TRPGな一言:1999年09月前期分


目次


1999/09/01:世界が継続すること

一つ一つの行動が、世界に影響を与える。そのことを意識して遊ぶか、そうでないかってのは、行動の抑制や重みの面で大きいんですけど。

そのかんじんの世界にどのような影響を与えるかをルール化しているものって、あんまりありませんよね。

社会的評価とか、社会構造とか、価値観とか、コネとか。いろいろと考える余地はありますよね。

1999/09/02:おおまかとこまか

おおまかに結果の大きさを決定するルールと、こまかな差違での違いを出すルールを、いまのTRPGはうまく共存させていないように思ったりしなくもない昨今です。

対数評価では前者はともかく後者には問題あるよなぁ。とか。

1999/09/03:声を出す快楽

カラオケではありませんが、セリフを声色か得手使ったりするということには、声を出すことの快楽というものもあるんだよなぁ、この楽しみってのは実はかなり大きいのかもしれない。などと最近思っています。

セリフを言うことをルールが保証したりするゲームシステムも、いろいろとありますけど、ああいうのは恥ずかしがらずに合法的に声を出すことを許容する場を作成するツールであると見ることもできるのかもしれませんね。

1999/09/04:環境の影響

印象として、ですけど。

敵による苦難以外の困難――たとえば天候とか地形とか――の処理についのてルールが規定されていないルールって、わりと増えてますよね。

これは、人間とのやりとり、戦闘に絞ったゲームが多くなったからなのかな?

1999/09/05:かくあることの理由

TRPGの世界設定では、世界の構造・法則についての理屈をきっちりと決めてしまいやすい傾向があるように思います。

これは世界の構造や法則をゲームシステムに組み込むという形で、その世界らしさをゲーム表現しやすくすることも確かです。理解もしやすくなるかもしれません。

しかし、これってファンタジー性、未知なる驚異の組み込みという意味では、限界があるような気もしています。まあ、幻想的に過ぎて理解不能であるよりはいいのかも知んないけど。

1999/09/06:一般行為判定という複雑な概念

小学生時代に作成したゲームシステムについての話題などを見ていて思ったのですが、抽象的にどんな行動でも解決できるような一般判定に頼るというのは、実はゲームの難易度をかなり上げているんですよね。
具体的な事象→抽象化したデータ→一般判定→一般的結果→具体的な結果


具体的な事象→表を探して振る→具体的な結果

とでは、思考にかかるコストとか、一般判定について意識する手間とか、同時に把握するべきデータ量の増大とか、いろいろな問題があるんですよね。

むろん一般判定には流用の効きやすさというメリットもあるわけですけど、それに頼ってしまってゲーム進行上良く出てくる判定も一般判定でカタをつけるようにしてあるのは、致命的なミスなんでないかという気がします。

1999/09/07:役割の名づけ

現実においても、役割の分担というのは重要なわけですが。これは得意分野を考慮するのはありますけど、実際には技量的にはさして意味のある差があるわけではないというのも良くあることですよね。

でまあ、役割分担のためには役職の名づけと、役割を分担することが労力の削減となり、組織帆円滑に機能させるのだという意識が必要なのかも知れないなどと考えました。

スキル制システムでも、役割分担の名前つけを、なすべきことや解決すべき課題によって名づけてしまうという考え方を活用できるのかも知れないなぁ。

1999/09/08:運命なんていらない

最近なんというか「PCの手の届かない運命によって生じた障害を解決するための葛藤」を表現したゲームが多いようですが、私的には「PC自身の選択でみずからの目的のために大きな問題を抱え込んでしまう」ほうがいいよなぁ、と思う今日このごろです。

神話的ではなく、偉人伝的な活躍、とでもいうところでしょうか。

実現にもマスタリングにも、内的葛藤のみよりも難しい面とかも色々とあるわけですが、いちおう腹案はなくもないんで、なんとか形にして見たいところですね。なんか、久しぶりにわくわくしてます。仮称は『立志伝』といったところかな。

1999/09/09:忙しくても遊べるTRPG

最近忙しくて、TRPGが遊べない……。という声は良く聞きます。

これには

などがあるようです。

これらは、結果として、

などの、セッション運営上の難題をもたらします。こういった問題を解決したTRPG、なんとかなりませんかね。

いちおう、

などの対処はありますけど。対策がたがいにぶつかりあってしまうものが多いんですよね。ある対策を取れば、ほかの問題が増大してしまう。

でまあ、今のところマスターに負担を押しつける傾向が多くなっていて、結果としてマスターがつぶれてしまうという現象があるように思われます。これは、やはりまずいことですしねぇ……。

1999/09/10:プレイヤーにできることの記述

TRPGのはじめるうえで難しいところとしては、PCを介してプレイヤーに何ができるのか把握するのが、たいへんであるということもあるんだな、と最近感じています。

コンピュータゲームなら、とりあえず動かしてみて、反応を見ながら訓練しつつ動作を把握するようなこともできるわけですが。TRPGだと、本を読み解いたりして考えないと駄目で、そのぶん把握するのが容易でないんですよね。これがスタート時点で根本的にTRPGへの参入を阻害しているんでないかなと。

ルールブックをあちこち読み解いて、何ができるのか、何をすべきなのか、なにをしたら行けないのかを把握するのは、なかなか手間のかかることだし。それらの知りたいものごとがルールブックの中にバラバラに散漫に書かれているのが実情なわけです。

どう遊ぶのかを読み解く必要があるとか、PCになにができるかを読み解いたり推理したりする必要があるとかは「遊ぶな」といってるようなもんでないかなと、思ったりするのでした。

そういったなにがでるきのかを具体的に把握するツールとしては、現存するルールブックの構成は実はほとんど不合格、という気もします。D&Dの赤箱は、このあたり比較的分かり易かったかな?

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