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コンセプトはなんなのだ、とか良くいわれるけど。コンセプトという言葉のさす意味合いが、人によつてえらく違って混乱することが良くあります。顧客に新ゲームを遊びたくするなるための売り文句と混同されたりとか。
取り合えずここでは、制作上のコンセプトについて少し。
制作上のコンセプトなるものを分解して日本語で考えて見ると、
といった感じかなぁ。んーむ。要求・設計・実装ってかんじか。
いまひとつ切れ味が良くないんですが、とりあえず、この三つでルールを分析してみると、けっこう面白いですね。
PCの目的とシナリオの提示する課題の解決への関与方法の絡めかたには、一般化すると以下のようなものがありましょうか。
いずれにせよプレイヤーとしてはシナリオの提示する課題を解決する方向で動いてもらえるのが、楽ですわな。
んーむ、一般化しすぎだなぁ。
長く続くサークルやコンベンションなどで起きる問題として、専業プレイヤー比率が上がってしまうというものがあるらしいですね。
などが原因らしいけど……。
これって、ネットワークの発達によって加速されてしまわないだろうかって危機感も無くはなかったりします。
課題の解決への関与のありかたをすこーし細かくしてみました。
などかなぁ。これはもっといろいろとありそうだな。
遊んでみたいシナリオに合わせてシステムを選ぶのっていいよね。初めてのマスターのときなんかは、とくにシナリオに対する意欲がものを言うだろうし。
しかしまあ、シナリオにあったシステムを選ぶための情報とかが少ないかな。
あとはダンジョンもの以外のシナリオをきっちりハンドリングできる、かつ運用のしかたが理解しやすいゲームシステムってのも、良いものを出せといってもなかなか思い当たらないしねぇ。
初心者GMを萎縮させないわ方法について話していたときに「話しているのを途中で遮らない」ことの重要性が出ていたけど。これってどんな時にも重要なはずですよなぁ。
「ああ、○○ということね」とかやられると、辛いわな。
ふつうのオープンなコンベンションってのは、卓を囲む仲間の思考や趣味、知識などがわからんんわけで。そんななかうまくキャラクターの考え方やシナリオの進め方、話の盛り上げかたなんかをすりあわせるってのは、ものすごく高度な技量が必要になりますよなぁ。
そのあたりのノウハウとか、整理されてると便利なのかも。
ゲームマスターをはじめる人が増えるためには、ゲームマスターをしてこれだけ楽しいのだという気分になってもらう必要があるわけですが。ゲームマスターをしたいという欲望を起こさせるだけの、ゲームマスターの魅力というものを明確化して提示できているかってと、かなり疑問ですわなぁ。
技術的敷居についてはゲームシステムにマスタリングの方法論を組み込んだシステムもいろいろと出ていますけど、ルーチンワークになってしまうとよけいに楽しくないし、そもそも「○○したい」という強い欲求にそったゲームシステムを見つけられるだけの種類もないとは思う……。
良いルールとやりたいことがあったとしても、まだ心理的敷居というものがあるしね。初心者マスターが安心して失敗できる環境でもないと育たないよなぁ。できれば、マスターの作業の苦労に対して「その場で」見返りがあったと感じられるとなおいいんだけどねぇ。
もしかすると、コンベンションで参加ゲームマスターの料金を無料にしたりすることが、プレイヤー専門の人の「客意識」の原因の一つなのかなぁ?
ルールや世界観の解釈の相違を減らすことはできても無くすことは現実的には不可能であるとすれば、解釈の相違があることを前提としてゲームシステムやプレイスタイルを考える必要があるわけですけど。
どうやればうまくいくかってのは、なかなかに難しい。
知識があればあるだけ、世界設定に要求したくなる詳細さや整合性はどんどん濃いものになってしまうわけですが。
どう足掻いても自分の知識で欲しくなるだけの世界設定情報を自分で作り出すのは無理だよなあ。
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