自分のプレイ環境があたりまえだと思ってしまうことというのは、誰にでもあることだとは思いますけど。これって恐いんですよね。
たとえば、ゲームバランス。努力してようやっと全滅しない、手を抜けば簡単に全滅、といったバランスがあたりまえであるところもあれば。手を抜いても死なないバランスの所もあるわけですよね。どちらにしても、それが当然だと考えていたりすると、他方の環境にぶつかった時に大混乱が生じます。
ゲームバランス、シナリオの展開、プレイヤーにのぞまれる資質、必要とされる知識、描写のバランス……。ほかにもたくさんの環境により違って来る要素があるわけですけど。意識的に調整・すりあわせしないと、コンベンションでは大変なんだろうとは思うんですが。いろいろと難しいところですね。
とりあえず、自分のまわりの環境が絶対ではないと相対化する意識からはじめるしかないのかな?
以前も書いたけど、コンセプトってのは、じつは曖昧なものでして、もちっと細かく考えないと使いづらいんですよね。でまあ、ゲームデザインコンセプトを少し分解してみました。
あたりかなぁ。抜けはいっぱいありそう。
TRPGにおいて、超自然の驚異ではなく人間の恐さをだすためには、ミステリ仕立てと相性がいいと思います。
最初は超自然にみえて、調査の過程で、動機やなにかが超自然よりも、人間の心の暗部に起因することが判明し、超自然現象と思えたものに合理的理由がつくというものですね。
ここで、超自然のせいと人間のせいとをうまくミックスできると、TRPGとしては扱いやすいような気がします。
チャットに向かないルールの傾向をいくつか上げてみました。
などかなぁ。
TRPGを遊ぶうえでの楽しみ、とくにマスターの楽しみには、作る楽しみってやつが大きいんだよなぁ、と思う昨今。
この作る楽しみは、できの善し悪しそのものは、直接問題ではないわけですね。むろんより良くしたいという欲望があると楽しみ安くなるのは事実だけど。それを強要するようなもんでもない。良くしなければならない、となると、もはや作業であって、楽しみではないし。
なにかができること、その達成感。それがカタルシスになってるんでしょうね。TRPGだとシナリオの課題の達成と、物作りの達成感とをうまく重ね合わさると、大きなカタルシスになるんだろうという気がします。これは、TRPGならではの楽しみですね。
しかし……慣れて来ると、より良くするために"〜しなければならない"という意識が強くなって、だんだんやる気がなくなる傾向があるんじゃないかなあ、などと最近思ったりします。
TRPGに限らず、WebPageの作成とかもそうですけどね。
これの対策、なんかあるのかなあ。
TRPGのゲーム中の考える分量、判断する事項などの密度は、一般のゲームに比べて薄くなりがちある、という印象があるみたいなんですが。私自身、そう思えるフシはなくもないけど……。
このあたり、つっこんで考えて見たほうが良いのかも。
とりあえず、パーティ分割・個別対応が密度低減に効果的なのは間違いあるまい……。
プレイヤーがマスターや他のプレイヤーに
ことは基本的で重要だけど、忘れられがちというか、うまくいってないことも多いような気がします。
……そもそも、それらが必要であることに気がついていない人もいるのかもしれませんなあ。んーむ。
TRPGで問題解決の物語を遊ぶ場合には、PCが公的機関の所属として任務として問題解決を行なう場合を除けば、PCは個人的に問題を解決できる必要があります。
この場合、そのゲーム世界において
あたりが必要になるわけですね。まあ、ほかにもいろいろとありそうだけど、基本的にはこの三つバリエーションな気がする。
ストレス発散のためにゲームをするというのは、わりとよくある話ではありますが。
TRPGはストレス発散のための役には立てにくいよなぁ、と思う今日このごろであります。多人数との協調は、むしろストレスの原因になるほうが多いような気がする。
ストレス溜めてる人は、まわりがストレス感じるような行動とってしまいがちですしね。自戒しよう。
PCの立ち位置(なにをなすべきか、どういう社会的立場か)の規定がルール的に明確で無い場合には、プレイヤーの仲間うちで規定した私的な目標、自分で考えた動機づけ、なんかを生かしやすいんですよね。
ソードワールドのプレイスタイルの多彩さは、そのあたりの仲間での遊びかたがどう反映されてるかなんだろうとは思います。
同じゲームを遊んでいるから……ということでうまく整合性を取ることが難しくなるなどの問題はありますが、内輪で遊ぶときには、確かに便利といえば便利なんですよね。
同人ルールに立ち位置の規定が事実上ないことがほとんどなのは、そのあたりもからんでいるのかも知れない。
ゲームマスターは公平でなければならない、機会均等の重要性、テクニックとしてのトリック……など、いろいろといわれますが。
これってプレイヤー感情として疎外感を抱かせてはならない、という意識の具現化なのかも知れない、などと考えるきり口もあるのかも知れない。
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