TRPGな一言:1999年07月前期分


目次


1999/07/01:優柔不断にキャラメイク

最近キャラクターを作成していると、いろいろと考えることだの複数のどれも良さげな案などを思いついてしまって、結局えらく悩んでしまうのですが。これってたんに優柔不断なだけかなぁ。

もちっとこー、すぱぱぱぱと決断していくといいのだろうか。

NPCだと思いついたのそれぞれ別々のNPCにしてしまえるから楽なんだよな。

1999/07/02:ゲームシステムの機能

ゲームシステムの機能としてなにがあるのかを、少しリストアップ。んー、網羅的でも整理されてもいないかなあ。

1999/07/03:ブックスオンデマンド

オンデマンド出版という概念があります。書籍の電子製版データだけを保持して、注文に応じて印刷・製本して出荷することで、在庫負担のない小部数の継続的出版を可能にしようというものです。一部外国では再販制度の廃止に伴い大々的に活用されています(北欧のどこだったっけな)

日本でもそのあたりが色々と動いていたのでズか、書籍取り次ぎ大手の日販がいくつかの出版社とブッキングという会社を9月に設立して、オンデマンド出版を開始するとのこと。

TRPGのような小部数しか売れないけれど継続的に入手して欲しい書籍は、オンデマンド出版に向いていますから、今後を期待したいところですね。

1999/07/04:マスターの持つセッション進行の骨組み

マスターの負担の軽減のための方策として、シナリオのルール的記述やランダムにプレイ中にシナリオが構築できる仕掛けなどが出てきているのだと思うのですが。こういったシナリオ自動生成やシナリオ管理システムは、むしろマスターに別種の負担を増やしているようにも思います。その場で対応しなければいけないことが増えるから、負担軽減の効果が出てるのかどうか……。

で考えてみたのですが、実際のところ「アドリブのパターン」とか「シナリオのパターン」なんかがマスターごとに自然にできてしまっていて、そのパターンに上手くあわないようなシナリオ管理システムなんかがあると、ストレスになるのかなと思いつきました。

市販シナリオが遊びづらいと感じることの原因のひとつとしても、マスターのセッション進行のやりかたとの不整合を考えることができるのかもしれませんね。

対策は……んーむ。なんかあるのかな。自分のパターンを自覚できるなら、さらに発展させたり市販シナリオを自分なりのパターンに消化したりしやすくなるのかも知れないけど、具体的にどうすれば良いんだろうな。

1999/07/05:共有世界における世界改変の限界

複数の人間によって共有され、維持管理され、日々設定が積み重なっているような世界設定については、設定が溜まるほどに「事態を大きく変革する」ような「世界の改定」はなかなか難しいですよね。

これは市販されている世界設定なんかではとくに難しいとは思います。改版で世界の状況を大きく動かしたルールについて、常に一定の不満層が移行を拒むとかはありますし、それほどでもなくても設定の明確化に伴ってオフィシャルとの不整合が生じることには不満はつきものですよね。

このような問題ヘの対処としては

などがありますけど、どれも一長一短かな。

1999/07/06:時間内にきっちり片がつくために

コンベンションなどではとりわけ、時間内にきっちり片がつく必要があるわけですが、そのためになにを考えればいいのかについて少し考えてみました。

まだまだ不十分ですかね。

1999/07/07:誰かが進めてくれるだろう状態

チャットで顕著な現象として「誰かが進めてくれるだろう」と期待して結局なかなか話が動かないという状態に陥るという問題があります。

これは、打鍵が遅くて現在打ち込み中なのか、たんに考えていてまだ書けていないのか、じつは書く気も無いのかというのがわからないために、待ちの姿勢にはいってしまうのが原因のひとつではないかと思います。

雑談系のチャットであればまだしも、セッション中にこの状態になると、最悪のばあいには何十時間もかけても結果がでないとかいった事態に陥ることさえあります。

対策としては……人数を減らしてマスターなりの主導役が積極的に話を進行させて流れを管理することでしょうかねぇ。

1999/07/08:濃さは煮詰まるばかりなり

濃いルール、濃い世界設定ほど、それを活用したセッションが希求される傾向があることが知られていますよね。

よい資料が用意されていて色々と深いところまでつっこんで遊べるなら、それが可能なだけの研鑽を積んだ人間にとっては面白いわけで。ますます濃くすることを要求するのは理の当然ではあります。

ただ、それを要求するようなプレイヤーに応えるには、ゲームマスターにはプレイヤー以上の研鑽が必要となって、なかなか大変なんですよね。マスターが圧倒的にルールや世界設定を理解していないと厳しいというのはTRPGの一つの限界なのかなぁ。

どんどんとんがってしまって先鋭化しまくると、初心者層がついていけない領域に行ってしまう。でも熟練が反映できないと詰まんないという感情も当然ある。

このジレンマの打開策が見つかると良いんだけどなぁ。

1999/07/09:なにを遊ぶかが不明なのは……

よく考えてみると、コンベンションでどのルールで遊ぶかを決めずに行くのは、カードゲーム大会だといってどのゲームで遊ぶのか決めずに行くくらいに奇妙なことなんだなぁ。

オンリーコン、予約制卓分け済みコンベンション、内輪などでのキャンペーンのような環境であれば、きちんとルールを予習したうえでなにを試そうか考えたりしておいて「きちんと準備して」セッションに向かえるんですよね。

プレイヤーはフルアドリブ同然なんだから、より準備が必要だという考えもできるくらいなんだから、せめてルールまわりの準備くらいはできるようにするのは必須かも知れない。

1999/07/10:きちんとしてなくてもいい

最近思うこと。TRPGとしては疑似体験が『きちんとした』ものである必要はないんでないかなぁ。と。

『きちんとした意思決定』『きちんとした人物形成』とかは、プロでも失敗しやすいものですよね。きちんとしたそれを要求すると、遊びとしては無理があるかなと。最近思うのでありました。

むろんきちんとしようと努力するとかは大切でしょうし、コミュニケーションについてはきちんとして欲しいなあ、という気はしますが。

でもコミュニケーションの齟齬をなくすのはもっと難しいよなあ。掲示板でも「用語にたいして抱いているイメージの違い」とか「○○ときたら××であるという思い込み」とか「なにかについての特定事例への非難をすべてのなにかにたいする非難であると誤解する」などによって混乱が起きまくってるからなあ。

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