TRPGな一言:1999年02月分


目次


1999/02/01:判定の機能

判定の機能としては。ランダムに成否を出す、ランダムに結果を決める(数値・具体的描写)。意外に何かあるかな。分類のしかたを考えればいろいろとありそうですが。

取り合えず判定がどういう結果を狙っているかをきちんと考慮しておくのは重要ですね。

1999/02/02:タニマチ案

TRPGの市場規模ならいっそ、誰か大金持ちをつかまえて寄付金をもとに生産したりするくらいのほうがよほど機能したりして。などと思ったりしないではありません。それがタニマチ案というわけ。

あんがい妙案なのかもしれない……。というか、今後に取れる手って、タニマチ以外には別業種で稼ぐ(SNEやFEARですな)か、会員制で資金募るくらいしかないかもしれんのだよなぁ。とても商売になってるとは言える状況でないからねぇ。

1999/02/03:キャラクター台紙

キャラクターシートならぬキャラクター台紙を用意して。それにキャラクターのクラスやアイテム、スキルなどに合わせたシールを張り込むことでキャラクターを作成するというような方式を用意する……という方法の話をIRCでしました。

こう、ぺたぺたとキャラメイクするわけですね。余ったシールをノートやなんかに張りつけたりして。

これだとなんとなく楽しそうですし、きれいに作ってあれば買いたくなりますよね。プレイヤー全員がこういう物を買うようにできれば、商売としてもなかなか面白いのではないかなどと思います。

むかしから(古典的な意味での)コレクタブルカードならぬシールってのはありましたからね。ガンダムのやつとか。そういう方向でも良いのかも知れない。シールだとカードと違って蕩尽されますし、消耗品だと割り切れば買いやすいかも知れない。

1999/02/04:うまい行動のできるシステム

うまい行動を楽しめるシステムについて。

うまい行動の結果を表現できるシステムってのは、わりと普通で。行為判定で成功すれば良い、うまい行動ができるかどうかはPCの能力として表現される。というものになるわけですが……。

しかしこう、うまい行動の経緯の表現はプレイヤー依存になりますよね。

経緯についても詳細な利益不利益が用意されている場合には、どの方法でどのように行動するかの行動決定自体が、プレイヤーの能力に依存するわけで。

結果だけルールで算出するようなゲームシステムだとしたらなおさら、プレイヤー自身が行動がいかに巧妙だったのかを描写しなければいけませんし。

ちなみに、前者は複雑怪奇なシステムになりがちでバランス的にも難儀であり、後者は計画の楽しみに限界があるというあたりがありますか。まあ、どのあたりでバランスを取るかがデザイナーの腕の見せ所ではありますね。

1999/02/05:プレイヤー受けする内容

今後の語り部日報でもTRPG.NETでも、もちっとプレイヤーに売れる・読まれる内容・企画が必要だよなぁ、などと考えています。

リプレイとセッションの場とイラストサイトのアクセスがなぜ圧倒的なのだろうか(アクセス集計の分析からの冷厳たる結論です)ということを考えていまして。単純な理由として「プレイヤーも読むから」であることに気がついたのでありました。

シナリオやマスター術、詳しいルールの運用論議なんかは、ゲームマスターにしか役には立たないわけですよね。基本的には。だからアクセスも実際少ないし、反応も皆無にちかかったりする。同人ルールについてはもちろんもっと少ないアクセスしかないわけで。

ゲームマスター人口よりも多数のプレイヤー専業者人口があることはよく知られて居ます。多くの人を集める、そしてTRPGを商売として成り立たせるためには、プレイヤーを継続的にひきつける魅力というものを構築するのが、もっとも手軽かつ有効であろうということは、よく考えてみれば明白ですよね。

少ないゲームデザイン趣味人口やゲームマスター初心者人口相手の講座・資料や、それよりは多少は多いものの数量的に少ない側のゲームマスターが来ることの多い(プレイヤー専業の人が来ている雰囲気のあまりない)掲示板よりも、人を集めるならばプレイヤーむけの方向を整備するのが一番であると。

しかし、プレイヤーむけといっても、なかなか難しい。なにを用意すればいいのだろうか。

プレイヤー(とくに専業の人)がなにを読みたいのか……というのは今ひとつ分からないところもあるのですが。おそらく、プレイにおいて有利になるための技法とか、どうすれば自分が目立てるのか、かっこよく遊べるのか、などは読みたいのではないだろうかと推測できます。だからこそ、リプレイのような読み物にイラストを添えて置いてあって、特にプレイヤーの行動がうまかったり楽しそうだったりすると、たいへんに受けるのではないだろうかと思います。あとは武器の解説、世界の小説的説明なんかは、たいへんに楽しめるのではないかと思われます。

とか考えていくと。SNEの展開はあたりまえだったのかな、シナリオけっこう出したのは頑張ったね、とか、そういう認識にもならんではないかもね。

1999/02/06:考えないことへのペナルティ

GMが勝利条件というか評価の要件として「ジレンマの構造についてきっちりと考えること」を必要な要件として設定することはわりとありますよね。悩んでもらうのがゲーム上も物語上も重要であるということで。でまあ、考えないでばっさり、とかした場合に経験値にペナルティ与えたりすると。

しかし「考えたかどうか」ってのは、プレイヤーには恣意的にみえることがありますよね。

単純に結果から算出するのではないぶん、マスターの恣意に大きく左右されるわけです。でまあ、プレイヤーの見地からいえば、それを横暴であると認識することは、それなりに自然ではあるわけです。

ゲームマスターとしては、考えるべきところで考えなかったことにベナルティを出すのは当然と思うわけですが。プレイヤーは必ずしも走破考えてくれない。マスターもやるプレイヤーだと、そのあたり意識が違ったりしますけどね。

プレイヤーがどう考えるか、ってのは慣れて居るほどわりと見失いがちな視点だと思う(私がそうだった)ので、いろいろと応用が利きそうですね。逆に、ゲームマスターにとってどう思われるのかというのは、プレイヤー専業の人には考えてみてほしい視点かな。

1999/02/07:売り切り戦略

出版物を比較的安価にして、企業のリスクを軽減するためのひとつの方法があることに気がつきました。それは、予想される販売数より少な目に刷り、さっさとすべて売り切ってしまい、在庫を持たないことです。

欲しい人すべてに手に入るわけではない、あとから欲しくなったときに買えるわけではないという卑劣な手ではありますが、実に有効です。この手を使って再版制度でないルートで販売するならば、比較的小部数でも商売にしやすくなるはずです。

ある程度多い目に刷っておいて長期的に売り切るという方法ですと、どうしても倉庫代がかさみますし、税金もかかりますし、売れないで保持している間に金利分の目減りが存在しますし、流動資金が減少してしまいますからね。

まあ、ユーザにとっては、欲しいときには絶版になっていて不便ですから、わりと不評は呼ぶでしょうけど。

あとは、ある程度の固定購買層がついたならば、この手でどんどんサプリメントを出版して資金を回し、ある程度購買期待層(欲しいけど買えないという人など)が育ったところで改版すれば、いままでのユーザ+新規層に売れるわけで。もう一度サプリメントを刷りまくってどんどん絶版にしていくという手が取れるわけですな。

このような手は、アメリカでは意識するしないに関らず、利用されているのかもしれませんね。なんか刷りきりで絶版になる商品が多いみたいですし。

1999/02/08:世界設定自作層

世界設定を自作する人間ってのは、どの程度いるんでしょうね。むかしは世界は自作するものだというイメージはなくもなかったけど……。

まあ、ゲームシステムを作成する層よりは多いのだとは思うけど。

1999/02/09:戦闘の表現力

TRPGにおける戦闘の表現力ってのは、どの程度求めるものなのか、どの程度記述能力があればいいのか。というのは悩みどころですよね。

かけ上がって塀(台でもいいけど)の上に乗りそこから攻撃とか。そういったありふれたイメージの行動をかっちりと処理できるルールってのは、どの程度あるのかなあ。

武器の種類の違いとかよりも、私的にはこういった戦術が表現できるかは、よほど大事だと思ったりもするのですが。

この事例であれば、ジャンプによる移動と高度差の有利不利を処理できるルールであるか、有利不利を抽象化できる抽象戦闘ルールであれば処理はできるだろうけどね。

これくらいのことはやりかた書いてないと、「なにが自由なイメージだ」「いろんな行動取れるといっても処理方法がないじゃないか」とTRPG初心者の人に思われてしまうのかもしれんなぁ。

とはいえ、どのみちどんなものでも記述・表現できるものでもないわけだから、結局は、デザイン上のコンセプトやデザイナーの持つ戦闘へのイメージによって、可能な戦術が規定されてくることになるわけだけど……。

1999/02/10:コア層むけシステムを売る方法

コアなファン層の希求する、かっちりしたルールと豊かな喚起力を持つ世界設定を有するようなゲームシステムを作ったとして。はたして売れるかというと大いに疑問があります。少なくとも真っ正面からは無理でしょう。

なんせ、その作品は過去の名作、既に多数の情報が提供され、しかも遊び慣れていてコアな人々自信が熟知しているゲームシステムから、市場が成立するだけの人数を引きぬかなければならないわけで。過去の名作と同等ではとうてい勝ちめは無く、はるかに、圧倒的に、勝れているのが最低限の必要条件になるわけです。そしてアースドーンの例を見ればあきらかですが、たとえ勝れていても勝てるわけではないわけですしねぇ。

真っ正面でない策としては、A.新しいジャンルを開拓しそのジャンルの層をごっそり集める。B.過去の名の売れた製品の改版ということにして過去のファン+新規層を開拓するC.宣伝政策などをうまく活用して広く潜在層を集めるD.ユーザが一掃された未来に一から市場を構築するE.海外作品を翻訳する(日本限定)

あたりですかね。

日本でソードワールドがD&Dに取って代われたのはC.とD.だと思います。ストーリーテラーシリーズの成功要因はA.の一種ですね。A.とB.の複合は最近のFEARも使ってる方法ですか。

A.(妖魔夜行・汎用ルール)とC.(メディアミックス)とE.の組み合わせでポストソードワールドを狙ったSNEの戦略がGURPSだったのだろうと思うけど……これだけ成功要素つめこんで、さらに雑誌サポートが勝れていても、最終的に続かなくなってしまってるんだよなぁ。

1999/02/11:ミニシミュレーションゲーム

シナリオ内に競争とかの要素を仕込んで、使い捨てのゲームとして作成しておくというのは、面倒だけど楽しい手ですよね。

ちょっと思いついた物としては、学園もので前日の勉強会とかその妨害とかを処理して、テストの順位を競うとか。運動会(オリンピックでもいいが)での競争とか。

そういったものを一回振りではなくてミニゲームとして組んであり、しかもシナリオじたいの構造とうまく組み合わせてあると、たいへん面白いものができる訳ですよね。

そういったミニゲームを組む方法、もしくは組みやすいシステムってのも、今後の方向としてはありうるのかなぁ。もしくはそういうミニゲームをつけたシナリオを売るとか。

1999/02/12:環境の影響

環境による行動への影響ってのは、シナリオ作るときとかはたいへん面白いですよね。暗闇ではどうなるとか、吹雪で三段階視界が悪化するとか、射程がどうなるとか。水中では行動するのになにが必要で、どんな欠点があり、魔法がどう変化するとか。そういうもの。

そのあたりがサポートされているルールであればともかく、なければ自作することになるわけですが。汎用的な環境の影響の記述様式かなんかを考えておいて、がっさりと作ってあると便利そうな気がしました。

ルールごとに汎用環境影響データからの変換・利用の指針が用意してあれば、利用も楽ですし。まあ汎用環境記述ルール、ですな。

そのための第一歩として。環境の要素としては何があるのかを抽象的にざっと考えてみると、

といった感じか。有利になる、不利になるには、判定の成功率・成功度・所要時間・費用なんかかな。可能にするのに条件がいるという場合もあるか。

あとは

あたりが思いつくけど。他にないかな。

1999/02/13:日米RPG人口比

アメリカは日本の倍の人口しかないが、あれだけのRPG人口が居るではないか。なのに……という論調を見ることがあります。しかしよく考えて見ますと、これって変ですよね。本当は単純な人口比についても日本語圏の人口と英語圏の人口を比較しなければならないわけです。

英語を読んで遊べる層は、日本人のごく一部(ですわな、結局は)を含めて、非常に大きいわけですよね。ざっと十倍は軽くありましたっけ? 日本語で出版されたルールも韓国などでも読まれることもあるようですが、まあ人口比を変えるほどではないでしょう。

単純に十倍もの人口があれば、市場が成立するのもあたりまえという気はします。出版量も当然それに応じて変ってくるわけで。しかも日本でならば同人誌となるような書籍でも流通に乗りやすいアメリカの事情などを考慮すると、日本もけっこう頑張っているではないか、という気分はします。

……十倍かぁ。十倍売れれば、コミケ売りしかしていないような日本の同人ルールでも、日本の商業ルール並みの売り上げ部数になるような。

1999/02/14:文庫の威力

いまでも中高生にもTRPGを遊んでいる人は居るわけですけど。そういう人の話を聞いていると、文庫ルールの威力というものを感じますね。年上の兄弟から伝授されたとかでなければ、遊んだルールとしてあがるのは文庫ルールばかりですから。

しかし今後も文庫ルールが店頭に残るかってと、けっこう難しいでしょうから、新規参入層は先細る一方なのかなあ。まあ、最近はやりの郊外型古本屋でもTRPG関係は見かけるから、本を読む人なら触れる機会はあるかなぁ。

1999/02/15:PCの死を気にしない

いざという時にPCが死んでもいいという心構えと、PCが死のうがどうなろうが気にしない、というのとは、だいぶと違うわけですよね。

たとえばPC自身が危機に陥り、それを解決せねばならないという導入方式は、PCにたいする思い入れがなければ機能しにくい。PCなんざいつでも捨てていい、では緊張感もへったくれもないし、司法に追われて「私が捕まって処刑されればそれでいいんだろうが」では話がつつかないわけどすね。

そういう自分を捨てるような行動は、それによってリスクはあるもののPC自身にリターンが見込める場合以外には「それをやっちゃあおしまいよ」になってしまう。PCを追い込んでいくタイプのシナリオは、ゲームの前提としてPCはそれに対して積極的に抵抗して生き延びようとすることが必要なわけです。

しかし……無抵抗主義PCとか自殺志向PCとでもいうべき心理になってしまったプレイヤーへの対策ってのは……あるのかねぇ。とりあえず大虐殺を繰り広げて、反撃があったらひたすら殺して死んだら「ああつまらかった」というようなプレイヤーにまで対処できんよなぁ。

1999/02/16:TRPG出版の遅れる要因

出版業界もゲーム業界もソフト業界も、わりと納期の遅れについては寛大というか、比較的目立って遅れの存在が見えるわけですよね。個人の能力に頼る側面が大きい業界ではありがちなのかもしませんが。

でまあ、TRPGについていえば、遅れる要因が腐るほどあるわけです。

まあ、現実問題としてリターンが少ない以上は遅れたところで被る損害はろくにないわけで、どうしても遅れてしまうことが起きるのはしかたがないのではないでしょうか。

一日遅れると数千万の損失、とかいった一般の事業のようにはいかんでしょう。目に見えて損失がなければ、遅れないようにするのはモラルの問題に過ぎないわけで。モラルだけに頼っても出来ることに限界があるのはしかたのないことかなと思います。

1999/02/17:失敗時の展開

シナリオを作成していてついつい抜けてしまいがちなのが、その場面で失敗したらどうすれば挽回できうるのか、というあたりだと思います。

大事な交渉の行為判定なりでファンブルがでたとして、それで終わり、手の打ちようがないのでは面白みが薄いわけで。再起をかけることができるようにシナリオを組んでおけるかというのは重要ではないかと思います。

ついつい忘れがちなので、シナリオを一通り書いたあと「どこか成功することを前提とした進行がないだろうな」と気をつけてみると良いのかもしれません。

1999/02/18:選択肢を作る

TRPGの優位性として残されているものの一つとして、与えられた状況において問題を解決するための行動の選択肢を、自分で作成することができるというものがあるわけですが。

そのためのノウハウとして、

あたりに気をつけてると、なにかと便利かもしれませんね。とくに慣れないうちには、プレイヤーが意識的に選択肢を並べて考えてみるようにするのは有用だと思います。

1999/02/19:自然環境によるシナリオ構築

自然環境のさまざまな違いというものは、それだけで興味深いシナリオの道具として機能しますよね。

移動の障害(移動時間や移動時の安全性に修正とか、そもそも移動するのになにかが必要になるとか)となり、その解決に頭を絞ったり交渉したり金を支払ったりする必要が起きるというのは、それだけでシナリオになるわけです。

自然環境により行程のルートや進むべきかどうかについて悩むなどは、あちらを取ればこちらが立たずというジレンマを生成し、シナリオ中の要素として活用するとなにかと便利です。

他にも、その環境特有の生物とか事件を、解決すべき課題・課題の解決の道具として活用するというのもシナリオづくりに使えますね。

シナリオがマンネリになってきた、などと感じるようでしたら、目新しい環境(たとえば雨の降りつづく町中程度でも色々と変る)にPCを放り込むことを考えてみてはいかがでしょうか。

1999/02/20:領域の支配と社会的ダメージ

スラムに入ろうとするが住人たちに止められる、しかしスラムの顔役とのコネで許可がおりる。以前に騒ぎを起こした酒場には入ろうとすると常連たちのつめたい視線を浴び、場合によっては追い返される。私有地に無断で立ち入って家宅侵入の罪に問われる。

こういった社会的影響の処理ってのは、シティアドベンチャーでは特に重要な概念ではありますが、あまり整理されていないことが多いように思います。設定文書として記述されている、マスターの知識によって処理されていることは良くあるわけですが……。

ここでは、とりあえずドメイン(支配領域)という概念で整理することを考えてみました。

支配領域

特定の支配者のもとに集まる構成員が、ある程度排他的に利用している地域。物理的・登記的な境界を有することが多い。構成員以外が無断で侵入・利用するにたいしては、構成員による排除やより上位の支配領域の存在による制裁がある。

国家、自治体、個人の住居、シマ、猟場、漁場、都市、村、聖地、学校などいろいろありうる。

支配者

支配領域についての法的・倫理的・実効的権限を有する存在。規則に乗っ取りつつ、最終的な規則の運用を決定づけたり、規則を決定したりできる。よそ者の侵入について特例的許諾を行なう権利を持つことが多い。

国王、大統領、村長、犯罪結社のボス、町の顔役、家主など。

構成員

一定の範囲内で支配者の権威を認め、支配領域において活動するものたち。構成員はその支配領域における排他的利益を共有するため、非構成員にたいしては、排除か構成員への同化を強要する。独自の隠語や祭儀、義務と権利を有することがふつう。規模が小さく他者から排斥される度合が高いほど、結束が固く義務や祭儀などが増えやすい。

規則

慣習やモラルも含めての、何をして良いか、何をしたらまずいか、何をしたらどういうものが得られるのか、まずいことをしたらどんな処罰があるのか、といったものごとの集合体。

法律、慣習法、暗黙の了解、タブー、エチケット、学則など。

まあ、他にも色々と細かくすることはできるけど。とりあえず簡潔に。支配者、構成員、規則を考えておき、いまの舞台がとの支配領域であるかを意識しておくと、なにかと便利かもしれません。

1999/02/21:原作からシナリオを抽出する

何か原作もので遊ぶときに、原作からシナリオを抽出するために考えることについて、いくつか列記してみましょう。

まあ、かなり抽象化されているからなあ。これだけでは使いづらい指針かな。

1999/02/22:同人ルールの寿命

十年以上、製作元以外で遊ばれている同人のTRPGって何があるんだろう。とりあえず『蒸気爆発野郎!』は十年以上たっていまも健在らしいけど。

そもそも製作元以外で遊んでもらってる同人ルール自体が少ないうえに、継続的にサポートされるかってとなかなかねぇ……。

1999/02/23:中世型社会でのコネ

コネのルールがあるのは、なぜかサイバーパンク系のルールに多いような気がしますが。ほんとは社会の中での人間関係の重要性は、いわゆる中世ヨーロッパ風の社会のほうが高いような気がします。

いちおうクラス制のシステムであるよあな、盗賊ギルドの利用とか宗教関係者であることの利点とかいったものは、コネの一種かもしれませんが。

1999/02/24:カードの機能

カードを利用するルールをデザインするうえで利用できる、カードの性質について、簡単に。

と言ったものをとりあえず思いつましたけど。

こういった特性をどれだけ生かせるかが、デザイン上の考慮事項になるかな。

1999/02/25:汎用ルールの二つの分類

汎用ルールといっても、判定系を統一・共用する複数のゲームシステムの共通部分をさす場合と、土台となるルールの上にルールに則ってサプリメントを構築できるルールとは、分けて考えた方が良いと思っております。とくにデザインする側としては。

後者のタイプのルールでは、世界設定に沿ってルールを選別するための指針が示されているといいんですが……ほんとは。GURPSにはあるのかなぁ。

1999/02/26:戦闘演出の一回性

組み合わせ攻撃とか戦闘オプションなどによる戦闘の演出ですけど、どうも得意なもの、もっとも有利なもの二個とて課しやすい傾向があるような気がします。

一戦闘オプションは一戦闘について一回しか使えないとかいった仕掛けにしてあると、うまくいけば多彩な戦法を使う・考える必然が出てくれるかもしれませんね。

まあ、うまく回るかはわかりませんが。

1999/02/27:死亡以外のリスクで再挑戦したくさせる

うまくいかなかったけど、もう一度やりたい、という口惜しさをTRPGではどう扱うべきなのかというのは、まだまだ考える余地はありそうです。

死亡率を高めにして、死亡したから新しいキャラクターで再挑戦しよう、というバランスで組むというのは、ひとつの手ではあるけど、感情移入的には問題がある場合もありますよね。死亡はTRPGでは一般にはゲームからの脱落になりがちであるという問題もあるし。

感情移入を逆手に取れば、借金の増大とか自由の束縛とか敵の増加とかいったPCにたいする(致命的でもない)不利益の増大、を失敗の結果としてしまうというてもありますよね。この手で、デッドリーな戦闘を採用しない場合にも、緊張感や行動決定の重みを維持することは可能だろうとは思います。ただまあ、感情移入しない人間だとか、一回こっきりで終わるとかだと、これもさほど機能はしないんですよねぇ。

1999/02/28:無情なだけで良いのだろうか

サイバーパンクものはPC同士の裏切りも当然の冷徹なスタイルが当然である、という了解があるように思いますけど、これってほんとに正しいのだろうか?

中世もので主人公自身が因習に囚われている必要が無いように、サイバーパンク小説でも無常な世界の実情に対して、表面的にはどうあれ、内面的な人間性(脆さとか、人情とか、しがらみとかね)があることのほうが多いような気もするんですよね。悩まない戦闘機械、卑劣な裏切り者ってのも悪くないけど、それって小説的には敵側のように思えるんですよ。まあ、人情を表に出すと食い物にされるから、冷徹そうな言動でそれを隠すというのが定番だろうけど。

つーわけで、サイバーパンクでも人情風味を入れること自体には問題ないような気がするんですが……。PCが人情にこだわるほど、外部の社会の抑圧や裏切りが身に堪えてくれるというものだし。

おおむねサイバーパンクものではPCはかなり強いはずだから、うちに秘めた人間性なんてのを持ってると、弱いけど卑劣な敵を相手にして、外見だけは冷血にみえるけど実は人間性から出た行動をする、といったこともうまくやりやすくて、面白いのかもしれんが……。

……んー、うちに秘めた感情、ってのはひとりよがりになりがちかなぁ。だとすると、単純化したひたすら冷徹なPCどうしってのも、悪くない方策なのかもしれないなぁ。

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