TRPG総合研究室 LOG 062

TRPG総合研究室の2000年12月16日から2000年12月24日までのログです。


2000年12月24日:10時33分06秒
[【TRPG論】疑似体験]異論:ゲームソフトの疑似体験と小説などの疑似体験 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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#この投稿は、SHiNさんの投稿、「【疑似体験】 TRPGに存在する、疑似体験を発生させる、さまざまな要素」 (SHiNさん記,当掲示板,2000年12月22日:04時52分29秒)、の部分に関する異論表明です。
#SHiNさんの投稿の論旨全体への意見表明は保留にしたいと思います。
#あくまで「部分」についてですが、異論を表明します。
 
@SHiNさんWrote  (「【疑似体験】 TRPGに存在する、疑似体験を発生させる、さまざまな要素」,当掲示板,2000年12月22日:04時52分29秒)
>私の言う疑似体験というのは、本来は「映画」や「マンガ」、「小説」などの登場人物に感情移入した結果生じるものを指してたはずだったんです。昔は。
>ところが、近年、コンピューターゲームが普及してからは、「ゲーム」が疑似体験を得る場のメインになってきつつあります。電車運転シミュレーション、戦闘機シミュレーション、いっぱいありますよね。
>これら「ゲーム」における疑似体験の特徴は、能動的であるってところです。
>映画を観たり小説読んだ時に感じる、感情移入によって登場人物と一体化した結果得られる受動的な疑似体験ではなく、コントロールパッドを通じて、ゲーム世界に介入することによって、能動的な疑似体験を得るのです。
>一般論としては疑似体験の強度としては、こちらは受動的な疑似体験より大きいみたいですね。(もちろん、ゲームの出来や、物語に対する感情移入の大きさによっては逆転する事もありますけど)
 
 うえの論には乱暴なところがあって、限定が必要です。
 
 「映画を観たり小説読んだ時」の疑似体験は「受動的」なものだけとは限りません。
 
 まず、小説が、「作品に記された情報を受け取るだけのもの」でしたらそれは受動的です。
 比ゆ的に言って、データをダウンロードするようなイメージですね。

 しかし、小説などは新聞のジャーナル文などとは違いますので「作品に記された情報を受け取るだけのもの」ではありません。

 「小説の読解」はもっと能動的なものです。
 例えば、同じ作者の他の作品を参照しながら読んだり、似たような主題の作品と読み比べたり、他にもいろいろなことをしながら、「自分なりに納得の行く解釈を検討していくこと」が「読解」です。
 これは、「たんじゅんなダウンロード」的な読み方と比較すれば遥かに能動的です。
 
 そして、「小説などの受動的な疑似体験」と「能動的な読解を経た疑似体験」を比較すると、前者は、作品に即した妥当な疑似体験から逸脱し易い、と言えます。
 
 SHiNさんは、「感情移入」することを「能動的な読解」と考えているのだと思いますが。(違ってたら教えてください)
 「小説などの能動的な疑似体験」は、作中人物への感情移入をドライブ主導でおこなわれる場合は、作品に即した読解行為を破綻させ易いんです。
 
 なぜなら、小説などの場合、特定の作中人物に感情移入をして選られる疑似体験では、作品世界=物語内容を偏りすぎた観点からのみ観ることになりがちだからです。
 
 例えば、TVドラマの話題なんかで、「ある特定のキャストのファンが、贔屓の役者に感情移入しすぎるあまり、描写されたキャラクター間の人間関係に、凄く歪んだ評価をくだす」みたいなこと、ちょくちょくあります。

 こうした偏った疑似体験には、作品に即してるとは言えない、その意味で妥当でなくなってしまうものもあります。作品の曲解になる、と言えば分かり易いでしょうか。
 
 TRPG論との関連で言えば、うえで論じたような「小説などを読解する場合の能動的なやり方」と、ゲームソフトを操作する場合の能動性、は随分違うものだ、ってことが注意されるべきです。
 
 「映画を観たり小説読んだ時に感じる、感情移入によって登場人物と一体化した結果得られる受動的な疑似体験」「コントロールパッドを通じて、ゲーム世界に介入することによって、能動的な疑似体験を得る」、こんなたんじゅんな比較では、小説などとゲームソフトの公正な比較にはなりません。
 もし比較をする必要があるなら、もっときちんと比較検討されるべきでしょう。
 
 例えば、以下の結論的部分はアタシは強く疑問を感じています。
>一般論としては疑似体験の強度としては、こちらは受動的な疑似体験より大きいみたいですね。(もちろん、ゲームの出来や、物語に対する感情移入の大きさによっては逆転する事もありますけど)
 
 まず「疑似体験の強度としては、こちら〔ゲームソフトなどの疑似体験:カンナ補記〕は受動的な疑似体験〔小説などの疑似体験:カンナ補記〕より大きい」。
 
 うえの部分は、一般論としては、疑わしいです。
  「疑似体験につながる刺激の強さ」を「疑似体験の強度」とイコールとみなす論法には疑問を感じます。
 仮に「刺激の強さ」を「疑似体験の強度」をイコールとみなすならば、今のところ「疑似体験の強度」が一番強いのは、アミューズメントパークの体験型娯楽でしかなくなります。将来はヴァーチャルリアリティ系の疑似体験が、一番強度が強い、ってことになりかねない、論法です。
 
 メディアごとに限定された刺激の種類が、どんな性質の疑似体験を生じさせるかのメカニズム比較を除いて、「疑似体験の強度」自体を比較しようとするのは、無理があると思います。
 
 それから、「ゲームの出来や、物語に対する感情移入の大きさによっては逆転する事もあります」
 これは、そうゆうこともあります。
 けれど、もっと違ったこともあります。
 
 すでに示唆しているよう、「疑似体験の強度」が強まったり弱まったりするのは、必ずしも感情移入だけによるわけでもありません。
 能動的な物語読解行為の方が、作中人物への感情移入よりも、持続性の強い(その意味で強度のある)疑似体験を生じさせること・も・あります。
 
>SHiNさんへ
 この投稿、いろいろ考えたうえで、投稿することにしました。
 SHiNさんの投稿「【疑似体験】 TRPGに存在する、疑似体験を発生させる、さまざまな要素」の全体論旨には、あまり疑問も異存も感じていません。
 前提部分に異論を表明するこの投稿、実は、よくない議論かもしれません。

 「TRPGにおける『疑似体験』ですが、これはいわば「双方向」のものです」って言い方でSHiNさんが言わんとしていることは理解可能です。こちらの方がSHiNさんの投稿「【疑似体験】 TRPGに存在する、疑似体験を発生させる、さまざまな要素」の論旨の主筋なのですが。

 それから以下の部分も意味は理解可能です。
>ロールプレイを行うには、対象を「理解」せねばなりませんよね?対象を理解するというのは感情移入を行うというのとほぼ同じ効果があるようです。この場合、受動的な疑似体験要素が否応なく発生します。と、同時に、TRPGにおいてはそのロールプレイを通じてゲーム世界に介入する(意思決定する)事が出来る。ここで「操縦シミュレーションゲーム」に見られるような「能動的な疑似体験要素」が発生するわけです。
 
 アタシは「対象を理解するというのは感情移入を行うというのとほぼ同じ効果がある」とは思っていません。
 実生活においても、感情移入によって理解が疎外されることはいくらもあるからです。

 けれど、「ほぼ同じ効果がある」とするSHiNさんの意見は、「SHiNさんの考え方」として納得できます。
 
 けれど、この投稿で異論を表明した部分のSHiNさんの意見、アタシには納得し難いものです。

>一般論としては疑似体験の強度としては、こちらは受動的な疑似体験より大きいみたいですね。
 これが、「一般に多くの人がそう見なしてる」の文脈で「一般論」と言われているのでしたら、アタシもそうかもしれない、と思います。
 けど、SHiNさんの投稿、アタシにはそうは読めませんでした。
 
 で、小説・映画・ゲームソフトなど、様々なジャンルを比較する一般論のレベルで考えると、SHiNさんの意見は、部分に注目しすぎた偏ったものと思えます。
 
 前提部分に異論を表明するのはよくないとも思うのですが、投稿しました。

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(sf:A NAMEには#は不要です。またsmallの入れ子構造が変なので修正してあります)


2000年12月24日:10時26分24秒
[【TRPG論】物語生成]物語内容と疑似体験 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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>SHiNさんへ
#この投稿は、SHiNさんの投稿で、アタシの意見ついて貰ったコメントへのレスです。
#アタシの方の立場明確化の意図で、SHiNさんの論への異論表明とかの意図ではありません。(遠慮してるわけではなくてまだまだSHiNさんのご意見の先をお聞きしたいです)
 
@SHiNさんWrote (「【疑似体験】 TRPGに存在する、疑似体験を発生させる、さまざまな要素」,当掲示板,2000年12月22日:04時52分29秒)
>鍼原さんの「TRPGは挑戦(意思決定)×アルファ」という表現に不満があるのは、TRPGにおける意思決定ってのは、「挑戦的なもの」ばかりじゃないって事を言いたかったのです。
  
 あぁ、なるほど。
 アタシの用語系にSHiNさんの用語系とのちょっとしたズレがあるので、スレ違いが、生じたようです。
 SHiNさんの【疑似体験】の議論に直接関係するかどうかわからないんですけど。ちょっと書いてみます。
 
 アタシは、TRPGでの疑似閉鎖系での「意思決定」と、もっと広い開放系での「行為選択」とを分けて考えています。
 コミュニケーションのメカニズムや発想が違うことに注目しています。プレイヤーにしろ、GMにしろ、「ゲーム」の「意思決定」とそれ以外の「行為選択」では、「考えられる選択肢の候補から、それぞれを選択した場合の影響力のリスクとリターンを予測しながら選ぶ」ことは一緒です。
 でも、選択肢候補の考案法や、選択基準が違います、そこの違いに注目しているわけです。
 
 コミュニケーションメカニズムの方では、意思決定は「特殊な行為選択」ですので。その意味で「意思決定は行為選択」に含まれます。
 「行為選択⊃意思決定」ですね。
 
 ですので、アタシの論旨だと「TRPGは挑戦(意思決定)×アルファ」とか「挑戦(意思決定)×アルファ」=「物語表現×β」って言い方がスッと出てきます。
#ちなみに、選択肢発想の広さ・だけ・をみると、理論上は、「可能性を考える意思決定の選択肢」は「蓋然性で考える行為選択の選択肢」よりも広い範囲をフォローすることになります。
#実際は、TRPGの場合「可能性での選択肢」には確率見込みが絡むので、「蓋然性の選択肢」より、そんなに広いとも限らないんですけど。(で、「理論上は」になります)

#「疑似体験要素は意思決定に付随するばかりじゃない」これはアタシも同感です。
 
 ところで、、、
>開放系ゲームには、通常「挑戦的要素」は成立しないんです。
 
 、、、うえは、どうでしょうか。
 アタシの理解だと、例えば、リアルなマネーゲーム(株式でも先物買いでもなんでもよいです)とかは、基本的には開放系のゲームですが「挑戦的」と思います。
 
 マネーゲームも、「情報収集して、疑似閉鎖系のモデルを築かないとちゃんとした意思決定ができない」だから「いわゆる普通のマネーゲームは、実はゲームではなくギャンブルだ」とか言う事も理論的にはできますが(笑)。
 ともあれ、「開放系ゲームには、通常『挑戦的要素』は成立しない」とは言い難いと思います。
#うえは、以下の部分のSHiNさんの真意をアタシが掴みそこねているかもしれないと思って書いてみました。
 
>TRPGの場合でいうと、まず目的が登場し、その達成に障害が伴う事が示され、その障害が回避不能である事が示され、それでもなお、目的を達成しようとした時に初めて、TRPGの開放系リソースを素材とした「閉鎖系」が構築され、「挑戦的要素」になるんじゃないでしょうか。
#こちらで言われてることには、特に疑問ないです。がSHiNさんの真意が掴めているか自信はないです。
 
 一方、、、
>もし「TRPGが挑戦×アルファ」だとしたら、導入部分(「閉鎖系」が構築される過程)なんかは、TRPGじゃない、「TRPGとして楽しめない」事になる。
 
 、、、これについても、やっぱり、アタシとSHiNさんの用語系のズレから、スレ違いが生じてるようです。
 
 アタシはTRPGを「『疑似閉鎖系のゲーム』と『開放系の物語(物語内容)生成』とが複合した遊び」、と考えていますので。
 「疑似閉鎖系が構築される過程」は、物語内容に対する先行予見が検証されてく楽しみがあって、それも、「TRPGとしの楽しみ」の内と思っています。
 先行予見が理由もなく裏切られて、うまく疑似閉鎖系に移行しなかったらストレスが生じたり、いろいろが起こる、と説明できます。
 
 同じ観点から、エピローグについても、1「疑似閉鎖系ゲームの達成度」と2「物語内容の意味作用」が複合して、おもしろかったり、おもしろくなかったりすると考えています。
 
 えーと、大まかに単純化して言うと、、、エピローグの疑似体験の面白さは、そのシーンだけでは決まらない。エピローグに至る過程で生成された物語内容によって面白さは左右される。
 
 映画なんかのディレクターズ・カットと公開版の関係から類推してください。
 ディレクターズカットが公開版より常におもしろいわけではありませんが(笑)。
 物語的には、「あるシーンの面白さ」は全体の構成と前後関係で決まります。例え同じシーンが再現される場合でも、その意味あいは全体との関係で変わってしまうわけです。
 
#ここでは、「生成された物語内容」に「疑似閉鎖系ゲーム展開(ダイスロールの結果とか)が意味する内容」も含めます。アタシの場合、「複合」とはそうした関係性も含めて考えていますので。
#アタシが言う「物語内容」は“Contents of Story”のことなのですが。それとの関連で言えば、「疑似閉鎖系ゲーム展開が意味する内容」は、物語内での出来事の部分要素(ストーリーの構成要素)にあたります。
 
 エピローグでは、疑似体験度とか感情移入度とかが高い場合でも、物語内容での必然性が乏しい場合は、刺激に応じた面白さは期待できない。
 
 逆に、疑似体験度とか感情移入度とかが低くても、物語内容に応じた必然性が了解されれば、了解度に応じて面白さは高まる。
 、、、みたいに考えています。
 
>「GMはいかにしてPLの望むリアクションを知るのか?」って話がありましたよね。それを考量するには、それぞれのアクション(意思決定)が、いかなる動機の元で行われてるかを見極める必要がある。その動機を調べるには、そこでどのような疑似体験要素が発生してるかを分析する必要があると思うのです。
 
 うえの考えはわかります。意図には賛同できます。
 SHiNさんの論を物語生成の方で、サイドからサポート(?)できるかもしれない、とか思っています。

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2000年12月23日:20時35分08秒
【TRPG論】理論の反駁可能性 / myrt
(Re:2000年12月23日:17時43分20秒【TRPG論】RE:反駁 不可能な理論の活用 (myrtさん) / SHiNさん)
> 私が言ってたのは、myrtさんの言った「GMは一人だとは限らない」とい
>う定義の事であり、これは単純に、A(GMは一人)と、非A(GMが一人では無い
>場合)の合計として、あらゆる事象を含んでいることを示しているため、

 ちょっと焦点がずれていると思います。これらはそれぞれ

・TRPGではGMは一人である = GMが一人でないTRPGは存在しない
・GMは一人だとは限らない = GMが一人でないTRPGが存在する

 に対応しており、後者は「GMが一人でないTRPGの存在」を明言し(口語では示 唆程度の場合が多いが)、「GMが一人でないTRPGが存在しない」可能性を否定し ています(よってこれら2主張は 排他的)。例えば「GMが一人でないTRPGの存在を仮定すると定義と矛盾する」こ となどが示せれば反駁可能なのですが、「GMが一人でないTRPGの存在を証明」し た時点で反駁不能になります。

> わたしが「TRPGにおいて、PCを唯一のゲームトークンとしてロールプレイを
>通じて意思決定を行える場合、そこには常に疑似体験の要素がある」 などと
>長々と書いたのも、さまざまな、『反駁の余地はあるが、例外は少ないだろう』
>って思う事柄について確認しておきたかったからに他なりません。

 主張が非常に(私の考えでは不必要な所まで)綿密に書かれてい たために、この主張はその字面だけのものなのか、議論の焦点を絞るためのも のなのか、それとも排他的な意図を持って書かれたのか迷ってしまいました。 そこで私の考えに近いほうからいくつか例を挙げて足がかりを探した結果、 現在に至る長い議論となりました。実際SHiNさんと私の考えの焦点は若干 ずれており、この足がかり探索の過程は必要なものであったと考えています。
#というように長文を正当化しておきます。
2000年12月23日:17時43分20秒
【TRPG論】RE:反駁不可能な理論の活用 (myrtさん) / SHiN

(myrtさん)
>例えば「TRPGは2人以上で行なう」という理論(定義か??)は 真だと思いますが、あまりにも当たり前すぎて誰も活用していること自体を意識していません。意思疎通問題なんてこれなくしては語れないのですが。
 
 いや、これ(TRPGは2人以上で行なう)は、反駁可能です。
  
 「あたりまえ」の事に疑問符をつけるってのは、私も重要な事だと思ってますよ。でも、……こういう指摘を受けてしまうというのは、私の投稿からはそういう部分は感じ取ってもらえなかったって事なんでしょうね。
  
 まあ、それはそれとして、私の言う「反駁不可能」というのは、1+1=2になるって事に反論できるか?って話なんです。
   
 私が言ってたのは、myrtさんの言った「GMは一人だとは限らない」という定義の事であり、これは単純に、A(GMは一人)と、非A(GMが一人では無い場合)の合計として、あらゆる事象を含んでいることを示しているため、反駁不可能であり、TRPG理論ではなく、単なる数学的真理を示す数式に過ぎないと指摘したのです。
 「疑似体験が面白いとは限らない」ってのも、同様ですね。
 集合A(疑似体験が面白い)と非A(疑似体験が面白くない)の集合を意味し、それらは全事象を含んでしまうので、反駁不可能であり、よって数学的真理の説明に過ぎないのです。
 
 TRPGは二人以上で行うという定義は、集合A(TRPGは二人以上)を示しているだけなので非A(TRPGを一人で行う)について言及できます。よって、反駁可能であり、数学的真理ではありません。よって、TRPG理論の一部として使用できます。
 了解していただけたでしょうか?
 
 ですから、
 
 (myrtさん)
 >というわけで反駁不可能な理論はすでに皆が活用しており、それを挙げることは自分や相手の常識を確認する足掛かりとして有用であると思います。とはいえ全部挙げるのは不可能かつ不毛なので、「足掛かりになるかな??」と思える理論を少々確認する程度が良いと思いますが。
 
 って話は、私もそのとおりだと思います。
 わたしが「TRPGにおいて、PCを唯一のゲームトークンとしてロールプレイを通じて意思決定を行える場合、そこには常に疑似体験の要素がある」 などと長々と書いたのも、さまざまな、『反駁の余地はあるが、例外は少ないだろう』って思う事柄について確認しておきたかったからに他なりません。
 
 (myrtさん)
 >SHiNさんの言葉尻にしつこく突っ込んだのは、「ひょっとして足掛かりが違うんじゃないのか??」という疑念が消えなかったからです。実は論法の問題だったようですが、足掛かりは違いそうに見えるのに意見自体は納得できるという不思議感は独特のものでした。
 
 足掛かりの違いを感じつつも、納得できる部分を見出せるというのは議論する人間としては素晴らしい美点ですね。
 
 私は、TRPGファン同士であるならば、「TRPGをより楽しもう、TRPGについてより詳しく語ろう」って足掛かりさえ一緒なら、個人的な嗜好の違いや経験論の違い、表現の仕方の違いなんて関係なく、議論可能だとは信じています。
 だって、もともと(反駁の余地がある定義ではあるにしろ)TRPGってのは、複数の人間でプレイするものなわけで。当然、嗜好や感性の違いに出くわす事なんかは日常茶飯事のはずですから。
 
 もし、myrtさんが、足掛かりが違うと思いながらも、少しでも私の意見に納得してもらえる点があったというなら、それは、この部分で、私たちに共通の足掛かりがあったからではないでしょうか。
 
 ただ、『TRPG論とは、自分の嗜好や技法、プレイスタイルの正当性を主張するためのものである』というスタンスの人を相手にしてしまうと、この足掛かりが消滅し、往々にして不毛な議論になるんですよね…。私が理論武装を批判する理由です。
2000年12月22日:12時55分24秒
【TRPG論】引用間違い / myrt
(Re:2000年12月22日:12時48分34秒【TRPG論】反駁不可能な理論の活用 / myrt) での引用間違いです。

>マーフィーの法則に述べられる通り、 彼らは明言されていなければ彼
>らは「熟達者にとっての常識」を簡単に破ります。

 マーフィーの法則では、「考えられるすべてのミスについて注意すれば、 彼らは考えられないようなミスをする」だったような気がしてきました。 不適切な引用ですみません。
2000年12月22日:12時48分34秒
【TRPG論】反駁不可能な理論の活用 / myrt
(Re:2000年12月22日:04時58分26秒【TRPG論】 適用結果に個人差がか かわってくる理論の適用範囲を示すための適切な表現方法 / SHiNさん)

> このあいだ、コメントし忘れたんですが、一応、現実の事象(ここ
>ではTRPG)を扱うための理論を作る場合、常に反駁可能でなければ実
>用足りえないと思うのですが。

 それは、反駁可能な応用例こそが実用を意識されることからくる錯覚 だと思います。例えば「TRPGは2人以上で行なう」という理論(定義か??)は 真だと思いますが、あまりにも当たり前すぎて誰も活用していること自体を 意識していません。意思疎通問題なんてこれなくしては語れないのですが。

 ところが「TRPGではGMは一人であるとは限らない」という理論は真だと思います が、「TRPGではGMが一人であるのが当たり前」だと思い、「TRPGは2人以上で行なう」 と同程度の真理だと思っている人は少なくないと思います。彼らももちろん それを活用していることを意識していません。

 彼らにとってこの理論は有用です。「GMが1人であるTRPGの有用性」を論じて その利点をさらに伸ばしたり、その欠点を「GMが2人を越えるTRPG」で補うこと によりTRPGの楽しみ方を広げることができるからです。
#で、そのうち当たり前になり意識しなくなっていく。

 また、初心者の恐怖という奴があります。マーフィーの法則に述べられる通り、 彼らは明言されていなければ彼らは「熟達者にとっての常識」を簡単に 破ります。

 そして、常識と思っていたことが単なる一スタイルだったという こともよくあります。自分で「この理論は反駁できないからいいや」と思い 議論相手もそう考えていても、第三者にとっては納得できず実は...ということが、 特に掲示版ではありがちです。
#私はゲーム要素主義者だったりするので、その危険はなおさら。

 というわけで反駁不可能な理論はすでに皆が活用しており、それを 挙げることは自分や相手の常識を確認する足掛かりとして有用であると思います。 とはいえ全部挙げるのは不可能 かつ不毛なので、「足掛かりになるかな??」と思える理論を少々確認する程度が 良いと思いますが。

 SHiNさんの言葉尻にしつこく突っ込んだのは、「ひょっとして足掛かりが違う んじゃないのか??」という疑念が消えなかったからです。実は論法の 問題だったようですが、足掛かりは違いそうに見えるのに意見自体は納得できる という不思議感は独特のものでした。
2000年12月22日:12時07分57秒
[【TRPG論】疑似体験]意思決定と疑似体験と「意思決定時の疑似体験」 / myrt
 私も、意思決定時の疑似体験度による楽しみに「挑戦的」である必要はないよう な気がしてきました。意思決定と疑似体験、そして「意思決定時の疑似体験」を離 して分析してみます。

 刺激と「疑似体験」の関係について考えてみます。

・自転車に乗っているとき、ペダルを漕いでハンドルを握っているの に「タイヤが地面の凹凸を拾う」ことを直接感じているような気分になれる。
・そもそも脳が拾ってるのは電気信号だけで、それを各部位の反応だと判断 しているにすぎない。
・しかしペダルを踏んでいるときは履いている靴(靴下??)が直接踏まれたり 刺激を返したりしているのに、その存在はあまり意識されない。

 このことから、人間は「意思決定の影響を受け、刺激を返すもの」に に対して「体験」するとは一概に言えないと思います。そして次の例。

・大事な"車の模型"を直すとき、箱にぶつけて傷つけてしまう。
・車庫のシャッターを閉めるときにぶつけて、大事な車を傷つけてしまう。
・大事な車に乗っていて車庫入れに失敗して傷つけ、その振動が伝わってくる。

 「疑似体験」としては、どれも「痛い」です。「感情移入度」が高いほど痛い でしょう。すべて自分の意思決定がからんでます。しかし、「PCとしての疑似 体験」に匹敵するのは最後のものだけです。

 今の私の考えは以下のとおりです。

・意思決定とそのリアクションは対象への感情移入度を深める1手段である。
・感情移入された対象の「体験」をPLは「疑似体験」し、その強度は感情移入度に よる。
・意思決定に対する刺激は、大抵対象の「体験」として返される。

 この経過によって、「意思決定は、疑似体験の要素を持つ」となるのではな いでしょうか。そして「意思決定に対するリアクション」は人間の学習にお いて「受動的な刺激(知識的なものを含む)」よりも重要な意味を持つの で、「疑似体験」においても重要になると。そして1PCとしてのそれが大事に なるのは、意思決定および感情移入が容易になるからではないでしょうか。

 「意思決定に対するリアクション」が人間の学習において「受動的な刺激」よりも 重要だとは思うのですが、それぞれの疑似体験要素が違うものになるかはまだ 判断できていません。なぜなら、前述の車の例をすべて「傷つける->傷つけられる」 に変換しても、感情移入度が同じであれば「痛い」度合は同じであるように思う からです。
#自分で運転するにまさる感情移入法があるかは謎だが。
2000年12月22日:04時58分26秒
【TRPG論】 適用結果に個人差がかかわってくる理論の適用範囲を示すための適切な表現方法 / SHiN

 to myrtさん
 
 なんか、早口言葉みたいなタイトルですいません(笑)
 
 一応、ここ最近の投稿で、「常に疑似体験がある」ではなく、「常に疑似体験要素がある」という具合いに書いたのは、myrtさんの理論の適用範囲うんぬんの意見を取り入れての事なのですが。中には疑似体験を感じないケースや感じない人もいるかもしれないですからね。
 でも、「疑似体験を生じさせる場合がある」とか「生じさせる可能性が高い」というのは、ちょっと適切な表現じゃないと思うのです。そこで、「常に疑似体験要素がある」とさせていただきました。
 疑似体験要素があるのは100%確実。が、その要素が実際に特定ケースで特定の人間に疑似体験を発生させるとは限らない(たとえば、感受性が低すぎる場合とかね)って事を意味してるつもりです。こういう表現で、よろしいでしょうか?
 もしかしたら、「要素」などとつけるのを忘れる事もあるかもしれませんが、文脈から判断できる場合は、そういう具合に捉えていただくようお願いします。
 
 (myrtさん:2000年12月18日:12時14分36秒【TRPG論】前提条件の必要性 )
 >「TRPGではGMは一人である」を否定して得られる理論は「TRPGではGMは一人であるとは限らない」であり、これはかなり普遍的です(一人の場合も含んでいる)。 GMの機能まで議論する必要は全くありません。
 
 このあいだ、コメントし忘れたんですが、一応、現実の事象(ここではTRPG)を扱うための理論を作る場合、常に反駁可能でなければ実用足りえないと思うのですが。(あらゆる科学理論には反駁の余地がある。なぜなら、無限に正確で、無限に多角的な観測は不可能だから)
 
 このmyrtさんの例は、「かなり普遍的」どころか、完全に反駁不可能だから、あくまで数学理論であり、TRPG理論ではない、って事になると思います。
 実用的な理論、つまり「TRPG理論」を構築するためには、やはりGMの機能を分析し、定義する必要があると思います。数学理論(集合論)は、それらを説明するための道具に過ぎないはずなんじゃないかなと思うのですが。
 ここらへんが、最大の食い違いだったのかもしれませんね。
2000年12月22日:04時52分29秒
【疑似体験】 TRPGに存在する、疑似体験を発生させる、さまざまな要素 / SHiN

(myrtさん)
>SHiNさんは「TRPGをするとき疑似的体験要素がある」では「意思決定」以外における疑似的体験要素を扱うため、「TRPGで意思決定をするとき(この制限された)疑似体験要素がある」と表現したほうがより適切であると主張されているのでしょうか。ならば、理解できたような気がします。

 いや、残念ですがそうではありません。(確かにそのとおりであれば、myrtさんが理解してくれるだろうって事は、私にも理解できますが。私の言ってるのはそのとおりじゃないんです)

 (myrtさん)
>その疑似体験が意思決定に付随するものを指すなら「挑戦×アルファ」で良いと思うからです。
 
 私の表現が悪かったかもしれません。(自分にとって自明のことを他者に伝えるというのは、いつも難しいと感じます。これも、固定観念ゆえでしょうね)
 
 「TRPGにおいて、PCを唯一のゲームトークンとしてロールプレイを通じて意思決定を行う場合、そこには常に疑似体験の要素がある」
 
 というより、
 
 「TRPGにおいて、PCを唯一のゲームトークンとしてロールプレイを通じて意思決定を行える場合、そこには常に疑似体験の要素がある」
 
 とすべきだったかもしれません。が、これでも説明なしには理解していただくのは難しいでしょう。
 
 私の言う疑似体験というのは、本来は「映画」や「マンガ」、「小説」などの登場人物に感情移入した結果生じるものを指してたはずだったんです。昔は。
 ところが、近年、コンピューターゲームが普及してからは、「ゲーム」が疑似体験を得る場のメインになってきつつあります。電車運転シミュレーション、戦闘機シミュレーション、いっぱいありますよね。
 これら「ゲーム」における疑似体験の特徴は、能動的であるってところです。
 映画を観たり小説読んだ時に感じる、感情移入によって登場人物と一体化した結果得られる受動的な疑似体験ではなく、コントロールパッドを通じて、ゲーム世界に介入することによって、能動的な疑似体験を得るのです。
 一般論としては疑似体験の強度としては、こちらは受動的な疑似体験より大きいみたいですね。(もちろん、ゲームの出来や、物語に対する感情移入の大きさによっては逆転する事もありますけど)
 
 で、TRPGにおける「疑似体験」ですが、これはいわば「双方向」のものです。その意味では、一般に映画やシミュレーションゲームのものよりも大きいはず。
 ロールプレイを行うには、対象を「理解」せねばなりませんよね?対象を理解するというのは感情移入を行うというのとほぼ同じ効果があるようです。この場合、受動的な疑似体験要素が否応なく発生します。と、同時に、TRPGにおいてはそのロールプレイを通じてゲーム世界に介入する(意思決定する)事が出来る。ここで「操縦シミュレーションゲーム」に見られるような「能動的な疑似体験要素」が発生するわけです。
 
 で、さらに注意して欲しいのは、TRPGの場合、「意思決定」を表明する瞬間のみに、「意思決定」してるわけでは無いって事です。
 コンピューターゲームの主人公視点のアドベンチャーゲームなんかだと、物語における要所要所でのみに意思決定、つまり能動的な疑似体験が生じるわけだけど、TRPGの場合、PCがその場にいれば、いついかなる場合にでも「意思決定」が出来る。
 アドベンチャーゲームや、その他の閉鎖系ゲームのように、「機会」や「手番」が回ってくるのを待ってるわけじゃない。TRPGが開放系ゆえの特徴ですね。
 その意味で、常に「能動的な疑似体験要素」も生じ続けているはずなんです。
 
 言い換えると、何もしてないときでも「今はまだ何もしない」という意思決定をやり続けているって言えばいいのでしょうか。それゆえ、「意思決定する場合」って最初に書いてしまったわけですが。その意味では「常に」疑似体験要素は生じているわけで、「意思決定する場合」ってのは省いてもよかったのかも。
 
 でも、「常に」と言っても、PCが行動不能状態の場合や、現在展開されてるシーンに登場してない場合には、これはあてはまらない。ですから、「意思決定が行える場合」って言う風に言い換えた方がいいかなと思ったわけです。
 
 (myrtさん)
 >ただそうなると、今度は鍼原さんの主張に不満を持たれる理由がわかりません。疑似体験のTRPGに与える影響が「擬似体験×アルファ」であることには全く依存はないのですが、その疑似体験が意思決定に付随するものを指すなら「挑戦×アルファ」で良いと思うからです。
 
 既に述べたように、疑似体験要素は意思決定に付随するばかりじゃないと思います。ロールプレイにも付随するし、物語の主人公としてのPCそのものの存在にも付随すると思うのです。
  
 で、鍼原さんの「TRPGは挑戦(意思決定)×アルファ」という表現に不満があるのは、TRPGにおける意思決定ってのは、「挑戦的なもの」ばかりじゃないって事を言いたかったのです。
 これも、TRPGが開放系ゲームゆえの特性です。開放系ゲームには、通常「挑戦的要素」は成立しないんです。TRPGの場合でいうと、まず目的が登場し、その達成に障害が伴う事が示され、その障害が回避不能である事が示され、それでもなお、目的を達成しようとした時に初めて、TRPGの開放系リソースを素材とした「閉鎖系」が構築され、「挑戦的要素」になるんじゃないでしょうか。
 
 いわば、もし「TRPGが挑戦×アルファ」だとしたら、導入部分(「閉鎖系」が構築される過程)なんかは、TRPGじゃない、「TRPGとして楽しめない」事になる。
 
 「花を摘む」という意思決定に挑戦的要素は無いでしょう?
 また、前述の「行動しない」という意思決定をしている場合にも、挑戦的とは言えない。
  
 もし、TRPGが物語要素を持たないゲームであれば、疑似体験は「挑戦的な意思決定」だけになってたかもしれません。テレビゲームのように、音と映像を伝える事が出来ないのだから、飛行機が墜落する瞬間といったような疑似体験をTRPGで生じさせるのは難しいでしょう。(初期のD&Amp;Amp;Dセッションなんかは、導入部はGMによる説明だけで、いきなりダンジョンの前からスタートってのも結構ありましたしね)
 が、TRPGには物語要素があり、PCという感情移入の対象がある。これらは小説などがそうであるように、PLの想像力を刺激し、非挑戦的な疑似体験をも生じさせてくれるはずだと思うのですが。
 
 一方で、能動的疑似体験要素が存在しない状態で、TRPGにおいて十分な疑似体験要素が成立するかどうかは疑問です。なぜなら、吟遊詩人マスタリングなどが嫌われる理由は、「能動的な疑似体験要素」が無いからだと考える事もできると思うからです。が、必ずしも、それが「挑戦的」である必要は無いと思うのです。
 
 ところで、鍼原さんの意見に、たとえ日常的なシーンが楽しめるとしても、「冒険への期待」がないと楽しめないってのがありましたよね?たしかにうなずける部分もある。旅行へ行く時、行きの電車も帰りの電車も条件的には同じなのに、行きの車内の方が期待感があって高揚した気分になってて旅も楽しい。
 
 でも、たとえば、ミッション終了後のエピローグなんて、「挑戦的要素」も、「挑戦的要素への期待」もないですよね。でも、ちゃんと「疑似体験」を楽しめてると思いませんか?
  
 ロールプレイ、物語性、インタラクティブ性、これらは全て、疑似体験を発生させる要素です。そして、TRPGセッションでは常に(導入部だろうと、エピローグだろうと、閑話休題シーンだろうと)、そのいずれか、というより全てが働いて、相乗効果により強い疑似体験要素を発生させてると思うんですが。
 
 言い換えると、そのおのおののシーンにおいて、いかなる疑似体験要素が発生しているか?もしくは期待されているか?って具合に分析していくと、これまで各論としてしか語られてなかったゲーム性や、物語性といったTRPG論を、統合できるんじゃないかって思うんですよ。これがこないだからずっと言ってる「疑似体験要素を重視してTRPG理論を構築する」って提案です。(ここで言う「重視」ってのは、「注目して」とか言う意味です。あくまで、理論構築上重視するだけで、セッションにおいては重視するもなにも、疑似体験ってのは、TRPGセッションにおいては自然発生的なものだと思ってますんで)
 
 たとえば、TRPGにおける挑戦的要素って一口にいっても、実に様々だと思うんですよ。リドルなどの純粋な知的挑戦としての挑戦的要素もあれば、myrtさんが挙げたような「自分の強さ」を確認するためのものもある。かと思えば、強烈な目的意識やロールプレイから生じる義務感などから、高いリスクと低い成功率の元で玉砕覚悟で挑戦する場合もある。また、同じ玉砕覚悟でも、「どうせ使い捨てのキャラだから」的な安易な格好付けで、玉砕する場合もある。
 これらのさまざまな挑戦的要素や挑戦的意思決定を、そのゲームバランスや意思決定の過程の複雑さなんかだけから分析するのは無理だし不適切だと思うんです。 
 
 以前、「GMはいかにしてPLの望むリアクションを知るのか?」って話がありましたよね。それを考量するには、それぞれのアクション(意思決定)が、いかなる動機の元で行われてるかを見極める必要がある。その動機を調べるには、そこでどのような疑似体験要素が発生してるかを分析する必要があると思うのです。
2000年12月21日:12時42分08秒
間接的効果って何のこと? / 混沌太郎
TRPGにおける「疑似体験」とは、
PCに感情移入している状態で意思決定を行なうことを指すのではないでしょうか。
2000年12月21日:11時54分36秒
[【TRPG論】疑似体験]意思決定時の疑似体験要素に絞った場合の理論 / myrt
このようなスタンスではどうでしょうか。

--ここから--

 TRPGにおいて、PCを唯一のゲームトークンとしてロールプレイを通じて 意思決定を行う場合、そこには常に疑似体験の要素がある。その疑似体験の 要素を他の疑似体験要素と区別して、仮に「意思決定時の疑似体験要素」と表現する。

 他の要素はとりあえず脇において、この要素がTRPGを面白く するときにはその意思決定が「挑戦的」である必要はあるかどうか議論し、ひい てはこの要素がTRPGを面白くするときの必要、または十分条件について理論立てる ことはできないだろうか。

--ここまで--

 とりあえず「ゲーム的に挑戦的でないが、疑似体験的に面白いかもしれな い意思決定のような場合」として以下の例を考えました。
例: PCが高レベル魔剣を手に入れ、「試し切りのためにゴブリン狩りにい く」と宣言した場合。PCは素手でも生還できるレベルで、ゴブリン狩り自体は 挑戦的ではない。また魔剣のデータは明らかで、試し切りによる戦術 構築補助の必要性は無視できるとする。

 つまり、魔剣を手に入れてPCもPLもうかれており、感情移入度が高い状態 です。ゴブリンを切るPCとダイスを振るPLは、そしてその手ごたえを感じるPCと 達成値を見るPLは同じ表情をしていることでしょう。

 この例について考察した結果、「PCとしての意思決定は対象(PC)に対する 感情移入度を高める効果を持ち、その間接的効果が疑似体験要素として感じられる だけでこれらの直接の関係はないんじゃないか??」というような気がしてきました。

 「例が不適切」「そもそもそんな話じゃない」「考察が足 りない」などの恐れが大きいため、考察の過程を長々と書く ことはやめておきます。
2000年12月20日:10時36分49秒
[【TRPG論】疑似体験]疑似体験の位置付け / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 アタシは、SHiNさんの[疑似体験]関係の議論、先に進めていただいた方がありがたいです。
 
 いずれどこかで、議論がループして戻ってこざるを得ないかもしれないですけど。
 議論が進む過程で、関連のあれこれが詳細化されることが、アタシ的希望です。
 
 「TRPGでの疑似体験の位置付け」、妥当な余条件を考える議論はあった方がよいように思えるので、先に進めていただいた方がよいのではないでしょうか。

 議論の前段階、準備段階で議論が迷走したり、拡散したりするのは、つまらないと思いますので。
 前提や観点の相違が確認されるのは、もちろん大事と思いますが。
 
 アタシは、今のところSHiNさんの意見に疑問を呈しているつもりはあっても、異論表明は控えてるつもりです。
 アタシとかの疑問などは保留にしておいていただいて、ある程度話が進んだところで、SHiNさんの論の全体像が見えてきたところで、戻って検討していただければ、よいのではないかな、って思っています。(迷走、拡散を避けたいからです)
  
 「TRPGにおいて、PCを唯一のゲームトークンとしてロールプレイを通じて意思決定を行う場合、そこには常に疑似体験の要素がある」
 これは、真と言えると思います。

#「唯一の」って限定とか、ほかにも、意図を知りたい表現もあるんですけど。でも言われてることは、真だと思います。
#あ、些細なこと言うなら、「そこでは常に疑似体験が生じる」の方がアタシ的にはしっくり来ます。
 
 えーと、、、上はどーゆーことかと言いますと、、、
 
 「TRPGの楽しみ」に、いわゆる「疑似体験」は含まれると思います。
 TRPGの楽しみは、「挑戦(意思決定)×α」であると同時に「疑似体験×β」と言えると思います。
 この場合、大まかに「挑戦×α」=「疑似体験×β」とみなすなら、自ずとTRPGに適した「疑似体験」の性質も限定されてきます。
#「TRPGにおいて、PCを唯一のゲームトークンとしてロールプレイを通じて意思決定を行う場合、そこには常に疑似体験の要素がある」(または生じる)
#うえは、「挑戦×α」=「疑似体験×β」、ってことと思います。
 
 しかし、「TRPGセッションを遊ぶメカニズム」について論じられる場合は、疑似体験が、構成要素として・常に・認められるとは限らない、と思います。

 メカニズムとして疑似体験を介在させなくても、セッションがつつがなく成立することはあるように思うんですけど。
#ここでアタシは「PCの何気ない日常」の疑似体験についてを念頭におきながら考えているのですが。
 
 アタシはTRPGセッションが遊ばれるメカニズムは、大まかな比ゆとしては、「ワールド×判定系×挑戦(意思決定)×言語コミュニケーション×α」=「挑戦(意思決定)×物語表現×β」と思います(こう観た方がアタシにとっては効率がよいのですが)。
 
 メカニズムが運用された効果として「疑似体験」も生じる、と。実践論を念頭に置くならば、その方が効率がよいように思われます。
 「TRPGセッションを遊ぶメカニズム」について論じられる場合は、「何の・疑似体験であるか」の限定は、必要であるように思います。
#それでも、「何の・疑似体験であるか(何の・疑似体験が許容されるか)」の詳細は、議論を通じて絞り込まれたり了解されてゆけばよいように思うわけです。
 
 要約すると、、、「〔TRPGが〕『擬似体験×アルファ』であるって事が真であると認められる」かどうか。
 うえは、常に真である、って表現にはアタシは疑問を持ってます。限定づける余条件が必要と思われます。
 (この点はMyrtさんと同じと思います、アタシが予想してる「限定」の内容がMyrtさんの挙げられたものと同じであるとは限りませんが)。
 
 でも、妥当な余条件を考える議論はあった方がよいように思うんですね。
 その為にSHiNさんにはSHiNさんの観点からの意見を聞かせていただきたい、と思うわけです。
 
#関連でアタシの意見の参照用にちょっとしたコメントを書いておきます。

#大まかな話ですが、アタシは『サザエさん』ライクな物語の疑似体験、TRPGでは困難だろうな、って予想を持ってます。
#『アルプスの少女ハイジ』ライクな物語、疑似体験の可能性は、ある程度考えらます(もしくは「ムーミン」のシリーズとか、あれはあれで冒険物語的なエピソード多くありますので)。
#「ハイジ」に関して言えば、やはり大まかな話ですが、物語のグランドプロットにある「気難しいおじいさんと村人たちとの人間関係修復」はPCにとってもプレイヤーにとっても「挑戦」足り得るでしょう(ここでは「気むづかしいおじいさん」をNPCとして想定しています)。

#もちろん、適したワールド、システムやシナリオの組方のもんだいは生じます。
#大まかな予想として「アリス」ならば、「ハイジ」ライクな物語の疑似体験も不可能ではないように思われます。
 
 混沌太郎さんが「ロールプレイングは、疑似体験の一種である」と言っているのは、わかり易いと思います。
 アタシ的には、「ロールプレイングや物語表現が、ワールドを基盤に、セッションを通じてうまく複合された場合、疑似体験・も・効果的に生じる」って観方になってます。
#これはアタシが、いわゆる感情移入を、ロールプレイやキャラクタープレイの副効果として位置づける考え方であることと、多分どこかで関係しているのでしょう。
 
追記:Myrtさんへ≫追記で失礼しますけど。先の質問への回答ありがとうございました。まだよくわからない点があるのですが。過去LOGを参照しながら考えてみます。

(sf:依頼により重複削除しました)


2000年12月19日:16時46分50秒
【TRPG論】トークンの消耗品扱い(関連話題:疑似体験) / myrt
(Re:2000年12月19日:05時43分28秒 【TRPG論】RE:前提 条件の 必要性 (関連話題:疑似体験) / SHiNさん)
 また大ボケをしているような気がしてきました。

> 進めなかったのです。「TRPGにおいて、PCを唯一のゲームトークンとし
>てロールプレイを通じて意思決定を行う場合、そこには常に疑似体験の要
>素がある」という事が真であると、なかなか認めてもらえないので。

 これは、「TRPGには疑似体験の要素があるが、吟友詩人GMに当たったりして PLにとって疑似体験要素が薄いことがありうる。しかし、〜の場合、常に 疑似体験の要素がある」ということでしょうか。

 この意味だとすると「PCをトークンとして扱うが、消耗品扱いする 場合」と「吟友詩人GMが、PCだと称したキャラを含む物語を語るの で仕方なくPCに感情移入してみる場合(意思決定の余地なし)」の間に は疑似体験的な差があまりなく、特筆する必要がない気がします。「TRPGっぽいが、 意思決定を用いていないので疑似体験的要素が致命的に薄い、あるいは 全くない」例があるのかもしれませんが、今のところ思いつきません。
#しかし、PCが消耗品であるPARANOIAでは違った意味で感情移入するような気も。
2000年12月19日:11時32分08秒
TRPGには疑似体験の要素がある / 混沌太郎
と言うより、「ロールプレイングは、疑似体験の一種である」
(myrtさん流に言うと、「部分集合である」)ということではないかと思います。
従って私は(訊かれてませんが)、SHiNさんのその命題は真、であろうと思います。
2000年12月19日:11時19分33秒
【TRPG論】制限された疑似体験(関連話題:疑似体験) / myrt
(Re:2000年12月19日:05時43分28秒 【TRPG論】RE:前提 条件の必要性 (関連話題:疑似体験) / SHiN)

> 本来ならこちらの論法や発言意図を汲み取っていただく形での
>コメントが欲しかったのですが、myrtさんの論法にのっとっ
>て改めて説明させていただきます。

 申し訳ありません。理解しようとしたつもりなのですが、ど うも固定観念からぬけられないようです。

 今回説明していただいた「神のロールプレイ」に対して疑問点(その前提条件 だけで大丈夫だろうか??)はありますが、発言意図はつかめたと思います。 また、その疑問点はその後の議論に関連しているように感じられるため、 議論の過程で解決できると考えています。

> 進めなかったのです。「TRPGにおいて、PCを唯一のゲームトークンとし
>てロールプレイを通じて意思決定を行う場合、そこには常に疑似体験の要
>素がある」という事が真であると、なかなか認めてもらえないので。

 確認させてください。その場合に生じる体験的な要素を「疑似体験」とする ということは、「疑似体験」の範囲は以下のようになるのでしょうか。

・GMが、現在のPCの状況を言葉やイラストなどの小道具を用いて説明した とき、PLが理解によって得る効果自体は、意思決定を伴わないなら扱わな い(例えばエピローグのシーンなどに意思決定の余地がないことがある)。
・前項を用いて意思決定した場合の間接的効果は扱う(これがメイン)。
・「叫ぶ」「ふりかぶってダイスを振る」などの肉体的な親和性は扱わない。
・ウィザードリーのパーティー制、D&Amp;Amp;Dの従者、D&Amp;Amp;Dの領地運営ルールの ような「PCを扱う」範囲を超越するような意思決定については直接扱わない。
・「剣を扱う剣士は、剣が折れるなど意思にさかわらない限りにおい ては剣を意思どおりに扱える」に準じるような意思決定の場合なら間接的に扱う。
・GMがNPCを演じるような場合の体験については扱わない。

 私はここで「扱わない」としているものも「疑似体験」に含まれると考えて いました。そこで食い違っていたのではないでしょうか。ただ、この制限をされた「疑似体験」はTRPGにおける疑似的な体験要素の(主要ではあるが)一部であるため、 直接「疑似体験」と呼ぶのが適切かどうかはわかりません。

> 一応、この事(myrt注:意思決定をした場合の疑似体験要素の存在)は認めていただいた
>と考えて良いのでしょうか?

 SHiNさんは「TRPGをするとき疑似的体験要素がある」では「意思決定」以 外における疑似的体験要素を扱うため、「TRPGで意思決定をするとき(この制 限された)疑似体験要素がある」と表現したほうがより適切であると主張されて いるのでしょうか。ならば、理解できたような気がします。

 ただそうなると、今度は鍼原さんの主張に不満を持たれる理由がわかりません。 疑似体験のTRPGに与える影響が「擬似体験×アルファ」であることには全く 依存はないのですが、その疑似体験が意思決定に付随するものを指すな ら「挑戦×アルファ」で良いと思うからです。意思決定は、「どうすれば良い かわからない」あるいは「こうしたほうが良いかもしれない」などの場合において なされるのではないでしょうか(その基準がGMの設定したゲームによるとは限ら ないだけで)。
2000年12月19日:05時43分28秒
【TRPG論】RE:前提条件の必要性 (関連話題:疑似体験) / SHiN

(myrtさん)
>私とSHiNさんの「理論」と「応用例」の指すものが違うのではないでしょうか。
 
 おそらくそうでしょう。で、私はmyrtさんがリーダーシップを取られた場合には、きちんとその点をわきまえてコメントしているつもりです。
 ですから、myrtさんも私の言葉にコメントをつける場合には、この点をわきまえるか、もしくは、その旨を明確にしてコメントして欲しいのです。でないと、理不尽な反論、的外れな反論を受けている気になってしまいます。
 
 (myrtさん)
 >「速度、時間、距離的に近似的してニュートン理論を適用できる場合」です。
 
 私が聞いているのはこういう事では無い、って事は理解していただいてますよね?
 そして、私の方としては、myrtさんにはこのようにしか答えようが無いと理解することにいたします。ですから、本来ならこちらの論法や発言意図を汲み取っていただく形でのコメントが欲しかったのですが、myrtさんの論法にのっとって改めて説明させていただきます。
 
 では、あらためて、私の「神のロールプレイ」という指針によって導き出せる「マスタリング理論」が適用できる範囲は、『PLの感じる主観的面白さ』の近似値として、『GMの想像するPLの面白さ』が適用できる場合であると、説明させていただきます。さらに妥当性に関しましては、この近似値の誤差が小さいほど、妥当性も高くなると説明させていただきます。(より、速度の遅い状態で、ニュートン物理学が高い妥当性を持つのと同じ事です)
 
 (myrtさん)
 >確認させてください。SHiNさんの主張される「理論」はどこまでなのでしょうか。「TRPGには疑似体験の要素がある」という「理論」は真だと思いますが、それ以上は前に進んでいない気がします。
 
 進めなかったのです。「TRPGにおいて、PCを唯一のゲームトークンとしてロールプレイを通じて意思決定を行う場合、そこには常に疑似体験の要素がある」という事が真であると、なかなか認めてもらえないので。
 
 一応、この事は認めていただいたと考えて良いのでしょうか?
 myrtさんは『「TRPGには疑似体験の要素がある」という「理論」は真だと思います』とおっしゃいましたが、微妙にニュアンスが違いますよね?
 鍼原さんにしてもTRPGは「挑戦+アルファ」ではなく、「挑戦×アルファ」であると言い出す。
 つまり、「真」であると認められて無いってことでしょう。
 この鍼原さんの言い方を借りると、「挑戦×アルファ」ではなく、「擬似体験×アルファ」であるって事が真であると認めてもらえるかどうか?って事です。
 
 そして、このことを説明しようとした矢先に、「なにげない冒険者の日常はつまらない」と反論されてしまったのです。
 
 この反論は、不適切であったとして、保留し、話を進めさせていただいてもよろしいのでしょうか?
2000年12月18日:12時14分36秒
【TRPG論】前提条件の必要性 / myrt
(Re:2000年12月17日:03時07分50秒【TRPG論】RE:反証一発で否定される理論 / SHiNさん)

 私とSHiNさんの「理論」と「応用例」の指すものが違うのではないでしょうか。

 私は「理論」には、適用範囲外はあっても例外があってはならないと思います。 少なくとも、議論中に疑問を呈される範囲において。 その理論に反する新たな例外が示された場合以下のどれかであることをはっきり させねばなりません。

・その項目は前提条件による適用範囲外
・そもそもその項目は例外になっていない
・その項目を外すような前提条件が足りなかった
・「理論」そのものが間違い

> なるほど。では、明確に秒速何km以下までなら、ニュートン理論、秒速何
>km以上ならば相対性理論を使用するべきであるという具合に、myrtさん
>は明言できますか?

「速度、時間、距離的に近似的してニュートン理論を適用できる場合」です。

 例えば、「振り子運動は正弦波運動である」という理論があります。 この理論は「振りの角度 a がに小さくて、sin a が a で近似できる」場合に成 り立つため、振り子の振りを大きくしたら誤差が出ることが肉眼で観 測できます。
#他にも空気抵抗やら糸の重さやらもありますが。

しかし、「sin a が a で近似できる」や他の前提条件を置けば、「振り子運動 は正弦波運動である」という理論が成り立ち、分析することができます。 TRPGは閉鎖ゲームではないのに、閉鎖ゲームに近似して分析できるように。

>そして、GMが一人かどうかについて普遍的に妥当性のある回答は不可能です。

 「TRPGではGMは一人である」を否定して得られる理論は「TRPGではGMは一人であ るとは限らない」であり、これはかなり普遍的です(一人の場合も含んでいる)。 GMの機能まで議論する必要は全くありません。

 SHiNさんが考えておられるのは、「TRPGで一人のGMでプレイする方法論」の 妥当性ではないでしょうか。こちらは確かに「応用例」です。

 ある「応用例」がどれだけ妥当かを普遍的に述べることはできません。しかし それを前提条件とともに語ることにより、それぞれの人にとってどれだけ妥当 かを計る指標を与えることができます。だから、「理論」でも「応用例」で も前提条件をはっきりさせることは重要です。

 暗黙の前提条件(ただし地球上とか)まで述べていてはキリがありませんが、 少なくとも議論中に疑問として出た部分についてはフォローのすべきだと 思います。疑問として出たということは、それは暗黙で通じないということ ですから。特に「TRPGでは」という範囲の理論であれば、実際に行なわれて おり知りうるプレイについてはほぼ完全にフォローする必要があるでしょう。
#「それはTRPGではない」というのもフォローのひとつ。

 確認させてください。SHiNさんの主張される「理論」はどこまでなのでしょ うか。「TRPGには疑似体験の要素がある」という「理論」は真だと思いますが、 それ以上は前に進んでいない気がします。示された「応用例」から 何を導こうとされていたのでしょうか??
#私にはその「応用例」の有用性を主張しているようにしか見えなかった。
2000年12月17日:03時07分50秒
【TRPG論】RE:反証一発で否定される理論 / SHiN
(myrtさん)
>そうではなく、私は「ニュートンの定理は光速に近い速度で移動する物体に対しては成り立たない」ことを述べ、「ニュートンの定理は、光速よりはるかに遅い系において近似として成り立つ」ことを示すことが大事だと主張しています。
 
 なるほど。では、明確に秒速何km以下までなら、ニュートン理論、秒速何km以上ならば相対性理論を使用するべきであるという具合に、myrtさんは明言できますか?
 
 これは、使用用途によってケースバイケースですよね。
 
 私が言ってるのは、そういう事です。TRPG論だって、シチュエーションやユーザーの嗜好によってどこまで適用可能かは、ケースバイケースであるって言ってるわけです。
 
 まあ、ここまでわかっていただいてるなら、基本的には問題ないかもしれませんが、もう少しうるさいことを言わせてもらうと、
 
 (myrtさん)
 >特に、理論的な議論ではその極端な例こそが争点となりがちです。例えば「TRPGではGMは一人である」は真でしょうか??
 
 この問いは、理論的な議論のテーマとはなりえません。
 この問いは、私の言うところの「応用例」です。
 まず、GMの機能というものを、他のGMという存在の無いゲームとの比較から分析して導き出し、定義した上でないと、「GMは一人かどうか?」って事を議論することは出来ないのです。そして、GMが一人かどうかについて普遍的に妥当性のある回答は不可能です。
 できるのは、GMが一人の場合と複数の場合、もしくはPL同士で兼任する場合などにおいて、どういう利点と欠点があるかを語る事くらいでしょう。
 
 で、これを語ることが、myrtさんの言う『ニュートンの定理は、光速よりはるかに遅い系において近似として成り立つ」ことを示すことが大事だ』って事であるならば、それについては別に異存はありません。
 ただ、以前、私の書き込みへのmyrtさんのレスにあった「冒険者の日常なんておもしろくない」って反論は、このスタンスに沿っているとは、とても思えなかったので、確認したかっただけです。
 
 (myrtさん)
 >大体、ゲーム要素重視派とストーリーテリング重視派の間で特定の事象が「より妥当か」を同列に計れる保証なんてないですから。
 
 特定の「事象」は、応用例なので、同列に計れないのです。が、「理論」は、ある程度、同列に語る事ができると思うのです。論理的整合性などからね。現に、「ゲーム中デザイン」については、その方向からずいぶん議論してきたはずでは?
 
 私は、ある事象の妥当性を判定するのは、実際にセッションにおいてGMや参加者の人々がやるべきであると考えています。嗜好やシチュエーションが大きく影響する以上、それらを、第三者が判定することなんて出来ない。
 
 第三者たる我々に出来るのは、現場のGMなどが、「どうすることがもっとも妥当であるか?」を考えるための道具を提供する事だけだと思うのですが?
 
 その道具としての、TRPG理論であると、私は思うのです。
 
 もちろん、より道具を便利に仕えるようにするための使用例や、Tipsなんかは、十分に意義がある事でしょう。私だってそういうものを書く事があります。しかし、それを「理論の一部」と勘違いするとややこしい事になる、勘違いされると困る、って事なんです。
 
2000年12月17日:02時38分37秒
【TRPG用語】 閉鎖系とコスティキャン / SHiN

(匿名希望さん)
>とりあえず、「閉鎖系」は完全情報型と完備情報型の集合としておきたいのですが。
 
 私もこれでかまわないと思います。
 ただ、コスティキャンのゲーム論…というか、最終的な目標を念頭において意思決定をしていく、というタイプのゲームに対する評価論は、開放系には向かないと思っています。
 というのは、最終目標というのが存在しない場合や、障害が無効化されてしまう事があるのが、開放系だからです。リソースが無限生成されるというのは、そういう事です。(たとえば、コスティキャン論で非ゲームとして紹介されてるシムシティは、目標というリソースがユーザーによって無限生成されるので、コスティキャン的ゲームではない、って言い換える事が出来るでしょう)
 
 しかし、この部分以外では、コスティキャンの評価・分析論は十分に機能するようには思えます。
 また、無限リソース生成という要素が存在する場合(つまり、TRPGセッション)においても、特定リソースを極大化したり、また、他の無限生成されるリソースと直接干渉しあわないようにした場合には、その部分は閉鎖系を形成するので、コスティキャンのゲーム論は、十全に働くようです。
 
 匿名希・望さんは、「開放系」の一部で、コスティキャンのゲーム論が動作する場合を意識して、『閉鎖系=コスティキャン的ゲームではない』と考えておられるのでしょうが、わたしは、「開放系」といえど、「閉鎖系」を内包したり、逆に「閉鎖系」に内包されたりしているので、その点に関して、区別して分析した方がいいように思えます。
 
 いいかえると、コスティキャンのゲーム論が十分に機能する場合、そのゲーム(もしくは、そのゲームの一部要素)は一見「開放系」に見えても、実質的には「閉鎖系」である(閉鎖系を形成している)って事だと思うのですが。さらにつけ加えると、定義上の(つまりリソースの無限生成を持つ)開放系ゲームを「コスティキャンのゲーム論」で評価・分析すると、どの程度そのゲームの「系」が閉じているか?を分析することも出来ると思います。
2000年12月17日:02時00分12秒
【TRPG論】反証一発で否定される理論 / myrt
(Re:2000年12月16日:02時25分01秒【TRPG論】 TRPGにおける理論と、それに対する反論の行い方 / SHiNさん)
> 一方、せっかく、それなりに有用な理論が完成しつつあるのに、
>「二ユートンの定理は間違っている!なぜなら、光速に近い速
>度で移動する物体は……」なんて言い出すと、ぶちこわし。

 「ニュートンの定理は間違っている!!」と言えば、ぶちこわしです。 そうではなく、私は「ニュートンの定理は光速に近い速度で移動 する物体に対しては成り立たない」ことを述べ、「ニュートンの定理は、 光速よりはるかに遅い系において近似として成り立つ」ことを示すことが 大事だと主張しています。その項目がなければ、「ニュートンの定理」そ のものが間違いとなるでしょう。

 普遍性、つまり「どのように、どこまで普遍的であるか」を示す ことができれば、 滅多にない状況ですら議論の対象となりえます。だから、 例がより妥当であろうとそうでなかろうと、その例の価値に直接の関 係はありません。大体、ゲーム要素重視派とストーリーテリング重視派の 間で特定の事象が「より妥当か」を同列に計れる保証なんてないですから。

 特に、理論的な議論ではその極端な例こそが争点となりがちで す。例えば「TRPGではGMは一人である」は真でしょうか??
#反証一発で理論そのものに対して議論できる例です。
#サブマスターはGMじゃないという説もありますが。
2000年12月16日:17時19分40秒
[用語]コスティキャン的ゲーム / 匿名希・望
・コスティキャン的ゲームと閉鎖系

俺としてはまだコスティキャンの「ゲーム」の定義が閉鎖系にとどまる物とは思ってないので、この用法はちょっと認定しがたいです。
閉鎖系は閉鎖系として扱うのはいいのですが。
ただ、一般的な「ゲーム理論」としては「完備・完全情報ゲーム」と言われているはずです。
#「完全情報」はゲーム内の全ての事象が明らかなもの(将棋、オセロなど)。
#「完備情報」はゲーム中に全てが見える訳ではないが、ルール上許される行動や出てくるリソースの種類が有限で予測可能なもの(麻雀、カードゲームなど)。

とりあえず、「閉鎖系」は完全情報型と完備情報型の集合としておきたいのですが。
2000年12月16日:04時10分37秒
TRPG総合研究室 LOG 061 / sf

 TRPG総合研究室 LOG 061として2000年12月09日から2000年12月16日までのログを切り出しました。

 ついでに宣伝も。TRPGに関する気楽な問題提起やノウハウなどを書いておりますTRPGな一言と、その連載されております日刊TRPG総合メールニュース 語り部日報も、よろしくお願いいたします。

 また、姉妹企画の文芸創作な一言も文芸情報メールマガジン文芸広報で連載しております。こちらもTRPGにも有用なネタがありますので、ご活用くださいませ。



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