TRPG総合研究室 LOG 092

TRPG総合研究室の2002年02月27日から2002年03月08日までのログです。


2002年03月08日:17時28分32秒
【制御層とゲーム分析】手加減とゲームっぽさ / myrt
(Re:2002年03月07日:04時00分22秒【制御層と ゲーム分析】Re:制御層を小さくとるTRPGの場合 / トモスさん)
 この限定TRPGを考えていたときは「ゲームっぽいもの」の概念がなかったため ではないかと考えています。

 この限定TRPGの制御層で表されるゲームは、これだけを見ると「ゲームっぽく ないがゲームとして成立しているもの」です。次のフェイズに進めば良いことが わかりきっているので、どのフェイズに進めば良いかと工夫をこらす余地があり ません。だから、この制御層自体に「ゲームっぽい面白さ」を求めることは あまり益がないと思います。

 しかしGMの判定を障害と見なせ ば、「口先三寸でGMに次のフェイズに進んで良いと判定させるゲーム」と して考えることができます。各フェイズで待ち構えるGMが同一人物で あるとは限らない実装を考えるとどんなものか想像できると思います。

 だからここではGMはゴルフのコースのようなものであり、コースが違 ってもゴルフがゴルフであるように、GMがどう判定しようとも限定TRPGが 限定TRPGであることは保証できると考えています。 ゴルフを無茶なコースでプレイすることもできるように、無茶なGMを つれてくれば面白くないTRPGになりうるでしょう。ですから 限定TRPGであること自体は「ゲームっぽい面白さ」や一定の難易度を保証しませんし、 それで十分であると考えています。

 GMには結局「次のフェイズへ」「失敗状態へ」の2つの選択肢しかありません。 よってGMがどちらの判定をくだそうと、その判定をするためにどんな 障害を用意しようと、この限定TRPGの制御層は保たれます。GMに求められるのは 常識的な障害を用意することではなく、出された障害 に対してプレーヤーが良い宣言をしたかどうかを判定することです。だから 判定が難しいような障害(デストラップとか)を出すとGM自身の首を締めるこ とになります。

 審判が無茶な判定を すればどんなゲームでもうまく働かないのはオリンピックのアイススケート 競技を見ていれば明らかなので、GMに「妥当な判定をする」と 期待することは特殊なことでないと考えます。

>>でも、このように、制御層に含まれていない要素がプレイヤーの目的達成 の成否を大きく左右するとしたら、それは何だか「ゲームっぽくない」よう に思います。<<

 私はプレーヤーが勝利を目指して工夫をすることができるならば、その結果に かかわらず「ゲームっぽい」のではないかと考えています。例えば「達人 に対して練習試合を挑み、こちらの腕具合にあわせて手加減されていることを 知りつつ懸命に戦う」ような場合でも挑戦者側に限れば「ゲームっぽい」 のではないかと思います。

 逆にルールだけ見せられて、「僕はこのゲームで勝利(目的達成)したん だ」とだけ言われて、そのプレーヤーがゲームっぽいものをプレイしたかど うかわかるゲームなんて滅多にないんじゃないでしょうか。有名なprobelm(1人 プレイCRPGとか)でないと難しいと思います。だからゲームっぽさと目的達成の 可否はあまり関係がなく、むしろ「どれだけ手加減された状態でどこまで善 戦したか」の記録の積み重ねこそが大事であると考えます。

 かなり違うんですが実例を。PSOというセガのネットワークRPGが ありまして、これにハマってる友人との会話です。
友: シルドラゴン(後半のボス)突破!!
私: それってどれだけ凄いのかわからないんだけど。
友: 硬くて僕のキャラでは全然ダメージを与えられないんだ。
私: ほう。どうやって倒したの??
友: 強い人とパーティー組んでたんで、ちょっと攻撃して(一度でも していれば倒したときの経験点にありつける)、 あとは逃げ回ってた(魔法使いキャラなので味方の援護くらいはしてたと思われる)。
私: まぁ、逃げ回るのも大変かもしれないし。
友: 死んでも、復活させてもらえばいい。でもボスを倒した瞬間に死んで る(復活させてもらってない)と経験値にありつけないんだ。

 彼は間違いなくゲームをゲームっぽく楽しんでたんだと思いますが、 シルドラゴンの強さやルールだけに彼のプレイの難易度が依存してたわ けじゃないと思います。
2002年03月07日:04時00分22秒
【制御層とゲーム分析】Re:制御層を小さくとるTRPGの場合 / トモス
myrtさんが出された「限定TRPG」についてのコメントです。

これまでの議論は、
myrtさん
【制御層とゲーム分析】ある制御層から逸脱しないとする限定TRPG,2002年02月23日:02時25分05秒,TRPGLABO LOG 091
トモス
【制御層とゲーム分析】制御層を小さくとるTRPGの場合2002年02月26日:11時41分42秒, 同ログ
myrtさん
【制御層とゲーム分析】Re:制御層を小さくとるTRPGの場合2002年02月26日:17時36分45秒, 同ログ
となっています。

少し時間をおいて考えてみたものの、「このTRPGは何となくおかしいような気がするがどこがおかしいのか検討がつかない」という感触しかありません。ひとまずはそれを書いてみます。

「限定TRPG」(制御層を小さくとるTRPG)では、細かなルールや設定は全て制御層の外とされます。5つなら5つのフェーズがあり、どのような手(の組み合わせ)をとったらPC達があるフェーズから次のフェーズに行けるのかは制御層によって決められていると思います。

制御層に組み込まれていない部分(これまで「実装」と呼んできた要素)については、GMが状況判断によって変更したり追加設定を行ったりしても、それでゲームが別のゲームになってしまうようなことはない、という話になっています。例えばNPCの口調が考えていたのと違ったものになっても、用意していなかった細部の描写について尋ねられた時に即興で設定を作っても、それでゲームが別のゲームになってしまうわけではない、というのはうなずけます。 そうした事柄のいちいちが別ゲームへの移行を引き起こすようなら、スポーツでもボードゲームでもちょっとしたアクシデントが別ゲームへの移行を引き起こしてゲームをだめにしてしまうということになります。例えば将棋をしながら対戦相手が片思いをしている人の話を持ち出して相手の思考を撹乱させるプレイヤーに対して審判が止めに入ったとしても、それで「これはもう将棋ではない」ということにはならない場合が多いと思います。審判がプレイヤー間の会話にどう介入するかについてきちんとしたルールがないままにゲームをしていたとしても、介入した結果、ルールの異なる別のゲームをプレイしていることになる、という風には考えにくいです。

ただ、この限定TRPGは制御層を小さく、実装領域を大きくとってあるので、具体的にどういうものがGMの裁量に任されているのだろうか、という点が気になります。例えばGMは、「ここで強力な敵を出してダメージを与えてやればPC達もあのNPCの助っ人が必要だと考えるようになるだろう」と思って設定にない敵を登場させてPC達にダメージを与えるようにしてもよいことになります。「今日はやけにダイス運がいいようだからもっと強い敵を出して苦労させてやろう」などと考えて敵の数や装備を変更するのも、きっと問題ないということになると思います。

でも、このように、制御層に含まれていない要素がプレイヤーの目的達成の成否を大きく左右するとしたら、それは何だか「ゲームっぽくない」ように思います。ゲームっぽくないだけではなくて、「厳密な意味でゲームではない」のではないかという感じすらして来ます。実際にそう主張する論拠は見当たらないのですが。

この限定TRPGと対比するために、比較的制御層の小さな格闘技を考えてみます。シンプルなリングがあり、選手の体格に合わせて主催者側が作った防具・スーツの他には何も身につけず、身体を改造して凶器として使える可能性のある何かを埋め込むなどしてなければ誰でも参加でき、攻撃・防御の手段についてはほぼルールが存在しません。勝敗を決めるのはどちらかがノックアウトされるかギブアップを宣言した時です。

このようなゲームではプレイヤーが目的を達成するためにどのような手を打てるのか(攻撃であれ防御であれ)が事前に設定されておらず、プレイヤーの発案に任されている部分が大きいと言えます。そして、その事は格闘技のゲームとしての成立を特に妨げていない、と考えて問題なさそうです。各種スポーツにはそうした面が多かれ少なかれあり、ボードゲームとはかなり違っています。

ところがこのゲームの構図は、対戦する2人のプレイヤーとそれを管理する審判、という形になっており、限定TRPGで想定しているような「パーティーが集団でミッション達成を目指すのをGMが管理する」というのと少し違っていると思います。この差を解消するために格闘技に少し修正を施すとしたら、「プレイヤーが挑戦する相手は、審判の判断によって体格や体力などが変動する特殊なサイボーグである」ということになるかと思います。サイボーグからノックダウンかギブアップをとれば勝ち、という点では変わりがなく、制御層は依然として小さなままです。審判側はその時々の判断でサイボーグの戦力を変更することができるのですが、これは制御層によって規定されている作業ではないので、それによって「別ゲームへの移行」が起こることもない、ということになります。関節技の得意な選手がサイボーグに挑戦してみたところ、人間では考えられないような関節の動きができるようになっていることがわかり、技が全く効かない、ということが起きたりもします。

審判がサイボーグの戦力を変更する時には別ゲームの移行に匹敵する何かが起っていると考えたくなります。

少し別の角度からの話ですが、もうひとつ考えるのは、「制御層はどのようにとっても構わない」と言えるのかどうかです。よい制御層と悪い制御層があると言えるのではないでしょうか。悪い、というのは「安定したゲームとしてプレイするために望ましくない」という意味です。ゲームの最終目的を達成するために明らかに重要な要素(例えば最後の敵の戦力)を制御層の中に含めず、GMがその時々の判断で決めてよい、としておくことはこのような意味で「悪い」ような気がしました。あるいはそれは「制御層が悪い」ではなくて「デザインが悪いゲームの制御層」だという風に言った方がいいのかも知れませんが。

更に別の角度から考えてみると、スポーツの制御層の議論からは、「試合毎にゲームの難易度が違ってもそれを同じゲームの異なるプレイと考える根拠として、そのゲームをそのゲームたらしめている特定のルールや設定が共通している、ということを挙げられる」と考えられるように思います。また、初心者がやっても熟練者がやっても将棋は将棋、ということを考えれば、それでいいようにも思います。ですが、試合中に、審判が、選手の闘いぶりなどを見て設定を変えるようなら、それは「審判にサイボーグの戦力を増強されないようにあれこれ工夫しつつ、サイボーグからノックダウンかギブアップをとるべく工夫するゲーム」ということになるでしょうか。これはゲームだと考えることはできますが、「サイボーグからノックダウンかギブアップをとるゲーム」だと考えようとすると無理を感じます。審判の裁量が無視できないからです。

以上のように書いてみて思ったことですが、TRPGではGMがPCに対する困難を作成・提示する役割を担っており、かつ、その困難を乗り越えられるかどうかを判定する役割も担っています。このため、多くのスポーツのように選手同士の対戦を管理する場合よりも制御層を大きめにとって、GMの行動を制限しておかないと「ゲームの同一性」が保証できないのではないか、という感覚があります。ここで「ゲームの同一性」ということを考える時には、僕はどちらかと言うとゲーム核の概念を考えているわけですが。あるいはいわゆる「ゲームバランス」と呼ばれるゲームの性質です。制御層が小さいTRPGでは、制御層が小さいスポーツとは違って、ゲームの難易度は変動しやすい気がしますが、それでいいのでしょうか?

とりあえず、そんなところで迷っています。
2002年03月06日:18時56分24秒
【比較ゲーム分析】未知性と工夫と努力、そして妥当性 / myrt
またまとまっていないのですが。
(Re:2002年03月05日:14時12分54秒【比較 ゲーム分析】「ゲームっぽさ」と「ゲーム性」の関係 / トモスさん)
>>以上をまとめると、未知性がゲームっぽさとうまく折り合いをつけるため には、未知の部分を推測できるような手がかりがあり、未知の部分は手がか りから推測できるような設定内容が用意されているべき、ということ になります。 <<

 これはTRPGにおいて、プレーヤーが推測した内容にしたがって追加設定を 行なう手法の有効性を説明できます。そのほうが、GMがひとりよがりで プレーヤーに推測はおろか納得もできない設定をあらかじめ作ってくるよ りも優れていると言えます。

 思い込む能力の卓越したプレーヤーはどんなご無体なマス タリングをされても「いや、ここからまともになるんだ」とゲームっぽく楽 しみ、終った後も「まだ工夫が足りなかったんだ」と納得できるかもし れません。

 しかし、そのためにはそのマスタリングが妥当であると自分を納得させられる 解釈を見つけないといけません。そうでないと「なんでか良く分からないけれ どもあの工夫では駄目だったらしい」と消化不良を起こします。逆に言えば、 いくら公正なマスタリングをしても説明不足や理解力不足でプレーヤーが 消化不良を起こしたら「ゲームっぽくない」と感じられることになります。

 また頻繁にそれまでの工夫を無にするように恣意的なマスタリングをすれ ば、「頑張っても仕方がない」と未知な部分を推測され、ゲームっぽくなく 感じられるのではないかと思います。

 普通にキャラメイクしてデストラップダンジョンに気軽に挑ん でしまい全滅。時間が余ったので、キャラを量産して死にながら攻略して いくプレイに切替える、なんて展開が考えられます。一貫したゲームっぽさ は確保されていませんが、プレイ中は常にゲームをっぽいプレイであると 感じられます(別ゲームを連続してやっていると考えれば良い)。ただし最初 のキャラメイクを真剣にやった人は「最初からキャラは量産品 だったのか!!」と納得しないかもしれません。

 また、努力と工夫の混同問題があります。「努力した者はむくわれるべ き」という思想があり、「努力したのに結果が良くないのは妥当でない」と感じ る場合があります。これはゲーム的な発想ではなく単純労働系の発想 なのですが、ゲームっぽさには「妥当でない」と思われることが致命的である ことから無視できない発想です。
2002年03月05日:14時12分54秒
【比較ゲーム分析】「ゲームっぽさ」と「ゲーム性」の関係 / トモス
「ゲームっぽさ」が成り立つかどうかと、「ゲーム性」が成り立つかどうかは、関係がない、という議論を立ててみます。
ここで言う「ゲーム性」というのは、あるプレイについて、別ゲームへの移行がないという性質です。また、「ゲームっぽさ」は「ゲームの目的を達成するためにプレイヤーが戦略的な工夫をすることを楽しめること」です。言い換えると「プレイヤーが直面している課題が、工夫によって解決できるものであること」です。工夫を必要としないものでも、工夫が功を奏さないものでもなく。

1)ケース1:両概念が互いに独立であることを知っているプレイヤーの場合。

まず、単純なケースを考えてみます。プレイヤーが、「ゲームが厳密に成立しているかどうかは、あるプレイがゲームっぽいかどうかとは別問題だ」と考えている場合です。ゲームとして厳密に成立していても、ゲームっぽくない場合があるし、ゲームとして厳密には成立し損ねていても、ゲームっぽい場合がある、という風にmyrtさんも僕も考えてここで議論しているわけですが、それと同じ感じ方を持っているようなプレイヤーの場合です。

TRPGであれ、他のゲームであれ、ゲームのルールや設定の内、「そのゲームがそのゲームであるために必須な部分」については追加や変更が起こらないと信じられている場合、それは厳密な意味ではゲームが成立していることになります。ところが、前に論じた通り、ゲームとして成立していても、いわゆるゲームバランスが悪かったりすれば、そのプレイにはゲームっぽさはないということになります。そこで、「ゲームが厳密に成立していること」はゲームっぽさの成立条件の内には入らないということになります。

同じことを逆の例で言ってみます。「別ゲームへの移行」が起こると信じられている場合であっても、その移行が「ゲームっぽさをだめにするとは限らない」し、時には、「ゲームっぽさを確保する重要な手段になる」とプレイヤーが考える場合には、「ゲームっぽさは別ゲームへの移行が起こるかどうかには関係ない」と感じることになります。例えばGMが用意した敵の親玉が強すぎたことにGMがプレイ中に気付いた場合、設定を変更した方が「ゲームっぽい」プレイができることを考えれば、これは当然のことですが。

2)付論:GMが意図的な操作を行う場合について

但し、「GMが特定の展開や結果を望んでいるようだ(特定のNPCに同行することや、最終的にミッション達成に成功すること)」と考えていて、かつ、「その願望を実現させるためにGMは追加設定や設定変更を使うかも知れない」と感じるとしたら、そのプレイヤーはゲームっぽさを感じていないということになります。自分の工夫ではなく、GMの願望がプレイの展開や結果を決めてしまうのだ、と。

ちなみにこの点については、「GMはそのような願望があり、」「願望を実現させるためにGMはゲームを特定の形でデザインするかも知れない」という考え方も成り立ちます。つまり、「プレイ中の設定」「プレイ前の設定」のいずれにも共通の問題で、「別ゲームへの移行」には関係ない問題だということになります。

そして、この点については、「プレイヤーの手がプレイの展開や結末に影響を与える」という、既に挙げた2条件によってすでにカバーされているので、つまるところ「別ゲームへの移行が起こることは、ゲームっぽさの確保を損なうとも保証するととも限らない。ゲームっぽさが成立するために満たされるべき条件の内には入らない」ということになります。

myrtさんと僕は、こういう風に考えることになると思います。

3)ケース2:「ゲーム性」の成立が「ゲームっぽさ」の成立に不可欠だと考えるプレイヤーの場合

ところがもうひとつ、別の立場の人を想像できないわけではありません。それは、「GMが恣意的な追加設定をできるんだったら、それは即、ゲームっぽさがなくなるということじゃないのか?」「ゲームっぽい遊びはゲームのルールが固定されている時にだけ成り立つ」と考えるような立場の人です。これまでの議論で定義されたところの「ゲームっぽさ」は「プレイヤーの工夫のしがいがあること」「目的を追求するために工夫をすることを楽しめる余地があること」というようなものです。それは「ゲームのルールが固定されているかどうか」とは関係ないわけですが、何かの短絡的な思考によって、「厳密なゲーム性が成り立っていなければゲームっぽくもないはずだ」と思い込む人がいるかも知れません。そうすると、GMが恣意的な追加設定が可能だというだけで、それがゲームっぽさを脅かすもので、できるだけ避けなければならないものだ、という風にも考えるかも知れません。

誤解であれ、正しい理解であれ、「ゲームっぽくない」とプレイヤーが感じたのならそれはゲームっぽさのないプレイだと思うので、上のような人に関してだけは、「ゲームっぽさは別ゲームへの移行がないと信じられている時にだけ成り立つ」ということになります。

更には、このような人が、「プレイ中はゲームが成立していると思っていたので、そのプレイをゲームっぽいと考えていたが、終了後にGMの話や設定資料から、実はシナリオの非常に重要な部分について追加設定が行われていたことを知り、プレイは実はゲームっぽくなかった、と考える」というようなケースもありえます。

ちなみに、「ゲームっぽい」遊びでなければ「ゲーム性」がない、と考える人もいると思います。つまり、強すぎる敵が登場するゲームはもはやゲームではない、と。これは別ゲームの移行のみを問題にして「ゲーム性」を定義している僕らの用語法からはありえないことなわけですが、混乱によってそう考える人がいてもおかしくないようには思います。(現に自分もいろいろな概念の間の関係についてはしょっちゅう混乱しています。)ただ、これは「何がゲームっぽさの成立する条件」の議論には関係ないですが。
2002年03月05日:14時00分38秒
【比較ゲーム分析】Re:「一貫したゲームっぽくなかった」場合 / トモス
(myrtさんの【比較ゲーム分析】「一貫したゲームっぽくなかった」場合,2002年03月04日:17時53分12秒へのレスです。)

>>だから「工夫の余地がなかった(野球でいくら頑張ってもサッカーの勝利につながらなかった)ことが明らかになった」場合にも妥当でない、と感じるのではないかと思います。<< これについては「妥当性」として考えるべきなのかがよくわからずに困っています。ゲームっぽくない、ということについては間違いないと思いますが、その理由は「ひとつのプレイ」であるという前提なのに、前半部分が目的達成に全く関係ないからです。あえて言えば前半で頑張って体力を消耗すると後半のサッカーで損をする、ということになるでしょうか。非常に問題のある「別ゲームへの移行」です。

スコアを何かの形で持ち越すことにすれば、また話が違ってくるという点でもmyrtさんと同意見です。どう持ち越すかは難しい課題ですが。(難しいのは野球とサッカーとで1点の重みが違うと考えられる一方で、その重みの違いをうまく数量化できないためです。)

ただ、これはつまり「プレイヤーの手が展開や結果に影響を与える」という条件がプレイの前半部分について成り立っていないから問題なわけで、妥当性の問題ではないような気がします。

と同時に、もしも審判がゲームの移行を決定する権利を持っていて、審判の唐突な宣言に従って野球からサッカーへと移行することになった場合、「そんなの聞いてないよ」「先に言っておいてくれたら体力セーブしといたのに」「それなら違うメンツを集めてきたのに」などと文句が出ることは考えられます。体力配分、メンツ集めなどの面では、だから、その追加設定(審判に宣言されるまではプレイヤーにとって未知だった要素)が妥当ではない、とは言えます。これは追加設定ではなく、事前に準備された設定の場合でも同じですね。つまり、「別ゲームへの移行」が実際に起こるかどうかは全く問題ではなく、「これは野球を3回裏までやってサッカーを15分ハーフでプレイするという混合スポーツなんだ。何も追加設定はなかった。」という説明を与えられても、やっぱりゲームっぽくないことには変わりがないと思います。

まだあれこれもやもやしたままなのですが。。
2002年03月05日:13時38分34秒
【比較ゲーム分析】未知性とゲームっぽさ / トモス
せっかくmyrtさんから提案を頂いた、「妥当性」、「別ゲームへの移行」、「誤解が解ける場合」をめぐる自分の混乱なのですが、何について自分が混乱しているのかもよくわからず、ともするとその混乱の感覚も見失ってしまうような状態に陥っています。とりあえず、自分でもよくわかっていそうなところから書いてみました。


「妥当性」をめぐる問題についての補足的な説明です。既に話が飲み込めている方には完全な蛇足になるとは思いますが、「妥当性」をめぐる話がTRPGを考える上では一番気になるところなので。

ルールや設定について、プレイヤーが何かを知らないこと、「未知性」のあるプレイが、妥当性をめぐる議論の対象になります。

ルールや設定が一部未知であるゲームの場合には、その部分を推測することもゲームをプレイする上で直面する戦略的課題の内に入ると思います。特に、あれこれのヒントが与えられている場合には、それを手がかりに「実際のところ犯人は誰で、自分を裏切る可能性がある要注意人物は誰なのか?」とあれこれ考える楽しみは、ゲームの楽しみといってよいと思います。アドベンチャーゲームの他にも、軍人将棋はお互いの駒の配置がお互いに対して公開されない状態からスタートするゲームですが、これが何かの意味でゲームの成立を損なっているとは考えにくいです。と同時に、与えられた手がかりと一切関係なく、到底犯人になり得ないような人物が犯人だと明らかになった場合には、一部のプレイヤーは、「そんなのわかりっこないじゃないか。そんなの当てさせようとするなよ。」と感じると思います。これは「設定が妥当ではない」という感覚です。逆に、「自分の推測が外れたけれども、確かにもっとよく考えれば推測できていたはずなのに。しまった。」とか「そうか、あそこを調べておけばもっと簡単に推測できていたはずだったのに。」と考えるようなら、「妥当だけれども推測が外れた」ということです。これはきちんとしたゲームを、下手にプレイした(手が戦略的に優れていなかった)ということなので、ゲームっぽくない、とは言わない方がいいように思います。

推測が外れた場合には、いずれにせよ、「これまでその推測に基づいて組み上げてきた戦略的努力」が無駄になってしまうことがあります。奪われた王冠を取り戻すべく遺跡に向うパーティーが、強力なアンデッドの出現を予測して聖水や特殊な武器・防具を用意したところ、実は遺跡にいる敵は大量のコウモリだけで、本当の難関は失敗すると呪われることになる謎かけだった、という場合。パーティーが「アンデッドはいない」という手がかりを既に得ていて、けれどもそれを真に受けずに来たことがこの誤解の原因かも知れないし、酒場で耳に挟んだ亡霊の噂だけでもっとよく調査をしなかったことが原因かも知れません。いずれにせよ、パーティーの戦略は的が外れたことになります。

ですが、戦略が外れたらゲームっぽさが失われるわけではなく、それは単にゲームで悪い手を打ってしまっただけのことだと言えると思います。

ゲームっぽさが失われるのは、あくまで、「その設定は余りにも唐突で、そんな設定を推測しなければ目的(勝利条件)を達成しづらいのは悪いゲームだ」ということが言える場合だろうと思います。

もうひとつ、これに関連して、乱数要素やその他の賭けの要素のことも書いておいた方がいいような気がします。

ゲームに賭けの要素が入り込んでいることは多いと思います。TRPGやコンピュータゲームでは特に。乱数である場合もあり、未知の設定を推測する要素である場合もあります。これは例えば、「設定されている内容を自分は知らないが、それはたぶんこの3つの内のどれかであるはずだ。ただどれなのかについては全く手がかりがないのでどれを前提にする戦略も同じ位有効なものに思える」という場合です。

そして、「もしも賭けの要素が大きく、自分のとった戦略よりも運が勝敗を大きく左右するようなら、それはゲームっぽくない」と言えると思います。

賭けは、戦略的思考とは違い、ゲームの内、考えても仕方のない要素(またはプレイヤーがそう考えている要素)に関連して発生する行動です。これは、「目的を達成するための工夫を楽しむ」営みであるゲームとは違う、と言えると思います。

以上をまとめると、未知性がゲームっぽさとうまく折り合いをつけるためには、未知の部分を推測できるような手がかりがあり、未知の部分は手がかりから推測できるような設定内容が用意されているべき、ということになります。

予想を裏切るような設定内容が用意されている/手がかりが与えられていない場合や、ある程度以上絞り込んだらあとは賭けに出るしかない、というようになっているゲームは、度が過ぎれば、ゲームっぽくない、ということになります。
2002年03月05日:11時03分49秒
【比較ゲーム分析】追加設定の際の「難易度適正化」の原則 / トモス
これまで、ゲームっぽさを確保するための工夫として、独立性と中立性の原則(ルールや設定を追加・変更する際の原則)を挙げましたが、もう一つ追加してみます。この原則を採用するプレイを「ゲーム性重視」と呼ぶかどうかは意見が分かれるところのような気もしますが、それについてはこの投稿の最後に議論します。

1) 例

あるGMの期待に沿わない手を、ひいては問題解決の方向性(強硬的な戦闘か、交渉か、などなど)をPC達がとってしまった結果、GMは考えます。「強硬的戦闘という方向に進んだらパーティーはあっけなく全滅するか、長い苦闘の末に失敗する他ない、という設定になっていた」「そして、そういう設定を妥当なものにするべく、適切な情報や、調査の機会などを提供しても来た。また、この設定は舞台になる背景世界との相性も悪くないし、システムのデザインコンセプトにも合っている」「ところが、今回パーティーがとった行動は、確かに多少の問題はあるものの、自分が考えていた以上にこの戦略をとることに合理性があることがプレイヤーやPCの発言などから感じられた。」「だからそれを考慮して、設定を変更して、強硬な戦闘というアプローチにも、それなりに問題を解決できる可能性がある、という風になるようにしよう。」

2)定式化

以上のような形での「別ゲームへの移行」はとりわけ珍しいものだという感じがしないのですが、ここでは「独立性」も「中立性」も、採用されていません。つまり、「架空世界の現実に照らして何が最もそれらしい設定か」を考えているわけでもなく、「プレイヤーを有利にも不利にもしない設定はどのようなものか」が摸索されているわけでもありません。「プレイヤーを有利にして、ゲームが適度な難易度を持つようにするための設定はどのようなものか」が摸索されています。そこでこれを「難易度適正化」の原則と呼んでみます。

何も問題のある戦略をとっていないのに、ゲームの目的達成がやたら難しい、とか、大した努力も払わずにゲームの目的が達成できてしまう、というのは悪いゲームだと思います。(プレイヤーの工夫がプレイの展開や結末に与える影響が少ないからです。)GMとしてはこれを避けたいわけですが、しばしば、「何が問題のある戦略か」をGMが事前に考え抜けず、あるいはプレイ中に考えが変わり、「準備してある設定に従えば悪いゲームになってしまう」と考えて設定変更をするわけです。

3)「ゲーム性重視」のプレイとの関係

そこで、これは、「厳密な意味でのゲーム」はあきらめて、「ゲームっぽさ」を確保する手段だと言えます。厳密な意味でのゲームを成立させたければ、準備したままの、「できの悪いゲーム」をプレイし続けてパーティーを全滅させるなりすればいいわけですが、そうしないで「ゲームっぽさ」を確保するわけですから。こういうGMはかなりいるような気がします。また、プレイヤーでも、GMが用意したという理由だけでできの悪いゲームにつきあわされる位なら、厳密な意味でのゲーム性を犠牲にしてでも、ゲームっぽさを確保してもらって、ゲームっぽい遊びを楽しむ方がいい、と考える人はきっと多くいると思います。

ただ、これを「ゲーム性重視」のマスタリングだと言うべきなのかについては、僕は迷うところです。「ゲームっぽさ重視」「ゲームっぽい楽しみ重視」ではあります。
2002年03月04日:17時53分12秒
【比較ゲーム分析】「一貫したゲームっぽくなかった」場合 / myrt
(Re: 2002年03月03日:20時17分15秒【比較ゲーム分析】ゲームっぽ い楽しみが成立する条件 / トモスさん)

 まとめていただいてありがとうございます。奇麗にまとまっており、 この記事単独で価値があるものだと思います。

>>もう少し踏み込んだところでは、「誤解が解けた場合にはどう なのか」という疑問を感じます。「今までゲー ムだと思ってプレイしていたけれど実はそうではなかったんだ」と。<<

 「誤解が解けた」と書くと既存の設定があった場合のみのニュアンスが ありますから、GMが突如別ゲームを作って公開した場合も含めて「プレーヤーが考えていたゲームと違うゲームであることが 明らかになった」と一般化したほうがいいと思います。

 ここでゲームが「野球->サッカー、得点持ち越さず」というように全く脈略な く切り替わった場合を考えます。このとき、切り替わるまではプレーヤーはゲームを しているつもりですし、切り替わってからも(つき合うなら)プレーヤーは ゲームをしているつもりです。だからどの時点でもプレーヤーは工夫の余地が あると感じているのですが、やはり理不尽です。

 だから「工夫の余地がなかった(野球でいくら頑張ってもサッカーの勝利に つながらなかった)ことが明らかになった」場合にも妥当 でない、と感じるのではないかと思います。切り替わり前も後もゲームっぽい わけですから、「一貫したゲームではなかったっぽい」と表現すべきでしょうか??
2002年03月04日:17時51分50秒
【制御層とゲーム分析】「他プレーヤーとの戦い」とすると相手を陥れるニュアンスが / myrt
(Re:2002年03月04日:01時01分59秒【制御層とゲーム分析】「自分自身と の戦い」だと一人遊びっぽく感じませんか? / Purpleさん)

>> 「あの場面での、あなたの行動はよくなかったよ。」 <<

 これらは評価者が違うだけであり、比較されているのは「あの行動を とったあなた」と「あの行動をとらなかったあなた」ではないでしょ うか。「あなたの立場にいれば私は〜した」という意味ではプレーヤー 間の比較かもしれませんが、このような比較をするためには同時にプレ イしている必要はなく(横で見ているだけでもいい)、完全なソリティ ア(一人遊び)に対しても可能です。

 また一緒にゲームをプレイするだけなら、将棋の一陣営を数人で 受け持つ「三人よれば文殊の知恵攻撃」を応用し、ソリティアに複数人数 で挑むことが可能です。PC間の対立のないTRPGのプレイでは多分にその 要素があります。これが昂じると、発言力の小さいプレーヤーのキャ ラが「人間鍵開け機」になってしまうときもありますが。

 対戦ゲームであるなら同時にプレイする必要性が生まれますが、 この場合は相手を劣勢に追い込むことが自分の利益に 直結します。見せ場を取り合うプレイもあるし、それはそれで面白 いとは思いますが、これは特殊な場合だと思います。

 以上の考察から、「自分自身との戦い」と表現してみました。
2002年03月04日:01時01分59秒
【制御層とゲーム分析】「自分自身との戦い」だと一人遊びっぽく感じませんか? / Purple
 #「勝負性(プレイヤー間の優劣を比べあうという要素)がある」
 #と書くよりも、
 #「プレイヤー間の優劣を比べあうという要素(勝負性)がある」
 #と書くべきだったかな。
 
 2002年03月01日:17時46分58秒のmyrtさんの書き込みより
 >TRPGの場合、自分でない、他のプレーヤーとの優劣を比べ合うのはむしろ特殊例だと思います。ほとんど自分自身との戦い(??)ではないかと。
 
 そうでしょうか?プレイ後やプレイの最中に、
 
 「今の場面の、あなたの行動はよかったよ。」
 「あそこで、うまいアイディアを思いついたなあ。僕には思いつかなかったよ。」
 
 と、誉められたり、あるいは、
 
 「あの場面での、あなたの行動はよくなかったよ。」
 「どうして、あそこで、○○という作戦を取らなかったの。そうしていれば、有利に成れたのに。」
 
 と、貶されたり。こういう評価をされることって、少ないですか?
 
 こういう評価が行われるときは、他者との優劣を比べあっていると思うのですが。
 (あるいは、単に、私の周りの人が、そういう傾向が強いだけなのかもしれませんが。)
 
 それに、「ほとんど自分自身との戦い」というと、結局は自己満足の世界であり、一人遊びっぽく感じませんか?私は感じます。例えば、Windowsに付いている、マインスイーパーとかを、他の誰かと競争することも無く、延々と遊ぶような人は「自分自身との戦い」をしているような気がします。
 
 しかし、RPGには、一人遊びと言うイメージが沸かないので、「自分自身との戦い」のほうが特殊例のように感じます。
 
 ---
 
 それと一点補足を。
 「勝負性(プレイヤー間の優劣を比べあうという要素)がある」
 に出てくる、「プレイヤー」は一般的なゲーム用語におけるプレイヤーですので、RPGの場合は、「プレイヤーvsプレイヤー、プレイヤーvsマスター」の優劣を比べあうと言う意味になります。
 
2002年03月03日:20時17分15秒
【比較ゲーム分析】ゲームっぽい楽しみが成立する条件 / トモス
(myrtさんの【制御層とゲーム分析】ゲームなのにゲームっぽくないもの, 2002年02月26日:17時38分02秒, TRPG LABO 091へのレスです。)


別ゲームへの移行が起きないにも関わらず、ゲームらしくないプレイがありうる、という例がこのmyrtさんの投稿では出されていますが、ここでmyrtさんが結局結論を出せなかったとしている「ゲームっぽさ」が何かを僕なりに言葉にしてみます。基本的には、何がゲームっぽい楽しみか、を念頭においた考察です。

#「ゲームっぽい」というのは、よく観察してみると実はゲームになっていないかも知れないけれども、という含みを持たせての表現です。「ゲームらしい」よりもその含みが強いと明らかだと思うのでそちらを採用しました。
また逆に、「ゲームっぽさ」が欠けている場合でも、よく観察してみると実はゲームになっているかも知れない、という含みもあります。

1)ゲームっぽさの6つの条件

・自分がどんな手をとるかによってゲームがどんな局面に展開していくかが違ってくるとわかっていること。(誤解でもよい)

・手が他の諸要素(ルール、設定、乱数要素、他のプレイヤーの手など)と組み合わさって最終的に勝敗を分けるとわかっていること。(誤解でもよい)

・もしもゲームのルールや設定の一部がプレイヤーに告知されていない場合にはそれが「妥当なもの」であること。(何が「妥当」かは、当然ながら、非常に意見が分かれやすい点だと思います。また、「妥当」だというのは、設定を知った後からの反応であって、妥当な設定であれば予測なり推定が可能だ、ということにはならない、という風に考えて「妥当」という言葉を使っています。)

・最適解が明らかではないこと。

・必勝解が明らかではないこと。


以上6つの条件がひとつでも成立していないと、ゲームっぽくなくなると思います。

2)ゲームらしくないプレイの諸例

以上を具体例で言い換えると、次のようなプレイは、プレイヤーにとってゲームっぽくないと感じられることになると思います。


・相手が強すぎて絶対に勝てないと感じさせるプレイ

・相手が弱すぎて、特にあれこれ工夫せずとも勝てると感じさせるプレイ。

・ゲーム核の構造的特性上、自分の打つ手が局面の展開にさほど影響を与えず(ウォーゲームで自分が一兵卒しか操れず、自軍の他のユニットは予め設定されたアルゴリズムによって操作される場合など)、そのことがプレイヤーに理解されている場合のプレイ。または誤解によりそのように思い込んでいるプレイヤーのプレイ。

・ゲーム核の構造的特性上、自分の打つ手が最終的結果(目的の達成の可否)にほとんど影響を与えないことがプレイヤーに理解されている場合のプレイ。(どうやっても勝てる、または負けるようなひとりプレイ用のゲームはこれにあたります。また、乱数要素の影響が大きく、手が与えられる影響が限られている場合もこれにあたります。)または、誤解によりそのように思い込んでいるプレイヤーのプレイ。

・ゲーム核の構造的特性上、ある局面を迎えるとそこから先は目的達成の見込みがほぼ皆無(あるいは確実)になり、工夫の余地がなくなるということがプレイヤーに理解されている場合、その局面を迎えた後のプレイ。または、誤解からそのように思い込んでいるプレイヤーのプレイ。

・ゲームをプレイヤーが理解できず、手が局面の展開や勝敗にどのような影響を与えるかについてほとんど見通しのないままに行われているプレイ。非常に複雑なゲームを初心者がプレイする場合などに起こり得ると思います。

・プレイヤーが知らない部分のルールや設定が、プレイヤーにとって妥当でないために、どのような手をとったらどのような局面や結末に展開していくのか見通しが大きく外れるプレイ。(大きく外れなければ問題はないと思います)。妥当なルールや設定がある場合でも、単にそのルールや設定を予測し損ねたために、自分の見通しが全然間違いで無効に終わったという場合も考えられます。これについては「自分の予測が至らなかっただけで、ゲームではあった」ということになると思います。

・何をすれば勝てるかが明らかなので工夫の必要がないプレイ。(必勝解が明らかであっても、より効率的な必勝解が存在する可能性がある場合があり、その場合には少しでも効率のよい必勝解を探すことでゲームが楽しめる、という場合があります。ですがこれは厳密には、元々の勝利条件と、その勝利条件を効率的に達成すること、という2つの目的が備わったゲームで、元々の勝利条件しかないゲームとは別のゲームだという風に考えています。そして、この2つの勝利条件を備えたゲームに対する「必勝解」が存在しないからそのゲームは楽しめているわけです。必勝解が見つかれば、やっぱりそのゲームもゲームらしさを失うだろうと思います。)

・何が最良の手かが明らかなので工夫の必要がないプレイ。最適解を打っても乱数要素次第ではゲームの目的(勝利条件)を達成できずに終わることになりますが、かと言って他に優れた手もありません。また、結果として目的を達成できるかどうかはプレイヤーにとってはどうでもいいことではなく、やっぱり勝ちに終わりたいと思うだろうとは思いますが、これはギャンブルに勝つ楽しみや、占いを信じてもいない人がそれでも占いで自分の運勢がよいと出ることを喜ぶことに近いものだと思います。

・必勝解や最適解が、ある局面を迎えた後のプレイについてわかっている場合、その局面を迎えた後のプレイ。(そのような必勝パターンに持ち込むまでのプロセスなどはゲームとして成立しています。また、必勝解や最適解を探す作業は、必ずしもプレイ中にだけ行われるものではありませんが、ゲームらしい楽しみだと思います。)

3)考察

これらをまとめると、「工夫の余地がない課題に直面しているとプレイヤーが感じる」場合、と言えるように思います。ゲームは目的達成に向けた工夫を楽しむ遊びなので、工夫の余地がないと思えばゲームっぽくなくなるのだろうと思います。ゲームを「勝負性」を含むものと定義する場合については、一人遊びのゲームっぽさを規定する要素を抜かして考えればよいので、条件は少なくて済むと思います。

「ゲームっぽい」か否かはプレイヤーの感じ方の問題なので、ゲーム核や制御層の特性として考えることはできず、プレイヤーが誤解により思い描いたゲーム核や制御層の特性に関わることになります。

もう少し踏み込んだところでは、「誤解が解けた場合にはどうなのか」という疑問を感じます。「今までゲームだと思ってプレイしていたけれど実はそうではなかったんだ」と。これは上に挙げた「妥当性」の話と絡んでいて自分の中でも混乱しているのですが、これを整理した上で書くと論点が多すぎてかえって話がややこしくなる気もしたので、またの機会に考えることにします。こう考えたらうまく筋が通ると思う、といった類の意見があれば伺いたいです。上の議論に沿ったものであれ、変更を要請するものであれ。


別ゲームへの移行が発生すると信じられている場合でも、移行のパターンがある原則に従うものだと信じられていれば、ゲームっぽさは確保できることになります。

上の条件の中に「別ゲームへの移行が起きないと思われていること(誤解でもよい)」というのを含めようかどうかも迷ったのですが、これも話をややこしくするのでまたの機会にでも考えることにします。
2002年03月03日:01時12分56秒
【比較ゲーム分析】ごまかしでないと思いこめる能力の暴走 / myrt
意見がまとまらないのでここだけ。

(Re:2002年03月01日:19時14分46秒【比較ゲーム分析】Re:インチキと唐突イベント / トモスさん)

>>手短にですが、myrtさんの意見を言い換えると、「デザインの悪い(バランスの悪い)ゲームをやる位ならちょっとぐらいごまかしがあっても面白 い擬似ゲームをやる方がいい。おれはゲームが好きなんだ。」という人がいるはずだ、ということですね。<<

 私はそう考えています。ところがTRPGにおけるゲーム重視派 は、「ごまかしでないと思いこめる能力」が暴走してしまい「我々は 一切ごまかしていない。我々はごまかしのあるプレイを好まない」と 断言してしまう場合があるんじゃないかと思います。

 また逆にごまかしに気づいてしまったために、「どうせTRPGではごまかし のないプレイは不可能だ。ゲーム的なプレイは馬鹿らしい」という意見も あるかもしれません。昔あった「プレーヤーが上手に 交渉の演技をしてダイスロールにボーナスをもらっても、ダイス目が 悪かったら交渉に失敗する。失敗したら馬鹿らしいので、上手であれば ダイスロールせずに交渉成功と判定すべきだ」という意見を思い出しました。
2002年03月01日:20時23分18秒
【比較ゲーム分析】ゲーム性をめぐる諸論の概観 / トモス
手短ながら、これまでにゲーム性をめぐってやってきた議論を分類して、概観のようなものを書いてみました。
1)ゲーム核と将棋

厳密にはTRPGを将棋と比較するための議論としてやったわけではありませんが、整理するのに便利なのでそうであったかのように書きます。将棋はゲームとして安定しており、その理由としてゲーム核が定義され切っていることが考えられます。TRPGはこういう形でデザインできるゲームではなく、手や手の影響、目的などは未定義性が残されている面があります。そこでTRPGは将棋のようなゲームとしてはプレイできない、ということになります。

ですが、実は将棋にもTRPGと同じような不安定性がないわけではないのだ、という逆の論を立てることはできます。それは何が将棋のゲーム核か、どのようなルールがそこに含まれているか、などについて必ずしも万人の見解が一致するわけではないことや、また、周縁領域(当時の用語では実装領域)とゲーム核の区別についても厳密な合意が成り立つとは限らないことに注目した議論です。これでTRPGのゲーム性が確保できるようになるわけではありませんが、TRPGの独自性を考える手がかりにはなります。
とりわけそうした不安定要因が原理的には排除できないと考えてみたところでやはり将棋の方が安定しているようなので、それは何故だろうか、というところが気になるわけですが、その理由として「社会的要因」があるのではないか、ということを考えました。TRPGが普及して誰もがその手のゲームについてそれなりにわかっているような環境ができたり、公式団体ができたりといったことである程度TRPGも不安定要因が排除しやすくなる可能性があるのではないか、と。これはGMやプレイヤーが採用できる工夫とは少し違いますが。

2)スポーツと制御層

スポーツはTRPGと同じくゲーム核ははっきりしていませんが、ゲームとしては安定しているように見えます。そこでスポーツの特性をTRPGに持ち込むことによってTRPGをゲームとしてプレイできる可能性があるかが気になります。

これも結局のところ、ゲーム核と将棋をめぐる議論と似た形に落ち着いたようです。スポーツの場合でも、現にプレイしているゲームの制御層がどうであるかについて完全な合意がとれていなかったり、プレイ中に現行の制御層ではうまく処理できないような事態が発生して、制御層を変更したい(別のゲームへ移行したい)と考えるようになる場合があります。これはTRPGと原理的には同じです。

ですが、スポーツの方がTRPGよりも相対的に安定しているように見えます。(プロスポーツ団体の存在など、社会的要因の作用をここに見て取ることもできます。議論はされていなかった気がしますが。)TRPGの不安定性の要因を考えてみると、「TRPGは架空世界を扱っていて、その扱いかたが「それらしい」ものになっていることにこだわりがある」という点と「TRPGはスポーツよりもずっと複雑な事態を扱う」という点が考えられます。(他にもあるのですが、これがとりあえず注目されてきました。)この議論が具体的な工夫に結びつくかどうかは僕にはわかりませんが、TRPGの独自性を検討するという議論にはなっており、その検討もまだもう少し踏み込んでできるような気がします。

ゲーム性を確保するための工夫としては、「制御層を小さくとるTRPG」が考えられます。これはスポーツにおける制御層が反則の規制や得点など重要部分の処理を受け持つという初期の発想の、TRPGへの比較的ストレートな適用で、まだ検討の余地があるという気がします。あるいはもうmyrtさんの方では論点を出し切っていて僕がそれを理解できていないだけかも知れませんが。
その後の議論を通じて、制御層はゲームについて定義された要素であれば何を含んでもよい(何かを含まなければならないということもない)ということになりましたが、これがTRPGにどう関わってくるのかは僕には少しはっきりしない点です。

もうひとつ、個人的には「制御層を小さくとったTRPG」と以前議論したディプロマシーがよく似ているような気がするのが気になっています。ディプロマシーの議論をした時にはゲーム核の話をしていましたが。

3)「ゲーム性重視」とゲーム間の移行原則

「独立性」「中立性」などの原則に従って追加設定作業が行われるならば、ゲームっぽさのある遊びにはなるのではないか、ということが考えられます。これは最近唐突に出てきた話題ではありますが、以前、「別ゲームに移行するならサッカーをやっていて野球をやろうと言い出すのと同じで移行先のゲームの選定について何の必然性もなくてよい」という可能性と、「必然的な移行の仕方はないけれども、でたらめでとも違う」という可能性の話をやや具体的に展開したものになっています。これまでの議論との関係で言えば、「ゲーム間の移行の原則」とでも呼ぶべき議論だ、ということになると思います。上記の1、2、では別ゲームへの移行はゲーム性を損なうのでそれを防ぐ可能性を検討していたわけですが、こちらは以下に問題の少ない(あるいは何か利点のある)移行をするか、を考えるものです。

まだ数本しか投稿がないので当然ですが、原則の種類、原則間の矛盾の処理の仕方、原則の採用や適用方法をめぐる合意形成、監査などいろいろ議論していない部分があります。

4)ゲーム性の細分類

ゲームの定義、ゲーム性の分類はこれまでも折りに触れて議論になってきました。TRPGとの関連でとりわけ意味があると思われるのが、ゲームの構図、とでも呼びたいような側面です。GM対プレイヤー、プレイヤーの自分の限界への挑戦、プレイヤー間の優劣の争い、GMとプレイヤーの協力(「物語重視」の場合など)、更には同時にプレイしていないプレイヤー間の優劣の比較(ゴルフとの比較でおこなった議論で多少検討しました)、などがあります。あれこれと参考になるような議論はあるのですが、未整理の感が強いです。

以上、駆け足ですが、4種類の比較的独立した話題があるように思いました。
2002年03月01日:19時14分46秒
【比較ゲーム分析】Re:インチキと唐突イベント / トモス
#制御層からは離れた話のようなので識別子を戻してみました。

(myrtさんの【制御層とゲーム分析】インチキと唐突イベント、2002年03月01日:17時50分40秒へのレスです。)

手短にですが、myrtさんの意見を言い換えると、「デザインの悪い(バランスの悪い)ゲームをやる位ならちょっとぐらいごまかしがあっても面白い擬似ゲームをやる方がいい。おれはゲームが好きなんだ。」という人がいるはずだ、ということですね。少し前のmyrtさんの話とつながって、よくわかりました。そして、確かにこういう人はゲーム重視派と呼べそうな感じがします。

(sf:依頼により重複削除しました)


2002年03月01日:17時50分40秒
【制御層とゲーム分析】インチキと唐突イベント / myrt
(Re:2002年03月01日:03時30分54秒【制御層とゲーム分析】Re:ゲームっぽ さと真にゲームであること / トモスさん)

>>インチキの可能性がどうしても気になる人はTRPGでゲームをやろうとせ ずに、もっとゲームの成立が保証されている度合いが高い、カードゲーム なりボードゲームなりコンピュータゲームなりで遊ぶ、ということでしょうか。<<

 ここで悩んでいるのですが、以下の場合を考えてみます。 case Bに対して「インチキだ!!」という人がいますので、分けて考えたほうがいいと思います。

case A:TRPGで、GMが突然新設定を持ち出してゲームが変わってしまう。
case B:CRPGで、唐突なイベントが発生する。NPC離脱による強力アイテム持ち逃げ が発生し、極端に戦力の悪化する。離脱前のデータから再開すれば対策は可能だが、 かなり前のものしか残っていないとする(特にシステム的にセーブ可能なタイミング を制御している場合)。
case C:TRPGで同様の唐突なイベントが発生する。ただしこのイベントは、シナリオ作成 時に設定されているとする。
case D:PCのCRPGですさまじいパッチがあたり、それまで有効だった戦略が全く 通じなくなる。その結果それまでの戦略用のカスタマイズされていた 戦力が弱退化する。
#ネットワークRPGだと深刻だが、頻繁に発生しているような気が...

 また、スポーツには「反則があっても、その結果反則 された側が有利になった場合には試合を止めない」というルールがあるも のがあります。これを「新設定がなされても、それがそれまでの展開から十分に 納得できるものであれば抗議しない」と拡張できると思います。

 つまり、プレーヤーが論理的ではなく感情的に納得できないときに、 大義名分があるときはそれを掲げて抗議する、ないときには我慢する、という 傾向があるのではないでしょうか。その結果、case Cにおいて納得できない のでcase A型の修正を要求する自称ゲーム性重視プレーヤーもいると思います。
2002年03月01日:17時46分58秒
【制御層とゲーム分析】プレーヤー間の勝負性 / myrt
(Re: 2002年03月01日:02時42分22秒【制御層とゲーム分析】なぜ、ゲーム性を重視す るのか?と言う観点から / Purpleさん)

>>(2)勝負製(プレイヤー間の優劣を比べあうという要素)がある。 <<

 TRPGの場合、自分でない、他のプレーヤーとの優劣を比べ合うのは むしろ特殊例だと思います。ほとんど自分自身との戦い(??)ではないかと。 それを除けば、この意見に同意します。

(Re:2002年03月01日:03時48分47秒【制御層とゲーム分析】なぜ、ゲーム性を重 視するのか?と言う観点から / トモスさん)

>>もうひとつ考えられるのは、GM対プレイヤーという対決型の構図でしょうか。 <<

 そういう場合もありますが、仮想プレーヤー(主に悪役NPC、場合によっては 単なる自然障害)とPCとの対決の構図を描くほうが素直だと思います。 TRPGではPCが全力で困難に立ち向かうときに、プレーヤーが「より妥当な設 定」を要求して状況を困難にする場合がありますから。プレーヤーがPCに 有利な設定ばかりを要求しだしたら対決と言えますが。
2002年03月01日:03時48分47秒
【制御層とゲーム分析】なぜ、ゲーム性を重視するのか?と言う観点から / トモス
前の記事を投稿してから、Purpleさんの投稿(【制御層とゲーム分析】なぜ、ゲーム性を重視するのか?と言う観点から)に気がついたので、ひとつ感想を書かせてもらいます。

Purpleさんはゲーム性を重視する(少なくともそれを楽しむことがある)と思っていたので意見を伺いたいと思っていました。

僕は、TRPGではプレイヤーやPC各人の立場の違いなどがあるために、「あるプレイヤーと別のプレイヤーはどちらが優れいているか」をゲームの勝敗という形では決めづらいと思いました。厳密な勝敗を争うわけではなく、経験点の量やミッション達成への貢献度などを参考に何となく優劣がつけられる、ということだったら分かるのですが。

ただ、そうしたプレイヤー間の優劣が非常につけにくいような場合であっても、「自分のどの手はよい手であったか」は後から考えれば(時にはプレイ中にでも)わかる場合があります。(これも非常にわかりづらいケースがあるわけですが。)あるいは、他人のプレイを見ていて、「なるほど、そういう魔法の使い方があったか」などと思うことがありますが、これも、「自分のPCと直接優劣を比べることはできないが、自分の予想を超えたよい手を打った、この手は、この状況におかれたPCにとってはよい手だ」ということではないかと思います。
こうした「手の評価」は数学の問題の解き方についても考えられるものだというPurpleさんの整理には賛成です。これがTRPGのゲーム性かな、という線で僕はこれまでは考えてきました。

もうひとつ考えられるのは、GM対プレイヤーという対決型の構図でしょうか。
2002年03月01日:03時30分54秒
【制御層とゲーム分析】Re:ゲームっぽさと真にゲームであること / トモス
(myrtさんの【制御層とゲーム分析】Re:ゲームっぽさと真にゲームであること、2002年02月28日:17時56分35秒へのレスです。)

>>>どうしてそういうことを考えるかと言うと、「ゲームっぽさ」がある場合でも、それが本当に見せかけだけというか、思い込みのレベルでしかない場合というのが多いような気がするからです。<<<(トモス)
>> そう思い込めることが、TRPGプレーヤーの素質の一つであるように思います。<<(myrtさん)

この意見、なるほどと思いました。特にそれに続く例は面白い指摘でした。敷延してみると、インチキの可能性がどうしても気になる人はTRPGでゲームをやろうとせずに、もっとゲームの成立が保証されている度合いが高い、カードゲームなりボードゲームなりコンピュータゲームなりで遊ぶ、ということでしょうか。例えば「TRPGはゲームの出来損ないだから、ゲーム愛好家としてはTRPGには興味が持てない。ただ、自分は物語なりキャラクターなりノリなりを楽しむためにならTRPGをプレイしたいとは思う」という意見は余り耳にしませんが、そういう人もいるということになるかも知れません。
あるいは、「TRPGではゲームが成立しているかどうか怪しい時が多くて気になるけれど、シチュエーションの多彩さや舞台になる世界の複雑さなど、ゲームを面白くする他の要素があるからやっぱりゲームとしてプレイしたくなる」といったところでしょうか。こちらの意見はちらほらと目にするような気がします。

myrtさんが「トイ(等)」という言い方で示唆したかったものが何なのかわからないのですが、こういうことでしょうか。

ただ、これもまた僕の怪しげな憶測ではありますが、TRPGでは「ゲーム性重視」のプレイヤーはシミュレーションゲームやコンピューターゲームも好きで、それは例えばライトノベルやマンガの創作が好きな人が「物語性重視」や「キャラクター重視」なのと対照的、という感じがします。もしこの憶測がある程度当たっているなら、「自分はとにかくゲームが好きで物語やキャラなどには興味がないからTRPGでもゲームをやる」、とか、「自分はとにかく学園ロマンス系の物語づくりに興味があるからTRPGでもそれをやる」というような感じになっている面があるような気がします。「それならわざわざTRPGをやらずにボードゲームでもやってればいいのに」「それならわざわざTRPGをやらずに同人誌でも創っていればいいのに」という類の意見を見たこともある気がします。たぶん実際にそういうこと(ゲームなり創作なりにこだわりがあるためにTRPGに納得が行かず、より純粋にゲームなり創作を楽しめる活動だけをやる)は起っているのでしょうが、逆「ゲームとは違う何かとしてTRPGをプレイする」とか「創作とは違う何かとしてTRPGをプレイする」という話は少ないような印象があります。

他にも考えていることがあるのですが、書けば書くほど憶測を重ねることになって、余りいい心地ではないのでこの辺にしておきます。
2002年03月01日:02時42分22秒
【制御層とゲーム分析】なぜ、ゲーム性を重視するのか?と言う観点から / Purple
 2002年02月28日:17時56分35秒のmyrtさんの書き込み
 >だから「ゲーム性重視」と言われてきた立場でも、「悪いゲームだけれども、きちんとゲームであるプレイ」と「ゲームとして厳密には成立していないが、ゲームっぽさが感じられるプレイ」の認識が、参加者全員で共有できるのであれば後者を選ぶのではないでしょうか。
 
 私もこの意見に賛成します。
 
 「ゲーム性重視」は、「厳密にゲームとして成り立つことを重視する」ではなく、
「ゲームとしての楽しさを重視する」だと思います。(というか、そのつもりで今まで書き込みを行っています。)
 
 以前書いたように、私は「ゲーム性」と言う単語で語られるときの「ゲーム」を次のようなものだと思っています。
 
 (1)考えるということを主体とした遊び
 
 ただし、それだけだと、数学の問題を解くことも(それが遊びなら)ゲームになってしまい、「それはちょっと違うなあ」と思うので、
 
 (2)勝負製(プレイヤー間の優劣を比べあうという要素)がある。
 
 という第2条件が付くと考えています。
 
 ともかく、私は「何か問題を解く」「うまい手を考える」と言うことを楽しい・面白いと感じることは多いです。そのため、そういった楽しさを満たしてくれる、ゲームが好きです。
 
 RPGにもそういう部分はあると感じています。私は「マスターが用意したシナリオを解くために、頭を使って考える。」ことが楽しいのでプレイヤーをします。
 また、シナリオを作る際に「プレイヤーがどういう行動を取るのか予測する。」「プレイヤーが面白いと思ってくれるようなバランスのよいシナリオを作るために考える」ということが発生しますが、そういったことを考えるのも楽しいので、マスターをします。
 
 他の人はどうなのか判りませんが、私の場合はこうです。
2002年02月28日:17時57分22秒
【実装とゲーム分析】Re:質問:『何が』同じゲームでしょう? / myrt
(Re:2002年02月27日:11時38分43秒【実装とゲーム分析】Re:質問:『何が』同じゲームでしょう? / トモスさん)

>>これまでのところ、「何が同じゲームか」は固定されておらず、むし ろ逆に、何が同じゲームについて語った らあれこれの考えがうまく整理できるだろうか、という摸索を続けてきました。<<

 ここがズレなのかもしれません...

 私の立場は、先に定義ありきです。あるゲームの定義に合致しているプレイを すべてのそのゲームのプレイであることを認めるものです。その中でも特に、 ルールを定義するものに重点をおいています。

 だからこの立場では、「あるゲームをしていたら細かいルールの違いが発覚 する」ことはありえません。「同じゲームをしているつもりだったが、お互い 違うゲームのつもりだったことが発覚する」ことと「ゲームのルールについて は同意していたが、どう実装するか意見がわかれる」ことはありえますが。
2002年02月28日:17時56分35秒
【制御層とゲーム分析】Re:ゲームっぽさと真にゲームであること / myrt
(Re:2002年02月27日:12時45分27秒【制御層とゲーム分析】Re:ゲームっぽさと真にゲームであること / トモスさん)

>>また、「悪いゲームだけれども、きちんとゲームであるプレイ」と、「ゲー ムとして厳密には成立していないが、ゲームっぽさが感じられるプレイ」が あった場合には前者を選ぶのが「ゲーム性重視」のプレイだという のは、僕の思い込みでしょうか。自分でもここは迷う点ではあるのですが。 <<

 今まで「ゲーム性重視」と言われていた立場は、「トイ(等)とし ては面白いがゲームとして成立し損ねているプレイ」よりも「トイ(等)と しては面白くないがゲームとして成立しているプレイ」を求める立場と いうことになるのではないかと思います。

 だから「ゲーム性重視」と言われてきた立場でも、「悪いゲームだけ れども、きちんとゲームであるプレイ」と「ゲームとして厳密には成立 していないが、ゲームっぽさが感じられ るプレイ」の認識が、参加者全員で共有できるのであれば後者 を選ぶのではないでしょうか。

 結局「この変更を加えたらゲームとして成立しなくなるが、ゲームっぽい 面白さが増すか、あるいは減ずるか」に対するプレイ中の判断は割れうると思い ます。これが妥当性の判断に通じますから。

>>どうしてそういうことを考えるかと言うと、「ゲームっぽさ」がある場 合でも、それが本当に見せかけだけというか、思い込みのレベルでしかな い場合というのが多いような気がするからです。<<

 そう思い込めることが、TRPGプレーヤーの素質の一つであるように思います。 出展は失念してしまったのですが、「気合いを入れてダイスを振るな」という 話がありました。ダイス目を気合いで操れると思わないなら無駄だからやめろ、 思うならルール違反だから他のランダマイザを使え、という奴です。

 また、インチキとゲームっぽさの関係を示す例としてコンゲーム(はったり ゲーム)があります。コンゲームとは、適当な事象(酒場に次に入ってくる 客の性別とか)に対して賭ける ギャンブルの一種で、胴元がいろいろ細工するものです(しないのもそう呼ぶ かも...)。つまり詐欺みたいなものです。

 大抵は細工(詐欺)がバレたら胴元の負けなのですが、賭けの対象が「胴元が あることに挑戦して成功するかどうか」である場合はその限りではありません。 胴元がその賭けを提案した時点で何か勝算があることは明らかであり、勝算が 細工によってもたらされるものであることは十分考えられます。その細工が 納得いくものであれば賭金は支払われ、いくらなんでもインチキだと思われ れば払われないか、次回からの賭けが成立しなくなるでしょう。

 インチキがあるときのゲームっぽさの参考になるような気がします。
2002年02月27日:12時56分13秒
TRPG総合研究室 LOG 091 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 091として2002年02月22日から2002年02月27日までのログを切り出しました。

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