TRPGな一言:1999年06月後期分


目次


1999/06/21:楽しむことが優先……

ホビーとしてのゲームの大目的が楽しむことであるのは確実でしょう。

しかし「楽しければよいのだ」で思考停止できるのは、なんの問題もなく楽しめている間だけですよね。もっと楽しくありたいとか、現状では不満だとかいった時になって「いかにして楽しむか」という戦略を考える必要ができる。

んでまあ、そのための方法が色々と検討されているわけで。

「楽しければいいんだからなにも言うな〜」ってのも変だし、「いま楽しかろうと○○」と言われても楽しんでる人間には戯れ言に過ぎんわけで。

んー、だけど利害が衝突すれば「今お前が楽しいかもしれんが、俺にとって問題である」と色々言いたくもなるんだよな。「ルールがコピーでも楽しければ言いじゃないか(いやダメなんだけどさい)」とか言うのも「自分が楽しい」状態ではあるかぁ。んーむ、どのあたりでバランスを取るのか、ってのも色々と難しいなぁ。

1999/06/22:課題と謎

課題はプレイヤーが提起できる、謎はマスターが管理しなければならない、というフレーズがふと沸いてきました。

課題は解決を考えたり不確定要素や他の行動者(NPCもふくめて)の存在によって、プレイヤーが提起しても上手く機能するけど。謎は見えないからこそゲームの推進力となるので、プレイヤーが知っていると辛いことがあると。

ふーむ、課題は一回性がないけど、謎は一回性があるのかなあ。

1999/06/23:PCの課題とシナリオの課題

GMはPCの目標(達成すべき課題)を汲み上げてシナリオの目標(達成すべき課題)として再編し、プレイヤーは一話一話のシナリオにおいてPCの目標を上手く織り込めるように行動していかないと、キャンペーンであることのやりがいのが薄いよなぁ、とは思う今日この頃。

1999/06/24:目標調整のための内輪と外向きの違い

ゲームの達成目標に向けて動けるように、プレイヤーはPCの目標を(プレイ中もうまく)調整する必要があるし、マスター側もPCの目標にあわせた方向に上手くシナリオの目標をすりあわせないと、TRPGは上手く機能しにくいわけですよね。とくに長期キャンペーンでは。

そのためには周到な準備や相談を行なう必要があるわけですね。私もキャンペーンでは打ち合わせやPCの掘り下げのほうに実セッションより一桁多い時間を使っていたりしましたけど。

でもまあ、コンベンションではそうも行かないわけで。マスターの提示した方向性の範囲内でPCの目標を決定する方法で遊ぶゲームシステムを選ぶのは実用的ではあるんでしょうね。

コンベンションでは時間的にも限界があって、事前にきっちり話しあいをしてもシナリオの根幹の作成あたりまではいじりにくいですからね。色々とそのあたりの対策になるテクニックはなくもないわけですけど……。

1999/06/25:できることの種類

できることが多すぎると把握できない、できることが少ないとまりらい。そのあたりのバランスはやっぱ難しいよなあ。

慣れて来ると複雑なものも利用できるようにするというのは成長ルールあたりで典型的だけど。こんどはバランス問題になるし。複雑なだけでバランスは取れるようにしたら、こんどは不満が溜まると。

んーむ。なんか手はないものかな。

1999/06/26:スプラッタな演出

プレイヤーがそういうものを嫌がらないのであれば。ゾンビなどの演出はいろいろと奇怪なものにできるんですよね。

……いやなネタをいくつか考えたけど、やっぱ書くのはよそう。んむ。

しかし……ずるずるぐちゃぐちゃな嫌さの表現としては、正気度のたぐいでは限界もあるような気もするなぁ。なんか他に手はないものかなぁ。なとんいうか、PCの恐怖や生理的嫌悪感がぐぐっとくるやつとか。

1999/06/27:群像劇のセッティング

すべての登場人物(PC)がそれぞれ主役として焦点を当てられるような作劇作法をTRPGに応用するには、どういったセッティングにすれば良いかいくつか考えて見ました。

まあ、まだまだあるんだろうけど、とりあえずぱっと思いついたものです。

1999/06/28:プレイ目的の調整不足

自分と目的の違った参加者を非難しまくることってのが発生する原因のひとつに、プレイ目的のすれちがいを認識できていないというものがあると思われます。

とくに自分の目的だけが絶対のものであると誤認していると大変ですね。

とかいったものがよくあるのかな。

これがコンベンションで、自分も含めて参加者がきちんと事前に目的調整を行なわなかったことが原因であると気がついていなかったりすると、帰ったあとで内輪で「今日のコンベンションのメンツが最悪でさあ」とか愚痴ることになったりするのかもしれませんね。誤: ルールはとうぜん完全な似呪靴下物がセッションを楽しむため来てる正: ルールはとうぜん完全に理解した者がセッションを楽しむため来てる

1999/06/29:コンベンションが続くには

コンベンションは開催したことはないのですが。継続的に大型コンベンションを維持できる体制とはなにかってのは関心があります。

あたりかなぁ。個人の善意ややる気によっかかってると、潰れちゃうんですよね。どんどん「今の状態があたりまえ」になっちゃって、負担のわりに文句が増えるばっかりとなる。

そういうのが避けられるようになるといいんだけどねぇ。

さくっと採算取れる体制で会社が行なうというのは一案だけど、そうすると参加費用は十倍は最低必要だしね。

1999/06/30:約束組み手の不満と必要性

なんというかストーリー再現型というか、約束組み手的に特定のジャンルの特定の展開を再現するシステムってのはけっこうありますよね。んでなんか不満もをもたれることもある。

しかし不満の原因はどこにあるのだろうか。と考えてみたのですが、プレイヤーが積み上げていくという快感がないからなのかな。

たとえば、敵が優位に立つのを堪え忍びしかるのちに逆転するパターンとかは、プレイヤー的には初期時点での努力の意味が薄く感じられるので不満が溜まったりするだろうし。

しかしまあ、ある程度の定形をなぞるのはゲーム構造上必須ではあるので、あとはそれが納得のいける形で提示できるかなのだろうか。

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