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原作ものなどで特定のパターンのパロディ的な運用を行なうというスタイルがあります。これはTRPGがルールに記述されないことについての共通理解による処理を必要とすることの対処としての『世界観の把握』『暗黙の了解の規定』という点では、それなりに優れた方法ではあるのは確かです。ジャンル物TRPGであっても、特定ジャンルのパロディ(というか縮小再生産)的なものですし。
しかし、わかりやすい元ネタがあるから大丈夫だ、という過信にはたいへんに危険なものがあります。
まず、どんなに著名な作品であっても、見たことのない人、みたことがあっても一回こっきりでろくに覚えていない人のほうが多数派であることです。原作についての知識の差がある人々が同時に卓を囲んだ場合、以前書いた『濃さは煮詰まるばかりなり』で提起したのと同様に知識差による問題が発生します。
さらに原作についての知識があると自任している人間だけが遊ぶ場合にも、大きな問題があります。なまじ知識があると、原作にたいする認識のズレや記憶ミスによるすれちがいが我慢できなかったりすることがあるわけです。この問題の類例としては原作ものTRPGについて『私の認識している原作』を『再現できていないからクズだ』という意識の発生があります。『あいつは知識不足だから……』とか思う人がひとりでもいたりすると悲惨なことになりますよね。
『○○したら××になるはずだ』という予想があるていどできてこそ初めて、行動の決定(意思決定といっても良いです)ができる訳で。その『○○したら××になるはずだ』の認識がずれていると、問題が起きるわけです。そして『原作ものだから共通認識が取れるはずだ』と誤解していたりすると、相手と理解がズレていること自体に気がつかず、致命的になる危険性があると考えています。
原作ものは便利な道具ですが、用法や意識の持ち方を間違えると劇薬だなぁ、と思う昨今です。
特定の世界の特定の状況を表現する専用ルール、特定のジャンルを表現するジャンル汎用とでもいうべきルール、ジャンルの枠さえ越えて基本的な部分を用意する汎用ルール。
いろいろとあるようにもみえますけど、実際に遊ぶ際には『PCを介して架空世界における問題解決の物語に関与させる』ためのセッティングとしてプレイヤーに提示されるのは変わりないわけですよね。
そう考えると、汎用化の方向というのは、プレイヤーにとって、とくにTRPGに振れたばかりの人にとって、どの程度の意味があるのだろう、という疑念がわかなくもありません。
複雑な選択ルールの積み木を把握して行かなければならないというのは、同程度の『遊びかた』が得られるとしてさえ手間が増える結果になります。
ましてや専門化されたルールに比較すれば表現力も安定性も劣りやすい事を考えると、プレイヤーにとっての汎用ルールは、半詰る〜流出色々と遊ぶ場合にルールを覚える手間が少しだけ減る程度だと言ってしまえるかもしれません。
マスターにとっては、選択肢ながら自分で遊びたい舞台に合わせたルールを作るのが楽になる、というメリットはありますけど。
プログラミングにおいて、このような動的な部分を増やして表現したい内容の変更にたいする柔軟性を組み込むのは『メンテナンス性を高めて欲求が変化した時にも対処できるようにしてソフトの寿命を長くする』のと『再利用性を高めてる』の二点が目的となると考えて良いと思いますけど、ようするに『製作者側のコストの軽減』なんですよね。
そして汎用ルールというのも、実際には利用者のためを考えた措置というよりも作り手側が楽をするための対処であると考えられるわけです。マスターにとっての利点も、結局は自分ようにゲームデザインするときの利点なわけですからね。
実際、同人作成されているルールの多くは、単純なミニゲームか、でなければ汎用ルールであるというのが私の観察結果でもありまして。楽に流れると汎用化の道に動くことになるのであろうか、という気はします。
不特定多数が参加するコンベンションのような環境では、プレイスタイルや価値観・望んでいるものの違う多人数が参加する以上、他人の行動に不快感を感じる事が起きやすいわけですね。しかし得られる楽しみが変わるわけでもない。そもそも不快感を与えないように行動するのは不可能ですしね。
得られる喜びを不満が上回ると、不快感が暴発したりするので、これは避けたい。
そこで、一般参加者得られる喜びと起きる不満とのバランスを維持しようという意識が(たぶん無意識に)働いて。プレイヤー参加者の手間を省きサービスを受ける側に立ってもらうことで、全体的な不満を下げるという短期的な対策に出ていることが多いのではなかろうか。という気がします。
しかしこれはひじょうに、短視野な方論で、してそれに甘えた参加者(凄いの居るらしいからね)が増える原因となり、どんどん事態が悪化する負のフィードバックを発生させて、運営者やゲームマスターのやる気が根こそぎなくなるまで続いてしまうというのが良くあることだろうと思われます。
これの改善策は……最初から敷居を高くして、労力や責任の分散を明示するくらいしかないのかな。それでも他で甘やかされた人が来ると危険だけど。
なんとなく。
知識豊富で記憶力も暗算能力も人を見る目もあり、どんな自体にも即応できて、自分の発言や行動に責任をもて、人間関係の調整が巧妙で、発する言葉には誤解の余地がなく、つねに他人を気づかい現状を認識でき、自己管理もおこたりない……。
……ってな人間しかTRPGをやっちゃいけないのでなかろうかという気分になることがありますが。そんな人間が、たとえ居るとしても、そうごろごろと転がっているわけもなし。そんなことを要求されてるようでは、誰も遊べないよね。などと、論考を見ながら思ったりしないでもない。
やはりこう、不完全な人間が不完全な能力で不完全な対話能力を利用して遊ぶものであるということを前提として、現実的な対処なりをするべきであるんだよなあ、と今さらながら再認識。まあ難しいけどね。
ゲームの進行を目に見えて分かるようにするための方法というものは、TRPGでは他のゲームと比較して利用されていない事が知られています。
これは、想像力をもとにした架空世界のイメージの共有による多彩な世界や行動の表現というTRPGの持つ性質にもとづくものともいえますが。やはり目に見えて進行度や何をしているのかが分かるというのは、遊んでいて充実感があり、分かりやすいのも確かです。
しかしまあ昔からTRPGでも可視化の方法は色々と用意されていました。古くはそもそものTRPGの発祥に由来するミニチュアのフィギュアの利用。チェイスのための図表など。最近だとスター=ロードが面白い試みをしていますか。
これらの可視化は、とくにゲーム中に「頻繁に利用され」「手順が複雑」なものに向いていると思われます。特殊化すればするほど見栄えも分かりやすく雰囲気を出したものにできるのですが、特殊化が高いと利用機会も減るので、そのあたりはゲームの表現内容をどうするかしだいですけどね。
しかしまあ、いろいろとメリットの多い可視化ですが、IRCでのセッションとの相性はあんましよくないのね……。
内輪中心に遊んでる中高校生には、コンベンションという用語さえ知らない人がけっこう居るという恐ろしい可能性を認識したのですが……。
……ううむ、とすると本質的に考え直してみる必要があるなぁ。いろいろ。
日常語で全部書くとかね。
コンベンションを開催→TRPGを遊ぶ場所を貸します
セッションレポート→TRPGをこんなふうに遊びました、その経緯
とか。いやまあ、事例はちょっとあれかもしれんし、意味が多少変ってしまうのは確かだけどさ。わかりやすい日常語で書くのは、もう少し気をつけたほうが良いのだろうな、うん。
設定なりシナリオなりを作成する時には「なぜそうなったのか」という理由や原因について考えておくことが重要です。理由のないふるまいや存在は、それらしさや感情移入を阻害することになりやすいので。
たとえば個人のもっている目的であれば、なぜその目的を持つようになったのかという理由づけがあったほうが、単純に「目的がこうこうだから」と行動を判断してしまう危険性が減ることでしょう。
同様に特定の能力を得た理由、敵と対立する理由なども「なぜそうなったのか」を考えることに繋がります。
シナリオにおいても、事件の真相をさがすというシナリオのパターンそのものが「なぜそうなったのか」の理由探しですよね。事件の理由や経緯という、やはりこれも「なぜそうなったのか」がきっちり固まっていてその情報が提供されなければなければ、単純に敵を見つけて殴り倒す以上のことがやりづらい。
どんなときにも「なぜそうなったのか」をとりあえず考えるようになるのは、TRPGをより楽しむ基本的なコツであろうかと思います。
IRCで話していて「さいきんGMばかりで……プレイヤーがやりたい」というのはともかく(いやまあ、これはこれで問題ですけど)、「GMをやる気力がなくなってきて……」というものがけっこうあったりします。
理由は人それぞれなわけですが、GM専業に近いひとに多いみたい。
などの理由があるようです。
対策は……ううむ。しばらく休むのが一番だという話もあったりして。プレイヤーができるなら、それも手だとは思う……。
初心者やブランクのあるひとが遊ぶのに向いているシステムとは、以下のようなものでしょうかね。
あたりは最低限必須ですか。
まあ、これが達成されているルールはほとんどないけど。口頭で自分なりの解釈の解説ができる慣れたGMが居れば、これらが満たされてなくても遊べますからねぇ。
能力や結果の程度を対数表記するルールはいくつかあります。これは細かいスケールから大規模なスケールまでを連続したデータとして扱うための道具としてはたしかにスマートなのですが……。ランダムに結果を算出する判定との整合性というのが、なかなか難しい。
ランダムの幅が広ければ極端で無茶な結果が出てきやすいし、ランダムの幅が狭いとPC間格差が大きくなってしまうわけですね。
このあたりのバランスを上手く取れるか、表現の題材との整合性を取れるかってのは、色々と難しそうです。
とりあえず、あまり相性の良くなさそうなのは
あたりかなあ。問題を押さえようとするとカタルシスとの相性が悪くなりそうな気もする……。
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