TRPGフリートーク LOG 003

TRPGフリートークの1997年9月22日から1997年10月3日までのログです。


1997年10月03日:00時21分47秒
目的意識を持っている人とそうでない人。 / 雄高
>目的意識を持っている人と、そうでない人(というか、楽しければそれでいい人)との対立って、昔からあります。例
>えば「技能向上を目指す」野球部と「楽しくやればそれでいい」野球愛好会の対立。
 
 いい例えですね。ま、それだけ「野球」「RPG」の間口(ふところ?)が広い、ということかな?
 いろいろな楽しみかたができる柔軟性がある、というか。
 ただ、「求道者」的というか、「RPGとは何ぞや?」とか言って、
 「押し付けがましい人」は、趣味でRPGやってる人には迷惑だよね。
 逆に緻密なキャンペーンを張ってるときに、「暇だから遊びに来た」
 という珍入者にも腹が立つものです。
 
 ちなみに、最近この両方を経験した(笑)んですけどね。
1997年10月02日:20時35分08秒
(TRPGにおいて)目的意識を持ってもらう為には… / YAN
>そりゃ、何を「深い」「複雑」と考えるかはその人の勝手だが、
>所詮人間は理由が無い限りは、より楽な方向にしか進まんぞ。
#うーん、文章を読む限りはでぶ猫さんへの反論みたいに思えますけど…。
#でも、でぶ猫さんは「理由(目的)が必要無い」とは一言も言われてないし。それどころか「目的が影響しあう事がゲームを面白くしている」と言われてるし。
#ひょっとして文章が批判的なだけで、でぶ猫さんの意見に賛成したいんでしょうか?よくわかんないです…
#それはともかく、「人間は理由が無い限り楽な方向にしか進まない」というくだりには考えさせられるものがあります。
#それに関してちょっと意見を述べさせて頂きます。
#目的意識を持っている人と、そうでない人(というか、楽しければそれでいい人)との対立って、昔からあります。例えば「技能向上を目指す」野球部と「楽しくやればそれでいい」野球愛好会の対立。
#部でも愛好会でも、技能向上を目指しつつ楽しむことは出来ると思いますが、「理由が無い限り楽な方向に進みたがる」人間(生物)の性質上、努力しつつ楽しむには目的意識が必要であると考えます。
#では、目的意識の無い人に目的意識を持たせる為にはどうすれば良いのでしょう?
#非常に難しい問題だと思います。
#「努力しろ」とか「目的意識を持て」とかいうだけじゃ難しいですよね。それがきっかけで考えはじめる場合もあるでしょうが、たいていは反感を買うだけに終わると思います。
#「楽しむだけならボーリングでもカラオケでも同じ」…RPGを娯楽としか見ていない人に対してよく言われる意見ですが、(ボーリングやカラオケにしたって本当にデタラメにやったら面白くありません。…いや、デタラメにやってる本人たちは面白がってるかもしれませんが。
#ここで「まじめにボーリング(カラオケ)しろ!」と叫んだら?…おそらく、反感を買うだけでしょう。「たかがボーリング(カラオケ)ぐらいで、何をむきになってるんだ」という感じで。…現在のTRPGの状況というのもこれと同じなのかも知れません。
#どうすれば良いのでしょう?
#理解しあう事を諦め、野球部と愛好会のように「住み分け」をするのも手かもしれません。考え方の違う者達の無用の衝突を避ける為に。
#しかし同じ世界に住んでいる以上、考えの違う者達が出会う可能性は常にあり、お互いの事を理解しようという気持ちがなければ、その出会いは常に悲劇です。(出会わなくても陰口をたたきあったり…)。
#どうすれば良いのでしょうか…?
#とりあえず…私の意見は、「考え続ける事」。どうせ話しても無駄だから、人の考え方はそれぞれだから、という理由で諦めたくありません。(ただし言葉の使い方には十分気をつけるべきだと思います。自己主張を押し付けるだけではいけない、とも。)
#そして、結論をあせらないこと。答えを得るには、理解しあう為には、時間がかかるものだと、私は思います。(…時間が無限にあるわけではありませんが…。)
#…本当に難しい問題ですよね。ですが、考える価値のある問題だと思います。すでにどこかで論じられている事かもしれませんが、よろしかったらここで皆さんのご意見を聞かせて頂けませんか?
#「(TRPGにおいて)目的意識を持ってもらう為には」どうしたら良いのか。皆さんのご意見をお待ちしています。
#PS.この議題についてすでに論じているサイトがあったら、教えて頂けますか?(あったとしても、今この場でこの論議をする事に意義はあるとおもいますが、参考資料は多いに超した事はないと思うので…)
1997年10月02日:15時40分25秒
Re.勝利条件 / 北条政長
 そりゃ、何を「深い」「複雑」と考えるかはその人の勝手だが、
 所詮人間は理由が無い限りは、より楽な方向にしか進まんぞ。
1997年10月02日:08時23分37秒
勝利条件 / でぶ猫
 勝利条件とは達成すべき目標のことです。
 この「勝利」という言葉が誤解をうんでいると思いますが、 つまり「目的」のことです。そして、その目的が影響しあうことが ゲームをおもしろくしています。
(おたがいまったく不干渉でもゲームは成立します。ゲーム理論におけるゲーム の話ですが)
 この「目的」を達成するために利害の一致しない別の「目的」を持つプレイヤー と争ったり、利害の一致を見出して協力したりするのがゲームです。
 チェスや将棋といったゲームはオールオアナッシングのため、必然相手と争うことに なります。一般に遊戯として供されているゲームは勝利者は一人という構造をとっている ため、単純でわかりやすくできていますが、ゲームはそればかりであると考えるのは誤解です。
 RPGには三つの主体者があり、それぞれに目的を持ちます。マスターの目的、つまりシナリオの 目的、プレイヤーの目的、そしてPCの目的です。プレイヤーはこの三つをどれだけ達成したか(もし 数値的に評価できるなら三つを乗じて評価すべきでしょう)で「勝利」の度合いが決ります。よくあり ますね「勝負に勝って、試合に負けた」なんて言葉が。あれは試合の目的とたぶん精神的な勝負の目的の 達成において一勝一敗であったことを示します。
 マスターの目的、すなわちシナリオの目的は単純なほうがいいでしょう。プレイヤーおよびPCの目的は プレイヤーの把握しているところでしょうが、シナリオの目的はマスターがわかるようにしてやらないと 伝わらないからです。わかりやすいものなら、明示する必要はありません。その限りでは北条君の言っていることは 一部正論です。(妨害は特に必要ありません。RPGの特色として、最終的に他者の妨害を行わなければ目的達成さ れないわけではないという点があります。いかに関係をもってどれだけ多くの利益を享受できるかがRPGです。これは いわゆる非ゼロ和ゲームというやつです。一方、将棋やチェスのように勝利者が一人しかいない ようなゲームをゼロ和ゲームといいます)
 ゲームプレイ展開上で、大きな目的を達成するための当面の目的がいくつも発生します。それは大目的が 単純に一つであるより、複数(自他ともに)からみあうほどどう設定するかの選択が広がります。その中でもっとも リスク(他者の妨害やシナリオ上設定されている障害など)が少なく、もっとも 三者(マスター、プレイヤ、PC)の目的をよく達成する方法を考え、実行していくのがTRPGですね。
 
 その限りにおいて、全員が楽しむこともついでながら追求できます。
 TRPGは単純なゲームではありません。
1997年10月02日:02時12分00秒
ゲームに「勝利条件」が明示されることの利点 / 北条政長
 そして、チームプレイであるという条件付きで、
 「勝利条件」のない「ゲーム」というのは存在しない。
 GMは、システムの向き不向きに関わらず(無論関わった方がいいに決まっているが)、必ずセッションの「勝利条件」を設定しておかなければならない。
 それを明示しておけば、「プレイの一本化」とひきかえに前述の利点を得ることができる。
 隠しておくのなら、ある程度のプレイヤーの迷走は覚悟しなければなるまい。
 
 GMが物語としての完成度や、場のノリを重視して、勝利条件を変更するようなことがあれば、それはゲームではなくなる。
 「物語を作る」という目的にルールは要らない。
 「楽しめれば良い」もルールで制御しづらい。
 「どう楽しむか」が決定、統一されていなければ「ゲーム」にはならない。
 
 やはり、「全員が楽しむことを前提に」とか「人に迷惑をかけない範囲内で」とかいう縛り方をするのでは、「ゲーム」と呼ぶには不十分であると思う。
 何とかしてルールと目的だけで、セッションの「流れ」が制御できるようにするのだ。
1997年10月02日:02時08分54秒
Re.あるプレイにおける「勝利」 / 北条政長
>鏡さん
 「クトゥルフ」は勉強中だからノーコメント、と言いたいがご指名とあらば。
 
 またかの如く将棋で説明すれば、ほとんどのTRPGにおいて自分の見ている将棋盤と、他プレイヤーの見ている盤とは若干違う。
 自分が王将だと思っているものは、他のプレイヤーにとっては味方の他の駒であったりする。一度捨ててしまえば、敵となって蘇る可能性もないではない。そんな駒。
 ただしすべてのプレイヤーにとって、将棋盤の形や敵の王将の位置は同一でなければならない。ひとりでも違う場所に敵の王将を見てしまったプレイヤーがいれば、そこからゲームは壊れだす。
 
 さて、この場合だと勝利条件の達成に直接関わりそうな事象は見当たらない(序盤だし)。とすればプレイヤーは自分の敗北条件を満たさない限りのあらゆる行動が許されるべきである。
 ただし、自分の保身の為に仲間の犠牲を厭わないと宣言するが如き行動は、なんぼなんでも思慮が浅いと責められるべきなのではなかろうか(それを見抜けなんだ、あるいは確認しなかった新聞記者氏がマヌケだとも言えるか)。
 
 私ならどうするだろう? まあ、ストロボ如きでどうこうしようとは思うまい。
 「物陰に隠れて連中の隙を探る」...真っ先に発狂しそうやな。
1997年10月01日:15時24分16秒
そろそろ話題が変わりそうですね / fushimi
>心理療法としてのロールプレイ
 TRPGをプレイすることによる精神的成長というのは「目的」ではなく結果(効果)である、ということを忘れてはならないと思います。あとは……でぶ猫氏の御指摘の繰り返しになってしまいますね。遊びによって教育や治療を得ることと、教育や治療を目的とする遊びは別個のものです。最近、遊戯治療の本を読みました。幼年のクランケに対する限られたものでしたが、なかなか興味深かったです。
 心理療法の技術がマスタリングに役に立つかというご質問であれば、事実上、役に立ち、そういうやり方を推奨すらもしてきたんですが(プレイヤーの願望と嫌悪対象を読んで、シナリオに織り込め、とか)そういう形態のTRPGが本当に遊びとしてのTRPGなのか、ということには昨今では疑問を感じています。
 善導思想は現在は否定していますが、理論生成の原点には存在していたので、ちょっと見え隠れするかもしれません。ゴメンナサイ。
          *      *      *
>マンチキンとして遊べるゲーム
 現実に、マンチキンでいっぱいになったら「趣味分野」として成立することはありえないわけですよね。対定義は「マンチキンでスタートするものの、マンチキンじゃなくなってゆくゲーム」です。んー、ほんと、これはゲームメカニズム論ですね。
1997年10月01日:09時42分12秒
馬場講座はまだ未完 / MAT.N
実は第4部が「困ったプレイヤー対処編」になり、よりエキサイティングな展開が期待されたのですが、この部分は稿を改めて別立てにされるそうです。

現時点ではRPGの発展のためになすべきとが論じられています。今後に期待しましょう。
1997年10月01日:04時04分13秒
RE:まとめてレス / でぶ猫
:残念ながら馬場氏の論の欠点は、このTRPGの必然的欠点(もしくは利点)に眼をつぶり、マンチキンなプ レイヤーを廃すればより完成した趣味として成立することができる、という論法にあります

 おそらく、プレイヤーを排除するのではなく、プレイヤーのマンチキン(お子様)な部分を許容してはならない ということがまずあるのだろうと思います。精神的な未熟さの発現であるわがまま等を通すことは、一緒にプレイしている 人間に迷惑かつ不快であるばかりか、本人の向上や根本的な精神的充足の機会を奪うという意味でよろしくないでしょう。
 プレイヤーそのものを排せよとあるのは、対症療法的に未熟ゆえのわがままや傍若無人をマスターが抑制できないところまで いってしまった人、あるいは根本的に勘違いしている人(マスターはプレイヤーのわがままを聞くためにある的な勘違いをやってる 人さえいるかも知れません・・・「マスターはプレイヤーを楽しませないといけない」的考えの延長として)をどうするかという 時でしょう。確かに根本的に問題をかかえている人すべてを手当することなど不可能です。
 とはいえ、この問題は「TRPGに惹かれてやってきた精神的子供たちをどう教育していくか」という「善導」の考えに至りがちな ため、(教育というのは一種の洗脳ですから)危険をはらんでいます。
 理想的にはPCという人格、それもプレイヤーの自我の投影されたものを客観的に観察させる仕掛けがあればよいと 思いますが、簡単な問題ではないんですよね。
(これはマスタリング論というよりゲームメカニズム的な話ですが)
1997年09月30日:17時14分45秒
RE:まとめてレス / まるしな
 ご批判ありがとうございます。
>いったい誰が、自分のことを精神的に自立した大人だと語れるでしょう?
 少し言葉がすぎました、完全に精神的に自立した人なんていませんね。でも、社会的にそれを要求される立場にいる人というのはいると思います。(年齢が上であるとか、コミュニティのリーダー的立場にあるとか)そして、そういった人はコミュニティの会員多数の利益を減じる行為をする人に対して(言葉が悪いですが)教育、もしくは排除する義務があると考えています。他人を不快にさせる言動をする人は当然、その対象となります。しかし、「自分たちが楽しければそれでいい」というような閉鎖的組織を勧めているわけではなく(それでは進歩・成長がありません)、学ぶ姿勢っていうのが必要だと思うんですよ、誰でも。
 ただ、他人を傷つけて平気でいるような人はそうでない人に比べて学ぶべきことが多いのではないかな、と思ったわけです。
>そして「自立した大人」とは、未熟な子供とは同じコミュニティには共存できない存在なのですか?
 不可能ではないと思いますがボランティア精神を必要とされることと思います。ストレスがたまりそうですね。
1997年09月30日:09時07分48秒
RE:まとめてレス / ナカザキ
永遠の初心者・ナカザキです。
今後の書き込みを読む上で、少々確認させていただきたいことがありますので。

>これらのゲームはいわゆる「お約束」と言われる予定調和を前提と
>して、快楽的でありこそすれ、精神的な成長にあまり寄与しません。

すると、ふしみさんのおっしゃるところのRPGは心理療法(この言い方で良かったのでしょうか?)の「ロールプレイ」を含むものであると考えてよろしいのでしょうか。

#あるいは、子供が社会に出る前のシミュレーションとしての「ごっこ遊び」
#と言った方が良いでしょうか?(他人とのコミュニケーション方法、自分の思
#い通りにばかりはならない社会の中での自己実現方法、そういったものを学ぶ
#のも幼児の「遊び」ではあるのですが‥‥‥)

>マンチキンがマンチキンとして遊べるゲームを作ろう、というデザイ
>ナーのコンセプトは、商業的にすら正しくありません。

これはマンチキンがマンチキンとして遊べるゲームが、結局はジリ貧である(つま り、いずれは飽きて捨てられてしまい、それ以上の発展がないと言うことですが) ので、将来的に販売数が伸びる可能性がない、ということなのでしょうか?

商業性云々はかなり興味のある話ですので、お教えいただければ幸いです。
1997年09月30日:03時54分10秒
まとめてレス……ごめんね / fushimi
レス編
 すいません、みなさんのアクセス頻度においつけないです。
 現状の話題とはやや無関係なので、読み飛ばしてくださっても結構です。
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9/22 宇津見氏
>自分たちのやり方を邪魔されたと勘違いして攻撃を仕掛けてくるケースも付け加えておいて下さい。
 そういう事例はよくありますが、その攻撃を突き放したり、論破しようとてぐすねを引いたりするのは「大人」のすることではありません。
          *      *      *
9/22 北条氏
>日本人のみが洗練しうる「感情移入」の技法があるのではないか?
 どう違うのかは僕もよく表現できないんですが、日本でのTRPGと海外でのTRPGはまったく違った仕掛けが必要なのだろう、というのは僕もよく感じます。耳に快い理想論ですね。
          *      *      *
9/22 ナカザキ氏
>おそらくこれがふしみさんの書かれた「短絡的な自己実現」に相当するものではないかと思いますが、
 僕は主に国産に多い「ヒーロー志向ゲーム」への憂慮を語りました。これらのゲームはいわゆる「お約束」と言われる予定調和を前提として、快楽的でありこそすれ、精神的な成長にあまり寄与しません。マンチキンがマンチキンとして遊べるゲームを作ろう、というデザイナーのコンセプトは、商業的にすら正しくありません。
          *      *      *
9/26 でぶ猫氏
>fushimi氏の「分析と前提」より推論すれば、RPGというゲームはこのような 精神的に未熟な人々を多く引き付ける業をもっているといえるでしょう。
 すばらしいご理解です。そして残念ながら馬場氏の論の欠点は、このTRPGの必然的欠点(もしくは利点)に眼をつぶり、マンチキンなプレイヤーを廃すればより完成した趣味として成立することができる、という論法にあります(北条氏もこの点に曖昧な不快感を感じての一連の抗議であったのではありませんか?)。これは僕の指摘した「ホビーとなることのデメリット」のひとつです。
          *      *      *
9/26 まるしな氏
>他人が相互に理解しあってみんなで楽しむなんて夢なのかもしれません。しかし精神的に自立した大人がそれを理想として行動するのはけして無益なものではないと考えます
 申しわけないのですが、これは古くて危険な考え方だと思います。いったい誰が、自分のことを精神的に自立した大人だと語れるでしょう? そして「自立した大人」とは、未熟な子供とは同じコミュニティには共存できない存在なのですか?
          *      *      *

 でわでは。
1997年09月30日:03時49分59秒
TRPGの面白さ=知的刺激としての「体験」 / fushimi

 TRPGの面白さをひとことで描写するなら、「体験」です。
 これは擬似体験(想像力内のもの)、現実体験(他のプレイヤーとのコミュニケーションを含める)を足しあわせたものを称します。
 この「体験」とは知的刺激であり、「体験」を得ることによって個性はチョムスキー的普遍個性から多岐分化して、パーソナリティへの成長、つまりは自己実現の精神的幸福を得ます。
 体験に対して、認識、判断、行動というシークエンスが深まるごとに、個性の成長はより加速されるものになります。これはマンガを読んだり映画を見たりという娯楽に対して、ゲームの有利な特徴です。
 個々の「楽しさ」とはこの絶対的基準の中にある幾つかの要素を列挙したものであり、相反するものではありません。
          *      *      *
 このプラスファクターである「体験」がマイナスファクターである「危険」や「不快」によってゼロを下回らないように保証されたものを広い意味で「ゲーム」と称することができます。これは精神的刺激ではなく肉体的刺激を対象としたもの、例えばスキーやサーフィンやサバイバルゲームのようなものにも置き換えられます。
 ちなみにマイナスになる可能性も存在するものは「ゲーム」ではなく「ギャンブル」と呼ぶことができます。
          *      *      *
 「体験」の魅力が損ねられれば、TRPGはその機能を失います。
 馬場氏の論はその「体験」の魅力を常に新奇なものに維持しようという方法論の一つである、と理解するべきでしょう。
 言葉を悪くすれば、エッチしてもマンネリで楽しくなくなっちゃったら、ポルノビデオ見たり強精剤を入手してみたりしましょう、とかいう努力と同様です(あるいは相手を変える?)。
          *      *      *
 幾人かの方の書き込みとだぶります。9/25佐々木氏の書き込みにちょっと似ていますね。興味深く読ませてもらいました。
1997年09月30日:01時14分16秒
脱線 / 雪だるま
ちょっと脱線します。 殆どのRPGでは、勝利条件というものはありません。 勝利条件とは、ゲームにおいてその条件を達成すればゲームに勝利できる「条件」であって、ゲームの目的となります。 言い換えれば、勝利条件=プレイヤーの目的ということになります。 勝利条件の例)
バレーボールであれば、先に規定のゲームをとること。
野球であれば、特定の回までに取得した点数の高い方が勝利。
トランプの馬場抜きであれば、先に手札をなくす。
そう考えると、TRPGには勝利条件は無い事がわかります。 なぜなら、勝利条件はあくまで条件であるので、それ以外の勝利方法があるのであれば、そもそもゲームとして成立しないからです。 実際、どのルールでもいいですが、なにが楽しいか、楽しみ方か、ではなく、このゲームはどうすれば勝利ですと明記されているルールが果たしてあるのでしょうか? 私はそんなもの見たことはありません。 ということになれば、TRPGは、勝利条件というものが存在しない別個の次元のゲームだと言う事が言えると考えます。


*北条氏の議論ですが、掲示板が変わっているので補足しておきます。 マスタリング掲示板に書かれた北条氏の論は、私なりに把握したところでは、
「ロールプレイは勝利条件達成の為には不要な要素であり、ロールプレイが可能なのは、勝利条件、必要な戦術が甘い「ぬるい」セッションのみ可能である」というものです。 私が北条氏に「勝利条件」の定義を確認しているのは、「勝利条件」がなにかをしりたいからではなく、ロールプレイを問題にしたいからだということを補足しておきます。


1997年09月29日:23時19分57秒
やぁ相変わらず北条クン大活躍だね。 / 雄高
一月前に比べて毒が抜けたのか?人間、丸くなったのか?
 まあいいや。
 >鏡さん
 お久しぶりです。さて。
 その新聞記者って鏡さんのPCですか?(多分そおだろうな)
 しっかし、その他のPCの行動が酷すぎるな。プレイヤー知識を悪用してるよ。
 まぁ、僕がGMなら、そもそも序盤にそんなシーンは持ってこないな。
 いかにもクライマックスっぽいでしょ?
 GM批判はさて置き。僕だったら、序盤だから逃げる。
 クライマックスなら死を覚悟して、女性のところに行くな。
 しかし。
 コンベンションだとこういうプレイになり易いよな。協力しようとしない。
 
 
1997年09月29日:20時41分36秒
RE:ゲームにおける「勝利」とは? / YAN
北条さんへ。9月28日の貴方の意見、読ませて頂きました。
#前に比べたら、かなり安心して読める文体になったと思います。ですから、「やってられっかあっ!!」なんて言われないで、続けて頂けると嬉しいです(笑)
>ゲームにおける「勝利」とは?
>(1)「ゲームデザイナーの提示する勝利条件を満たすこと」
>(2)「ゲームデザイナーの提示する楽しみかたで多く楽しむこと」
#(1)…「勝利条件」っていわれても私、ピンときません(涙)。でも(2)でいいたいことは、なんとなく分かります。
#(2)の意見に対しては基本的に賛成です。クトゥルフにはクトゥルフの、D&DにはD&Dの、番長学園には番長学園の楽しみかたがあると思います。「楽しみかた」はルールブックに明言されてないかもしれませんが(番長学園は明言してたかも…)、ルールや世界観を正しく理解すれば、そのゲームにあった楽しみかたは自ずとわかるはずです。
#ルールや世界観に合わないような、あるいはまったく無関係なプレイでは、そのゲームシステムを使う必然性が「薄れ」てしまいます。ですから、ルールや世界観を生かしたプレイを楽しむこと(つまりデザイナーが提示した楽しみかたで楽しむこと)が、「勝利」することであるという考え方は共感がもてます。
#ただ、(2)の楽しみかただけに限定しても、色んな可能性があるために議論をしにくいのは確かです。
#それと、(2)以外の楽しみかたを否定できるわけでもありません。例えば、
# 1…現在持っているゲーム以外のシステムが入手「困難」で、他のタイプの遊びかたをするためにはそれを流用するしかない。例えばソードワールドでSF。
# 2…現在販売中のゲームでは自分のやりたいことを再現できない。またはそういうシステムが入手困難。しかし自作するのもきつい。だから今あるシステムを強引に変更。例えばルーンクエストでサクラ対戦。
# 3…ゲームの世界観とのミスマッチを楽しむ。例えばクトゥルフでダゴンを退治しまくる。わかっていながらやる。
# 4…行為判定は一切行わないで会話のみのセッション。結局システムはロールプレイの雰囲気作りにしかならない。
#極端な例ばかりですね(笑)。いずれも「デザイナーの提示する遊びかた」とは違うでしょうが、楽しめないことは無いと思います。毎回やってたらつまらないでしょうし、一人のプレイヤーやマスターが他のプレイヤーに強要するのはよくないと思いますが、全員が話し合った上で「今日はこうしよう」っていうのは構わないのでは。必ずしも敗北とは言えないと思います…
#…あ!
#そういえば、「勝利」のことばっかりにあたまがいってて北条さんの「敗北」の定義を聞いてませんでした(笑)
#…とりあえず、「勝利できなければすなわち敗北]という仮定で進めさせて頂きました。申し訳ありません。
#なお、私にとっての「勝利」は、セッションに参加した人(マスターも含めて)全員が楽しんだ時です。不満のある人がいれば、それは敗北です。(…いや、不完全勝利かな?)負けたら悔しいので次は勝てるように考えます。勝ったら嬉しいのでまた勝てるよう頑張ります。そして、どうせ勝つならいい勝ちかたをしたいと思います。
#ですから、北条さんにとっての「勝利」は、私にとっても最高の勝ちかたのひとつだと思ってます。(ところで北条さん、(1)、(2)の楽しみかたって、「セッションに参加した人全員で」って条件もついてますよね…それでしたらやはりそれは最高の「勝利」だと思います)
#なお、馬場さんの講座は、勝つ為の方法論として役に立つのではないでしょうか。たしかに断定口調で反感を受けるかもしれませんが、私は結構、興味深く読ませて頂きました。(でもやっぱりあの言い方は…あれさえなければ楽しく読めるのに…)とりあえず、否定するほどひどいものだとは思えませんでした。
#えー、長々と書いて来ましたが、けっこう抽象的な事柄ばかりで読みにくかったことと思います。こんな文章でもご意見、ご感想など頂けたらさいわいです。
#PS.次回は自分の体験談もまじえて、具体的な話をしていこうとおもいます。
1997年09月29日:18時55分36秒
あるプレイにおける「勝利」 / 鏡
 RPGにおける「勝利」とは、デザイナーの提示したものに 加えて、参加者の「遊び方」によっても決まるものであると 私は考えます。そして、そう考える事によってこそ納得の いく経験が幾度かありました。その内のひとつを記しますので、 皆さんの意見をお聞かせ下さい。特に北条政長さんには ぜひお答えいただきたく、お願いいたします。
 あるコンベンションで。それは私が初めて参加した「クトゥルフ の呼び声」でした。
 
 −−探索の結果、地下道の奥にたどり着いた探索者たちは、 暗い広間のようなところでローブを羽織った大勢の者 たち(背後からなので正体不明)が、怪しげな儀式を行って いるのを発見した。その者たちは見知らぬ女性をいけにえに
捧げようとしていた−−
 一人の新聞記者はその女性を悪漢から救おうと走りました。 彼はカメラ用に強力なストロボを持っており、上手く使えば 逃げる程度の時間を稼げると判断したからです。
 彼が駆け出した後、残ったPCたちはその広間の中に 装備していた兵器を投げ込みました。投げた本人はそれを 手榴弾だと思っていたようですが、実際は毒ガスを出すものでした。 彼らは「後ろを絶対に見ないように」逃げました。
 広間にいた「もの」たち、祭壇の上の女性、そして新聞記者は 死にました。世界滅亡の時はまた一歩遠のいたのです。めでたし、めでたし。
 
 ちなみに新聞記者はクトゥルフ神話0%、他のPCは経験済みでした。 ここまでがシナリオの前半部分で、私は死んだ新聞記者の知人を 昼休みの間に急いで作る事となりました。
 さて、あなただったらその場面でどう行動しましたか?考えてみて下さい。
1997年09月29日:18時31分11秒
RE:ゲームにおける「勝利」とは? / 鏡
 北条政長さんへ。異論を述べます。
>ゲームにおける「勝利」とは?
>「ゲームデザイナーの提示する勝利条件を満たすこと」
 この意見には賛成しますが、
 
>「ひとつの評価基準(ものさし)の上に並べられるもの」でなければならない。
 こちらについては、考えに入れるべき判断材料の追加を提案します。
 
 RPGの「勝利条件」=「評価基準」は、ある程度システムによって決まっていますが、 実際のそれはプレイの度ごとに変わりうるものだと私は考えます。 それは「好み」というよりは「遊び方」の違いによるものであって、 どれも楽しさを与えてくれますが、異なるものを同時に得ることは おそらくできません。
 ところが多くの人はそのことを「好みの違いによるもの」として捉え、それゆえ各々の満足を 同時に満たしうると考えているばかりか、何も言わずとも相手(大抵は自分)に合わせる べきだと思っているように感じられます。デザイナーも同様で、そのゲームシステムにおいて「何を 勝利条件/評価基準とするか」をよく考えず、ただ自分がプレイする時に最も重視 している「評価基準」を(何の断りも無く)想定した上でデザインしている ように感じられるのです。
 繰り返します。
 「ゲームにおける「勝利」は、システムによって異なるが、 参加者によっても容易に変わりうるものである。」
 あなたの論は、あなたが選択した「遊び方」に おけるものとして卓越したものと思われますが、その「遊び方」をまったくする気の無い人に とっては否定の対象にしかならないであろうと考えます。
 いかがでしょうか。
1997年09月29日:18時08分07秒
勝利条件? / 雪だるま
ご返事有り難うございます。

>D&DやSW、ガープス等でいうところの「経験点を得る」。 これを外した行動を取られると、GMは相当困ると思うのだが。

少なくともD&Dには勝利条件というルールはありませんし、ルールをいかによんだところで、経験値獲得にことさら重点を置いているとは考えられません。 SWなどでは、逆に勝利条件はなく、楽しむ事が勝つことだというような旨の文があります。 したがって、ゲームデザイナーの提示する勝利条件という場合に、北条氏の提示された文は根拠が不明です。 北条氏が、そのように考えるに至ったルールブックの記載(ルールの何ページにある、またはサプリメントのどこにどのように記載されている)という点をあらためて明示してくださるようお願いします。

>あったところで、どうせ私はルール的にしかゲームを分析しようとはしないので、実際にゲームデザイナーが何を考えているかは、考慮の外だったりはする。
 それでもルールを読んだだけで、プレイヤーの役割とゲームの基本的な流れは読めるだけの力はあると思っていたのだが...。<

おっしゃるとおり、まずは、ルールブックの説明からスタートして下さい。でなければ、議論の共通項がみいだせません。ルールブックに記載の無い事項であれば、それは北条氏の解釈にすぎず、デザイナーが提示しているとはいえませんから。 あくまでも、北条氏の議論のスタートは、勝利条件からはじまっているのですから。
1997年09月29日:16時39分40秒
あれ? / まるしな
 書き込みが増えてる。
>D&DやSW、ガープス等でいうところの「経験点を得る」。
>これを外した行動を取られると、GMは相当困ると思うのだが。
 そういうのはマスターの示す世界観に含まれると考えます。もちろん全然困らないシナリオをかくこともできます。
1997年09月29日:16時31分13秒
TRPGにおける勝利って? / まるしな
 北条さんの言われる勝利とは、
 ゲームマスターがシナリオ中で最終的にクリアすべきものとして提示した障害(倒すべき敵や解かなくてはならない謎)をクリアする。
 そのためにゲームデザイナーの提示したゲームルールをより、有効に活用(効果的な戦術を組んだり、有用な技能の使用)する、またそのための努力をする。
 と読み取りました。 これはクリアすべき目標が明確であり、かつそれを達成するのが容易でない場合には非常に納得できるのですが、プレイヤーにシナリオの達成条件が明確にされていない場合、もしくはマスターが全く設定していない時には当てはまらないと考えます。私はマスターが「これをしなければならない、できなきゃ失敗。とかシナリオの都合上これをやってくんなきゃこまる」。とプレイヤーに行動を強制するのは良いシナリオとは思いませんし一般的に言ってもそうだと思います。だから私はシナリオに達成目標なんて作りませんしプレイヤーにシナリオの目標を押しつけることもしません。ゲームの目的なんてプレイヤーがかってに作ればいいと思ってます。もちろんそこには条件がありますけど、それは「シナリオの世界観に反しない範囲内で」です。これが破られたらゲームになりません、しかしこれが守られるならプレイヤー間の目的が異なってもいいゲームになると考えています。
 マスターの出す障害をただクリアするだけならキャラクターに人格なんていらないと思いますが・・・
 RPGは将棋やシュミレーションゲームと違って状況設定が非常に細かいです、プレイヤーの操る駒は人格すら作られています、ただ戦って勝つためだけではない、自分の生活も人生も持っている。これが、RPGがRPGたるゆえんです、他のゲームにはないRPGだけの特徴です。プレイヤーが駒ではなくキャラクターを操る、これを重視していけないことなんてないとおもいますけど・・・
 駒が人格を持ったら、ゲームじゃなくなるんですか?
1997年09月29日:14時19分18秒
Re.クトゥルフの呼び声における「勝利」とわ / 北条政長
>クトゥルフの呼び声、第5版
 手元に無い。
 あったところで、どうせ私はルール的にしかゲームを分析しようとはしないので、実際にゲームデザイナーが何を考えているかは、考慮の外だったりはする。
 それでもルールを読んだだけで、プレイヤーの役割とゲームの基本的な流れは読めるだけの力はあると思っていたのだが...。
 そうか、クトゥルフは読み切れなんだか。
 ならば素直に先言を撤回して、もう少し努力することに致しましょうか。
1997年09月29日:14時06分22秒
Re.お願いです。 / 北条政長
 では、ひとつだけ。
 D&DやSW、ガープス等でいうところの「経験点を得る」。
 これを外した行動を取られると、GMは相当困ると思うのだが。
1997年09月29日:12時10分35秒
re:re:RE:良識の〜 / ナカザキ
Dr.李>話し合いの中から、少しでも得られるものがあると思えるなら、
Dr.李>話し合いの余地は残しておくべきだと思います

少々捕捉が必要のようですね。

「話し合おうと努力してみたが、結局相手が反論のための反論しかない状況であるならば、残念ながら会話は成立しない。それに気がついた時点で、行動目標を『会話の成立』から別のものに変更した方がまあましであろう」
というのが私の本音です。

話し合いの余地が無い場合の話ですね、要するに。

あるいは、自分の意見の垂れ流しのみで議論をしない人間相手に、意見を述べるのは虚しい、というだけです。
なお、ここで私のいう議論とは

  1. 相手の意見を理解するべくつとめ
  2. それを踏まえた上で新たな意見を構築し、
  3. さらに新しい考えを模索する
という一連の手順を踏む頭脳ゲームのことを指します。

#ゲームというと怒る方もいらっしゃるでしょうが。

漆黒の破壊者>相手から学ぶ気が無ければ、そうかも知れませんが。

学ぶことといっても、

  1. 相手の行動パターン
  2. 相手のアイデアのオリジナリティ(好き嫌いは別)
しか無いわけですが、類形的な行動と手垢のついたアイデアしか提出されないのであれば、それはせいぜいでも単なる補強用データに過ぎないですよ。

#逆に言えば、どこかしら新しいものがあるならば、それは十分に価値があると思います。
#どれだけ失敬な相手であっても。
1997年09月29日:02時29分32秒
クトゥルフの呼び声における「勝利」とわ / さうす
 私自身はルール教条主義には問題があると思っているので、こういう手法は主義に反するのですが…北条氏の発言で早とちりしてしまう人がいた場合に悪影響が出かねないので、クトゥルフの呼び声の名誉は守っておく必要があるでしょう。

 北条氏曰く、
> この場合、システムの意図する目的かつ「ゲーム的」に最優先される事項は、「シナリオの目的」のみ。
> その為「楽しく発狂したい」というのはプレイヤーの意図としてはふさわしくなく(発狂は簡単に出来るから)、発狂するという「ゲームオー バー」を避ける為に行動することが、結果的に「PCの意図」を表現する結果となる、と。

 とのことですが、クトゥルフの呼び声 第5版には、これと正反対の事が書かれています。

(以下引用) ホラー・ロールプレイングの目的は、楽しい時を過ごすということです。心臓のドキドキも冷や汗のタラタラも、楽しみの1つの形です。恐怖が現実のものでないかぎり、恐怖に楽しみを見いだせるのが人間の性質でしょう。恐怖のあとではリラックスできるということが、一番重要な効果だという人もいます。また恐怖そのものが楽しいという人もいるでしょう。“クトゥルフの呼び声”は恐怖とリラックスを交互に味わえるゲームです。
…中略…
探索者がプレイの中で協力し合うかどうかは別としても、少なくともプレイヤーは協力し合わなければなりません。
…中略…
 探索者が格好いいやり方、忘れられないようなやり方で何かエキサイティングなことをしたら、それがキーパーもプレイヤーも勝利をおさめたということになります。本当の敗北とは、悪いロールプレイだったということだけです。冒険の目的が達せられなかったとしても、それはまたあとでチャンスがあることです。あるいはもっとおもしろい別の目的が出てくるかもしれません。ゲームのポイントは冒険の目的ではなく、あくまでもロールプレイにあるのです。(引用終わり)

 …どうです? 恣意的に都合の良い部分だけを選んで引用した、と疑われる方は、ルールブックを隅までくまなく読み直してみてください。どこにも発狂がゲームオーバーだなんて趣旨の文は書いてないはずです。好みにこじつけた独自の解釈を持つだけなら自由でしょうが、それを議論に持ち込んで都合よく利用するのは迷惑なので止めてください。

>ゲームにおける「勝利」とは?
> 「ゲームデザイナーの提示する勝利条件を満たすこと」
> 「ゲームデザイナーの提示する楽しみ方でより多く楽しむこと」

 私は(この意見に限って言えば)おなじ見解を持っていますが、北条氏の意見には同意しかねます。なぜなら、世界で初めてプレイヤーとキャラクターの目的を明確に分離したことで有名な原作RPGであろうクトゥルフですら、北条氏はルールブックの意図する所を(意識的にか無意識的にか)読み違えて、自分の楽しみのほうを声高に主張して理屈を展開しているのです。信用できないと言わざるを得ません。
 そこかしこで感じるのですが、北条氏は「本当の」「絶対的な」という言葉といい、「〜なければならない」という思考といい、どこかしら自分の信じるものに凝り固まりすぎている節があるようです。議論に臨む際に、他の人の持つ違った意見(コスティキャン小論や馬場講座を含めて)を一旦受け入れたのち、自分の意見と組み合わせてアウフヘーベン(止揚)する、という姿勢を持っていない人が参加していては、非建設的なframeを招くだけだと考えます。
 もし仮に、北条氏がゲームに対するのと同じように、議論に対しても自分の意見の「勝利」「敗北」という見方で臨んでいるのであれば、私のこれまでの経験から「改めたほうが身のため」だと忠告しておきます。そうでないことを切に期待したいのですが。
1997年09月29日:01時21分20秒
お願いです。 / 雪だるま
 >「ゲームデザイナーの提示する勝利条件を満たすこと」 以上。
勝利条件ですか。 カードゲームやマルチゲームやシュミレーションなどでは当然ルール上明示されていますが、 浅学にして、私はTRPGにおいてデザイナーが勝利条件を提示している例を見たことがありません。

>「ゲームデザイナーの提示する楽しみ方でより多く楽しむこと」 となる。
この言い回しはいったん保留にしませんか。 なぜなら、現行のTRPGルールでは、遊び方を説明してある事はあっても、何が楽しいのかを説明してあるものは皆無だからです。 もっとも、これはあらゆるゲームやスポーツに該当しますが、デザイナー自身が楽しいと思うことの個人的感想でしかない可能性もありますから、議論の土台作りには不適当と考えます。

ということで、  議論が抽象的になるだけでなく、想定している概念がずれると思いますので、お手数ですが北条さんの想定する勝利条件を明示してください。
できれば、どのゲームにどのように説明してあるかを明示していただけるとわかりやすいと思います。では。
1997年09月28日:18時58分24秒
ゲームにおける「勝利」とは? / 北条政長
 「ゲームデザイナーの提示する勝利条件を満たすこと」
 以上。
 
 もう少し柔らかい言い方をすると、
 「ゲームデザイナーの提示する楽しみ方でより多く楽しむこと」
 となる。
 
 ただし私自身は、勝敗が明確でないよりは、白黒はっきりつけた方が、益が多いと考えているので、後者は「妥協案」として出させていただく。
 
 あるひとつのゲームをプレイした後に得られるすべての結果は「勝利か敗北か」、あるいは「ひとつの評価基準(ものさし)の上に並べられるもの」でなければならない。
 もしも、この条件を満たさないゲームがあるとすれば、そのゲームは必ず複数のゲームに分離することができるか、あるいはゲームでないかのいずれかである。
 
 反論、異論求む。
1997年09月28日:10時45分32秒
れす / でぶ猫
うーむ、なんかいつもと違う調子だと思ったら、最後にしっかり壊れてるね(笑)>北条君
 それはいいとして、少し補足を
: 「負けたけど、好きな棒銀で敗れたのだから、まあ満足だ」とか言
:うのは、ゲームに、対戦相手に失礼だとは思いませんか?
: ましてやTRPGはチームプレイ。人と毛色の違ったプレイスタイ
:ルを取って場の流れを悪くしたり、自分流の戦法に固執し、それが原
:因でパーティーを全滅に追い込んだりしたとしたら、どうやって言い
:訳をするつもりですか?
 複数の目的を同時に満たそうとしている以上、私も(おそらく馬場さんも)上記の例は失敗(敗北)であると 考えます。何ゆえ、すべての目的をバランスよく追求せよといったかといえば、そういうことです。しかも、この
複数の目的設定は全員が共有すべきことなのです。したがって、共通の唯一の目的しかないのと本質は同じです。
 したがって、将棋の例だと「ちくしょー負けちまった。まだまだ俺の棒銀もあめーな」というのが正しい。もちろん、その脳裏では自分の棒銀のどこが甘かったかの分析や、相手の戦法のうまいと 思った部分を吸収理解しているわけです。ここで問題は、この人は「次は負けねーぞ(レベル1の目的の追求)」と思っているのと同時に「俺は棒銀が好きだ。一番性にあってる(レベル3の目的)」の 追求を同時に行っているわけです。
 もちろん、レベル1の目的達成、すなわち勝利がまずありき、ではありますが。

: TRPGのシステムを「ゲーム的に」解釈すれば、ルールで規定されたキャ
:ラクターの能力値や性格は、勝利条件を達成する際の手段や障害でしかないと、
:私は考えます。
 この「ゲーム的」という言葉がちとうさんくさい(おそらく、君と私でいろいろ違っていると思う)ので 私はこれを「意思決定」というコスティキャン的把握でコメントしておきますが、 PCという架空人格の実現もまたTRPGの「勝利条件」だと思っています。

:ともかくプレイヤーの目的もセッションの目的より優先される事項ではないと思う
:のですが。
 どちらも間違った目的設定を行ってないとすれば、どちらも追求すべきです。もし どちらかしか実現できないとすれば、より実現の可能性の高そうなほうを目指すべき です。もちろん、ここで他のプレイヤーおよびPCの存在を考慮にいれなければなり ません。
 それと・・・「銀は角の子分だから前には進まない」というのは将棋というゲームに おいてプレイヤーレベルの目的としては適正ではありませんね。将棋では特別な意味を 持つ駒は王だけです。このような間違った目的設定は、プレイング研究室でも「何をあ たりまえのことを」的に書きましたが、論外です。
(適正な目的設定の話も必要になってきそうですが、今回のとはまた別の話ですな)

: 目的が一つでもジレンマは発生します。
 確かに。目的に至る道筋が多伎にわたれば「あれかこれか」を悩むでしょう。しかし、それは目的が複数 レベル存在しても同じですし、選択の多様性はぐっとまします。目的をより多く追求したいのに、目的その ものを取捨選択しなければならなくなるのです。

 クトゥルフめいた私の例の「楽しく発狂する」を北条君は適正でないと判断していますが、それは少し 違います。簡単に発狂したらおもしろくもなんともありません。この場合の最適戦術は恐いものに直面するの ではなく、いかに効果的に恐いものに直面し、よりドラマティックに発狂するか、などといった展開へもって いくことです。ですから、これは成立します。シナリオの目的も可能な限り達成すべきでしょうが、これは 実は目的の主体がマスターであるので、駄目なときは駄目でもいいでしょう。(もちろん、それは失敗ですが)

: 最適戦術を追求する結果、ゲームデザイナーが望む展開となる(分かり易い例で、ボードシミュレーショ
:ンのフンタ等)のが良いゲームと言えるのではないでしょうか?
 良くしあがったゲームですが、「良い」とは限りません。最適戦術・戦略が一つ二つ程度に集約されてしまうようでは おもしろくありません。それがデザイナーの望む形を実現していても。
(そういうのはクソゲーって呼ばれたりしませんか?)

: 「サマもばれなきゃ正統」とまで思いつめるほどの難易度を持つ
:セッションに挑戦したり、そこまでプレイヤーを追いつめるような
:マスタリングは、やはり多層的なプレイより「浅い」楽しみ方なの
:でしょうか?
 TRPGについては「浅い」でしょうね。イカサマでもしなけりゃレベル1の 目的が達成できないってのは既にバランスを崩していますし、あるいはあえてそ こできついバランスに挑戦するならイカサマはその意図をだいなしにしています。
 今までの北条君の発言を見て思ったのですが、すべて対立型のゲームについて 語っているように思われます。ゲームには協力したほうがより利益の多いものが あり、多くのTRPGはその形式をとっています。
(このタイプのゲームは、戦術を闘わせるという意味ではあまりおもしろくない 場合が多いのですが)
1997年09月28日:09時05分38秒
Re.目的とディレンマ / 北条政長
 プレイング研究所より転用。
 
>でぶ猫さん
 大筋では納得願えたようなので以下は参考意見としてお聞き願いたい。
 
>プレイアビリティというのは、プレイヤーは
>さまざまな目的を自主設定できることも含まれます。
>将棋なら、「中飛車を極める」というのも
>立派なプレイヤーの目的です。対する指し手
>の目的が古典的な棒銀の自分なりのアレンジ
>を試すというのでも一向かまいません。
 人がどんな戦法を取るも編み出すも、その人の勝手ではありますが、戦法には必ず「勝利」という前提がついていることを忘れてはならないと思います。
 「地獄飛車こそが最強の戦法である」といったような、証拠や信念があるのならともかく、「ただ好きだから」「何となく格好良いから」等の勝利に関係の無い理由で戦法を選べば、広い意味でゲームは崩れます。
 「負けたけど、好きな棒銀で敗れたのだから、まあ満足だ」とか言うのは、ゲームに、対戦相手に失礼だとは思いませんか?
 ましてやTRPGはチームプレイ。人と毛色の違ったプレイスタイルを取って場の流れを悪くしたり、自分流の戦法に固執し、それが原因でパーティーを全滅に追い込んだりしたとしたら、どうやって言い訳をするつもりですか?
 
>架空のものとはいえ、一個の人格、それも
>プレイヤーとは異なる環境で育った人格である
>以上、プレイヤーの動機をもってPCの動機と
>するのは不自然です。また、シナリオの都合や
>ゲームの指向をもって動機とするのはもっと
>不自然です。
 プレイヤーの意向が駒(PC)の意向と合致するゲームはほとんどありません。プレイヤーがどれほどそれを望もうと、銀は横や後ろには進まないのです。
 TRPGのシステムを「ゲーム的に」解釈すれば、ルールで規定されたキャラクターの能力値や性格は、勝利条件を達成する際の手段や障害でしかないと、私は考えます。
 その障害を考慮に入れて、勝利を目指そうとしている結果、傍から見てPCが意志を持つが如く動くように見えるのが、TRPGのシステムというものである。とまで行けば根拠の無い話になりますが...。
 ともかくプレイヤーの目的もセッションの目的より優先される事項ではないと思うのですが。「銀は角の子分だから前には進まない」等と思うのは自由ですが、それと勝敗は天秤にかけられるものではなく、「銀が泣こうがわめこうが」勝利にこだわる姿勢が尊いとは思えませんか?
 
>ゲームというのは勝利条件達成のために
>ディレンマが多いほどおもしろくなるものです。
 目的が一つでもジレンマは発生します。
 金を逃がすか相手の飛車を成らせるか、王手をかけるか後手覚悟で必死に仕上げるか、一つの手盤で一回しか駒を動かせない将棋はジレンマの宝庫です。
 しかし、唯一の「目的」に関わる事項は絶対に曲げてはなりません。
 自分で決めた目的が「飛車を取らせないこと」でも、王手飛車をかけられたら飛車は諦めなければなりません。将棋とTRPGの違いは、この時に飛車を逃がしたら即座にゲームが終了するか、後のゲーム進行がしまらないものになるかの差でしかないと考えます。
 ゆえに、
>・プレイヤーは楽しく発狂したい。
>・シナリオは過去、そこで何があったかの真相の
> 究明(その結果の発狂はOK)を目的としている。
>・プレイヤーキャラクターはたまたま巻き込まれた
> だけで無事に家に帰りたい。
 この場合、システムの意図する目的かつ「ゲーム的」に最優先される事項は、「シナリオの目的」のみ。
 その為「楽しく発狂したい」というのはプレイヤーの意図としてはふさわしくなく(発狂は簡単に出来るから)、発狂するという「ゲームオーバー」を避ける為に行動することが、結果的に「PCの意図」を表現する結果となる、と。
 最適戦術を追求する結果、ゲームデザイナーが望む展開となる(分かり易い例で、ボードシミュレーションのフンタ等)のが良いゲームと言えるのではないでしょうか?
 
 無論「勝利」と「敗北」だけしか存在しないゲームばかりではありません。しかし「ゲームにおいては」結果的にそれはひとつの「ものさし」に収められる形態でなければならず、「自分で決めた目的だけでも達成できればそれでよしとする」とかいう満足の仕方をされると周囲が困りはしませんか。
 満足は敗者に与えてはならない。それがゲームをデザイン(マスタリング)する上での基本的な考え方なのではなかろうかと思うのです。
 
 以降は蛇足ですが。
 ハードルがあって、自分なりのハードルの飛び方を工夫したり、足を縛って飛ぶような姿勢は、より高いハードルを飛ぼうとしたり、ハードルを続けさまに飛ぼうとする姿勢よりも「絶対的」に 尊いものですか?
 「サマもばれなきゃ正統」とまで思いつめるほどの難易度を持つセッションに挑戦したり、そこまでプレイヤーを追いつめるようなマスタリングは、やはり多層的なプレイより「浅い」楽しみ方なのでしょうか?
 
 
 
 
 ...っだあっ! やってられっかあっ!!
 「慇懃」でも「無礼」に変わりはないわあっ!
 もうこんな論調は使わん、絶対使うたらん!
1997年09月28日:02時32分28秒
一連の議論について(RPGは一つの遊びなのか?その2) / 鏡
 このページ、プレイラボ、マスタリング研究室における 北条政長さんの意見にはじまる一連の議論について意見を 申し上げます。
 私は北条さんの意見もそれに反対する意見も共に間違って いないと考えます。両者の意見が対立するのは、各々が想定 している「RPG」が異なっているためではないでしょうか。
 少し前にも書きましたが、最近の書き込みや私の過去の体験 などから、RPGには楽しみの対象となりうる要素(馬場秀和さん の講座で言う「第1の目標」にあたると思います)が複数種類ある、 そしてそれらの全てを同時に満足させる事は不可能に近い、 またそれの異なる者同士のプレイは失敗に終わりやすい、という 仮説にたどり着きました。
 その中で、北条さんが展開した論は「ミッションの成功」を 最優先とした方法論であり、それ故、それ以外の楽しみを優先する方に 受け入れ難いものとなっているのではないでしょうか。
 自分がRPGの中でどのような楽しみを最優先としているのか、 そして他の人はどうか、ということを考えれば互いの論旨を 理解し合う余地があろうかと推察します。
 双方の意見が理解を得られぬまま打ち切られるのも残念な 気がしますので、いささか舌足らずではありますが慌てて意見を 述べる次第です。ご参考にしていただければ幸いです。
1997年09月27日:07時46分13秒
コスティキャンのゲームデザイン論(プレイング研究室との二重投稿です) / 宇津見
 一連のゲームの面白さ、プレイ意欲の促進の問題に関する基本資料として、「コスティキャンのゲームデザイン論」というのがあります。
 ただ、他の人はともかく、北条氏は内容を相当歪めて論じているきらいがあるので、でぶ猫氏が馬場講座の誤解を心配したのと同様、私も第三者がコスティキャン小論を誤解しないか心配です。
 「コスティキャンのゲームデザイン論」は馬場氏のウェブページ「馬場秀和ライブラリ」で読めますので、現物を参照してみてください。
 なお、馬場講座やコスティキャン小論や、あるいはその他のネットワーク上の、何度も読み返す事を前提にした長文は、オンラインで見るだけでは不十分ですので、ファイルとして保存したり、ワープロやテキストエディタにコピーして保存したりする事をお勧めします。
1997年09月26日:20時30分54秒
偽善? / Dr.李
 それでも、話し合いの中から、少しでも得られるものがあると思えるなら、話し合いの余地は残しておくべきだと思います。
 無視することが統べてではないかと。
 
 自己満足で偽善的な意見ですけどね。
1997年09月26日:18時03分44秒
re:RE:良識のある方々へ / 漆黒の破壊者
>>まともな話し合いのできない人を相手にするのは
>>時間の無駄です。

>あ、同感ですね。

違うと思いますが..?

相手から学ぶ気が無ければ、そうかも知れませんが。
相手に敬意を払わない人を相手にするのであれば、
「労多くして、得るものが少ない」と言えるますが、
時間の無駄では無いと....。

#まぁ、どこにでも人に失礼な人物は居られる様です
#から、それらの人について学ぶことが無ければ無駄
#と、言われるのは仕方ないのかも知れませんが..

私は、他人を理解する意図の無い方を相手にするのは
止めたいと昨今は、思う次第ですが。
1997年09月26日:13時00分53秒
他人がよってたかって補完 / まるしな
 こんにちは、前回はかなり自己完結的な文章を書いてしまったまるしなです。
 私はRPGは遊び方、楽しみ方を含めて自己主張性の強いものだと思っています。RPGにかぎりませんが、それは大別すれば幾つかに分類できるものですが、細かく見ると個々全て異なったものになります。当然、どこかで主張がぶつかりあうわけです、でもその時に相手を尊重する意思や理解しようとする態度があるなら自分を押し通すことにはならないと考えています。ゲームをするさいにそういった常識的態度(ですよね?)が欠けていることが大きな問題になり、結果として誰も楽しめないものになってしまうことがあります。
>RPGというゲームは精神的に未熟な人々を多く引き付ける業をもっている  でぶ猫さんより
 RPGにそういう面があるのならこれは避けがたいことなのかもしれません、他人が相互に理解しあってみんなで楽しむなんて夢なのかもしれません。
 しかし精神的に自立した大人がそれを理想として行動するのはけして無益なものではないと考えます、こういった場で話し合うこともまた同じです。
 時間の無駄ではないと思いますが。 ただ、暴力的な発言に不快になるのはたしかですが。
 最後に、題名はみなさんの発言を読んで、思い当たったので・・・
 いえ、悪いこととは思ってないんですが。
1997年09月26日:10時03分58秒
RE:良識のある方々へ / ナカザキ
>まともな話し合いのできない人を相手にするのは
>時間の無駄です。

あ、同感ですね。
話を振っておいてこんなことを言うのも何ですが、結局結論は出ているようですし。

類別(大分類)すると、
1)キャラクターを作り上げること(ロールプレイによる表現も含む)に楽しみを感じている。
2)意志決定の過程を楽しんでいる。
3)グループ内でのコミュニケーションが楽しい。
4)何が楽しいのかについては自己分析せず、反論のみ

という意見に分かれるようですね。
あくまでも「大」分類ですから、細かい意見の相違は取り払ってあります。

#4番を「意見」と呼ぶことについて、私個人はかなり疑問を感じますが、おそらく
#書き込んでいる御本人は有用な意見を述べているつもりでしょうから、あえて加え
#てあります。


1997年09月26日:00時13分14秒
鈍磨した感性:マンチキン / でぶ猫
 自己中心的で自分が不利になると強弁と泣き言で言い分を押し通そうと し、あるいは優位を確保するためにはマスターに言いがかりさえつける。
これをRPG用語(発祥は米国)「マンチキン」といいます。 要するにおもちゃやお菓子がほしくて駄々をこね、なきわめく子供ですね。
このタイプの人は、理を尽くして説得しても効果は望めません。彼らの目的は 公正・公平なプレイではなく、自分が有利なプレイであって、道理を無視して 無理を通そうとするからです。このため、「ああいえばこういう」といった状態 や一つの論拠に拠って無理押しをしようとします。
fushimi氏の「分析と前提」より推論すれば、RPGというゲームはこのような 精神的に未熟な人々を多く引き付ける業をもっているといえるでしょう。
そして、空想の世界の自己実現に満たされなくとも大丈夫なほどに精神的に安定 した時、RPGそのものに「飽きる」のではないかと思います。(RPGに求める ものを感じなくなった時、ともいいますが)
もし、TRPGに夢中だった初心者の頃があったなら、思い起こしてください。
TRPGを遊んでいる時の心地よさを。あれは、苦痛がいやされることによる 快楽、満たされる喜び、その効果はまさに麻薬といえるでしょう。
しかし、麻薬は何かを麻痺させているものです。それに浸りきっているだけなら 精神的未熟さをそのままに、ただ強い刺激・・・だだをこねる子供にとっての刺激
・・・新しいお菓子やおもちゃのようにわがままを押し通し続けようとするかも しれません。そう、過剰な設定や特殊能力、魔法の武器、特別ルール・・・いろいろ 考えられます。
しかし、TRPGはその程度の遊びでしょうか? いえ、空想の世界における自己実現 は自己充足ばかりでなく、自己発見の効果もあると信じます。そして、それはロール(役割) をプレイする・・・つまり自分以外の誰か、育った世界も性格も、そして背負ったものも 違うキャラクター(人格)を動かすことで実現可能でしょう。感情移入のありかたも、 のめりこむようなものから冷めたものまで様々なありようがあるでしょう。しかし、どちらに してもロール(自己とは異なる価値観、世界観をもつ人格)をプレイしているのだという自覚 はいずれ必要になるでしょう。
 そして、ゲームという要素は、この空想の世界の架空の人物に、どのようなことをさせたいか、 そしてそのためにはどうすればいいかを決めていくところにあると思います。
しかし、まあ、TRPGをあまり難しく考える必要はありません。自分と自分のPCが他のプレイヤーと 他のPCとどうかかわっていくか、ちょっと気をつけることから、思わぬ発見や思わぬドラマの 糸口がつかめるでしょう。
とりとめのない話になりましたが、なんとなく思ったことを書いて見ました。
1997年09月25日:23時30分56秒
良識のある方々へ / ボウズ
月並みな言い方ですが、まともな話し合いのできない人を相手にするのは時間の無駄です。そんなことに貴重な時間を費やすくらいなら、シナリオの一つでも考えたほうがいいですよ。
1997年09月25日:23時09分46秒
蛇足だけど / 佐々木康成
下の式の『コスト』は、常にマイナスの値を取るものとします。
 蛇足でした。
1997年09月25日:23時08分21秒
ちょっと / 佐々木康成
佐々木です
 北条さん、一連の書き込みを通じて、あなたが何を目的にしているかわからんのです(私って馬鹿?)。簡単にで良いのですが、あなたがここでの議論を通じて何を求めているのかを教えて下さいな。特に、現在のあなたの議論の目的を。出来れば読んでも良いかなと思うような文体で。
 今後の明るいRPGの未来とかいう話なら持論をもっと表に出して下さいな。別に既存のものに文句をいってもしょうがないでしょ?
 別に自分は嫌われものだし〜というのは却下ね。あなたの意見は色々と見るべきところもある訳だし。
 
 視点や方法論については部分的に評価は出来ると思うんだけど、何か中途半端だと思うんで、もう少し他人に解る言葉で考えを述べてくださいよ。
 
 努力を必要とするとかが異常だと思うなら、必要としないゲームを提供すれば良いんでしょ?どうぞやって下さいな。もし出来たら支持するよ。いや、マジで。
 
 あと蛇足だけどRPGの目的をあえて言えば『ゲーム参加者全員が損をしないこと』なんですね。プレイするのに甚大なコストを要する娯楽ですから、そのコストに合うだけの娯楽をコストを必要とする人間全員が享受できるかってのがRPGのゲーム性だと思うんだけど。いや、変な話だけど、というか誰もそんなことを言ってないけど。私はそう考えてます。
 Σ(参加者が支払ったコスト+参加者の満足度)が最大になる事がTRPGの勝利条件と言ったら言い過ぎ?
1997年09月25日:21時19分09秒
喧嘩売ってるようで申し訳ない / Dr.李
 >「人に努力を強要しない」というなら人がどんなプレイをしようが一切邪魔せんでもらおうか。
 >あんたらの都合を考えるという「努力」をしていないに過ぎないのだから。  
 
 思い違いなら良いのですが、個人主義という言葉と、身勝手という言葉を混同されてはいないでしょうか?
 TRPGというゲームだけに絞ってお聞きします。
 仮にプレイヤーとして参加して、結果的に自分の意見だけを押し通す。
 仮にマスターとして参加して、自分のストーリーを押し通す。
 こういう行動は果たして、TRPGのTの字に含まれた意味を解しているのでしょうか。
 RPという事をやったとしても、一人芝居ならつまらないと思いませんか?
 
 わかりづらいのは承知の上、申し訳ない
1997年09月25日:20時58分21秒
RPGは一つの遊びなのか? / 鏡
 多忙により最近ご無沙汰しておりました鏡です。
 このボードやプレイラボ、マスタリング研究室における最近の討論を読んでいて、 ひとつ思うところがあるので、問題を提起させていただきます。
 「楽しみ方は人それぞれ」「皆が楽しければ成功」という言葉を聞くたびに、 私はなぜか直感的に「それは間違いなのではないか」と感じていました。 そして最近何人かの方の書き込みを参考に、一つの仮説に辿り着きました。
 
 仮説:「RPG」と我々が称している遊びは、一種類のものではなく、 大きく幾つかに分ける事が出来る。それぞれにおける「楽しむための 手法」や「理想形」は、他とは別個に考えなければならない。
 
 例えば、「謎や危険の克服を主眼としたプレイ」と「人間関係や思想・感情の ぶつかり合いを主眼としたプレイ」とは、同じく「RPG」を名乗ったとしても、 実は別タイプのゲームである。それを好むユーザー層が異なるだけではなく、楽しみ方も異なり、 プレイのコツも異なり、やがて行き着く究極の姿も異なる。むしろそう考えた上でこそ 上達のための方法というのを求め、見つけることができる、と。
 また非常に興味深く参考になる「馬場秀和のマスターリング講座」も、 一つのタイプのRPGを扱ったものである(そしてその中で最も完成度の高いものである)と 考える事が出来るのはないでしょうか。
 RPGを一つのものと考えてしまうと、「好みの違い」というものが、時には言い訳となり、 また行く手を阻む壁となるのではないかという懸念が私にはあります。 この視点はまだ思い付きに過ぎませんが、考えてみる価値があると私は思います。
 よろしければ皆さんの意見をお聞かせ下さい。
1997年09月25日:18時57分51秒
はじめまして / YAN
YANと申します。今日はじめてこのページを読ませて頂いたわけですが…なんかすさまじいですね…。
#北条さんへ。貴方の言葉遣い…とても攻撃的な感じがします。なんていうか、読んでてつらいというか、泣きたい気分にさせられました。
#もう少し、おだやかな言葉遣いをされても構わないのではないでしょうか。
#…そう願うことすら努力を強要することになるのでしょうか…。
1997年09月25日:18時41分52秒
でも / でぶ猫
:「人に努力を強要しない」というなら人がどんなプレイをしようが一切邪魔せんでもらおうか。

一緒にプレイしている人への配慮は忘れないでくださいね。
1997年09月25日:14時24分04秒
trpgの楽しみかた / あらさか
人各々楽しみ方があるし他人の楽しみ方が
良いとか悪いとか言うもんでは無いとは思うが、、、
まあ、最低限人間としてのマナーは守っていただきたいもんだ
マジックとは違ってtrpgにはあまり競い合うという要素
が入って無くて、どちらかというと認め合ったり協作
する要素があるので、、、ま、人間じゃなかったりそういう「もの」
同士がプレイするうえで環境外の人間に迷惑がかかってないなら
それこそ「良いとか悪いとか言うもんでは無いと」思う。
でも完全に無視されても生姜無い。
要するにプレイする環境において皆が(ここが大切)楽しかったらそれでok
私はここの部分があるからマスターのやる仕事がなくならないのだと思う。
それこそ皆を楽しませて、自分も楽しかったら任務が失敗しようがワールドが
崩壊しようがok
だから事前に相手に良く確認をとって置くことが必要だ。
ファンタジー系スプラッターがokでもサイバー系が駄目
な人とかそういうこと、
1997年09月25日:10時20分56秒
もはや愚痴に近いが / 北条政長
>宇津見さん
 人が苦心して作った砂のお山を足で踏み潰しておいて、
 「石のお山の方が長く楽しめますよ」てか。
 大した御親切であらせられる。
 手前等が石のお山を作るのに邪魔だから蹴散らしただけだろうが!
 
 「人に努力を強要しない」というなら人がどんなプレイをしようが一切邪魔せんでもらおうか。
 あんたらの都合を考えるという「努力」をしていないに過ぎないのだから。
1997年09月25日:07時12分50秒
RE:TRPGの楽しみ方 : 北条氏へ / 宇津見
 クワバラ氏へ
 >馬場講座は教科書とか参考書、あるいは考
 >察文や意見書に分類されるものである。
 ついでに、「学習したい意欲を持つ人のための」と言うのも先頭に付け加えておいてください。学校で読む教科書は参考書は、基本的には義務をこなすために読むのに対し、ホビーの参考書は自発的に読むものですから。

 それと、クワバラ氏、北条氏両氏は、最近言う事が双子のようにそっくりですよ(すぐ相手を罵倒する、相手の質問に答えない、実例を挙げない、人の話を聞かない)。お互い気を付けた方がよろしいですよ。
 クワバラ氏には、しばらく発言していなかった間にこれらの問題が改善されている事を、切実に期待します。


1997年09月25日:04時29分01秒
TRPGの楽しみ方 / クワバラ
私の場合は以下の通り

キャラクタに目標を持たせ、
キャラクタ能力の範囲内で目標達成手段を選択し、
目標達成に伴う困難やジレンマ、そして達成の喜び(失敗の悲しみ)を体験する事。

まあ、こんなトコロだ。
プレイヤーは選択するのみ。つまり意思決定するのみ。
これによって生まれる感情の起伏を 「楽しい」 とか 「面白い」 と思わないのであれば、その人物はTRPGに向いてない。他の趣味に時間を使うべきだろう。
1997年09月25日:04時10分00秒
TRPGの楽しみ方 : 北条氏へ / クワバラ
相変わらずすり替えているので注意を。

馬場講座は教科書とか参考書、あるいは考察文や意見書に分類されるものである。

またすり替えられると面倒だから言っておくが、単語はどれでも好きなものを選ぶように。替えてもかまわないし。とにかく、読み取れ。


で、君は教科書とかを読んで楽しかったり面白かったりするか?

私はこれまでの人生のうちに 「学校の勉強が面白い」 と言った人間に一度だけ出会ったが、さすがの彼も 「教科書が面白い」 とは言わなかったぞ。

教科書から得られた結果を喜んだり楽しんだりしてたけどな。

何が言いたくて、なにが聞きたかったんだ?
1997年09月24日:19時31分18秒
参考意見としての、アレとかコレ / みだれかわ枕
>みだれかわ枕さんは書きました:

 ナカザキさんへ

 わざわざ補足ありがとうございます。あの「#」以下は、まさにそういう意味を込めたものでして。
 正直言って、「何が楽しい」って言われても、どう書いたらいいものか、迷っていたんですよ。
#完全に普遍的な答えは出せず、せいぜいが最大公約数的なものでしかないでしょうから
 そんなわけで、
>どういう御意見でも構わない‥‥‥と私自身は思いますよ。
 といっていただけると、ありがたいです。
1997年09月24日:14時57分34秒
RPGと私 / まるしな
はじめまして、まるしなと申します。 私のRPGの楽しみ方について少々書かせていただきます。 私は高校時代、囲碁とTRPGをはかりにかけてTRPGを取ったことがあります、部活をさぼってゲームしてただけですが。それは単に楽しかったからなんですけど、その楽しさの中には上達の楽しさも多分に含まれていたと思います。具体的に言うと、自己表現とそれを他の人に受け入れてもらおうとすることが私をRPGに引き込んだものと考えています。シナリオを造るにあたり、自分の考え方、願い、主張などが意識的、無意識的に盛り込まれ、それをプレイすることによってプレイヤーのみんなに伝えよう、理解されようと苦心する。もちろんそのまま受け入れられるなんてことはなく、反発もあり全否定されることもありました。けれどもそのような反論、異論を基にもう一度自説を考え直す事、伝え方に不具合はなかったかと提示法を模索する事は自己表現により磨きをかけるためには必要不可欠な努力であると考えます。 私は自分を表現する事、自分を人に理解してもらう事のためになら努力できます、するべきだと思っています。他の人がどうかはわかりませんが。 私は努力する事が好きです、反省する事によって自分を成長させてゆくこと、自分を他人に理解してもらえることに喜びを感じます。それを行う事のできるTRPGというものをつらいことや、いやなことを含めて楽しんでいます。 これが私の楽しみ方です、みなさんはどのようにお考えでしょうか? 御意見、反論お待ちしております。最後に、まとまりがなく読みずらかった事とは思いますがどうかご容赦下さい。
(sf:二重投稿を削除しました)
1997年09月24日:13時35分07秒
参考意見としての質問 / ナカザキ
みだれかわ枕さんは書きました:

>#求められている答えとは違うかもしれません。でも、今のわたしには、こういう答え
>#しか出せません。

どういう御意見でも構わない‥‥‥と私自身は思いますよ。

#とにかく、他人の意見を頭ごなしに否定しない限りは(十字軍的狂信者でもあるまいし‥‥‥)
#他人をいかに満足させるか‥‥‥も、ゲームにおける勝利条件になりますし(笑)

様々なプレイヤー/マスターさんがいらっしゃる以上、考え方は十人十色でしょうから。

ログを見ていると、感情的な意見が出るきっかけになるのはどうもこの辺の考えの食い違いである+他人がどのように自分の楽しみを定義するかは非常に興味のあるところであることから、質問させていただきました。


1997年09月23日:11時55分48秒
でぶ猫さん、その通りです(0923_01へのレス) / 銅 大
でぶ猫さん
 まったくもって、その通りです。
 話として面白くするために極端な例を持ち出しましたが、ちとリアリティに かけましたか。
 ですが、コンベンションなどではそれが顕著ですが、
『マスターはプレイヤーを選べない』(まぁ、原則として)
 ではないですか。しかも、小さなコンベンションではマスターの人数も少な いので、
『プレイヤーもマスターを選ぶ余地がない』
 ことだってありますよね。 もちろん、システムやシナリオの内容に応じた嗜好の人を集めることができ るかどーかというのもマスターのテクニックなわけですが....
 ....これはこれで、良い話になるかも知れませんね。
 この続きはマスタリングのボードにて。
                           銅 大(アカガネ ダイ)
1997年09月23日:11時53分22秒
Wannabe(私の楽しみ方) / みだれかわ枕
#タイトルはSPICE GIRLSのヒット曲から。
#『もしもそうしたいなら』程度の意味で使ってみました。
#でも、原曲は『何を』したいと歌っているのかなんて……とても言えない(笑)


 えーと、とりあえず、何が楽しいのかって話ですけど。

 私は、RPGの楽しみを『さまざまなキャラクターを表現すること』に見いだしています。プレイヤーキャラクターの役割や性格を演じることだけでなく、GMとして多彩なNPCと彼らの関係(人間関係とは限らないです)をプレイヤーたちにさまざまな技法を持って説明することも、いわゆるRPGの面白さであり、楽しみであると思っています。

#とりあえず一行40文字で4行ほどです。
#求められている答えとは違うかもしれません。でも、今のわたしには、こういう答え
#しか出せません。
#『RPGの楽しさ』『GMの楽しさ』って、わかってるつもりでしたが、いざ説明し
#ようとすると、なかなか表現できないものですね。


 さて馬場講座ですが、実は宇津見さんに紹介されて馬場講座を読んだ後、馬場さんにメールを送りました。
#かなり前ですね。お盆過ぎぐらいだったと思いますが。
 その時に、『その時点での馬場講座の気になる点』をいくつか指摘してみたのですが、その第一点として挙げたのが、『初心者に読んでもらうにはわかりにくい』というものです。
 馬場講座は、『既にゲームマスターを何度か経験している人』を対象にしているために、GMをしたことのない人は門前払いされています(少なくとも、対象にしていない)。また、銅大さんの書き込みにもありましたが、『ごっこ遊びやノリで楽しむだけの人間』を一刀両断しているきらいがあります。
#……あ。もしかして私も一刀両断されてる?(笑)

 このことを考えると、たしかに「馬場講座は単独で、自発的に努力させるのに充分な文章である」とは言えないでしょう。『馬場講座単独で自発的に努力できる人間』がいるように『馬場講座単独では自発的に努力する気になれない人間』がいるのではないでしょうか。
 私自身もマスターをする際の参考にはするでしょうが、馬場講座にしたがって『努力』するかどうかは別です。冒頭に挙げた私の楽しみ方ならば、演劇の方法論を読むとか、心理学小事典を読むとか、いま流行のアニメを見るとか、他にも参考になることはたくさんあります。どれも私の好きなことですから、別にRPGのために『努力して』それらのことをするつもりはありません。
#心理学小事典……私は面白いんですけど、みんな「変だ」といいます(笑)
#        RPGに役に立つのかも、疑問が残ります(……あれ?)

 そんなわけで、私は馬場さんへのメールの中で『初心者に向けて全面改稿することにも意義があるのではないか』としました。そうすることで、『馬場講座単独では自発的に努力する気になれない人間』が減るのではないかと思います。
 ただし、べつに全員が『馬場講座単独で努力する気になる』ことを期待しているわけではありません。馬場講座が個人の打ち立てた方法論である以上、完全に同意できるのは打ち立てた本人だけですし、同意できない部分には、別の方法論でもって対抗すればいいだけの話です。
#それを考えると、馬場講座が反論可能な『方法論』の形を持っていて助かったなぁと
#思います。(反論はすぐには思い付かないですけど)

#でも『全面改稿』って書いちゃったけど、
#まったく違うものにしなきゃいけないのでは……
#……なんて考え無しなんだろう、わたしって(自己嫌悪)


 駄文・愚考にお付き合いいただけたなら幸いです。それでは。

 私信:さうすさんへ
 今回は食べ物ネタ抜きです。わたしは食欲魔人じゃありません(笑)
1997年09月23日:04時02分55秒
馬場講座と楽しみの話 / さうす
 一連のframeの、まさに火種となる書き込みをした張本人としては、慌てて迂闊な書き込みをするわけにもいかないので、しばらく静観してました。
 で、冷静に考えてみたんですが…馬場講座って、銅 大さん(*1)が先にも同様のことを言われていますが、「この講座は,既にゲームマスターを何度か経験している方々を対象に「ゲームマスターとしてもっと上達するには,どのようなことを念頭に置き,何を努力すればよいのか」という疑問に答えることを目的として」いると明言されていますよね。
#(*1) 私信:JGC'97のゲームフィールド昼食会でご一緒させていただきました、斜め前に座っていたうかつな男が私です(^^;。 >銅さん

 その点において、北条さんの主張の一部に誤解があると思います。対象(予定)読者は「すでにマスターを何度か経験している」人なんですから、読み始める時点でもうその人なりの楽しみを知っているはずなんです。その上で、GMから見た、参加するであろうプレイヤーの好みの差について言及してあるのですから。馬場講座の持つ新規GMに対する吸引力は乏しいにせよ、それはもともと期待されているものではないでしょうし、楽しさについては馬場氏なりの分析・考察が行われている、と私は見ています。

 で、発端となった格言なんですが…(ここで書いていいのかな?)確かに当該格言において、ちょいと勇気を出してGMをしたときに、いままでと何が変わって、何をどう楽しめるようになるのか、ということについては、一言も書きませんでした。いえ、正確には、一つの格言に封じ込められる性質のものではないと判断して、わざと説明には入れませんでした。
 これはどういう事かというと、格言というのは経験的な事実(に近いもの)を基礎として、そこにみられる共通な法則などを短い文章に収めて、実際の生活(この場合はゲーム)に活用することを目的にしている、と思っているからです。
 例えば、「いそがばまわれ」っていうことわざがありますよね? これは急いでいる時ほど回り道をしたほうが、近そうで危うい道を通るよりも結果的に早く着く、ということを意味するわけですが、個々の例に触れて、回り道をすると何がどう楽しい、とは言わずに、ただ回り道をしたほうがいいと示唆しています。
 私自身は、(自作格言の信憑性(*2)がことわざのそれに到底及ばないにせよ)これと同じ事をやっているに過ぎないと認識しています。もし楽しさを含めてしっかり語るとすれば、馬場講座並みの膨大な文章になってしまい、活用するには重過ぎる格言になってしまうのではないでしょうか。
#(*2)格言の内容そのものについての意見がなかった所を見ると、ありがたくも受け入れてもらえたか、あきれられて無視されたか、でしょうね(^^;。

 確かに、これからGMをやろうという人を対象にしている以上、GMの楽しさを語ることをなおざりにするのは上手い方法ではないかもしれません。馬に例えて言うなら、尻に火を付けるより、目の前ににんじんをぶら下げるほうが馬も喜んで効果的なのもわかってます。しかし、一言で北条さんの言われる「本当の楽しみ」なるものを説明できるくらいなら、もうやってます。私にできなくても、他の才能ある方々が明朗な表現を用いて語り、万事丸く収まっているはずです。
 しかし、このボードを見る限り、実際には上手く行ってないようです。それはひとえに、楽しみというものが個々の中にある複数の要素から多重規定されるため、トランプなどに比べて万人に共通した楽しみなるものが生まれにくいからではないでしょうか。
 そう考えるからこそ、(個人的な)統計上の経験という理性に根ざした格言からは切り離し、楽しみという感情に根ざした他の多くの格言にその役目を譲ったわけです。また、自分なりの楽しさも機会があれば語るようにしてますし、初心者GM向けの本を薦めたりもしています。でも、「RPGを滅ぼそうとしている」とか言って脅かしはしても、強制するような文章は書いてないつもりです。裏返せば、“この興味深い遊びに飽きが来てやめても惜しくないなら、GMをしなくてもいい"とも読めるんですから。

#それにしても…「誤解を恐れずに」言ったら、やっぱり誤解されちゃいましたね(^^;
1997年09月23日:01時18分20秒
Re:遊び方、楽しみ方 / でぶ猫
 茶々です。
 そういう女子高生を相手にシャドウランをやろうとすること自体無茶ですね(^^;
(ゲームの選択で間違いを作り込んでいるとしか思えん)
1997年09月22日:23時53分50秒
遊び方、楽しみ方 / 銅大
遊び方(プレイスタイル)というのは、互いに対立する関係ばかりとは限り ません。
人の嗜好というのは、必ずしも一つの遊び方で満たされる必要はないの です。
ギャグプレイばかりしている人だって、渋い中年キャラクターを演じてみた いという願望があるかもしれません。
戦いに勝利するために * 有利 * な行動をとりまくるプレイヤーだって、異 性のキャラとのラブロマンスを拒むとは限らないでしょう。
RPGの楽しみ方には、いろいろな側面があります。
自分とは異なる遊び方をするプレイヤーがいた場合、それを否定するのでは なく、相手の興味をひく範囲内で、こういった遊び方もあるのだよ、と示すの が『 粋 』ってもんでしょう。
うまくこっちの遊び方に引きずりこめば、仲間の誕生ですぜ。
例をあげてみましょう。
あるマスターがサイバーパンクRPG『シャドウラン』のセッションを開催 したとします。シナリオは、企業の対立を主軸にしたハードでドライなタイプ でした。マスターはエフィンジャーのファンだったのです。
ところが、参加したプレイヤーは全員が女子高生。シナリオの本筋とは違う 色恋沙汰ばかりにうつつをぬかしています。 ここでマスターが----
「シャドウランナーってのは、皆、その道のプロフェッショナルなんだぁ!! 惚れたはれたなんかと関係なく、それらしく行動してくれぇ!!」
----などと言っても、相手が反発するばかりで、事態の解決にはなりません。
説得するのに、相手の感情や面子を逆撫でしたのでは、逆効果というもので す。ここはお互いの妥協点を探ってみましょう。

 先程あげた例に戻ります。 一計を案じたマスターは、『企業Aの若い女性役員』と『企業Bの社長の息 子』を登場させます。二人は愛し合ってるんだけど、立場上、結ばれないので す。ロミオとジュリエット状態ですね。
 で、この『愛し合う二人を結びつける』というのを、シナリオ目標として設 定し、プレイヤーに提示します。『企業の陰謀やセキュリティを出し抜いて金 をせしめる』目標には興味をもたないプレイヤーでも、これなら大丈夫。

「女性役員を、企業Aから企業Bに転社させたらいいんじゃない?」
「それよりさぁ、この企業Bの社長が頑固なのがいけないのよ。殺しちゃおう よ、このオヤジ」
「そもそも、なんで企業Aと企業Bって対立してるわけ?」
「だからこのオヤジ殺しゃあいいじゃん。ハゲだし」

 などと、積極的に行動してくれます。マスターはプレイヤーの前に障害や制 限を設けて意志決定をうながし、シナリオを進めていきます。

「女性役員は、企業Aが進めているビッグ・プロジェクトのリーダーだからね。 もし転社しようものなら、企業Aから暗殺される危険性があるよ」
「企業Bの親父は、常に二人のボディガードを連れている。一人はトロ−ルの SSで、一人はコンバット・メイジだ。日常の行動は----」
「企業Aと企業Bの関係が悪化したのは、現在企業Aが進行中の大慶油田再開 発プロジェクトにおいて----」

 エチケットやコネ判定などを通して、プレイヤーはゲームシステムについて より深い理解を得られるはずです。そして、自分のキャラクターの能力を活か すことや、他のキャラクターと役割分担を行って活動する楽しみというものに ついても。

「つまり、企業Bの副社長が企業Cから金もらって仕組んでたわけでしょ」
「そうそう。企業Bの営業所が爆破されたんだって、企業Cのカンパニーマン のやったことだし。ハゲ親父、騙されてんのよ。愚かにも」
「企業Aとしてみりゃ、企業Bと組んだ方が企業Cと組むより得なわけよね。 女性役員だって、社長と息子と知り合った頃はそのつもりだったわけだし」
「じゃ、副社長の陰謀を暴いてやりゃいいわけじゃん。それで社長を説得す れば、二人のことだって許してくれるよ」
「それでもダメなら、殺そうね」

 かくして、企業間の対立を主軸にしたシナリオは無事終了し、愛し合う二人 は結ばれるというわけです。マスター、プレイヤーとも、新たな遊び方という ものを感じることができたのではないでしょうか?

『こーするのが正しいプレイだからこーしろ!』ではなく、
『こーやると、こーゆー面白さがありますよ。やってみませんか?』の方が お互いハッピーになれると思います。

* 銅 大(アカガネ ダイ) *
1997年09月22日:23時31分47秒
向上への意欲 / でぶ猫
 何かを向上させたい、そのためには努力は惜しまない・・・
 趣味として成立するゲームにはそんな要素があります。
 アースドーンなら、種族の心意気とディシプリンの哲学の組み合わせを試してみたい と思うかも知れません。(ソードマスターでいかに華麗に戦うか、しかもトカゲらしく、 というのは十分挑戦する意欲を覚えるものです。私にとってはですが(笑))
 将棋なら振り飛車や中飛車を極めてみたいと思うかも知れません。囲碁なら、碁仇に 一泡ふかせてみたくて囲碁の本やプロの対局を研究するかも知れません。
 負けず嫌いの人なら、負けること自体が嫌でがんばるかもしれませんが、これは十分 に勝てる要素が常にあるものに限られるでしょう。
 動機は様々でも、かならず共通して存在する要素があります。
「自分で考え、自分で決める」
 という点です。コスティキャンはこれを「意志決定」と呼びました。
 
 自分で考え、自分で決める・・・それが多くの可能性を秘めているほどおもしろい ゲームといえるでしょう。おもしろい、とは興味をそそられ、やりこむ意欲をかきたて られる、というほどの意味で用いています。
1997年09月22日:23時14分13秒
Re:分析と前提 / でぶ猫
 非常にうがった見解だと思います。
 間口が広く、多くの人の心を捉えるということは非常に重要なことです。これがさらに 奥行き(飽きない何か)と結びつくなら、なおすばらしいでしょう。愛好者を多く獲得するゲームとはそのような ものだと思います。
1997年09月22日:23時02分19秒
re:どこを楽しむか / でぶ猫
 いかに勝利するか、あるいはいかに敗れ去るか (一行で終った(笑))
1997年09月22日:21時17分35秒
re:どこを楽しむか / Dr.李
結果より過程かな?結果的にシナリオが成功しようが、失敗しようが、ゲームをやってる時が楽しい。それは戦略(というほどのもではないかもしれない)を考える時であるかもしれないし、戦術(というほどの以下略)を考えるときかもしれない。いろいろ考えて、実行して、結果的にシナリオが成功したら、一番楽しいと思う。
 よし、五行以内!(^_^)V
1997年09月22日:21時09分54秒
re:それはともかく / Dr.李
自発的に努力しようとする人も読むのでは?
1997年09月22日:18時37分06秒
馬場さんのマスタリング講座について / 銅 大
 馬場さんのマスタリング講座では
      「「「「「 上達を目指す人 」」」」
 を対象にして、マスタリングの方法論を展開されています。
 その限りにおいては、実に素晴らしい講座です。これほどにきちんと系統だ てて論じてある文章を、私は他に知りません。
 ただし馬場さんの文章には『毒』もあります。(微量ではありますが)
 RPGを単に「ゴッコ遊び」や「ノリを楽しむ」だけでプレイする人を、一 刀両断にしてしまっているのです。
 「ゴッコ遊び」や「ノリを楽しむ」こと自身は否定されていませんが、その 部分を中心に遊んでいる方にとっては、不愉快に感じることがあるかも知れま せん。
 私としては、RPGを単に「ゴッコ遊び」や「ノリで楽しむ」だけというの も、アリではないかと思っています。少なくとも、最初はそれでいいのではな いかと。
「いや、オレがこの前やった時に、四回連続でクリティカルだしてさぁ、敵の ボスを一撃だぜ、一撃」
 ----というキャラ自慢も。
「その二人ってのが、ホントはお互いに好きなのに意地になっててね。もぉ、 シナリオなんかほっとらかしで、二人をくっつけるのにみんなで頭ひねって、 大騒ぎよ」 ----というノリ重視のプレイも。 一緒に遊んでいる人たちが皆楽しければ、なんら問題も、おとしめられるこ ともないかと思います。そのうち飽きてRPGをやめるかも知れませんが、だ からといって、ナニもいけないことではないでしょう。
 しかし、そういう方にも馬場さんのマスタリング講座はお役に立つ可能性が あります。特に、第二部はシナリオのポイントを鋭くついており、どのような 遊び方をされる場合でも、勉強になる箇所があると思います。
 いずれにせよ、他人の遊び方を否定するより『自分はRPGをこう遊び、こ う楽しいことがあった』という方がよろしいのではないかと。 一人でRPGは遊べません。どうせ一緒に遊ぶなら、互いの遊び方を尊重し て、気持ち良く遊びたいではないですか。そーゆー思いやりのある人とであれ ば、遊び方に少々差があっても、楽しく遊べると思います。
<銅 大(アカガネ ダイ)>
1997年09月22日:18時34分00秒
re:どこを楽しむか / 宇津見
 北条氏への解答でも応えましたが、ゲームマスターとしては世界観(設定とゲーム方針の両方をまとめて)のセッション中での再現、プレイヤーとしてはその世界観に存在するキャラクターをセッション中で再現する事が第一ですね。その点では、ルーンクエストのグローランサが一番のお気に入りです。もちろん活劇やホラー、ギャクなど様々な世界観をプレイしてみたいものです。
 後は、様々な障害や課題の克服と目的の達成や、別存在をロールプレイする願望の充足、セッション性の高い物語展開に参加する実感、キャラクターのアイデンティや、相互関係の揺らぎ(いわゆるドラマ性)等様々ですね。
1997年09月22日:18時16分32秒
捕捉2 / ナカザキ
『何を楽しいと感じるか?』という質問に対する感想は、5行以内に収めていただけませんか? > ALL

#でないとLOGにあるようなヒステリックな意見だけが出てきかねませんので。
1997年09月22日:18時01分44秒
どこを楽しむか?捕捉 / ナカザキ
>私は勝利することよりも戦略を立てることそのものが楽しい

こう書くと敗北主義者呼ばわりされそうなので、捕捉です。
完全敗北した場合(今のところ片手で数える程度ですが)、次に同様の手を敵方が打った場合の封じ手を考えますね。

悔しくないわけではありませんが(当然でしょう)、負けたことそのものよりは己の戦略/戦術の未熟さに腹が立つものですから。

#多様性のないシステムですと、取れる戦略が少なくなるので戦略を立てる楽しみが減りますね。


1997年09月22日:17時50分32秒
どこを楽しむか? / ナカザキ
>ゲームデザイナーは勝利の喜びと敗北の悔しさを演出するのに、力の八割を注ぎ
>込む。

デザイナーさんがどのように考えているか、どのような労力の配分をするかは知りませんが、私は勝利することよりも戦略を立てることそのものが楽しいですね。
戦略なき勝利よりは、戦略どうしのぶつかり合いによる引き分けの方が美しいような気もします。

#むろん、うまい戦略は(最終的には)勝利につながるわけですが
#蛇足ながら付け加えますと、上手な撤退/防衛も勝利条件になることがあります。

要するに、『何が』楽しいのかはその人次第と言うことでしょう。

#あるいは美学の問題でしょう
皆さんは何を楽しいとお感じでしょうか? > ALL


1997年09月22日:16時21分20秒
re:それはともかく / 宇津見
 私にも充分でしたよ。
1997年09月22日:15時45分35秒
re:それはともかく / GMN
>それとも、「馬場講座は単独で、自発的に努力させるのに充分な文章である」とでも
>いう気かあ!

 私には充分でしたが?
1997年09月22日:15時21分37秒
危険性? / ナカザキ
ほとんど思いつきの文章であることを、まず始めにお断りしておきます。
引用はふしみさんの(ブラウザの不調により文字化けの原因となるため、仮名に変更させていただきました。申し訳ありません>ふしみさん)”分析と引用”からになります。

> 異世界で自己存在を確立する、というRPGの機能そのもの

たしかに、始めるきっかけはこれなのかも知れません。

ところでこの一文を読んで思ったことなのですが、RPGの最大の危険性もこの文章に 含まれているのではないでしょうか。

私が言う「危険性」は、異世界、つまり架空の世界で確立された自己と、現実 世界で確立されている(あるいは確立していない)自己の区別をどうつけていくか、 ということです。

現実と架空の区別をはっきりさせるため、簡単なRPG以外の例を取ると、格闘ゲームと同じ技を現実世界の喧嘩に持ち込むことを考えてみます。

結論から言うと、確実に相手は死にます(無論自分も危険に陥る可能性があります)。

#当然ですが、生身の人間が手から怪光線や衝撃波をだせるとは言っておりません(笑)
#良くある、倒れた敵キャラの腹にカカトを叩き込む技がありますね?
#あれは内蔵破裂(非常に危険な怪我です)を起こしますので、生身の人間相手
#に使える技ではないわけです。他にも、生身の人間相手に使うべきではない技
#は多々あります。

が、時々、生身の人間(よく壊れる)とゲームキャラ(滅多に壊れない。スーパーマンなみの強度を持っている)の違いが判らずに「ゲームに出てくる技を試したかった」という理由で傷害事件を起こしてしまう少年がいます。

無論これは非常に極端な例です。
しかし、架空の世界で確立された「自己」を現実世界の「自己」と取り違えて 現実世界で生きようとすることも、このゲームの技を生身の人間相手に試すのと 同じような危険性をはらむものではないかと思うわけです。

>欧米においては一般にはRPGは一生をかけた趣味ではなく「子供の遊
>び」と考えられています。

おそらく「幼児のゴッコ遊びに同じ」と言う意味と思いますが、子供の遊びと大きく 異なる点として、「架空世界と現実世界を明確に分離する必要がある」のでは ないでしょうか。
幼児なら「空想好き」「夢見がち」で終るとしても、ある程度成長してしまえばそうはいかなくなります(少なくとも、四六時中ゲーム世界に浸っているわけにはいかないでしょうから)

またいくらゲーム世界で強い「自己」を確立したとしても、現実世界で同様に自己を 確立させるには、ゲーム世界と同様の方法を取るわけにはいきません。
おそらくこれがふしみさんの書かれた「短絡的な自己実現」に相当するものではないかと思いますが、

>結果として他者とのコミュニケーションを不要にしてしまう

これを防ぐには、ゲーム世界に存在する強い自分は現実世界には存在しない、という認識も、ゲームを通して同時に育てる必要があるということではないでしょうか?
(要するに、「おれは本当は強いんだ、現実が間違ってるんだ」と叫びながらゲームに溺れることのないようにする必要もあるのではないか‥‥‥ということですが)

問題は、どうやってこの認識をプレイヤー各自のものとするかなのですが。

結局何の結論もない尻切れとんぼの文章で恐縮ですが、何か考えるきっかけにでもなればありがたいと思います。

なお、私自身にとっては‥‥‥RPGは戦略シミュレーションゲームの一種であり、ここで実現される戦略というものが少々広い意味を持つものだというものですね。

#これは私個人の考えですので、他の方の意見を否定するものではありません。念のため。


1997年09月22日:14時55分49秒
それはともかく / 北条政長
 「自発的に努力させるに足る文言」は出来んのかあ!
 
 それとも、「馬場講座は単独で、自発的に努力させるのに充分な文章である」とでも言う気かあ!
1997年09月22日:14時47分27秒
遊びとホビーか... / 北条政長
 また、新しい単語が出てきたな。
 
>fushimiさん
 私は、TRPGは「自己実現」の効果を持ちえたまま、ホビーとして成立すると思うよ。
 確かに(初耳だが)欧米においては、子供の遊び以上のものにはならないかも知れない。
 ここは議論後進国、腹芸先進国の日本だ。
 言語の質、演技の質が違う。
 
 八百万の諸事物に「神」を感じる、日本人のみが洗練しうる「感情移入」の技法があるのではないか?
 ま、書生論やけど。
1997年09月22日:14時45分25秒
RE:分析と前提 / 宇津見
  fushimi氏へ
 > もし不幸にもベテランがそれを目撃もしくは参加して、なんてつまらない遊び
 >をしているんだ、これではゲームを好きにならない、と思うのは当然かもしれま
 >せんが、必ずしも正しい理解ではありません。その理解はプレイしている当事者
 >の「自己実現」の効果を貶める危険があります。
 全くそのとおりです。
 ただ、自己実現を果たしているだけで満足している人が、ベテランやそれを目指す人に対して、「ややこしい遊び方をするな」と、自分たちのやり方を邪邪魔されたと勘違いして攻撃を仕掛けてくるケースも付け加えておいて下さい。これはfushimi氏よりも、他の不特定の人に向けてですが、理性的なベテランやそれを目指す人なら、単純に楽しみたいだけの人に対して、よほど問題のあるプレイでもない限り、上達や目標や時間や労力の投資を強制するようなことはしません(なぜか勘違いしている人がいるので)。
 特にテーブルトークロールプレイングゲームは、テーブルトークで会話をしているだけで楽しかったり、ロールプレイのうち初歩的な自己実現を達成するだけで満足してしまい、それがTRPGの全てであるかのように錯覚してしまうケースが多いようにおもえます。
 どちらにしろ、ホビーと遊びの問題に関しては、常に留意しておきたいことです。
1997年09月22日:12時11分15秒
分析と前提 / fushimi

 異世界で自己存在を確立する、というRPGの機能そのものが、このゲームをプレイするための根源的なパトスとなっている、という認識は正しいものです。
 しかし、すでに指摘されているようにRPGという趣味を進めてゆくうちに、その趣味分野に「飽きないためのしかけ」が必要となってきます。
 「飽きないためのしかけ」が必要なのは、ビギナーとしてプレイしていたときに官能的に強く感じた「異世界での自己実現」というファクターが、その欲求を充足させられてゆくためです。文学的に言えばトールキン教授が語った「ファンタジーの治癒能力」が機能して、プレイヤーの人格形成と人間的成長に寄与することができたわけです。
 そしてファンタジーは役割を終えて、人は現実を楽しむか、あるいは他の娯楽を楽しむようになります。欧米においては一般にはRPGは一生をかけた趣味ではなく「子供の遊び」と考えられています。
 この段階でのRPGはいかに稚拙なものであっても、それが当事者にとって自己実現という機能を果たしていれば、充分に楽しく魅力的なゲームであると言えます。
 もし不幸にもベテランがそれを目撃もしくは参加して、なんてつまらない遊びをしているんだ、これではゲームを好きにならない、と思うのは当然かもしれませんが、必ずしも正しい理解ではありません。その理解はプレイしている当事者の「自己実現」の効果を貶める危険があります。
 「飽きさせないしかけ」を提供したい、という願いは、RPGを「遊び」から「ホビー(趣味分野)」に成長させたいという意志によって為されます。
 例えば将棋をさすのは遊びですが、専門書を読んだり、名人戦をNHKで放映したりするのはホビーです。ゲーセンでスト2をプレイするのは遊びですが、攻略本で戦法を研究するのはホビーです。
 ホビーとして成立することにはメリットがありますが、RPGという遊びがホビーとして定着しているのか否かは微妙なところですね。また、RPGがホビーとなったらどんなメリットとデメリットがあるのかはより議論されるべき興味深い話題に思えます。
 RPGを趣味分野として成立させたい、という意志を持っている人物の行動を支える原動はさまざまなものがあるでしょう。他人にもこの楽しさを味あわせたい、より自己実現させるために継続したい、RPGをめぐるコミュニケーションを大事にしたい、RPGという趣味分野の成立による経済効果を得たい。
 これは自分自身が己に問い掛ける必要があります。
 論が中途半端なようで恐縮ですが、ご参考になれば。
 僕自身は第一段階のRPGの遊びとして魅力をより高めたいと考えています。僕が一番意識しているユーザー層は、生活にストレスを抱えていて、それをRPGで解消しているようなナーバスな若者達です。もちろん、短絡的な自己実現を提示して、結果として他者とのコミュニケーションを不要にしてしまうような多くの方向性には眉をしかめていますが。
 そしてこの遊びは、知的な判断力のある大人よりもそのような層により魅力的であり、そのような存在を多く招き寄せるのだ、という前提でとらえています。
1997年09月22日:09時16分52秒
馬場講座 / でぶ猫
 どうもとんでもない勘違いをした書き込みが続き、馬場講座を読んで ない人に誤解を与えていそうな気がするので、私なりに訂正を・・・。
 馬場講座はマスタリングに関するノウハウをコスティキャンのゲーム 小論および馬場氏の経験に基づいて明快な文章で綴ったものです。特に ゲームの楽しさだのなんだのについては語っていません。ただ、馬場氏 の考えが強く押し出されているため、抵抗や反発を覚え易いという欠点 はあります。しかし、馬場氏の問題認識がどこににあるかを理解すれば その見解ももっともなもの(正しいとは断言しませんが、そう考えるの も納得できるとはいえます)とわかるでしょう。
 まだ馬場講座を未読で興味のある方角は馬場秀和ライブラリから馬場秀和ライブラリに いけますので一度お試しください。
1997年09月22日:08時36分49秒
訂正2 たびたびすいません / 宇津見
 再び、訂正します。

 > スト2やるときに「強くなりたいなら努力しないとだめだよ」と言われた
 >覚えがあるのか?
 >スト2が強くなる為の方法論を押し売りされた覚えがあるのか?
 >普通のゲームならばそんなことは言われなくても自分でやる。方法論とて下
 >手をすれば自分で作るだけの意欲を見せられるのだ。
 北条氏が、対戦格闘ゲームについて述べたこの箇所について、私は「努力の否定」について述べていると受けて発言しましたが、正確には「努力の強要」について述べているくだりでした。すいせんでした。
 とはいえ、”「強くなりたいなら努力しないとだめだよ」と言われた覚えがあるのか?”に関しては、”いくらでも覚えはある”という反論や事実の提示は変わりありません。NIFTYの対戦格闘ゲームのボードに行っても、先輩方からの努力の勧めや、方法論の提示(どういう目標、どういう勝ち方を目指して練習をするかとか)はいくらでもあります。

 ただし、押し売りされたという事実はありません。というよりも、RPGの上達のための努力に関して強要しているわけではないと、私も他の人もたびたび言っているのですが、北条氏は全く耳に入れていないようでし、それどころかいまだに「上達の努力の勧め」イコール「努力の強要」と勘違いして、誤った前提で論を展開しているようです。もし北条氏の勘違いが正しいなら、ホビー関係で、努力を勧める先輩やガイド本からの押し売りがいたるところあることになってしまいますが、もちろんその様な事はないでしょう。もう一度言うと、「上達の努力の勧め」イコール「努力の強要」ではないのです。


 とにかく今回の件を反省して、もっと冷静かつ的確に発言できるように、以後努力します。


1997年09月22日:07時57分45秒
訂正 / 宇津見
 『人の文章は良く読み、現実は正確に把握しましょう 2』の「他のゲーム異常に努力を強いるとか」の「異常」は、「以上」の間違いです。
1997年09月22日:07時43分46秒
LOG 002 / sf
 TRPGフリートーク LOG 002に1997年4月13日から1997年9月21日までのログを移動しました。
1997年09月22日:07時28分54秒
人の文章は良く読み、現実は正確に把握しましょう 2 / 宇津見
 あと北条さん、あなたは努力を肯定しているのか、否定しているのか、はっきりしてください。
 なにしろ、勝つために努力すべきだといっておいて、すぐその後に努力は異常だといったり、あるいは将棋の勝つ努力を肯定しておきながら、対戦格闘ゲームの勝つ努力を否定したりと、論旨がひどく混乱しています。

 それと、あなたが語ったTRPGの問題点(他のゲームに比べて目的が希薄とか、他のゲーム異常に努力を強いるとか)は、そもそも馬場講座でしっかり述べられて、なおかつ馬場氏なりの解決案(それに同意するかどうかは別として)も提示されていることなんですが。批判するならするで、資料は良く調べましょう。


1997年09月22日:07時16分02秒
人の文章は良く読み、現実は正確に把握しましょう / 宇津見
 北条政長氏へ

 > 「将棋は負けても楽しい」などと言う輩が努力などするはずないというのが解
 >らんのか?
 > 負けてどれだけ悔しいかあたりが、アマとセミプロの岐点なのだ。
 > 方法論でゲームを見たところで、所詮戦術レベルを考察するまでにしか至れぬ。
 > プロは、対面した敵の心理まで読み切るのだ。
 少なくとも私はそんな事は言っていませんし、他の人もおそらくそんな事は言っていませんよ。私は、勝つという第一目標は否定していませんよ。それが奥深いから努力するし、時には勝てなくても楽しめる、ましてや皆が皆、相手の悔しがる顔を見るという歪んだ性根でプレイするわけではない(ゲームで勝つことと、相手を悔しがらせることは別問題ですよ。一致する場合もありますが)と言っているのです。人の文章は冷静に良く読みましょう、何度も言いますが。
 それでも、あなたの将棋に関する見解を主張し続けるなら、実例を挙げてください。そもそもあなたは、プロの棋士を知っているかどうか疑問ですし、そもそも将棋の楽しさを知らないだけなのではとも思えます。そもそもあなたは将棋をある程度継続的にやったり、そうした人の見解を聞いたことがあるのでしょうか

 > スト2やるときに「強くなりたいなら努力しないとだめだよ」と言われた
 >覚えがあるのか?
 だったら、『ゲーメスト』等のゲーム雑誌に常に掲載されている「対戦攻略記事」「連続技ガイド」や、そこに書かれている練習や努力の勧めは一体何なのでしょうか?身近な人からも、「対戦で強くなるならもっと時間とコインを投資しなければ駄目だよ」と何度も言われていますし、対戦で有名なゲームセンターに行けば切磋琢磨しているゲーマーはいくらでもいますよ。


 個人攻撃になりかねないのを承知で言いますが、あなたの主張を聞いていると、「北条政長氏は、ゲームやホビーに関して、非常に貧困なビジョンしか持ちあわせていない」「自分の貧困なビジョンに固執するために、理不尽な主張を繰り返す」と結論づけるしかありませんね、現在のところ。
 それに、明らかに現実に反している主張(「スト2やるときに「強くなりたいなら努力しないとだめだよ」と言われた覚えがあるのか?」とか)も多いので、改めた方がいいでしょう。
(sf:二重登録部を削除しました)


1997年09月22日:05時39分53秒
こいつらは... / 北条政長
 一遍ゲームの何たるかを分からせる為に、雀荘にひと月程放り込んでおく必要がありそうだな。
 
 「将棋は負けても楽しい」などと言う輩が努力などするはずないというのが解らんのか?
 負けてどれだけ悔しいかあたりが、アマとセミプロの岐点なのだ。
 方法論でゲームを見たところで、所詮戦術レベルを考察するまでにしか至れぬ。
 プロは、対面した敵の心理まで読み切るのだ。
 
 手前等のゲームに対する認識はその程度のものか?
 ならば、最早それを「間違っている」とは言わぬ。
 「未熟者」と言ってやる。「ガキ」だと言ってやる。
 
 ゲームに「必死」になることが戦術を、努力を生むのだ。
 だからゲームデザイナーは勝利の喜びと敗北の悔しさを演出するのに、力の八割を注ぎ込む。
 意思決定の重要性や、戦況の多様性など、残り二割にまとめても良い。
 馬場講座に沿ってゲームをやったところで、「勝利の喜び」を演出できるのか?
 ほぼ確実に「セッションを成功させる」ことを重視したような方法論で、本当にプレイヤーを「必死」にさせられるのか?
 
 将棋とTRPGを同列に置いたところで仕方が無い。これは措くとして。
 
 「努力を薦めなければならない」という状況がどれほど異常か、ということに気づかないのか?
 
 スト2やるときに「強くなりたいなら努力しないとだめだよ」と言われた覚えがあるのか?
 スト2が強くなる為の方法論を押し売りされた覚えがあるのか?
 普通のゲームならばそんなことは言われなくても自分でやる。方法論とて下手をすれば自分で作るだけの意欲を見せられるのだ。
 
 馬場講座にそれだけの吸引力があるとは、俺にはとても思えん。
 もしかしたらTRPGそのものに、まだ自ずから努力をしようと言わせるだけの魅力が欠けているのかも知れん。
 
 「こういう楽しさの為に私は馬場講座を薦める」とは言えんのか?
 「成長する為」とか「努力した方がより深く楽しめる」とかでは理由にならんだろうが。
 MTGとて囲碁とてマラソンとて登山とて港の荷物運びとておかしのプチプチ潰しとて、みな繰り返せばある程度の成長は望めるし、成長したときの喜びもある。
 成長の喜びには基本的に貴賎はないぞ。
 囲碁よりTRPGの方が上達の達成感が深い、と言える論拠でもあるのか?
 
 TRPGは、GMとプレイヤーのすべてが上達を目指していない限り、セッションが崩れる可能性の高い、因果なゲームだと俺は見ている。
 だからこそ他のゲームに移られても仕様の無い論拠で努力を薦められる訳にはいかんのだ。
 
 もう一度問う。「TRPGの本当の楽しみ」とは何ぞ?
 こんな簡単な問題に答えられない方法論なぞ、薦めることすら否定してやる。

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