TRPG.NET > 論考 > TRPGな一言 > 1999年 >
ゲームマスターが行為判定を要求する、難易度を伝えるということには、色々と裏の意味を込めることができますよね。
などなど。このあたりきちんと整理しておくと、マスタリング用に有用かも。
人間関係の構築を遊ぶうえで、こんな資料がまとめてあると思考のタネとして便利かなぁと思ったものを並べてみました。
元ネタはラブコメ用の必要資料の案だったりして……。
内輪では参加者の欲求に合わせてシステムを選び、その中からマスターをやりたい人を選ぶ。
コンベンションでは、マスターの好みで選んだシステムに向いた欲求を持つプレイヤーをあつめる。
といった感じで遊べるといいんだけど、なかなかそうも行かないわけだよなぁ。
ネットワークで調整して集まると、そのあたり比較的、うまくやりやすいかなぁ。
ヒーローは内なる倫理に従って世俗の法律を時には無視することになるものである……らしい。
ということでヒーローポイントの効果に法律を破っても告発されないというものを入れてみてはどうだろうかなどと思ったのでありました。どうだろう。
みょーに迫力のある夢をみました。高校が台風による増水で危機に陥るはなし。良かれと思った行動が裏目に出たりして。どんどん困難がぶつかって来るのがよかった。
というわけで自然災害サスペンス/アクションシナリオってのもいいよね。ルールがフォローしきれれば。などと思いました。
あたりが必要なのかな。
ドラマづくり・シナリオづくりに便利な小道具と、科学考証とが食い違うのは良くあることですよね。
やはりこう、どこまで科学考証するか、間違った通説・誤解をどこまで採用するかなどは、設定作成上バランス的に難しいですね。
セッションの方向を管理する枠組みがないと、プレイヤーがPCを動かしてどのように展開させれば良いのかが分かりにくくなったり、ほかのPCの行動とのあいだで不協和を発生させたりする問題が起きやすいんですよね。以心伝心の内輪であれば問題になりにくいけど。
でまあ、セッション方向性を持たせるものとしては、ゲームシステムのコンセプト、世界観……そしてシナリオの枠組みなどがあるかと思います。
今のところ、シナリオの枠組み(ゲーム展開の枠組み)は、解決すべき課題、達成すべき目標によって提供するのが、もっとも一般的な方法でしょう。
しかし、PCの内的動機で駆動されるセッションや対立が発生するセッションの管理においては、もちっとほかの方法をうまく作れたほうが良いとは思います。そのあたりは研究されるべきでしょうね。
通俗的な鑑賞上の魅力的な展開の基本には、ヤバいけど助かる、どんどん事態が悪化するものを乗り越えるとかもあるんだけど、TRPGだと決定論的に助かったりしてもちっとも面白くないんですよね。
そのあたりハリウッドスタイルのようにきいきにくいよなぁ。
体験型の娯楽における黄金パターンは、まだまだ未開拓なのかも。
多人数が関与することにより思わぬ方向に話が展開していくというのはリレー小説などでは良くあることでありますが。この予想外の展開を合理的に解釈づけて(原因をあらたに作成したりする)話をまとめるというのは、普通に小説を書くのともまた違う、ある種の創造的たのしみであると思います。
TRPGのこの側面の楽しみってのは、もちっと分析できんものかな。GMのアドリブによるシナリオの改変・増補なんかともからんできそうだけど。
キャンペーンシナリオの魅力としては、キャラクターの継続性、成長以外にも、キャラクターの住む世界が詳細になっていき、PCによって変化していくということがありますよね。
そういう意味では、世界の自作・ルールの自作ってのは、究極のキャンペーンゲームなのかも知んない。
1999年分の一覧へ。
TRPGな一言の総合情報へ。