TRPG総合研究室 LOG 102

TRPG総合研究室の2002年06月09日から2002年06月29日までのログです。


2002年06月29日:10時22分44秒
【複雑性の比較ゲーム分析】複雑な判断 / トモス
myrtさんの直前の(6月22日づけの)投稿へのお返事です。 長大な文章になってしまいましたが、相互に独立した4つの投稿になっています。はじめに、プレイヤーとGM(デザイナー)の想像力がうまく擦り合わされると、TRPGを推測のゲームとして遊ぶことができる、myrtさんの投稿の論点をより一般化して、TRPGでは、ある複雑な判断がうまくできた場合に、推測のゲームが成り立つ、と言い換えます(投稿タイトル「複雑な判断」)。次に、その一般命題がマインスイーパーと将棋にあてはまることを示し、ゲーム一般について、中長期的な戦略を立てることや、最終的な勝利条件達成のためのステップとして中間目的を設定することが、複雑な判断を要求する傾向にあると論じます。(「将棋とマインスイーパーにおける複雑性」)。第3に、この議論の背景経緯をまとめなおし、その議論の帰結が、将棋もマインスイーパーもこれまで漠然と考えられてきたような形ではゲームになっておらず、TRPG同様ゲーム性のはっきりしないものであることであることを確認します。この部分がまとめと結論になっています(「中間目的問題と複雑性」)。その結論に自分でもやや驚いた為に、議論の前提を改めて検討してみて、反論を考えてみました。それが最後の投稿になります。将棋やマインスイーパーが本当にゲームではないのか、という問いに対して、幾つかの異なる回答が考えられることを示します。(中間目的設定のゲーム性)

0)はしがき いろいろ考える内に、これまでの議論の前提に多少疑問を抱くようになりました。疑いたい前提は「マインスイーパーは(これまで議論してきたような意味での)ゲームとしてプレイされている」というものです。それから、将棋についても同様の疑義を投げかけることができるように感じます。これは言い換えると、「これまでのゲームの定義が不適切か、その定義に従えば多くのゲームと呼ばれる遊びは実はそれほどゲームになっていないか、2つにひとつなのではないか」という疑問です。

1)引用と言い換え

myrtさんの投稿からまずは重要部分を引用します。やや長くなりますが。

>>やや粗削りですが、未公開部分を推測するゲームがプレイできるのは、次のような条件が満たされている場合だと言えそうです。

A)「ゲーム核の可能性の総体」が有限である(か、無限であっても単純な法則に沿ったヴァリーエションとして把握できる)。
B)事前に与えられた情報からプレイヤーが論理的に想定できる総体も、有限である。
C)与えられた手がかりによって、「ゲーム核の可能性の総体」が絞り込めるような仕組みになっている。
D)絞り込んだ「ゲーム核の可能性の総体」は手の選択に際して参考になる。 <<

>>これら条件の頭に、「人間であるプレイヤーにとって」を追加することを考えます。A)とB)の条件を満たすが、その人間には把握不能な規模のシステムを与えれば、C)とD)を満たすことができず、そのシステムをゲームとしてプレイすることができません(運試しシステムとしては楽しめるかもしれない)。<<

>>逆に、理論的にはゲーム核の相対が無限であっても、プレイヤーとデザイナーの想像力の共通性(逆に言えば制限)のためにC)が実現できる場合が考えられます。無限から無限への絞り込みですが、その絞り込みによりD)が実現できるのであれば、それはゲームのプレイのために十分であると考えられます。このC)とD)はTRPGをゲーム的に楽しむことに成功しているサークル内では実現されている特性であり、経験的にはA)とB)を満たしていなくても満たすことができる場合があるように思われます。<<

上に引用した部分を次のように短く言い換えてよいだろうと思います:

ゲーム核の可能性の総体が人間の想像を超えるものであれば、それが有限(可能な局面数が有限)であっても、ゲームとしてプレイできる保証がない。逆に、無限であっても、当事者間の想像力の共通性から、ゲームのプレイヤーやマスターによって取り扱われる局面が一定範囲内に留まるとしたら、ゲームとしてプレイできる可能性がある。

ここでゲーム成立の前提条件となっている「想像力のシンクロナイズ」を、もう少し一般化してみます。

当初は、「プレイヤーとマスターの想像力が一致する保証がないのだから、それが偶然一致した時にゲームとして成立する、つまり、運試しに成功するとゲームが成功するようなもの」という立場も考えたのですが、実際には「想像力の一致」は単なる偶然とかまぐれではなくて、ある程度は努力の反映なので、「複雑な判断力を伴う作業」の結果だとしておきます。複雑な判断力を伴う作業というのは、明確な定義と単純な論理的判断の積み重ねでは達成できない作業で、常識のような曖昧さを含んだ、それ自体明確には説明しきれないような知識を利用します。例えば他人の想像力について推測し、それをシンクロナイズするような作業はそれにあたり、また、お膳立ての作業の多く(実装の作業)は多くがそのような判断力を必要とするものになっていると思います。(これまでTRPGのゲームとしての特徴を議論する際に何度か用いた「複雑性」の概念を今度は実装(お膳立て)の作業を特徴づけるのに用いた形になっています。)

もう一度まとめると、TRPGを推測のゲームとしてプレイするには、参加者間の想像力のシンクロナイズ(プレイ前であれ、プレイ中の調整であれ)という複雑な判断(を伴う作業)の成功が必要になります。それが成功すると、与えられた手がかりからGMが狙ったような確信や疑問を得ることになり、「GMも想定していなかったような手がかりの解釈のも念頭においていたために、与えられた手がかりからは未公開部分がきちんと推測できる余地がなかったし、行動を決定する際にも参考にならなかった」などという事態も避けられます。
2002年06月22日:23時13分52秒
【比較ゲーム分析】Re:推測ゲームの成立条件 / myrt
(Re:2002年06月21日:21時29分24秒【比較ゲーム分析】推測ゲームの成立条件 / トモスさん)

便宜上、無断でアルファベットを大文字に変換している部分があります。引用部分を勝手に加工して 申し訳ありません。
>>やや粗削りですが、未公開部分を推測するゲームがプレイできるのは、次のような条件が満たされている場合だと言えそうです。

A)「ゲーム核の可能性の総体」が有限である(か、無限であっても単純な法則に沿ったヴァリーエションとして把握できる)。
B)事前に与えられた情報からプレイヤーが論理的に想定できる総体も、有限である。
C)与えられた手がかりによって、「ゲーム核の可能性の総体」が絞り込めるような仕組みになっている。
D)絞り込んだ「ゲーム核の可能性の総体」は手の選択に際して参考になる。 <<

 優れた分析であると思います。この条件をC)とD)だけに絞ることにより、「TRPGにおけるゲー ム性」にこの概念を拡張することができるのではないかと考えています。

 これら条件の頭に、「人間であるプレイヤーにとって」を追加することを考えま す。A)とB)の条件を満たすが、その人間には把握不能な規模のシステムを与えれ ば、C)とD)を満たすことができず、そのシステムをゲームとしてプレイすることが できません(運試しシステムとしては楽しめるかもしれない)。
#より賢い人間や、コンピュータなどを併用することによりゲームとしてプレイできるかもしれない。

 逆に、理論的にはゲーム核の相対が無限であっても、プレイヤーとデザイナーの想像力 の共通性(逆に言えば制限)のためにC)が実現できる場合が考えられます。無限から無限への 絞り込みですが、その絞り込みによりD)が実現できるのであれば、それはゲームのプレイの ために十分であると考えられます。このC)とD)はTRPGをゲーム的に楽しむことに成功している サークル内では実現されている特性であり、経験的にはA)とB)を満たしていなくても 満たすことができる場合があるように思われます。

 あるいは、いくつであるかを数えることはできないにしろ、A)とB)が満たされていると みなすべきかもしれません。この場合その「有限」を縛るのは、参加者の想像力の限界で あると考えられます。

>>5)推測ゲームが困難になる原因 再定式化 <<

>>」 c)「お膳立て(実装)のための意志疎通、理解の共有が他のゲームよりも難しいこと」は、「お膳立て(実装)のための意志疎通、理解の共有が難しいために、ゲーム核の可能性の総体が不明確であること」に置き換えられそうです。

前回と同様、a)かc)のどちらかの条件が満たされる時、推測のゲームは困難になりま す。b)は付帯的な条件だと言えます。 <<

 繰り返しプレイはc)の類の困難性(CRPG的なデザイナーの意図理解にも有効であるから イコールでない)を緩和するための一手段ですから、TRPGの場合はb)(1回きりプレイあるいは 推測の役に立たなさ)はc)に吸収されると考えて良いと思います(c)を緩和するには他の手 段も考えられる)。

 c)がCRPGとどう違うか考えてみます。CRPGの場合も、デザイナーとプレイヤーの意志疎通や 理解の共有はTRPGと同様に困難です。しかしCRPGの場合は、デザイナーはプレイヤーの理解度 を想定こそするものの、プレイ前に有限な実装を完成させてデザイナーの考えるゲーム核を固 定してしまいます。ところがプレイ中には同様にプレイヤーはこのゲーム核の特定が困難で あるために、TRPGと似たような感覚に陥いることがあります。

 しかしここで、ゲームブックGMを考えてみます。TRPGのマスタリングスタイルには幅があり、 極端な場合にはゲームブックをそのまま読み上げる方法もTRPGではないとは言えません。 D&Dベーシックセットのサンプルシナリオの前半はまさにそのように作られています。 単純にゲームブックのほうが通常のTRPGよりもゲーム的なプレイが容易であるなら、ゲーム 的プレイを好むGMは毎回そのようなシナリオを作ってこれば良いはずです。

 そうでないのは、ゲームブック形式のシナリオでは条件C)とD)を満たせないが、TRPG独特 のマスタリングを行えばこれを満たせる場合があるからではないでしょうか。

 ゲームブック では状況説明は読み上げただけで終了ですが、TRPGではプレイヤーがGMに追加説明を求める ことができます。どこまで説明が必要かを100人のテストプレイヤーに聞くよりも、 実際のプレイヤーに質問させたほうがてっとり早い場合があることは容易に想像できます。 これにより、C)が満たせる場合が考えられます。

 同様に、ゲームブック形式では戦略が選択式です。その中からどの戦略を選べば良いか さっぱりわからないときでも、新たに戦略が提案できてそれが有効であることがわかる なら、D)を満たすことができると考えられます。TRPGの場合、プレイヤーが新たな戦略 を考え、GMがその有効性を認めたことを確認してからその戦略を選択できる場合があります。

 ところが以上の例はあくまでも考えられるだけで、保証されるものではありません。 トモスさんが示されたとおり、A)とB)の条件が満たされていることを示すことが できないために、C)とD)の条件が満たされる(あるいは満たされな い)ことを示すことが困難であると考えられます。
2002年06月21日:21時29分24秒
【比較ゲーム分析】推測ゲームの成立条件 / トモス
(直前の投稿からの続きになっています。)

3)マインスイーパーの変種

局面変動規則がわからない場合は推測のゲームが困難だ、という考え方をもう少し詰めてみます。

マインスイーパーで、数字の代わりに8色の色が用いられていて、その色が事前に公開されているとします。但し、どの色にどの数字が対応するのかは明らかにされていません。これは難易度が高いですが、推測のゲームとして成り立つ可能性があります。「これまでの色の分布から、赤は1だとわかる。そうすると青は2か3のどちらかだということになる」というような形で色と数字の対応関係を推測し、更にそこから「青が2だったとしても、3だったとしても、このマスは地雷が埋まっていることは確定だ。」などと地雷分布についての推測もして行きます。

更にもう少し複雑に、「10色ある内の7色が用いられ、7色の内の1色は数字の4と5の両方に対応する。どの色が用いられるかはプレイの度にランダムに決まる」という風になっていたとしても、推測のゲームとして成り立つ可能性があります。かなり運試しが多くなりそうですが、原理的には、場合分けと確率計算の併用によって、「この色が1である可能性があるか」「この色が2である可能性があるか」などと検討して行き、検討の結果、「手持ちの情報から考えられる地雷の分布パターンと、色と数字の対応パターンの組み合わせは全部で3254通りあるが、その内4通りしかこのマスに地雷が埋まっているものはないので、ここをクリックしてみることにしよう」などと手を決めることができます。

4)推測ゲームの成立条件 定式化

やや粗削りですが、未公開部分を推測するゲームがプレイできるのは、次のような条件が満たされている場合だと言えそうです。

a)「ゲーム核の可能性の総体」が有限である(か、無限であっても単純な法則に沿ったヴァリーエションとして把握できる)。
b)事前に与えられた情報からプレイヤーが論理的に想定できる総体も、有限である。
c)与えられた手がかりによって、「ゲーム核の可能性の総体」が絞り込めるような仕組みになっている。
d)絞り込んだ「ゲーム核の可能性の総体」は手の選択に際して参考になる。

「ゲーム核の可能性の総体」というのは、「今プレイしているこのゲームのゲーム核はもしかするとAのようになっているかも知れない」と論理的に想定可能なゲーム核Aの全てのバリーエーションを要素とする集合です。

「ゲーム核」は全ての局面と、そのつながり(どの局面からどの局面に移行できる/させられる可能性があるかの関係)からなるネットワークとして描ける、ゲームの主要な仕組みです。(以前の議論で用いたゲーム核の概念と同じです。)

「局面」は、ゲームに関わる全ての変数のとりうる値の組み合わせによって定義されます。可能な組み合わせの数だけ局面があります。

ゲーム核の総体が絞り込めるのは、例えば、あるマスをクリックしたら1という数字が出てきたために、その周囲のマスの地雷の分布が実際にどういう設定になっているか(ゲーム核の諸可能性)の内、幾つかが「今回のプレイについては、他の情報と照らし合わせるとこれはありえないとわかる」という形で否定できる時です。

そして、「ゲーム核の可能性の総体」が有限であるのは、次のような場合に限られると言えます。

a-1)実際にゲームに使用されているか、使用される可能性のある変数が全て明らかにされている。
a-2)それら個々の変数のとりうる値の範囲が、全て明らかにされている。

プレイヤーにとってのゲーム核の可能性の総体が有限であるのは、次のような場合に限られます。

b-1)ゲームに使用される変数か、その候補の全てについて知らされている。
b-2)個々の変数のとりうる値の範囲について知らされている。

上に議論したように、「複雑な世界のシミュレーション」になっているゲームは、ゲーム核の可能性の総体が無限にあります。CRPGやゲームブックのように「複雑な世界を単純化したゲーム」も、プレイヤーはどの変数がゲームに用いられているか見当がつけられないために、想定できるゲーム核が有限になりません。マインスイーパーの変種をどのようにスタンダード版と違っているのか知ることができないままプレイする場合もです。

これに対し、スタンダード版のマインスイーパーは、どのマスもクリックしていない時点をとっても、既に地雷や数字の分布のパターンは有限です。数字の代わりに色が使われていても、その対応関係の可能な組み合わせは有限です。上に挙げたようにある色が2つの数字に対応している場合などでも。

そうすると、「この色がここにある」ということから「地雷の分布はAではありえない」「このマスには地雷があるかも知れないが、可能性は低い」などということがわかります。

5)推測ゲームが困難になる原因 再定式化

ここから更に、推測ゲームの困難さの原因についての再定式化をしてみます。こちらも粗削りですが。直前の僕の投稿の冒頭に挙げた3つの条件を、次のように置き換えられると思います。

a)「複雑な世界のシミュレーション」は「ゲーム核の可能性の総体が有限でも単純でもないこと」と置き換えられます。

b)「1回きりのプレイであること」は、6月17日20時の僕の投稿(【比較ゲーム分析】消費ゲームの定義をめぐって)から、次のように置き換えるのがよいと思われます。「1回きりのプレイである。または、複数回プレイによって具体的な設定内容についての情報を得ても、それが未公開に留まっている部分を推測する際のゲーム核の可能性の総体の絞り込みに役に立たないこと」

c)「お膳立て(実装)のための意志疎通、理解の共有が他のゲームよりも難しいこと」は、「お膳立て(実装)のための意志疎通、理解の共有が難しいために、ゲーム核の可能性の総体が不明確であること」に置き換えられそうです。

前回と同様、a)かc)のどちらかの条件が満たされる時、推測のゲームは困難になります。b)は付帯的な条件だと言えます。

また、c)はTRPGについてはあてはまりますが、CRPGやゲームブックにはあてはまりません。
2002年06月21日:20時56分05秒
【比較ゲーム分析】推測のゲーム:CRPG、変形マインスイーパーの場合 / トモス
1)困難はTRPG独自のものではない
この問題(未公開部分を推測することが困難であること)に関するこれまでの議論から、TRPGの特徴は次の3点だということになります。

a)複雑な世界をシミュレートしている
b)1回きりプレイになりがち
c)お膳立て(実装)のための意志疎通、理解の共有が他のゲームよりも難しい

c)はもう少し考えるとゲームにまつわる形式的な特徴に置き換えられるかも知れません。(aやbはそうした特徴です。)

また、a)とc)については「このいずれかの条件が満たされれば推測ゲームが困難になる」と言えるけれどもb)についてはそれ単独では推測ゲームを困難にしない(例えばマインスイーパーを1度だけプレイすることは未公開部分の推測を困難にしない)と考えています。

いずれにせよ、TRPG「だけ」の特徴はないと思います。他にも同様の条件を満たす(特徴を備えた)ゲームがありえるし、そうしたゲームもまた、TRPG同様に推測のゲームとして遊びにくいものになっているのではないかと思います。

2)CRPG、変形マインスイーパーとTRPGの類似点

CRPGと変形マインスイーパーについて考えてみます。

この両者はほぼ同じ理由で「複雑な世界のシミュレーション」に通じるところがあるケースだと思いました。ただ、「通じるところがある」だけで、「複雑な世界をシミュレートしている」と言えるかどうかはちょっと微妙です。あるいは、シミュレートしているとしても、それが(推測のゲームとして遊ぶ際の)困難の原因であるかどうかについてはちょっと微妙です。

まずCRPGは、ゲームブックと同じで、扱っている世界自体は複雑な世界なのですが、それを単純化してあります。どのCRPGやゲームブック作品をとりあげても、そこで考慮されている局面変動規則の数は有限で、TRPGのように局面変動規則に未定義性を残して(それ故に無数の局面変動規則を採用する可能性が確保されているままになって)はいません。

言い換えれば、複雑な事象を単純なモデルを用いて表現するのがCRPGやゲームブック、複雑な事象を流動的なモデルを用いて表現するのがTRPG、といった違いがあると言えます。

そして、単純なモデルを用いて遊ぶなら複雑性に悩まされないのではないかと考えたくもなりますが、そうは行かない理由があります。

プレイ前、プレイ中に、「このCRPGではこの30種の局面変動規則が採用されています。他にはどのような規則もありません」という類の情報は与えられません。従って、「扱っている世界の複雑さ」がどのように単純化されているのかはプレイヤーにとっては未公開に留まります。具体的には、「このゲームでは扉は罠の引き金になっていることがありうるだろうか?」と考えてみてもCRPGやゲームブックであれば何も説明がなく、実際に個々の扉を開けてみて確かめるしかないというようなことが往々にして起こります。

このように、単純な世界であっても、どのように単純であるかの知識が与えられていないために、結局は複雑な世界を扱っているのと同じような困難が発生するのがCRPGやゲームブックだと言えると思います。

変形マインスイーパーの例も、シミュレーションの要素はないのですが、同様です。つまり、実際にどのような局面変動規則になっているかがわからないので、非常に多くの可能性が考えられ、その全ての可能性を相手にしなければならないために複雑性が発生しているわけです。「青が濃いほど地雷が多いのではないか」「赤や青などの問題ではなく、明るい色か暗い色だけが問題なのではないか」などとプレイ中に考えてみてもなかなか絞り込めないわけです。「実は5に対応する色が2種類以上あるのではないか」「実は2と3に共通の色が使われているのではないか」などというところまで考えなければならないとしたら特にそうです。

ここから一般に、局面変動規則がわからない場合、推測のゲーム(未公開部分を推測することをゲームとして楽しむプレイ)は成りたちにくい、ということがぼんやりとながらわかります。
2002年06月20日:18時57分35秒
【比較ゲーム分析】数字の不明な変形マインスイーパと工夫の余地 / myrt
(Re:2002年06月18日:21時33分11秒【比較ゲーム分析】TRPGを推測ゲーム として遊ぶことが困難な理由 / トモスさん)

 いつまでもまとまらないので中途半端な段階で書きこませていただきます。 申し訳ありません...

>>1回きりプレイのゲームでは、結局最善の手を打って、あとは運任せ というプレイをしていることが多いのだ から、問題は「未公開部分の推測が困難なこと」にはない、と。 <<

 問題は「未公開部分の推測が困難なこと」にないというのではな く、「未公開部分の推測が困難なこと」に起因する工夫の余地の制限 問題はTRPG独特の問題ではないと考えています。少なくともCRPGの初回 プレイは抱えていると。

 ですから、CRPGの初回プレイと同程度にまで解釈の余地をなくしても、 この問題は解決できないと考えています(CRPGの場合、戦略の選択の余地 がTRPGに比較して狭い)。

>>「このゲームは限られた手がかりしか与えずに決断を迫り、かなりの運 試しを強いるにも関わらず、そうした決断の結果がプレイヤーをとりかえ しのつかない窮地に追い込んだりする仕組みになっている。工夫によって 勝率を変動させられるような仕組みに乏しく、ゲームとして楽しくない」と 感じる人がいるかも知れず、<<

 程度問題を無視することはできないと思います。 どの程度まで運試しを許容するか(同時に不可欠だと思うか) は、まずデザインの好みの問題だと思います。GMがどの程度でデザインする つもりであるかについてプレイヤーが同意して初めて、その先の問題が 発生すると考えています。

 未公開部分の推定がゲーム性において問題になるのは、どう戦略を 工夫できるかに帰着されます。「トロルのいびきが聞こえる扉」の例において、 扉の向うの情報を正体だけでなく姿勢にいたるまで事細かに推定できて も、「じゃあどうすればいいんだ」という結論がでなければ何の役にも 立ちません。逆にほとんど推定できなくても、「とりあえず 突入すればなんとかなる(あるいはその確率が高い)」ことがわかれば十分 工夫であると言えます。

 CRPGの初回プレイは、推定の難しさという意味ではTRPGと同程度です。しかし 選べる戦略の幅が極めて狭いので、かなり工夫が容易になります。

>>ただ、仮にそうしたお膳立て(aの部分)がうまく行ったとしても、つま り、プレイスタイルやルール解釈についての理解が共有されていたとしても、 推測のゲームとして TRPGを遊ぶことには困難はつきまとうだろうとは思います。<<

 以上のことから、もちろん困難がつきまとうと思いますが、それはTRPG特有の 問題ではないと思います。

 例えば「変形マインスイーパ。地雷に関する情報が、数字でなく色で与えられる。 どの色がどの数字に対応しているかについては、デザイナーが危険だと思う色が 大きな数字に対応しているとだけ知らされている」というゲームを考えてみます。

 システムに未公開部分(例えば隠しパラメータ)があるだけで、これだけ 一気に困難になってしまいます。「どの色がどう対応しているかがだんだん わかってくるところに独特の面白さがある」としたら、もはやこの問題は 回避不能であるとさえ思います。
2002年06月18日:21時33分11秒
【比較ゲーム分析】TRPGを推測ゲームとして遊ぶことが困難な理由 / トモス
推測ゲームとして遊ぶことが困難な理由
(今回もmyrtさんの6月14日付けの投稿へのお返事です。)

2つ前の投稿はだいぶ的を外していた気がしてきたので、補足、訂正させて下さい。

myrtさんの今回の投稿の主旨は、「未公開部分の推測が困難なこと」よりも「公開されている部分についての共有や解釈が定まっていないこと」がゲーム性重視のプレイにとっての問題なのではないか、というものでした。
1回きりプレイのゲームでは、結局最善の手を打って、あとは運任せというプレイをしていることが多いのだから、問題は「未公開部分の推測が困難なこと」にはない、と。

確かに、最善を尽くすだけ尽くして運任せのプレイをするほかないゲームがあります。また、ゲーム性重視のプレイの成立のためには実装(お膳立て)がきちんとできなければだめで、ルールや設定内容についてきちんと合意が成立していない場合(myrtさんの挙げられた扉を開ける場面)や、プレイスタイルやセッション運営方針についての合意が成立していない場合には、ゲームとしてプレイしづらい場合があるだろうと思います。

ただ、そうしたお膳立てがうまく行ったとしても、やっぱり「推測のゲームとして遊ぶことが困難」というこれまでとりあげてきた問題は残ると思います。「このゲームは限られた手がかりしか与えずに決断を迫り、かなりの運試しを強いるにも関わらず、そうした決断の結果がプレイヤーをとりかえしのつかない窮地に追い込んだりする仕組みになっている。工夫によって勝率を変動させられるような仕組みに乏しく、ゲームとして楽しくない」と感じる人がいるかも知れず、それを防ぐために、世界観のきめ細かな共有を図ったりする必要が出て来ると思います。(繰り返しプレイする、というのも考え方によっては問題解決につながるでしょうか? TRPGではプレイヤーとキャラクターの知識は区別すると考えるのが普通なので繰り返しプレイした結果依頼内容や敵についてのPCの知識が増える、というのはちょっと変ですが。)



myrtさんが指摘するところの、公開部分の解釈の多様性はひとまず2種類に分けて考えたい気がします。ひとつは、以前「実装」(=周縁領域)という概念で指していたものです。細かなルールの共有、ルールの運用の仕方、セッション運営やプレイスタイル上の選択、などがそれにあたります。今回のmyrtさんの投稿で主にとりあげられているのもこちらです。これはゲームを成立させるにあたって必要なお膳立てのようなものだと思います。

お膳立てがうまくいかず、例えばルールがきちんと共有されていないと、プレイ中に揉め事が起こる可能性があります。プレイ中にルールが追加、変更されることもありえます。これはありとあらゆるゲームについて言えることだと思います。TRPGでは将棋やスポーツと比べてもお膳立てがうまく行きにくいという面がある気がします。理由は僕にはよくわかりませんが。

もうひとつは「舞台になる世界についての理解(世界観)」です。こちらは、与えられた手がかりをPCがどのように解釈し得るか、についての理解です。これは、「複雑な世界をシミュレートしていること」と同じ問題です。つまり、世界が複雑なために、あるひとつの手がかり(扉の向こうからトロルのいびきらしい音が聞こえる、とか)に対して、多くの解釈が成立つわけです。(トロルが眠っている、トロルが眠っていると思わせる罠だ、眠っているトロルの他に何者かがいるはず、など)
これに対して、例えばマインスイーパーをボードゲームとしてアレンジしたものを考えてみます。(GMの役目は地雷の配置)このゲームでは、TRPGと違って、GMが提供する手がかり(あるマスの周囲に埋まっている地雷の数)はそれほど多様な解釈を許しません。そこで、このゲームの舞台となっている世界(数字とマス目と地雷の奇妙な世界ですが)については、世界観レベルでの理解がかなり共有されているとも言えます。TRPGのように複雑な世界をシミュレートしている場合には、世界観の共有が容易ではなく、「洞窟の中に錆の怪物がいる可能性があるか」についてもその見積もりは人それぞれになります。コミュニケーションはこの多様性を縮減して、GMや各プレイヤーがある程度似通った想像力を持つようにします。そこで、推測のゲームとして遊ぶこと(GMが適度な手がかりを与えて工夫の余地をつくりだすこと)も多少やさしくなるだろうと思います。ですが、マインスイーパーのようには行かないと思います。

言い換えると、コミュニケーションによって共通認識を築くことはTRPGでは有効な手段なのですが、他のゲームではそれがもっと容易、有効だと思います。

以上をまとめなおすと、
TRPGを未公開部分を推測するゲームとして遊ぶことには困難があるが、その困難の原因として、

(a)ルールやセッション運営、プレイスタイルなどについての共通認識が築きにくい。

(b)複雑な世界をシミュレートしているので、手がかりの解釈の仕方がについての共通認識が築きにくい。それを絞り込むために多量の手がかりを与えると逆に工夫する必要もないほど事態が明白になってしまう可能性もある。

(c)1回だけプレイすることが多いので、舞台になる場所や関連人物などについての共通認識が築きにくい。

という3つがある、ということになります。ここで、myrtさんは(a)が(b)や(c)よりも大きな問題、という意見でしょうか。たぶんその通りだと思うのですが、ただ、仮にそうしたお膳立て(aの部分)がうまく行ったとしても、つまり、プレイスタイルやルール解釈についての理解が共有されていたとしても、推測のゲームとしてTRPGを遊ぶことには困難はつきまとうだろうとは思います。洞窟を訪れたところ完全に不意を突かれる形で(奇襲ではなく、予想外の敵という意味で)錆の怪物に遭遇して、装備を失ったメンバーは半数だけが生還できた、後になってよく考えると錆の怪物のいる証拠ととれなくもない手がかりがいくつか見つかっていたのだけれども、洞窟内の敵の正体には関係のない手がかりや誤った証言などに埋もれていてそれと気付くのが難しかった、というような展開になる可能性があります。これは「実態として、工夫によって勝率を上昇させられるような仕組みがあるべきだし、そういう工夫を可能にするような手がかりを与えるべき」という結果重視の実態主義の立場からは問題です。

==

補足


(a)は、TRPGで言えば、

・ちょっとしたミスが命取りになる可能性があるか、
・ちょっとした勘違いでどうでもいい調査に3時間ぐらい(プレイ時間を)費やしてしまうようなことになってもGMは何も誘導や忠告をしないのか、
・シナリオに準備・想定された範囲を超える行動をとるとGMはそれを黙って受け入れるのか、何か圧力をかけてくるのか、
・ドラマチックな展開にこだわったりするのか、あるいはテンポの悪い進行などになっても気にしないのか
などといった事柄についての共通理解です。

この部分での共通理解があると、プレイヤーも、単にルールや設定内容についてGMと齟齬をきたさないだけでなく、PCに与えられる手がかりの解釈の仕方についても共通性が増すため、推測のゲームとして多少遊びやすくなります。

プレイヤーは、「これはGMとしてはただのヒントというよりもプレイヤーに特定の方向に動いて欲しいというリクエストのつもりなのだろう」などと察することができ、手がかりを解釈する際に役に立ちます。それはひいては、GMにとっても、提供する手がかりを思わぬ形で誤解されないかどうかについて多少の予測が立てられるので適度な手がかりを与えて、セッションを推測のゲームとして成り立たせやすいと思います。

最後に、上に挙げた2種の「公開部分の解釈」(お膳立ての部分と、世界観の部分、あるいはプレイヤーレベルとキャラクターレベル)はここでは区別しておきましたが、どこまで別物と言えるのかちょっとよくわかりません。
2002年06月17日:20時48分43秒
【比較ゲーム分析】消費ゲームの定義をめぐって / トモス
(myrtさんの6月14日付けの投稿へのコメントです。)

myrtさんは前々からゲームを繰り返しプレイすることと1回しかプレイしないこととの差に注目されていて、僕はその部分はまだ呑み込めていない部分が多い気がするのですが、質問も兼ねて考えていることを書いてみます。

1)消費型ゲームの定義とTRPGのケース

基本的には1回だけプレイされることを前提に作られているゲームを消費型ゲームと呼ぶのだということでいいでしょうか。

そうすると、TRPGは、個別のシナリオが個別のゲーム作品だと考えた場合には、それぞれが消費型ゲームだと考えていいように思います。
同じシナリオを異なるプレイヤー相手にプレイするGMは珍しくないような気もします。プレイヤーとしては違うメンツや違うGMだからと言って同じシナリオを繰り返しプレイしたいとは思わない人が多いと思うので、消費型ゲームだと言えそうです。

2)ゲームブックのケース

ゲームブックの場合、途中で何度かゲームオーバーになって、数回のトライの後にミッション達成、ということが普通だと思います。運がよくなければゲームオーバーになることがかなりある、と思います。つまり、「繰り返しプレイ」が見られます。更に、「マルチ エンディング」などと謳っている作品をプレイする場合には、一度ミッションを達成した後も、他のルートでのミッション達成に挑戦する、ということも考えられます。これはまた別の「繰り返しプレイ」を生みます。

ただ、ここで何かが「消費」されるということは感じます。具体的には「(設定の)未公開性」が消費され、その部分を推測する余地がなくなります。推測の余地がなくなった部分を手がかりに他の部分を推測していく、という作業を繰り返して、ミッション達成に至るわけです。

3)シューティングゲームのケース

シューティング・ゲームは、ゲームブックと比べても、繰り返しプレイを前提に制作されている度合いが高いと思います。但し、その理由というか、構図はゲームブックとはかなり違います。
シューティングゲームは、スポーツがしばしばそうであるように、「同一の競技を繰り返すことで記録を伸ばすことに挑戦する」、という形になっています。ゲームブックやTRPGでは余り行われない要素だと言えそうです。

ちなみに、シューティングゲームやアクションゲームは指や動体視力や反射神経を、ややきつい時間的制約の下に使うので、スポーツの一種だと言っていいような気がします。言い換えると、身体とスピードが問題になる遊びなので、スポーツと同類だと言っていいような気がします。
他のスポーツと違うのは、入力がデジタル処理され、フィールドやトークンもデジタルである点ですが。(つまり「手の総体」や「局面の数」や「局面の展開規則」が有限。スポーツは多くの場合これらが無限で、TRPGもその点では同じ。)

ただ、そういう、繰り返しプレイに向けて作られている側面とは別に、「未公開部分を推測する」という側面がある場合も考えられます。(必ずそうだとは思いませんが。)つまり、何かの手がかりが与えられて、その手がかりを元にした選択を迫られるようになっている場合があります。(アクションRPGはそのひとつの典型でしょうか。)

シューティングで自機の装備を選択する場合や、たまたま画面上から敵も敵弾もいなくなった時にどこにポジションをとるか、などの要素は、漠然としているとは言え、推測に基づいた選択なので、未公開部分の推測にまつわるゲーム性だと言えます。

ただ、典型的なシューティングの場合は、単に推測も準備もできないような変化が次々やってくる(スクロールであれ、インベーダーゲームのようにステージ制であれ)という感が強く、それを推測することのゲーム性は低いような感じがします。ここでも「未公開性」は消費されるし、次回以降のプレイに役立てることもできるのですが、「未公開部分の推測」はほとんどゲームにならないと思います。

5)パズル

パズルはmyrtさんと僕の定義ではゲームの一種という風に分類していますが(Purpleさんは異論があるかと思いますが)、消費型が多いと思います。

ここでは、未公開部分の設定が「消費」される、ということは生じません。その点で上の3つのケースのいずれとも違っています。

ここで消費されるものは、必勝解や最適解の未知性、と呼んだらいいかと思います。一度工夫(手がかりを元にした思考、それによる有効な手の導出)してしまうと、次回以降は単にそれを思い出すだけでパズルが解けてしまうので。知恵の輪、数学の問題などが典型でしょうか。
2002年06月17日:18時56分14秒
【比較ゲーム分析】繰り返しプレイの効果 / トモス
6月14日付けのmyrtさんの投稿へのお返事です。

長いので要旨だけ先に書きます: これまでの僕の議論は少々不適切な例(「展開が予測不可能なシナリオ」)を想定して考えていたので意義が薄い。
これをmyrtさんが出したもう少し現実的な例(「少なくとも一部の展開は予測可能だと考えられるシナリオ」)に置き換えて考えてみると、myrtさんの考え方にほぼ同意できる。
TRPGが何故「未公開部分を推測するゲーム」として遊びにくいかについて、「複雑な世界をシミュレートすること」が基本的な原因で、「1回きりプレイであること」は副次的な要因である、と考えればいいのではないか。
1)これまでの議論
少し間が空いてしまったので、簡単に文脈をまとめておきます。
問題は「TRPGを、未公開部分を推測するゲームとして 遊ぶことの困難は何に起因しているのか」です。

ここで、困難というのは、「与えられた情報の真偽を確定できないために、推論に常に運試しが伴う」「GMは情報を与え過ぎたり、隠し過ぎたりすると、プレイヤーにとって推測すべき設定内容が明白過ぎたり、逆に不可解過ぎたりすることになり、ゲームにならない」という2種の困難です。これはまだうまくまとまっていない感がありますが。
困難の原因が何であるかについて、候補は2つあります:

(a)「複雑な世界をシミュレートすること」

(b)「1回きりしかそのゲームをプレイしないこと」

myrtさんはその両者が共に原因になっているとしており、僕は前者だけが原因で、後者は副次的なものではないか、としてきました。

おそらく「複雑な世界のシミュレーションをしない遊びであれば、一回きりのプレイでも、未公開部分の推測がゲームになりうる。」という点では意見は一致するだろうと思います。マインスイーパーや軍人将棋などがその例にあたります。つまり、「一回きり」という条件単独では困難は発生せず、「複雑」かつ「一回きり」という2条件の両立が困難を発生させるのか、それとも「複雑」だけでいいのか、という点でmyrtさんと僕の意見が違っているのだと言えます。

そこで、「複雑な世界をシミュレートしているけれども何度もプレイするゲームでは、未公開部分の推測をゲームとして遊ぶことは困難か」ということが問題になります。

それを考える例というか、思考実験として、「もしも無限に複雑な仕組みを備えた遊び(TRPGのシナリオであれ、ゲームブックであれ)があれば、それを何度プレイしても未公開部分の推測はゲームとして成立たない」という議論になりました。(後に述べるように、そもそもこの例が議論に適していない気がします。)

また、紙魚砂さんの意見から、「コミュニケーションがうまく行っていないこと」が原因になりうる(コミュニケーションをとることが解決になりうる)という提案がありました。どのようなルール体系でも、ルールの説明などについて意志疎通がとれなければゲームとして成立つことが困難です。(例えば将棋で何が反則かについての理解や判断基準が統一されていない場合など)これは以前「実装」(=周縁領域)の問題として扱った話と同じものだと感じます。その際にも出た意見ですがTRPGの方がこの種のコミュニケーションが失敗しやすいようです。

何故失敗しやすいかと考えると、結局、上に挙げた困難の2点目の方に行き着くような気がします。

GMはプレイヤーが手がかりをどう解釈するかについて探りを入れたり、予想をしたりしつつ手がかりを与えていく。そうして、明白過ぎず、不可解過ぎない手がかりを与えるようとするのですがこれが困難です。

2)今回の投稿

今回のmyrtさんの投稿では、「どこにどんな罠があるかわからないシナリオで、いつ死んでもおかしくない」ようなゲームではプレイヤーはどうするのか、という問題について、「とりあえずできるだけの努力をするのではないか」という指摘がされています。

これはこれでもっともだと思うのですが、逆にこんな風にも言えるのではないでしょうか? 「とりあえずあれこれ努力をしてみることはできるが、結局そのシナリオ(なりゲームブックなり)ではそうした努力が、よりでたらめなプレイに比べて少しも有効ではないというGMの事前説明が正しかったことが、プレイするにつれてはっきりしてくる。」「そこで、このシナリオは、プレイヤーが与えられた情報を元に工夫を重ねても勝率を上昇させることのできる可能性がない、ゲームになっていないシナリオだと言える。」(と言っても、あくまでも「未公開部分の推測」がゲームになっていないだけです。他の形でゲームになっている可能性は考えられます。例えば運さえ悪くなければ5種類の敵に遭遇し、その敵との戦闘には予想外の要素の介入もなく、敵の強さなども情報を与えられているために、その部分をゲームとして遊ぶことができる、という可能性はあります。)

あるいはここに再び例の「工夫重視の観測主義」と「結果重視の実態主義」との対立がまた顔を出しているのでしょうか? つまり、myrtさんは、「勝率を上げるために何の役に立たないとわかっていても、与えられた情報(目の前にワイヤーがあること)を元にとりあえず考えられる限りの対策を練ってみることがゲームの楽しみなのだ。」と考えているのに対して、僕が「何がどう展開するかわからないシナリオなら、ワイヤーを引っ張ったらクス玉が割れて南国旅行がプレゼントされるかも知れないし、ワイヤーの上に乗れたらどこからか一輪車に乗った曲芸師がワイヤーの上をやってきて花束を贈呈してくれるかも知れないわけで、知恵を絞るに値しない。こんなのはゲームとして遊べるような代物ではない。」と考えている、ということでしょうか。

myrtさんは「工夫重視」については否定的な立場に転換したはずなので(個人的にはその点について異論もあるのですが)、話は「結果重視」になっていると考えてみます。つまり、「報われないとしても知恵を絞る楽しみがあるし、それはゲームの楽しみだと言える」という意見ではなく、「きちんと知恵を絞れば勝率の上昇につながるようになっているし、そのような仕組みに則って知恵を絞ることがゲームの楽しみだ。」という意見に沿って考えてみます。

前提が奇妙ではありますが、もしも「無限に複雑なシナリオ」があるとしたら、プレイヤーは「未公開部分の推測」については匙を投げ、その部分についてはゲームでない何かとして遊ぶと思います。(奇想天外な展開を楽しむ遊びとか。)ゲームになるとしたら、未公開部分の推測ではなく、戦闘とか、何か他の部分だろうと思います。そして、これは繰り返しプレイによっても変わりません。
例えば、「前回はワイヤーを引っ張ったら南の島行きの旅行が当ったからもう一度」と引っ張ってみると今度はそれが何故か壁の向こうに眠っていたドラゴンの尻尾なので、突如戦闘が始まります。前回と展開が違う理由は「パーティーの所持金の合計が3の倍数になっていなかったから別の魔法が発動した」ためかも知れません。あるいは、たまたま前回と同じ南の島への旅行が当った場合でも、それは「持金の合計が3の倍数ではなく、かつ、ワイヤーを引いたキャラクターが金属よりも多く木製品を身につけていたから」かも知れません。つまり同じ行動が同じ結果をもたらした場合であっても、プレイヤーが考えた理由とは別の理由によって運良くそうなっただけで、工夫の結果ではない、と。(説明されない限りほぼ予測不可能ですが、実はその迷宮をつくらせた国王が3の倍数の構成員からなる家族と森に住む家族には特別に祝福を与えたということに由来しており、そのエピソードは迷宮に入る前に訪れた図書館で知ることが可能、という設定かも知れません。)

言い方を変えると、プレイヤーが考える「この世界の常識」が全く通じない世界なので、プレイヤーがそれでも常識的な行動や努力を続けて、たまに運良く思い通りの展開になることもあるが、それを工夫と呼ぶには無理がある、というようなシナリオです。

ただ、このように考えてくると、「無限に複雑なシナリオ」が実際にはありえないし、仮にありえるとしても GMがそういうシナリオをわざわざ用意して「ゲーム 重視のプレイ」に臨むと考える理由がない感じがします。 そこで、「程々に複雑なシナリオ」を考えてみると、そのようなシナリオであれば「繰り返しプレイ」によって困難はある程度解消することが考えられます。

myrtさんの考える「存在する罠が対処不能か可能かすらわからない」というのは、「一部の罠はまともな対処法で対処可能だとわかっているが、それがどれなのかはわからない」という風に言い換えていいでしょうか? だとすると、このようなゲームでまともな対処法をとることは確かに有効である可能性があると思います。(僕の考えていた展開予測不可能なシナリオとは違いますが。)

一般に、「程々に複雑」であれば、繰り返し同じシナリオをプレイすることで「これまでのプレイから得た情報から考えて、この扉は食糧庫に通じているはず」などという形で未公開部分の推測ができる場合があるだろうと思います。その意味では、myrtさんの意見に賛成です。

但し、「複雑な世界をシミュレートする」場合には、それを何度遊んだとしても、依然として「未公開部分を推測することがゲームになりにくい」という面は残るだろうと思います。つまり、「繰り返しプレイ」はある程度の問題解決にはなるけれども、根本的な解決にはならない、と。

これに対して、「複雑な世界を舞台にしないゲーム」の場合は、(マインスイーパーを念頭においているのですが)一度だけのプレイであっても、「推測ゲーム」はさほど困難ではないと言えると思います。その点では、「複雑な世界のシミュレーション」は困難の基本的な原因であり、「1回きりのプレイ」は困難の度合いを左右する副次的なファクターだと言えそうです。
2002年06月14日:15時25分22秒
【比較ゲーム分析】公開部分の解釈 / myrt
(Re:2002年06月12日:08時54分43秒【比較ゲーム分析】コミュニケーショ ンと未公開部分の推測 / トモスさん)
>>T&Tのソロシナリオは手元になく、うろ憶えですが、「どこにどんな罠があ るかわからないシナリオで、いつ死んでもおかしくないからそのつもりで」と いう類の情報を与えられたら、その時点で、待ち受ける罠を推測 することをあきらめるだろうと思います。 <<

まさしくこの点の意見の相違だと思います。

 「どんな罠があるかがわからない」というのは「すべての罠は対処不能だ」と いうのではなく、もう一段メタ的に「存在する罠が対処不能か可能かすらわから ない」という状況を想定しています。

 例えば、ダンジョンの通路にワイヤーがはってあるのを発見したとします。 ここで、すでにこれを視覚で捉えた段階で魔法関知によるスイッチが入って おり、問答無用で60秒後に敵が殺到してきて全滅する可能性は否定できま せん。だからと言って無策に進むのどうかと思います。

 しかし、やっぱり60秒後に敵が殺到くる可能性が否定できないので、完全突 破法を見つけようと試みるのも馬鹿らしく思います。結局、「極めて困難な 罠だったら引っかかっても仕方ないか」と考えて適当に戦略を練ると思います。 パラノイアで言えば、「次のクローンはきっとうまくやるでしょう」といった ニュアンスで。

>>・情報の真偽がはっきりしている場合であっても、未公開部分の設定内容がど のようなものであるかについて、非常に多数の可能性が考えられる。<<

 ゲームブックを含めて、消費型ゲームのほとんどがこの要素を含んでいます。 例えばシューティングゲームでさえ、「敵の新型鑑を撃沈せよ。新型鑑は100cm砲1門の 他、謎の新兵器を搭載している」程度の情報で立ち向かわなければならないシ チュエーションがあります(CRPGボス戦のほとんどがそうだと思う)。

 以上のことから、「未公開部分の想定が困難なため、対処可能であることを 事前に保証できる戦略を見つけることは不可能であることがわかっているが、そ れでも対処できる見込みが高いんじゃないかと考えられる戦略を練ってみて、あ とは野となれ山となれ」というのは、消費型ゲームの根幹の要素であり故意に 要求される要素ではないかと思います。

 問題は、未公開部分の想定が困難であることではなく、公開部分の解釈が一致 しなかった場合そのものにあるのではないでしょうか。

 扉を通じて聞き耳を立て、聞きとった物音からどんな敵が向うにいるかを絞り きれないとき--これは当たり前です。それが聞き耳という戦略の制限 なんですから。ところが、いざ扉に手をかけて、こうなったらどうでしょうか。

GM:軽戦士は手袋をしてなかったよね。接触毒。-2で対毒ロール。
軽戦士のプレーヤー:ちょっと待ってよ。確かにトラップ関知のダイス目は悪か ったけど、それなら聞き耳立てた時点で耳がやられるんじゃないのか??
GM:シーフ七つ道具に聴診器が入ってるじゃないか。シーフは皮手袋をしてたよね??
シーフのプレーヤー:えー、特に購入してないよ。イラストには書いちゃってるけど。

 この手の問題は、ボードゲームでもルールの解釈の相違によって発生しま す(特に洋モノの日本語訳ルールには一意に解釈できない記述がままあります)。 しかしボードゲームでは繰り返しゲーム性のために、「じゃあ次回からはこう しよう」ということが可能です。

 このような想定の相違が発生した場合、とっさには以下の解決策が 思いつきます。
・問題がないなら、その時点まで戻ってプレイしなおす。
・幸運などにより、その相違によるPCの不利益がないことにする。
・プレイヤーの意図にかかわらずPCがミスしたことにする。お叱りは反省会で受ける。
最初のものを除けば、GMとプレイヤーがTRPG独特のだと思います。

 これが紙魚砂のおっしゃる「共通認識の精度を上げたときに 初めてゲームができる」に対する、ゲームができていなかったときの フォローに対応すると考えています。
2002年06月12日:08時54分43秒
【比較ゲーム分析】コミュニケーションと未公開部分の推測 / トモス
(6月8日づけの紙魚砂さんの投稿【比較ゲーム分析】横から失礼しますが(^^;(れ:世界が「それらしい」ことと、ゲーム性)および、myrtさんの直前の投稿へのお返事です。)

#紙魚砂さん、ご指摘ありがとうございます。
myrtさんもフォローをありがとうございます。
読んだ当初はもっともな意見だと思ったのですが、それを当面の議論とどうつなげるかについて迷いがあり、お返事が遅くなってしまいました。が、どうやらこんな風に言えるのではないかと考えがまとまりました。

・ある種のコミュニケーションがうまく行けば、TRPGを、「未公開部分を推測するゲーム」として遊ぶことができる。(紙魚砂さんの意見の言い換え)

・マインスイーパーや軍人将棋など、未公開部分の推測が重要な戦略になっているゲームと比べて、TRPGはゲームを成立させるための「お膳立て」としてのコミュニケーションに依存する度合いが高いように思われるけれども、このお膳立てが成功する保証はない。

・うまく行かない場合には、2種類の困難がゲームの成立を阻む可能性がある。

(1)何が真の手がかりであるかがプレイヤーにきちんと伝わらない

(2)手がかりをどう解釈するべき/するべきでないのかがプレイヤーにきちんと伝わらない、または余りに明白に伝わり過ぎてしまう



僕はTRPGを「未公開部分の推測するゲーム」として遊ぶことは困難なのではないか、と考えていて、紙魚砂さんの投稿を読むと、実は難しくないし、現にうまく行っているじゃないか、という意見もあり得る気がしたのですが、そうではなく、「成功の保証がないコミュニケーションを成功させることの上に成りたつから、やっぱり難しいのではないか」ということを感じます。

==

2点ほど補足します。

まず、紙魚砂さんの1点目の指摘と、それに関してのmyrtさんのコメントについて。

T&Tのソロシナリオのようなゲームで、プレイスタイルが告げられることが重要、という点については納得です。(ただ、何をどう告げるときちんと理解が共有できるかについてはいろいろ議論の余地がありそうですが。)

そして、このようなゲームは、「未公開部分を推測するゲーム」にはならないだろうという風に僕は考えます。(myrtさんのコメントの通りです。)

T&Tのソロシナリオは手元になく、うろ憶えですが、「どこにどんな罠があるかわからないシナリオで、いつ死んでもおかしくないからそのつもりで」という類の情報を与えられたら、その時点で、待ち受ける罠を推測することをあきらめるだろうと思います。

ただ、次々と(ランダムに、あるいはランダムでは ないにしても予測不可能な形で)やってくる災難に 対してどう対処するか、その戦略が勝敗を左右する ようなゲームになっているという可能性はあります。 これは「未公開部分を推測するゲーム」とは別種の ゲームですが。

一般的に、TRPGは、「未公開部分を推測するゲーム」 として遊べないとしても、戦闘部分をゲームとして 遊べる可能性がありそうです。戦闘シーンについては、 以前サブゲームや開放性といった概念を使ってやった きりで、最近の議論を踏まえたまとまった考察はない のですが。

補足2点目。

紙魚砂さんの意見とmyrtさんのコメントを折衷してみます。

まず手がかりとして、マインスイーパーを念頭において「未公開部分の推測」がどのように行われるかについての簡単なモデルを立てます。

1)「手がかり」「情報」と呼んでいるのは、既にクリックしたマスに示されている「このマスの周囲にある地雷の数」と「残りの地雷の総数」の2種類です。

2)それらの手がかりを、場合分けや確率の法則に従って処理することが、「推論過程」になります。

3)その結果として、「この2マスの内どちらかに地雷が埋まっているはずだ」とか「ここには地雷が埋まっていないはずだ」ということがわかります。これが「推測」です。

これに対応して、TRPGの困難を次のように考えることができます。

・推測の手がかりになる情報の真偽の判別を工夫のみ によって行うことができない。従って正しい推測はしばしば、成功確率のはっきりしない運試しの成功(正しい手がかりを選別することの成功)に依存する。
この困難は情報を提供するNPCが嘘を言う、何かを言わずにおく、あるいは記憶違いをしている、などが原因で生じる。マインスイーパーや軍人将棋では生じない。

・情報の真偽がはっきりしている場合であっても、未公開部分の設定内容がどのようなものであるかについて、非常に多数の可能性が考えられる。
マインスイーパーではあるマスが1なら、周囲8マスの地雷の分布は8通りに絞られるけれども、TRPGでは扉の向こうからある音を耳にしたこと、特定の会話を聞き取ったこと、鍵穴から何かを見たこと、などを総合しても、扉の向こうに何があるかについて多数の可能性が考えられる。
これは、TRPGが扱う世界が複雑であることが原因となって生じる。

・このように複雑で多数の可能性に直面して、それら全てを扱い切れないため、プレイヤーは「その世界の一般常識」などの曖昧な知見に基づいて絞り込みを行う。この絞り込みは、しばしば意識されないままに行われる。例えば、「誰も生還したことのない洞窟なら、きっと強い敵がいるに違いない」と考えてる時、プレイヤーは「弱い敵と錆の怪物がいる可能性」を意識せずに除外している。

このような一般常識は人によってその内容が異なっているため、GMにとっての常識がプレイヤーにとっての非常識である場合もありうる。そこで、ゲームとして成立することが困難になる。ルールブックをよく読むこと、プレイ前やプレイ中に(舞台になっているのがどのような世界であり、PCは何を一般常識としてわきまえているのかについて)コミュニケーションをとること、などはある程度の解決になる(が完全な解決にはならない)。

・GMは具体的な意思決定の場面でPCではなくプレイヤーに対して助言、示唆などを与え、誘導することもできるが、その手がかりが明確過ぎると推測に工夫は不要になる。これをしない場合には、工夫によって推測するには余りにも多くの可能性があり過ぎるということになる。

以上のような形で、「このシナリオは/今のプレイのマスタリングは、きちんと手がかりを集めてきちんと考えても結局何がどうなっているかを正しく突き止めたり、勝利に結びつくような行動をとったりすることができるようにはなっていない」「だからこのプレイには未公開部分を工夫によって推測する余地がなかった」という形でゲームが成立失敗する可能性があると思います。
2002年06月11日:16時05分47秒
【比較ゲーム分析】Re:横から失礼しますが(^^; / myrt
(Re:2002年06月08日:03時39分50秒【比較ゲーム分析】横から失 礼しますが(^^;(れ:世界が「それらしい」ことと、ゲーム性) / 紙魚砂さん)

 トモスさんは以下の項目について見落とされてるのではなく、これらの 手段がTRPGではうまく働かないかもしれないことに関して考察されているの ではないかと考えています。

 1)のプレイスタイルについてですが、トモスさんはT&T的なプレイスタイルは TRPGの一つの楽しみ方ではあるが、ゲーム的ではないと感じられているように 思います。
#私は実にゲーム的だと思っていますが。

 ゲーム的ではない楽しみ方をするプレイスタイルは存在するので、 そのときはその情報がゲーム的な手がかりとして働かなくて不思議 ではないと思います。

 2)と3)の共通認識についてですが、この共通認識がどこに納まるか、 ならびにどこまで精度が上がるかについて、TRPGと他のゲームの間に重要な 差異があると考えています。

 共通認識がまるでないとゲームは成立しないのですが、逆にどの戦略を 取れば最良であるかの認識まで、戦略を選ぶ前の段階でGM-PL間で常に共有 されてしまうと、それをなぞるだけの作業になってしまいます。

 ですから「軽い戦闘のあと本格的な戦闘を行なう」ような手段でその 共有レベルを調整することが有効となるのですが、これは経験的な知恵です。 そこで何か理論的な裏付けはないものかと、ゲームブックを例に挙げてプレイ の再現性とその限界について考察しています。

 他人が読解できないとか、突っ込む気もおきないとか、そもそも分量的に 読む気もなくなる文章を書くのはマズい自覚はあるんですが、まとめるのが 下手でして...
2002年06月09日:21時03分16秒
【比較ゲーム分析】ゲームブックにおける虱潰し探索とゲーム性 / myrt
(Re:2002年06月07日:16時08分28秒【比較ゲーム分析】世界が「それらしい」こと と、ゲーム性 / トモスさん)
>>言い方を変えると、TRPGにおける「未公開部分の推測」は工夫と運試しとの混合になら ざるを得ず、その点でマインスイーパーとは違っていると感じます。 <<

 マインスイーパでもプレイ中に運試しするしかない機会がちょくちょくあります。 だから検証により運試しと工夫の余地そして強制イベントを切り分けられるならば、その切 り分け方がプレイヤーとGMで異なってもかまわないかもしれません。少なくともシナリオ作成時に GMが想定していた切り分け方と検証時の切り分け方が異なっても、検証時に切り分けられたシステムが プレイヤーにとって満足すべきものであるならば、「プレイヤーの満足するゲームのような ものを生成するシステムを作ってきた」として評価できると思います。

 余談ですが、Windows付属のマインスイーパのルールはなかなか興味深いです。制作者のポ リシーを感じます。

・1手目では決して地雷を踏まない。
・「盤面の変更」を行ったとき、最小の地雷数は10個である--つまり1手目で「8」が出る可能性が 常にあり、その場合には残り2個の地雷を踏まないように運試しを強いられる(1手目で隅を開ける と「8」は決して出ないが、結論は同様)。
・「盤面の変更」を行ったとき、最大の地雷数は盤面の大きさに依存している--法則は 調べていないが、少なくとも8マス以上の安全地帯が配置されるようだ。最大に地雷をばらまいても、 1手目で「0」が出る可能性を残している。

>>シミュレーションでない場合には問題は発生しないだろう、という点ではほぼ同意見(例外 めいたものも思い当たりますがそれは又の機会にでも)です。

ですが、複数回プレイした場合に問題が解消されるか、と考えてみると、必ずしもそうではないように思います。<<

 確かに必ずしも問題は解消されませんが、十分な回数のプレイを行っても解消されなければ 逆に「結局あがいてもそれを知ることができなかった」ことが言えます。これはブラックボ ックスの推定と同じ過程です。

 ゲームブックのパラグラフだけを追いかける虱潰し探索について考えます。これは 何試行で勝利にたどりつけるかで競えば、ゲームとみなすことができます。虱潰しアルゴリズムを 用いることを選べば、ランダム選択アルゴリズムと勝負するが可能です。また大抵のゲームブックは チェックシートなどが用意され、その状態によって同じパラグラフでも分岐先が違う項目がありま す。チェックされる場所とそれら分岐を考慮して巧みなフローチャートを書きながらプレイすること は、それだけでパズル(本議論では間違いなくゲームと見なせるとしているもの)として成り立ちます。

 よって同様のプレイができるなら、TRPGのデストラップダンジョンもパズルとして成り立ち得ます。 できない場合もありますが(例:特定のデストラップの突破方法を、何度ひっかっかってもど うしても思いつかない場合)。 

 さて虱潰し探索では、結果が未知であるパラグラフを選ぶための法則は任意です。どのパラ グラフを選んでも結果が完全にランダムであるならば、ゲームブックの本文を参考に「それらし い」パラグラフを選ん でも少なくとも損をすることはありません。ならば、例えば「虱潰し探索において未知のパラ グラフを選ぶとき、本文を考慮せずに常に番号の若いパラグラフを選ぶ」というアルゴリズム よりも少ない試行回数で勝利にたどり着くゲームに挑戦することができます。

 手がかりが十分でないと感じたときに「常に番号の若いパラグラフを選ぶ」アルゴリズムに あやかれば、工夫という面で劣ることはありません(パラグラフのランダム配置具合により不利 になることはあるが、それはギャンブル性によるもの)。だから「それらしい」手がかりに対して 妥当な結果とランダムな結果が混在しているなら、「それらしい」パラグラフを選び続けることは 少なくとも悪くない戦略であることが期待できます。問題はひっかけの結果がもたらされる場合で すが、何度かひっかかればそれは「それを信じないほうがそれらしい」という手がかりとなります。

 以上のことから、ゲームブックにおける未知のパラグラフの予想不可能性をふまえた上で、 ゲームとして成り立っていることを期待して挑戦することは妥当だと思います。

 ただしゲームブックはTRPGと同様に未公開部分の推定が難しいとはいえ、検証が容易である こと、再現性が極めて高いこと、プレイヤーのとりうる戦略が極めて明確に制限されている 点がTRPGと異なります。その点については今回はあまり触れていません。

>>nethackはプレイしたことはないですが、これはTRPGでダンジョンを舞台にエンカウンター表な どの乱数要素を活用して遊ぶゲームと同じようなものだと考えていいでしょうか? つまり、「未 公開部分の推測」を楽しむゲームではない、と。 <<

 nethackの未公開部分の推測には二つの側面があります。一つ目がエンカウンター表 与えられてそれを利用するようなものです。実際にどんなモンスターが出るかの手がか りがエンカウンター表し かないときに、実際に出るモンスターの傾向を分析して戦略を練ることは、未だ公開されていない 将来の展開を推測することを通じます。

 二つ目は、エンカウンター表そのものを推測するものです。nethackはソースが公開されてい ますし、内部処理をわかりやすく解説した文書も公開されています。しかしこの文書 はスポイラー(甘やかして駄目にするもの)と呼ばれており、(理不尽死を含む)プレイを 通じて内部処理を推測することが重要な要素であることを感じさせます。
2002年06月09日:04時03分56秒
TRPG総合研究室 LOG 101 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 101として2002年05月21日から2002年06月08日までのログを切り出しました。

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