ラストの解決方法のことではない)」があって。それに向けてコントロールしていると思われます。(目標とするシーンをPCの目的として用意もらってシナリオを作る場合も含まれますし、参加者の合意や状況の変化で動くものですが、ここでは詳しく書かないことにします)

で、その意味での自由度は、TRPGには本来あまりないのだとも思うわけです。綿密に分岐をシナリオに組んだコンピュータゲームとかのほうが、よほど自由度があるといえるのではないかと。

TRPGのメリットは、展開の過程で直面した問題を解決するうえでの選択肢を自分で作れることであり、選択肢のバリエーションが多いわけです。この意味での選択肢の自由度が高いのは事実で、TRPGのメリットになっているんだと思います。

このような「話の流れの自由度」と「問題解決に使える選択肢の自由度」を混用して論議をすると、完全にすれちがってしまうし。前者をTRPGのメリットだと誤認すると、セッションを崩壊させやすいんでないかなと思います。

1999/11/15:プレイヤーは何をするのかの記述

ルールブックも解説書も。プレイヤーが何をするかを、きちんと具体的な手順として示していることが、あまりにも少ないような気がします。

戦闘の手順とか判定の手順については示せていても、全体のゲーム進行の中でプレイヤーにはなにができるのか、どのようにするとうまくやれるのか、というあたりが、明確になっていないというわけです。

ルールブックの大半は、良くてマスターのやることしか書いてない。たいていは、ゲームマスターが使うための"使える道具"を放り込んであるだけ、という状態になっているように思います。「これでパソコンを使って遊んでね」とコンパイラとシステムコールだけ渡すようなもんですね。

プレイヤー技術の定式化ってのは、今後の重要な課題として、検討して行かないとねぇ。

1999/11/16:モチベーションはだいじ

プレイヤーもゲームマスターも。なにかやりたいことがなければ、動かないもんですよね。ゲームマスターや他のプレイヤーがやらせたいことを押しつけても、上手く動かないわけで。

やはりこう、プレイヤーの意欲を生かすためのノウハウ、意欲を明確にするためのノウハウってのも、いろいろと考えたほうが良さそうですね。

1999/11/17:選択肢が思いつきすぎる

状況にたいして、選択肢とか可能な真相なんかをたくさん思いつきずきるひとだと、プレイヤーやるときに迷いまくることがあるような気がするんですが。これって、他のプレイヤーには迷惑だったり、マスターにとってもやっかいだったりすることがありますよね。

だけど、いろいろと考えられるってのは、マスターの資質としては便利なんで。難しいもんですね。

1999/11/18:詳細さの欲求と限界

詳細でリアリティのある設定や展開ってのは、(とくに年を食ってくると)必要なものだと思ったりする傾向が強いわけですけど。

細かいものに魅力を感じるためには、そもそも前提知識が必要になるわけですよね。そのあたりの前提知識の違いですれちがいの生じることってのは、多すぎるんだよなぁ。

やはりこー、設定ってのは。分かりやすく使うに十分なゲーム的仕掛けでの記述を置いて、それを掘り下げて説明したいひとはしてもだいじょうぶなようにする、あたりがいいのかなぁ。

1999/11/19:英雄の誕生と没落

なにも失うものが無いからこそ、英雄は偉大なことが可能になるんだよなぁ。などと感じる今日このごろ。

正確には、失うもののないひとが無茶な行動をしたうえで、生き残って大きな影響を与えたひとをさして、英雄というんだろうな。そういう意味ではD&Dの生き残ったPCってのは、もっとも英雄的かも。

守らなければならないなにかを複数持ってしまうことが、英雄の没落と苦悩のはじまりであり。何か、くだらないかもしれないものを守って、死んでいくとかね。そんな気もするけど。PCとしては運用は難しいかなぁ。

1999/11/20:特別な存在を作る

PCが本当の意味でヒロイックな主人公になるためには、PCと似たような能力をもつ敵や味方がたくさんでてくるようでは、ありがたみがない。と思う今日このごろ。

基本的に、たいていのルールで、用意されたデータを利用する時点で、世界に少数しかいない特別な存在ではなくなるんだよねぇ。

特別な存在をルールの範囲内で作成して、適切に演出するためのシステムってものは、なんかあるかな。

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