TRPGな一言:1998年10月分


目次


1998/10/01:死亡とゲームからの退場の分離

死亡とゲームからの退場とは同義であるとは限らないわけですよね。

実際にいままでも、PCの死亡後もプレイヤーが関与できる方法というものは色々と工夫されてきましたけど、死亡とゲームからの脱落を明確に分離して考えることにより、いろいろと面白いゲームデザインも可能になるかも知れませんね。

1998/10/02:試行錯誤の楽しみ

いろいろと試行錯誤しつついろいろの遊びかたを試してみるというのは、たいへんに楽しいものなのではありますが。たくさん遊べる時期でもないと辛いですね。

そして、実際に色々とやってみた人間にとっては、既に試したことを繰り返すのは苦痛になっちゃったりするわけで。そのあたりで、互いに不愉快になったりというのはあるのだろうなあ。

1998/10/03:自由度重視

自由度重視ってのは、ストーリー重視ともゲーム性重視とも別の概念ですよね。どちらとも相反しやすいようなきがする。ストーリー重視ともゲーム性重視はわりと相性はいいと思うけど。

ゲームと自由度が相反するのは、制限がないとゲームとしての考えどころが作りにくいことと、シナリオをゲームとして成立させるのが困難になることかな。

ストーリーサイドからみると、逸脱を無制限に許してはストーリーラインが成立しないというのがあるわけですよね。

まあ、両者にとって問題となる部分は重なるところもあれば、重ならないところもあるわけで……。それそれにとっての自由度重視というさいの悪い面や良い面はことなってくるわけですかね。

1998/10/04:作戦を立てるためのルール

現在の戦闘ルールでは、戦闘オプションを駆使して戦うことはできるけど、作戦を立てるには非力なことが多いですよね。全くその手の情報がないわけではありませんが……。TRPG一般に、作戦を立てて実行する処理をゲームマスターに依存しすぎていると思っています。

いかんせん作戦を立てるのに必要になる情報を提供するのもGMの恣意的描写に頼らざるをえませんし、そういった計画行動の成否を決定するのもゲームマスターの勝手な判断以上のものでないようにするのは、簡単ではない。

戦術を決定するためのに必要なルールよりも、単にダメージの違いや視覚的効果などを重視しているルールが多いですよね。しかし、一部のルールでは、ある程度は再現されている単純な例はありますが

つかみ合いの部分よりも、戦闘ではそういうもの重要だと思うんですが、あんまりルールでフォローされてない。こういう作戦むけルールがしっかりしていれば、戦闘オプションはばっさり削って、戦闘ルールは簡素化しても十分面白いわけですよね。

1998/10/05:魅力的な世界設定とは

こいつで遊びたい、という強烈な欲求を起こさせるような世界設定ってのは、一般的にはどのようなものなのかな、とか考えていたりします。

わくわく感といいますかな。これをこうしたらどうなるだろう、このガジェットを使えばどんな話ができるかな。とかまあ。そういう欲求を呼び起こすような要素ってなんなんだろう、と。

小説とか読んでいて、どんどん情景が浮かび、自分の物語をつくりたくなることってありますよね。そんな感じのものも影響しているのかな。絵が沸いてくるようなもの。

その世界らしさで手軽に遊べるという意味では、新鮮な異化をうむようなキーになるネタがあると良いのかも知れませんね。その世界ならでは、な存在で、それに現実の知識から引っ張ってきたものを絡めれば、即座にその世界のものが生まれてしまうような。そういうショックを与えるような想起力のある世界を提起できれば良いのかもしれないなあ。

1998/10/06:特性が多すぎて使いきれない

キャラクターのデータとして、色々と特性があっても使い切れないとか、自分のPCのもっている特性を把握しきれないことってありますよね。戦闘オプションや呪文、特殊能力や性格表現などが最初からたくさんあると、どうしても使われない能力・つかいわすれる能力なんかが出てきていまします。とくに同人ルールだと、デザイナーには把握できても……ということは起きがちです。

実際のプレイの場において他の参加者がフォローしてくれればなんとかなるわけですが、自分のPCも把握するのが大変なのに、他人のPCまでとなると、なかなか大変ですよね。馴れた人の中に初心者を放りこむというならともかく。

こういったパラメータが多すぎて理解できない現象への、ゲームデザイン上の対策としては、

といった単純化が一番簡単です。どうせ人間が処理できるパラメータの数は限られてますから少なくするのが一番手軽なわけです。しかしまあ、単純にすると飽きがきやすいというのも、たしかでして。

デザイン時点か意外にも活用できる方法ですが、情報を整理して並べることで、ある程度分かり易くつかいわすれが起きなくすることは可能ですよね。

などの方法は、キャラクターシートを工夫することによる対処の一例です。RQなどの分野別技能なんかは、この工夫の一例でしょうね。

1998/10/07:まず存在を知る

なにかアクションを起こそうにも、相手の存在情報を得ていないと対処のしようもないわけですよね。逆に知られなければ強敵(巨大組織とか)を相手としても被害は受けにくい。

こういった知られないようにする、逆に知られないようにしているのを見破ろうとする、というのはわりとシナリオの基本構造として使われることは多いわけですね。そのあたりを考えて、情報入手回りを考えてみると面白いかも知れない。

1998/10/08:ゲームを楽しめないとき

……楽しめなくちゃゲームの意味はない。とはいえ、大学・サークルなどで人間的しがらみがあるとか、とりあえず人間がそれほど居ないとかいった理由でつまらないセッションをせざるをえないことってけっこうあるみたいですね。

なんだかなあ、という気はしますが。

1998/10/09:著作者人格権とPCのデータ

キャラクターの未来にいたるまでの設定を書いて公開しておいて、ゲームに参加して戦闘で死んでデータを書き換える必要が生じたときに、「それは私の著作権のへの侵害行為である」といわれたらどうしよう、などとお馬鹿なことを考えてしまった。

まあ特定のキャラクターじたいは著作物とはいえないし……。

1998/10/10:嗜好の固まった人間が嗜好を押しつける

遊び慣れると自分の望む嗜好が見えてきて、結果として方向性が固まってしまうことは多いと思います。

しかし、そういう方向性の固まった人が、初心者に自分の趣味を押しつけようとして、その初心者がTRPGをやめてしまうというようなことは、どうしたものでしょうかね。

1998/10/11:よかれと思った行動の結果

小説なんかでは、よかれと思って行った行動でドツボにはまったりすることは良くあって、それで盛り上げられたりするわけだけど。TRPGではそうもいかないことも多いんですよねぇ。プレイヤー感情的に。

1998/10/12:コンベンションの予約の心理

コンベンションの予約ってのは、なかなか集まらなくて困ってしまうことも多いようですね。とくに初回なんかだと、ほんとに参加者が集まるのかわからないので心配になるようです。

参加者としてみれば、本当にいけるかわからなくてあとで断りを入れるのもなんだし……とかいった心理があるのですが……。難しいところですね。

1998/10/13:シーンの簡約

ゲームとしても物語としても、メリハリをつけて冗長にならないようにするためには、適切な省略が重要になります。判定の簡略化とか、語りだけで流すことにするとか、そういった処理ですね。

このようなシーンの重要度のようなものを表現したルールは無いわけではないですが、多くの場合にはゲームマスターの判断でルールをいじって、ルールの簡略適用を行ったりするわけですよね。

そのあたりのノウハウなんかは、考えと見ると面白いのかも。

1998/10/14:成功率と判定の意図

行為判定を行わせる上で、全員が判定してだれか一人が成功すれば良いのか、全員が成功する必要があるのか、のどちらにするかというのは、ちゃんと気を使わないとたいへんですよね。たとえば1/2で成功する五人にたいして成功を要求する場合には、前者は約97%、後者は約3%。成功率がぜんぜん違ってくるわけです。

ある程度の人数に対して適用する場合には、前者は誰が成功するのかを決める判定、後者は失敗する人間を決める判定と考えた方がいいのかなあ。

1998/10/15:行為判定の前段階

現在の行為判定の概念は、基本的には特定の一人が成功したかどうか、成功したならどの程度の成功なのか、という観点から記述されていることが多いと思いますけど……。

実運用としては、まず誰が行動するのかとか、どのような手順で行動するのかとかを明確に認識する必要があるわけですよね。そのあたりも、ゲームマスターに頼らない管理方法で、色々とあると良いのかなぁ。戦闘だと時分割方式を中心としてわりとかっちりしてますけど。

1998/10/16:禁忌の使い方

その世界でなにが禁止されているのか。というものは、シナリオ作成上の有用な道具になるわけですね。たとえば殺人の禁忌とかはふつうにありますし、ほかにも宗教的・法的・倫理的な禁忌は色々と使いでがあります。

機能としては、

などなど、色々な用法がありますかね。

世界設定を書く上では、このあたりも分かり易くなってると、使いやすいのかなあ。

1998/10/17:記述されるべきものごと

ゲームを薦める上で重要なはずの情報が足りないってのは良くあることですよね。

なにやって良いのかわからない、何をやってはいけないのかわからない、何をするとどの程度の効果があるのかわからない、とあることをするためにどういう手順でものごとを進めて良いのかわからない。

わりとありがちなんだけど、そのあたりきちんと書けたルールブックって、なかなかないものですね。

1998/10/18:PCの操作の不確実性

PCがプレイヤーの思い通りにならない、というルールはどこまで許容されるのかなあ。勇気を振り絞らないと戦闘ができないとか、衝動を耐えるための判定を成功させないと酒に手を出してしまうとかいったルールのことですけど。

1998/10/19:戦闘処理の手順

戦闘処理はたいてい、一定の単位時間で時分割するものになっていることが多いようです。単位時間に一塊の行動処理するターン制や、さらに細かく分けて行動に必要になる単位時間で処理していくようなルールなんかがそうですよね。戦闘ルールはわりとバリエーション多そうに見えて、内実としては似通っているもののほうが多いような。

しかしまあ、時分割以外の表現方法も色々とあるはずなので、そのあたりを色々と工夫してみると面白いはずなんだけど……。

1998/10/20:リプレイは売れる

ヒット数とかみていても明確に良くわかることではありますが、やはりこう、リプレイの需要というものは多いようですね。

本の取次の日販の週間ランキングの、文庫部門のトップテンにクリスタニアのリプレイが入っておりまして、け辺のリプレイの法もっこう売れるものなのだなと感心したしだいであります。

1998/10/21:目に見えるデータ表現

数値的データなどについて。数値がどのていど物なのかが、目に見えて分かると自分自身にも把握しやすいし、それが他人から見ることができると、救援したりしやすくて便利ですよね。

このようなデータの可視化、ビジュアル表現的なものは、もちっと工夫されると面白いんだろなぁ。

1998/10/22:想像のためのルール

よほど巧妙に説明しない限り、経験したことのない事象を的確に想像することは困難なわけですよね。現場の危険性とかも含めて。

現状についてのイメージを共有するため道具としてのルールとしては詳細で具体的(現実的である必要はない)なほうがいいし、結果を判定する道具としてのルールとしては抽象化されて簡単なほうが扱いやすいんだよなぁ。

バランスをどこで取るかというのは参加者の知識・経験によって異なってくるとなると、デザイン上やっかいよな。ただでさえテーマで細分化されるのに。

1998/10/23:ルール適用のメリハリ

全部きっちりと同一のルールで処理することは、焦点をぼやかして印象を薄めてしまいますよね。処理の手間をかければかけるほど、その部分に意識が集中してしまいますから。

必要に応じてルールを正確に適用したり、おおざっぱな定性的な管理にとどめたりしてメリハリをつけることは、わりとよくやっていることではないかと思います。

しかしまあ、そういったテクニックがマスターのノウハウとして保持されていて、ルール上は記載されていないようでは、とくにそういうテクニックを知らないマスターにとって辛いところですよね。ある程度考慮しているシステムもなくはないけど。

1998/10/24:プレイレポートの必要性

それなりの長さのキャンペーンを動かす時には、過去のセッションでのできごとを整理して記録し、あとあと活用できるようにしてあると便利ですよね。

でまあ、それをどう記述するかってのが工夫のしどころなわけですが……。良いフォーマットとかないものですかね。とりあえず、人間関係とか財産の変化についても記録しとくといいのではないかということを思いつきましたけど。

1998/10/25:掛け合いの補助

キャラクターの個性を演出するには、アクションとリアクションが必要だけど。それが意図どうりに機能するとは限らないわけですよね。

そのあたりを軽減する方法として、お約束とか世界についての知識とか、性格づけの記述のルールとかがあるのだろうけど。

1998/10/26:プレイヤー向けサポート

ゲームマスターしか買わないからサポートとしてのシナリオやなんかが売れない……というのであれば。プレイヤーがサポートを買いたくなるようにできないかなぁ。

より強くなれるサプリメントを出して、買ったらそのプレイヤーだけが使える、というのも一手ではあるけど。インフレしてしまい収拾がつかなくなったら破棄して新ルール……とかいうのも、あまり嬉しい感じではないしなあ。

1998/10/27:集団の処理

集団であることから生じる力を減殺するための行動なんかがルール的に処理できると、暴動鎮圧とかの再現ができるので面白いかも。

分断、指揮統制の破壊、士気の減殺とか。

1998/10/28:ゲームマスターの多すぎる業務

ゲームマスターがセッション自体の進行管理とシナリオ進行の管理とを両方するのはたいへん手間がかかることではあります。これをなんとかできないものかなぁ。

セッションの進行管理のうち、マスタリングに大きく関る部分はともかく。場所の用意やら必要な道具類の購入・準備なんかまでがゲームマスターの負担になっていると、ただでさえたいへんなのに……ってことになって敷居が高くなるんですよねえ。

1998/10/29:趣味にかける労力

趣味に必要な労力ってのは、いろいろと難しい。

労力をかける作業自体が楽しい人間にとっては、それをしないこと自体が理解できないようで、その努力をしないことを非難したりするわけだけど。見ていてあまりいいものではないんですよねぇ。

まあ投入した労力に見合った成果が得られると思わなければ、労力をかけないでしょうから……。どれだけ魅力を提示できるかだよなぁ。

1998/10/30:失敗を楽しめるルール

基本的な判定システムが、成功するか否かであり、せいぜい成功したらその程度がどれだけであるのか、ということくらいしか表現しないシステムはけっこうあります。しかしまあ、失敗の表現こそ、多彩であると色々面白い。

……などというとファンブルのルールは、となりますが。いっそ失敗はすべて、特殊効果をもたらすくらいのほうが派手でいいかも……などと思ったしだいであります。

成功すればそれはそれでよし、失敗すれば失敗したなりに事態が転がって、物語が大きく動くとかってのは、わりとありがちなストーリーですからね。とくにPCがそれなりに強いヒロイックなものとか、かかわる事態が致命的でないようなほのぼのとした話とかでは、失敗をうまく活かせるようにしてあると、楽しそうな気がします。

1998/10/31:マスターの楽しみ

ゲームマスターは、それはまあ自己満足的に楽しむこともできなくはないけど、準備とかを考えると非効率的なわけですよね。

やはりこう、創作一般と同様に、誉めてもらえることが励みになり、楽しんでもらえているという手応えが報酬となる、というのが一番嬉しいのだろうか。しかしまあ、この楽しみってば、ゲームを遊ぶことの楽しみとは、ちょっと違うんだよなあ。

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