TRPG総合研究室 LOG 076

TRPG総合研究室の2001年11月18日から2001年11月21日までのログです。


2001年11月21日:17時39分00秒
【「世代」と「カテゴリ」の関係】誤解があったようで / 匿名希・望

・SOWさん

>カテゴリ4)は
>・シナリオによって行動が制限されますが、シナリオ内での目標達成を必ずしも行なわなくて良いです
>というのがSOWの初期定義なので、匿名希・望さんが挙げられている例であれば許諾されるものである、と考えています。

最初、「必ずしも行わなくて良い」を将棋で王将を取れ(勝て)なくて良い、という程度の意味にとってました。
ゼロ和ゲーム(必ず一方が勝ち一方が負けるゲーム)であれば、敗北を許容しないのは明らかに矛盾しますが、
非ゼロ和だと全員の勝利を努力目標ではなく前提条件にする(その時点で「ゲーム」ではないと思うが)事も可能ではあるので。
つまり、カテゴリ5)はミッション成功が当たり前で、どう成功するかを楽しむタイプと解釈していた訳です。
これはむしろ、GMで対応できる範囲であればPLの行動の自由も許すので、このカテゴリー分けにはなじまないタイプですね。
#実の所、技術・マナー論の区別を持ち出した背景には時として、この手の「ミッション成功を目標でなく前提にしている」タイプのGMがPLにミッション失敗の非を鳴らす問題も念頭にありました。

・’M’さん
方向付けに関しては双方向的に考えてました。
一番フィットするもので対応させるとああいう配置になった訳です。
#4)に関しては2〜3世代の中間(どちらにも適正が有る)が正しいでしょうが。

実際、発達の仕方は双方向的だと思います。
新しいプレイスタイルが新しいシステムを作り、新しいシステムがまた新しいスタイルを触発するという形で。
#まあこの辺のRPG史に関しては本題から外れそうなので一旦置いておく事にします
2001年11月21日:13時33分51秒
【TRPGでの自由】能動的にGMに認めさせる / myrt
 今の議論は「GMは自由を認めるべきか」「PLはどこまで自由を求めて 良いか」というスタンスが主のようですが、PLの立場が受動的 にすぎる気がします。

 GMの立場では、「そのPLの宣言を認めて今後のプレイがうまくいきそうか どうか」だけが問題で、モラルに反するプレイを却下すべきな のもその一部だと思います。例えば「依頼を断わったら即終りシナリ オ」と「断わったらそれなりに巻き込むシナリオ」での対応の違いとか。

 だから、PLはGMに「それはいい」もしく は「採用しないよりは採用したほうが良い」と思わせればいいわけです。 逆に言えばそれがその場でできないならばどんな良いアイデア でも駄目。無理に通しても、そのアイデアの良さを理解しないGMは 料理法を間違える可能性が大きいでしょう。そもそも自分自身がアイデアを 過大評価しているかもしれませんし。

 ただし「採用しなければマズいことを起こしてやる」というのはモラルの 低いほうに属するでしょう。ついこだわってプレイしてしま うものですが...「ほーほー、それをそういう設定で却下する のね。ならこうだっ」とフクロウ大合唱をしたことがあります。何が大合唱かという とPL大半でやってるから。イジメだ...

 私は、PLの斬新で素晴らしい提案を、シナリオの都合のために断腸の 思いで却下した経験があります。対応できない自分を呪いつつ。そんな ことがありえるプレイスタイルは稀なんでしょうか??
2001年11月21日:13時10分42秒
[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]Re:補足 / 軽身功
お返事ありがとうございます
遅くなりましたがレスを挙げます
>軽身功さんは、今のところ、強いて言えば、
>b)GMのシナリオ構想が箱庭型にしては若干無理があった、と、
>c)GMの構想はよかったがマスタリング手法がまずい、の複合といった趣旨のご指摘かな、と思ってます。
> この理解でよいでしょうか?
はい、その通りなんです
既出か?とも思ったのですが、明文化はされていなかったように思ったので書き込みました
これが原因で議論がこじれることは今までの流れからもうないと思いますので、この件はこれで、いうことで
ありがとうございました
2001年11月21日:11時02分35秒
【TRPGにおける自由】/【TRPGの認知】の私的整理 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>対馬 拓海さん
 レスありがとうございました。
 いただいたレスにも特に異存はありません。
 
 が、議論の公正さを保つため、明確にしておいた方がよいと思える点について、簡単に提案させてもらいたいです。
#部分的にこれまでの発言とダブるかと思いますが、一括再整理して提案してみます。
 
 アタシ自身の発言の補足とご理解ください。(対馬さんへの異論の類ではありません)
 
●まず、「『何をやってもいいです』、と言われると、『かえってむずかしく感じるビギナーさんもいると思う』」について。
 むずかしいだけで、TRPGセッションの一類としては、否定されません。
 
 それから、「ルールのボリュームが小さいシステムでは、比較的短時間で『むずかしい』と思われる、『何をやってもいいです』にまで辿りつけるだろう」これは、リクツの上での予想としては妥当だと思われます。
#しかし、もともと「ルールのボリュームが小さいシステム」が楽しめる人でなくなくては、食指が動きません。
#例えば、特定のワールドが気に入ったのでTRPGをはじめた、というタイプの人にはあまり説得力が感じられないでしょう。
 
 アタシは「自由は無制限ではない」、の立場ですけど。どんなシステム・シナリオ・マスタリング・プレイングなら、TRPGでの自由が最大限発揮できるか? の検討は有意義と思います。
 アタシ個人は、現状では【TRPGでの自由】はその路線を主に考えています。
 
●次いで、「ワールドのボリュームが大きいシステムはビギナーにはとっつきにくい」について。
 実はこの主張も一面の真実をついているとは思います。
 ただ、「だから最近のシステムはダメ」と言われると、その主張にはあまり説得力がないでしょう。
 この関連は、この掲示板で検討すべき話題かどうか、やや曖昧ですけど、「ワールド設定のボリュームが大きなシステムにビギナーが慣れてく方法」などが検討された方が前向きかと思われます。
 
●最後に【TRPGが市民権を得ること】について
 アタシは【TRPGの認知】と要約しましたけど(見出しとしてはどちらでもように思います)。
 当面は、また別の話題として整理してった方が、議論迷走が避け易いように思えます。
 
 もちろん、【TRPGの認知】の話題で、「ワールド設定ヴォリュームの大小」が論じられても構わないのですが、どの話題が主で、どの話題が前提視されているのかなどは、話題のラインごとに整理されてった方がよいかと思います。
 
 一連の議論の迷走をみての個人的判断の提案でした。
2001年11月21日:10時47分57秒
【TRPGが市民権を得ること】ちょっと補足 / カブトガニ
モラルの不足しているPLは、そのたびに教育していくしかないのでしょうね。大変で時間のかかる作業でしょうが・・・
最近のゲームについては、キャラクタメークもそうなのですが、「武器AとオプションBと技Cと特徴Dを組み合わせるとこんなことが出来る」というような、コンボ技?が多く出来るため、そのシステムになれていないと、ついていけなかったりします。もちろん、そういった組み合わせを探すころも楽しいのですが、そのシステムをやりこんでいない、初心者には難しいのではと思うのです。
今なら、ソードワールドあたりのシンプルなシステムで、世界設定をあまり強く出さないシナリオならば、初心者でも役割を演じる楽しさに集中できるように思います。
役割を演じる楽しさ、自分で行動した結果何かがおこる楽しさ、行動のバリエーションの広さは、TPRGの特権のように思います。人にもよるとは思うのですが、それを楽しんでもらうことが、TPRGの楽しさをわかってもらう早道のように思います。
戦闘で勝つだけが楽しみなら、ゲーム機の方%2
2001年11月21日:10時39分33秒
【TRPGが市民権を得ること】ちょっと補足 / カブトガニ
モラルの不足しているPLは、そのたびに教育していくしかないのでしょうね。大変で時間のかかる作業でしょうが・・・
最近のゲームについては、キャラクタメークもそうなのですが、「武器AとオプションBと技Cと特徴Dを組み合わせるとこんなことが出来る」というような、コンボ技?が多く出来るため、そのシステムになれていないと、ついていけなかったりします。もちろん、そういった組み合わせを探すころも楽しいのですが、そのシステムをやりこんでいない、初心者には難しいのではと思うのです。
今なら、ソードワールドあたりのシンプルなシステムで、世界設定をあまり強く出さないシナリオならば、初心者でも役割を演じる楽しさに集中できるように思います。
役割を演じる楽しさ、自分で行動した結果何かがおこる楽しさ、行動のバリエーションの広さは、TPRGの特権のように思います。人にもよるとは思うのですが、それを楽しんでもらうことが、TPRGの楽しさをわかってもらう早道のように思います。
戦闘で勝つだけが楽しみなら、ゲーム機の方が出来がいいですからね。
2001年11月21日:10時34分31秒
市民権 / No666
TRPGは、既に必要十分の市民権を獲得していると思います。

公共施設を利用申請する時に、「ゲーム」では許可してもらえない例もかなり減りました。
ファンタジー小説、リプレイ、最近ではオンラインゲームからTRPGに向かう人も増えていて、実際にコンベンションで「PSOでN◎VAを知ったんです」という人を見かけました。
極論ですが、一本槍のコンピューターRPGから、想像をかきたてられるTRPGへの流れがどこかであるのではないでしょうか。

市民権がある反面、TRPGの方向性を示した入門書の類が貧弱であることには問題があります。
対馬さんが挙げられていた「TRPGがやりたい!!」は私もお勧めですが、他となると「冒険者入門」辺りしか思い付きません。
この部分の整備も課題になるでしょう。

「トーキョーN◎VA The Revolution」は有限会社ファーイースト・アミューズメント・リサーチ、有限会社ゲーム・フィールドおよび株式会社エンターブレインの著作物です。
「冒険者入門」は有限会社ファーイースト・アミューズメント・リサーチおよび有限会社ゲーム・フィールドの著作物です。
2001年11月21日:09時32分28秒
【TRPGにおける自由】への主観的意見レス及び【TRPGが市民権を得ること】 / 対馬 拓海
 題名が長くて申し訳ない。
 レスありがとうございます。
  
  
>ni〜an_7さん
 氏のお考えについて
  
 
> 子供同士の他愛のない遊びでも1人が狡をしたり好き勝手に振る舞えば、それらの
関係に問題が生じる筈です。あそぶことそのものは、結局はこの単純なことが全ての根底にあるのではないかと
ni〜an_7は思います。
 
 
 おっしゃる通りだと思います。やや議題と外れますが、人間が社会的枠組みの中で生きている以上、仮想世界といっても、モラルをもたない自由は多くの人が不自然に感じると思いますね。
 TRPGが市民権を得ることについてですが、2〜3年前よりも状況はよくなっていると思いますよ。市民権を得るために必要なことは、第一に「認知される」ことだと思います。これについては、インターネットの普及が相当に効果的だったかと。例えば「ゲームギャザ」誌には「RPGマガジン」時代からのサークル募集&イベント情報告知コーナーがあるわけですが、この1年で投稿数がかなり減っています。これは「TRPG(など)関連イベントが減っている」からではないと思います。TRPG.NETなどを見ればサークル&コンベンションの数は減っていないからです。単にインターネット接続可能者が増えたために、雑誌告知を必要としない主催者&ユーザーが増えたということでしょう。TRPG.NETのアクセス数はこの1年でも数十万ヒット(正確な数値はわからないのですが)に達しているわけですし、ユーザーが減っているわけでもないと思いますね。で、ネットは商業誌媒体と異なり、かなり前に発売されたゲームのサポートも比較的容易ですし、雑誌を買わないユーザーが興味本位に検索エンジンでアクセスすることもできます。そうした意味で、数年前よりも状況は良化していると思いますね。
 ネット以外でも、ケーブルテレビなどのミニメディアがかなり普及してきましたし、こうした番組素材を必要としていそうなところに売り込む、というのも手かもしれませんね。で、どんなゲームならいいのか、ですが。やはり「他人と遊ぶことに不安がない」ユーザー数の増加が一番効果的だと思います。
 あと、普及媒体ですが、アトリエサードの季刊誌「TRPG:サプリ」はいい仕事をしていると思いますよ(特に増刊の『TRPG:サプリ増刊 2001年度版TRPGガイドブック』は手に入るTRPGカタログ本として、とても必要性の高い分野を埋めてくれた本だと思います)。まだ見ておられないならオススメです。
 
 
>カブトガニさん
 そうですね。「自己中で他人(他のPL)の迷惑な行動ばかりするPLの行動まで自由にする必要は無いだろう」が主に言いたかったことですね。僕は『D&D』世代ですから、「PCの行動は自由」というスタイルの面白さは知っていますが、それを盾にしてエゴを押しつけるユーザーがすぐに「免罪符」とするので、「納得ずくで遊べるヘビーユーザー向けの」遊び方だと思います。というか、「なんでも自由」はプレイスタイル以前にやっちゃいかんことだろ、という気もしますが(汗) 
 で、僕がGMで「悪質な自己中プレイヤー」に出会い、NPCなどでのフォローも無理なら、素直に「GM発言」しますね。キャラクターの行動としての正当さなどを持ち出すと「自由だ」と言われるのは経験的に知っていますので、「パーティゲームのプレイヤーとしてどうよ?」という方向で説得します。で、「例えばこのように行動すれば、他のメンツやシナリオと関われるんじゃないかな」というPCの行動代案を複数提示しますね。とくにコンベンションではそこを押さえておかないと、そもそも時間内に終わりませんし。
 なお、最近のゲームについてのご意見はそうかもしれませんね。最近のシステムには、大抵作成済みの「アーキタイプ」が付いているので、初心者の方が相手であれば、第一回目はそれを使ってゲームに慣れてもらうのも手かもしれません。
 
 
>鍼原神無さん 
 氏のお考えについて
 
 
>「何をやってもいいです」、と言われると、「かえってむずかしく感じるビギナーさんもいると思うんですね。
 それから、何をやってよいかの合意を形成するためにこそ、柔軟性のあるワールドが必要とも考えています。個人的には、実は「あらゆる自由度を肯定するゲ
ーム」こそ、難易度が高く、内向けの遊びである、と思えます。
  
 
 まったく同感ですね。ていうか「なにをやっても自由」なスタイルは「ゲーム世界で自由に振る舞うための知識・常識」をユーザーが勉強していないと成立しないのではないかと思うのですが。例の「脈絡なく国王を殺す」にしても、成年になるまでその世界にいて、他人とパーティを組める程度に社交性のある人物が、普通はそんなことやらんだろ、とか思いますし。だから、「暗殺者だった」とか「国王は実は悪人で……」のような理由があれば、と多くの方々も言われていたのだと思いますし。
 様々なシステムが出ているべき、という部分も同感です。  
 個人の体験が異なる以上、趣味趣向も異なるのが当然であり、好きなスタイルで遊びたい人向けの商品はあるべきだと思うからです。最近のシステムで昔っぽいのは、やはり『パワープレイ』『メタルヘッド』のリニューアル商品だと思います。そういう商品は今後も出てくるのではないでしょうか。『ソード・ワールドRPG』も再展開するようですし。
 
 
>「これまでに無い作品」を追求するのは、これは製作者の本能であって、止められることではないと思います。  
 
   
 については、「今までと同じ方向性の商品の新作」で企画書を通すのは、非常に困難だから、というのもあるでしょうね。シリーズものとかじゃない限りは。
 
 
>是通さん
 自己紹介の重要性については仰る通りですね。コンベンションを主催する側なので、より注意することにします。あと、「四面四角な人」の市民権のくだりですが、「肩肘張って必要性を誇示する」ような宣伝方法で認知されたゲームなんてほとんどないですよね。ユーザーは面白ければ自然に増えると思いますし。
 認知させるためには、むしろ「最初の一回」を失敗セッションにしない方法を考え、リピーターを増やしたほうが、結果として有効だと思いますね。最初の一回から「TRPGの自由度」とか、そういう奥深い部分を教えていくなんて無理があるでしょうから。
2001年11月20日:21時28分47秒
[【自由−技術?マナー?】自己紹介]自己紹介に関する事例(する編1) / 是通
 (自己紹介をする編)です。先の(しない編)と併せてお読みください。
 
 ▼問題のある自己紹介
 1.GM編
A.四面四角な人
 「TRPGが市民権を得るためには云々」と考える人に、少なからず居るようです。
 ■2−A.B(しまった、「うっかりさん」は4じゃなくてDだ!)の言い分には耳を貸さずに、
逆に「TRPGが市民権を得るためには云々」と、マナーを守る事や、社会的な責任感の有無など、
端で聞いている方が嫌になる程、喋ります。
 個人のプライバシーや、ストレスなどは気にしない場合が多いようです。
 日常、姓名でストレスを受けて、趣味の場であるコンベンションでも同じストレスを味わうのは
明らかに可哀相だと思います。
 何でか、本名に拘るのも不思議といえば不思議。
 
B.名札を配る(だけ)の人
 自己紹介の際には、有効なアイテムだと思われている名札ですが、意外と弱点があります。
 ・細いペンで書かれると読めない。
 ・目の悪い人は、読み取りが結構ツライ。
 ・以上2点があった場合、女性の胸元をつい長々と見てしまい、無用のトラブルを生じる事も。
 ・名札の重さで、胸元のガードが甘くなる事もある。
 ・運が悪いと、反射光でやたら眩しい。
 ・だからと言って、腰とかに付けられても見えないし。
 ともかく、名札を“配る”のではなく、“使える”ようにしてほしいです。
 太いマジックも一緒に渡すとか、注意もするとか。
 
 C.世界説明が長い
 オリジナルワールドを作ったり、オリジナルルールを作ったので、それに関する説明をする。
 ……が、長い。というケース。
 GMがしっかり説明事項を纏めていない為に、こうなるようです。
 
 2.プレイヤー編
A.キャラクター自慢
 自己紹介の中で、今までのプレイ経験などを聞かれた途端、以下に他のゲームで
活躍してきたかを語りだす。
 キャラクターシートまで取り出そうとするが、聞いてみると中身は「単なるダイス運」
だったりして、プレイ前から皆を不安な気持ちにさせたり。
 質問した側は、どんなスタイルでゲームをするか、どんなゲームが好きか、という情報を知りたいのに、
プレイ中楽しかった事しか言えないというのは、ちょっと拙くないかな、と考える。
 
B.「設定はプレイ中に決めます」
 キャラクターのデータは埋めたけど、どんな人物像かは決まらない。
 コンベンションでは、少なからずある事ですが、基本的なプレイ指針だけは
皆に伝えておくべきでしょう。
 「気に入らない通りすがりに不意打ち」とか「実は古代ハラホレ王朝の末裔で、額に
不思議な紋章が浮かぶと3倍のパワーが出る」とかプレイ中に言われても、とっさに有効な
対応策が出るGMはそういません。(是通は無理だ)
 ましてや「却下」されるや、ブーたれられても困りますって(苦笑)。
 
 3.コンベンションスタッフ編
A.自己紹介に一生懸命で仕事をしない
 ひょっとしてナンパしてないか?
 
B.投げ遣り
 「注意書きは、冊子に書いてあります」
 冊子の大半が、スタッフの書いた記事に埋まっていて注意書きが、次回の広告の前に
ヒッソリと書いてあるんですが。
 て、いうか記事に使っている強調とか白抜きとか使っていないせいで、皆読み飛ばしているんですが。
 いいんですね、改めて口頭で、勧告しなくても大丈夫なんですね。
 
 是通は、自己紹介の場というのは、共通認識を作る場でもあると考えています。
 そういった意味合いでは、スタッフによる会場説明というのは『コンベンション、それ自体の自己紹介』
でもあると考えて、スタッフの処に加えました。
 これに関しては、「コンベンション雑談所」の方が向く話題になるかもしれません。
 
 ちなみに▼3−Bのコンベンションですが、「携帯は切るか、マナーモードに」という注意を
スタッフ自らが破っていました。
 
 えーと、ここでタイムリミットです。
 (する編2)は日を改めて書き込みます。御免なさい。
 最後に長文、失礼しました。
2001年11月20日:20時19分59秒
[【自由−技術?マナー?】自己紹介]自己紹介に関する事例(しない編) / 是通
 えー是通(ぜっつう)で御座います。
 コンベンションでの自己紹介に関して、主に私が遭遇した方々と、
それにまつわるエピソードを少々。
 
#なお、識別子に関しては、「TRPGにおける〜」を省略することにしました。
 
 ■自己紹介をしない人々
 1.GM編
A.マスター紹介のときに本名を公表しない
 コンベンションのマスター紹介などで、明らかに偽名(か、HN等)を名乗る人たちです。
 コンベンションの主催者との間で、氏名に関するトラブルを起こすときもあります。
 (これについては、後述)
 
B.セッション前に、自己紹介の場を設けないGM
 キャラクターの自己紹介や、プレイヤーの自己紹介の場を作らず、
やもするとGMさえPCのクラス・技能を把握しきれていない場合があります。
 普段、顔見知りとゲームをする機会が多く、仲間内で通じる事は、普遍的なものだと
思っている事もある
ようです。
 
C.GMが自己紹介をしない
 いや、さすがに名前(HN等)は言いますが(笑)。
 マスタリングスタイルや、細かいハウスルールの設定、解釈の分かれるルールなど
何かあった場合、トラブルの種になりそうな事を言わないタイプです。
 これは1−B.のような人に加え、最近のFEAR系システム(トーキョーNOVA.Rとか、ダブルクロスなど)
の推奨するマスタリング・テクニックを知らない人などが多いようです。
 是通本人も成功しているとは言い切れませんし、個人差もありますが、
オプションルールの多いシステムを運用する際、ある程度マスター側のシステムに対する
スタンス等を公開したほうが、ルールの解釈などで揉める事が少なくなると考えています。
 
 個人的な感想としては、普段内輪でやっている方や、コンベンションを
「日常を引きずらなくていい、ハレの場」だと思っている人が多くいる気がします。
 
 2.プレイヤー編
A.警戒・不信
 No666さんが「自己紹介は本当に必要なのか」(01.11.16)の投稿で
書かれていた例などですね。
 まぁ、初対面の人物(特に異性)に本名を教えたくない、という警戒心や不信感は
ある意味当然かと(苦笑)。
 それこそ、HNなどでも良いから“プレイヤー”として、認識させてもらいたいです。
 「戦士○○のプレイヤーの人」なんて、アヤシゲなフレーズでは無しに(笑)。
 
B.本名が嫌い
 2−A.の人とはちょっと違いまして、本人が自分の姓名にコンプレックスを
抱いているケースです。
 現代日本人の苗字を収集しては、現代ものシナリオのネタとする是通としては
言いたい事も分かります。
 現実にカッコイイ苗字や名前というのは存在し、特に有名なヒーローと同姓同名だったりしたら、
それは大変なストレスを実生活でも受けるでしょうから。
 逆に、一度着たら忘れられない、インパクトのある姓名というのもあります。
 
#是通の後輩に「鬼丸」という姓の人がいた。
##今や顔なんて覚えていないが、この苗字だけは忘れられん。
 
 好奇の目で見られることを嫌って、隠す方も居られるので、これに関しては
“プレイヤーとキャラクターの識別(やっぱり後述)”の観点から、HN等でも良いので、
教えてほしいと思います。
 
C.「魔法の対象になりますから」
 ……是通が遭遇した、今のところ唯一無二のケース。
 どーやら「名前を教えると、魔法・呪いなどが掛かり易くなるので嫌」
と、言うことらしい。
 「いくら『真・女神転生TRPG』だからって、それは無いだろー!」
などと、思わず吼えてしまいましたよ、私ゃ。
 つうか、素でソレを警戒する辺り、ある意味凄いのかも。
 
#それとも、そんなに怪しかったのか、当日の私(汗)。
  
4.うっかりさん
 まぁ申告漏れとか、そういったケース。
 聞き直せば、大概教えてくれます。ま、1.〜3.に派生する場合もありますが。
 
 自己紹介をされないプレイヤーさんに関しては、HN等でも聞いておいた方が、
プレイ中にPL/PCに注意しなければいけない事態に、注意する人物像を
指定できる事や、雑談のときの話の振り等に便利なので、聞いておいて損は無いと考えます。
 
 C.コンベンションスタッフ
1.不慣れな場合
 バッジなど身分証明が無かったりして、誰がスタッフか分からない場合とかですね。
 是通はコンベンションに(変に)慣れているせいか、初参加のコンベンションで
スタッフに間違われるという、トホホな経験があります。
 
2.礼儀知らず
 身内の多いコンベンションなんかだと、まれに見る。
 司会らしい人が、壇上でそれらしいことを言っているが、アンタいったい誰なのさ?
 …って、時ですね(笑)。
 こういう所のスタッフマスターが自己紹介をしなくても、是通は驚きません。…絶望はしますが。
 
 スタッフが経験を積んだり、マナーについて考えるべきじゃないかと愚考する次第。
 名札の類は、100円ショップで売ってます。
 
 えーと、ちょっと長くなったので一回きります。
 (する編)は項を改めて。
2001年11月20日:19時25分09秒
[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]Re:補足 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>軽身功さん
 こんにちは。
 質問させてもらってます鍼原と言います。よろしくお願いします。

>設定された「箱庭」の運用が何だが中途半端に見えるのですが
#「[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]補足」 (軽身功さん記,当掲示板,2001年11月19日:20時24分45秒)

 中途半端なのかもしれません。
 件の質問は、「箱庭型」なるものを遊んだことがない人間が、遊んだことのある方の説明をもとに、「こんな感じですか? もし、こんな感じだとしたら、コレコレのことが起きそうな気がして気になるんですけど、どうなんでしょう?」って質問している段階ですので。
 いささかピント外れな点やもしれない、と考えています。
#理解が進みましたら、もう少し突っ込んだ検討を試みたく思ってるのですが、
#それは今段階では「先々の目論見」にすぎないです。
 
 とゆーわけで、アタシのイメージピント外れかもしれない、って前提のうえで、ご質問にお応えしようと思います。
 
 「交流」の件は、「『外部遠方』からやって来た異邦人」ということで、PC達は、定常的な交流が無く、習俗については詳しく知らない、ってケースを想定したつもりでいます。
 世界全体で舞台背景のように安定した奴隷制が築かれている、ということは想定していないです。
 「奴隷」という存在についてPCなりに抱くだろうイメージを、プレイヤーが構築することはアリと思っています。
 が、上記の発想自体、キャラクタープレイ@寺田定義的な発想なので「箱庭型」には適さない、ということはあるかもしれません(アタシにはその辺も判断つきません)。
 
 一応、「初期情報としては『PC達は旅の途中で、背景となる都市国家は奴隷制のうえに成り立っていると聞いた』程度の情報」しか得ていないことにしています。
#「シンドバッドの冒険」とか、英雄コナンのシリーズなどにみられる設定と思います。
 
>拝見した例ですと、GMは設定よりもシナリオに重きを置いているように見受けられます。
 
 はい。その辺から、よくわからないもので、質問させていただいている段階です。
 みなさんのお返事で少しは推測ができてきた気はしてますが。多分、「箱庭型・シミュレーター感覚」でのシナリオは、アタシがよく作るシナリオとは異なるのかな?――考え中、ですけど――そのため「シナリオに重きを置いている」ような印象が生じているのではないでしょうか(?)。
 アタシが身につけてきたシナリオ構想法からいいますと、一番シナリオに重きを置かない事例が仮定の例示になります。
 ちょっとわかりづらいかもしれまえんけれど、こんな感じです。
#事例以上にシナリオ重きを置かなくすると、多分MOさんが「箱庭型・キャラチャット」と言ってられるタイプになるかと想像しています。
#アタシが思う「箱庭型・キャラチャット」は、個人的には、プレイヤーの行為選択の自由は無際限か否かの検討には適さないような気がしまして、それで提示しませんでした。
 
 軽身功さんは、今のところ、強いて言えば、b)GMのシナリオ構想が箱庭型にしては若干無理があった、と、c)GMの構想はよかったがマスタリング手法がまずい、の複合といった趣旨のご指摘かな、と思ってます。
 この理解でよいでしょうか?
2001年11月20日:19時20分14秒
【TRPGにおける自由】Re:に対しての主観的意見への感想 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>カブトガニさんへ
 手前味噌ですけど、わけててよかった、[識別子]と思います。
 「箱庭型の検討」の議論とは別の話題として、感想を直入に言わせていただこうと思います。
 
 最初にお断りしておくと、アタシも対馬 拓海さん同様に、「TRPGが市民権を得るためには、あらゆるPCの行動の自由が保証されるべき」という論旨には納得いきませんで。
 
>むしろ「あらゆる自由度を肯定するゲーム」とTRPGを宣伝してきたからこそ、良心的なTRPGユーザーが減って斜陽化した、と思っています。
 ――という意見にもまったく同感です。
#「【TRPGにおける自由】に対しての主観的意見」 (当掲示板,対馬 拓海さん記,2001年11月20日:11時27分14秒)
 
 「何をやってもいいです」、と言われると、「かえってむずかしく感じるビギナーさんもいると思うんですね。
 それから、何をやってよいかの合意を形成するためにこそ、柔軟性のわるワールドが必要とも考えています。個人的には、実は「あらゆる自由度を肯定するゲーム」こそ、難易度が高く、内向けの遊びである、と思えます。
 
 アタシはいろいろなタイプのTRPGが、ユーザーに手に入り易く市場に出回っている状態がアレば、その方が現状より理想的だと思います。
 
 しかし、製作者の製作能力にはキャパ限界があり、ディストリビューターには、利益率のよい商品を優先する必要があります。
 
 勢い、市場で手に入り易いシステムにはときどきの傾向(流行と言った方が分かり易いでしょうか?)が生じるのは、何もTRPGに限ったことではないと思われます。
 
 で、体験にもとづく推測にすぎないのですが、例え簡便な新作ステムが今市場に出たとしても、もし、「簡便さ・だけ・がウリ」だとしたら、少なくともかつてのようには集客力は見込めないように思えます。

 なぜって、かつては市場になかった簡便なゲーム・エンターティメントは現在市場にあふれているからです。もちろん各種ゲームソフトや、TCGのことを指していますが。期待される相対的競争力はかつてとまったく違う。

 で、何が言いたいのかといいますと。簡便さからTRPGに興味を持つ人もいれば、ワールドから興味を持つ人、場合によっては“原作”から興味を持つ人もいて、市場にはいろいろなタイプの商品があった方が理想的と思います。
#当然「いろんなタイプ」の中には、カブトガニさんが言われるような「ゲームを始める前に多くを知らなくても始められるシステム」・も・あった方がよいとは思います。
 
 ただ、製作者が、それぞれの思想に基づいて、「これまでに無い作品」を追求するのは、これは製作者の本能であって、止められることではないと思います。
 ディストリビューターが、より儲かる商品を求めるのは、市場では利の当然です。
 最近のシステムの傾向は、こうした市場メカニズムの結果にすぎない、とアタシには思えます。
 
 このような状況下で、作り手でも送り手でもないユーザーにできることは何かと言うと。
 一案、昨今のゲームでも、ビギナーが、より簡便なプレイから入れて、プレイ回数に応じて、ステップ・アップしていけるような工夫、などだろうと思っています。
 あるいは、才能のある方はユーザーであっても、簡便な同人システムを作られても構わないと思います。
 
 簡便な遊び方の紹介も結構と思いますが、「昔はよかった」的な論調が伴われる場合には、この投稿に書いたような考えでいただけないと思っています。
2001年11月20日:17時42分03秒
【TRPGにおける自由】に対しての主観的意見への感想 / カブトガニ
対馬さんの意見を読んで、「自己中で他人(他のPL)の迷惑な行動ばかりするPLの行動まで自由にする必要は無いだろう」ということだと、個人的に理解しました。間違っていたらすいません。しかし、この意見には賛成です。
私はPCの行動は制約しないGMですが、上記のような自己中なPLの宣言は適当に流したり、NPCが止めたり、他のPCに止めてもらったり、しながら本人が気づくことを待ちます。でも、あまりにも周りに迷惑なら、そのPCが不慮の事故にあうこともあります。
TRPGはコミュニケーションの上に成り立つゲームですから、周りのPLとともに楽しむことは、参加する最低限の条件だと思っています。
多くの方にTPRGを楽しんでもらうためには、もっと簡単なというか、ゲームを始める前に多くを知らなくても始められるシステムが必要ではと思います。例えば、D&Dで戦士なら、サイコロ3個を数回振れば出来上がりますよね。それでも、経験者数人と初心者1人なら、充分楽しめるでしょう。
今時のシステムは初めに覚えることが多い−>初心者はなにをしていいのかわからない−>経験者がいろいろ教える(場合によっては、替わりにやってしまう。)−>初心者は充分楽しめない。
となっているように感じます。
2001年11月20日:17時16分25秒
現時点におけるni〜an_7的感想。 / ni〜an_7
通りすがりで、横レス致します。
大変申し訳ありません。

古参マスター良 様のご呈示された事例についてni〜an_7は以下のように感じました。

1.マスターをされていた方の態度
不測の展開に対して、正直にご自身の力量不足を提示し、PLの方に対して行動の
撤回を求められたのではないかと感じました。

これについては、次回よりの更なる努力精進を願う次第と思います。

2.PLの方の行動について
ni〜an_7は、この方の行動の根本的理由が、気になります。

何故、他のPLの方々やマスターの方に行動を秘匿する必要があったのか?

是通 様が先に紹介されたように信頼関係等に問題があったのでしょうか?
それとも、英雄指向で何らかのイベントを自らの手で起こしてみたかっただけなの
でしょうか?
ni〜an_7がマスターの立場であったなら非常に気になる処です。

また、鍼原神無 様のセッションの中断に対するご意見への感想としましては、場の
雰囲気と申しましょうか、収拾がつかない状況となった場合は、クールダウンのた
めに中断することもあるのではと思いました。

可能であるのなら、相談の上で次回改めて再会し、参加各位の総意として様々な要
因でそれが難しいと判断された場合は別のゲームを執り行うのも良いのではと思い
ます。

ni〜an_7としては、失敗も貴重な経験とし話し合いの場を設ければよりよい方向に
伸びるのではと考える次第であります。


ni〜an_7は「TRPGが市民権を得る」について考えてみました。

”自由”は素晴らしいことです。
が、必ずしも平安と協調をもたらすとは思いません。

ni〜an_7も、仕事中に目の前のモニターを破壊したい衝動に駆られるほどイライラ
する事もあり、その決断を行うのは究極的にはni〜an_7の自由意志に委ねられてお
りますが、万一、それを実行すればどうなるかは火を見るより明らかと考え、自重
する日々を過ごしております。

他の方と協調し、同じゲームを楽しむためにはルールの他に”他の方と遊ぶ”を考
えなければならないとni〜an_7は思います。

子供同士の他愛のない遊びでも1人が狡をしたり好き勝手に振る舞えば、それらの
関係に問題が生じる筈です。

あそぶことそのものは、結局はこの単純なことが全ての根底にあるのではないかと
ni〜an_7は思います。

さて、市民権そのものですが、それは、広く世に知られること。
大まかによく知らない方にも認めていただくことなのかとni〜an_7は思います。

しかし、TRPGに触れる機会は近くにTRPGで遊ぶ人が居て、興味を覚えると言う事が
一般的なのではないかと思います。
つまり、口コミのような物だとni〜an_7は考えました。

もちろん中には、インターネットや書籍等で見聞きして、お一人で情報を集め上げ
自ら率先して仲間をお集めになったり、コンベンションに参加したりする方もおい
ででしょう。

でも、ni〜an_7はそう言う方は極少数派なのではないかと感じます。

TRPGはあまりTV等で紹介されたり宣伝されたりしません。
TRPGの専門雑誌は、その数を減らしている一方と感じます。
TRPGは、まれにコンピュータゲーム等で「D&Dをモデルにした世界観・・」等の紹介
を受ける場合もありますが、具体的な紹介に至らないことが多いと感じます。

インターネット内では、TRPGに関するコミュニティーを多く見かけます。
でも、それはni〜an_7がTRPGに関する話題を検索する機会が多いという指向の偏り
も多分に含んでおり、よりパブリックなポータルサイト等で話題になるようなこと
は無いような気がします。

市民権を得るにはまず、多くの方に知っていただくことが大切なのかと思いますが、
その実現についてはni〜an_7は何も思いつきませんでした。

力不足です。
すみません。

最後となりますが皆様の、話し合いが有意義な結論を得られるようお祈りいたしま
す。

2001年11月20日:11時56分47秒
Re : [【TRPGでの自由】箱庭型の検討]仮定にもとづく事例での質問 / 紙魚砂
ども。や、ちょっとレスが遅かったか?(^^;
>鍼原神無さん
質問:こうした事態がおこった場合、「GMの不満」「プレイヤーの不満」双方についてどのような根拠でいか様に評価されるべき、と思われるでしょうか?

 えー、僕がやるセッションはほとんどすべて箱庭型でやっているものと思われるのですが、評価としては、

GM)
 そういうゲームだから仕方ないと思う。そういうゲームを提案したのは自分の方だし(満足&不満)
PL)
 キャラのやりたいことはやらせられた(満足)。
 あっけなく終わったことに対しては物足りないかも(不満)。

・・・といったところでしょうか。

 質問はされてないですが、実際の対策としてはこんな感じにしています。

対策1)そういうゲームだから仕方ないと諦める
対策2)その辺のゲーム性は捨てて「そこでその選択は採らない」ということをゲーム上の規定として追加しなおし、プレイを続行する。

の2択になりますね(PL/GM共通)。しかしどうも世間ではそこで潔く終わることを良しとしない方が多いようですので、そういうタイミングが来た時には「そこでその行動を選択すると***という展開になって即セッション終了になりますが良いですか?」とプレイヤーに確認は取ります。そこで即終わってしまう責任の一端(と言うか大半)はPLの方にもあるわけですので。場合によっては話し合いに持ち込みます。

#正直GM的にはいつも「どっちでもいいじゃん」と思っています。(w

 ちなみにPL側では

「PL:もっと話を続けたい」
「PC:ここであえてその行動を採るのがキャラの希望である」

と、PLとPCの目的が明確に分かれる場面で、非常に面白い状況ですね。GMの立場から言わせてもらうと、それはほぼ100%PL側の問題だと思いますので、状況だけ説明して自分でどうするか選んでもらうのがいいかと思います。

#個人的な感想としてはとしては、鍼原神無さんの挙げられた例ですと、とりあえずクライマックスの戦闘だけでも演出出来てよかったね、という感じでしょうか(笑)。
2001年11月20日:11時29分54秒
[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]RE:セッションを・・・ / カブトガニ
鍼原神無さんレスありがとうございます。
やっぱり、戻ったほうがよさそうですので、識別子をつけました。
まず、頂いたレスの中で、疑問がるのですが、レスの中に、「敗北」という言葉が有るのですが、「敗北」とはどういう意味で使われています?
私はTRPGでは、PCがNPCに戦闘などで「敗北」することは有っても、PLがGMに「敗北」することは無いと思っているのですが。TPRGは戦闘シミュレーションや、GMとPLの知恵比べがすべてではないですよね。
その気になれば、GMはPCを簡単に葬ることができますから・・・

極楽大王さんの対応では、確かに「PLの行動を却下している」と見ることも出来ますが、どちらかというと、「PLの状況認識に間違いがあるか、自分の説明が良くなかったと思って、再度状況説明と考える機会を持ってもらった」のだと思います。【TRPGでの自由】で話になった却下云々は、PLが状況を把握したこの後、『再度攻撃を宣言した場合にどうするか』が問題なのではないでしょうか?。
GMが「この状況でPCが攻撃するわけない。」とPLの宣言を却下するか、「衛兵や町の人間に殺された。」、「衛兵が出てきて捕まった。」とするかで分かれると思います。
大雑把に3種類、1)却下する。2)遠慮なく、全滅させる。3)ストーリが変わるかもしれないが、続ける。といった流れに分けられるでしょうか。
MOさんの補足説明に有るように、GMに却下と言われるのはPLにとっては「何でダメなんだよ!」と楽しみを取り上げられたように思ってしまうでしょう。ですから、私は3)を選択したわけです。

もう一つ方法がありますね。「NPCが止めに入いる。」とっさに思いつけば、これはやるかもしれません。
GMからの却下といえば、そうなのですが、やんわりと方向を変える事が出来て、PLも受け入れやすいのではないでしょうか?この後、NPCとのやり取りで、PLの真意を引き出すことが出来ます。
その結果、全滅したいならそのとおりに、奴隷制度を辞めさせたいなら現実的な方法を考えてもらうとか、道が開けます。
仮に、奴隷制度を廃止させる計画を立てても、うまくいくかどうかは保証の限りではないですけれど・・・
ちなみに、私が思う箱庭型のスタイルには、「GMとPLが物語りを作っていく」という目標というか、目的というか、楽しみがあり、継続することにも大きな意味があると考えています。なので、箱庭型を例にした場合、簡単にセッションを終わらせることがおかしいと感じたわけです。
2001年11月20日:11時27分14秒
【TRPGにおける自由】に対しての主観的意見 / 対馬 拓海
 横レス失礼いたします。
 古参マスター良さんのご意見に対して思ったことです。
 以下はあくまで僕の個人的意見であり、押しつけたり、お考えを変えるべき、というつもりはないことを、最初に明記いたします。
 さて、以下の意見は
 
>TRPGが市民権を得るためには、あらゆるPCの行動の自由が保証されるべき
 
 
 という論旨(もし違ったなら申し訳ないのですが)に納得が いかないという趣旨の話です(なお、それまでの皆さまのご意見 では、宇津見さん、あきのりさんのお考えにほぼ賛同しています)。
 最初に明記しますが、僕はむしろ「あらゆる自由度を肯定する ゲーム」とTRPGを宣伝してきたからこそ、良心的なTRPGユー ザーが減って斜陽化した、と思っています。
 理由は、その宣伝により「ルール的に可能だから脈絡なく国王 を殺す」ような“TRPGが複数人で遊ぶパーティゲームであること” を理解しない無法行為を肯定する遊び手が増え、ついていけないor 理解できないユーザーを増やしたと考えるからです。
 「(脈絡なく)国王を殺す」という行動は、「PCに可能なこと」で あっても、GMのシナリオ作成努力を踏みにじり、また、それまで シナリオ目的を達成しようとしてきた他のプレイヤーの努力を踏み にじる行為だと思います。なぜか? 他の人が目的としていたシナリ オ目的や、今まで構築されてきたストーリー、及びセッション内での 世界観が、その発作的な脈絡のない行動により崩壊してしまうからです。
 そもそも「他人とゲームを遊ぶ」ということは、他人の努力や 価値観を“尊重”する、ということが不可欠ではないでしょうか?
 大変失礼ながら申し上げますが、それは「他の人が楽しんでいること」 に責任が取れない、身勝手で無責任な遊び方の肯定論だと思います。
 もちろん、例外として「GMを含む場の全員が、発作的な国王殺害」 ですら肯定する、というのであれば、それはそれで構わないと思います。
 
 が、大抵のゲーム参加者はシナリオ目的を尊重して行動するでしょう。 なぜか? ほとんどの人は、他人とのコミュニケーションの基本が「価値 観をすりあわせて共通認識を作ること」であることを理解しているから です。TRPGにおいて、「今日なにを遊ぶか」に対し、一番明確なものは
「GMが示したシナリオ方針」だと思います。これは「今日遊ぶこと」を 示した“テーマ”であり、通常はメンツ間の共通認識となることです。
 そして、プレイヤーがするべき行動とは、「テーマを“尊重”した上で」 自由にキャラクターを考え、行動を発想することだと思います。
 その意味、今まで出ていた例で言うなら「冒険がシナリオ目的のセッ ションにパン屋のPC」というのも論外でしょう。冒険に関わらせるのが 困難だと誰の目にも明らかであり、GM及び他のプレイヤーに不要な負担 を強いるからです(GMが冒険に出るシナリオ、と明記しているなら、その 目的と明らかに反するPCを作成するのは、“周囲が遊びやすくプレイできる こと”を考慮しない個人のエゴでしかないでしょう)。
 それは「他人と遊ぶ」という観点が欠落しているという意味で、よい TRPGゲーマー(人間としてもだけど)とは言えないと思います。
 「TRPGは他の人間と卓を囲むパーティーゲーム」なのだから、他の メンツが遊びやすいように配慮するのは人間として当然かと。で、他人と 関わる、ということには、根底として“公共心”が必要とされると思います。
 「脈絡なく国王を殺す」という行為は、プレイスタイル以前に「ここで国王 を殺したら、他のメンツやGMが困るだろうな」と想定できるハズであり、 それを「自分の理想のプレイスタイルだから」実行してよし、というのは、 単なる個人のエゴの全面肯定でしかないでしょう。それはプレイスタイル以前 に「他人と卓を囲む」人間として適切とは思えませんが(上記の通り“場の全員 がそれに同意している”ならOKだと思いますがね)。
 で、
 
 
>TRPGが市民権を得るためには、あらゆるPCの行動の自由が保証されるべき
 
 
 の話ですが、“公共の利益”を尊重しない、個人的エゴを全面肯定したゲーム に“市民権”は得られるんですかね? 僕が初心者GMなら「国王殺し」は「頑 張ってシナリオ作ったのに、こんな非常識なことをされるなんて! もうGM なんてしたくない」と思うでしょうし、プレイヤーなら「こんなアンモラルすら
『“自由”だから肯定される』という人がいるようなゲームには参加したくない」 と思うのですが(まぁ、そもそも発作的に人殺しをするような人物をPCにするのは、 普通は他のPCとパーティが極めて組みにくい上に、シナリオ目的とほぼ確実に 合致しないという意味で“公共の利益”を考えない嫌がらせか、エゴの主張でしか ないと思えるんですが、どうでしょう?)。
 複数人で遊ぶゲームの基本に置く価値観は「メンツ間の最大公約数」である べきじゃないかと思います。「PCのあらゆる自由」を肯定することは「それぞれ バラバラなゴールを目指してレースをするようなもの」で、単なるエゴの主張合戦 になりかねませんし(※これは昔のシステムでも、最近のドラマ重視システムでも同じ。『ルールで可能だから殺す』と『キャラクターの行動原理にあるから』場を考えず叫ぶ、 根底にあるのは両方単なるエゴでしょう)、そういうのは「何が目的のゲーム」なのか わからないわけですから、それこそ一般人にはまず理解できないと思いますよ。
  
 で、話がやや本題から外れますが「シナリオが一本道」なら「キャラクター の行動に自由度がなくなる」という趣旨のことを言われていましたが、僕はそんな ことはないと思います。「他のPCとどう関わるか」「どんなセリフを言うか」「シナ リオ目的を効果的にどうすれば達成できるか」など、プレイヤーの裁量に委ねられる 部分は多々あり、そして、その行動表現は「プレイヤーの自由」だからです(“テーマ”
=共通認識を尊重していれば、ですが)。
 付け加えるなら「シナリオ目的を尊重したプレイ」は「一本道」になる、という ような論旨をTRPG論でたまに目にしますが、そんなことはないと思います。シナリオ 目的や場のメンツの“共通認識”を尊重した上で、GMや他のプレイヤーの予想していた 範疇より上なプレイを目指せばよく、そしてそれはダンジョン探索などの状況対応シミュ レーションと違って“これで完璧なベストプレイ”と呼べるものは存在しないからです。
 以上のことを申し上げた上で貴方に問いたい。「昔は全面的によかった」のですか?
 「公共心」より「個人の自由」を全面肯定するゲームのほうが、「市民権」が得られる のですか? 「他のメンツと快く遊べるための共通認識」を提示すべく、ゲームシステム や世界観などで、そのゲームを遊ぶメンツの「価値観最大公約数」を限定している最近 のシステムを、一様に『悪』と断罪できる根拠はどこにあるのですか?
 
 少なくとも、僕がコンベンションなどで見た限りでは、バブルのようにTRPGゲーマー が増えた一時期より、システム提示、メンツともにモラルが育ってきていると思いますが……。
 
 現在より「TRPGが市民権を得る」ための具体的方策&理想的スタイルについて、大変 お手数ではありますが、ご教授頂ければと思います。
 長文失礼いたしました。
2001年11月19日:23時11分18秒
Re:セッションを終わらせていいのですか? / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>カブトガニさんへ
#[識別子]外された意図を、スピンオフさせた疑問提起と解釈し、アタシも[識別子]外しました。
 
>セッションを終わらせたことがおかしいという意見がほとんど出ないのが驚きです。
 
 ――の件ですけど。
 
 そこは、アタシの仮定質問が、あえてそういうポイントを狙ってる、って事情が大きく影響してるかと思えるのですが。どうでしょうか(?)。
 
 ルールだけに則って遊び、GMにジャッジに徹することを期待するのなら、ルールだけに従ってゲーム的に敗北することもあるのは当然。(「ガチンコ」ってそういうことと思います)
 特に、オフィシャル・ワールド設定がない場合は、「ガチンコ」だと敗北も起き易い。
 なぜなら、オフィシャル・ワールドの理解共有によるプレイ・マスタリングのガイド指針が無いのだから。
 その場合ゲームの敗北って結果を、どんなふうに考えるのか?
 
 ――みたいな、問いかけも含まれてますんで、「セッションを終わらせたことがおかしいという意見」が、ほとんど出ないのではないでしょうか(?)。
 
 カブトガニさんにお応えいただいたタイプの対応策は、アタシも好きです。
#アタシみたいなタイプに盲点になってたのは極楽大王さんの対応策などです。
 
 ただ「プレイヤーの行為選択は却下されてはならない」の考え方には抵触するのではないか?――本当のとろは、「無制限自由」論の方々にお聞きしたいところなんですが。
#丁度、みなさんにいただいたお応えをもとに、いろいろ考えているところですが。
 
 一連の議論では、「却下」って言葉からの連想に過剰反応されたのかどうなのか、「プレイヤーの行為選択は却下されてはならない」ばかりが繰り返し強調されていた印象があります。
 例えば、「全却下や、選択肢変更の強要ではない、それとなくの変更への誘導はどうなのか?」とか、そーゆー微妙だけど大事なポイントが、現状では、ほとんど不明と思います。
 
 それやこれやで、あえて問題ポイントに関る事例を仮定してご質問している面があります。
2001年11月19日:22時57分16秒
「箱庭型・シミュレータ感覚」プレイの補足説明 / MO

鍼原さんこんにちは。
古参マスター良さんには悪いですが、違った切り口で色々考えて見ますか。

2001年11月17日:18時48分08秒 [【TRPGでの自由】箱庭型の検討]仮定にもとづく事例での質問(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕の記事にて、書かれていた仮定事例ですが、私が思っているスタイルとは多少違いますね。

先に、補足説明を入れさせて下さい。
(先回は事例で出しただけなので最低限の説明しかしてませんでした。)

「箱庭型・シミュレータ感覚プレイ(注意:私的な定義です)
2001年11月16日:00時55分57秒プレイングスタイルの違いによる反応の違い / MOの補足です。
箱庭型、というのはマスターがセッションを準備する段階の話しで、
実際のプレイは、シミュレータの様に、プレイヤーのアクションに対するマスターのリアクションと、淡々と進みます。

プレイヤーに何々をさせたいという思惑はできるだけ省きます。放任主義の様にですね。

基本的に、マスター/プレイヤー同士との馴れ合いを避け、キャラクターの独自性を重視します。
その為に、マスターから帰ってくる情報のみで状況判断し、ストーリー的なお約束や馴れ合いによる行動枠の規制を嫌います。
その代わり自分の知識や判断能力が必要となります。
NPCのセリフや、自分達の行動に対するワールドの反応をみて、手探りで遊びますね。

失敗も成功も自分の責任です。逆に自分で手に入れ無かった成功には価値は無い。
自分(達)の力で手にいれた物(成功)にこそ価値がある。
(d-sysさんのガチンコという表現は妙に合ってますね。)

「箱庭型」というだけでは、箱庭でキャラチャット風にとか、箱庭の中でミッション解決とか、
色々な風に遊んでいる人も含めてしまい上手く話しが噛み合わなくなる可能性があると思います。
また、オフィシャルワールドとの関係も、世界背景がしっかりしたワールドなら十分に使う価値が在り、
オフィシャルワールド自体の有無は特に関係無いと思います。

まあ、私の分類自体はどうでも良く、皆がこの様に考えているかは判りませんが、
仮定として、この様に遊んでいるプレイスタイルの例として下さい。


「箱庭型・シミュレータ感覚」で行くなら、

マスターは、どんどん舞台の要素(NPC、事件、アイテム)を作って置き、
「さてさて、この中でPC達はどんな風に行動し、どんな風になるのかな?」といった感じで、
PC達がどんな反応をして、どんな風に解決するのか楽しみにする。

プレイヤーは、上手くマスターの操る事象から必要な情報を引き出したりして、
状況を的確に把握して、上手く切り抜けたり、自分の思った成果を挙げたりする事を楽しむ。
「ここで(この状態で)、何々したらどうなる?上手くやれば、こんな事が出来るのでは?」といった感じで、
自分達のPCが何が出来るか体験し、どこまで出来るかチャレンジしよう。


#余談ですが、上のような気持ちでPCを行動させたら、マスターから頭ごなしにそれは出来ないと言われた場合、
楽しみを奪われたような気持ちになってしまいませんか?
この様な事が無いように、プレイ前のTRPGをどうやって楽しむかの擦り合わせは大事ですね。
自分の好み/嗜好を押し付けるのではなく、双方ともが楽しめるように歩み寄る必要性がありますね。
2001年11月19日:20時24分45秒
.[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]補足 / 軽身功
すいません今日から皆さんの議論を拝見させてもらっている者ですが
設定された「箱庭」の運用が何だが中途半端に見えるのですが

全世界がそうということならPCは当然奴隷制を知っているはずだし、どこかの1地域ならPCたちは異邦人ということでも構わないと思います。
その場合、交流が全くないなら、PC達は奴隷がいるのを見て驚く。交流のあるところなら、あそこは奴隷を使っているとんでもないところだから行く前には気を付けようと思うのではないでしょうか。

「箱庭」が「箱庭」といわれる所以は地理や風習のような設定を重視する点だと思うのですが、GMからシナリオを振るよりも、PCの自主的な行動に、設定を基にしたふさわしい反応し、設定の面白さを伝えるのが「箱庭」の醍醐味だと思うのですが

拝見した例ですと、GMは設定よりもシナリオに重きを置いているように見受けられます。「箱庭」なら設定の表現に注力すべきだったのではないかと思います(これは例ですけど)
2001年11月19日:18時29分27秒
[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]回答 / ベンジャミン
私個人的には、鍼原さんの質問を読む限りはPLサイドのずさんな考えと行動の結果をGMが示しただけなのではないのかなと思ってます。
取り敢えず、GMは初期情報としてその国の奴隷制については伝えているわけですし、官憲との戦いの際にも捕縛などの行為を試みています。そして、このような状況の場合、降伏等のオプションもあるわけで、全滅するまで戦う以外考えられないわけでもありません。
それにPLサイドの方も複数いるわけですから止めることや阻止するように持っていくこともできたのではないのかとも考えられます。
故に回答としては、
d)プレイヤーのプレイングがまずい、「ゲームバランス云々、GM横暴」の判断は不当
d-1:唐突に奴隷市場で暴れ出すプレイヤーの状況判断がうかつである
d-2:官憲に捕縛されるチャンスを逃し甘い期待(奴隷の加勢)で徹底抗戦を選んだ状況判断がうかつである
d-x:プレイングがまずいその他
・実際に行動を起こすにしても、逃走経路・解決手段等を準備することやその国においての実情など調べること無しに武力による行動を起こすのは安直なのでは。
と考えます。

そして、結果として踏まえた上で
e-1:セッション後に冷静に話し合って双方の不満は解消すべき。セッションとしては失敗だったと認められるべき(ゲームなのだから失敗もあり得る)。
とした方が良い様に思います。
2001年11月19日:15時51分33秒
[【TRPGでの自由】箱庭型の検討]城砦都市カーレか水戸黄門か / myrt
 城砦都市カーレスタンスであるなら、PCは一応生 き残るという目標を持っているものの、その実現性は低くなります。 PCは刹那的に行動すべきで、GMは即座に手ひどい反応を返すべきです。 PCがどれだけ生き残るかゲームを楽しむことができるでしょう。

 水戸黄門スタンスであるなら、PCは否応なく生き残るために 生き残るという目的自体がなくなります。 ある行動に対してGMが「生き残れない」と示唆するのは、却下と同義です。 逆に言えば、手を出せる敵は全部PCの手に負えるものだけです。 PCは死にませんが、事件をどう解決するかというゲームを楽しめます(例えば 被害を限定するとか)。

 出会う敵に必ず勝てても、どう勝つかで差別できればゲームになりえる。 PLの選択肢をすべて許し自己責任を負わせても、あんまり城砦都市カーレだと ただのギャンブルになる。実際のプレイはこれらの中庸になると思います。

私の意見はc-1')です。GMがPLの要望を間違えた(まあPLの主張不足でも あるが)。

 この例は、「お互い水戸黄門側のつもりだったが、GMがPLの要 望を受けて 城砦都市カーレ側にシフトし死の選択肢を選択可能にした(ルール変更)」、「ところがPLが求めていたのは、水戸黄門のままで目の前の悪代官を ラスト悪役(今は手を出せない)から今回限りの悪役に落すことだっ た(リソース変更)」という食い違いのトラブルに見えます。問題の行動の 前後で違うゲームになっているように感じます。

 ルールやリソースの変更はゲーム自体の変更と同義で、 これを気に入らないから変えろというのはPLのわがままです。 しかし答えるならばきちんと答えるのがGMの勤め。大体、GMだって シナリオの不備をプレイ中に調整しているわけで、その際に可能なら わがままを組み込んでやっても悪くないでしょう。 ねだられたお父さんがファミコンと間違えてファミコンみたいなものを買い与え、 子供がトラウマを負ったという話を思い出しました。
2001年11月19日:08時22分21秒
セッションを終わらせていいのですか? / カブトガニ
鍼原神無さんの【TRPGでの自由】箱庭型の検討]仮定にもとづく事例での質問への回答を見ていて驚いたのですが、この程度の脱線でセッションを終わらせてしまうのでしょうか?セッションを終わらせたことがおかしいという意見がほとんど出ないのが驚きです。
この件は、GMの説明不足か、PLの認識不足か、両方か、PLがわざとやっているのか、のどれかが原因でしょう。
以前何かのRPGの本で、「GMは、出した情報の30%しかPLは理解していないと思え」という意味の文書を読んだことがあります。パーセンテージはともかく、情報の伝達は難しいものです。
まして、世界を作りながらの冒険では、PLはまったく知らない世界を冒険するのですから、GMの意図を読み違えることも多くなります。そんな場合、この程度の認識のズレで冒険を終わらせず、PLにその世界を覚えてもらいながら、冒険を続けます。
そのほうが、PLは大きな不満も持たずゲームを続けられて、その世界を継続的に大きくできますし、脱線したことで、GMがおもいもよらなかった部分を作るきっかけになるかもしれないからです。
私の経験上この程度の認識のズレで冒険を終わらせていては、世界はいつまでも真っ白なままで先に進まないです。もし、地図(世界設定)ができても、内容の薄いものになりそうです。
2001年11月18日:08時53分26秒
Re : [【TRPGでの自由】箱庭型の検討]仮定にもとづく事例での質問 / R.O.
>鍼原神無さん
正直、オレもここで提示された箱庭型について完全に理解しているわけではないので、ずれてる気もしますが出された例について回答を。(世界設定を自作したことは度々あるんですが、その場合でもプレイスタイルやマスタリングスタイルが箱庭型には当てはまらない気がするので)

>■質問と質問主旨、質問の狙い
>質問:こうした事態がおこった場合、「GMの不満」「プレイヤーの不満」双方についてどのような根拠でいか様に評価されるべき、と思われるでしょうか?
GMの不満の根拠
プレイヤー達に(タイムトラベラーやパラレルワールド探検者のような)現代とは異質な文化を持つ社会での異世界体験を楽しんで欲しかった。のに、ぶちこわされた。
PLの不満の根拠
奴隷の解放という(現代・もしくはPCの出身地?から見れば)良い行動をすることで、ヒロイックファンタジー的な英雄として楽しみたかった。のに、GMはノってくれなかった。
となるのでしょうか。GMとPLで奴隷社会に対して「視点が違い」ますし、ゲームへの「スタンスも違う」という2重の行き違いがあります。もっとも、スタンスの方をちゃんとGMとPLで共有していれば、「視点が違う」のはGMが意図した異境体験には重要ですから、上記例の最大の行き違いは「スタンスの違い」として良いのではないでしょうか。それをもとに評価すると、↓のようになるのではないかと。
GMの不満の評価
PLに今回のゲームで自分が求めているスタンス(異邦人という立場の意味&ガチンコ)の説明を十分にしなかったように感じられます。【f:その他(PLとの意思疎通が不充分)】
また、PLが行動を考え直すのに最低限必要な情報やリスクの提示もしなかったようです。セッション成立を期待するには対応ミスがあったかと。【c-x:マスタリング手法がまずい、その他】
PLの不満の評価
未知の世界での異邦人なのに、その世界(当該の都市国家)に関する詳細な知識を集める事を怠って行動したと思います。それはPCの行動としても性急な感があるのは否めません。【d-1】
また、いくら戦いを続けても奴隷が加勢しない(遠巻きに不審そうに眺めているだけ)という事態から自分たちの判断の間違いを悟らずに、最後まで徹底交戦したのは状況判断がうかつでしょう。【d-2】
GMの救済に期待しすぎた感があります。【f:その他(GMとの意思疎通が不充分)】
PLのほうは、GMが再考を促さなかったので、自分たちの行動がその世界でも問題ないと思ったのではないでしょうか。たぶん「奴隷達は遠巻きに不審そうに戦いを眺めている」という描写も、「奴隷達が状況を完全に把握してないからで、そのうち気がついて自分たちに味方してくれる」と解釈したのでしょう。
実際にはGMはジャッジ型マスタリングとガチンコを選択していたので、再考を促さなかったのでしょうが、PLはエンタテイナー型のマスタリングを期待していた、と。

GMがどういう立場でPLの行動を判断するかは、セッションのはじめに軽く触れて確認を取っておけば、今回の例のような結末は起こらなかったのかもしれません。例えば、「GMとしては、みなさん(PC)に基本的に自由に行動して欲しいので、自滅的な行動を取っても再考を促したりすることは基本的にしません。ですので、行動が悪ければPC全滅という結果になることもありえます」など。そうすれば、PLも自分の行動に責任を持つと思うのですが。
 
で、スタンスの違いと不充分な意思疎通が原因でセッションが崩壊するというのは、箱庭型以外の多くのゲームタイプでも起こりえます。ですから、上記の【■仮定事例(創作) 】のような例は、箱庭型タイプのゲーム「だから」ありえるのではなく、オフィシャルな世界設定を持つゲームシステムなどでもありえる気がします。

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