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シミュレーションを行なうためには、その事象についてのパターンが認識されている必要があるんですよね。再現するためのモデルを作成するというのは、パターンを見抜いて処理可能な形式で表現することなわけで。
そのため、TRPGにはある程度のパターンにそった内容しか表現できないという限界は、あるような気がする。認識可能で処理可能な程度に簡約されたパターンの表現としてルールかぁ。
むろんシミュレート性を放棄すれば、パターンから外れたものも処理できるわけだけど。 それができるかできないか程度の成否判定であれば、現実性をマスター判断にまかせればシミュレートを必要としないから。
まあ、あり得る展開のパターンをシミュレートし、それにゲーム性を組み合わせるというのが基本的な考え方になるのかなぁ。パターンの再現だけして満足してしまうってのは、良く見かけるけど、わりと落とし穴だよね。
たとえば、コンベンションで参加者が机を壊して届出ず、あとで発覚するとかいったことがあったときに、弁済するのは主催者ですよね。
ほんとうは主催者は問題が起きたときについての重大な責任・金銭的負担がついてまわるわけですが、それを考慮して内部留保を作るとか保険をかけるとかしているところは、どれだけあるんだろうか。
……まあ、そもそも保険かけられる価格とってないわけだけどねぇ。
なんにしても、その分野をよく知らない人間相手には、
のが必要なんだなぁ、と痛感。
……TRPGについてではなくてIRCについてだったわけだけど、TRPGを解説するうえでも同様ですよね。
キャラクターの得意な状況に持ち込むための努力……は必要だけど、なかなか難しいよねぇ。
得意技(戦闘教義か)をうまく活用できるように状況をお膳立てする工夫ってのはたいへん楽しいんだけど……うまく行くかどうかってと、マスターとの整合性やプレイヤーの能力など。
まあ、ルール的に状況を作る方法が見えてると楽だけどね。暗視能力と暗闇化の手段の組み合わせとか。
ある行動の難しさを考えて、それが成功したかどうかを決定するような判定システムってのがありますよね。これは実は、結果がどうなるかのシミュレートとは微妙に違いますよね。
なんでも成否判定で処理してしまうのはマスター判断で可能で、一般判定化できるけど、なんでもシミュレートして結果を算出させるのを一般判定として汎用化するのはできない気がするし。
判定系を考えるときにも、この二つの違いを意識化すると、なにかと便利なのかも知れない。
キャラクター作成において事件を解決する能力を考えるのがごく普通ですが、事件を発生させるための能力・境遇・性格などをとれるルールもありますよね。
そのような事件を生成する能力を持たせるというのはうまく使えれば便利なわけですが、そのあたりの調整はゲームデザイン的な考慮が個必要になりますかね。
「キャラメイクもゲームデザイン行為である」といった感じだよなぁ、とは最近感じとります。
PCと感情的・社会的つながりを持つNPCの記述として、性格とか容姿とか能力などよりも、「どのようなトラブルを発生させたり引き寄せたりするのか」というあたりを明記することを優先するという手もありますよね。
内的動機によって駆動されるタイプの話ではかなり重要な気がする。トラブルを解決するというだけでシナリオ(全体としての課題や小目標)ができるし。
繁雑なルールは嫌だ、とは良くいわれますけど。一口に繁雑といっても、その中身は色々とあると思います。
などがあるのかな。一部重複していたりしますがまあ。
でもって、これらのうちどれを重視するか、どれは気にならないのかってのは人によってちがうわけで、そのあたりで好ききらいがわかれることもあるんでしょうね。
ゲームマスターが圧倒的にプレイヤーよりもルールや世界設定を理解していないと厳しいというのはTRPGの一つの限界なぁ。
濃いルール、濃い世界設定ほど、それを活用したセッションを希求するし。それを要求するようなプレイヤーに応えるには、プレイヤー以上の研鑽が必要となって、なかなか大変。でも熟練が反映できないと詰まんないという感情も当然あるしねぇ。
架空世界の法律を設定するときには、細かな規定を記述しても理解しにくく遊ぶうえでたいへんなだけになりかねないんですよね。雰囲気づくりとしてはたいへん楽しいんだけど。
やはりまあ、法律はゲーム上の機能として
あたりを考えとくと良いのかな。
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