TRPGな一言:1999年01月分


目次


1999/01/04:ちょっと困ったを解決するシナリオ

シナリオにおいて解決しなければならない課題や障害として、致命的であったり大ごとだったりするものでなければならない……と考えてしまうゲームマスターもけっこういるようです。

これはまあ、ゲームシステムの提供する困難とその解決方法として、敵を殺すという方法のみがクローズアップされている以上は、ある程度しかたもないのかも知れません。命のやりとりによって解決せざるをえないような問題であると考えれば、結果としてシナリオで解決すべき問題はそれにみあったものにしたくなりますしね。戦闘のスリルってものは楽しいですし。

しかし、PCの立場が一般人に近いほど言えることではありますが、シナリオの素材としては別に重大事件を解決するというものである必要はないわけですよね。他人に依頼するには恥ずかしい、馬鹿馬鹿しい程度のことだけど、調べて解決したいような、ちょっとした「困ったこと」を解決する。という手もあるわけです。

たとえばまあ、「毎晩、鍋がダンスをして、料理がこぼれて困るんです」とかね。ちょっと困るけど、だからといって引っ越したり官憲を呼んだりするほどのことではない。真相としては、単に鍋の構造がゆがんでいたせいだとか、低周波のせいだったとか、毎晩寝ているあいだにトラックが自宅の前を走っていたとか、小人さんが食事を取りだすために揺らしていたとか、子供のいたずらだったとか、隣家の嫌がらせだったとか、色々とありうるでしょう。

こういった「困ったこと」程度の問題というのは、メインの問題は深刻な場合にも補助的に利用すると話の幅が広がりますから、うまく使えるようになると便利ですね。

1999/01/05:ファンの発生要因

けっこう、まんべんなくどんなルールにでもファンはついているような気がする昨今であります。

つらつら考えてみるに、ファンになるかどうかは、そのゲームシステムを使って最初のうちにどれだけ楽しい経験を積めたかにあるのではないかという気がしてきます。

ルールの出来不出来とか、セッション内容の高度さとかは関係なくて、手探りでいろいろと試してみた経緯とそれによる充実感の思い出。それが特定のルールにたいする好感を産んでいるのではないかなあ。

でまあ、TRPGを続けているってのも「最初の結晶化した楽しかったセッションの思い出」を追い求めているのではないかという気もしないではない。それにそぐわないスタイルは排斥対象になるのも当然ですわな。だんだん不満になって来て、新しいルール・プレイスタイルは、気に入らないところばかりが目につくとか。

いつもの環境でそのゲームではじめて遊んで面白くなかった場合には、ゲーム自体が面白くなかったことにしてしまう。いつものルールで遊んで面白くなかったら、環境(コンベンションであるかとか、遊んだ相手の癖や性格)に理由を押しつける。こんな認知のバイアスは、誰でもあるんだとは思う。本当にそうであるか否かに関わらずね。

……しかしまあ、だとしてもなんの打破策もないわな。たんに自分の好みと普遍的な価値とを取り違えないように気をつけましょう。ってな結論だけでは、役にたたんしなぁ。

1999/01/06:コンベンションに行かない層

気心のしれた仲間うちで遊ぶなら良いけど、コンベンションに出かけるのはちょっと……というひとはかなりの多数派だと思います。

こういう人たちは、内輪で出来なくなったら「仲間が離散したから今は遊んでいない」となるんでしょうね。そこで「しかたがないから」とコンベンションに出かけるのは、ごく一部のように観察しております。

ただまあ、そういう人でもルールブックは買うし。機会があって相手が信頼できれば遊ぶわけですよね。だけど機会も良い仲間も見つけられずに遊べない……そういう購買層って、けっこうでかいみたいです。

聞いていると、リプレイをいちばん欲しているのもこの層みたいですね。代償行為としてのリプレイらしい。そうして「いつか遊びたい」と思いつつ、結局遊べないことも多い……。

そういう層にもっと遊んでもらうためには、なにができるんだろうか。そんなことを最近考えています。やはりオンラインで気楽に会話をしている人間と遊べるという方針の、オフ会でのセッションを目的としたサークルを設立するあたりが穏当かなぁ。

1999/01/07:ダイス振りが楽しい条件

ダイスを振ることが楽しい、というのはTRPGの楽しみの一つであるようですが、この楽しみが得やすい条件を考えてみました。これらをすべて守れば良いゲームができるのかってと、そうでもないわけだとは思いますけど。

良い結果が出る

これはまああたり前ですが。良い結果というものが存在することが必要であるということになるのかな。すべての判定が自分にダメージが来るような判定結果である(二律背反を完全に維持するとそうなる)場合には、不満が溜まるのでしょう。

良い出目であるほど結果がより良くなる

良い目を出せたときの喜びがあるし、良い目を出したいという意欲ができるわけですね。純然たる%ロールのように一定値以下であれば結果が同じ、というものだと、01が出たのに何の意味もないなんて……という不満が出るわけですね。

一差に意味がある

数字であれば一の差に意味があるくらいだと、なお良いというわけです。基本になる数字から一定区間ごとに修正値が出て、それが結果として適用されるようなもの(ソードワールドの能力値ボーナスとか)だと、一差に意味がなくなることが多いので、不満になったりすることがあると。

失敗したときにさらに失敗の程度が悪化しない

どれだけ悪い結果が出たか、どこまで悪くなるのか、というものをプレイヤーが判定するのは、面白く無いというわけです。無間下方ロールとか。PCが無残に死ぬのを楽しむとかなら、それでもいいけど。

結果が途中で覆らない

無限上方ロールに入ったあとで無限下方ロールになる、クリティカルサクセス後にもクリティカルファンブルが起きうる、命中判定で成功した後のダメージ判定でダメージなしがでる。といったように、いったん成功したあとでそれが不利なほうに回ってしまうのは、不満が出るでしょう。

直感的予想よりも出目が良い確率が高くなる

直感的にはそれほど起きないようにみえる嬉しいことが、頻繁に起これば、それはたいへんうれしく感じるわけですね。クリティカルの生起確率がそれほど高く無いときに全体としての試行回数が多ければ、誰かが大きな成功の出目を出してヒーローになる確率は、自分のPCの率だけを考えている人にとっては偶然とは思えないほど高くなるとか。ソードワールドは、このあたりがうまいんだと思ってます。

1999/01/08:TRPG関連記事制作のコストパフォーマンス

色々言われながらも現在のような出版状況になっているのはなぜかを考えるために、制作者にとっての各記事の商業的な魅力について少し考えてみました。

もともとは、どんなコンテンツが提供しやすいだろうか、ということを検討するために考えたものです。陽陰さんとのチャットでの話からヒントを得て作成しました。

コンベンション情報

投稿制、選別の手間が少ないなど、安価に処理できる。継続的に集まるのであれば比較的載せやすい。ただしTRPG人口のかなり多くを占めるであろう内輪でしか遊ばない人々にとっては読む意味のない記事ではある。

リプレイ

編集・加工には手間かがかかるが、原稿の分量が多くなること、売れ行きが良い(購入する層が広い)事から、比較的コストにみあった収益が見込みやすいものと思われる。

詳細なシナリオや分析を添付する場合には、ただでさえ大きいコストがさらに増えるため、売れ行きがそれに耐えられる分量でないとつらいだろう。

読者投稿記事

単純に掲載するだけではあれば低コストだが、多数の中から選別して批評を加え、さらにアドバイスまでするとなると、非常にコスト高だとは思う。

労働力集約型の企画である、シナリオ募集やシナリオフック・追加データ案の募集などにおいては比較的機能しやすいと思われる。

シナリオ

詳細なシナリオは、作成の手間がかかり、テストも多数必要であり、非常にコストのかかる題材であるにもかかわらず、売れないのでたいへん難儀である。しかし初心者や作成に時間のかけられない忙しい人には必要とされているという意見も多く、出さざるをえない。

シナリオソース

比較的手間がかからないように見えるが、出版に耐えるだけの豊富な分量をバリエーション豊かに作成するとなると、人材プールの維持費がかさむだろう。

利用できるのは、なくても遊べる熟練者であるために、単体では売れにくいと思われる。

学術記事

精確な内容であれば専門家、わかりやすい内容としたければさらにそれを噛み砕ける人間が必要。そういう有能な人間はコストがかかり、TRPG雑誌などでは個人的な繋がりで破格の安値で働いてもらうなどしないと辛いだろう。

売れ行きは内容しだいで、うまくやればTRPG以外の愛好者にも買ってもらえる可能性はあるため、単行本としては悪くないかも。

取材記事

そもそも移動時間・移動コストがかかる。イベントとの連動であれば、全体として宣伝効果ということでカバーもできるかもしれない。

インタビューを整理するなどの形式だと比較的労力は削減されるかもしれないが、うまいインタビューができる人間という稀少なように思われる人材を探さないとだめですね。

レビュー

穏当な内容を書くのであれば、楽なほうかも知れない。やり込んだ人間にも不満をもたれないような、きっちりしたものを書こうとすると、かなり手間が借りそうではある。

エラッタとQ&A

問題点の指摘は比較的集まりやすいため、記事としてはコストは低めか。ただまあ、マニア層に不満をもたれやすいこと、遊び込んだ人間に矛盾点をつかれないようにするとなると途端に調査コストがかさむ、などが難点か。

翻訳記事

分量あたりの労力ということで考えると、制作コストのかかるものほど翻訳することで労力は相対的に削減されるため、売れにくいものでも出せる可能性はあるのかも知れない。

しかし相手の提示する著作権料しだいというところは大きい(英語圏では日本より売れる以上それなりの代金を期待するだろう)し、著作権が分散していると交渉に問題があるというのは、小説などでイラストが流用できなかった理由として聞いたことがある。

ただまあ、翻訳もとに支払う金が余分にかかることから、翻訳作業がまったく新たな執筆作業よりも半分以下の作業コストで可能でなければ魅力はないだろうと思われる。ボランティア的な価格で翻訳してくれる下請けサークルなどがあれば、機能するかも知れないけど。

入門記事

一般に慣れている人間はサポートを必要としないし慣れていない人間のほうが数量が多い(そうでなければ斜陽産業ですわな)ため、売れやすい。ただし良い入門記事を作成するのはたいへん困難であるという気もする。

熟練者向け記事一般

興味が細分化されていることもあり、万人に満足の行くような内容を提示するのは不可能だろう。また内容の程度を高めるためには、非常に多数の資料と労働が必要になる。売れる数量が極めて少ないうえに労働力が必要になる以上、書きたいから書いたという原稿のような、趣味的に作成されたものが結果として流通にのるという形式以外には辛いだろうと思われる。

1999/01/09:コンベンションに行かない人たち

昔はTRPGを仲間うちで遊んだけど、今は遊んでいないんです。そういう人はたくさん居ますよね。こういった巨大な潜在層をなんとかできると、市場の活性化もできるのかも知れない。

こういった層は、

といった感じであることが多いように思います。

こういった、言うなれば「幹事がいれば仲間うちでの宴会に出たい」層を、もうすこしなんとかフォローする仕掛けが作れないか。というのは今後の重要課題です。

やはりこう、TRPGに限らず広い話題をと交わせるコミュニティを作成して、その中で知り合いになった(気分のする)人とセッションを組めるようにお膳立てして行くのが良いんでしょうね。

そういう意味でも、地域別メーリングリストや、掲示板のオフ会なんかを、もっと積極的に行なっていくしかけを作っていけるといいのかな。私なんかも典型的な「幹事が居ないと動かない」タイプの人間ですからねぇ。

1999/01/10:集団の処理

集団になることで、可能な行動の威力そのものは強くはなるが、攻撃を受けたときには脆い面も出てきてしまう、という感じに集団を処理すれば、それらしくできるのかな。雑魚の一掃なども処理しやすいし、士気ルールとかとの相性も良さそう。

指揮官はこのあたりの崩れたときの回復能力として処理する……となると、ウォーゲーム的だけどまあ穏当かな。ダメージを有効に戦える人数の減少ということで処理したりすると、なおさらウォーゲーム的かも。

1999/01/11:セッションテクニックのゲームシステムへの組み込み

セッションテクニックのゲームシステムへの組み込みってのは、最近のFEARのTRPGの方針の一つだと思うけど。これって色々と難しいなあ。

作るほうとしても、テクニックを明文化するのは難しい、システムに仕込むのはもっと難しい、それをほっといても機能するようにするのはさらに難しい。

で、現時点では、意識して運用しないと、なかなか有効に活用できないのに、記述が足りないとか、そういうことがあるのかな。

ノウハウを口頭で、もしくは実際のセッションで継承していくのは困難だから、ゲームシステムに組み込んでおこうというのは方針としては良いんだろうけど。組み込むテクニックも組み込むノウハウも、システムの意図を提示する方法も、まだまだ発展の余地ありかな。

1999/01/12:アーキタイプシート

アーキタイプシートがキャラクターシートの応用的なものになっているのが、現時点の一般的なスタイルだと思うんですが……。これってあんまり必然はないような気がしてます。

イラストなんかを表にして、見せる部分と隠す部分を厳然として分けてしまうとか。記録する場所と参照する場所の組み合わせを変えてみるとか。いろいろと試してみると面白いのかも。

1999/01/13:ルールをいろいろ探さない理由

自分たちの望みにあったゲームシステムを探すくらいなら、プレイスタイルの縛りの少ないシステムを仲間うちでてきとうに暗黙の了解を使って機能させたほうが、よほど楽だから、メジャーなシステムでなんでもやるという人がたくさんいるんだろうか。やはり。

ルールがプレイスタイルにあっていないということから派生するルール改造への作業コストと、あっているルールを探すコストが、前者の方が低いというのが現状なのかな。

1999/01/14:シナリオ周辺のサプリメント

シナリオそのものとか、シナリオアイデアとか、シナリオ作成に役立つ設定とかは、サポートされているものもあることはありますけど。

シナリオ作成ガイドとかシナリオ運用ガイドがきちんと付属しているとか、サポートとして出版されているものって、ろくに見かけませんよねぇ。

まあリプレイでシナリオ作成の手順書いていたりするものが該当するのかもしれないけど。その手のやつを含めても、インターネットではルール直結型のシナリオの作成はともかく、シナリオの運用についてのノウハウってのは、まだまだ未開拓の領域なのかなあ。

これがきちんと整備されないと、初心者マスター育成が進まんと思うんだけど。書くのはなかなかたいへんそうだしねぇ。

1999/01/15:アメリカとの情報流通量の差

出版量については既に良く言われて居るのですが、インターネットでの情報交換の量も桁違いなんですよね。日本とアメリカとでは。

TRPG.NETでNetNewsのWebでの検索表示サービスなんぞできんかなと思って、二年以上ぶりくらいで rec.games.frp.* はじめとするRPG系のニュースグループを取得する設定にしてみたんですが。これがまあ多いこと多いこと。

わずか20日で rec.games.frp.dnd は3400件以上、 rec.games.frp.gurpsが2800件以上といったあんばい。桁が違いますわな。

市場規模が軽く一桁違うせいだろうというのもわかるけど、情報交換の場がネットニュースに集約されているということが、あったりのかもしれませんね。日本だとただでさえ少ない人数が、多数のWebBBSに分散されていたりしますから……。(それともほかのコミュニティでもあんなペースで話が進んどるのか?)

1999/01/16:コピーしたくなくなる値ごろ感

書籍なんかでの値ごろ感というのは、ページ単価が見開きで十円を割っているのが最低限だろうと思われます。全部コピーしたほうが安いと、コピーしたくなる人が多いんですよね。利便性の低下なとを考慮すれば、素直に購入したほうが良いように思える場合でさえ。

しかし200ページであれば千円以下。うーん厳しいなあ。もしも一万部も売れたとしても書籍流通では百万円程度の収入にしかならないはずで。A4で200ページを商品品質で書くことを考えると、なかばボランティアであるか、一人で一ヶ月で執筆・イラスト・編集・装丁まで全部しあげるとかでもないと成立しそうにないですね。一万部も売れるなんてのはありそうにもない想定だから、なおさら無理か。

ただまあ、文庫本はこれを満たせるのかな。文庫はコピーがしにくいし。そのあたりも売れやすくなる原因だったのかも。

……しかしさらに言えば、必須部分だけでコピーするより安くできるとなお良いわけで。必須のデータシートだけでコピー代よりやすいと良いんだけど、これは無理ですね。分量があると必要な箇所が一度に一部になるから、必然的に回覧するという選択をしちゃいそうだし。

これを解決しうるのは……チャートを安く売るというのはどうか。コピーするよりも品質も良く安いチャートを、せいぜい四枚くらいに納めるのである。つまり一人あたり単価を二十円くらいにするわけで。……ううむ、これは結局まとめて売らないと流通させられないか。となると、それを買うのはゲームマスターの負担となりますからねぇ。コピーで必要なときにちまちまと金を使うほうを選択されてしまいそう。

……結論。書籍としてのTRPGは買い手のモラルに頼る以外に買われる可能性は低いだろう……。薄利多売をあきらめて高くてこ買うコアな層にターゲットを絞る傾向になるのもむべなるかな。という感じかなぁ。

1999/01/17:シナリオの枠

シナリオを機能させるためには、どこまで自由な行動が許せて、どんな行動をするとシナリオが破綻するのかがという、見えない(見えにくい)制限があるはずですよね。シナリオが機能する枠。

絶対ダメな行動としてなにがあるのか、少しなら許容しても良い行動とはなんなのか、シナリオを成立させる上での推奨行動はなんなのか。

そのあたりについてゲームマスターが理解できるように明確に書かれていて、かつそれをプレイヤーに適切に伝えるための方法が義手つされているシナリオというのは、初心者向けシナリオの必須要件の一つではないかと思う。

1999/01/18:偏った能力対策のマスター向けルール

カツカツの偏った能力で優位を狙うようなキャラクターを作成したとしても、ゲームマスター側で弱点をきちんとついてやれば対処できる……わけですが。それに適正にペナルティを与えられるような不利な事件を、公正に提示できるのかというと、今のところルールでの技術は十分とはいえないように思います。

マスターの個人裁量で弱点にぶつけるのは、極めてプレイヤーにとっては不公平感をかもし出す傾向がありますから。ルールで『必然的に』偏ったキャラクターに不利益になる事件をぶつけなくてはならないのだという風になっていると、納得させやすい傾向があるんですげとね。

また一回きりのセッションであったりすると、頻度とか生起確率で記述される不利な点(たとえば一プレイにつき1/2で発生する不利な状況)というものは、出てくれば不満だし、出でこなければ有利になるだけであるってこともありますし……。

ただまあ、そのようにルール上の不利な点に対応した事件を発生させるかどうかについて、ゲームマスター側の事件管理用のルールできっちりバランスが取れるようにしようというのは、最近の市販ルールでもみられる傾向なんだと思いますけど。

今度はそれだとマスターが縛られている感じがして嫌とか、ルールで処理される分だけ定型的なうえに処理が重いとかいった感覚もあるみたいですからねえ。やすり指針的にゆるくするのが受け入れられやすいのかな。

1999/01/19:カードの記述能力

カードをうまく利用するってのは、今後もちっと考えていいと思ってはいます。カード利用形態とそれぞれのの長所と短所。そのあたりを整理すると、面白いアイデアが浮かぶか……とか。

しかしそのあたりで、トランプを使うってのには限界があるんですよねぇ。表現力は、ダイスと比較してそれほど広がらない。手札を利用した計画性、山札から引くランダム性。それらを利用するだけであれば、既にいろいろとあるわけですからね。

今後独自性の高いものを考えるのであれば、カードの表記能力、つまりデータや追加ルールを込みで記述できるという能力をどう利用するか。あたりなのだろうとは思います。このあたりについては、まだまだいろいろなトリックが埋もれていそうです。

とりあえず手軽でかつ便利そうなのは、特殊効果をカードにしてしまうというものでしょうかね。スペルカード的なものとか、特定効果を持つアイテムといったもの。効能については一回切りの使い切り型と、持続的に効果があるものとの使い分けをジレンマ構造にしたりするというのが普通なのかな。

1999/01/20:妖精ものシナリオ案

伝承における西洋の妖怪とでもいうべき雰囲気にちかい、妖精をあつかったシナリオについて簡単に考えてみました。

題材を日本妖怪にしてしまえば、まんま現代日本でも使えますね。

けっこう『誰も知らない小さな国』などのコロボックルシリーズを意識してしまっているかも知れない。

1999/01/21:現在しか記録しないキャラクターシート

キャラクターシートは、おおむねキャラクターの現在の状態を記録するために作成されているものですよね。

しかしまあ、なんのルールだったか忘れたけど、キャラクター・レコード・シートなどという呼びかたをするくらいなんですから。キャラクターの現在のデータよりも、キャラクターの変化についてきっちりかけるようだと便利なんですけどね。特にキャンペーンゲームで遊ぶ場合には、必須といっても良いかも知れない。

まあ既になにかのルールではそのあたりもきっちりフォローされているのかもしれないけど、キャラクターの引き起こした『変化』の記録という意味でも、うまい記録用紙や記録することに意味のあるゲームシステムなんかは、いろいろと工夫しがいのあるところでしょうね。TRPGの定義は『PCを介して架空世界を変化させようとする・もしくは変化を防ごうとすること』であると抽象化することも、できると思いますし。

1999/01/22:接敵以前

戦闘ルールが一撃必殺的な致命的なものである場合には、戦闘の回避をはかることが重要になるわけですよね。

そのためには接敵して戦闘を強要される以前に、接敵するかしないか……つまり逃亡するとかするかを決定するという判断の時間をルール的においてあると、プレイヤーとしても安易に戦闘に突入してしまったりせずに済むのではないでしょうか。その接敵前のシーンで利用できる能力をいろいろと用意しておけば、戦闘回避にゲームシステムを活用できるように作れますし。

1999/01/23:リカバリとリトライ

ゲームを楽しめるためには、リカバリ不能ならリトライが容易でなければならないと思います。とくに初心者の時には。

この場合のリカバリとは、回復可能性のことです。失敗した場合にそれが即致命的な状況に繋がるのではなく、そこから努力することで回復ができるかどうか、というあたりの話です。ちょっとした失敗で長期にわたっての努力の積み上げが無に帰すというのは、確かにリアルなシミュレーションかもしれないけど、不満が溜まるばかりなわけで。

TRPGでは、回避不能な戦闘で一撃で死んでしまう、とかいったものが回復可能性が低い事例です。ヒットポイントがダメージポイントと比較して十分大きいルールなどでは、ダメージを受けたあとでも、こちらもいい目を出して積み上げて行けば勝利の可能性があるというあたりで、回復可能性が高いとなるわけです。

もう一つ、リトライが容易であるかというのは、再挑戦可能性の話です。致命的な事態になったゲームから脱落した場合にも、再度課題に挑戦できるかどうかというあたり。失敗の確率が高いとしても、もう一度やって努力すれば成功できるだろう、という感覚を与えて、実際の再挑戦が容易であれば、なんどでも遊びたくなりますよね。テトリスとかWindows付属のソリティア、対戦格闘ゲームあたりが良い例でしょう。

TRPGでは一プレイあたりの所要時間が一般に極めて長いため、この再挑戦可能性が非常に低くなっています。それを補うために、回復可能性が高くなり、結果として「あっさり死んでしまわないシステム」が求められているのだろうと思います。

これが比較的所要時間が短かったダンジョン攻略もののゲームのころには、再挑戦可能性もシティアドベンチャーなどよりは高かったため、比較的死にやすくても不満がたまらなかったのでしょう。シティアドベンチャーを死亡率をかなり高くして遊んでいるグループもありますけど、そういうのはプレイ頻度が高いから全体としての再挑戦可能性が高くなっているように見受けられます。

ゲームをデザインする際、シナリオの難易度を調整するさいには、リカバリ性とリトライ性のバランスについて考えておくのも便利だと思います。

1999/01/24:計画するための情報

戦闘ルールを駆使する戦術的な運用にせよ、謎解きにせよ。これまでにあつめた情報を整理して、なにをなすべきなのかの方針……つまり戦略を明確にし、それに沿って行動計画を立てて行くことが必要なわけですけど。

戦略を立てるために必要な情報をどこまで欲するのかとか、どこまで情報を用意しておけばいいのかとか、不完全な情報で見切りをつけるかどうかの判断をどうするのかとか、いろいろと難しいところではありますね。

ほっとくとどんどん目先のことしか見えなくなるし。

マスタリング・プレイングのノウハウとして経験的に理解されていることが多いところだとは思いますが、なんとか明文化して行けないものかなぁ。例示としての詳細なシナリオ、が一番なのか?

情報を整理するためのシートみたいなものを用意しとくのも役にたつのかも。各種の相関表とか。

1999/01/25:トライ&エラーができる環境

新たな挑戦をすることってのは面白いですよね。しかし、新たな試みには失敗はつきもので。その試みが新しくなく失敗することが見えている、もしくは失敗するだろうと思いこんでいる人間がいると、そういう試みは許しがたく思えたりするのかも知れない。

しかし、あれはダメ、それもダメ、などといわれて面白いわけがないし、実際に試してみなければ実感はわかないわけで。特にまだまだ慣れていないけどTRPGを楽しいものだと認識できた人なんかだと、そういう助言は要らぬお世話に思えたりするのかもしれない。初めてのゲームマスターを試みる、なんて時には、そのあたりも敷居になっているのかも知れない。

ではトライ&エラーが許容される環境を得るにはどうしたら良いのか。

あたりが、今のところ認識されている方法だけど……。

1999/01/26:マスタリングの道具としての事件投入

シナリオの進行を管理する上で、PCの行動を制約したり誘導したり、困難を発生させたりするために、なんらかの事件を引き起こすという手法がありますよね。まあ事件といっても宿屋を火事にして追い出すとかいった、すこしは大がかりなものとは限らなくて、たんに違法侵入しようとしているところで警備隊の巡回を意識的に取り上げるとか、そういったものも含めてですけど。

このような、目的別の事件の利用法との利用できる事件について、多数の事例を挙げて整理されていると、なにかと便利なのかも知れませんね。

1999/01/27:カーボンコピー

カーボンコピーのできるキャラクターシートがあったら、キャラクター作成後に必要事項をほかの参加者やゲームマスターに配布できていいかも知んない。などと確定申告用紙を見ていて思ったりしました。

いちいちキャラクターの名前とか書き留めとくのもめんどくさいし、マスタースクリーンのむこうでこっそりダイスを振るようなルールだと特に便利かと思われます。

ゲームマスターに渡すもの、ほかのプレイヤーに渡すもので複写すべき領域を限定するようなものだと、買っても良いかもという気分になりますね。全部コピーなら、カーボン挟んで下には白紙置くだけでいいけど。

1999/01/28:TRPGが売れなくなった理由

TRPG市場が冷え込んだのは、ある意味原理的にしかたがないことであると私は考えていみます。

過去の名作が購買意欲の掘り起こしに対する強大な敵として立ちふさがっている以上、市場規模が拡大を続けていない限りは、大量生産大量消費型の生産の維持はとうぜん無理である……と。需要が一巡するまでしか大量には売れない。あとは買い替え需要と若年需要に期待するしかない、となるわけです。良いから買う、という人間は少数派で。別に買わなくて遊べるなら質はあまり問わないくらいのほうが一般的だと思いますしね。

現状のFEARの戦略はまさに若年需要と買い替え需要の両方を狙うことで、なんとか売上を維持しようというものにみえますね。古参層は買えば嬉しいが、古典的名作と同等や少し勝れている程度では動いてくれないわけで。そうなると既に存在する形態のゲームについては捨て置くということにならぞるを得ないのかな、とか思わないではないんですよねぇ。

それはまあ、正統派でゲームシステムもデータもビジュアルも「圧倒的に」勝れていて、初心者から熟練者まで楽しめるだけの奥の深さと丁寧なガイドラインを持ったゲームでも作れれば。もしかしたら売れるかも知れないとは思いますけど。作るのにえらくコスト(特に人件費)がかかりますから、大成功しない限りは大赤字で倒産でしょうね。

ちなみに、かも知れないとなるのは、個人的には正統派の傑作だと思うアースドーンの実績からは悲観的な推測しかできないってことではありますが。

もうしばらくして、TRPGに接する機会がなかったけどTRPGに興味を持つ層がある程度増えてきた時点で、うまいこと大量の人間の目に触れる媒体を利用して告知をしつつ、そのような正統派の非常に良くできた作品を投入できたとすれば……うまくいくのかも知れませんが。

1999/01/29:誘導というマスター術

ゲームマスターによるプレイヤーの誘導にもいろいろとあるわけですが。

ありうる選択肢を提示して、そのメリットとデメリットを解説するというのは、考える材料の提示ということでいいけれど。選択そのものを誘導しては面白くなくなるであろう。……というのが非常に冷静かつ公正なゲームマスター術の見地からは重要だろうけど。

選択をばれないように誘導するテクニックを身につけて利用すると、ハンドリングもシナリオ作成も楽になるし。普通に行なっていることではあるんですよねぇ。

1999/01/30:シナリオメモのノウハウ

現実にはほとんどのゲームマスターは、手元に必要事項をメモした程度のシナリオで運用しているわけですよね。

このような使うためのシナリオの整理法というものは、読んで理解するためのシナリオの書き方とはだいぶと違うところがあるわけですが。入門用にそのあたりが整理されていると便利なのかも。市販シナリオから必要事項を整理しつつ読み込むための方法とか。

むろんこのあたりはシナリオの構造やプレイスタイルによって大きく変ってくるあたりではあるから、そのあたりを明確に認識しながらでないと書きにくいかな。

1999/01/31:チャットむきルール

IRCなどのチャットで利用するのに向いたルールについて。少し考えてみました。

とりあえずざっと思いつくものをあげてみましたけど、まだまだあるとは思います。サポートソフトで対処できるだろうこともけっこうありますが。

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