TRPGな一言:1998年09月分


目次


1998/09/01:TRPGとマナー

むろん最低限のモラルを守るなどという意味での協調はどのゲームにも必要なものではあるのだが、TRPGではそれがとくに強調されるだけの原因・理由があるのだろう。それはなんなのだろうか。

会話によって進行されること、プレイヤー同士が対立しなくてもいいこと、架空世界の共有には意識の共通化のための対話が重要であること。なんかが原因になっているのかな。

1998/09/02:変更可能性

性格づけの固さ……つまり変更可能性や柔軟さは、非常に重要な問題です。変らない人間ばかりの物語でもつまらないだろうし、ころころ変るのも面白くないでしょう。

これを、死なない人間ばかりでも面白くないし、ころころ死んでも面白くないというふうに言い換えることも可能ですかね。死は、ある方向では究極の人間の変容だということもできますよね。

……ふむ。ゲームとしても物語としても、データの変更可能性の程度を、うまいところに置くというのが面白くするコツなのだよな。そのあたりの変化の可能性とか過程とか段階づけを、どう表現するのがゲームデザインとして重要である。わけですね。

1998/09/03:法的制限とゲームシステム

PCの行動を制限する大きな要素として、社会的圧力・慣習・法規というものがありますよね。無法地帯で暴れ回るというような世界設定であればともかく、そうでなければそれなりの法体系と、やっていいこといけないこと、やってはならないことを行ったときの発覚率や発覚した際の不利益、発覚しにくくするための方法などがあるわけです。

しかし、これらについてきっちりゲームシステムとして表現できているかというと……そうではないわけですよね。武器の隠匿あたりはともかく。その他は参加者の知識に基づく暗黙の了解によって規定されてしまう。

むろん現実の法体系のようにかっちりと整備するのは不可能としても、ゲーム要素としての法的制約をルール的に記述できるスマートな方法があると、面白いのかも知れません。やはり社会的信用度とかいったパラメータがあるのだろうか。

1998/09/04:プレイ環境によるプレイ回数の違い

プレイ環境によるプレイ回数の違いによって、経験値システムの難点というか、そのゲームシステムの限界が出ることってありますよね。

そうでなくても、毎日遊んで数十回を比較的簡単にあそべるような環境と、一年数回の環境とでは、経験点のありがたみとか、成長の度合とかが違ってくるというもので。そのあたり、同じシステムつかっていると苦しいことって、ありますよね。

これを単純化すると内輪の長いキャンペーンとコンベンションでの一回ものとの違い……ってのになるわけですが、それほど極端でなくても、けっこう難しいとこですよね。

1998/09/05:PCの死とリカバリ

TRPGには、一般にはプレイヤーはPCが死亡すると、もう関与できなくなってしまうという問題があります。

対策としては、PCが死ににくいゲームシステムにする、さっさとPCを作りなおしやすいゲームシステムにする、マスター裁量で序盤はごまかす、死んでも次の代用品が用意されているなどがありますが……。一回のシナリオ時間を短く押さえるってのは、いろいろと良い手ですよね。

……いっそのこと、たくさんのPCを用意してシーンごとに適当なものをぶち込んでつかうというのも面白いのかも。

1998/09/06:マスターが弱点をつく

認識すること、行動することに時間コストを払うというゲームシステムを作ったとして。準備することで時間コストを払わずに行動できるとします。

準備とは偏らせることである、と考えると、準備によって不利益もあるはずなわけで。……しかしゲームマスターはその不利益をついて良いのかってのは、いつも問題になりますよねぇ。やはり弱点看破の能力のチェックとかがあると納得させやすいのだろうか。

1998/09/07:行動のための情報の取得

最初に情報は全部分かっていて、あとはそれを勘案して良い手を探すのでは駄目なのか……と考えてみて。やはり情報を得るためにもリスクがあるほうが、不確定性が増して、最適解が見いだしにくくなるのはたしかですね。

んでまあ戦場の構築においても不確定性の霧……敵の位置や武装・能力・戦術・準備について不明なほうが面白いと。だから知識判定とかがあるわけだな。しかし、敵の能力は今でも明確なデータだけど、戦術とか退去のキー――取り引きとかとか士気崩壊とか)については公正なゲームとしては、かっちり規定されていたほうが嬉しいんだよな。プレイヤー側には提示されないとしても。となると、やはりこう、交渉まわりや行動の結果やリスクを予測するための情報収集については、もっとルールがあると便利だよな。

1998/09/08:ルールをもって自分の意見を強要する

ゲームルールを意志を押しつけるための道具として使う。その是非。

観察の成果として、ゲームルールを自分の意志を押しつけるための道具として使うという傾向が見聞されております。法律を盾に自分の利益になるものごとを迫るようなものですな。具体的には、気に入らない設定を潰したり、自分のPCだけを活躍させたり、他のPCをたたきつぶしたりするのに、ルールを笠にきるというようなものです。んで「ルールに○○と書いてあるじゃないか」と言うわけで。マスターがこれやることもあるよな。

実際問題としてゲームルール的には正しいこの行動ですが、遺憾ながら他の参加者には反感を買いまくる傾向があるわけです。

もちろんゲームルールをごりごり読み込んで有利に働きかけるってのはゲームの醍醐味。しかし……他の参加者に不快感を与えるとこまで行ってしまうと、演技に熱を入れるとか、現実の事実をもとにゲームシステムを非難するとかいった方法で、自分の意図をむりやり押しつけるのと本質的には変らんような気もするんだよな……。

1998/09/09:伝達手段としての演技

演技にせよなんにせよ、PCの行動を適切に他のプレイヤーに伝達するための技法の一つである……と考えることができる。この行動の動機づけが利益誘導だろうと役割分担的機能を果たすためだろうと、PCの内的動機に基づくものであろうと、伝達するための方法を必要とすることにはかわりがない。

さて、単調に説明するだけでも意味を伝達しようとすることは可能である。しかしメリハリもない説明などは、理解してもらいにくいし把握しにくいのが人間というもの。退屈な授業が頭に入らないように、演技なり口調なり身振り手振りなりで適切にメリハリをつけない説明が、目立たず理解されにくく、結果としてPCを効果的に行動させにくいのは致し方ないことである。

ここで重要なのはその目的が適切に行動を伝達するというところにあるということである。そのため、他の参加者を引かせるような過剰演技などは、相手の理解力を停止させて行動を理解されにくくなるという一点をもっとしても、不適切であるということができる。また同様に、ただひたすら宣言するだけというのも、他の人間の聞き取り能力を麻痺させるという意味では、同様に伝達という目的を達するためにはあまりよろしくない方法だといえよう。

……まあ、偏った方法しかできない人間ってのもいるとは思うけど……。

1998/09/10:行動のルール的記述

行動の結果・リスクが明確に理解できないと、ゲーム的判断はできんわけですけど。今のところ、戦闘以外ではそれが設定についての知識とか類推とか現実についての知識に基づいた、暗黙の了解に頼るところが大きいわけですよね。だからまあ、行動のもつ危険性とかがわかりにくくなる。

そのあたりを改善したいよなあ、というわけで、ルール的にもっと広い意味の行動の手順とその結果についてのルール的処理を考えてます。たんに成功するかしないかだけでなくて、成功した結果としての副作用とか、失敗した場合の再挑戦とか、リスクとリターンのバランスとか、そういったものを提供したいなあ、というわけです。

1998/09/11:世界設定のもつ諸機能

ゲームシステムに押せる世界設定の効能とはなんなのだろうか。というのをもっと整理してみたいとは思う。

なんというか抽象的な表現だけど、行動を制限し、目的を達成するのに一定の手順とリスクを必要とすることで、ゲームを構築するための大枠と小道具の提示……なのかな。

なにができてなにができない、なにをしたらどうなるのか、といった因果法則・世界法則が大枠となって。細かい行動とそれによる結果を取得することを可能にする小道具を提供するとか。

抽象的かなぁ。うーむ。シナリオ上のゲーム要素としての絶対の制限と程度のある制限を提供して、制限を部分的に乗り越えるための方法を提示するってことなんだけど。……うーむ。

1998/09/12:問題解決遊び

解くべき問題・課題を明確に提示して、使える能力、可能な行動とそのリスク・リターンについての情報をあらかじめ提示しておく。そこから、なにを選ぶかを考える。そして決めた行動の結果の手応えを喜んだり悲しんだりする。こういう基本的な部分での楽しみだけを特化して、回数をこなすようなものがあると、入門用にも便利なのかな。と、最近思ってます。

戦闘テストプレイだけを繰り返して楽しむのと似たようなものではありますが、それを交渉とか事前準備とか罠とか仕掛けとか詐術とかを含めて、遊んでみたいなというわけです。

こういうそのシーンだけできっちりと行動を考えたりして、楽しめるくらいの情報が提供できないというのは、ゲームシステムのゲームを構築する道具としての能力が、力不足なんだろうな。とはいえ、たいていのゲームシステムでは、けっこう厳しいような気がします。

……というわけでまあ、語り部でもいろいろと考えてみてます……。

1998/09/13:嫌な相手の嫌な理由

リストアップしてたら一言って感じでなくなってしまってますけど……。なんというか、嫌な相手ってのはけっこう居るらしいのね。チャットで聞いてると。どんなプレイヤーが困った例として上げられるかというと、たとえば

のは嫌われるわけですよね。なぜ嫌われるのかを冷静かつ率直に、きれいごとではなくて欲望をベースに考えてみますと……

……といった他のプレイヤーの欲求に反したり、忌避感に触れてしまうからではないかと思うわけです。まあ、どの欲求が存在してどの程度強いかは人によるわけですが。……他にも、

といった欲求もあるんでしょうな。

んでまあ。こういった嫌な行動・存在とのあいだの不協和をどう処理するかには、原理原論を守れば対処できると考えるとか、参加者の間の対話によって解決できると考えるとか、住み分けでリスクを減らせば別の方法で対処できるだろうという考えとか、とりあえず追い出すとかいった対処とかがあるわけなのかな。

1998/09/14:多様な欲求が同居できてしまう遊び

TRPGとは、多様な欲求――遊びたい動機づけ――をもった参加者が、一緒に遊べてしまうという遊びなのであるようですね。たとえば、

などなど。でまあ、どの欲求でも利己的に過ぎず、他者の楽しみをおかさないのであれば、共存できるわけですけど……。

1998/09/15:死亡以外の不利益状態

PCが少なくともゲーム終了時までは死なないからといって、ゲームとして面白くなくなるとは限らないですよね。

死亡以外の不利益状態について、マスターの工夫に頼らないルール的記述が少ないと、死亡のリスクの重要性は高くなるのではないかな、と思います。

社会的・肉体的・精神的・状況的な不利益なんかについて、いろいろと考えてみると面白いのかも。

1998/09/16:ゲームデザインは誰にでもできるものではない

ゲーム的に面白いシナリオを作成するというゲームデザイン行為ってのは、確かに挑戦しがいのある課題である。しかし、それができる人間がどのていど居るというのかというと、いささか不安にならないでもない。

マスターのできる人間をどしどし減らして、結局遊べる人間を限定してしまう可能性はなかろうか。

……しかしまあ、現状の語り部もゲームデザイン適性がないとマスターができんようなルールだからなぁ。

1998/09/17:定義の説得力

ゲームプレイヤーたるもの、欲求を適切にコントロールして他者との擦り合わせをする必要があるわけですよね。そうしないと、自分の欲求自体が否定されてしまいますから。

これが○○だ、という定義やらを持ち出してそれで相手を封殺して自分の望むままにゲームを展開させるというのは、その中でもっとも単純な方法の一つです。……がしかし、他者からの感情的反発を招きやすい方法でもありますね。

やはりこう、定義で押せるのは定義自体に納得できる人間の間だけでないかなぁ。

1998/09/18:ゲームシステムによるプレイスタイル提示の限界

チャットなんかでの論議を見てますと、人によって同じゲームへのコンセプトの把握ってのは、ぜんぜん違うようなのですね。最終的に提示しあえば擦り合わせなり、その場での合意なりはできるみたいですけど。

こういう事実を目にしてると、ゲームシステムがプレイスタイルを規定できるとトップダウンに考えるのはデザイナー側としてもあんまり期待すべきではないようですね。典型的なプレイスタイル(もしくはより単純に欲求とその表現)ごとに、ゲームシステムとの整合性について考えるとかしたほうが、有効みたいなかんじですね。

1998/09/19:勝つことに固執する問題

どうしても勝ちたい、負けたくない。そんな感情の度が過ぎて友人関係が壊れてしまう……とか勝てないからもうやめた、といったものは、どうしたものなんでしょかね。

TRPGでは起きにくい……と思うかも知れませんけど。シナリオはバランスをとってかっちりと作り、マスターとプレイヤーがフェアに対決するようなスタイルとかですと、こういうことも起きるわけなんですよね。

1998/09/20:ランダム性の機能

ランダム性には

がある。と最近は考えとります。他に機能はあるのかなぁ。

1998/09/21:慣れた人間はどう見られているのだろう

なんというか、熟練して練達の技をもち、かつ多彩な楽しみかたをしているような慣れた人間ってのは、まだまだTRPGをはじめたばかりの人からみると、どう見えるんでしょうかね。

今回は濃い人間が居なくて気楽に楽しめた、とかいう言説を聞いたりすると、なんかね。

1998/09/22:ランタンの明るさ

停電で広範囲に真っ暗な夜、自転車で出かけてみて発見したことの一つに、ランタンの明るさがあります。

外にランタンを持ち出しておしゃべりしている人々が居たのですが、これがなかなかに明るい。懐中電灯のたぐいとは比べ物にならないくらいでした。自動車のハイビームにはかないませんが、遠くからも明かりがぽつねんと輝いているのが良くわかったのでありました。

昔のものは、もちっとくらかったでしょうけど、それにしてもあれは目立ちますなぁ。しかし、そういう「目立つ」ことの不利益は、てきとうにマスターが処理することは多いけど、ルールブックには書いとったかなぁ……?

1998/09/23:当然のこと……

なんども遊んだり、考えたりして、自分にとっては当然に思えるような設定の理解やルールの運用方法、コンセプトの解釈やゲームの展開手順が、他人にとっては当然ではない……。

まあ、あたりまえのことなのですけど、その当然意識ってのを持ってると、熟練者側としては自分が正しいと思ったまま、プレイ中の知識や行動計画における齟齬として出てきてしまう……。難儀な話ではあります。

1998/09/24:デメリットを提示させる

プレイヤーの行動提案で、行動結果としてメリットばかり期待してしまうから、マスターがデメリットを返すと不満がでることもないではないですよね。冷静に考えればデメリットがありうると分かっていても、感情的に「せっかく考えたのに」ってのはあるわけで。

そのあたりの解決として、プレイヤーには同時に、メリット相応のデメリットも考えさせるというのはどうかなぁ、などと考えています。

待ち伏せであれば、それらしい場所だと分かっていれば先手を打って狙い撃ちされかねないし。嘘をついて騙せば、あとで嘘だと分かったときには相手は自分を信用しなくなる。などなど。

まあ、システム的にデメリットの記述のフォローがないと辛いかな。

1998/09/25:成長と死亡率の変化

せっかく成長させたPCが、不慮の事故で死んでしまうのはだれしも嫌なものではあります。とくに成長させるのに長い時間をかけてきた場合には、損失の心理的なダメージは大変大きい。そこでついつい救済措置をしてしまいがちではないでしょうか。

しかしまあ、シビアなゲームとしては、死亡率をそれなりに確保したいものではあるわけで……。

単純な対策としては、低レベル時には死にまくりな戦闘ものを、レベルが上がると死ににくいストーリーものを遊ぶ……とかいった手になるのかなぁ。

たとえストーリーが分岐がたくさんある複雑怪奇なもので、ゲーム的にシナリオが設計されているとしても、いや巧妙かつ複雑なゲームデザインがなされていれば居るほど、重要なところ以外では死なせにくくなりますからね。重要な場面での死であれば、納得感が高くなりやすいでしょうし。

1998/09/26:偽情報の使いこなし

なんといいますか、偽情報はうまく使わないと、プレイヤーが偽情報にこだわってしまって進行しなくなってしまったりしますよね。また、偽情報を下手に信用されると、ルールによっては簡単に全滅するわけで。

偽の情報をプレイヤーに提供するときには、普通に情報を提供するよりもさらに、あらかじめ検討・配慮が必要になってくるのかも知れません。

偽情報がどのような効果を狙っているのかを検討して、プレイヤーにとってアンフェアに感じられないような使い方をする……このあたりには、色々とノウハウがあるように思います。

1998/09/27:TRPGの優位点はいいかげんさにある

ルールに則ってルールでできることだけやるなら、ルールについての知識のみを共有するだけでいいけど。ルールに則って純然たるルール運用だけで遊べるようにするなら、コンピュータにやらせればより高度にできうるんですよね。

TRPGの優位性は、コミュニケーションの小道具、積み上げられる自分たちだけの物語、ルールで規定されない計画を立てて実行することができる、そのあたりによって、公正なゲームを上回るものをたたき出さんと出てこないのかな?このあたりってのは、人間の手によるいいかげんで共有知識にたよった処理の効能がでてくるとこだけど。

1988/09/28:ファンタジーRPGの課題や手順の多さ

つらつら考えてみるに。ルールに直接的には記述されていないような、PCへの課題や問題解決の手段なんかが、ファンタジーRPGではたくさん蓄積されているような気がします。

これはまあ、歴史が長いため、色々と工夫されてきたせいなんでしょうね。

とはいえ、そのあたりのノウハウの蓄積なりがないと分け分からんことになるのですよなぁ。

1988/09/29:戦闘は必要なのか

はたして命を奪う戦闘のないセッションは面白くないのか。……そんなことはないわな。戦闘のないシナリオなんざ、ごろごろしているし。

しかし、戦闘のないシナリオでは汎用判定以外のルールをまともにつかう機会はろくになかったりしないでもない。戦闘ルール以外の、葛藤の解決方法を持つルールを仕立てると便利そうですね。

1998/09/30:動機づけとシステム

PCをシナリオにどう絡ませるのかというのは、テクニックとしては色々とあります。まあ設定を生かして当事者にするのか、依頼型にするか、巻き込まれ型にするのかあたりですよね。

この動機づけをどうシステム設計に取り込むかってのは、ゲームシステムのデザイン上の重要課題ですよね。

……しかしまあ、かっちりゲームシステムにコーディングしすぎると、たとえば正義の味方しか遊べないとか、そういうことにはなるわけで、一部のヒトには「自由度が低い」といわれてしまうのでありましょう。まあ、遊びかたにむいたシステムを選べばカタはつくけど……。

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