プレイング研究室 LOG 032

プレイング研究室の1999年11月16日から1999年11月22日までのログです。


1999年11月22日:16時28分14秒
[キャラクターの演出]例: 無邪気な暗殺者チャーリー / はしざき

今回もまた、単純な例として「名前:チャーリー、職業:暗殺者、性格:無邪気」ぐらいの事前設定で、『演技性をなるべく排して』キャラクターを演出することを考えてみよう。

「名前はチャーリー。無邪気な暗殺者です」(キャラクター紹介のとき)
「無邪気な笑顔で挨拶します」
「その話には耳を傾けず、無邪気に食事を続けています」
「無邪気に階段を昇っていきます」
「無邪気にナイフを研いでいます」
「無邪気な顔でとぼけながら、周囲の様子をうかがいます」
「無邪気に苦悩します」
「じゃあ、拷問して情報を聞き出そう。まず、右手の小指を無邪気に切断します」
「その話を聞いて無邪気に泣き出します」

間接話法に形容詞を付けるだけという手軽さで、周囲になんらかのイメージを想起させることができるという点で良い。逆に聞き手によって想起されるイメージに差がでやすいという点では悪い。

先の「大食い戦士ボブ」を読んだ人はすぐに気が付くと思うが、ボブとチャーリーでやってることはほとんど同じである。両者の共通点(「反復」と「対比」)が演出的な技法とでもいうべきものだ。

すでに指摘されてる通り、「演技」の利点は「より具体的な描写が行える」ということだが、逆にいえば「抽象的な描写がしづらい」という欠点があるともいえる。あまりに微妙だったり異質だったりするものを、演技によってのみ伝えるのは難しい(「ハイブ人が苦悩している様子」をどうやって演技しろというのだ?)

舞台演劇や映画と違い、RPG は視覚に頼らない演出を利用しやすい。他のメディアで「具体的に演技すべき内容」が RPG においても必ずそうだということはない。時々において、より効果的な方法を採用した方がいいだろう。


1999年11月22日:10時32分06秒
TRPGセッションでの発話形式 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 先の投稿、「『間接話法/直接話法』の周辺」の補足になります。
 
 「演劇的セリフ」の話法につていも、別に直後に間接話法で演出意図などを補足してよいのではないか?」
 
 、、との質問・意見を受けました。

「マイクお前がやつを殺したんだろうが」、狙いはNPCを揺さぶって情報を聞き出す事ね。
 
 とかの前半に、身振り手振り、声色が混じっても構わないはず、とゆう事ですね。
 
 えーっと結局、TRPGセッションでの発話形式は、、
「PL-PL間、または、PL-GM間会話」と、「PC-PC間、及び、PC-NPC間会話」が複合した形式が中核的。
、、とゆう事だと思われます。
 
 先に挙げた、「(セッション)局外からの説明」は、一時的にせよ「PC-PC間、及び、PC-NPC間会話」を排除しようとする話法。
 
 「演劇的セリフ」は、一時的にせよ「PC-PC間、または、PC-NPC間会話」を排除する話法、とこう整理するとスッキリするのではないか、と思います。
 
 とりあえず、2、3のポイントを指摘できます。
 
ポイント1:「PL-PL間、及び、PL-GM間会話」は、PCハンドリングの、「意図(狙い)・目論見(行為内容)・対象・手段(手法)」を明瞭にする。同時に、セッション展開の内で確定された事項を説明する。
 
ポイント2:「PC-PC間、及び、PC-NPC間会話」は、PC・NPCの目線から観られた出来事と、PC・NPCの目線の在りかた自体を表現する。これらも、セッション展開内で確定された事項ではあるが、解釈の幅は常にある。
 PC・NPCの、感情・性格・行動原理・価値尺度などは、「PC-PC間、または、PC-NPC間会話」で表現された方が、了解され易い。 
 
ポイント3:通例TRPGのセッションでは、「PL-PL間、または、PL-GM間会話」と、「PC-PC間、または、PC-NPC間会話」は混交して用いられる。かつ、セッション展開に応じて混交の度合いは変動する。
 仮に、セッションを通じての、「混交の度合いの平均値」のようなものを想定してみると。それもまたセッション毎に異なると思われる。システム、シナリオ、GMの志向性、PLsの志向性などの要因が複合して決まってゆくものであろう。
 
 以下は、上記ポイントと分けて、アタシの私見として提出します。
 
私見1:
 「セッション展開を通じて一貫して『PL-PL間、及び、PL-GM間会話』を排除しようとするセッション・ハンドリング」はあり得るかもしれない、また「セッション展開を通じて一貫して『PC-PC間、及び、PC-NPC間会話』を排除しようとするセッション・ハンドリング」もまたあり得るかもしれない。
 
 どちらの遊びかたもTRPGの可能な遊びかたの範疇に含まれ得る
 
 ただし、どちらの遊びかたでも、TRPGらしい内容を達成しようとすれば、通例の遊びかたでは比較的重要でないテクニックが要請されるのではないか(?)。
 
 その意味では、どちらの遊びかたも「TRPGに可能な遊びかたの範疇内ではあっても、特殊な傾向の遊びかた」と言えるのではないか(?)
 
私見2:
 TRPGでの「演劇的セリフ」のもんだいは、1.「同卓メンバーの心理的反発感(ヒク、とか圧倒されるとか)」、2.「演劇的セリフを用いるプレイヤーの表現力が不充分である場合、PCのハンドリングに必要な要件の整理が不充分である場合」のもんだいを、とりあえず棚上げにしてみると、「演劇的セリフには演劇的セリフで応じる事が要求されるとき」及び、「要求されているかのように受け止められるとき」に生じるのだと思われます。
 
 上記の私見1・2の内容は、この掲示板ではなく、「TRPG総合研究室」に向いた話題であるような気がします。
 
 もし、「演劇的セリフには、演劇的セリフで応じる事が期待される」セッションであるなら、GMさんは、セッション開始前、プレイヤーが確定する前にその事は宣言した方が良い。
 
 もしそうした志向性のセッションでないのなら、GMさんは「演劇的セリフには演劇的セリフで応じる必要は無い」事をキチンとさせた方が良いと、思います。
 
●TRPGに直接関係しない補足:「周辺」・「周縁」・「外縁」
 「間接話法/直接話法」の周辺」の「補論:用語について」の内容ですが。
 
 >文化人類学者の山口昌夫が70年代に提示した、「(文化の)中心-周辺理論」が比較的世に知られています。
 
 山口昌夫氏が提唱したのは「(文化の)中心-周縁理論」でした。
 
 この場合、「周縁」とは先に説明した、「周辺」+「外縁」が意味されています。
 
 ただ、この理論を応用して、きちんと「中心と周辺」の関係を論じる文化論、歴史論などは、現在でも通用するアプローチです。
 
 「周辺」、「周縁」、「外縁」、かなり内容を左右する概念で、それぞれに違う概念、とゆう補足をしておきます。
1999年11月20日:08時28分29秒
「間接話法/直接話法」の周辺(長いです) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
■この投稿の意図
 昨日、まほろばの一行掲示板で、「TRPGでの“演技”」の話しとかで盛り上がりました。その時、TRPGでの発話(言語コミュニケーション)についても少し詳細に観たほーがよいかな、とか思ったンですね。
 個人的には、キャラプレがうまくいくTipsや、演出技法を整理してきたいと思っているんですけど。キャラプレもTRPGにあり得るプレイスタイルの一類であるのなら、こうした汎TRPGプレイング的な話題も、キャラプレの基礎の基礎となると思います。
 
■本論概要
 「間接話法/直接話法の周辺」とゆう題名は、直接話法と間接話法を共に、TRPGセッションでの発話行為(言語コミュニケーション)の中心部と位置づける事を示唆するものです。
 
 中心部に位置づけた「間接話法/直接話法」周辺部には、「局外からの説明・描写」と「演技的セリフ」を位置づける整理を提出します。
 周辺部に位置づけられた話法も、TRPGセッションであい得る発話行為の範疇、との判断も含んでいます。
 周辺部に位置付けられる発話タイプについては、各種の異論も出るかもしれません。
 アタシの意見としては、「局外からの説明・描写」も「演技的セリフ」も、TRPGセッションで可能な発話行為の型ではありますが、それぞれ癖があるので、周辺部に位置づけられるとよい、との考えです。
 
■本論
 参考資料としてsfさんの「TRPG百科事典」の記述を踏まえます。
 今回参考にしたのは、「間接話法《テクニック名》 」、「直接話法《テクニック名》 」の項目記事です。
 
 TRPG百科事典での概念規定は、シンプルです。引用してみましょう。
 間接話法:プレイヤーがPCのしゃべる内容をそのまま口にせず、どのようにしゃべるかについて解説するすること〔後略〕
 直接話法:プレイヤーがPCのしゃべる内容をそのまま口にすること〔後略〕
 
 「間接話法」、「直接話法」それぞれの事例も「百科事典」から引用しておきましょう。
 間接話法・事例:「マイクは、おまえがやつを殺したということを凄味を効かせて言うよ」
 直接話法・事例:「「マイクは言うよ。『おまえがやつを殺したんだろうが』」
 
 TRPGセッションでの発話行為(言語コミュニケーション)では、同卓メンバーに少なくとも、PCの言動の、「意図(狙い)・目論見(行為内容)・対象・手段(手法)」が了解される必要があります。
 その点に注目すると、引用したどちらの事例でも未整理(不充分)な点があります。
 
 これは、善い事例とは言い難いと思いますが。
 ただ、セッションの実態を考えると、状況に依存していろいろな要素が省略されても、了解が達成される事はよくある事です。
 事例もそうした事態を踏まえてのものと考えるとよいでしょう。
 
 以下にTRPGセッションであり得る発話行為を、「局外からの説明」、「間接話法」、「直接話法」、「演技的セリフ」に4タイプにわけててみます。
 それぞれのタイプ毎に、前記の要件が「未整理」な事例と「整理」された事例とを例示してみます。
 
 ここでは、「意図(狙い)・目論見(行為内容)・対象・手段(手法)」の要件を、セッションでの発話行為の必要条件と観る事にします。
 PCの言動の動機付けなどは、「意図(狙い)」と異なることも少なくありません。
 「動機付け」などの方は、場合によっては、充分条件になる、と考えることにします。
 
■タイプ別事例集
●(セッション)局外からの説明:プレイヤーがPCの発話の内容を含まないでおこなう説明
 未整理
 「マイクはさっき知った事実をNPCに告げてます」
 整理
 「マイクは、さらに情報を聞き出す目的で、さっき知った事実をネタにNPCを脅します」
 
 メリット:客観性が高く、解釈の幅を極限まで減らす事もできる。
 デメリット:PCの心理などは局外から説明しようとしても、抽象的になりかえって解釈の幅が広がる。交渉シーンなどには適合度が低い。
 
●間接話法:プレイヤーがPCのしゃべる内容をそのままの形では口にせず、どのようにしゃべるかについて解説するすること
 未整理
 「脅かす感じで“お前がやつを殺したんだろ”とか言うー」
 整理
 「マイクは、おまえがやつを殺した、ってネタを凄味、効かせて言うよ。狙いは脅しをかけることね」
 
 メリット:セリフを詰めて考える必要がない。
 デメリット:PCの人物像に関しては曖昧にしか了解されない。その為、言動の動機付けなどを説明しても説得力が乏しくなる傾向がある。
 
●直接話法:プレイヤーがPCのしゃべる内容をそのまま口にする部分を含んだ説明・描写
 未整理
 「マイクは言うよ。『おまえがやつを殺したんだろうが』」
 整理;純粋な「直接話法」とも言い難いですが、「間接話法」とも「演技的セリフ」とも違います。極端に言えば棒読みでもか舞わないです。
 「マイクは『おまえがやつを殺したんだろうが』って言います。狙いはNPCを揺さぶって情報を聞き出す事ね」
 
 メリット:PCの人物像をかなり明瞭に表現する事もできる。その場合、動機付けの説明をしても説得力が増す。
 デメリット:要件が省略され易くなる。補足する為、間接話法との併用が望ましい。
 
●演技的セリフ:単なる直接話法ではなく、声色、身振りなどを伴い、いわゆるプレイヤー発言を排除しようとする発話
 未整理
 「おまえがやつを殺したんだろうが」
 整理
 「マイクお前がやつを殺したんだろうが(俺は揺さ振りをかけてやろうとネタをぶちまけてやった)」
 
 メリット:PCの感情などの表現に適している。
 デメリット:要件をすべて満たそうとするとかえって、たいへん。
 客観性が乏しく解釈の幅が広い。
 前提として、セッション内の背景やキャラの人物像についてイメージの共有度が高い必要がある。
 適確の表現の難易度が高い。オーバーすぎる表現は同卓メンバーの反発を受ける事もある。
 
補足:このタイプ別事例集では、言語コミュニケーションの在り方についてだけ着目しています。セッションの実際では、表情や身振り、見立てによる小道具暗示など、非言語的コミュニケーションも動員されているはずです。
 
 いろいろ「TRPGでの演技」についての議論をしてるときに気づいたことがあります。アタシも含めて少なからぬ人が、間接話法/直接話法の概念理解にやや曖昧な面があるようですね。
 なんとなく、「PL発言(≒間接話法)」、「PC発言(≒直接話法)」って混同が生じちゃうようです。
 でも、少なくともTRPG百科事典での用例を観ると、「間接話法」も「直接話法」もそれぞれに、「PL発言」と「PC発言」が混交した在り方です(混交の度合いは異なりますが)。
 
 事例集での「間接話法」と「直接話法」のタイプ説明文事例は、「TRPG百科事典」の解説を参考にさせていただきました。
 ただし、百科事典・解説文の文意を表面通りにとると、百科事典の事例と食い違う印象も生じると思われます。
 「PL発言(≒間接話法)」、「PC発言(≒直接話法)」って混同も生じ易いのではないかな。
 ですので、ここでは事例に即して説明文を考えてみました。
 
■ポイント(当面の結論)
 TRPGセッションでの発話の要件(必要条件)は、「意図・目的(目標)・対象・手段」です。
 「局外からの説明・描写」、「間接話法」、「直接話法」、「演技的セリフ」、TRPGセッションでどれを使う場合でも、発話者(セッション参加者は)、同卓メンバーから省略された要件、及び、曖昧に理解された要件についての問い合わせを受けた場合、速やかに即答できる事が望ましいです。
 
 自然言語のコミュニケーションには状況依存性があります。
 ですのでセッションの実際では、ひとつひとつの発言の要件(必要条件)整理に神経質になる必要はないでしょう。状況依存性によって省略された要件も、ある程度は受け手に推測されるからです。
 ある程度は推測を頼って、省略をした発話でセッション展開を楽しんだ方が好ましいと思われます。
 しかし、同卓メンバーからの要件の問い合わせに、即答出来ないような省略は避けるべきと思われます。
 
 各タイプごとの事例を観ていただければおわかりいただけると思いますが。
 セッションの実際で、要件が把握され易い話法は、「間接話法」、「直接話法」、「局外からの説明・描写」、「演技的セリフ」の順であると思われます。
 
 4種類の発話タイプには、それぞれにメリット・デメリットがあります。一般論としては、セッションを通じてどれか一つのタイプに固執しない方がよいでしょう。
 セッション内の局面の特性に応じた使い分けが出来る方が好ましいと思われます。
 例えば、システムによっては、戦闘シーンでは「局外からの説明」を採用した方が、セッション展開がスムースになることも珍しくないと思われます。
 
 周辺に位置づけられる「局外からの説明・描写」、「演劇的セリフ」は、セッション展開を駆動する発話行為としては、比較的特殊な前提条件が必要と思われます。ですので、これら「周辺的発話タイプ」を使用する場合は、前提条件が整っているかどうかに注意が必要です。
 
 特に、演劇的セリフは、その性質上、セッションでの発話の要件は省略され易くなります。
 この発話スタイルの場合、同卓メンバーからの要件についての問い合わせに即答する用意は、他の発話スタイルを採用する場合よりも高い確実度が要請されるはずと思われます。
 
■備考
 この投稿で提示した整理では、アタシの意見として、「(セッション)局外からの説明・描写」と、「演劇的セリフ」を「周辺」に位置づけています。
 「間接話法」と「直接話法」が中心部に位置づけられる事には異論はでないと思っていますが。周辺部の位置付けに関しては種々の異論が出るかもしれないと思っています。

■展望
 アタシの見通しでは、「間接話法/直接話法」(PL発言/PC発言ではなく)が、複合したTRPGセッションでの発話行為の中心領域は、ジャンルとしてのTRPGのプレイを他のゲームのプレイと異なるものとして特徴付けるものと思えます。
 
 仮構の世界を背景にした仮構のキャラクターの冒険ついてのコミュケーションが、「間接話法」と「直接話法」が複合した在り方で行われる限り、そこでのコミュニケーションの在り方は、自然と「劇場型のコミュニケーション形態」(演技的セリフとは別概念)にならざるを得ないと思われます。
 しかし、この件は、また別の機会に論じたいと思います。
 
■補論:用語について
 この投稿の題名に使ってる「周辺」とゆう用語は、どうも元は数学用語らしーです。実は、アタシは数学はダメダメなのですが。
 で、ここでは、現代思想や、現代的な文芸批評が、数学から借用して来て使っている用法に従っています。
 
 ある集合の中心と周辺、そして外縁と近傍、とゆー一連の概念です。
 「周辺」は、集合の境界のすぐ内側を意味します。
 「外縁」は、集合の境界線のボーダー・ライン上を意味し、「集合の内でもあり外でもある」という両義的な存在の領域を意味することが多いです。
 「近傍」は、集合の外部で、集合に近接した領域を意味します。
 
 図式化して示すと以下のように示せます
 
 中心//周辺)外縁)//近傍
 
図式・注:「))」は、集合を表す閉じた曲線(の一部)を意味します。
図式・注:「//」は、「中心と周辺」、「外縁と近傍」それぞれの間の距離を意味します(2種類の距離が等しいとは限りません)。
 
 「中心」、「周辺」が現代思想で用いられる例をひとつだけ挙げておきます。
 文化人類学者の山口昌夫が70年代に提示した、「(文化の)中心-周辺理論」が比較的世に知られています。中公新書などにも、この理論を使った文化論があったと記憶しています。
 
 「文化の中心-周辺理論」は大筋、以下のようなものです。
 
 「ある文化の活力が枯渇したとき、その文化の中心は活力を再生するために、周辺から文化要素を移植しようとする。移植が成功すれば、文化は活力を再生するし、移植が失敗すれば、その文化は衰退する」と−−いった抽象度の高い理論です。
 理論的帰結として、「中心は周辺に依存する」、または「中心は周辺に奉仕する」といったテーゼが導かれます。
 従来、「先進文化による後進文化の収奪」といった文脈で理解されていた事例を、より価値中立的に理解するモデルとの評価もされているのが「文化の中心-周辺理論」です。
1999年11月18日:23時22分05秒
一行掲示板抜出引用:TRPGと演技についてPt.2(長いけどオモシロイ☆) / 抜出転記:鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#この投稿は、まほろばの一行掲示板での、「TRPGと演技について」のやりとりを抜書き引用したものです☆
#先にアタシが抜出転載した「一行掲示板抜出引用:TRPGと演技について」 (当掲示板,カンナ抜出転記,99年11月18日:17時22分47秒)、の直後のやりとりです。
#もとは、99/11/18:16:58:51 〜99/11/18:21:03:26 の投稿からの抜き出しです。
#話題の流れがわかり易くなるよう、前後関係を移動する、表示上の整形する、などの編集はしましたが、基本的には投稿文自体には手は加えていません。
#投稿者各氏のお名前は、LOGの表示のままで、敬称は入れていません。
#なお、ここに引用した分の後も、今日(99年11月18日)の「一行掲示板」では結構有益なやりとりが多かったように思います。

PALM-12@新開発! 音が聞こえてくる一行書込み:「待てぇー! ルパーン!」 「とっつぁ〜ん」 「待てぇー! ルパーン!」 「とっつぁ〜ん」 「待てぇー! ルパーン!」 「とっつぁ〜ん」……
 「いっきゅー殿ぉー!」 「いっきゅー殿ぉー!」 「いっきゅー殿ぉー!」 「いっきゅー殿ぉー!」 「いっきゅー殿ぉー!」……
 まあ、TRPGの「演技」は、こういうのが目的でもあるんですよね。 そういう意味では、演劇よりもパントマイムのそれに近いです。まあ、手振りか喋りかの違いはありますけど、、
 まあ、パントマイムも色々あるんで、言い切ってしまう分には問題があるんですけどね、、
 
ベンジャミン%遅れましたが:ただ、前提となる諸条件を揃える努力をしない大根役者が多いのでその辺の定義は重要
 今の芸能界と同様で、ただウケ狙うだけ大根役者のままでいるなら、受けている内は良いけどそのあとはどう仕様もないです。
注)「前提となる諸条件」とは、演技がTRPGで成功するための前提条件。「一行掲示板抜出引用:TRPGと演技について」 (当掲示板,カンナ抜出転記,99年11月18日:17時22分47秒)、参照のこと。
 
カンナ@私見:うん、結局仮構ワールドでの冒険の達成感・充実感を高めてくものだと思います<演技もウケも
 
PALM-12:まあ、「演技」なんてジャンルごとに定義が異なる言葉を断り無しに使えば、問題は出て当り前って気もするなぁ、、
 「ベンジャミン:ただ、根本的な問題としてTRPGにおける演技が本当に演技なのか?」 これについては、「学んだ技芸を演ずるという事」以上の定義を求めるのであれば、「TRPGの演技」は「演劇の演技」や「マイムの演技」、各種大道芸の演技とは別もんではあるとしか言えないですよね
 手段として「演技の対象に扮すること」という意味では、TRPGと演劇の演技は近似なんですよね。
 問題は、演劇の演技の目的が「物語の再現」を主眼においていること(これは即興演劇であっても同様)、これに対してTRPGの演技の目的は何なのか? という事なんですね
 
カンナ@細かい突っ込みスマヌ(揚足とりではないよー):PALMさん>演劇の演技の目的が「物語の再現」を主眼においている>コレは違うよん>演劇の演技の目的が「物語の再演」としなくっちゃ
 
PALM-12:ぬ、申し訳ないです。 儀式における演技と混じってましたね > 演技の目的
注)ここでの「再現」は、ビデオテープの再生のように、同じ内容が「再現」される事、「再演」は解釈や演出の加味によって、物語内容が改変され事が意味されています。
 
彬兄:ちょっとまとめてみました〜
注)「演技について思ったこと」 (当掲示板,彬兄さん記,99年11月18日:17時59分08秒)
 
LIST:満足の為でしかないように思えるのが辛いところですね。  >TRPGでの演技
 
PALM-12:臨場感や実在感、それに感情移入の増加、変身願望の実現などでしょうか?
 
LIST:ゲーマー(PL)は、PCの持つ専門知識を持っていませんから(しばしば不可能であるし)、
 PLの、現実とそぐわない発言のせいでPCの行動が間違っている事になったりするからです。
 
PALM-12:まあ、専門知識の問題は、演劇や小説、絵画の類でもよくある事です。 が、TRPGは頻度が高いんですよね(笑)
 
LIST:そーですよね <頻度高い
 んで、これに対処すると、演技や何かを評価してあげられなくなっちゃうわけです (プレイ後に経験値ならいいかも知れませんが)。
  
PALM-12:善処します(笑) >改めましょう

彬兄:「ゲーマー(PL)は、PCの持つ専門知識を持っていません」は演技力の問題。出来ないなら他の表現手法と取りましょう。そのためのルールです
 「PLの、現実とそぐわない発言のせいでPCの行動が間違っている」は演技云々以前の行動決定(ロールプレイ)の問題です。改めましょう
 ちょっと短絡的すぎるかな?
 
LIST:はにゃ? 例えば魔法使いのPLがそのシステムでの魔法を完璧に把握していない時には良くおこる事だとおもったのですが…
 
PALM-12:ルールを読むように善処します(笑) >システムでの魔法を完璧に把握していない時
 ボクの持論としては、ルールに則ったものはルールで評価する、それ以外のものはそれ以外のもので評価する、ってのがあります
 経験値が欲しいから演技しているのであれば、そういうシステムをチョイスすべきです。
 そうでないなら、演技によって与えられる報酬は、別の方法で評価してあげればいいと思うんです。 例えば、お茶を入れてあげるとか
 
LIST:あと、例えば消防士のPCに、現場の被災者に対して 「被災者」 と言ってしまうのは多分間違いだとおもいますが (この場合は要救助者でしょう)、PLにコレができなかったらマズイと言われてもツライワケで…
 訂正 「消防士のPCが」 ですね
 
カンナ@「演技」について:後ね、「(演劇などのような)演技」のもんだいは、解釈の幅が広くなりすぎる傾向があることね<アタシは、やっぱりト書き的内容の間接話法が併用された方が、より安全とは思います。
 
彬兄:PCの行動の結果が正確に予想できないってのは表現できてないってことになりません?それを補うためにルールがあるんだと考えれば…
 
カンナ@「演技」について:演劇の場合、観客はプロットの文脈を判断するので、役者さんの演技の解釈に方向性が与えられるンですけど、、 TRPGセッションではプロット自体変動してくわけなので、どーしても解釈の幅も広くなります。
 
PALM-12:それは間接話法を使用しても変らないのでは? >プロットの解釈の幅
 あと、演技に対する解釈の幅であっても、弊害はないと思いますけど。 まあ、全PL/GMが解釈に幅があることを理解していればですけど
 
カンナ@うーん細かい(恐縮):いや、「直接話法」の演劇的セリフに「間接話法」での「演出意図」などを併用するンです<プロットの解釈の幅ではないの<「プロットを踏まえた演技の解釈」の幅なの
 
PALM-12:うーん、その瞬間における解釈の幅は、より「演出意図」に近いものにはなると思いますが、プロットの変動や、、理解しました
 「物語生成」から見れば、そうですね。 うんうん。 はしざきさん風に言うと「ストーリー指向」(笑)
 
はしざき:演技の話でふと思ったんだけど、仮に自殺しよーとしてる人を思いとどまらせる説得をする、ってシチュエーションがあったとして
 大食いボブが「死んでしまったらおいしいものが食えなくなるんだぞ」って言うのは、プレイヤー的には真剣さが伝わるけど
 キャラクター的に伝わるかどうかは、対象がボブについてどれくらい知っているかに依存するよねぇ
 で、例えばこれが映画だと、キャラクターに対して説得力があるかどーかよりも、観客に対して説得力があるかどうかを重視してるよーな気がする
 で、RPG の場合でも、プレイヤーに対してみんなが納得するものがよいか、キャラクター的に納得するものが良いか、って視点が問題になることがあるかもしれない
 
PALM-12:そうです。 他の演技が観る人を対象にしているのに対して、TRPGはそうではない
 
カンナ@はしざきさん天才ッ☆:あぁ、いいセリフですねぇ☆>大食いボブが「死んでしまったらおいしいものが食えなくなるんだぞ」って言う
 みんなが納得の方に一票☆>でも欲張ると、キャラクターが納得する理由がみんなに納得されればなおよい(笑)
 
はしざき:演出指向キャラプレイマンチーなだけです(笑)<自分
 自分で行動方針としては「みんなが納得する方」をデフォルト選択するけど、「それはキャラクターには通用しないよ」ってつっこまれれば、「じゃあ、いまの無しにして」とか、そんな感じかも
 
ベンジャミン%話してて思った。:思うに演技しているPL自身がそこまで演技自身を意識していない(考えていない)、なりきりと演技の区別がつかないまま使ってるケースが多いのではないか?
 その結果として、演技自身が自己満足のための手段となることが多く、そこまで他人に好感がえられないのではないかと思うけど。
 
カンナ(鍼原神無):そーだったら、困りものですよ。演技志向の人は、自分でも演技の事は考えたほーがよいですよねー。
 
はしざき:あと一方で、「キャラクター的には納得しないと思うけど、マスター困ってるみたいだからプレイヤー的に深くつっこまないよ」って考え方は認められるべきだ、ってのが自分的にはあって、
 あんまり原則論にこだわってもなぁ、とか思ったりもします。(ああ、俺完全に思い付きで発言してる(笑))
 
PALM-12:状況によっては、これが正しい判断のときもあります。 だから、はしざきさんに賛成です >「キャラクター的には納得しないと思うけど、マスター困ってるみたいだからプレイヤー的に深くつっこまないよ」
 PALMはキャラクターが納得する方を選びますね。 他人との価値観のズレがリアリティだと思うし、、
 あれ、これは意外性の演出の範疇の話かな?
 
はしざき:PALMさんの方が合理的な解釈だと思います。一方で、雰囲気とか盛り上がりとかを完全に無視しちゃっていいのか、って疑問もちょっとある
 
カンナ@あらあら(焦):ん?勘違いしてたかも「キャラクター的に納得するもの」って、「他の・キャラが納得できるもの」ではなくって??
 だったら、アタシもPALMさんと同じ>他人との価値観のズレがPLsにわかるように演出、がキャラプレと思うもん
 
はしざき:ああ、いや。例えば、PC全員に大食いボブがどんな人間かよくわかってるけど、自殺しようとしている人はボブと初対面、って場合
 
カンナ@だってTRPGなんだもーん(笑):それは、……ボブのIQとかINTとかSenとかによるでは(爆)
 Socかもしれない(笑)
 
はしざき:インテリなボブってちょっとやだなぁ(笑)
 
カンナ(鍼原神無):いぁ、だからINTが低いと、初対面の相手でも言っちゃうわけですよ(笑)<「死んでしまったらおいしいものが食えなくなるんだぞ」
 
はしざき:ああ、で「おまえは引っ込んでろ」とか言われちゃうんですな
 
カンナ@マジメな話:ここで相手NPCが「はぁ?」ってゆーか、怒るか、「なんかこの人善い人」って思うか、その辺はGMさんのキャッチ・ボール・センスと思います。
 
PALM-12@よからぬ像像:お約束なら知力よりも共感力の高いボブは説得に成功するんだろうけど、TRPGはなぁ、、GM:「はい、そじゃあダイス振って」、、(笑)
 
はしざき:まぁ、「プレイヤーにとって効果的な演技が、キャラクターにとって効果的とは限らない」ってのは、注意しないといけないことかもね<RPGにおける演技論
 
カンナ(鍼原神無):ふむ・キャラクター演出としては効果的とは限らない、って感じですね(タブン)。
 
PALM-12:当然、システム・コンセプトの解釈とかも関ってきますね。 > 効果的な演出
 
はしざき:ところでさぁ、自分なりのキャラクターイメージでは、ここは失敗しておきたいってのに、成功してしまって困るってことない?
 
PALM-12@受け入れれば、、:たまにあります。 でも、ダイスはウソつかないから(笑) > 成功してしまって困る
 それもリアリティです。 考えようによっては腕の見せどころですし、 >成功してしまって困る
 
カンナ(鍼原神無):最近「深淵」が多いので(笑)<大失敗購入しちゃいます(爆)<イメージにあわないとき
 
はしざき:ああ、そうか。失敗購入ができると、そーゆーとき便利だねぇ
 はい、確かに腕の見せ所なんですけど、往々にして「成功したいのに失敗」よりもその逆の方がフォローが難しいような気がする
 で、演技で判定を省略できるなら、一生懸命失敗しそうな演技して、判定省略で失敗できるのは楽でいいなぁ、とか思ったり・・・
 
カンナ@そこがまたいーんだけど(笑):でも、購入できるのは「大失敗」だけなんですよー(爆)<「深淵」
 
PALM-12:野営で料理を焦がすのはOKですけど、モンスターの攻撃をよけそこねるのはダメですね。 経験則的な話ですけど、弊害が大き過ぎます。 >判定省略で失敗
 
LIST@良い話しの時に限って仕事が忙しいよね:ずるいPLが悪用するんで、ちょっちダメっすね >失敗権与える
 複数の選択肢があって、正解をPL的に知っている場合、不正解ぜんぶにわざと失敗して正解には判定しない(消去法をしたと言い張る)事ができたり…
 これで大失敗でも選択できたりすると、現場の雰囲気的にも納得させられたりして、手が付けられなくなったりして…
 
カンナ(鍼原神無):あ・LISTさん≫さっきはお話途中で腰おっちゃってみたで、ごめんなさい(後で気づきました)
 
PALM-12@何とか主義的意見(笑):人間は悲観的な生き物だから、幸運と出会うと戸惑うようになっているんです >望まぬ成功のフォローの難しさ
 
もちづき:そうやって考えると、手札から出したカードで判定するゲームは、「わざと失敗」が出来て便利かもしれませんね。(そして、成功が欲しいときに温存したカードで・・・)
 
YAN:演技に対する報酬は、それに対する演技というか、気の利いたリアクションだろうなぁ。 判定に修正がつくかどうかは、演技部分を省いた上で、それでも選択肢的に良い判断であればボーナスつけても良いだろうし。
「死んでしまったらおいしいものが食えなくなるんだぞ」 に関しては、分かってくれる/混乱する/怒るにしても、ちゃんとしたリアクションが帰ってくれば、プレイヤー的には満足いくでしょう ただ、悪い方に解釈する場合は、自動的失敗にせず、とりあえず判定させたほうが他のプレイヤーも納得いくでしょうねー
 
右京:判定に修正がつくかどうかは、演技がうまかったよりは話した内容によるべきでは?
 
TRPG総合研究室での「一行掲示板抜出引用:交渉判定と演技についてPt.2」、に続く・予定(乞御期待☆)
1999年11月18日:17時59分08秒
演技について思ったこと / 彬兄
 ども、彬兄です。一行掲示板で論議してて、ロールプレイと演技についてなんとなく自分の意見がまとまってきたので書いてみます。

 最初に、演技とロールプレイの定義として以下のようなものを提案します。
・さまざまな事情を考慮してPCの行動を決定することがロールプレイである
・演技とはロールプレイによって決定されたPCの行動を表現する手法の一つで、PCの行動をPLのそれに見せかけることでPCの行動を表現すること

 この定義によると、ルールに従って成功ロールを行なうことも表現のための一手法となります。少々乱暴な定義ですが、このくらい割り切っちゃったほうが議論するには楽でいいと思います。

 まず、ロールプレイの内容は表現手法に依存する要素はないが、表現手法にはその向き不向きからロールプレイの内容に依存することがあるということについて。
 他のロールプレイの表現手法と比較して、演技はPCの微妙な感情を表現するのに優れているという利点と、PL本人の肉体的、精神的スキルを越す行動は表現が難しいという欠点があります。
 これを踏まえれば、演技という表現手段をとるべきでない行動が判別できます。
 おびえている少女から情報を聞き出すための交渉と、海千山千の商人相手に行なう値引き交渉を例にとって考えてみます。
 前者のような場合における交渉をルール化しているシステムはきわめて希有です。そして、おびえた少女を安心させるための行動は演技で表現することが可能です。可能であるからといって演技で表現しなければならないということはありませんが、演技力のあるPLなら言葉で説明するよりも演技のほうが、この場合は表現するという点において有効な手段であると言えます。
 後者の場合、交渉系のルールが存在するシステムならまず間違いなくルールにのっとって表現できます。なおかつ、PLとGMの双方の値切り?能力がほとんどの場合追いつきません。したがって、この場合は演技で表現せずに、ルールで表現するのがよりふさわしいと言えます。

 演技の上手い下手について。
 GMや他のPLにわかるようにきちっとPCの行動が表現されているならば、それは上手い演技ということになります。正確にPCの行動が伝わらないのが下手な演技ということになります。
 うまく表現が出来ないならば、それはPLの能力が足りません。演技の修行をするか、他の方法を使用すべきでしょう。表現できないのに無理に演技で表現しようとする場合、それは他人に理解できない一人よがりな演技、ということになります。
 表現力に問題がないのに不快がられる場合は、よく言い訳で使われるプレイスタイルの問題か、演技と外見のギャップに対する生理的嫌悪(笑)の問題ということになります。

 なりきりキャラプレイについて。
 PLのそのシーンにおける感情の吐露がそのように他人にみえてるだけという状態や、アニメや小説などのキャラクターのせりふと行動をなぞっているだけというのは、ロールプレイの段階にすでに問題があります。そもそも、演技やプレイスタイルというカテゴリで議論する問題ではありません。

 どうでしょう、問題の切り分けをすれば議論も楽になると思うんですが。
1999年11月18日:17時22分47秒
一行掲示板抜出引用:TRPGと演技について(長いけどオモシロイ☆) / 抜出転記:鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#この投稿は、まほろばの一行掲示板での、「TRPGでの演技について」やりとりを抜書き引用したものです☆
#もとは、99/11/18:14:39:04 〜99/11/18:16:27:40 の投稿からの抜き出しです。
#話題の流れがわかり易くなるよう、前後関係を移動する、表示上の整形などの編集はしましたが、投稿文自体には手は加えていません。
#投稿者各氏のお名前は、LOGの表示のままで、敬称は入れていません。
#なお、ここに引用した分の前も、今日(99年11月18日)の「一行掲示板」では結構有益なやりとりが多かったように思います。

カンナ@別の話になるのかな?:はしざきさん≫あ・そーそー、「Re:RPGにて演技(?)を求める人の心境」おもしろく(興味深かく)読ませていただきました☆
 あそこで書かれてたことの先の話も結構重要な気がします。うーん、セッションの小世界(ワールドの一部)のイメージ共有とか、そーゆー方面を考えてるンですけど。
注)「Re:RPGにて演技(?)を求める人の心境」 (TRPGのための心理学設定の部屋,はしざきさん記,99年11月18日:07時27分24秒)
 
ベンジャミン:最初に演技ありきの考え方を変えないとどうなのかなぁと思うです。
 
カンナ(鍼原神無):あー、うん、それはそんな気はします、「最初に『演技』ありきの考え方を変えないと」
 かえって、アマチュアでも演劇やってるTRPGプレイヤーの人とかのほーが、「TRPGプレイと『演技』の違い」についてはイロイロ考えてるみたいですし。
 前、河嶋さん@魔獣の絆、とかとオフであったとき、そんなコト言ってられました(カレも演劇やってたそーです)
注)TRPG.NETでもおなじみ、「サタスペ」の河嶋陶一郎さん、『魔獣の絆』には、デザイナー・スタッフとして参加(念の為)。
 
ベンジャミン%一行でこんな話題続けてていいのだろうか?:結構、TRPGで演技とかに重きを置いている人に限って、全く演劇や演技について訓練していないことも多いですから。
 そういう風な演技(?)をやって、自分は満足するでしょうけど、他人はどうなのでしょうか?
 
カンナ@ちょっともったいない気もするケド、よいのではないでしょーか:そりゃそーですよね。世間一般でも、演劇の訓練とか知ってる人の方が少ないと気がしますものね。
 でも、アタシが直接知ってる人には演劇やってた/やってるってTRPGer何人かいるなー(?)
 結局、仲間内でオッケーだから、それがコンベンションでもオッケーと思っちゃうって勘違いではないかなー<他人はどうなのでしょうか?
 
LIST:シミュレーション上がりのゲーマーの方がTRPGだけのゲーマーよりロールについて考え深いのと同じような物かな? >演劇やってる方が
 
カンナ(鍼原神無):なるほどー。そーかもしれません<LISTさん
 
彬兄:一人よがりでさえなければ素人の演技でも通用しちゃっていいと思うな。TRPGでは
 もっとも、一人よがりでない演技が出来る人間は素人じゃないと思うけど
 
カンナ(鍼原神無):演劇って、素人演劇でも、セット(大道具)があって、小道具があって、衣装があってetcではないですか、普通は。その辺からしてTRPGとは違いますよね。
 演劇の技術よりも、落語の技術の方がTRPGは役にたったり(扇子の見立て所作とかですね)。
 
ベンジャミン:演劇といっても、パントマイムに近いやつとか一人芝居とか道具や衣装がそこまで要らないものもありますし。
 
彬兄:即興演劇の掛け合い練習なんかはかなりTRPGに近いって話を演劇の学校に行っていた友人から聞いたことがあります
 
カンナ(鍼原神無):アタシは、TRPG、「ホン(脚本)の読みあわせ」に似てるトコがあると思うんですよ<共有されてくイメージの撚り合わせとか、「読みあわせに」よる脚本内容や演出の改変とか
注)「擦り合わせ」ではなく、「撚り合わせ」としているところにご注目ください(笑)。
 
ベンジャミン:ただ、根本的な問題としてTRPGにおける演技が本当に演技なのか?PLのそのシーンにおける感情の吐露がそのように他人にみえてるだけではないか?というのが私の印象的にありまして。
 
彬兄:PCの「そのシーンにおける感情の吐露」をPLのそれに見せかける技術が演技なのではないでしょうか?
 あくまでもTRPGにおける演技、ですけど。ロールプレイの表現手法の一形態としての演技
 
ベンジャミン:そうなのかなぁ
 PCとPLの位置はあれでいいのでしょうか>彬兄さん
 
彬兄:逆にするとロールプレイじゃなくなります。ようするに、PCの行動をPLを媒体にして表現するってことですから
 訂正。PCの行動をPLのそれに見せかけることで表現するのがTRPGにおける演技
 
LIST:PCの行動をPLを媒体にして表現する <この際の法則、決まり事をルールと呼ぶわけですよね。
 この間NOVAの掲示板で誰かが聞いていたかと思いますが。
 
ベンジャミン%混乱してきた:結構、PLの感情(機嫌、欲望?)をPCを媒体として表現している人は良く見るのですが。
 
彬兄:それがいわゆる「なりきり」だと思います>PLの感情(機嫌、欲望?)をPCを媒体として表現
 
ベンジャミン:LISTさん、彬兄さん、すいません、意味取り違えてたみたいです。理解できました。
 
カンナ(鍼原神無):彬兄さん、その説過激では(笑)。いぁ・過激に聞こえるだけかもしれないですケド。
 「感情の吐露」してたら演劇でも演技になんないと思うし、ホステスさんも営業マンもあがったりだし(笑)
 
LIST:訂正した後の方のは、まぁ、実状に則していますけど過激ですね(笑)
 
彬兄:過激…かなぁ。演技をロールプレイ表現の一形態として見れば、そういう定義になっちゃうんだけど
 
ベンジャミン%鳴き声とかが絶えてひさしいなぁ(^^;:そこまで、過激なのかなぁ?自分はそうなのかと感心してみてましたけど。
 
カンナ(鍼原神無):いぁ、「PCの言動をPLを媒体にして表現する」こっちは別に過激ではないですよね。
 過激に聞こえるのはこっち(笑)>PCの「そのシーンにおける感情の吐露」をPLのそれに見せかける技術が(TRPGでの)演技
 
はしざき:「魅力的なキャラクター」が登場する小説を書く作家に、どれだけ演技の才能なり素養なりがあるのかって考えるとRPGのいわゆる「演じる」という言葉を直接一般名詞の「演技」に結び付けちゃうのはどーだろー、と前から思ってたりします
 まぁ、アプローチのひとつとして考えてみることは悪くないとは思うけどね
 
カンナ@コレはどっかの掲示板に書いてもいーかなー(迷):間接話法と、直接話法が複合すると、TRPGの場合、コミュニケーションのタイプとしては「(演劇などでの)演技型」のコミュニケーションに自然になってくンです。
 
ベンジャミン%普段の一行に来ている人は引いてるのかなぁ?そうだったらすまぬ(^^;:PCの行動をPLを媒体にして表現する人ってなかなか見ないような気がします。>私の周りだけかなぁ?
 
彬兄:さまざまな事情を考慮してPCの行動を決定することがロールプレイで、ロールプレイの内容は表現手法に依存する要素はない。けど、表現手法にはその向き不向きからロールプレイの内容に依存することがある
 で、演技をそういう視点で見た場合、PCの微妙な感情を表現するのに優れていると思うんですよ
 
カンナ(鍼原神無):前提として、人物像や、背景小世界のイメージ共有度が高いことが必要<コレが難関<PCの微妙な感情を表現するのに優れている
 だから、仲間内なら演技が成功する蓋然性はグッとあがるのだと思われます。
 
彬兄:ぬう、なんかこう考えるとロールプレイ議論の大半に結論が出てしまうような気がする
 
カンナ(鍼原神無):いぁ、だから、背景小世界や人物像のイメージ共有度をあげてく諸条件、技術は何かって整理がじゅーよーなんですよ☆
 
はしざき:物語の展開上、どーゆー位置付けにあるのか、ってのもじゅーゆーかも
 前提とされる諸条件ってのがちゃんとできてれば、しろーとの大根演技でさえも効果的って感じかな
 逆に「前提とされる諸条件」みたいなもの整えず、演技だけ頑張ってもまわりはしらける、みたいな
 
カンナ(鍼原神無):ですね、大根でもウケれば嬉しいってあたりはカラオケに通じるし(笑)
 
はしざき:話違うけど、TRPG_PSY に書いた「キャラクターの目線」云々は、根拠薄弱な思い付きなので、
 もっと発展させるためには、少し土台となる部分をまじめにべんきょーすべきかもしれません
 「心理的な云々」って言い回しは、《言いくるめ》効果が高いから、まゆにつばつけながら進めていかないと危険かもなぁ
注)「Re:RPGにて演技(?)を求める人の心境」 (前出)
 
カンナ(鍼原神無):なるほどー、でも説得力あると思いました、自分のセッション体験とひき合わせても。<「キャラクターの目線」

 とりあえず 以 上 です
1999年11月18日:13時30分28秒
[キャラクターの演出]「セッション展開モデルとPC演出指針」部分改訂 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 「セッションのスタンダードな展開モデルに応じた、PC演出の指針」について、PALM-12さんの指摘・提案を受けて部分改訂を加えることにしました。
 
 「セッションのスタンダードな展開モデルに応じた、PC演出の指針〔Vr.1.0.0.〕」に、部分改訂を加え、〔Vr.1.0.1.〕とします。
#〔Vr.1.0.0.〕
 「[キャラクターの演出]セッションの展開と演出」 (当掲示板,カンナ記,99年11月16日:21時49分11秒)
 「[キャラクターの演出]補足:セッションの展開と演出 」 (当掲示板,カンナ記,99年11月16日:22時00分29秒)
 
●部分改訂
クライマックス〜エンディング
 a「セッションの課題の解決などに効率よく取り組むことができる演出が期待される」
 b「セッション課題の解決などへの取り組み方に、プレイヤーらしい価値判断が了解される演出が期待される」
 c「セッションの課題の解決などへの取り組み方に、PCらしい価値判断が了解される演出が期待される」
 
 PALM-12さんの提案の内の、「意外性」に関しては、もう少し位置付けを考えてみたいと思います。
#「[キャラクターの演出]Re:セッションの展開と演出」(当掲示板,PALM-12さん記,99年11月17日:12時48分10秒)
 
 「a」の、「PCの個性化をルールで規定される役割分担の彩り程度に押さえる方針」であっても、知的な「コロンブスの卵」的な行動方針を打ち出す事は、これもTRPGプレイヤーの醍醐味のひとつと思われますし。
 うまくできれば、同卓メンバーを“魅せる”プレイと思います。この辺、「b」方針でも同じと思います。
 
 「説得力ある『意外性』が了解される演出が為されれば、より好ましい」といった感じでしょうか(考え中)。
 
 この辺は、「山場」の位置付けも含めて検討課題かなと思われます。
1999年11月17日:16時44分02秒
セッション指向のキャラクタープレイ / はしざき

はじめに

「演出指向のキャラクタープレイ」

演出指向のキャラクタープレイでは、セッション開始前にキャラクターの背景/性格/嗜好を可能な限り決定しません。別に決めても構いませんが、単に不利なだけです。一般に、その他の制約(ルール的なものとか)が許す限り、白紙の状態でキャラクタープレイを始める方が有利とされます。

演出指向のキャラクタープレイの唯一の制約は、キャラクターは一貫した言動をしているように見えないといけないということです。矛盾した言動と思われるものには、必ず合理的な説明を行わなければなりません。

セッション開始直後、プレイヤーはプレイヤー自身の意志によって、自由にキャラクターの行動を決定できます。まぁ一般的な RPG の傾向からいって、セッション開始早々に、何らかの行動決定を行わなければならなくなるでしょう。最初の根拠は、単なる気紛れ/プレイヤー的に最も有利/とりあえずマスターに媚びておく、などなんでも構いません。

二番目の行動決定では、最初の行動決定とキャラクター的に明らかに矛盾しない範囲内で行動を決定しなければなりません。最初の行動で「守銭奴」という印象を周囲に与えるような決定をしたならば、二番目の行動で「大金をみすみす逃す」というような行動は基本的にしてはいけません。もし、周囲が矛盾を感じているようであれば、プレイヤーは妥当な言い訳を演出する必要があります。でもって、この言い訳は今後の行動と矛盾してはいけません。「実は死んだばーさんの遺言で、あの会社にだけはかかわるなって言われてるんだよ」

かくして、セッションが進んでいくに従い、プレイヤーが選べる選択肢は自動的に少なくなっていきます。「実は死んだばーさんの遺言で、赤毛の女の言うことは・・・」「君のばーさんの遺言は12個もあったのかね?不自然だからその演出は却下じゃよ」「むぅ。じゃあ、あきらめて協力するよー」

演出指向のキャラクタープレイでは、キャラクターの過去はそれが演出された瞬間に捏造されます。過去があってその結果として現在があるのではなく、現在の選択の結果過去が創造されます。「君のキャラクターはなんでそんなことを知ってるんだね?」「子供の頃に、親から教えられたんだよ」「しかし、この世界でその知識を持てるのは特殊な人だけだよ」「むぅ。俺の親は特殊な人だったのだぁ」「ほほぉ(にやり)」

かくしてセッション終盤には、そのキャラクターの人格なり経歴なり嗜好なりがなんとなく明らかになっていきます。「あー、ところで君のキャラクターはこれが世界の破滅を意味し、放置してはいけないと教わっていることを思い出すよ」「なにぃ?」「まぁ君の親は、特殊な人だからしょうがないでわ」

こーんな感じで、キャラクターを演出するのではなく、演出することによってキャラクターを作っていく、という方法論が、この演出指向のキャラクタープレイなわけです。

長所:

欠点:

実践的には、ここで述べられてるように全くの白紙ではじめるのではなくって、大まかな方針だけ決めて、細部は徐々に詰めていくとか、候補をいくつか検討しておいてセッション開始後に選択していく感じで一般的に利用されていると思います。

演出指向のキャラクタープレイを、システム的にサポートしようとしてるシステムもいくつかあって、「ワープス」なんてのは典型的な例かもしれません。

さらにこの概念を推し進めていくと、「セッション指向のロールプレイ」にたどり着きます。セッション開始時に割り振り用のポイントだけ決めておいて、能力値やスキルなどをセッション中にポイント消費して決定していく。マスターが事前にパーティバランスを考えなくていいという面では楽かも。


1999年11月17日:16時23分56秒
[キャラクターの演出]Re:効率と意思決定(PCの演出指針) / PALM-12
 要するにb&cでは、リスク/リターンの価値が他者のそれと同じでは無い為、チョイスされる意思決定に差が生じるわけですね。 それに対して「効率よい」という言葉は恣意的過ぎる、と。
#で、ゲームで規定されたリスク/リターンの価値と差が出ている所が、aとの違いですね。
 
 ってわけで、少し考えてみました。
 
●案:クライマックス〜エンディング
 a「セッションの課題の解決などに効率よく取り組むことができる演出が期待される」
 b「セッション課題の解決などにプレイヤーらしく取り組む演出が期待される」
 c「セッションの課題の解決などにPCらしく取り組む演出、意外性の演出が期待される」
 
 は、如何でしょうか?
 
 それぞれ、
 aでは、効率よい選択を行う際に邪魔にならないような演出を行うことにより、セッションに彩りを添えること。#”彩り”は意外と重要です(笑)
 bでは、演出を行っていく事により、感情移入を行いやすくする事。
 cでは、セッションで積み重ねられるPCらしさを再解釈して演出を行うことにより、PCの実在感をアップさせる事。
 を主眼においていると解釈しています。
#あと、PALM的に言うとゲーム的な難易度の引き上げが目的ですね(笑)
 
 ではでは
1999年11月17日:14時04分45秒
[キャラクターの演出]効率と意思決定 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>PALM-12さんへ
 
 ナイスなポイント指摘、ありがとー☆
 
 a「セッションの課題の解決などに効率よく取り組まれる演出が期待される」
 
 ここでの、「効率」は、ゲーム的なコスト・リスク/リターンの効率をよくするとゆー意味を念頭においていました。 いわゆる、最適解志向ですね。
 
 ポイントは、「意思決定」の理解内容と思われます。
 
 信じられないことに(苦笑)、意思決定の内容を、物語生成でキャラプレのアタシよりも勘違いして主張してる人も中にはいるので、細かく説明します。
 
 意思決定ってゆーのは、本来、策定された目的に関して、リスク/リターンの比率は、合理的に予想し得る、って思想です。
 
 なんらかの理由によって、プレイヤーは、リスクが高いとゆー意味で非合理な選択肢を選択する事もあり得るわけです。
 けれど、それは、リスクを覚悟しない、またはリスクの程度やリターンの予想を勘違いして行為を選択する、非・意思決定論的な選択行為とは性質が違う。
 
 んで、「最適解を求める知的な意思決定がゲームプレイ」だって事を主張される方の前提には、シナリオには達成目的があるんだから、それに向けてゲーム的に効率よい最適解を追及するのが正統(ゲームプレイとしては正統?)って前提があると思われます。
 
 ところで、シナリオには達成目的はあるかもしれないですけど、厳密に言えば、一般論としては、プレイヤーはそれを事後的に了解することしかできまないのが常態です(セッション過程でのいわゆる謎解きの精度がいくら高くても、それは推測でしかありません)。
 
 つまり、「意思決定」の本義に忠実に考えると、プレイヤーは、セッション初期からGMから提示(暗示、または断片的な明示)されてゆく、「セッションの課題(=物語内のもんだい状況)」にPCを関与させつつ、もんだいを把握・整理し、もんだいに対処する手段を策定してゆくわけです。
 
 とゆー事は、プレイヤー観点からキャラをハンドリングする人は、プレイヤーの価値尺度と、セッション内で変動する状況から、「セッションでの目標」を把握・整理してゆく事になるわけですし。仮構のPCの人間性を構想する人は、同様に、仮構のPCの行動原理と、変動する状況の相関から、「セッションでの目標」を把握・整理してゆく事になるわけです。
 
 結果として、セッション過程を通じた種々の意思決定が連鎖した、総合的な目的達成方式の選択は、別にゲーム的に最適効率になるとは限らない(諸々の条件が整えば、最適効率である目的達成の方式が選択されることもある)、とゆーことになります。
#平たく言えば、効率悪くても、何かを犠牲にしつつ目的を達成することだってあります、ですし。
#また、キャラクター・プレイヤーであっても、たまたま「シナリオの狙い」と「仮構のPCの行動原理」のマッチングがよければ、“たまたま”、ゲーム的な最適解の選択に至る事もあります。
 
 アタシとしては、今のところ、うえの様な意図を持って、「セッションのスタンダードな展開モデルに応じた、PC演出の指針〔Vr.1.0.0.」〕」では、「クライマックス〜エンディング 」での「b」、「c」からは、「効率よく」の語をはぶいています。
 これは「b」、や「C」の方針では「効率」が考えられない、とゆー意味を意図しての事ではありませんでした。
 
 ただ単に、意思決定的にリスク/リターンの比率をそれぞれのプレイヤーが考慮したうえで、なおかつ、リスクの高い選択をPCにさせる事もある(「a」では考えられない)、という含みです。
 
 この辺、筆者の本意に沿った、何かよい表現上の改訂案があったら、ご提案お願いします。
 アタシも考えてみます。
1999年11月17日:12時48分10秒
[キャラクターの演出]Re:セッションの展開と演出 / PALM-12
#どーも、はしざきさん返答ありがとうございました。
#違うタイトルですけど、その為だけに書き込むのも何なんで、ここでお礼させてもらいます。
#で、本題です。
 
●[キャラクターの演出]セッションの展開と演出 / 鍼原神無さん
>クライマックス〜エンディング
> a「セッションの課題の解決などに効率よく取り組まれる演出が期待される」
> b「セッション課題のの解決などにプレイヤーらしい演出で取り組まれる事が期待される」
> c「セッションの課題の解決などにPCらしい演出で取り組まれる事が期待される」
 
 bとcに”効率よく”が抜けているのがとても気になります。
 少なくともプレイヤーやPCにとって、”効率よく”は基本だと思うんですが、これは、、
 
 本指針はPCの演出指針を目的とするので、現時点で実戦的な効率を考えを含む事で指針自身を難解な意味不明のアレ(笑)にしてしまう事を避けた。 aの”効率よく取り組まれる演出”はPLの努力とプレイスタイルを周りに理解してもらう為に必要な演出である。
 
 というような事を意図されてのものと考えてよいでしょうか?
 
#いや、この辺を考えてないと、意思決定派の人たちとの不毛な論争が始まる気がしてしまって、、
1999年11月17日:12時11分48秒
RE:演繹可能なキャラクター描写 / はしざき
99年11月17日:10時04分26秒
RE:RE:演繹可能なキャラクター描写 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 PCにルールから規定される及び期待される、役割分担以上の個性化は不要とのポリシーを守ってプレイされて る方も、「立派なキャラクタープレイ」をしている事になって「しまいますよね」(論理的帰結として、そーなってしまう と思うンですが)。

はい。その帰結を受け入れるというのは、私が将来コンセンサスを得られればと思っている内容に大きく反しません。

また、これが一部の方に「気に喰わん」結論であることは理解しています。ゆえに奥床しくも努力目標なんて言い方をしているわけです :-)

ただ、このコンセンサスを得るということに関しては少し期間を置いてから述べます。今は議論上のスタンスを表明したとだけ捉えてください。

#五月雨式発言になってきてるしね<俺


1999年11月17日:10時04分26秒
RE:RE:演繹可能なキャラクター描写 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>はしざきさんへ
 矢継ぎ早にすみません。手短に済ませます。
 こっちの投稿では、アタシの個人的な意見とゆうよりは、はしざきさんの戦略のもんだい点(とアタシには思えるンですけど)の指摘なのですが。
 
@はしざきさんWrote (「RE: 演繹可能なキャラクター描写」,プレイング研究室,99年11月17日:07時56分53秒)
>「人格を創造したり」「演技をしたり」しなくても良い(しても良い)し、「プレイヤーの意志/判断をキャラクターに反映させたり」しても良い(しなくても良い)が、「予測/推測可能性のない行動はするな!」。それさえ守れてれば立派なキャラクタープレイだ、と。
 
 この点は、どーでしょーか(?)。
 PCにルールから規定される及び期待される、役割分担以上の個性化は不要とのポリシーを守ってプレイされてる方も、「立派なキャラクタープレイ」をしている事になって「しまいますよね」(論理的帰結として、そーなってしまうと思うンですが)。
 
 「しまいますよね」 って言うくらいですので、アタシはそれ、マズイよーな気がします。
 
 はしざきさんは、よく「RPGについてなにかを語るときには、暗黙の了解としてなぜそれがRPGでなければならないのかということを常に意識して話を進めるべき」と言ってられます。
 
 これはもっともなご指摘なんですけど。
 
 実際問題、「PCのルールから規定及び期待される、役割分担以上の個性化は不要との」思想をお持ちの方々の中には、単に一プレイヤーとしてのポリシーではなく、それ以外のポリシーをTRPGとしては否認しようとゆー主張の方も見受けられます。
 
 アタシが思うに、これは「TRPGに何を求めるか」のバリエーションが違うのだと思います。

 一方、セッションメンバーがそれぞれに暗黙に抱いてる「RPGに何を求めるか」のバリエーションが多少ズレてるくらいでしたら、セッション過程を通じての相互了解コミュニケーションで同卓での共存も可能、とゆーのが、ゲームの内ではTRPGに珍しい特徴だと思います。
 
 そして、実際そーゆーセッションも面白い(アタシはコンベンション中心のプレイヤーですのでそーゆーセッションやる機会が多いんです)。
 
#TRPGに全然異なるものが求められているの場合でしたら、これは共存や同卓の可能性はないはずだと思われます。

#ここでは、極・マジメな類比として言うのですが、ポリシーの違うプロレス団体の間でも交流試合が成り立ったりする事と似ていると思います。
#プロレスの試合の場合、特に交流試合の場合、試合ごとに、ルールの細かい点でのレギュレーションを調整したりといった例も珍しくないので、そーゆー点が似ていると思うんです。
 
 で、もし、「PCにルールから規定される及び期待される、役割分担以上の個性化は不要とのポリシーを守ってプレイされてる方も、『立派なキャラクタープレイ』をしている」事になってしまうと、「キャラクタープレイ志向者がTRPGに期待しているもの」とその実現・達成のために必要な独自の技術の必要性が、曖昧化して見失われかねないのではないかなーと思います。
 
 わかり易く言うとですね、一部の人からでも、「なーんだ、やっぱり、キャラプレなんて、知的なロールプレの一面に過ぎない彩りなんじゃん、けっきょく、マジメに知的なゲームをやってればよいんだよね・ウン」とかなんとかしたり顔で言われる事になっちゃうよーだと、アタシは気に喰わん(笑)のです。
#別に知的なロールプレイをしたい人はすればよいし、TRPGのそれ以外の面に重点を置きたい人は置けばよいンだと思います。
#もちろん、プレイヤーが自分で選択したプレイスタイルには、いろいろな責任が付帯すると思います。
#例えば、はしざきさんが、提唱・検討されているような「同卓メンバーの推測/予測可能性を保証する」プレイとかは、キャラプレを選択するものの自己責任だと思います。
1999年11月17日:09時11分32秒
キャラクターへの予想と期待 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>はしざきさんへ
 あぁ、なるほど。
 
 はしざきさんが、「コンセンサスが得られないとしても『演出』という手法を考察することには、十分なメリットがあるとも考えています」と言ってられている(アタシも賛成です)ので。早目に申告しておこうと思うのですが。
 
 アタシの個人的意見としては、「予測/推測可能性のない行動はするな!」とゆー、ご意見には全面的にはは賛同し難いです(部分的にはうなずけるンですけど)。
 
 とゆーのは、アタシがキャラプレで理想として目指すものが「(同卓メンバーの)予想は裏切るが期待は上回る」だったりするからです。
 
 これは、例えば、そのキャラらしー、しかも、少なくとも同卓メンバーの内では、そのキャラクター(あるいはプレイヤーであるアタシ)でなければ、思いつかないよーなアプローチで、セッション内の状況を改善する、とかそーゆー事を含みます。
 
 ですので、例えば、そーゆー事が可能な場合は「予想を裏切る言動をPCがとっても構わない」とアタシは思っています。ってゆーか、そーゆー言動がアタシの狙いどーり、同卓メンバーにウケたときが、アタシが自分で「キャラプレうまく行った」と思うときだったりします。
 
 アタシも演出手法の整理は有意義だと思います。
 ですので、できるだけご協力させていただきたいと思っています。
 
 だからこそ、あえて、はしざきさんのご意見とアタシの考えが違う点を申告しておく事にしました。
1999年11月17日:07時56分53秒
RE: 演繹可能なキャラクター描写 / はしざき
99年11月16日:16時32分27秒
演繹可能なキャラクター描写 / 寺田大典
 ただ、前述の事を踏まえても「予測・推測可能性の無い行動」が発生する事はあると思います。それは、セッションの内容で「キャラクターの設定を飛び越える状況が発生した時」ですね。この場合、キャラクターの設 定を飛び越えるというのは大食い戦士ボブの場合、大食いと関わらない状況が出た場合を指します。

はい。そーゆー展開はままあるし、そーゆー時にどうするのか考えるのが私にとってのRPGの大きな楽しみのひとつでもあります。

ところで、暗黙の了解として「ごく普通のキャラクターが、ごく普通にとりうる行動」は「予測/推測可能性のない行動」に含める必要なないでしょう。そーでないと、さすがにつらい。

で、先のボブの例だと、「腹減った」っていうキーワードでなんとなく個性があるようにみせかけているけど、それ以外の点で何か特徴があるわけではなく、ごく普通のキャラクターがごく普通にとりうるどんな行動をとっても不思議ではありません。 そうだなぁ、多少突飛な行動でも「なんだ。食えないのか」とかなんとか印象的なセリフをはさんでやれば、ごまかせるかもしれない。

問題はそれよりもっとエキセントリックな行動が必要になった場合ですが、そうゆう行動を考える時に、キャラクタープレイ上唯一絶対の制約として「予測/推測可能性のない行動をしてはならない」としたいんです。 逆に、このお約束さえ守れば(非キャラクタープレイ上の他の制約の範囲で)どんな行動をとってもキャラクタープレイ的には許される、と。

言葉をかえると、「人格を創造したり」「演技をしたり」しなくても良い(しても良い)し、「プレイヤーの意志/判断をキャラクターに反映させたり」しても良い(しなくても良い)が、「予測/推測可能性のない行動はするな!」。それさえ守れてれば立派なキャラクタープレイだ、と。

このコンセンサスを得ることが、私にとっての最終的な努力目標です。

一方、このコンセンサスが得られないとしても「演出」という手法を考察することには、十分なメリットがあるとも考えています。


1999年11月17日:07時49分02秒
[キャラクターの演出]セッション展開のモデルについて / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
@紙魚砂さんWrote (「[キャラクターの演出]−外枠−」,当掲示板,99年11月17日:02時40分02秒)
 
>あと、演出の「セッション展開との相関」については鍼原さんがこれから細かくやられるようなので、割愛させていただきます。
 
 あー、いぁ(笑)。やンないわけじゃ・ないけどぉ〜。
 
 まず、「セッションのスタンダードな展開モデル」のもんだい点、ジャンジャン・突っ込んでくれますか?
 
 バージョン・アップします。
 
 ンで、それを元に、みんなで、「セッション展開との相関」はみんなでアレコレ細かいトコ、チェックしてくほーがいーと思います。
 
 もし、「今のモデルでも別に悪くないジャン」って方がいましたら、あのモデルを踏まえて、「導入部では。こんな演出が良い演出」、「序盤でのあんな演出は悪い演出」とか、そーゆーお話をしていっていただけると、アタシとしては嬉しーです☆
 
 あー、そーだ、その間[キャラプレの演出]の検討待っててくださいトカゆーわけにもいかないし。
  
 「[キャラクターの演出]セッションの展開と演出」 (当掲示板,カンナ記,99年11月16日:21時49分11秒)で提出した、「セッションのスタンダードな展開モデルに応じた、PC演出の指針」を「Vr.1.0.0.」とします。
 
#整数の位は、また別の構成モデルをなんらかの理由で考案するときに増やしてゆきます。
#必要に応じて構成自体に大きな改訂が為されたとき、少数第一位の数字を増やしてゆきます。
#少数第二位の数字は、構成自体に改訂はなく、各構成パートの記述に改変があった場合に数字を増やしてゆきます。
1999年11月17日:06時07分17秒
[キャラクターの演出]「良い/悪い」と「好き/きらい」を分離する / はしざき

ある方法論に対し「良い/悪い」と評価することは、場合によってはいろいろと反感かっちゃったりするかもしれませんが、それでもやっぱり必要なことだと考えます。

この考え方の基本の基本としては、「充分に客観的かつ妥当な評価軸」に立った上である方法論を評価するならば、その評価軸から導き出される「ある程度明確な理由」により、「良い/悪い」は自然に導き出されるはずだろう、という仮定があります。

まぁ、「充分に客観的かつ妥当な評価軸」ってのはそもそも確立し難いし、確立しても理解してもらえなかったりするし、理解してもらえたとしても簡単に見失っちゃったりするし、それゆえに結論が食い違うってことはままあるんですが、そーゆー場合でも互いの評価軸をすりあわすことができれば、まぁだいたい似たような結論に到達できるはず。

一方で、「主観的な評価軸」ってのも間違いなく存在していて、なんらかの方法論に対して大抵の場合は「好き/きらい」という感情が発生します。 それはそれで重要な要素ではあるんですが、主観的な評価軸はすりあわせが困難だから、同じ結論に到達しようとするのは難しい。

で、ですね、「客観的な評価軸」(良い/悪い)と「主観的な評価軸」(好き/きらい)を表現の上からでも積極的に分離して、並列(not 同列)に論じていきましょう。

「好きなもんが好き」とか「きらいなもんがきらい」ってのはやっぱりあるし、それは千差万別個性万歳ってことで無視するわけにもいかない。

それでもなお、「良い/悪い」ってのは存在する(べき/はず/だろー/だといいなぁ、と思う)ので、これはもう意識的に両者をわけて、必要なら「確かに良い方法かもしれんが、俺は大嫌い」「欠点もあるとは思うんだけど、私は好き」とか、そーゆー風に意見を述べていければより建設的かな、と考えています。

てな、わけで、

99年11月16日:16時22分19秒
[キャラクターの演出]の例に関して / 寺田大典
 キャラクターの演出の例という事で「良くない例」としちゃうとそういう演出をしている人(演出にそんなに重きを置かないでセッションしている場合)が辛いので、これは「セッション内でのキャラクターによる物語の幅(演出の幅と言ってもいいですけど)を広げる場合、【どういう演出がより高度か】」という視点と言うか前提の場合ですよね?

はい。そのとおりです。

補足しておくと、「良くない」という言葉を「演出上メリットがない」という意味で使っています。やってもやらなくても同じ。 これが「悪い」という言葉になると「演出上デメリットがある」、やるべきではない、の意味になります。

#まぁ「客観的」「主観的」って言葉そのものが主観的なベクトルにすぎないって問題はとりあえず無視 :-)


1999年11月17日:02時40分02秒
[キャラクターの演出]−外枠− / 紙魚砂

 みなさん、かなり具体的な話に入ってきているようですが、私はちょっと外枠を固めておきたいと思います。
 大まかに以下のような「演出」があると思います。

「(ただ単純に)面白い演出」
 まあこれは話にも上がってませんが、「悪く」はない。「良く」もない。「ちょっと良い」くらいの感じがします。(おまけのような感じ)つい調子に乗ってやりすぎてしまうことがあります。(ほどほどに)

「リアクションが取りやすい演出」
 は、基本的に「良い」と思います。これには2種類あって、

1)「知っているから…」
 というもの。これは知ってさえいればあまり考える必要もなくリアクションできますが、「知らないとだめ」という(かなり致命的な)問題を抱えています。

2)「(頭で考えて)推測しやすいから…」
 これはちょっと考えてからリアクションする必要がありますが、前提となる知識があまりなくてもいい。ちなみに「行動原理が明確である」は、ここに分類されると思います。

「世界観に合致している」
 ごく当たり前の演出ですが、とりあえず「はみ出しすぎないよう気を配る」必要はあると思います。(必要条件)

 あと、演出の「セッション展開との相関」については鍼原さんがこれから細かくやられるようなので、割愛させていただきます。

#>鍼原さん
#>ある程度は演繹での予想もできるでしょう。でも、その予想は常に裏切られると思いますケド。
#…そうやって、微妙に予想とずれていって(そう来たかーとか思いつつ)どこかおさまるところに収まるまでの過程が面白かったりしますね(笑)。
1999年11月16日:22時00分29秒
[キャラクターの演出]補足:セッションの展開と演出 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 「PCのキャラクターハンドリングの方針の三類型」 の「a」ですけど、コレは、、、
 
a「PCの個性化をルールで規定される役割分担の彩り程度に押さえる方針」
 
 、、、とした方が、他の方針との比較で分かり易いようです(下線付け部が追加個所です)。
1999年11月16日:21時49分11秒
[キャラクターの演出]セッションの展開と演出 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 はしざきさんの「[キャラクターの演出]例: 大食い戦士ボブ」 (プレイング研究室 LOG 031,99年11月16日:05時57分31秒)、を読んで、「セッションのスタンダードな展開の構成、そのモデル」って観点を導入したらもっとわかり易くなるかもしれない、とか考えてみました。
 
 TRPGの場合、「セッションのスタンダードな展開」って言っても、バリエーションが多いので難しいかもしれません。
 かと言って、あまり抽象度を高くしても、意味不明になってはアレですし。
 どの辺でモデルを構築するか、が考えどころろかと思われます。
 とりあえず、たたき台を考えてみました。
 
■「セッションのスタンダードな展開モデルに応じた、PC演出の指針」(たたき台)
 
●このたたき台は、プレイヤーのプレイングとその演出を中心にプレイヤー中心観点で整理してみました(セッションの課題への関与過程に着いては、PC演出との絡みを含めて検討課題とし、現段階では一貫してた整理していません)。
●a〜Cは、アタシが、「[PCの目的]いろいろな構想メモについて」 (プレイング研究室 LOG 031,カンナ記,99年11月15日:14時25分51秒) 、で提示した、「PCのキャラクターハンドリングの方針の三類型」を前提にしています。以下に便宜の為に再掲します。
 a「ルールで規定される役割分担の彩り程度に押さえる方針」
 b「プレイヤー本人がPCの立場だったらどう考え、どう行動するかでPCの言動に一貫性と多面性を保証する方針」
 c「PCの仮構の人間性を構想して、それを、PCの言動に反映してゆく方針」
●「導入部/中盤/山場/クライマックス〜エンディング/エピローグ」のモデル構成はなお恣意的なものかもしれません、必要に応じて再検討を加えたいと思います。
●各項目での「役割分担」は、必ずしも「パーティーの役割分担」だけを意味していません。「シナリオの狙い」に応じて、「PC同士が殺しあい、いかに生き延びようとするか」が役割であるようなケースも含めて考えたいと思います。
●各構成単位「導入部」とか、「中盤」とかで、a〜cに期待される演出を列挙したのは、これは別に同一セッションでの併存を意識しての事ではありません。単に比較検討の便宜の為です。同一セッションでの併存のモデルは、検討の為に満足なスタンダード・モデルが構築されてから後の検討課題かと思われます。
 
導入部
 a「PCの立場の確認ができる演出が期待される」
 b「PCの立場確認とプレイヤーの人間性の印象づける演出が期待される」
 c「PCの立場確認と行動原理を印象づける演出が期待される」

序盤:「導入部」に続き、PCの一貫性が印象づけられる事が好ましい.他のキャラ(PC・NPC)との関わりあいでの演出も重要.
 a「PCの役割分担が円滑に機能する演出が期待される」
 b「PCの役割分担がプレイヤーの人間性と関わりながら構築されてゆく演出が期待される」
 c「PCの役割分担が仮構の人間性と関わりながら構築されてゆく演出が期待される」
 
中盤:続く「山場で」葛藤の演出がわかり易くされるためには、「中盤」で多面性が演出される事が好ましい.
 a「PCの役割分担が円滑に遂行されるる演出が期待される」
 b「PCの役割分担がプレイヤーの人間性の多面性と関わりながら遂行されてゆく演出が期待される」
 c「PCの役割分担が仮構の人間性の多面性と関わりながら遂行されてゆく演出が期待される」
 
山場
 a「プレイヤーの意思決定の葛藤が演出されてももよい」
 b「PCの役割分担の遂行とプレイヤーの人間性の葛藤が演出されてもよい」
 c「PCの役割分担と仮構の人間性の葛藤が演出されてもよい」
 
クライマックス〜エンディング
 a「セッションの課題の解決などに効率よく取り組まれる演出が期待される」
 b「セッション課題のの解決などにプレイヤーらしい演出で取り組まれる事が期待される」
 c「セッションの課題の解決などにPCらしい演出で取り組まれる事が期待される」
 
エピローグ
 a「セッションの成果について、PCの行為責任に関する役割分担からの自己評価が演出される事が期待される」
 b「セッションの成果について、PCの行為責任に関してプレイヤー観点からの自己評価が演出される事が期待される」
 c「セッションの成果について、PCの行為責任に関して仮構のPC観点からの自己評価が演出される事が期待される」
 
 以 上
1999年11月16日:19時59分29秒
プレイング研究室 LOG 031 / sf
 プレイング研究室 LOG 031として1999年11月14日から1999年11月16日までのログを切り出しました。
1999年11月16日:19時55分30秒
一番乗り / kazu
何もなくてびっくり
実は初体験

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