プレイング研究室 LOG 016

プレイング研究室の1998年07月06日から1998年07月18日までのログです。


98年07月18日:01時44分20秒
「RE:『役作り』関係発言の補完 」の補完 / T・K代表
 「プレイング研究室LOG 015」 に於ける、「続々“鏡氏、そして皆様方へ”、『複数のスタイル』、『演技』」 (98年07月02日:21時19分58秒) 中、私は、
 
>演劇に於いては、「完全にキャラクターに成りきってしまう役者は大根」 と考えるそうです。映画やドラマはいざ知らず、少なくとも演劇に於いてはそうらしいのです。
 何故なら、周囲が 「世界=セット」 を表現し、かつやり直しが利く映画やドラマと異なり、演劇はあくまで剥き出しの舞台です。スポットライト、スモーク、音響などは、全て役者と連動した 「連続するコンビネーション」 として段取りが決められています。
 役者が 「あくまでこれは演劇である」 という意識を忘れ、キャラクターに完全に没入して勝手に動いてしまうと、まさしく 「話にならない」 訳です。
 つまり、「同時にプレイヤーの心理が存在しなくてはならない」 のと同じく、「同時に役者の心理が存在しなくてはならない」、従って、それが果たせない役者は 「大根」 と言われるという事です。

 
 と述べております。
 一方、直下の書き込みでは、
 
>全てがアドリブの即興劇なら当然の事、台本がある普通の演劇にしても微妙な変化 (台詞のミスやそれに対するフォロー、突発的なアドリブなど) が起こり得る為、役者の中に 「劇中に周りを見ていて演出家的なコントロールができる人間」 がいないと肝心の本番の破綻が起き易い……そうされながらも、そういった能力は、役者としての本質的な意味での評価とは関係ないので、それを以って上手いとは言われないのだそうです (少なくともHが所属する劇団と、それが交流を持つ他の劇団では)。
 あくまで役者としての上手さは、ただひたすらに 「表現力」 (と言うより、結果としての 「観客に対する伝達力」 でしょうか?) だそうで。

 
 と述べております。
 解釈次第では全く相反する意味の発言になるので、注釈を入れる事にします。
 
 これは、前者があくまで 「前提的な部分」 であり、後者が 「発展的な部分」 である事に注意して戴きたく存じます。
 立ち位置やタイミングなどの把握は必要最低限であり、後者はそれらを逸脱したアドリブ的演出の事であります。
 実際、後者にしても、「『劇中に周りを見ていて演出家的なコントロールができるか否か』 といった能力は、役者としての本質的な意味での評価とは関係ないので、それを以って上手いとは言われないのだそうです」 と述べております通り、「なければ演劇家として下手と言われ得るが、あっても役者として上手いとは言われない」 というニュアンスを含んでおります。
 説明しているレベルが互いに異なるので、非常に混乱を招き易い文章でありました。お詫び致します。
98年07月17日:22時07分04秒
RE:「役作り」関係発言の補完 (>鍼原様へ) / T・K代表
 考えてみれば当たり前の事ですが、強調体などを使った方がより読み易いと、事もあろうに妹に教えられました (笑)。
 これ以後、積極的に使っていきます。またも考えが浅く、申し訳ありません。
 引用文を斜体にしておりますが、読みにくい場合、フォントサイズを大きくして戴ければ幸いであります。
 
 さて、本題ですが。
 申し訳ないのですが、例の談義を絡めての総括的な文章は未だ完成しておりません。もはや過度な長文であるのは避けたいが為、如何に要約するか、延いては何が重要なのかを見極めるのに手間取っております。
 しかし、鍼原様が書き込まれた以上、それに対しては対応をするべきであろうと考え、取り急ぎ書き込んでおります。
 
>まず、Hさんのご意見はアタシにとってありがたいものでした。ご意見を踏まえましたうえで、やはり、「役作りのメカニズムを図式的に捉えれば『演技プラン』×『役者(PL)間のインタラクション』」とゆぅことかと思いました。
 
>ちょっとずるいかもしれませんけれど、「総体の内で我を通そうとする人、自体インタラクションを避けられない」とも言えるわけでして。屁理屈っぽくなっちゃいますけれど(苦笑)、図式的には、ってことです。

 
 だとは思います。それが意識化されているか無意識で行われているかは、(少なくともH達にとって) 大きな問題ではなく、事実として、あるいは結果として鍼原様が仰る形になっているのでしょう。何せ、演出家の口出しがなくとも役者間で成立するケースがあるようですから。
 Hを初め、他の人間も、その点に関して特に鍼原様のご意見に対して否定的ではありません。むしろ総合的に鍼原様のご意見を非常に興味深く、積極的に肯定している事は改めて伝えておきます。
 実際、門外漢の私から見ても鍼原様のご意見は、役作りに限らず様々な点に於いて唸らされ、勉強になる事ばかりなのですから。
 私を含めた我々の意見が単なるお目汚しになっているのでは、と内心ではびくびくしております。
 
>アタシのほぉの落ち度かと思います。
>T・K代表さんのサークルと違いまして、アタシの話は、特にお断りしない場合、「コンベンションなどで、初対面のにんげんがセッションを組むケース」って状況を想定していることがほとんどなのです。キャンペーンですらないケースでの、キャラクタープレイの実現方法、を考えたい。体系的でなくてもよいから、効果的なキャラクタープレイの再現性を高めるノウハウを整理したい。

 
 成程。……いや、それこそこちらの落ち度でしょう。
 鍼原様がコンベンションでのコミュニケーションを重視しておられる事は、私自身、確かに読んだ記憶があります。何せ、こちらが新規で口を出しているのですから。その点を明確に意識した上での発言ができなかった時点で、間違いなくこちらの落ち度です。申し訳ございません。
 
>Hさんが「それ〔セッションへの役作りの導入;?,カンナ補記〕は演劇が 『全くの第三者である客』 を想定して、かつ 『事前に何度も稽古・練習する』 から成り立つんであって、RPGにそのまま持ち込むのは非常に危険な考え方。ゲームにならんわ。少なくとも、分かり合ってる仲でしかやったらあかん」っておっしゃるのは、わかるのですけれど。
 
 上の引用文中、強調体になっている部分ですが、これまた私の文章が的確ではなかったようです。申し訳ございません。(何やら謝ってばかりですが (苦笑))
 H曰くの 「それ」 とは、「役者が 『自らの個人表現』 に重点を置いて演劇に参加する」 事を指しております。本番事前の稽古・練習中の (鍼原様曰くの総合的な意味での) 「役作り」、あるいは本番、いずれにも限定せず。
 
 RPGでは 「周りが見えていて他人との折り合いを付ける人間、拙いプレイヤーをフォローする人間、場の空気やテンションを意図的にコントロールできる人間、プレイヤーでありながら極めてマスタリングに近い (しかしながら伏流的な) 事ができる人間」 というのは、まず間違いなく上手いプレイヤーであると思われます。
 しかし、(多分に極端な話なのでしょうが) 演劇では、「それが如何なる方法論、積み重ねを以って作り上げられようが関係なく、観客が感じ取った“モノ”が全て」 なのだそうです。
 全てがアドリブの即興劇なら当然の事、台本がある普通の演劇にしても微妙な変化 (台詞のミスやそれに対するフォロー、突発的なアドリブなど) が起こり得る為、役者の中に 「劇中に周りを見ていて演出家的なコントロールができる人間」 がいないと肝心の本番の破綻が起き易い……そうされながらも、そういった能力は役者としての、本質的な意味での評価とは関係ないので、それを以って上手いとは言われないのだそうです (少なくともHが所属する劇団と、それが交流を持つ他の劇団では)。
 あくまで役者としての上手さは、ただひたすらに 「表現力」 (と言うより、結果としての 「観客に対する伝達力」 でしょうか?) だそうで。(こう書くと、「意志決定が卓越したプレイヤーが上手いプレイヤーだ。周りを見れるかどうかは関係ない」 などと指摘されかねない下手な文章ですが……)
 
 しかし、この 「周りを見る能力」 が上手いと評価されるべき点であり、かつ参加者全員が意識すべき事なら?
 この前提があり、付け加えるならばその為の方法論があれば、鍼原様のお考えは、
 
>とは言え、鍼原氏が言ってる 『RPGでの役作りを “設定の多義的解釈と、PC/PL間のインタラクション” として捉えることはできないか? その観点から、キャラクタープレイ的PCハンドリングのノウハウをなにがしか導きだし整理することはできないだろうか?』 ってのは、全くの正論的な考え方だと思う。本来、考えるべきだし、やるべきだろう。ただ、それが今まではブラインドだっただけで。
 
 と、Hにとって肯定できるものになるのではないでしょうか。
 しかし、そこから (心理、言動、いわゆる声真似などを全て含めた総括的な意味での) キャラクター表現を具体化する為にはあまりに難しい問題があると考えます。多くの場合、RPGにとってはそれは付加価値であり、プレイヤーの経験則に依存しているのが現状でしょう。
 例えば天羅のように 「キャラクター表現を強制するメカニズム」 は多々あっても、「キャラクター表現を成功させ易くするメカニズム」 は、Sが言うには 〈レレレ〉 辺りにしか見受けられないそうです。
 こうしたメカニズム論なら、あくまでゲームデザインの問題であり、いつかは解決できる問題でしょう。我田引水のようで何ですが、例えばSは、これを含めた総括的な問題を解決するシステムを既に作っております。
 
 ですが、鍼原様のお考えであります、「そんなメカニズムなど関係なく、例えばD&Dを使って見ず知らずの人間相手のコンベンションでも適用可能な、プレイヤー自身のノウハウを確立する」 となりますと……これは大いに悩むところです。
 私も、あとしばらく考えてみます。私などの意見がお役に立つかどうかは分かりませんが、少なくとも鍼原様のお考えは、RPGの在り方について非常に重要だと思っておりますので……できる限りの事は。
 更に、利己的な考えで申し訳ないのですが、我々にとってもまた大きなプラスになると確信していますので。
98年07月17日:18時05分38秒
「役作り」関係発言の補完 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>T・K代表様へ
 ここ数日、「プレイング研究室」での、T・K代表さんの書込みや、関連した書込みを読ませていただいてました。
 まずは、先日お手を煩わせました「役作り」関係のお礼とお返事を。
 あらためて、T・K代表さんと、お仲間のみなさんにお礼を言わせてください。
 
 まず、Hさんのご意見はアタシにとってありがたいものでした。
#ご意見を踏まえましたうえで、やはり、「役作りのメカニズムを図式的に捉えれば『演技プラン』×『役者(PL)間のインタラクション』」とゆぅことかと思いました。
 
>コンセンサスに関しても多分に本人の性格次第だから、
>周りの事を見てない人、見ているから折り合いを付けようとする人、
>見ていてなおかつ我を通そうとする人、十人十色。
 とのお話は、なる・ほど、と思います。ちょっとずるいかもしれませんけれど、「総体の内で我を通そうとする人、自体インタラクションを避けられない」とも言えるわけでして。屁理屈っぽくなっちゃいますけれど(苦笑)、図式的には、ってことです。
 
 アタシがなぜに今、「役作り」にこだわってるかと言いますと、、、これはSさんからのお問いあわせへの応答にも関わるのですけれど、、、。うまくお話できるかしら。

>何か、こっちに 『抜け』 があるような気がする。前提となる論文とか、掲示板上の論議とか、あるんと違う?
 
 の件なんですけど。アタシのほぉの落ち度かと思います。
 今、申しあげられますのは限られた範囲なのですけれど。T・K代表さんのサークルと違いまして、アタシの話は、特にお断りしない場合、「コンベンションなどで、初対面のにんげんがセッションを組むケース」って状況を想定していることがほとんどなのです。キャンペーンですらないケースでの、キャラクタープレイの実現方法、を考えたい。体系的でなくてもよいから、効果的なキャラクタープレイの再現性を高めるノウハウを整理したい。
 
 Hさんが「それ〔セッションへの役作りの導入;?,カンナ補記〕は演劇が 『全くの第三者である客』 を想定して、かつ 『事前に何度も稽古・練習する』 から成り立つんであって、RPGにそのまま持ち込むのは非常に危険な考え方。ゲームにならんわ。少なくとも、分かり合ってる仲でしかやったらあかん」っておっしゃるのは、わかるのですけれど。
 アタシ個人に関しましては、冗談半分で、キャラクタープレイの達成率、「打率三割」(笑)って言ってます。←マイPCの見せ場で、キャラの深層まで含めて、同卓メンバーの心に残る“演技”(お仲間がやられるよぉな、声色とかそぉした「演技」ではありません、できませんもの)をプレゼンテーションする、ことがコンベンションで、なんとか、「打率3割」、それも公称(苦笑)の再現率ってことです。実際は、ゲームシステムとGMさんのタイプとに大きく依存します。だから、TRPG一般に対して「3割」などではないです。←そぉ言ってしまったら、誇大広告以外の何者でもない(笑)です。
 
 sさんを悩ませてしまった「うーむ、『ああ、みんなそうなんだ』 ってこの前、安心したばかりなのに (笑)」ってのは、いま申しあげたよぉな、前提、−−環境の違いから出た、アタシの発言の揺らぎが原因だと思います。
 ですから、あまり深い意味はないと思われます。
 
 ほんとは、この書込みで、もぉ少し突っ込んだお話をしたいと試みはしたのですけれど。ちょっと、うまくまとめられませんでした。
 さしあたり、T・K代表さん、Hさん、Sさんに向け、アタシの発言を補完させていただく意味で、このあたりでいったん区切りたいと思います。
98年07月13日:15時08分31秒
re:演劇に於ける役作りについて(お礼です) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>T・K代表様へ
 充実した内容の書込み、「演劇に於ける役作りについて」ありがとぉございました。アタシのほぉから、いろいろ不備だった部分を補足的に説明させていただいたほぉが良さそぉですけれど。
 T・K代表さんのお立場から、総括的なお話も頂戴できるよぉですので、アタシのほぉもしばし、考えを整理させていただいちゃおうと思います。
 取り急ぎお礼申しあげます、ありがとぉございました。お仲間のみなさまにも、よろしくお伝え下さいませ(礼)。
98年07月13日:13時35分46秒
演劇に於ける役作りについて(>鍼原様へ) / T・K代表
 先日、約束させて戴いた事……つまり、演劇に於ける役作りについての文章です。幸いな事に、劇団関係者がフルで4人集まれました。
 あくまで私に理解できた範囲での話になりますが、会話を録音したテープを参考にしながらこの文章を書いておりますので、情報はさして歪んでない筈です。その点は保証します。
 勿論、分かりにくい表現、前後関係が不明である為に判断し難い部分などございましたら、ご指摘下さい。改めて訂正します。
 
● 鍼原様曰く
>通常の舞台演劇の場合は、脚本テクストの解釈(多義的な解釈の併存)と役者間のインタラクションが相互に影響しあって「役作り」が深まっていくと思われます。
 
>で、アタシが考えるに、舞台演劇での「役作り」が、「『脚本テクストの(多義的)解釈』と『役者間のインタラクション』」で進むとしたら、TRPGでの「役作り」を「『世界設定の(多義的)解釈』と『PC/PL間のインタラクション』」として捉えることはできないか? →その観点から、キャラクタープレイ的PCハンドリングのノウハウをなにがしか導きだし整理することはできないだろうか?
 
 まず、前半部分についてですが、「一般的には、鍼原さんの言ってる通り」 だそうです。ですが、劇団それぞれに形があり、さながらRPGに於いて、サークルそれぞれにプレイスタイルの違いがあるのと同じ状況にあるようです。
 例えば、「勿論、台本に対する解釈は個々で違うから、役者単位で煮詰めていく一方、全体での調整は必須になる。でも、稽古・練習一回ごとに相互に話し合って調整をしていく劇団もあれば、全くしない劇団もあるし。調整してお粗末な劇団もあれば、調整なしで成り立ってる天才肌な劇団もあるし」 という一言が印象的でした。
 極端な話、劇団に所属している人間関係によって、このやり方が変化する事もあるようです。RPGと違ってより芸術的なものですから、エゴとエゴがぶつかり易いとか。
 
 従って、「漠然とした一般論」 か、「極めて個人的なテクニックに特化された方法論」、この2つが並立している……というのが、話を聞いた上で私が思った感想です。
 ただし、H曰くの 「世界的レベルは言うまでもなく、日本的レベルでの大御所」、 これらに於いてどのように体系化されているかは全く見当付かないし、テキストの類いから全てを読み取る事は不可能なのだそうです。メソッド (注:教育的根本) すら同じような状況だそうで。
 
● Hが私に対して曰く
 「鍼原神無氏の言う、相互のインタラクション、場のコンセンサスを取る……という意味での 『役作り』 ってのは、芝居、演劇に於いては演出家の役目であって、演出家にとってやりたい方向性や、シナリオの解釈によって左右され、あるいは調整するもの。
 ほら、本来的に役者ってのは自分の個性活かしてなんぼだから、個人個人としてはひたすら自分の内面を見つめていく訳。シナリオの中に散らばっている 『役』 の要素……つまり、手がかりを読み取って抽出して一人の人格を作り上げ、それに自分が 『成りきる』。芝居、演劇に於いては、それが 『役作り』 って言われるのが普通だと思うよ。
 
 だけど、役者にも色々いて、理論立てて考える人もいれば、感性だけでやってる人もいる、全くの別人に変われる人もいれば、自分の素のままで演じる人もいる。
 また、コンセンサスに関しても多分に本人の性格次第だから、周りの事を見てない人、見ているから折り合いを付けようとする人、見ていてなおかつ我を通そうとする人、十人十色。
 
 もう一回言うけど、役者単位では何やろうがいい訳よ、確かに極論じみてるけど。それを一つの方法論でまとめ上げるのは無理。
 まとめる立場の演出家にもまた色んなタイプがいるしなぁ。単に上手いか下手か、って観点から見ても、『役者の個性や主張を活かしながらまとめる』って上手い人もいるし、もっと上手い人だと 『好きにしていいよ、って放置するクセに結果として自分の望む形にしてしまう』 人とかいるし、一方、『役者に完全にイニシアティヴ取られるけど、何故かそれがめちゃくちゃ面白くて演出家本人の味になってる』 って人もいるし。
 だけど、それは演劇が 『全くの第三者である客』 を想定して、かつ 『事前に何度も稽古・練習する』 から成り立つんであって、RPGにそのまま持ち込むのは非常に危険な考え方。ゲームにならんわ。少なくとも、分かり合ってる仲でしかやったらあかん事。
 
 とは言え、鍼原氏が言ってる 『RPGでの役作りを “設定の多義的解釈と、PC/PL間のインタラクション” として捉えることはできないか? その観点から、キャラクタープレイ的PCハンドリングのノウハウをなにがしか導きだし整理することはできないだろうか?』 ってのは、全くの正論的な考え方だと思う。本来、考えるべきだし、やるべきだろう。ただ、それが今まではブラインドだっただけで。
 『本来、デザイナーがやるべき仕事だったのに放置されてるそれ』 を、システムデザインの見地から体系化しよう、ってのがSがやってる事だろ? でも、それに対して鍼原氏は 『もっと一般化できるノウハウ』 の見地から言ってる訳だな?
 だとしたら、この場でどういう事を話し合えば、結果としてこの人にとって役に立つんだろ? うーむ……悪いけど、ちょっと具体的には分からんなぁ。RPGと演劇の対比論的な話を中心にして、それを後でオマエ (T・K代表) が勝手に編集してくれる? それと、謝っといてな」
 
 ……との事でして。
 申し訳ないのですが、拙いながらも私が代表として自分なりに考えました。(それにしても、Hめ (笑))
 
● Sが私に対して曰く
 「基本的にウチはコスティキャン論、馬場理論に対しては別に否定してないし、それどころか積極的肯定派。でぶ猫さんが言ってた、『1:RPGはゲームである、2:演技や描写や演出は付加価値である、3:しかし、1と2はゲームコンセプトという緩い制約に縛られなければならない』 っていう定義なんかもー、鳥肌立つぐらい明快に分かり易いし、めっちゃ大賛成 (笑)。
 でも、その上での実像については掲示板にいる人それぞれの立場で違うんだろうし、微妙な見解の相違はどうしても生ずると思うよ。そこかなぁ、難しいのは。
 
 まず、ウチは 『RPGを行う時、根本となるゲーム論的な部分 (注:でぶ猫様の仰るところの1番) は前提として重視し、特化されたコンセプト (注:3番) を緩やかに受け入れつつも、それを破壊しない限りはその他何でも “全部やれ”(注:2番)』 ってスタンスだし。
 結果としてのゲーム性とドラマ性の融和ってーのか、そこを楽しんでいる訳だから。
 
 その立場から見ると、鍼原さんがでぶ猫さんに対して言ってた 『ドラマ的セッション展開をポテンシャルとして持ってるシステムを遊ぶときにキャラプレは付け足し、と言ってすませてられるでしょぉか?』、『け・れ・ど・アタシだってあらゆるゲームがそぉしたポテンシャルを有してると思ってるわけでなし』 ってのが、よく分からんないのね、オレ。(注:Sは 『け・れ・ど』 以下について言っております)
 
 確かにシステムによっては 『できないパターン』 もあるだろうけど、ドラマ性そのものはどんなシステム使ってもプレイで表現できると思うし……結局、それはシステムから見れば、『上乗せされる色付け』 なんだから。
 まず一つにはシナリオ次第なんじゃないんかなぁ?
 更に言うなら、それはキャンペーンとしてのコンセプトとか、全員のコンセンサスとかを綿密に取っていきゃできる事と違う? 極端な話、『何の話し合いもなしにぶっつけ本番でやっても、マスターが空気で誘導すれば全員が流れたがってる方向性を掴めるし、“無言の総意”が成立するし、ドラマにする事はできる』 って言えん? 一般論じゃねぇだろうけどできる人はたくさんいるだろうし、オレらだってできる訳だし、それはシステムが持ってるポテンシャルと違うんかなぁ?
 そりゃ、計算された下地を色付ける場合に比べりゃ結果として見劣りするけど、その瞬間瞬間は決定的なまでの差はないと思うんだけど。
 
 オレとしては、RPGが持ってるそういうポテンシャルは、『システム化されているなら、万々歳でやればいい』 し、『システム化されてなくても、コンセプトを破壊しない限りやればいい』 と一般論的に思ってるんだけど。実際、ウチではみんなそういうスタンスであって、嗜好性の違いで差が出てるだけなんだから。
 オレ的には、『RPGはその観点でプレイした時に面白さのゲージがマックス振りきる』 と思ってたんだけど……うーむ、『ああ、みんなそうなんだ』 ってこの前、安心したばかりなのに (笑)。
 何か、こっちに 『抜け』 があるような気がする。前提となる論文とか、掲示板上の論議とか、あるんと違う? 教えて貰え、T・K代表。頼み込め、命を賭して」
 
 ……との事でして。
 申し訳ありませんが、文中にある通り何らかのご教授を戴きたいのです。(それにしても、Sめ (笑))
 
● 取り敢えずここまで
 我々が開いた談義中で語られた、役作りや演出、あるいはRPGとの対比論的な話などに関する具体的な提示は、よく考えた上で行いたく思います。
 確かに、私自身にしろ目からうろこが落ちた話もあります。ですが、逆に解釈次第でRPGにとって危険な話もあり、どう書くべきか迷っているのです。
 もう少しの時間を戴きたいとのお願いを含め、取り敢えずここまでをアップします。
98年07月10日:07時33分00秒
RE:失敬! 追加します / T・K代表
 初めまして、3327様。
 おそらく既に交流を積んでいるのであろう鍼原様と比べ、私の 「横から口を出すような」 書き方は、3327様に対して不快感を与えたかも知れません。こちらこそ謝罪します。
 何分、掲示板でのやり取りの要領が未だに掴めず、手探りの状況でありまして……その場合、忌憚なくお叱りを下さい。その方が、私にとっても勉強になります。
 失礼致しました。
98年07月10日:02時19分52秒
失敬! 追加します / 3327
すいません、固定観念入ってましたね。誤字脱字も多かったし
ワタシ的には、ビギナーが間違ったり知らなかったりするのは当然なワケで、ってゆうか、だからこそビギナーなワケでで、さらに言うとビギナーという過去は絶対必須だから、ビギナーはデフォルト除外扱いにしてました。
あれじゃビギナー引いちゃいますね。失礼しました。
98年07月09日:23時55分53秒
Re:キャラクターシートの読みかた(?) / でぶ猫
 > え〜と、でぶ猫さんとT・K代表さんのお話は、「『よりよいプレイのやり方』 という在り方の問題ではなく、あくまでルー ルのデザインとして」のお話なのでしょうか? 
 
 私がしてるのはセッションハンドリングとプレイイング話ので、T・K代表さんはそれにテクニック的な話(ルール化ふくむ)を していると思います。
 鍼原さんは各論的なもの、私は総論的なものをやってる感じでしょうか。
(だから、よりおもしろくする方向だけでなく、必要ならぴしっとしめるべきという話になることもあると思います)
 
 >ひとつ、聞いちゃってよいですか?
 >でぶ猫さんのおっしゃる、「1.ルールに基づくパラメーターなど 」と「『2.背景世界に基づく社会の中での位置づけ 』 のかなりの部分」ってのは、PL的には、「キャラクターシートの読みかた(解釈のしかた)」ってとこに収斂させられる気 がするのですけど。←この理解でよいですか?? えと、プレイングの実践に即してって考えると、そこに収斂させたほ ぉが、いろいろ便宜がよいよぉに思いまして。←この辺のことも含めて、お考えをお聞かせいただけるとありがたいで す(礼)。
 
 1についてはキャラクターシートに書かれていることですね。2については、書く欄のあるものもありましょうが、普通はメモ欄に 書くような内容です。(考えてはいるけど、めんどくさいので書かないこともありますし、メモ欄には3や4も書かれることがあるでしょう)
 完全に収斂できるのは1だけですね。(深淵の運命や縁故も1であることに注意してください。ただ、深淵の運命や縁故は2で補完する必要が あることが多いものですけど)
 実のところ、1と2の間には大きな隔たりがありますが、2〜4はわけて認識してる人はそれほど多くないと思います。
 極端にいえば、1はダイスやカード、能力値わりふりなどで作る部分であり、2〜4はプレイヤーのイマジネーションによって作られる部分です。
 
 とりあえず回答だけ
98年07月09日:23時27分06秒
3つのレス / T・K代表
● でぶ猫様へ
>大変興味深い試みです。
 見せてもよい段階になったら、拝見できますか?
 
 ひ、非常に恐縮した一言です。勿論、喜んで。
 ……ただ、Sは 「人に見せてもよい段階」 というのを、「我々の中で全く問題がない段階」 と同一視しておりますから……先日述べたのはあくまでSと我々が作成している 〈プレーンフレーム〉 というシステムの一部なので、これ全体となると果たしていつの事になるやら分かりません。
 ディスカッションのルール、あるいはシステム処理の流れだけでも見て戴きたいと、私個人としてはむしろ切に思いますが……この点に関しては、全権がSに委ねられております。私の一存では。
 ただ、Sも 「おそるべし、でぶ猫さん」 などと言っておりますから、おそらく例外的に飛び付く可能性はあると思います。アレは、我々の中で最も節操がないですから。
 
● 鍼原様へ
>え〜と、でぶ猫さんとT・K代表さんのお話は、「『よりよいプレイのやり方』 という在り方の問題ではなく、あくまでルールのデザインとして」のお話なのでしょうか? だとしたら、アタシとか、質問の角度など考えないと、お話の腰をおることになりかねませんし。「根は同じ」ってゆぅのはわかるのですけれど。
 
 あ、いえ。申し訳ありません。話の腰を折っているのは、私でしょう。ここは 「プレイング研究室」 なのですから……ただ、ノウハウを整理する事とルールデザインは、かなり近い問題だと思えますので、つい……。
 鍼原様は、マスターの経験がないと仰っていたと記憶しておりますが、その視点は逆に重要だと考えます。(と言うか、とてもプレイヤーだけとは思えないほど卓見なさっておりますが……この掲示板は、何処もかしこも恐ろしい人ばかりですね)
 勿論、どんどんご発言なさって下さい。私の方が気を付けます。
 それに私は、あくまでも一時的にこの場にお邪魔しているつもりですから……あまり迷惑は掛けられません。
 
● 3327様&鍼原様へ
>3327さんの“いいたいこと”、にはそんなに反対じゃないんですけれど。うえに引用したよぉな言い方をされちゃうと、ルールを全部理解した人でないとゲームを遊んじゃいけないんだ、って(聞いた人に)とられちゃいませんか?
 
 確かに鍼原様の仰る通り、ルールやコンセプトについては一つずつ体験的に学んでいく方が良いでしょう。そして、周囲がバックアップする事が何より重要だと考えます。知らない相手を蔑む方々が多いと聞きますが、それの方が最低ラインを下回っているのでは。
 ただ、確かに3327様の仰る事に含まれております、「いつまで経っても覚えようとしない」、「分かったつもりになっている」 事への警告もまた頷けます。私にも耳が痛い部分です。
 ちなみに、この点もルール的なガイドは作れます。実際、強者にとっても弱者にとってもかなりストレスを減らせる効果があります。(って、また話の腰を)
98年07月09日:22時34分19秒
Re:私見:キャラシーを読むってコト / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>キャラ (手の内) と場 (ルールと世界) は、両方しらなきゃ最低ラインを下回ってるって事ですよね。
 
 3327さんの“いいたいこと”、にはそんなに反対じゃないんですけれど。うえに引用したよぉな言い方をされちゃうと、ルールを全部理解した人でないとゲームを遊んじゃいけないんだ、って(聞いた人に)とられちゃいませんか?
 実際はそんなことないと思うんですけれど。違うでしょぉか?
 
 ルール&世界設定って回を重ねて遊んでく内に身につける、理解してくって面が大事だって思いますし。
 アタシはそのよぉに遊んでいます。
 もんだいは、最低限知っておいたほぉがよい、ルールの範疇はどこまでか? ってことと、ここまでのルールを知ってたら、このキャラとこのキャラはプレイできるけど、このキャラはプレイできない、って見極めにすぎないと思うんですけれど。
 アタシは、「深淵」、まだ魔法のルールきちんと理解しきってません。だからもちろん魔法使い的PCはプレイしてしていません。だからって、魔法使い的PCを別のかたがプレイしてる「場」には加わって、なんの不都合も生じません。
 3327さんの言い方だと、その辺の細かい部分を吹っ飛んじゃってて、ビギナーに、誤解されちゃう言いかたになっちゃってると思います。まるで、ルールを全て理解できない者は遊ぶな、って言ってるみたいにとられかねないと思います。
 そんなことが言いたいわけではないのでしょ?
98年07月09日:21時30分34秒
私見:キャラシーを読むってコト / 3327
ども、ちょっといない間にこのへんはヤオイの話で持ち切りでしたね(^^;;;
ま、それは置いとい

例によってまがい前振りから
ブラックジャックをやるのに、トランプ・カードが 52枚だとかそんな事は要らないって言えばいりませんよね。
ようするに、足して21超えるかどうかなんですから。
でも、「ようするに」 じゃなくて、その過程を楽しんだりこだわったりするには、カードの種類と枚数を知らないとダメですよね。
考えて選択してこだわるには、知らなきゃムリですよね。
本題です
キャラクターロールにこだわりたかったら、自分に何が出来て、それがどのくらいの事なのかを知らないとダメですよね。

この間どなたかがおっしゃっていませんでしたっけ?
手の内を見ないでトランプはできないみたいな事を。
キャラ (手の内) と場 (ルールと世界) は、両方しらなきゃ最低ラインを下回ってるって事ですよね。
深く考えずにノリだけで騒ぐなら、それがたとえば尊敬語をつかったキャラクターロールだと言い張っても、サノバビッチ! とキャラクターロールで罵っても、幼稚園児のごっこ遊びと同じレベルですね。

以上、私見でした。
これからいなかった時の分読まなきゃ・・・
98年07月09日:15時34分18秒
キャラクターシートの読みかた(?) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>でぶ猫さんへ、>T・K代表さんへ、
 でぶ猫さん、「Re:『役作り』関係のRes」ありがとぉございました。でぶ猫さんの書かれてることは、アタシの立場からもとても興味深いです。
 アタシの立場って、ここらで再整理しとくと「『キャラクター』プレイに興味を持つPLが『セッションを破壊するカオス』ではなく『セッションを豊かにする』方向で貢献するノウハウを整理したい(但しここでゆぅ「キャラクタープレイは『馬場講座』的に概念規定されたものとはやや異なる」)」って立場なんですけど。
 
 え〜と、でぶ猫さんとT・K代表さんのお話は、「『よりよいプレイのやり方』 という在り方の問題ではなく、あくまでルールのデザインとして」のお話なのでしょうか? だとしたら、アタシとか、質問の角度など考えないと、お話の腰をおることになりかねませんし。「根は同じ」ってゆぅのはわかるのですけれど。
 
 ひとつ、聞いちゃってよいですか?
 でぶ猫さんのおっしゃる、「1.ルールに基づくパラメーターなど 」と「『2.背景世界に基づく社会の中での位置づけ 』のかなりの部分」ってのは、PL的には、「キャラクターシートの読みかた(解釈のしかた)」ってとこに収斂させられる気がするのですけど。←この理解でよいですか?? えと、プレイングの実践に即してって考えると、そこに収斂させたほぉが、いろいろ便宜がよいよぉに思いまして。←この辺のことも含めて、お考えをお聞かせいただけるとありがたいです(礼)。
 いじょぉ。
98年07月09日:01時53分07秒
T・K代表さんえ / でぶ猫
夜も遅いので簡単に
 
 実は4のゲームとは無関係な設定のほとんど(おそらくすべて)は ないほうがよいと思っていますが、3のゲームにからめて外挿した設定も 行き過ぎは戒められるべきではないかと思っています。許容の線を引くとすれば、 4ではなく3のどこかだと考えています。
 しかし、4の設定が3に変化するのは改善であると思います。
(それでも許容ラインの外にある可能性はあると思います)
 
 誘導要素については、「経験点」に限らないと思います。よりおもしろくなりそうな 要素(それに値するなら、私の以前あげたキャラクターコンセプトの開示がその一例です) をテクニックとして使うのも誘導です。これは、もっと楽しくなりそうだと興味をひくこと ですね。
 
 >そこでSは、総意的なディスカッションをプレイ中に 「違和感なく持ち込む」 (と言うより、ディスカッションをさせている 事に気付かせない) というルールを既に作っているのですが、これに上乗せする形で、更にゲームコンセプトについて の考察・談義を行わせる為の呼び水をあれこれ悩んでいるようでありまして。
 
 大変興味深い試みです。
 見せてもよい段階になったら、拝見できますか?
98年07月09日:01時20分01秒
キャラクター表現の分類に関する個人的な質問2(>でぶ猫様へ) / T・K代表
 個人的な事にお応え戴いて恐縮です。
 確かに付帯情報が多く、あまり的確な例ではなかったようですが、仰る通り、「Aが4、Bが3」 というのは、個人設定のみを純粋に考えれば頷けます。Bに関する 「嗜好性を異とする人間」 というのは、「コンセプトに対する微妙な齟齬」 の範疇のニュアンスで書いておりましたので。
 
 そして、これが最も聞きたいのですが。
 確かにAは4番でしょう。カオスでしかありません。が、プレイを進めるに従って、AがBのような 「その世界上の理由付け」 を行い、自らのカオスの修正を試んだとしたらどうでしょう? Aは、3番に移行したものと考えられますね?
 
 健.様も 「歯止めというより、誘導の方がいい」 と提案されておりますが、単純な話、最後に経験点を与える時など、「ゲームコンセプトに沿っているか否か」 という判断基準を設ける事で、非カオス化への誘導にはなるでしょう。これなら、どんなゲームにも簡単に導入できます。
 このAの例にしても、「経験点が貰えないのは嫌だから」 と、それなりに考え始めるでしょう。プレイを行うごとに段々と。
 
 が、Sがこの前に言った話では、「しかし、それはプレイとプレイの間のプレークポイントでしか意識させない点に問題がある」、らしいのです。それこそ、プレイ中に細々と経験点が手に入るならともかく、これは処理を工夫しないと面倒なだけでしょう?
 そこでSは、総意的なディスカッションをプレイ中に 「違和感なく持ち込む」 (と言うより、ディスカッションをさせている事に気付かせない) というルールを既に作っているのですが、これに上乗せする形で、更にゲームコンセプトについての考察・談義を行わせる為の呼び水をあれこれ悩んでいるようでありまして。
 Aに対し、4から3にする必要性を 「考えさせる」 という点では、Sが新たに考えているのはおそらく誘導と代わりません。そしてその結果、3に変化したとして、それが受容され得る事なら、「ゲームコンセプトに逆らうカオス化に対する安全弁」、「個人的、社会的な意味での役作り」、「プレイスタイルの違いの折り合い」 なども含めた意味でのディスカッションとして機能している事にもなるだろう……そう思っての、まさしく個人的な質問でありました。
 
 これらは、やり方次第で一元化して処理できる問題なのではないでしょうか?
 勿論、これは鍼原様のように 「よりよいプレイのやり方」 という在り方の問題ではなく、あくまでルールのデザインとして、ですが……しかし、根は同じです。
98年07月08日:20時37分18秒
T・K代表さんへ / でぶ猫
うーん。質問の意図がいま一つ読めないのですが、回答する前に、一つだけ、
 どちらも付帯情報が多いので、キャラクターの表現の分類と不評の因果関係を 短絡的に結び付けることはできないでしょう。
 
 その前提で回答すればAは4、Bは3ですね。Aは何も知らずに「臆病」という 個性を持ち込み、「臆病なオーランシーとはどういうものか」という点を考えることなく 臆病であることだけを通したと思われるからです。逆にBはカルトと個性の葛藤を確信して その点を追求したと思われます。
 不評の原因は、どちらも明確ではありません。Aの場合は、明らかな戦力不足なのに、「だって ボク臆病だもん」と何もせず(「何もしない」、というのが問題)に他のPCを危機にさらし て他のプレイヤーにストレスを与えたのかもしれません。これはBの場合でも考えられます。Bの場合は、もう少し 言葉たくみだったかもしれませんが、何もしなかったのなら同じです。
 問題は、BがAのようなプレイをした時でしょう。これは、確信犯であり、初心者だからと大目に見ることもできません。
(だって、初心者だったらだんだんにRQの魅力的な世界に引きずり込めるかも、という将来性がありますがそうでなければ 何をやっても無駄です)
 このような確信犯、いかなるゲームか知りながら(理由はともかく)それに背をむけるひねくれた行動は、不快であっても快適で あることはありません。
(そのゲームがよほどのクソゲーとみんな認めているのだったら別ですが)
98年07月08日:03時26分33秒
キャラクター表現の分類に関する個人的な質問(>でぶ猫様へ) / T・K代表
 ふと思ったのですが、でぶ猫様、よろしければご教授下さい。
 下の 「Re:『役作り』 関係のRes」 中、3番と4番について未整理とは言われておりますが、現状的な印象論で十二分に結構ですので、一言二言お願い致します。
 
 A:例えばグローランサの事を理解できず (しようともせず)、カルト同士の複雑な関係を楽しむというコンセプトも把握していないプレイヤー
 
 B:それとは全く逆に、よく把握しているプレイヤー
 
 この2人が 「全く別に」 いたとします。
 Aを相手取るマスターは、Aに対してはゆっくりと時間を掛けて学んで貰おうという姿勢のまま、新規でプレイしようと試みます。「『僕はファリスという異世界の神を信仰している』 などというモノでない限り (=コンセプトを完全に無視したモノでない限り、というニュアンスで)、如何なるキャラクターでもよい」 と前提して、キャラメイクさせたとします。
 
 Bに対しては、また全く別の熟練マスターが、Aに対するマスターと同じ事を言ったとします。勿論、意図としては魅力的なオリジナリティーを期待して、かつBもそれを理解する形で。
 この結果、
 
 A:「臆病な性格」 のオーランス、というキャラクター。実際にゲームを行えば、Aの 「石橋を叩いて壊す」 的な性格の地がモロに出て、トロウルキン辺りに対しても率先して戦おうとしなかった。周囲のプレイヤーにも不評だった。
 
 B:とある氏族に拾い上げられた異邦人であり、オーランシー的な蛮勇とは掛け離れた優しい性格でありながら、自分の有り方に懊悩しつつ半ば流されるようにイニシエーションしたキャラクター。が、プレイヤーとしてはキャラクターが成長する過程を描きたいというコンセプトがあり、またマスターも了承している。実際、プレイ中ではなかなか深みのある人間像と、面白いやり取りが描けた。しかし、プレイヤーの中に 「嗜好を異とする」 人間がおり、その者にとってはつまらなかった
 
 この場合、AとBの個人的な設定は、3番と4番のいずれに属するとお考えでしょうか?
 例の 「キャラクターのカオス化に対するルール的な安全弁」 にも関係する事ですが、何となくSの意図する所が分かって来たような気がします。個人的な事で恐縮ですが、大きなヒントにもなるように思うのです。
 
● PS
>で、今度はお兄さんにどんなワザくらいました?(笑)
 
 してません (苦笑)。
98年07月08日:02時04分56秒
Re:「役作り」関係のRes / でぶ猫
 >#強いて言えば「『ドラマ』的セッション展開をポテンシャルとして持ってるシステムを遊ぶときに『キャラプレ』は付け足し、と言ってすませてられるでしょぉか?」ってあたりかと思います。
 
 いやー、実はですね、キャラクターの表現については、ちょっとした分類ができると思うのですが、その分類の境目にやや まとまりきらないものがあるため、これまでそれについて発言することを控えていました。
 で、まだあいまいまなまま少し書き出すと・・・
 
 ○キャラクターの表現の方法はいくつかある
  1.ルールに基づくパラメーターなど
  2.背景世界に基づく社会の中での位置づけ
  3.上記2つに基づき、プレイヤーがイマジネーションしたもの
  4.上記3つに関係なくプレイヤーがイマジネーションしたもの
 1は単純に力が強い、体が大きいといったものから、深淵の運命のように割り当てられた特殊な背景をしめす。
 これはルールに基づくもので、ルールの誤読がなければもっとも問題がない。
 2は、ゲームの背景世界やゲームのコンセプトに基づくもので、ゲームとの整合は基本的に高いのだが、社会的 なステータスなどを1の形で表現していないゲームの場合などは、マスターが調整を行なう必要があるほど特殊な 設定を持ち込む危険がある。マスターは、特殊すぎて不公平などゲームをつまらなくする危険のある設定がプレイ ヤーの意志に関係なく隠れていないか判断する必要がある。あまりな設定は却下しなくてはいけない。
 3、4については、まだ未整理です。3については暴走との境界の問題があり、4については全面否定のつもりですが、考察はまだ十分ではありません。
 
 さて、引用部分では、このうちの1(と場合によっては2)にまつわる部分のことだと思います。
 これについては、深淵のようなゲームであれば、システムの一部であって、ルールで規定されている部分であり、つけたし とは言えないものです(このゲームの構造の一部なんですから)。
98年07月08日:00時16分49秒
“鏡氏、そして皆様方へ”完結編(総括レス) / T・K代表
 鏡氏を初め、Howling様、鍼原様、でぶ猫様、寺田大様、sf様、狂兵様、GMN様、みっく様、健.様、そして読んで戴いた方々へ、遅れてしまい申し訳ございません、心よりお礼申し上げます。
 私の図々しくも我侭な質問にお応え戴き、皆様、まことに有難うございました。
 予想をいい意味で裏切る反応とその内容に戸惑っておりまして、嬉しくもあり、また身が引き締まる思いであります。このような高揚感と重圧感は、未だかつてありません。
 我々の試行錯誤が決して無駄なものではなく、それどころかRPG界に於いて一つの貢献にも足り得るものである、というお言葉そのものは、感謝とともに有り難くお受け致します。
 しかしながら、我々は過去の経験から、「自惚れた時点で死ぬ」 と考えております。むしろ評価されたからこそ我々に対する鞭であり、鞭撻であり、再度姿勢を正しての努力邁進を心掛けたく思います。
 
 鏡氏のHPである 「RPG日本」 には、「RPGには6つの道がある」 という主旨の論考が掲載されております。
 プレイスタイルの差と傾向、その渾然とした状態への対応方法などが語られており、乱暴にも要約すれば、「普通、誰しもRPGの多種多様な側面を楽しんでいる。これに対する嗜好性の組み合わせ方が結果として 『遊び方』 の差につながり、プレイスタイルの差を生んでいる。プレイスタイルの差という現実に対し、如何なる手段が講じれるか。如何なる道を進むべきか」 という内容であります。
 その中に、王道としての 「多種多様な側面を全て楽しむ」、これを徹底的に追求する……という示唆があります。
 恐縮な事に管理人であるsf様にもお言葉を戴きました通り、確かに我々はこの 「王道としての究極」 を夢見ておりました。
 そして、今回、それに対する疑念が発生し……幸いな事に解消する形で 「王道としての究極」 に視線を向けている、とのご評価を戴きました。
 
 しかし、再び繰り返しますが、所詮、我々は閉じた環境の 「井の中の蛙」 であります。皆様方の方がより優れておられる、多くの方々が参考にするべき点は、まさしく大いにあると思われます。
 寺田大典様が仰るお言葉には、「10人全員が同じレベルである」 という誤解に見受けられないでもない点もありますが、そんな事はないのです。我々の間には厳然として能力的な差がありますし、その人数比率は当然ながらピラミッド型であります。私が書き込んだ事は、「最低水準としてやるべき、なすべき、果たすべき当為である」 という認識とともにありますものの、まだまだ実践できない人間はおります。妹を抜きにしても、です。
 あるいは、我々よりも遥かに深く 「王道としての究極」 を追求し、実現なさっている方もおられると思われます。
 更には、未だ外の目に触れていない方々もおられる筈です。今回の我々も唐突でしたが、いつかは唐突に現れて下さるのではないでしょうか。
 以上のような理由もあり、鏡氏のお言葉を初めとしたご評価は、「あくまでも、偶然に手にする事のできた僥倖」 とさせて戴きます。
 宝くじに当たったようなものです。
 
 ですが。
 それでもですが、今回の一連の文章と、我々のプレイスタイル論が何かのお役に立つのなら……鏡氏のお勧めには、是が非もなく喜んでお応えさせて戴きます。管理人でありますsf様さえよろしければ、ご自由にして下さって結構ですし、あるいは誤字・脱字・表現の不適切な点など多々ある為、私が手直しするのが望ましければ、やり方などをご指導下されば再投稿致します。
 また、鏡氏の最後のお勧め通り、より読み易く何らかの形でまとめ、更に内容を追加した形で公表するのも吝かではありません。
 これに関しては、正直、望むところとまではいかないのですが。
 能力的にできるかどうかは非常に不安がありますし、時間的にも一朝一夕でまとめ上げる事は無理だからです。やるからには、文書化された9年分の活動記録を全て確認し、かつ、少なめに見積もってもざっと600時間分はある録音テープを全て聞き直す必要があります。これをあくまで簡潔に汎用的にまとめるとなると、総合的には1年……下手をするとそれ以上を要するかも知れません。その間、作業のみに没入していればいい訳でもありませんから、いつ何が何処でどう遅れるか見当が付きません。
 それは、鏡氏がご期待されている形ではない筈です。特に、メールという形を取る事をご希望なされた寺田様の事もあり、果たしてこれでいいのか、と躊躇があります。
 その点を踏まえながらも許されるのなら、挑戦したく思う意欲はあります。その場合、ご指導下さい。
 あるいは、こうした方がよい、というご意見などありましたら、よろしくお願い致します。喜んで参考にさせて戴きます。
 
 そして、本題の事についてですが。
 「現在の我々の基本スタイル」 の姿は、皆様のご協力あって実像としてはっきり自覚できました。特に、でぶ猫様のRPGの根本論的なご教授は、この点に於いて非常に参考になりました。
 そのバランスが極めて難しく、ある意味に於いて一般的ではない事も認識できました。言い換えれば、「軸」 が崩れた時に何が起こるか分からない、綱渡りのような面も持つプレイスタイルなのかも知れません。
 が、「軸」 さえしっかりしていれば、如何なるプレイスタイルにも対応できる……そして、そのしっかりとした 「軸」 を育てるには、特に原点を初めとしてより多くのプレイスタイルをひたすら実践する事だ……そう強く噛み締めております。
 その 「軸」 を枯らさない為には、常に肥料となる実践を繰り返す必要があり、それがより理想的な形に育ててくれるのだ、とも。
 即ち、「完成」 など有り得ないのです。よりよい形はあるでしょうが、「これで完成した」 と考えた時点で腐朽は始まります。「理想を追い続ける姿勢」 が 「理想」 に他ならないのです。
 これは、言うまでもなく私と我々自身が強く心に刻む必要があると同時に、参考にして下さる方々にも念頭に置いて戴きたく願う所存であります。
 
 最後に、私の妹についてですが。
 数日前、奇しくも外の方々とプレイを経験した妹でありますが、「演技に白けた」 という発言 (フリートークLOG 004、「私が知っている事情を一つ」 中) 辺りに、何処となく 「特殊化」 している傾向が見受けられます。
 が、同じく鍼原様が仰る通り、その調整は決して困難ではないとも考えます。要は、それ以外の楽しみ方を我々が提示していけばいい訳でありますから。これまでは妹に合わせて演技やノリを重視したスタイルを提示していた訳ですが、もはや原点を提示するべき時期なのかも知れません。
 鏡氏の新たな杞憂も心に留め、今回の経験を活かして指導していく心積もりであります。
 
 皆様方、まことに有難うございました。幾度お礼を申し上げても足りないぐらいでありますが、心から感謝の念を捧げております。
98年07月07日:13時12分33秒
「役作り」関係のRes / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>でぶ猫さんへ、T・K代表さんへ、
 アタシの長文にResありがとぉございました。
 特にでぶ猫さんお返事ありがとぉございました。、でぶ猫さんのお考え、アタシなりに了解できたと思います。

>でぶ猫さんへ
>従属とかなんとかより「どうやって折り合いつけるか葛藤」するほうが楽しいですね。
#アタシにも、了解できるお説でえす。でぶ猫さんと議論をする必要性が、アタシのほぉには、ほぼ無くなってしまいました(笑)。
#強いて言えば「『ドラマ』的セッション展開をポテンシャルとして持ってるシステムを遊ぶときに『キャラプレ』は付け足し、と言ってすませてられるでしょぉか?」ってあたりかと思います。け・れ・ど・アタシだってあらゆるゲームがそぉしたポテンシャルを有してると思ってるわけでなし。この辺は、将来のお楽しみ(?)としてとっておくことをご了解いただければ、と思います。
 
#「(セッション内での)世界像の多様な立ち現れ」に関しましては、アタシのほぉの、考えの整理が不充分であるよぉです。お詫びします。イロイロゲームを遊びながら、考えを整理してゆきたいと思います。ですので、この関連の話題に関しましては、申しわけありませんが、一時撤回とさせていただけるとありがたいです。
#でぶ猫さんのおっしゃる、「ディテールは多様でも、共通の地盤に立っていることが、世界を共有することではありませんでしょうか」は、妥当なお説と思います。
#アタシが今、考えようとしてますのは、1.「PLが世界を共有してても、PCが同一の世界像を抱いていなければならないとゆぅことにはならない」、2.「PL間でも『共通の地盤』の認知が総体的に共有されてるとは限らない」→「逆にセッションを通じて共有されうる『共通の地盤』の領域拡大を狙うことのほぉが重要ではないか?」、みたいなことです。
#1.、と2.はほとんど、別領域の話ですし。書込みをするには、アタシの考えの整理が不充分だと認識しました。すみませんでした。
 
>T・K代表様へ
#すみません、お仲間に「役作りのことお問い合わせいただけるとか。お言葉に甘えさせていただきたく思います。こちらの掲示板での、他のみなさまとの交信もご予定でしょうし、いろいろのお話は、またの機会に持ち越させていただきます。
#「役作り」の件、お手数おかけしますが、重ねてお願い申しあげます(礼)。
98年07月07日:00時05分53秒
素早いでぶ猫(?)様へ / T・K代表
 申し訳ございません。でぶ猫様は、既にこちらにアップしておりました。
 
 ついでですから、私信ですが。
 でぶ猫様、私は単にパニックに陥っていただけであります (笑)。
98年07月06日:23時53分59秒
個人、社会、前提として是はいずれか(>鍼原様へ) / T・K代表
 多くの方々からのご意見、ご教授、まことに有難うございます。
 一刻も早くレスをアップしたいのですが……如何せん、遅筆な方でありまして、もうしばらくお待ち下さい。申し訳ございません。
 今回もまた、取り急ぎ、鍼原様へのレスとなります。
 
● 役作りについて
 土日にセッションを予定しているのですが、劇団関係者なら確実に2人 (運が良ければ3人) 集まれますので、その時に意見を聞いてみます。……やはり、門外漢の口出しだったようです (苦笑)。申し訳ございません。
 ただ、私が鍼原様の文章を見て思うに、
 
○ 私が書いていたのは、「キャラクターの個性、あるいは精神的な肉付け、そしてその裏付け」 の把握、即ち極めて個人的な問題
 
 であり、対して鍼原様が仰っていたのは、
 
○ それに加えて、ゲームコンセプトや、他のキャラクターとの折り合い、ドラマ的構造上に於ける立ち位置などへの練り込み
 
 という訳ですね? 対内的であると同時に対外的な意味……で、ありましょうか。
 おそらく、演劇に於いても同じような事だとは思われます。役に対する解釈を個人任せにし、他人との総意的なコンビネーションを無視するのなら、演技指導など必要性が激減する事でしょうし。(……いや、役に立たずに申し訳ございません)
 
 少し注釈を入れますが。
 我々の中では、統一化された用語もありますが、往々にしてスラングが入り乱れる為、ここで私が使っていた意味での 「役作り」 は、どちらかと言うと 「キャラを立てる、確立する」 という言い回しになる事が多いようであります。
 また、我々の中では、ゲームコンセプト上の在り方と、キャラクターの対内的な掘り下げと、一般的な意味でのドラマ的構造上の立ち位置と、ドラマ的構造の中でも特にキャンペーンのテーマ上の立ち位置は、正確に区別して順序立てて考えている訳ではありません。多分に、発想が出てくるを幸いに入れ乱れて同時進行し、互いに微調整しながら折り合いを付けていく……というのが概ねのパターンであります。
 勿論、キャンペーン上のストーリー性の強調度合い、あるいは特殊な形態であるかどうか……という点で程度は生じます。
 例えば、最近、Sが行っておりますキャンペーンに、〈D&D〉 並のダンジョンプレイで、かつ一人二役でABと受け持ち、AパーティーとBパーティーを完全に分断させ、互いに微妙な影響を及ぼし合いながら同時進行させる……という、お分かりでしょうが、本人曰く、「〈バイオハザード2〉 のパクり (笑)」 なるクライシスものがあります。これなどは、かなり特異な形態で進むので、ゲーム性重視でありながらしつこいぐらいにキャスティングを考えました。(一晩で済んだのでまだマシでしたが……)
 私自身、我々の現状に於ける用語の使われ方、そして一般的な用語との違いに気付いていない点がございます。なるべく注意致しますので、お許し下さい。
 
 今回は、その認識の元に書かせて戴いております。誤解がありましたら、お手数ですが、再度、ご指摘お願い致します。
 
● 前提条件への疑問
 鍼原様曰くの、
 
>誤解を受けることが多いのですけれど。アタシは、「ドラマ」的観点から観るなら、「『個人的役柄演技』に『社会的役割演技』を従属させる」形での、概念整理が必要だ、って主張したいだけであって、「『社会的役割演技』及び『社会的役割分担』が不要」的主張をする気は毛頭ないのです。
 
 成程。つまり、昨晩の私が書き込みました優先順位に対し、「先に個人あるべきだ」 と。
 やや混乱して来ましたが……何となく、私の用語の使い方もありますでしょうが、表現もまた不適切か不足ぎみで、微妙な齟齬が生じているのではないか、と思えるようでもあります。申し訳ございません。
 私は、社会的ロールプレイはあくまで、「ゲームとして成立させる為の、『表層的な演技』 である」 と捉えている向きがあります。つまり、「ごっこ遊び」 のつもりでも十分に機能させる為の 「仕掛け」 である、と。
 そこに於いては、「僕は正義のヒーローだ」 という認識で十分であって、例えば原作版の 〈キカイダー〉、〈サイボーグ009〉 (どうも例が卑近ですが (笑)) などの 「個人としての意識、懊悩」 などは必要はない訳です。
 しかし、いざ 「個人としての意識、懊悩」 などを描く事を前提に置くなら、確かに鍼原様の仰る疑問が生ずるのは分かります。
 
 私としましては、RPGを人間の脳に喩えて認識しておりまして、旧皮質、古皮質、新皮質 (用語が間違っているかも知れません) と外側を取り囲む、あるいは付け足すような階層構造を構成しながら発展してきた……と考えているのです。
 多分にポリシーなどではなく、単に 「分かり易いから」 という面もありますが。(この辺り、いい加減な姿勢で申し訳ございません)
 何よりもまずゲームとして成り立つ為には、PCが個性化を図るよりも以前に、役割分担的、社会的ロールプレイの方が必須であり、またそれが多くの人にとって簡単だった……これ自体は確かに言える事でしょう。こういうニュアンスなら、誰もが納得できる筈です。
 そして、そこにより難しい、個人としての表現を目指す方々が現れた。
 これ自体は是とすべき事ですが、ゲームとして成立させる為に 「社会的ロールプレイを前提に個人的ロールプレイが乗っている」 のが是か非か、あるいは逆に 「個人的ロールプレイを前提に社会的ロールプレイが乗っている」 形でもゲームとして成立するか否か……そういう食い違いが起こっているのだと思われます。
 勿論、自分の主義とするスタイルの方がより前提的たるべきだ、などという不毛な争いではなく、「よりRPGを遊び易い形にするにはどうあるべきか」 という模索として、です。それは理解しております。
 しかし、誤解しないで戴きたいのですが、私はでぶ猫様の仰る事も大いに頷ける一方、鍼原様の仰っている事にもまた頷けるのです。馬場氏の理論は非常に優れているとは思われますが、それを自分なりに受け入れる過程で何処かで修正しているようなので……。
 
 役作りの件からも伺えますが、つまり、鍼原様の仰る事は、
 
○ 馬場氏の講座の大部分は納得できるもので、この根本的精神を大前提に置く。
○ しかし、ゲーム上のドラマ的なポテンシャリティーを生かす為 (あるいは萎縮させない為)、「キャラクターの個人的な掘り下げ」 は 「必須」 とする。少なくとも、「付け足し」 程度の存在意義ではない。
○ とは言え、個々人がゲームコンセプトやストーリーを無視して勝手に設定し、動いては、「ゲームにならない」、「話にならない」。ゆえにゲームコンセプトを意識する事は重要であり、またドラマ的構造上の各自の立ち位置を意識する事もまた、「必須」。これを前提にしたキャラメイクを行いながらも、更に 「発展的な、総意的なディスカッション」 をRPGのプレイを通して行えないか。これが果たす事ができれば、S曰くのカオス化したキャラクター、あるいは迷惑なキャラクタープレイもなくなり、「キャラクタープレイ=迷惑」 という、「迷惑」 な認識もなくなるのではないか。
 
 こうでありましょうか?
 だとすれば、はっ、はっきり言って……難しいですね。困っている次第です。
 いや、意見自体にはむしろ諸手を挙げて賛成したいのです。「ゲームコンセプト、ドラマ的構造、キャンペーンのテーマ、これらを破壊しない、少なくとも逆らわない」 という条件さえあれば、キャラクタープレイと 「ゲームとしてのRPG」 は対立する概念ではない……というのが、我々の総意的な見解でありますので。
 少なくとも我々は、互いに極端な差異がありながら、この見解を以って 「同居」 できております。
 しかし、これに階層的な優先順位を付けるのは……かなり難しいですね。
 いや、いっその事、大前提となる馬場氏の理論に 「他人に迷惑な行為は行わない」 とあるとすれば、あとの個人的ロールプレイと社会的ロールプレイは 「同時に果たすべき等価値のものである」 としてもよいのでは……しかし、それは構造的なゲーム論とは言えませんね。例の 「上位・下位ルール」、「三すくみ」 が前提にあるなら……まだマシかも知れませんが、それとて完全ではない訳ですし。
 申し訳ございません、取り急ぎこのぐらいしか言えません。
 
 それにしても、私の鍼原様の意見への解釈が、仮に正しいとすれば……これは殆どSと同じ考え方であります。非常に驚きました。
 あの男、とことんゲームに入れ込みながら、とことんドラマにこだわるという、「両立」 させるスタンスであります。昨晩、やたらとはしゃいでおりましてどうしたものかと思ってはいたのですが、おそらくSから見て鍼原様の考え方は、別段、否定されるべき点はない、納得できるものなのではないでしょうか。
 確かに、それが万人向けかどうかは難しいでしょうが。……しかし、私もまた、頷ける事ではあります。その精神自体は、全く否定される点はないのでは。ただ、私はSよりもややゲーム性に偏っておりますから、立ち位置の違いから、完璧な理解はできていないかも知れませんが……。

 ● 非難ではなく、弁護として
 また、「Re:キャラクタープレイとは役作りが本質であるか否か?(下)」 の方にありました、ゲームコンセプトに対する見解の不統一性、様々な解釈が存在し得る……という点は、私、でぶ猫様の弁護をさせて戴きます。
 確かに、例えば日本全体でのグローバルな統一……という事は不可能でしょう。ゲームコンセプトというのは、「芯」 もあれば 「葉」 もあり、根本となる部分に対する理解はともかく、瑣末な所では解釈が入り乱れる訳ですから。
 統一ができるとしても、デザイナー絶対主義、オフィシャル偏重主義につながり兼ねません。また、「ある程度の解釈差を許す余地」 という緩みがあるからこそ、マンネリは避けられる訳ですから。
 極端な話、仲間内での総意なら何をやってもいいでしょう。でなければ、我々はゲームコンセプトを無視してプレイする事もあるのですから、「外道」 の謗りを免れません (笑)。
 せいぜいある程度の傾向を揃える程度で、コンベンションなどでは事前のコンセンサスが必要であり、特定のグループに於いては (ほぼ) 問題がないもの……それがゲームコンセプトというものでは。
 これの絶対的統一を前提する、というのは……私は外の事には疎い訳ですが、いるのですか? そんなスタンスに立つ方が……?
 しかし、仮にいたとしても、です。でぶ猫様は、私の 「続」 から 「続々々」 までの 「“鏡氏、そして皆様方へ”」 (プレイング研究室LOG 015) に対するレス中、
 
○ RPGはゲームである。
○ キャラクターへの感情移入や、ルール的に表現されないキャラクターの表現は付加価値である。 (付加価値:なくてもいいのだが、あったほうがよいもの。そして、しばしば選択の決定打になるもの (以下略))
○ しかし、上記二つはゲームコンセプトという緩い制約にしばられなければならない。
 
 と、仰っています。
 三番目の 「緩い制約」 という表現からしても、でぶ猫様はゲームコンセプトが絶対化でき得るものだという立場ではないように思われますが……。
 勿論、これは単に私が疑問に思った事に対して述べているだけで、鍼原様への非難のつもりは一切ございません。また、鍼原様自身、最後にでぶ猫様へのお心遣いを見せている事から、でぶ猫様に対するご非難ではない事も承知しております。そこはご理解下さい。
 よく朝に見ておられるようですから、でぶ猫様本人もすぐに返答下さるでしょう。
 
 次こそ、本題に関するお礼と結論を申し上げます。このままでは、それこそ掲示板の私物化になってしまいますので……。(などと言いつつ、もっと多くの方の意見が欲しい、というワガママもあるのですが (笑))
 
 ところで、自分で言うのも何ですが。
 どうにかならないものでしょうか、私の長文癖……。
98年07月06日:22時15分44秒
鍼原さんへのレスれす / でぶ猫
えー、つれづれにコメントをば
「Re:キャラクタープレイとは役作りが本質であるか否か?(下)」より
 >「『ゲームのデザインコンセプト』及び『世界設定』の解釈」も、ルールテキストを厳密に読めば一義的に統一されうる、との前提をお持ちのよぉに思える点です(アタシの誤解でしょぉか?)。
 
 実はゲームコンセプトの読み取れないゲームは「すぐ飽きのくるつまらないゲーム」だと思ってます。
(だって、デザイナー自身がどんなゲームを作りたかったのかわかってないわけですから。また、複数のデザイナーが全然違うコンセプトでつくったのを組み合わせたものも、ダメダメですね)
 そういうゲームの存在は、いったん前提から外して話をしていました。
 また、ゲームコンセプトのダメダメなゲームも考慮していません。
 その前提のまま回答すれば、「一意にきまる」はずです。ただ、おそらく鍼原さんが異存を覚えているものとは違うのではないかと思っています。
 一意にきまるのはどちらかといえば大きな視点でのコンセプトであり、ディテールはマスターやプレイヤーのイマジネーションに委ねられるでしょう。
(クラスのコンセプトで「アーチャーは無駄を嫌う」というのがあったとして、無駄の省き方や無駄に対する嫌悪の反応のしかたはキャラそれぞれでしょう)
 ディテールは多様でも、共通の地盤に立っていることが、世界を共有することではありませんでしょうか?
 
 付記すると、ゲームのコンセプトというのは事前に「こういう風にかえるぞ」と明確にしておけば、変則プレイとして変更してもかまわないんですよね。
 あんまり変則的にやりすぎると無理があるので、「これでこんなのできるんちゃう?」という時だけにしておいたほうがいいですけど。
 
 >アタシは、「ドラマ」的観点から観るなら、「『個人的役柄演技』に『社会的役割演技』を従属させる」形での、概念整理が必要だ、って主張したいだけ
 
 従属とかなんとかより「どうやって折り合いつけるか葛藤」するほうが楽しいですね。問題はどうにも折り合いがつかない場合なんですが、よほど特殊な状況でないかぎり、 それはキャラの作り方の失敗でしょう。折り合いをつける見込みがないキャラを作るのはよくありません。
(槍の先をみただけで何もできなくなるほどひどい尖端恐怖症の槍の達人なんか作るのは問題ですね。ルール的にできてしまうなら仕方ないんですが、これはデザインの問題ですね)
 社会的役割に対して、個人的役割(キャラクタの特徴)を克服可能な制約、あるいは挑戦とみなすことはゲーム的な見地でしょう。
 
 
 #朱鷺田さんとこのセッションについて
  たぶん、それでしょう。なんとなくそのいいくるめはきいたことのあるような気がします(^^;
98年07月06日:21時28分17秒
Re:ちゃちゃ / でぶ猫
 > またこっそりパソコン使ってるボク (笑)。
 > なーんか、おにーちゃん (T・K代表) とSさんとで寄ってたかって恥ずかしいコト書いてますケド、気にしないで下さいね (^^;;;)。
 
 で、今度はお兄さんにどんなワザをくらいました?(笑)
98年07月06日:20時39分40秒
Sさんがうらやましいっ。 / 建.
初めまして、T・K代表さん・Sさん。大変興味深く一連の書き込みを見せていただきました。
私は大学に入ったばかりの若輩者ですが、しばらく前から色々とRPGの新しい形について模索・実験を繰り返して参りました。(大したことはやってません)この掲示板を始め、様々な知識にふれて自分の考えていたのが仲間内でしか通じない、狭いものだったのではないかと反省しております。
あなたがたのように、すばらしいアイディアもなければ絶対的な経験も足りなかったと思っています。Sさんのようにアイディアを次々に出し、それをしっかりとした形にできる方がホントにうらやましいです。多重人格プレイ・・・確かに2つの人格を演じることでその違いがはっきりでる・・・とてもよいアイディアだと思います。私はといえばPC不完全掌握型などと逆の方向で考えてたから・・・
うぅ、やはりもっとたくさんのアイディアが欲しい〜。プレイヤーとしても、マスターとしても、デザイナーとしても貪欲に知識をほしがっている若い盛りなので、色々とまた書き込んでくださるとうれしいです。ぜひ参考にしたいと思いますので。

ルールでカオスキャラクターに歯止めをかけるなら、壁を建てて完全に防ぐことを考えるよりも・流れを変えるちょっとした物の方がいいと思います。信玄堤というか、やりたいだけやらせて引くのを待つというか。何かはわかりませんけど、マスターや他のプレイヤー、本人によるコントロールをほんの少し手助けするという方法はあると思います。
#他人が答えてちゃだめですね。気にしないでください。


98年07月06日:19時15分35秒
T・K代表さんへその4 / みっく
過去ログからようやく、読み終えました(^^;
はじめまして、みっくと申します。

感想から入りますと、
すばらしいですね。何がすばらしいって、確固たる信念をわかりやすく持ってらっしゃるって事です。
この掲示板に書き込まれている方々もそうなのでしょうが、TRPGのより高みをのぞんでおられる。
今まで幾つか演技派・ゲーム派のサークルの方々とお話する機会がありましたが、
こうも自分達の事を力強く主張でき、そして深く悩んでおられるサークルは始めてです。
私のTRPGのプレイに対する信念として

”TRPGを深く理解できれば「人」としても成長出来る。”

と、思っています。
TRPGは、CRPGと違い直接人同士の会話、コミュニケーションによって確立しています。
自分一人だけではどうすることも”勝利”を掴むことは出来ないということであり、
ある種”One For ALL、ALL For One”の精神に共通している筈です。
その為に、チームや参加者全員が切磋琢磨し共に高みを目指す。
他人の為に、引いてはそれが自分のためになるように動く。
そういったコミュニケーションをとることは、人として成長することに貢献すると信じています。
ですが、今のTRPGプレイスタイルでは、そういったレベルに達するのはまだまだ先でしょう。
私はいろんな人のいろんな考えをもっともっと知りたいです。
とりあえず、TK代表さん達の多重人格プレイを私も自分のサークルで試してみようかと思います。
突然の書き込み失礼しました。
まだ掲示板を覗きはじめて間も無いので、稚拙な表現や駄文はご容赦の程を。
また、いろいろ御教授していただけると嬉しいです。

98年07月06日:19時09分33秒
Re:キャラクタープレイとは役作りが本質であるか否か?(下) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#「Re:キャラクタープレイとは役作りが本質であるか否か?(上)」からの続きです。
 
■再び「役作り」について
 アタシのよぉな、穏健なキャラプレ擁護(笑)からしますと、でぶ猫さんがおっしゃってる、「セッション中、どの程度までキャラクターを表現することが許されるか というと、(中略;カンナ)ゲームコンセプトにそってるかぎりでしょう」との意見にも賛成なのです。
 では、アタシが、でぶ猫さんのご意見のどこに異存を感じるか、と言いますと。でぶ猫さんに限らず「狭義のゲーム」=「ルール体系の解釈が一義的に限定されるゲーム」から、TRPGに入られたキャリアのかたは、「『ゲームのデザインコンセプト』及び『世界設定』の解釈」も、ルールテキストを厳密に読めば一義的に統一されうる、との前提をお持ちのよぉに思える点です(アタシの誤解でしょぉか?)。
 
 アタシは「世界設定」がSLG的な方向から逸脱すればするほど、「イメージの共有」はできても「共存しうる多様な解釈」が成立し、「イメージの統一」はできない、って気がします。←そぉゆぅTRPGは決してめずらしくないって話です。その種のゲームでは、当然「ゲームのデザインコンセプト」も「世界(像)の多多様な併存」を支援する形で組み立てられていることでしょう。
 アタシは、「深淵」の「語り部」メッセージに、多義的な解釈を誘発する象徴的な語句が多用されていることは、シャレではないと思います。後、「メガテンTRPG」のPCたちにとって「世界の観えかた」は、ルール的に表現されたそのアラインメントに応じて異なる(多様)はずだって思ってます。そして、「ドラマ」は世界像の多様な併存が許容されないと成立しないものと考えています。
 
 で、やっと「役作り」と役者(PL)間のインタラクションの話に戻れる(汗)のですけれど。
 昨日、S様とでぶ猫さんが討議してらしたよぉな、「セッションをカオスに導きかねないキャラメーク」に関してはアタシは、いまのところあまり考察してないんです(汗)。まずは、キャラクタープレイの位置づけをTRPGの内に(ゲームシステムによるのだけど)正当におきたい。キャラクタープレイは決してつけたしとは限らない(それがゼロだと成り立たないゲームもある←ただしここで言うのは、馬場講座的意味での「キャラクタープレイ」ではないけれど)。
 
 アタシ、よくも悪くも、まず、キャラクタープレイの正当な評価をTRPGの内に位置づけ、→ノウハウの整理を考え→もんだいへの対処策も検討してきたい、って思考の段取りになっちゃってまして(汗)。
 それに、アタシ個人は、キャラは、みな様のおっしゃる通り、「ゲームシステム」の指し示す方向性と、緩い規制としての世界設定を踏まえて(ただし、ゲームによっては、世界像の多様性は了解されるべき)作ればよいとも思いますし。
 
>でぶ猫さんWrote「キャラプレはどの程度まで容認される?」,「プレイング研究室 LOG 015」,でぶ猫さん記,98年07月06日:01時07分35秒)
>トラウマのせいで動物虐待がすきで薬物依存の傾向のあるPCって
>インパクトはあってもウィッチクエストとかではむきませんね。

 それはそぉだと思います(笑)。
 
 アタシ的な立場の課題は、多義的な世界解釈が許容される臨界点を見いだす方法、の明確化に収束してくってことなのでしょうか?
 この件、アタシは穏健派らしく(苦笑)、今段階では素朴な対応策しか持ってないです。キャラメーク時の効果的なガイダンス、とか。
 その意味で、でぶ猫さんが書いてらした「セッション開始前に『今回のキャラはこういうやつ』というのを 数行の箇条書きにし、口癖やキャラを特徴づけるセリフ例をいくつか書き出し、マスターや他のプレイヤーに 見てもらう(自分でこういうやつ、って語るともっといいですね)という手」には賛成です。
 あと、考えてるのは、セッション中はPCをインターフェイスにしたPL間のインタラクションです。←この辺のことから、舞台演劇の実際における、「役作り」についてお尋ねする動機がアタシの方には出てきたのでした。
 
 通常の舞台演劇の場合は、脚本テクストの解釈(多義的な解釈の併存)と役者間のインタラクションが相互に影響しあって「役作り」が深まっていくと思われます。
 で、アタシが考えるに、舞台演劇での「役作り」が、「『脚本テクストの(多義的)解釈』と『役者間のインタラクション』」で進むとしたら、TRPGでの「役作り」を「『世界設定の(多義的)解釈』と『PC/PL間のインタラクション』」として捉えることはできないか? →その観点から、キャラクタープレイ的PCハンドリングのノウハウをなにがしか導きだし整理することはできないだろうか?
 以上がアタシが、T・K代表様に、「役作り」についてご質問させていただきました背景でした。
 
■補足
>T・K代表様、S様へ
#ですから、T・K代表様が気にかけてくだすってる、例の「『上位ルール』-『下位ルール』」の件は、厳密にいいますと、アタシはT・K代表さん、Sさん、でぶ猫さんのよぉな、「(よりよい)ルール制作」的な観点から考えているのではなかったのです(きょぉしゅくです)。
#アタシが考えていたのは、「ゲームの世界設定の解釈」などは、暗黙の「上位ルール」である慣習の集積のもとに成り立っている←それは決して、「一義的に解釈が確定される客観的なものではない」はず、ってことを考えていたのでした。
#アタシは、今のところGMしませんので、「PLがGMにキャラプレイを受け入れてもらいつつセッションに貢献するノウハウ」を中心に考えちゃってます。もちろんゲームデザイン的なセンスや、GM的な思考法ふまえたほぉがよいはずですので、みなさんとお話させていただいているところなのですけれど。
 
>でぶ猫様へ
#この書込み、T・K代表さんあてに、論旨を絞っちゃったので、ちょっと、でぶ猫さんの文章を、論旨に都合良く引用しすぎたかもしれません。ごめんなさい。
#でぶ猫さんの文章の引用箇所に関しまして、もし、差し障りをご指摘いただけたら、必要に応じて、補足なり、修正なりさせていただきたく思います。
#アタシとしましては、別掲示板で「話がうまく噛み合わないで疲れた」辺りの話題に関係ありそぉな部分を攻めてみたつもりなのですけれど。でぶ猫さんの観点からすると、蒸し返しにすぎないでしょぉか? もし、よろしければ、いろいろ突っ込んでやっていただけるとありがたいのですけれど。それとも、徒労感出ちゃいました??
#朱鷺田さんのところでテストプレイしたの「メガテン」でしたっけ? もしかしたら「東京天文台に行く話」ではありませんでした? アタシ、ハンドヘルドコンピュータしたまま、天文部の見学会に参加しよぉとして、確か、顧問の先生言いくるめようとしました(笑)。
#「センセェ、知らないんですかぁ? これ最新式のパソコンなんですぅ。今日の見学会の様子をバッチリ、記録しよぉと思って。アァ、なんてお勉強熱心なアタシ(舌)」←基本の路線は、今とプレイスタイル変わってないですね、ハイ(笑)。
98年07月06日:19時00分36秒
Re:キャラクタープレイとは役作りが本質であるか否か?(上) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
■「役作り」の件
>T・K代表様、S様へ
 「役作り」の件、唐突な質問に、ご返答いただきまして、ありがとぉございました。
 実は先の、「役作り」についてのご質問は(きょぉしゅくですけれど)、演劇関係のかたが、「どのよぉな意味合いで『役作り』の語を使われているか」知りたくて、やや意図的に、曖昧にお聞きした面もありました。
 
 アタシは舞台演劇を実践したことはないので、あくまで理論的な理解にすぎないのですけれど。
 演劇的な「役作り」は、
1.「演技プラン」の検討と、
2.「稽古を通じての役者間のインタラクション」、とが、
相互に影響しあって深まっていく、と言えるのではないでしょぉか?
 
 アタシは、「役者(PL)間のインタラクション」の面に重点を置いて、「TRPGのキャラクタープレイは、『演技』ではない『役作り』だ」と言えないものかと考えてみたくって、先の質問をさせていただきました。
 
■前提条件への疑念
 T・K代表さんとは意見が異なっちゃうかもしれないのですけれど。アタシは、「社会的役割演技(ソーシャルロールプレイ)/個人的役柄演技(パーソナルロールプレイ)」の「『馬場講座』的な分割法」は、ストーリーの展開に沿った自然な「役作り」を阻害するって考えています(←この件は例を挙げたほぉがよいでしょうか?)。
 
 誤解を受けることが多いのですけれど。アタシは、「ドラマ」的観点から観るなら、「『個人的役柄演技』に『社会的役割演技』を従属させる」形での、概念整理が必要だ、って主張したいだけであって、「『社会的役割演技』及び『社会的役割分担』が不要」的主張をする気は毛頭ないのです
 同じ観点から、ゲーム性のことに言及しますと、アタシの考えでは、「タイトなクラスシステムのTRPGは、ドラマ的なセッション展開には不向き」って結論にもなります。逆に、「『馬場講座』的な分け方での『社会的役割演技/個人的役柄演技』関係付け」をベースにしては、ある種のゲームのポテンシャルを引き出し得ないのではないか? との疑念も出てきます。
 例えば「深淵」。仮に「馬場講座」の定義を全て受け入れたとしても、「夢を見る」って行為はきわめてパーソナルな行為であって、社会的な役割ではない行為ですよね。アタシが思うに、「『夢歩き』を『社会的役割分担』の付加価値」って考えに文字通り忠実に、「深淵」をハンドリングしては、あのゲームのポテンシャルを引き出せないと思うのです。
 アタシの場合、ミーハーなんで「ドラマ」ってゆぅと『オイディプス王』って短絡しちゃうんですね(苦笑)。『馬場講座』的な『社会的役割演技/個人的役柄演技』の二分法」でゆぅと、オイディプスの「社会的役割」は「王」または「王族」、「英雄」って類のクラスであり、「デルフォイの予言を受けた」、「実の親に棄てられ養父母に育てられた」ってのは、社会的役割にとっては付け足し的な「個人的役柄」ってことになっちゃいます。←この概念整理では「ドラマ」は、はじまらない(笑)。「実の親に棄てられ養父母に育てられ」、「デルフォイの予言を受けた」にんげん(一個人)が運命に導かれて、「王」位についたからこそ、「ドラマ」が成立する、のではないでしょうか?
>でぶ猫さん:この話って、最近「総研」のほうで出た話にかかわるのですけれど、やっぱり「階層的に複雑な意志決定の優先度の話」には収まらない気がしちゃうのですけど? アタシが、ここで書いたのは、「PCレベルの意志決定を方向付ける前提概念の整理方のもんだい」なんです。あるいは「PLレベル/PCレベル」と別に「ゲーム的に展開されるストーリの深層としての『ドラマ』のレベル」を想定すればよいのかもしれない。
 
>でぶ猫さんWrote(「キャラプレはどの程度まで容認される?」,「プレイング研究室 LOG 015」,でぶ猫さん記,98年07月06日:01時07分35秒)
>キャラプレ派の鍼原さんなどがどの程度までやってるかは、わからないのですが。

 アタシが「キャラプレ、キャラプレ」と騒ぐので、誤解されちゃってるみたいなのですけれど(苦笑)。実はアタシは、キャラプレ擁護派としては穏健なほぉなのです(笑)。
 だって、「タクティカルな最適行動をキャラの『役作り』より重視する」タイプのPLさんとも、(ゲームによっては)同卓で、互いの志向性を尊重しあって双方が満足する結果を達成すべく勤めちゃいますし。「キャラプレはゲームシステムを利用しなくては、円滑に運ばない」点にも賛成しちゃいますし。
 ただ、システムの解析&世界観の解釈方法を「馬場講座」的なものと違う観点からしてもよいのではないか? 少なくとも、別の観点を要請するゲームシステムもあるだろぉ、ってだけなのです。補足するなら、「タイトなクラスシステムのゲーム」に関しては「馬場講座」的解析&解釈のほうが適合性が高いだろうと思います(←ね、穏健でしょ;笑)。

#ここで、「馬場講座」を支持するみなさまにおことわりしておきますけれど、上記のアタシのコメントは、「『馬場講座』的な分け方での『社会的役割演技/個人的役柄演技』の関係付け」 について言ってるのであって、「TRPGにおける目的概念の『多層』性」などについて疑念を表明してるのではありません。

 〜続く〜
98年07月06日:18時16分25秒
ちゃちゃです。 / まこ
 またこっそりパソコン使ってるボク (笑)。
 なーんか、おにーちゃん (T・K代表) とSさんとで寄ってたかって恥ずかしいコト書いてますケド、気にしないで下さいね (^^;;;)。
 
>Howlingさんへ
 いやぁ、その (笑)。「この素晴らしい兄妹に神の祝福を」 ですよ。あの標題にかなりエグられました (笑)。
 
>GMNさんへ
 日本三大都市とは無縁で〜す (笑)。
 でも、結構、行ってたらしいんですよ、コンベンションとか、他のサークルとか。で、なおかつ実情が分かんないらしくて。
98年07月06日:12時21分09秒
T・K代表さんへその3 / Howling
GMNさんに先に言われちゃったい。ここで質問するのはそれはそれで有意義です。(ていうか、読んでいるだけでも十分、有意義ですもんね。)でも、コンベンションに行くのは良い情報収集になりますよ。特に、他のグループの様子を知るには非常に適した場です。全員の都合を合わせる必要もないですから、各個人が都合の良い日程のコンベンションに参加すれば良いですし。むしろ、問題なのは仲間内の奴らが8、9人で40人規模のコンベンションに行った時とかに、同じ卓についちゃうともったいないって事かな。わざわざ、出かけておきながら、いつもと同じ要素が多い状態でプレイするのはもったいないと思うから。

一連の書き込みを読んで思った事は「数多くの経験」「きちんとした考察」「様々な分野の有識者による視点」などに裏打ちされた柔軟かつしっかりした「遊び方」を育んでいるなという事です。(現在進行形なのはこれからも発展しそうだからです)私はそこまでやりこんでないんですよね。もちろん、考えた事を明文化して、考察するなんてこともしてないし・・・尊敬しちゃいます。
是非、コンベンションにも参加して、素晴らしい「遊び方」を外でも見せて欲しいです。(出来れば、私もその場に居合わせたいものです。)

余談ですが、なんでも、だいぶ前の私の投稿でまこさんが泣いてしまったそうで・・・あう、Sさんの話からすると泣かせる様な奴も死殺か(--;いや、うれし泣きなんでしょうか?(文章の流れからそうだと思うのですが)それならセーフですよね。(^^;
98年07月06日:10時28分12秒
T・K代表さんへその2 / GMN
>自らの姿を正しく認識する事もない内から割り切れる筈がないのです。
 
 それならここで100回質問するよりも1度コンベンションに行ってGMするなりプレイヤーするなりした方がよっぽどためになると思うです(^^;
 
 私も昔は自分のマスタリングやプレイスタイルが外で受け入れられるものなのかどうか不安があったのですが、関西深淵オフやRPGMLの例会に参加させてもらって「完全に受け入れられてるかどうかは解んないけど、何とかなってるみたい」と思いましたし(妄想だったりして(爆))
 
#関東にお住まいでしたら深淵CONなぞどうでしょう? JGCでもなんかやられるそうです(と宣伝)
98年07月06日:08時07分30秒
Sさんえ / でぶ猫
 まず、私の書いた「どこまでゆるされる?」ということに補足を。
 これ、仲間内はともかく、コンベンションなど見知らぬ人とプレイする場にいった場合や、外から 初めての参加者(まこさんのように、ずっと見てた人でなく、RPGの点では完全にファーストコンタクトな人)を 迎えた時に、浮いたり、呆れられたり、ついてけずに疎外感を与えない程度を意識しています。
 
 >「歯止めのルールの存在は是か非か?」 って事につい て、一つ、意見くれません? 
 
 ルールで歯止めをかけるのはおそらく無理なんじゃないかと思います。
(いったいどんなルールを作ればいいのだろう?)
 どちらかといえば、マスタリングとプレイヤ本人の問題ではないかと思います。プレイヤーが「こりゃやりすぎかな?」と ブレーキをかけたり、マスターが「この世界のこの時代にゲイなんて概念はないよ」と軌道修正の誘導を出したりするくらいしか ないように思います。
 ☆歯止めなんかかけず、とことんイっちゃうってのも手ですね。仲間内でやってるかぎりですが。これはこれで楽しいとは思いますよ。特に 徹夜あけのナチュラルハイな状態や、酒なんかのみながらやると(こらこら)
(脇道ですが、以前、少しメールを交わしたことのあるフロリダ在住のある奥さん(日本人)の話によれば、旦那さん(米人)のマスターで友人と やるRPGではピザとビールがかかせないそうで・・・)
 
 歯止めをかけるより、ゲームにコンセプトがあるように、キャラクターのコンセプトを明確に認識 するなどの発展的な方法がよいかも知れません。
 例えば、セッション開始前に「今回のキャラはこういうやつ」というのを 数行の箇条書きにし、口癖やキャラを特徴づけるセリフ例をいくつか書き出し、マスターや他のプレイヤーに 見てもらう(自分でこういうやつ、って語るともっといいですね)という手もあります。
 そうすることによって他のプレイヤーにも「ああ、そういうやつ、」と伝わりますし、自分でもより明確にどんな キャラをやるのかが深まるでしょう。また、他の人のキャラコンセプトに刺激されることもあるでしょう。
 また、相手のコンセプトがわかれば、相手のキャラをいかして自分のキャラがおいしい場面をいただくという駆け引きもできます。(渋い脇に徹するもよし)
 ☆目的は開始前におたがいに「む、やるな」と刺激しあうことですね。
 
 PS
 >えぇと、T・Kエセ代表、まだ立ち直ってません (笑)。
 
 うーん、なんか責任を感じる(^^;
98年07月06日:06時44分02秒
類型打破に伴い得るカオス化に対する安全弁 / S
 アイデア思い付きましたっ!!!(笑)
 キャンペーンみたいな長期型のプレイでも、コンベンションみたいな一期一会のプレイでも、どっちでも対応可能っ!!!
 しかも、「プレイ後に合議制で話し合う」 みたいなストレス溜りそーな方法なんて目じゃないっスねっ!!!
 ただ、参加者全員の価値観が既にカオス化してりゃ全く無力っ!!!(爆笑)
 
 ……まぁ、それ以外のアイデアとしては、冷え込んだRPG業界に対する活性剤(笑)たるべく、「キャラクターのイメージソースをトレーディングカードみたいな形で提供して、これを組み合わせる」 ってな方法がありそーだけど、僕個人としてはこんな金掛かりそうなの激烈にイヤだしなぁ(笑)。
 大体、チャートか何かで済ませりゃいいものをアコギ過ぎ (笑)。
 それに、自由な発想を縛り付けがちかも。
 
 ……それにしても、もう朝かよ (笑)。今日は死ぬな(笑)。
 
 T・K代表:「いいから早く帰れ、オマエは。大体、プレイング研究室の今の流れを破壊しとるのだ、その書き込みは」
 S:「……分かった、退散しよう。しかし、その前にまこちゃんの寝顔を拝ませてはくれぬか」
 
 死殺。
98年07月06日:04時25分10秒
訂正とお礼 / T・K代表
● 訂正
 立ち直りました。T・K代表であります (笑)。
 試験的な、叩き台的な考え方とは言え、でぶ猫様が懸案される通り、やや語弊を生じさせかねないので、訂正する事に致しましょう。
 プレイング研究室LOG 015、「キャラクタープレイとは役作りが本質であるか否か?(>鍼原様へ)」 中の、
 
>キャラクタープレイは更に 「必須」 と 「付加価値」 に分ける事ができるのではないでしょうか?
 
 この辺りの 「必須」 という表現を、「よりRPGを楽しむ為に“必須”」 と言い換えましょう。
 でぶ猫様、お手数掛けて申し訳ございません。
 
● 鏡氏へ
 大変、恐縮致しました……正直、まだ冷静ではありません。
 しかしながら、数々のお褒めのお言葉、辞退させて戴く次第であります。
 我々が目標足り得るなら、この掲示板にはそれこそ“神”にも等しい方々がおられる事になります。
 後日、改めてお礼申し上げます。
98年07月06日:03時16分30秒
LOG 015 / sf
 プレイング研究室 LOG 015として1998年06月26日から1998年07月06日までのログを切り出しました。

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