TRPGな一言:1999年11月前期分


目次


1999/11/01:問題のあるプレイング

問題のあるプレイングと言われるもののなにがまずいのか、ってのは、けっきょく自己満足になって、他人にとって面白くないというものですよね。

1999/11/02:不特定多数との遊びの特殊さ

TRPGでは、コンベンションにおいては、不特定多数との遊ぶという特性がありまして。結果として、いろいろな問題も抱え込むわけですが。これは、べつに参加者に問題があるとかいった特殊事情であるかってと、そうではないように思える昨今。

ふつうの遊びにおいては、基本的に気の合う仲間と遊ぶというものがあたりまえで。いきなり出かけて見も知らぬ人間と、気に入った相手を探すというプロセスも対話もとくになしに遊びはじめるというのは、これはもう、異常な現象だといってもいいと思うわけです。

この特殊さを意識せず、気の合った仲間と遊ぶのと同じ気持ちでいると、多くの問題が引き起こされるのではないかなぁ、などと思えたりして。

1999/11/03:あふれる情報の中の世界像の変化

さいきんの連中は原典にあたってリアルな史実を知ろうとしない、あんなもので具体的なイメージが沸くのか……とかいう見方というか愚痴があったりしますけど。これには二とおりの反論ができますよね。

ひとつは、同程度の年齢・プレイ時期の自分たち自身が、どの程度のものであったか忘れていないか、ということ。

もうひとつは。TRPGと同期できる物語の量が、昔といまでは違うということ。

前者はともかく、後者について。

昔は魔法を使って攻撃するという概念自体が目新しかったというか、そういう概念事態を作り出したのがD&Dであったように思うわけです。でまあ、何かイメージの参考になるものを探そうとすると、史実など資料として使うしかなかったわけですね。

しかし今では、TRPGに使える世界、とくに異世界ファンタジーについて、莫大な小説やイラストが存在するわけです。その詳細度や生活感などはともかく、どんな感じなのかを、なんとなくつかめる。なんとなくだけど。

そんな状態では、感覚として遊べるだけの情報を得るためには、、とくに詳細で泥臭いものである必然そのものがないのではないか、と思う今日このごろです。

1999/11/04:個人設定からシナリオを作る

すべての(広義の)人間の個人目標・志向には、理由と、それがもたらす結果と、それが容易でない要因があるはずで。個性の設定からそれを分析して、謎と真相を抽出し、PCと相互作用させつつ発見してもらって行くシナリオを作成するというのは、真相解明型のシナリオ運営において活用できる方法です。

この分析の対象になる人間ってのには、当のPCの一人も可能で。キャンペーンであれば、この手法の応用でプレイヤーにインタビューしつつPC設定からシナリオを引き出すのは、たいへん楽しいものであります。

まあ、真相を解明すると動機や機会を提供して、ヒントや誘導を置いて、真相を隠そうとするもの(たとえば恥ずかしいとか、バレるとなにかあるとか)を用意して。と考えるとシナリオになるわけですね。

じつは日常的事件でも、こうやって料理すると立派なシナリオになったりしなくもありませんね。動機づけに工夫か協力はいるけど、むしろ一般的生活をしている人間には、やっかいな問題で無いほうが手を出しやすいとかもあるだろうし。まあ、それを面白くするのには、技量がいるだろうけど。

1999/11/05:何をするゲームなのかの明示

そのゲームでPCはなにを目指すのか、プレイヤーは何をするのか。これが明確でないと、遊び方が分かりにくいから、暴走してしまいやすいように思います。

なにをするゲームなのかわからないと、なにをやっていいかわからないという状態を産んで、その状態でPCを動かせるのは、何かやりたいという欲求のある人間だけになりがちである。そして、強い欲求があるほど、暴走に繋がりやすいってわけで。

たとえゲームシステムに遊び方が仕込んであるとしても。明言されないと理解できるとは限らないし、理解がずれやすいんですよね。やはりこう、そのあたりの基本的な"どう遊ぶものなのか"は明示的に伝達したいですね。

1999/11/06:まねのしたくなるうまさ

向上心をそそるためには、目に見えて「うまいなぁ、ああなりたいなあ」という欲求を起こさせることが重要です。

しかし、よく考えてみますと、TRPGにおいて「うまいなあ」と傍目に思えるものってのは、

などであって、キャラクターについての掘り下げの提示とか、巧妙な対処とか、他のプレイヤーとの協調とかは、なかなか「目立たない」ような気もしますね。だとすると、それらの目立たないうまさが伝授されない、そちらの方向に努力しないのは、理の当然なのかも知れない。

1999/11/07:徹底分析の恐怖

その回のゲームマスターよりもプレイヤーのほうがゲームマスター経験が豊富だと、いろいろとやっかいな問題が起きることがありますよね。

たとえば。慣れたゲームマスターほどプレイヤーの時にも必要以上に裏読みしてしまって、自分で考えた行動案に欠陥を見つけてしまいがちという傾向があるように思います。「これではないよなぁ」「こっちは○○な欠陥があるし」という手詰まり状態に自分から追い込んでしまうんですよね。マスターしているときにプレイヤーの行動を査定するのと同様の行動を、自分がプレイヤーの時にもしてしまうわけです。

これは、その時のマスターが経験が相対的に浅いと、予定していた解決方法をプレイヤーに否定されてしまってパニックになったりするし。他のプレイヤーの提案をことごとく潰していくことになったりすることもあると。

これって、どうにかできるのかなあ。

1999/11/08:セッション運営シート

シナリオの予定どうりにすべてが進めるだけではつまらないのがTRPGというものでありますが。予定から外れるとなかなかやっかいなのも確かで。

セッションの進行による事態・状況の変化に応じて、マスターのゲーム運営計画を修正するために、うまい運営シートのようなものがあると便利だなぁ、と思う今日このごろであります。

1999/11/09:巻き込まれ型のシナリオをうまく遊ぶために

日常を過ごしているPCを徐々に、もしくはいきなり事件に巻き込んでいく。というシナリオの展開方法がありますよね。巻き込まれ型のシナリオってやつです。

さいきん観察していて思うんですが、この巻き込まれ型のシナリオってものは。現在のプレイングガイドやゲームシステムにおいては、実はものすごく失敗しやすい、危険な方法なのではないでしょうか。

巻き込まれ型では、プレイヤーがどのような事件を解決するべきかの方針が

(依頼型と違い)示されないわけです。そして、方針が固まっていない状態で、マスターによって状況だけが展開していくと、状況にたいして短絡的に反応するだけに終始してしまいがちなんですよね。

そして、短絡的反応しかしないプレイヤーを迎えてゲームを進行させるには。これまで良くいわれてきたマスタリング作法では、ただひたすらマスターが勝手に進めていくということになりがちで。そんな環境だと、プレイヤーは短絡的反応以外にすることがなくなる。

このフィードバックループが、ひたすらに悪循環しているセッション環境は、かなり多いような気がします。

こうなると、ずるずると時間だけが過ぎていき、マスターの誘導にのってラストシーンまで動いていくしかなくなる。そして、間延びして退屈で、往々にしてミッションそのものも失敗するセッションのできあがり。というわけです。

幸い、この悪循環には対策案らしいものがありそうです。それは「現状がどうなっているかを把握し、これから何をするべきかを考え、どのように行動するかの計画をたてる」ことです。

PCの達成目的や行動計画をマスターが与えてくれると期待せずに、現在の状況と得られた情報から、きちんとプレイヤーが作成するというわけですね。

むろん上手なプレイヤーは、これを意識しないでもやれているはずなんですが。意識化しておくと、プレイヤーの底上げになりますし。マスターもプレイヤーが目標を認識したり計画を練るための時間を明示的に与えたりという、対策ができますよね。

これで、もうすこしセッションの密度が上がってくれるといいですねえ。

1999/11/10:未完成なキャラクター

PCは未完成な存在であるほうが、いろいろと便利ですね。

キャラクターが、これから変化しうる可能性、変化したい未来を持っていると、積極的に何かさせるのが楽なんですよね。そして、変化しうる可能性を用意するうえで、人格的・能力的に未完成なところを用意しておくというのは、たいへん分かりやすく作りやすいものだと思われるからです。

未完成なPCがより高みを目指して苦闘する。成長ルールのあるゲームでは、能力的にこれが容易な面はありますが。心理的にも、それが掘り下げられるといろいろと便利そうな気がします。

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