TRPGな一言:1999年10月中期分


目次


1999/10/11:キャラクターの強さのバランス

キャラクター間の強さの差のバランスを取ることの意味とはなんなのだろう、もしかしてあれのバランス取るのはゲームつまらなくしてるだけではなかろうか。

と最近考えていたりするのでありました。

まあ、とりあえず、ゲームバランスの実態とその機能、バランスを取ることの目的あたりを考察しないといかんか。

1999/10/12:さいころの楽しみ

TRPGの持つ世間一般に通じる楽しみは、さいころ振ってわいわい騒ぐのが楽しい、ダイス目での偶然がキャラクターやまわりに与える影響を楽しむ、といったところなのかなぁ、と、プレイログとかを見ていて思ったりしました。

考える、悩む、突きつめる、仮想人格をシミュレートする、などの楽しみってのは、一部の人のものなのかしれない、などと思えなくもない。

1999/10/13:最適解への対策としての三すくみ

ゲームシステム的に絶対の最適解が見えてしまうとつまらいないということがありますが。

最適解の発生への対策としては、ゲーム的に三すくみ要素を導入して、あいての行動を読んで相手をたたくのに向いた方法を選ぶべく考えるというものがあります。まあ、ゲーミング的なジレンマを発生させるわけですね。

この方法だと、相手の戦術や使える武器などを事前に調査しておくとか、対処するためのアイテムを集めておくとかが、自然と必然になるようにできるので、なかなか効果的だろうと思います。

1999/10/14:オンリーワン

ゲーム世界において自分のキャラの特殊能力が、ほかに代替の効かない唯一のものである……ってのは、いろいろと特別っぽくていいわけですけど、それをルール的にフォローするのは難しいですね。

なんというか、リストアップされて選べるようになってしまってる段階で、特別のものでなくてありきたりのもののような気分になっちゃうし。実際ルール的に、さして特別でもないことになってしまってるものが多いような気がする。

まあ、TRPGってのはもともとそういう、特殊例を普遍化してしまうという傾向があるものであって、小説などのような特別な主人公グループの話ということはやりにくいもんなんだろうな。

1999/10/15:常に色々試してみる

マスターとしてのパターンが固まってしまうと、なんというか、新しいことや新しいネタ、新しい方法論に積極的に挑戦することがなくなっていることがあるなぁ、などと思わなくもない今日このごろ。

得意技を見いだし、伸ばし、活用することも重要なんですが、マンネリになってしまうと、いろいろとまずいよなぁ。

1999/10/16:準備すること

準備を楽しめると、TRPGってのは面白いものなんですが、準備ってのは時間を食うんですよねぇ。

ゲームデザインとかはそれが究極に達したものなのかも知れない。

1999/10/17:サプリメント出版にたいする心理的反感

サプリメントが売れないのは周知の事実ですが。

サプリメントの心理的な位置づけは、ソフトで言えばバージョンアップに近いような気がする今日このごろであります。

足りないものを補充する、だからねぇ。マイクロソフトのサービスパックが有料になるのに心理的反感があるのといっしょかなと。バージョンアップは無料であるべきだー、的な"必要なものは最初から完全にしとけ"感覚と似たようなものが、サプリメント購入の心理的障壁のひとつなのかも知れない。

ついでに。辞書を引いてみると、「supplement は内容を新しくしたり、不十分な個所を補ったり、誤りを訂正したりするために後につけ加えた部分(三省堂新英和)」なのね。言語的には、エラッタは明確にサプリメントなんだな。エラッタにたいする無料化の要求と、その他の追加データや追加シナリオ、追加ルールを無料で(WWWなどで)提供するようにという要求は、同質なのかも。

まあ、売れない理由はそれだけではないけどね……。

1999/10/18:本当のサポートとしての利用情報の提供

ソフトにおける(とくに雑誌)サポートとは、追加のデータやプログラムを出すというものよりも、

などの、利用するための情報を提供するというものが基本ですよね。

TRPGでも、こういったモノに金が支払われれば良いんですけどねぇ。って、まあ、良くわかる本のたぐいとか、一時期のRPGマガジンの特集記事なんかは、この手のサポートに近いものかなぁ。

質問に答えるのでなく、わからないもやもやとした欲求に答えられるような情報を提供すること。これはTRPG.NEtと日報の今後の目標ですね。

1999/10/19:結果を納得させる道具

どのような行動をしても、納得の行く結果がでる。それがTRPGの判定システムに求められていることなのかもしれない。と思ってみたり。どんな理由づけが有ろうと、納得がいくかどうかが勝負であるとね。

たくさんの能力値や技能を用意しておくというものも、精密にルールを組んでみるのも、納得させる道具。ようするに結果が納得がいく判定ができるようにするために、それらしく仕組んでいるんだなぁ、という見方です。

この視点からみると、ゲームシステムに必要とされる要素ってのは、参加しているプレイヤーに納得感を錯覚させるに足るなにかということになります。これは個人差が極めて大きい。これがゲームシステムが乱立して、それでも誰も満足しない原因なのかもしれませんね。

1999/10/20:自己犠牲的な楽しませかた

他の人が楽しんでもらえるようにすることが良いことである、というような書かれかたが良くあるような気がします。そして、そのためにいろいろと努力する方法なんかがノウハウとして開陳されていたりするわけですが。

単純に他人の喜びを最大効率にすると、自分を犠牲にするというのが基本的な方法になっちゃうんですよね。これのせいで、他人は犠牲になってくれるものだという連中がのさばるのかも知れない。

ゲームマスターのテクニックとか称するものって、自己犠牲になってますからなぁ。準備の負担ひとつ取っても。

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