マスタリング研究室 LOG 010

マスタリング研究室の1998年06月19日から1998年06月22日までのログです。


1998年06月22日:08時00分24秒
世代論の話は・・ / でぶ猫
ここ(マスタリング研究室)よりimproveかtrpglabo向きの 話題ではないでしょうか?>各位
 
 ☆少なくとも、最近のはそうでないように思います。
1998年06月22日:03時13分58秒
交渉がうまくいかない・・・ / 骨喰藤四郎吉光
俺が交渉に対して思っていることは。
交渉が成功しないために先に進めないシナリオは、マスターの無能か、プレイヤーが無駄な事をしているかのどちらかでしかない。
ということです。
交渉が失敗した場合、プレイヤーが次にうてる代替手段がない、または交換条件が用意されていない、ほかの方法では情報などが入手できない・・・
そういう交渉は、そもそも失敗の許されない交渉といえますし、プレイヤーの努力に関わらず失敗の可能性はあるのですから、そういう条件を用意するべきではないのです。
または、そもそも交渉に成功しようが失敗ししょうが、シナリオ上絶対に譲歩できない場合というのも存在します。
いえ、そんな状況を作る方が悪いんですが、それに何時までもこだわられてもね。

その上で、キャラクターになりきりたいが為に交渉のスタイルや方法にこだわりたいというのなら、それはプレイヤーの勝手ですから、それがゲームシステムを逸脱するのを認めるかどうかはゲームマスターの裁量の範囲でしょう。


1998年06月22日:02時55分22秒
よくわかりませんが? / 骨喰藤四郎吉光@旧雪だるま
俺は「第三世代型」と呼ばれるものは決して進化でもなければ、誰もがたどる道筋でもないと思っています。
それは、自己の分身たるキャラクターが、一つの物語を紡ぐことと言えますが、それは「キャラクターの演技やロールプレイ」などなくても、行動の意思決定とルール上の行動の積み重ねで十分可能であるし、キャラクターの演技といった要素は付随的な要素にすぎないからです。
プレイヤーがマスターの用意するさまざまな材料に対して何らかの意思決定を行い、結果としてストーリーが紡がれる、これは別にD&Dだろうが、RQだろうが、どんなRPGでも可能です。
新しい材料や新たなストーリーへの導入の提示をプレイヤーからすることを禁じているわけでもありませんし、キャラクターを一個のユニットとして考えていたとしても、プレイヤー=キャラクターであれば意思決定にはなんの 問題も生じません。

 が、「キャラクターロールプレイ」については、どうも、キャラクターに個性や特徴を付加し、そのキャラクター自身になりきって、演技をしたりという感じで使われているようにおもえますが、それは単にキャラクターへの愛着からより個性付け、思い入れを強化しているだけであって、プレイヤーのすべてが誰もがそうなるわけでも、そうしなければならない訳でもないでしょう。

 ストーリーを作る、その共同作業に楽しみを見出すのであれば、それも良いでしょうし、ゲームとしての部分に面白さを見出すならそれも善しでしょう。
どちらもTRPGの楽しさだといえるからです。
が、「キャラクターロールプレイ」こそが、より進化したRPGの姿だと考える事は、ルールシステムからも、一般的なプレイスタイルからも必然的には導き出せないものだと思いますし、それをやらないプレイを卑下するような言い方はおかしいと感じます。
むしろ、それはキャラクターへの愛着と虚構世界での創造による達成感とある種の自己実現喜びを備えたプレイだといえるでしょう。が、それが新たなTRPGのスタイル、遊びかたと考えることは否定できません。
確かにそういった側面もありますし、それをよかれとする人が存在するのも確かでしょうから。
1998年06月22日:02時43分03秒
そういう発展でいいのかな / ベン
 創造的TRPGが必然かどうかはともかくとして(わたしは長い間 RPGしてますし、 キャラクタープレイも奨励するほうですが、それが一定レベルを越えて発展したこ とは無いし、それゆえ創造的RPGの経験もない。ので、いまのところ根拠のない まま「必然」という言葉が使われている、という印象です)、キャラクタープレイ の部分でより発達したプレイヤーはそういうプレイに行きやすいのはわかるんです よ。で、キャラクタープレイの面で未熟なプレイヤー(最初はみんな未熟ですよ、 キャラクタープレイなんてたいへんなことは)たちに対して、この新しいタイプの RPGはどうアプローチするんでしょうか。
 
 今のRPGで腕を磨かないとそこにたどり着けないのなら、亜流にとどまります。 いきなり創作的RPGからはじめるほうが簡単だとか、すくなくとも同程度に成立 しうるなら、あたらしい発展形として発展できます。
 
 さて、どっちなんでしょうか。
 
 ちなみに私見では、私はいままでそういうプレイを体験したことがないし、「P Cだと思って一番ふさわしいと思う行動を、ストーリー全体としてうまく創作でき るように_表現_して」というのを慣れていないひとに要求するのは、経験上非常 に困難だと認識しています。「扉開けるだけなら『あける』でいいよ、なにも思い つかなかったら」と言うと安心して、やっと進行するという場合が多いのです。そ れ故の疑問です。キャラクタープレイは盛り上がるし面白い。これは賛成。でもキャ ラクタープレイは分かりにくい、説明しにくいのです。なにも基準がないから。こ の部分を発展させて誕生する形式、というのは、よりよい形といえるのかどうか...
 
 つまり、現行のRPGからまず_プレイヤーとして_ステップアップしてからで ないとうまくできない、いきなりではかなりの労力と慣れが必要なのであれば、そ の方向に発展するということは間口をせばめることにならないか、という疑問があ るわけです。
 
 発展するならば、より分かりやすくて_なおかつ_充分に面白い方向に行くべき ですが、そういう方向なのかどうか、いまは疑問です。誕生以降、ただでさえ分か りにくい方向に発展してきたRPGが、なおのこと分かりにくい、説明し難い方向 に行っているような気がします。
 
 もちろん、創作型といわれるスタイルでデザインされたRPGがデザインされる ことについてはいいんですがね。こう、そこがRPGの発展の必然的方向かのよう にはちょっと考えられない、というところですね。
 
 それによってより分かりやすく、面白くなればいいんですが、どうもそうは見え ない。発展はしているのかもしれないけど、より狭い方向に発展しているにように 見えてしまいます。分かりにくいから。
 
1998年06月22日:01時54分31秒
コミュニケーションの難しさ もしくは3327さんへ / 速水螺旋人
 うわあ、土日と見てなかったら、えらく進んでやがんの。
 とりあえず、直接おいらと関係ありそうな話題にしぼってみよう。
 
>数人が寄り集まって、机つなげて、コーラかっくらってわあわあ言う、というスタイルには、それなりのノウハウの蓄積があるのではないかと(笑)。 (98年06月20日:04時32分23秒「TRPGの定型 ……案外あるような気がする」より)
 という僕の意見に対して、
 
>と書かれたようですが、私はこんな雑談にノウハウも何も存在も必要も無いと思いますし、こんな事にノウハウが必要になるようなら、おっしゃるようなパターンのゲームなど不可能です。ってゆうか、こんな事がノウハウなきゃできないなら、人間として程度低すぎですね。
 とレスを頂きました。
 うーん。まず前提として、「数人が寄り集まって、机つなげて、コーラかっくらってわあわあ言う」というのが、ごく一般的なセッション風景の比喩だというのはご理解いただけますね?
 で、続けますが、単なる雑談ならいざ知らず、一定のベクトルを持ったシナリオを、共同意識を持って、気持ちよくしゃべりながら進めていく、というのは、そんなに「できて当然」なことでしょうか?
 
 勿論、専門に勉強せねばならない、難しい高級テクニックが必要だ、とは言いません。
 どちらかといえば、社会生活を送る上でわりと必須な能力です。
 しかし、他人に不快感を与えず、かつある程度の「芸」を提供し、そして自分の行動をはっきり表現する、という技術は全員が全員はじめからこなせる技術ではないはずです。
 3327さんが学生の方か、社会人かは存じませんが、様々な会議やミーティングの場で、「こいつ、何か勘違いしてないか?」とか「何考えてるんだろう、こいつは」とか「おいおい、さっき言ったことと今言ったこと、違うよ」という困った人達を見たことはあるはずです。
 主観なので断定はできませんが、そういう人は珍しくないどころか、非常に多いと思います。
 RPGは、いろいろと優れた面のあるホビーだとみんな言っていますよね。
 でも、優れたホビーにしては、問題が耐えないと思いませんか?
 例えばセッション中の「困ったPL、GM」についての報告など、それこそこの掲示板でいくらでも見ることができるはずです。
 決して「一部の例外」と断定できる程度の量ではないでしょう。
 このような問題は、TRPGが「複数の人間によるコミュニケーションによって成り立っている娯楽」によるものだからではないでしょうか。
 
 楽しく円滑に意思を疎通すること、というのは、簡単ではないのです。
 なれている人でも、失敗しうるのです。
 反対に言えば、セッションをめぐって口ゲンカが起きたこともない、順風満帆なTRPGサークルなど、想像できますか?
 否、円滑なコミュニケーションが簡単ではないからこそ、それらを克服する事を試みるTRPGが面白いのではないでしょうか?
 
 そして、コミュニケーションに慣れていない人達を捕まえて「人間として程度低すぎ」というのはあまりに傲慢な意見ではないでしょうか。
 これは冗談ですが、傲慢なのは構いません(笑)。僕だって傲慢です。でも、「人間として程度低すぎ」とは……、ちょっと。
 敵増やしますよ(笑)。傲慢であると同時に、狡猾でありたいですね。
 
 そして、僕はこのようにコミュニケーションに慣れていない人が少なからずいるので、なおさらTRPGにマクロな定型があってもいいのではないか、と思ったのです。
 「カタチ」があれば、コミュニケーション下手な人でもルールに則って、少しずつ慣れていくことができるじゃないですか。
 
# 余談
>あの、こんな席でのことで人を馬鹿にする奴が実在するんですか? 居たとして、その人物は 「ああ、あいつから何いわれても気にするなよ」 的な扱いを受けないんですか?
 たとえば、古参ゲーマー3人と、初心者1人がプレイヤーのテーブルがあったとします。こんな会話はあり得ないでしょうか?
 古参ゲーマーA「おいおい初心者君、その行動はアカンで。マジか?」
 古参ゲーマーB「そや、なんでそんなんすんねん」
 古参ゲーマーC「なに見とってん」
 初心者「……」
 これって、故意ではないかもしれませんが、初心者にしてみたら「バカにされた」わけですよね。
 「あいつから何いわれても気にするなよ」ということにもならないと思います。
 ちょっと狙いすぎの状況かもしれませんが、他の掲示板でも最近話題になってましたよね。コンベンションでの初心者との会話、という感じで。
 
 百歩譲って程度が低すぎ、という表現が正しいとしても、TRPG人口の中で、そういう人達の割合は少なくはないでしょう。
 それなりの数がいる以上、程度が低すぎ、と斬って捨てるべきではないでしょうね。
1998年06月22日:01時19分49秒
お返事ありがとうございます、3327さん / 河嶋陶一朗
 >コーラを飲んでバカ騒ぎをしているような時に、「自分はこの人たちの前で馬鹿なことを言っても大丈夫なんだろうか?、
 >この場での物言いを根拠にのちのち悪いことが起らないだろうか?」 なんて考えるワケですか?
 >そんな席でだれが何を言おうと、「ばか話の席で馬鹿をいった」 だけでしょ?
 
 3327さんのおっしゃることも理解できますが、理解できない人、理解はできるが感覚的にそれを行えない人は
 たくさんいると思いますよ。特に若い子の中にはたくさん。
 そうした若い子たちの悩みは、歳をとってみれば何でもない、それこそ「程度の低い」
 悩みに変わってしまうかもしれませんが、
 リアルタイムで悩んでいる子にとっては、結構深刻な問題なんだと思います。
 それに「彼ら」の多くはそんな自分がきらいで、でも自分を変えられなくて悩んでいるのだと思います。
 そのように、うじうじ悩んでいるからといって、
 「程度が低い」
 とその人の全人格を否定するような物言いは、やっぱり納得いきません。
 なんか、「程度が低い」って言葉に河嶋が過剰反応してるのかもしれませんが、
 3327さんの言いたいことが何となく分かるだけに、その言葉を肯定できません。
 「程度が低い」と言われて傷つく人の気持ちを分かってやれ、
 なんて言いませんが、そう言われて傷つく人がいる、ということは覚えておいてほしいです。
 その上で、あえて「程度が低い」とおっしゃるのなら、河嶋はこれ以上何もいいません。
 分かっちゃいるが「あえて言う」という姿勢は、河嶋にも理解できますし。
 掲示板に関係ない発言、どうも申し訳ございませんでした。
1998年06月22日:01時06分02秒
創作型TRPGは、より新しいTRPGの一つの姿であり、一部で特殊進化したものではない。 / SHiN
3327さん
 >陽陰さんが上げられた4点は、世代と言う言葉を使っていなければまったく関係ないは ずです。ある地域/グループの特殊な進化/変化を取り上げてるのであれば、私も誰も 何も言わないと思いますよ。 少なくとも私はね。

 
 これは、いわゆる議論の思考停止をひきおこす相対主義に近いものなのでは?
 
 さて、私が、あえて第三世代として、創作型TRPGを 設定した理由を改めて述べさせていただくと、
 
 1)TRPGにおいて、キャラクターロールプレイの発展は、必然的に起こりえる事象である。
 
 2)キャラクターロールプレイの発展は、ミッションクリア型にかわる創作型TRPGの出現をひきおこす。
 
 という、この2点においてです。
 ゆえに、
 この創作型TRPGは、(『三』という数字が正しいかどうかは、別として) 第三世代型TRPGと呼ぶにふさわしい、 TRPG全般において起こりえる進化/変化なのです。
 
 わたしは、これまで、ここでいう第三世代型、創作型TRPGは、 既に定着しているものというスタンスでお話ししてきました。
 この考えは、今もかわりませんが、一方で、 いまだ、第三世代型に達していない人の存在も考慮しお話ししていくことにします。
 
 が、特定方向にTRPGを定義してしまい、それを絶対論とするといった 歪んだ形でスポイルされてしまわない限り、
 ほとんどのTRPGゲーマーが、第三世代型、創作型TRPGに移行するという ことを予言できます。
 
 逆に、「それらは、一部地域、一部グループにおける特殊な変化だ」 とおっしゃるなら、その根拠を示していただきたいです。
 
 わたしは、それらが、一般的に起こりえる進化/変化の形であるということを、
 
 1)TRPGにおいて、キャラクターロールプレイの発展は、必然的に起こりえる事象である。
  
 2)キャラクターロールプレイの発展は、創作型TRPGの出現をひきおこす。
 
 として、示しました。
 これに対する反論でもかまいません。
 
 で、断わっておきますが、Sinさんのプレイスタイルそのものは、 明らかに特殊なものです。一般的に、どんな場でも、自然発生するとは考えられません。
  
 が、その魅力のエッセンスを抽出した場合、 第三世代型の一つの形として認められると思います。
(わたしの、Sinさんのスタイルを第三世代型と定義した上での 解説が的を得ていたことを、Sinさんに確認いただいたことで、 少し、自信がでました。)
 Sinさんが、「この自分たちのプレイこそ第三世代型だ!」 とおっしゃらずに、自分たちは、 私や建さんのいうところの第三世代TRPGを実践していると発言している 点にご注意ください。
1998年06月22日:00時25分59秒
お返事各種 / 3327
まず、YANさんのおっしゃる通りお返事を待つことにします。
しかし、現時点ですでにいくつか分かっていることには・・・
20〜30シーンのそのたびごとにマスターが変わっている訳ではない。
マスターの権限は極めて強い (使う回数と強度は無関係である。強度は極めて強いらしい)。
開かれた形式ではなく、固定メンバーの中でのみの手法らしい。
他にもいくつか判断材料として拾えるものが有ります。
ですが、まずこの間おききした1から4に関してはっきりとお答え願いたいです。
また、今回新たにお聞きしたいのですが、創作をなさってるんでしょうか、ゲームをなさってるんでしょうか。それとも他の何かをなさってるんでしょうか?

それから、個人のエゴを〜のエゴは(抜粋)個人の暴走による無法状態を〜(抜粋) のようなものを指しており、
(抜粋)有事の責任の所在を明らかにし、ディスカッションに多くの時間を割いている(抜粋)このようなことがらこそ、聞きたいことであり言うべき事であり、重大な抜けです。この抜けに併せて 「マスターの権限が弱い」 と書いてあるのであれば、私の判断は自然なものですし、認識した現時点では当然修正します。

しかし、陽陰さん、まとめるの上手いなぁ。私から付け加えて一つだけ。
陽陰さんが上げられた4点は、世代と言う言葉を使っていなければまったく関係ないはずです。ある地域/グループの特殊な進化/変化を取り上げてるのであれば、私も誰も何も言わないと思いますよ。
少なくとも私はね。

さて、はなし変わって >ってゆうか、こんな事がノウハウなきゃできないなら、人間として程度低すぎですね。 に関するレスに対してです。
コーラを飲んでバカ騒ぎをしているような時に、「自分はこの人たちの前で馬鹿なことを言っても大丈夫なんだろうか?、この場での物言いを根拠にのちのち悪いことが起らないだろうか?」 なんて考えるワケですか?
そんな席でだれが何を言おうと、「ばか話の席で馬鹿をいった」 だけでしょ?

「この人たちとならバカをしてもいいんだ」
「バカをしたからといってバカにはされないんだ」
あの、こんな席でのことで人を馬鹿にする奴が実在するんですか?
居たとして、その人物は 「ああ、あいつから何いわれても気にするなよ」 的な扱いを受けないんですか?
私は、こういう無視されるべき人間や、気にしなくていいことでうじうじ悩む人間に対して程度が低すぎると思います。
1998年06月21日:23時31分59秒
第三世代に対する批評に関するレスのレス / 陽陰
 SHiN氏の「陽陰さんが、創作性を否定してるって思ったわけではないです。 / SHiN」で仰っているまとめ、で、構いません。
 ただ、その中の反論に関しては、実は反論があるんですが、此処でそんなことを詰めてっても仕方ないんで、次に行きます。
 それに、SHiN氏の仰ってることも判りますので。
 
 再現性問題については、骨喰藤四郎吉光氏が「再現性のある最適行動? / 骨喰藤四郎吉光」にて、上手にまとめて居られるので、言葉を重ねませんが、「私からの」説明が必要なら、言ってください。>>鍼原氏
 
 まあ、結局言いたいことは、以下の通りです。
 ・ゲームじゃないんなら、RPGという枠にとらわれない方が良い創作が出来るんじゃないでしょうか?
 ・他の集団で同じことが出来ますか?本当に初心者を含めた人々全員がこのように創作的な作業が出来るのですか?
 ・それを行うことにより、「ある程度一般的ではない能力」を持った人だけに限定された展開になりませんか?
 ・一般的にそれを展開した場合、本当にセッションのミス率は低いんですか?
 ってことです。
1998年06月21日:23時30分00秒
第三世代に対する批評に関するレスのレス / 陽陰
 SHiN氏の「陽陰さんが、創作性を否定してるって思ったわけではないです。 / SHiN」で仰っているまとめ、で、構いません。
 ただ、その中の反論に関しては、実は反論があるんですが、此処でそんなことを詰めてっても仕方ないんで、次に行きます。
 それに、SHiN氏の仰ってることも判りますので。
 
 再現性問題については、骨喰藤四郎吉光氏が「再現性のある最適行動? / 骨喰藤四郎吉光」にて、上手にまとめて居られるので、言葉を重ねませんが、「私からの」説明が必要なら、言ってください。>>鍼原氏
 
 まあ、結局言いたいことは、以下の通りです。
 ・ゲームじゃないんなら、RPGという枠にとらわれない方が良い創作が出来るんじゃないでしょうか?
 ・他の集団で同じことが出来ますか?本当に初心者を含めた人々全員がこのように創作的な作業が出来るのですか?
 ・それを行うことにより、「ある程度一般的ではない能力」を持った人だけに限定された展開になりませんか?
 ・一般的にそれを展開した場合、本当にセッションのミス率は低いんですか?
 ってことです。
1998年06月21日:19時10分17秒
情報不足によるシナリオの停滞 / 河嶋陶一郎
 総合研究所において、98年06月21日:12時27分13秒、「Re:交渉判定について」という書き込みの中で鍼原さんがこう書かれてました。
 >どんなに、PLの交渉がうまくたって、TPOとキャラクター性に適合しない交
 >渉は、GMさんはバンバンペナルティをつけちゃえばよいです。
 >もし、PLさんが強引に、キャラクター性にあわない交渉をロープレで演じて
 >きた場合は、それを逆手にとって、交渉失敗させる簡単なテクがあると
 >思います。アタシGMはやんないけど、キャラクタープレイ未熟なころ、GMさん
 >にさんざん、かまされたから大体わかる(笑)。
 
 鍼原さんの意見はおおむね正しいかな、って思ったんですけど。自分のトラウマ(笑)に触れたんで、ちょっと。
 自分がマスターする時、よくシナリオ進行なんかでトラブルが起きます。特にシティアドベンチャーなんかで多いです。どんなトラブルかというと、
 
 「情報不足によるシナリオの停滞」←あ、これがトラウマです(苦笑)。
 
 マスターをする時、進行役的にはシナリオが先に進まないんで、「情報を手に入れて欲しい」と思うけど、ジャッジ的には「TPOとキャラクター性」も大事かなぁ……と思い、情報を与えらず、シナリオが停滞してしまう、というヤツです。マスターをやられた方なら、結構経験があるんじゃないでしょうか。
 マスターとして公平かつ的確にルールやロールプレイを「ジャッジ」しなければいけないと思う反面、快適な「進行」にも気を配らなければいけない。特に河嶋は社会人なんで、時間とか結構貴重ですし、ペナルティを与えることでプレイヤーにストレスを感じさせすぎても悪循環に陥ることが多いかなぁ、と。
 また、トラブルを避けるために「もっと動いてよ(キャラを動かしてよ)」とプレイヤーにマスターが要求している場面を見かけます。進行に悩む河嶋としては、よく分かる意見なんですが、プレイヤーにしてみてたら、自分の「キャラクター性」に縛られてがんじがらめになってるんだと思いますし。プレイヤーはプレイヤーで悩んでいるのでしょう。
 まぁ、色々と考えながら自分の中で優先順位を創り、最近はマスターをする時もプレイヤーをする時も「進行」を優先していたのですが、鍼原さんの意見を読んで、もう一度考えてみたい、と思ったことがありました。
 
 「情報収集において進行とペナルティを両立できないか?」
 やっぱ、ミッションクリアも面白いけど、のびのびキャラプレイとかロールプレイしたいですもんねぇ。で、そうなった時にマスターに望むのはあくまで「進行」はうまいんだけど、ペナルティはしっかり与える方法でしょう。「自分のロールプレイのせいで、プレイが長引いちゃうんじゃないかなぁ〜」なんて悩んでたら、面白いロールプレイなんかできないですしねぇ。
 
 とりあえず皆さんのアイデアをお聞きしたいかも。
 河嶋も昔いろいろと研究(笑)して、いくつか思いついてるんで、あとで書き込んでみようと思うんですが……
 あ、もちろん「進行に問題与えてもいいじゃん」とか「それはミッションにこだわり過ぎるから起こる問題じゃない」なんて意見もお聞きしたいです。一応、河嶋は昔気質なミッションクリア型のシナリオが好みなんですが、それ以外も嫌いじゃないんで。というより、TRPGバカな河嶋は大抵のゲームなら、「面白れぇ〜」っていっちゃいますし。色々なご意見をお待ちしております。
1998年06月21日:17時35分56秒
どういうプレイでもいいんだけど... / ベン
 え、僕は第2世代だろうが第3世代だろうが気にしませんが(といよりも、プレ イヤーに世代はあってもRPGに世代なんてあんの?)、ひとつはっきりしている こと。それは、どのようなスタイルも、共通の基盤を破壊しない範囲だけで許され るのです。
 
 例えばあるセッションで一方はダイス振り(だけ)を、一方は創作活動(だけ) を楽しみに来ていたとします。双方全力で遊びます。で、両者がそれを「RPGを やっているんだ」と主張したとします。
 
 はたして、セッションは可能なんでしょうか?
 
 この両者は「RPG」という名で違うものをやろうとしています。これではセッ ションは成立しません。一つのゲームに対する共通の認識がないのです。
 
 そう、「共通の基盤」です。多くの人が「共通の基盤」をないがしろにする(ま たそう見える)意見には反発するものです。共通の基盤をないがしろにするものが 広まらないように自己防衛するわけです。まあ、反応が過剰の人がよくいますがね。
  
 上記のセッションの例の双方が間違っていることが、ないがしろにしていること があります。いままでの話からいくと「ははあ、システムを無視しているってこと だな」と思うかもしれません。違います。双方ともシステムの枠内で、よりダイス 振りを楽しもう、創作活動をしようとこころみるからです。では、彼らは何の問題 もない? おおありです。なにしろセッションが成立しないから。では、何なので しょう。
 
 ここで私たちは「RPG」について考えるのをやめる必要があります。「RPG」 というのは一定の枠を持つゲーム「分野」ですが、個々のゲームそのものではありませ ん。私たちが実際に遊んでいるもの、そのものに焦点を当てるべきです。我々が遊 ぶのは「RPG」という分野ではなくて「クトゥルフの呼び声」であり「ソードワー ルド」であり「トーグ」という個々のゲームです。人生ゲームとモノポリーにおける 共通認識を確立しようとしても無理な話です。
 
 RPGにおいて最も守るべきものは、参加者の共通の基盤である「システム(世 界観を含む)」です。しかし個々のゲームにおいて注目すべきなのは、その個々の ゲームの特徴を表す「デザイン・コンセプト」なのです。もし、いろんな場所でも
(コンベンションでも)まともにRPGをプレイしたいなら、デザイン・コンセプ トだけはないがしろにしてはいけません。これを無視すると、卓を囲む人それぞれ が違うゲームを遊ぶことになります。コンベンションでプレイするのは「RPG」 ではなく、「トーグ」であり「ソードワールド」であり、「クトゥルフの呼び声」 であるはずです。RPGというゲームを論ずるならば、俯瞰ではなく、この視点か らかんがえるべきです。クトゥルフの呼び声をクトゥルフの呼び声として遊ばない と(つまりデザイン・コンセプトに沿って遊ばないと)、内輪ではともかく、世の 中では通用しません。(やったら困ったちゃんあつかいされて、この会議室をにぎ わせるだけでしょう。「ロールプレイしてただけだよ!」 ロールプレイも、その ゲームの枠内でないとダメでしょう。)
 
 さて第3世代。いや創作重視。Sinさんのいわれるようなセッションは、私は経 験がありませんが、そういうのが成立する場合があるとは伝聞で聞いています。そ してそれに向いているシステムもたしかに存在します。まあ、N◎VAなんかだと、 PCが複数の勢力に分かれて行動し、シナリオとして真相の設定はあるものの、プ レイヤーが実際にどう行動するかはセッション時まで全く予測がつかない、という ことがあります。しかし、このスタイルはそれほど多くのRPGには適用できない、 というのが僕の認識でして、それゆえRPGムーブメント全体の傾向として見るに はいささか抵抗があります。というか、そう思って欲しくない。
 
 N◎VAでそういうプレイができるのは、創作重視のプレイがN◎VAという 一つのゲームの「デザイン・コンセプト」と大きくかけ離れていないからでしょう。 同じことは「深淵」にも言えます。深淵ならこのプレイはおそらく可能です。個々 のPCが独自に行動することを前提にしている節がありますので、個々のPCは
「運命」という自己目標に沿って行動しますから。コンセプトの範囲内だから、 無理なく行えるのです。
 
 しかしこれをD&D(特にダンジョンもの)でやるのは迷惑なだけです。私はソー ドワールドのプレイヤーはしょっちゅうしますが、できればソードワールドでも遠 慮したい。RQならば(個々のPCがカルトによって特徴づけられるため)可能か もしれない。トラベラーだと遠慮したい。
 
 と、個々のゲームには「デザイン・コンセプト」があり、それに沿ってプレイす ることが期待されています。僕は第2世代でも第3世代でも創造性重視でもキャラ クタープレイ偏重でも何でも、楽しいようにやればいいと思いますが、でもそれを 主張するあまり個々のゲームの「デザイン・コンセプト」までもないがしろにして しまわないかと思い、口を出してしまうことがあります。
 
 ゲームをする上で何を重視するかは個々人の勝手です。しかし、「○○とい うゲームをやっているんだ」という共通認識が壊れるようなことはやってはいけな いと思うし、また正しくもないと考えています。
 
 結論。創作重視のセッションは成立しますが、ゲーム・コンセプトがそれを許 容しない場合は行うべきではない(でないと共通基盤が壊れる)し、行うこと自体 がコンセプトを無視する行いなんで、ゲームを選んでするべき。
 
 てとこでしょうか。ゲームデザイナーが「創作重視」なコンセプトでゲームをデ ザインすることは別にかまわないんじゃないかな。すくなくともコンセプトがない よりははるかにましですね。
1998年06月21日:03時10分11秒
YAN/矢野 聡一郎さんへ(2) / Sin
 そのシナリオはキー・アイテムを入手するために主人公達がダンジョンに潜るという内容で、まず4人のマスターがダンジョンの部屋を同じ数ずつ作成し、その部屋を僕が作製した地図の上に振り分けるという準備をします。で、実際のゲームでは、主人公達がダンジョンの入り口を開ける場面をプロローグにし、以降奇数のシーンではどういう経緯でダンジョンに向かうことになったのかというドラマを分割して描き、偶数のシーンではダンジョン内の部屋1つの探索という風に進行していきました。そして、ラスト1つ前のシーンで主人公がダンジョンに向かうことを決意し、ラストシーンで最後のガーディアンを倒してダンジョンの最深部へ到達しエピローグになる、とこんな感じでシナリオは終了しました。
 大変、乱暴な説明だったかと思いますが、雰囲気だけでもご理解頂けたら嬉しく思います。
1998年06月21日:03時07分59秒
YAN/矢野 聡一郎さんへ(1) / Sin
> ええっと、初めまして…なのかな?(前に、「ダイス目
>の誤魔化し」について質問されたシンさんとは別の方?)

 はい、僕が掲示板に発言するようになったのはつい最近のことですから。
> とにかく、宜しくお願いします。

 こちらこそ、よろしくお願いします。 
> Sinさんの所で行われているプレイって、非常に興味
>あります。ただ、自分にはどんな感じなのか良く分からな
>いです。良かったら、もう少し詳しく説明していただける
>と、嬉しいな〜、と思います〜。

 興味を示していただいて、とても嬉しいです。ええと、まず、うちには「熱血専用」のように主人公(熱血ではヒーローといっていますが)が存在しており、彼の活躍を中心にキャンペーンを展開しています。ちなみに僕は代表責任者ですので、主人公ではありません。ストーリーは、RQのオフィシャルワールドに設定されている大帝国と一度それに征服された小国の戦いをテーマにしています。主人公の立場は小国のほうの指導者で、他のPC達は彼を助ける役割を担っています。具体的なシナリオ展開については、以前にプレイしたシナリオの一つを例に上げてみたいと思います。
1998年06月21日:00時37分53秒
ありがとうございます / Sin
 SHiNさん、ありがとうございます。鍼原神無さんが仰るようにいささか説明不足だったかなと思っていたところ、SHiNさんが僕の拙い説明を明晰に解説して下さりとても助かりました。
> Sinさんのところでも、GM(もしくは、キャンペーン責
>任者)の権力はある。が、それを濫用する機会を最低限に
>とどめ、プレイヤーの希望も積極的に聞こうという姿勢が
>あるため、その権力を使用する機会はあまりない。ゆえ
>に、Sinさんは、「うちではGMの権限は小さいかな?」と
>いう表現を使った。

  > 違いますでしょうか?>Sinさん

 その通りです。うちには仲間の1人が提唱した「ゲームを成功させる(面白くする)ことはプレイヤーの義務であり、それはマスターにとっては権利である」という原則がありまして、必要ならマスターが権限を発動させるものの可能な限り個々のプレイヤーにセッション成功の鍵を委ねたいという考えがあるのです。

 それとSHINさんが指摘されたようにグローランサ(RQの背景世界)でキャンペーンを行っているというのも大きいです。様々な判断をする際世界が1つの基準になってくれますし、やりたいことの異なるプレイヤー同士にとっての共通言語としても機能しています。
1998年06月21日:00時24分00秒
自己レスですが>マスターする動機 / でぶ猫
 質問するばかりではナニなので、自分の考えを表明しておきます。
 
 ・マスターの面白さとは結局何でしょう? マスターの行っているゲームとは、はたして?
 
 マスターの目的はひとことでいえば、「セッションを成功させる」です。
 しかし、こういってしまってはやや不明瞭なので、その構造にふみこんでみましょう。
1 そのRPGを実現する。
RPGの各システムにはデザインコンセプトがあります。おおまかなところではホラーであったり ヒロイックファンタジーであったりするわけですね、もう少し細かくなるとPCが悲惨な運命に翻弄さ れるものであったりするわけですね。これら、そのゲームのもつ魅力をいかに引き出せたか、がやはり 目的の一つでしょう。(コンセプトをかえてみた変則セッションを除きますが)
☆ホラーRPGなのに、マスターがラブコメやろうとしてたら、ちょっとしらけますよね。
2 そのシナリオの動機を実現する
マスターがシナリオで実現してみたかったこと。例えば、あるシチュエーションを現出させたい。ある いは、ある状況においてPCがどう考え、感じ、行動するか試したい、などの動機を満たすことです。
3 ゲームの管理者としての良心を実現する
難易度はともかく、プレイヤーに対して「フェア」であることを実現します。つまり、ミスの少ない マスタリング(ルール運用や救済措置の是非の判断、などです)を目指します。

 上記三つは、すべてマスターの目標です。すべて達成するのが最良なのですが、マスターの考える優先度に したがって一つづつ切り捨てられることもあります。
(私は 3>1>2 の優先度をつけています)
 
 
 ・もっと、マスターやってみたい!と思う人を増やすにはどうすればいいのか?
 
 これは簡単にいってしまえば、マスターでないとできない楽しいことを提示してあげればよいわけです。と、同時に最初は安心できるメンツでセッションをくめるようにしてあ げればよいわけですね。(気心のしれた人ばかりで卓をくみ、さらにフォローしてくれる人がいると、心強いですね)
 ただし、マスターでないとできない楽しいこと、というのを提示するには、口頭で説明 するよりも、本で読むよりも、プレイヤーの目から見てもマスターは楽しそうだと思わせるマスターに触れることでしょう。そのためには、現在のマスター群のマスタリングの上達が一つの大きな方策となるでしょう。(どうやってやるかが問題ですけどね)
 
 ・マスターをしない理由とはどんなものがあるのでしょう?
 
 これは、世の中に流布している誤認(あえて誤認といいます)、「マスターはプレイヤーを楽しませなければいけない」という認識が一つの大きな障害となっていると思います。この言葉は(たんに表現が悪いだけなのですが、そこから生じた誤認がひとり歩きしてしまっているんですね)、言い換えると「奉仕」をマスターに求めているわけです。
 よほどの物好きでもないかぎり、遊びの場で誰が進んで他人に奉仕したがるでしょう?この言葉は、マスターをしたことのない人に、「マスターって大変そう」という(いや実際大変なんですが、それはむしろ「やりがい」というべき大変さなんですね。ところが、ここで言う「大変そう」は精神的にしんどい大変さなんです)印象を持たせて、そこまでしたくないと思わせているのではないかと思っています。
 もちろん、ひどいプレイヤーに苛めたおされているマスターを目のあたりにしては、や はりひるんでしまうと思いますが、そこは、前述の方策でクリアーできるでしょう。
 
 ・世の中には困り者のマスターさんがいます。また、自分のマスタリングも、困ったちゃんのようなことをやってしまう危険も伴っています。
 
 先ほどのマスターの目標三つのうち、危険が伴うのは2番目、つまりセッションでマスターが実現したかったことです。ここで困った目的を設定し、あまつさえ最優先させては困ってしまうことになります。(例えば、PCをぶち殺すという目的で、ゲームコンセプトを無視したり、あるいは管理者としての立場を忘れて不公平に走ってはダメダメですね。また、ストーリーを語るのが目的で、ゲームの管理をなおざりにされてもナニだし、コンセプトを無視してホラーなのにラブコメにされてもしらけてしまいますね)
 マスターはセッション中、どうしても先の目標三つの一つをあきらめなければならない 時には、2をあきらめましょう。そして、次こそは2も実現できるよう、シナリオを練り 直しましょう。
1998年06月20日:21時18分33秒
RE:第三世代RPGについて( Sinさん、3327さんへ) / YAN/矢野 聡一郎
> Sinさん
 
 ええっと、初めまして…なのかな?(前に、「ダイス目の誤魔化し」について質問されたシンさんとは別の方?) とにかく、宜しくお願いします。
 Sinさんの所で行われているプレイって、非常に興味あります。ただ、自分にはどんな感じなのか良く分からないです。良かったら、もう少し詳しく説明していただけると、嬉しいな〜、と思います〜。
 
> 3327さん 
 
 ええと、どうされたんですか?妙に怒っておられるようですけど…。何か思う所があったにしても、3327さんが質問された
 
> 1:競技性を省いた
> 2:一応、ダイスを振ったりはしていますが、それはそれをやめてしまうと本当にただの素人即興演劇会になってしまうのでやり続けているという感じです。
> 3:シナリオには「達成するべき目標」なんてありません。一応、シナリオごとの区切りやオチをつけるためにヤマ場は用意していますが、最初からそれをクリアすることを目的にプレイするようなことはないのです。

 
 に関して確認されてから、ご意見を述べられたほうがよいと思いますよ〜。それから、
 
> ・・・先に謝っときます、ゴメン
> へえ、雑談にゲームって名前付けるためにサイコロ振ってるんだ
> これ見て腹が立ったんなら、自分達の雑談 (ゲーム) をおかしいと思ってるってことだろうね。きっと。
 
 これって、「私はSinさんの言われるようなスタイルは、”雑談にゲームって名前付けるためにサイコロ振ってる”ようなものと受け取りましたけど、違うんでしょうか?違うとしたら、私の言っていることは見当違いのはずだから、怒るはずがないですよね。逆に怒るとしたら、心当たりがあるということで、自分達のスタイルに疑問を持っているということですね」
 
 ということですか?うーん。だとしたらちょっと、問題があると思いますよ。
  
 たとえば、球技をやっている人に、「君たちのやっていることはたま遊びだね」とか言ったら、そりゃ怒ると思いますよ。確かに意味の上では、完全な的外れではないけど、それは真剣に球技をやっている人への侮辱行為ですから…。(というより、それ以外にどんな意味が…。3327さんは、あの言葉を通じて、何を語りたかったのでしょう?)
 
 もし、侮辱のつもりで書かれたのなら、「先に謝って」おいたって、同じ事だと思いますよ〜?
1998年06月20日:20時55分21秒
ライブ感覚 / 狂兵
 即興で行われるTRPGは、大体の場合、シナリオを創って来た時に比べて、 まとまりが無く、必ず美しい終わり方になるという保証が無い。
 しかし、即興でしか出来ない、その場で全員から生み出されたインスピレーションのきらめきは、
 用意されたシナリオを行う、通常のセッションをはるかに凌駕する。
 
 この間、試しに即興で天羅をやった時の感想でした。
1998年06月20日:19時23分52秒
陽陰さんが、創作性を否定してるって思ったわけではないです。 / SHiN
そういうプレイスタイルが一般化できるものかどうか、 懐疑的だ・・っておっしゃってるんですよね?
 前提了解しました。 わたしも、スタンスは陽陰さんと同じつもりです。
(ただ、冗談につっこみいれるのはアレなんですが、部屋の壁を壊すようなプレイを黙認するってのは、 下手すると相対主義の容認につながると思うのだけど(笑))
  
  
   
(陽陰さん)
>Sin氏の例によれば、GMも頻繁(1シナリオ20〜30回)に変わり、なおかつ
、元のシナリオは大枠しか決まっていない。
  
 シーンが、20くらいに別れるだけで、 その全てにおいてGMが交代するわけではないんでは ないでしょうか? また、たとえそうだとして、どちらにしても サブマスター制度の延長として考えられるはずです。
  
 また、サークルなどでキャンペーンをやるとき、稀に単独GMでなく持ち回りで GMをすることがたまにあると思いますが、原理的には、 あれとそう変わることはないですし。
 
 そして、これらの制度は、Sinさんというより、 私が発言した時点での「すでに広くプレイされている」第三世代型に適合したものなわけです。 それゆえ、Sinさんは、自分たちのプレイスタイルが それに相当するものだと考えたわけで、私も同じ見解です。
 
 ですから、
(SHiN)
 >>この共同創作というのは、結構、仲間うちでのレベルの引き上げが行われ、
 >>特にリーダーたるGMさえ優れた創作が行えれば、その他のプレイヤーの
 >>レベルも自動的に向上する傾向があると思います
 
 (陽陰さん)
 >この状況では、SHiN氏の意見は当てはまらないのではないのであろうか。
 
 ってことはないと思います。
 やはり、サブマスター制度の延長でしょう。
 そして、そうである以上、 GMや、サブマスターの力量にセッションが大きく左右されるのは、 どんなスタイルでも同じはずですし。特に疑問視される要因ではないと思うのですが。
 
 >逆に、この、SHiN氏の意見を採用すると、GMの権限は、従来どおりの方式と同 じレベルか、それ以上にまで強まることとなる。
 
 Sinさんの表現はともかく、 わたしはSinさんのところでは、GMの権限は、 私や陽陰さんが常識と考える程度には十分強いと思います。
 
 というのも、そうでなければ、第三世代型の 創作重視のスタイルはなりたたないからです。 Sinさんがおっしゃってるようなスタイルならば、なおさらでしょう。 たぶん、少し考えてもらえば陽陰さんやほかの人も理解してくれると 思うので、説明ははぶきますが・・・
(内容が簡単なわりに、誤解のないよう説明するのは困難というパターンですので。)
 
 で、ここで気をつけないといけないのは、 GMが強い権限を持つというのと、 それを使用・濫用するってことはまったく別のことだということです。
 
 私がこれまでの書き込みをみてきたところでは、 陽陰さんは、当然これの区別をつけて考えてると思うのですが、 Sinさんは、これらをごっちゃにして考えていらっしゃるのではないでしょうか?
  あらためてSinさんにお聞きしますが、 Sinさんのところでは、GMたちの決定する事項は、広範囲に のぼってませんか?セッションに対する影響力も強くありませんか?
 
 たしか、
 
 >キャンペーンで起こる全てのことは僕が代表責任者として管理しています。
 僕の私見としては、必ずしもマスターに権限がある必要はないと思いますが、問題が 生じた際のために責任の所在を明らかにしておいた方が良いと考えています。
 
 っておっしゃってましたよね? これは、暗にGMの権限のおおきさを示していると 私は思います。
 
 ところが、プレイヤーがセッションの成功に積極的だったり、 プレイヤーの希望を汲もうとするマスタリングを行っていくと、 この権限を行使する必要性が少なくなってきます。 そういうわけで、「良い」第三世代型のセッションは、プレイヤーにGMへの協力姿勢を とらせますから、自然、その権限を使用する機会が少なくなるのです。
 
 Sinさんは、このことを指して、「GMの権限は強くない」とおっしゃってたのではないでしょうか?
 
 陽陰さんがおっしゃるように、TRPGにおいて、
 
 >少なくとも、どのプレイヤーもマスターの採決について文句を言わないと言う くらいの権限は必要
 
 だと思います。
 特にルールの記述を超えたことを多くせねばならなくなった 第三世代型(創作性重視型)では、なおさらです。 が、マスターが採決を下すまでに、マスター・プレイヤー間で意見交換が 行われてはいけないという事はないでしょう?
 
 Sinさんのところでも、GM(もしくは、キャンペーン責任者)の権力はある。 が、それを濫用する機会を最低限にとどめ、プレイヤーの希望も 積極的に聞こうという姿勢があるため、その権力を使用する機会はあまりない。 ゆえに、Sinさんは、「うちではGMの権限は小さいかな?」という表現を使った。
 
 違いますでしょうか?>Sinさん
 
 >一部の天才を挙げるのはどうかと思います。
 もし、芸人の半数が台本無しで行っている、という状況ならば、この指摘は意味を為 しますが、アドリブメインの芸人の割合が非常に少ないことからも、私の指摘は補強さ れます。
 
 一部の天才ではありません。 が、ダウンタウンとかを持ち出したわたしの表現もまずかった気がします。
 
 すくなくとも、若向けの芸人の場合、 アドリブ重視の方が「面白い」舞台を作ってると思います。 これは、展開のスピーディーさ、意外性、ノリの良さなどの部分で、 アドリブ芸が、台本芸に勝っているからです。
 
 つまり、アドリブには、アドリブの利点があるのです。
 
 もし、陽陰さんの説を補強したいのなら、 芸人や舞台の数の関係より(数が多い方が正しいって誰が決めた?ってことでしょうか。)
「台本どおりやってるが、ダウンタウンより面白い」って人を持ち出すしかないでしょう。
 
 実際、わたしは、台本派の代表格として、
「吉本新喜劇」や。「萩本欽一」というものを挙げます。
 
 そして、彼等の面白さは、彼等独自のもので、ダウンタウンなどの面白さと 交換することはできない。 よって、アドリブと台本は、違った面白さを生むものであり、
 
 
 >もちろん、マスターの創作能力の優位は絶対ではないし、その必要もないが、少なく とも、即興で作られる話よりは面白いものである。
 
 
 という意見は認めにくい・・ってのが、わたしの見解です。
 が、ちゃんとしたシナリオのあることの利点として、 最初にあげた、「ミス」の問題があげられると思います。 つまり、「ミス」や「失敗」が少ないというのは、確かに陽陰さんが おっしゃってる「少なくとも、即興のものより面白い」って説を 裏付けるものではあります。 陽陰さんは、このことを指して言ってらっしゃるのではないのですか?
 
 たしかに一つのアドリブの失敗がセッション自体の失敗をひきおこし、 つまらない思いをしたという経験は、わたしにもありますから。
 
 でも、
 だとしたら、たとえアドリブセッションでも、ミスが生じた場合のフォロー策さえ あれば問題ないともいえるのではないでしょうか? わたしは、このフォロー策として、
 
 ●さらなるアドリブ
 
 ●綿密かつ、ストーリー展開に対し、柔軟に対処できる舞台設定
 
 などが挙げられると思うのですが、
 Sinさんのところや、ノリ重視プレイなどでは、
 「プレイヤーのセッションへの参加意識」が挙げられると思います。
 
 自分たちで作った料理は、少々コゲたとしても、おいしく感じられるってことです。
 
 ちなみに、わたしは、従来から、アドリブのミスのフォロー策として、
「ちゃんとシナリオを作る」って方法を提唱しています。
 
 これなら、GMのアドリブ技量に左右されることがないからです。
 
 また、どんなGMも、100%ってことはないですし、アドリブをする際の 支援資料としての役にもたつので、余裕があるならば、全てのアドリブマスターに、 ちゃんとしたシナリオを準備することを、よりベターな方法として推奨したいと考えてます。
 
 
 >これは、従来どおりのセッションでも非常に多く行われますね。
 用意したシナリオどおりに進むなんてことは滅多にありませんから。
 Sin氏の意見では、元の台本はありませんから、この様な些末なアドリブとは違い ます。
 
 逆にいうと、
 TRPGのシナリオ=台本とは、ならないと思います。
 吟遊詩人マスターのシナリオ=台本、ってならなりたつと思いますが。(笑)
 
 つまり、もともと、TRPGにおいて、きっちりしたシナリオというのは、それほど重視されて いないのです。ゲームをプレイする上での指針、TRPGの持つその自由度ゆえからのあまりの逸脱を防ぐための枠組みとして機能することの方がより重要なわけで。
 
 そういう意味では、
 Sinさんは、
 
 >最初に大まかな筋を決めたあと、シーンごとに分担して作成します。
 
 とおっしゃってますから、最低限の枠組みはあるのだと思います。
 また、Sinさんが、
 『ゲームはRQ専門です』
 とおっしゃってる事実にも、注意せねばなりません。
 RQの持つ、充実した背景世界は、多くのGMには有効に処理するのが難しいという面もありますが、 逆にいうと、TRPGのセッションをうまく進行させるするために必要な枠組みは、 すでに、世界設定の中に存在しているといっても過言ではない気がします。
 
 第三世代型においては、ミッションクリア型における ストーリーのおおまかな流れを示すシナリオに相当するものが、 舞台設定やNPCの設定であるという事は、以前の「第三世代型」に関する書き込みでも書いたとおりです。


さて・・ 
また、長くなってしまったので 簡単にまとめると・・・・

●GMの権限について

「参加者全員が、優れた創作を行えるわけではない。」
「GMが優れた創作をおこなえるなら、全体のレベルも引き上がる」
「Sinさんのスタイルでは、そのリーダーとなるべきGMが存在しない。 また、もしGMがリーダシップをとり、全体を向上させるという方式を とるなら、GMの権限は、従来のものよ強まることとなるのでは?」
「実は、Sin氏の行ってるセッションでは、GMの権限は強い、 もしくは、強い権限をもったリーダーが存在する。が、それを 使用する機会はほとんどないであろう。それが、第三世代型の持つ、 共同創作という面から生じる一つの特徴である。」

●即興について

「即興と台本では、台本を作ったほうが一般に面白い」
「即興と台本では、面白さの質が違う。台本がまさるのは、 ミスや失敗の少なさであり、それをフォローする方法が別に存在するなら、 台本の持つ優位さは失われる。」

というのが、今回の、わたしと陽陰さんの会話の要旨でしょうか。
(間違ってたら、指摘してください。>陽陰さん) また、Sinさんの書き込みを勝手に解釈してしまった部分も多いので、 もし間違ってたら、こちらもよろしくお願いします。>Sinさん
1998年06月20日:18時40分25秒
3327さんへ / Sin
>参加者各人のエゴを満たすための集会
 3327さんはうちのプレイがこのようなものではないかと推測し、その上でこれが僕の説明不足による判断材料の偏りが引き起こした誤謬であることを期待しておられるようです。しかし、それはおかしいでしょう。うちが目指しているものは、参加者全員(5名)で1つの物語を創作することなので、各人のエゴと言われるとちょっと違うなとは思いますが、例え3327さんの仰るような状況だったとしても何の問題があるのでしょうか?TRPG以前にあらゆるホビーは願望充足の手段でしょう。ただ、TRPGのように複数の人間が参加するジャンルは、1人だけの願望のために全体が動くわけにはいかない。だから、うちでは個人の暴走による無法状態を回避するため、有事の責任の所在を明らかにし、ディスカッションに多くの時間を割いているわけです。
 3327さんが普段どのような目的を持たれて、如何なるプレイをされているのかは存じませんが、願望充足の手段であることには違いはない筈です。少なくとも僕はそう考えるので、御自分の考えにそれたスタイルでプレイしている人間達を何か非常にレベルの低い集団であるかのように発言されることについて、どうしても納得することが出来ません。
 
1998年06月20日:18時15分37秒
ちょっとした抗議 / 河嶋陶一朗
 本筋から外れるかもしれませんが、ちょっとした抗議をしたいと思います。
 3327さん曰く
 >ってゆうか、こんな事がノウハウなきゃできないなら、人間として程度低すぎですね。
 
 こんな事(コーラを飲んでバカ騒ぎをする)っていうのは、一見簡単に見えて、実は難しいことだと思います。バカ騒ぎ……つまり相手のバカさを許容し、かつ人に自分のバカさを見せる。……これは、ぢつはとても大変な上に、相手を信用していないとできない行為ではないでしょうか? 経験(ノウハウ)がなければ難しい行為だと思いますよ。
 「この人たちとならバカをしてもいいんだ」
 「バカをしたからといってバカにはされないんだ」
 って安心できる経験がね。
 
 バカ騒ぎできるってのもコミニュケーション能力だと思うのですが、それは、必ずしも誰しもが備えている能力ではないような気がします。つまりそういう能力を持っていない人は多くいると思うのですが、そういう人たちを
 「人間として程度が低い」
 と言い切ってしまうのは、とても「人間として程度の高い」行為だとは思えません。
 細かい所を突っ込んで、話しの腰を折ってしまう上に掲示板の趣旨からは外れてしまいますが、やっぱりどうしても聞き捨てならないです。
 できれば、どのようなつもりで上記のような発言をされたのか、3327さんにお聞きしたいです。
1998年06月20日:16時08分36秒
再現性のある最適行動? / 骨喰藤四郎吉光
きになったので一言。 再現性とは、誰がプレイしても同じように楽しめ、いつでもそれなりの面白さが味わえると俺は理解しています。
TRPGのルールは、何かをした場合にどのような判定をするか、どういった行動が最低限できるのか、できないのか、の枠組みでしかなく、どのようなストーリーなのか、どう楽しむのか設定されていません。
従って、ルール上に存在しない部分での楽しみを追求するのであれば、それは再現性がないと言えるのです。
すなわち、はりはらさんが楽しめた面白さが、別の地域で同じルールを使って遊びはじめた人が同じく再現できないということです。

>お話の成立過程に参加するドキドキ感
これは非常に面白いキーワードだと思います。まさにTRPGプレイの楽しさの一つといえるでしょう。
が、行動の積み重ねの結果としてのストーリー(例ダンジョンシナリオなど)ではなく、即興演劇+アルファと考えるのであれば、そんなルールはないと言えるので、再現性はないでしょう。
それこそ、方法論を自分たちで確立するまでは、リプレイなどの猿まねになってしまうのでは?
1998年06月20日:15時57分29秒
創作性の否定?(RE:TRPGに定型はあるか?) / 陽陰
 私は、そう言う意味でいっているわけじゃないんですがね。>>SHiN氏
 もちろん、排他的な論理展開をする気もありませんよ。
 違う考えだって認めますし、それの利点だって認めます。相対主義ではなく、お互いに影響を与えられるものだとも思っています。
 極端な話、部屋の壁を壊すようなTRPGをやるグループがいたところで、私は、彼等のやり方を全否定する気はありません。馬鹿だとは思いますけど。
 
 また、私は馬場氏のテキストに関しては、中立の立場でいる気ですので、この辺をあまり絡める気はありません。
 
 Sin氏の意見に懐疑的だと述べているのは、氏が、氏のグループ内で行っているセッションでは成功しているようだが、一般論としてはどうだろうか、と考えるという意味です。
 
 という前提の元に、「TRPGに定型はあるか? / SHiN
」に対して反論をさせていただきます。
 
 >この共同創作というのは、結構、仲間うちでのレベルの引き上げが行われ、
 >特にリーダーたるGMさえ優れた創作が行えれば、その他のプレイヤーの
 >レベルも自動的に向上する傾向があると思います
 
 Sin氏の例によれば、GMも頻繁(1シナリオ20〜30回)に変わり、なおかつ、元のシナリオは大枠しか決まっていない。
 つまり、即興的な展開のみで「全員」が創作を行い、また、GMの権限の殆ど全てを認めていないので、舵取り役がいない。
 この状況では、SHiN氏の意見は当てはまらないのではないのであろうか。
 逆に、この、SHiN氏の意見を採用すると、GMの権限は、従来どおりの方式と同じレベルか、それ以上にまで強まることとなる。
 >即興性と、台本についての指摘に対し。 
 >ダウンタウンや明石屋さんまなど、現在人気のあるコメディアンの多くもアドリブで行ってるといいます。
 
 一部の天才を挙げるのはどうかと思います。
 もし、芸人の半数が台本無しで行っている、という状況ならば、この指摘は意味を為しますが、アドリブメインの芸人の割合が非常に少ないことからも、私の指摘は補強されます。
 
 また、
 >ミスのリテイクがきく、ドラマなどではアドリブでセリフ回しを変更したりする俳優さん、撮影現場でいきなり、脚本を直してしまう監督さんもいらっしゃるはずですね。
 
 これは、従来どおりのセッションでも非常に多く行われますね。
 用意したシナリオどおりに進むなんてことは滅多にありませんから。
 Sin氏の意見では、元の台本はありませんから、この様な些末なアドリブとは違います。
 また、見て楽しいと、やって楽しいの違いはあります。
 しかしながら、「第三世代」は創作の楽しさ。つまり、ストーリー性に重点が置かれています。
 つまり、見て楽しいという点が優れていなければならなと自分で縛ってるように私は見えます。
 また、見て楽しいが全くないようなチープな話なら、まだ、別のやり方をやった方が良いとも思えます。
 
 と、時間が無くなりましたので、続きは月曜日に。
 すみません。
1998年06月20日:15時33分43秒
再現性ってなんのことですか? 陽陰さんに質問 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>陽陰さん
 お話の流れを乱しちゃうかもしれないけれど。ちょっとだけ質問してよいですか?
 みなさんがよく重視してる「再現性」ってなんのこと、ですか?
 陽陰さんに限らず、ほかのかたもよく「キャラクタープレイは再現性がないから、ゲームの役にたたない」みたいにおっしゃってますよね? ←この再現性ってのがよくわからない。

 演劇批評で重視される概念に「一回性」って言葉があります。
 極端なことをゆぅと、例え、同じ脚本を、同じ配役で演じても、舞台は一回一回ぜんぶ違ったものになっちゃう(ならざるを得ないのでは)って概念です。
 マンガの『ガラスの仮面』で、主人公が、その日、その日の観客の反応にあわせて、演技を変えてっちゃう、ってエピソードがあるんですけど。「ガラかめ」はマンガにすぎませんけれど、「一回性」って概念はよくあらわしてると思うんです。
 陽陰さんのおっしゃるとおり、「即興劇」は演劇ではレアなパフォーマンスですよね。それは、役者に高度な人物造形(役作り)のセンスと能力が要求されるからだと思います。
 けれど、脚本がある、普通の演劇にも、役者による解釈、や演出意図、とゆぅものがあって。演劇は脚本指示を機械的に再現してるわけではない。
 うえでゆぅ「解釈」ってゆぅのは、役者さんや、PLの個性(キャラクターの架空の個性ではなくって)に左右されるものだから、ロープレ(キャラプレ?)が再現性がないのも当然だと思うのだけど?
 逆に、再現性がある最適行動、ってゆぅのが、PLの個性を均一化する枷のような気がしちゃうんです。←アタシの勘違いだとよいと思うのですけれど←このことも含めて、アタシは「再現性」ってみなさんがおっしゃることの意味がよくわかんないです。

 アタシにとってTRPGの醍醐味は、二度と再現できない、お話の成立に参加するドキドキ感なんです。←これは、即興演劇なんてものではないと思います。そんな大それたものではない。陽陰さんのおっしゃるとおり、「RPGを遊ぶ全員が、確実に即興で面白い話の展開に持っていけるわけではない」と思います。だいたい、ルールやシステムにサポートされるわけだし。役者さんには、ルールやシステムがない変わりに訓練が必要ってことではないのでしょうか?

 え〜と、アタシもsinさんの言われる「第三世代RPG」には疑問があります。sinさん充分説明しきれてないんじゃないの? って思うけど。
 そ、それはそれとして、前から不思議だった「再現性」のこと、よければお教えねがえませんか? この掲示板にはそぐわないかもしれないけど。
1998年06月20日:15時11分27秒
TRPGに定型はあるか? / SHiN
 
 もちろんあります。
 
 将棋に定石があるように・・って意味ですが。
 
 とはいっても、馬場氏をはじめとする一部の人が行ってるように、
「これが正しい遊び方。正しい、遊び方を強制するつもりはないが、 間違った遊び方をする場合、それを認識して行うべし。」 などという、
 排他的論法を行うつもりはありません。
  
 つまり、定型はあるのですが、 それは一種類ではないのです。
 
 これが重用で。
 
 で、こういうと、「議論の思考停止を呼ぶ悪しき相対主義だ」 って人もいるのですが、これもおおきな勘違いで。
 
 「相対主義者」の悪いところは、
  「思考停止」を非常に早いうちに行ってしまうことで、
『人それぞれの正解がある』という考え方自体は、 決して間違えていないのです。
 
 大事なのは、そこで思考停止してしまわず、
「どういう人がどういうケースでどのような楽しみ方をする場合、 どういうやりかたが有効なのか?」 と考えることなのです。
 
 馬場氏自身は、ある程度、この事がわかってると思うのですが、 それを支持し広めようとする人に関しては、時折、 この認識がかけているという気がいたします。
 
 馬場さんの提唱されてるTRPGの遊び方は、優れたものではありますが、 それは、定石の一つにすぎないという認識。 馬場テキストは、馬場式TRPGの普及を目的として かかれたもので、決して「万人に正しいTRPG」の普及を 目的としたものではないってことは、念頭におくべきでしょう。
  
 馬場テキストの中で語られてる正しいTRPGという言葉は、 あくまで、馬場式TRPGにおいての正しさなのです。
 
 ちなみに、河嶋さんがおっしゃってるようにTRPGのセッションを うまく運営するには、「定型」が必要です。つまり、GMの大きな役割として、そのセッションが、どのような スタイルで行われるかを決定、表明(表現でも可)することが あると思うのですが、実際には、あまり行われてないのが 現状ではないでしょうか。というか、そういうことができないGM。つまり、 自分の中でTRPGの方法論を確立できてないGM(一つにスタイルを限定するという意味ではない。二つ以上のスタイルを 一人のGMが持つことは何の問題もなく、かえって望ましいくらいかも?)が多いんじゃないかなと思います。
 そういう意味で、馬場氏は優れたGMといえるでしょうし、馬場理論に もとづいて行われるセッションも有意義でしょう。
 
 が、それが最上のものでも、「真のTRPG」というわけでもないのです。
 
 
 さて、第三世代TRPGについてですが、ネーミングどうしようかな? と思ってたのですが、ここまでの書き込みを見ると、 どうも、「創作性重視」と言ってもよさそうです。

 TRPGのセッションの場というのは、あらゆる種類の『創作』を 行う機会に満ちています。(ロールプレイ演技なども、創作活動の一種といえるでしょう。)
 これらの全てを認めていこうという姿勢として、
「創作性重視TRPG」という、いささか気恥ずかしいネーミングで、 一つの『定型』を提示したいと思います。 実際、この形の一種、成熟を迎えた形が、確かにSinさん(To3327さん、私とSin氏は別人ですよ。) のおっしゃってるプレイ方法でもあると思います。 その意味で、陽陰さんの
>尚、Sin氏の挙げられた、第三世代RPGというモノに関しては、私は懐疑的です


ってのに、反論を挙げてみます。

>・RPGを遊ぶ全員が、確実に即興で面白い話の展開に持っていけるわけではない
これは、Sinさんのおっしゃってるスタイルに限らず、 馬場式TRPGなどにも、生じる問題です。 全てのプレイヤーが有意義な意思決定、高レベルな意思決定を 行えるとは限らず、実際、低レベルな意思決定しかおこなえない プレイヤーが、セッションを破綻させてしまうというのも、 よく問題として上がってきますよね。
 
 また、実際にやってみればわかると思うのですが、 結構、この共同創作というのは、結構、仲間うちでの レベルの引き上げが行われ、特にリーダーたるGMさえ優れた創作が 行えれば、その他のプレイヤーのレベルも自動的に向上する 傾向があると思います。 経験上の意見ではありますが、論理的に説明も可能だと 感じています。
 
 
>少なくとも、即興で作られる話よりは面白いものである。
 これの証拠に、演劇等の歴史のあるエンターテイメントに於いて、即興劇の演じられ る割合に対し、台本と演出のある舞台が演じられる割合が非常に多いことである。
 
 
 これは、何の証明にもなってないと思います。
「見せる演劇」と、「演劇(という創作行為)を楽しむ」ことは、まったく別の ことだからです。 また、たとえ、「観客を楽しませる」という視点に限っても
(TRPGにおいては、全員が演技者であると同時に観客だという構図もなりたつので。) ダウンタウンや明石屋さんまなど、現在人気のあるコメディアンの多くも アドリブで行ってるといいます。
一方、演劇などで、これが行われないのは、「ミス」が許されないからで、 ミスのリテイクがきく、ドラマなどではアドリブでセリフ回しを変更したりする俳優さん、 撮影現場でいきなり、脚本を直してしまう監督さんもいらっしゃるはずですね。

 アドリブでやるより、前もって準備した方がいいのは、
「設定」の範囲までで(これさえも、時にはアドリブが勝るが、まあ、平均的にみて)、実際の会話やストーリーの流れは、
別にアドリブでも前準備されたものに劣らないと思います。
 
 これに加えて、自分たちが演じる楽しさ、『創作』する楽しさを考えると、 Sinさんの行ってるスタイルのプレイの魅力も理解できるはずだと 思うのですが。


>・再現性がない。
 
上記のように、あのスタイルの楽しさの根幹は、
「創造する楽しさ」「それを共有体験する楽しさ」です。 ゆえに、十分、再現性があると思います。
「何が楽しいか?」ってことがわかれば、 それを再現するための方法論も構築できるのです。
 
 
>・もし仮に、話の美しさのために、失敗や選択ミスがフォローされるようなことがあ るのなら、それらの行動を実際にとることにいかほどに意味があるのか。その様なこと をするのならば、それは既にゲームではなく、素直に創作活動をした方がいい。
 
 これは、もし仮にゲームをすることがそれほど大事なら、 素直にMTGでもやってればいい、ってのと同じレベルではないでしょうか?
  3327さんのおっしゃる
>へえ、雑談にゲームって名前付けるためにサイコロ振ってるんだ
 
 って言葉に対しての反論でもありますが、
「ゲーム」にこだわることにはなんの意味もないのです。
 
 だから、雑談にゲームと名前つけるためにサイコロをふるなんて人間が存在するわけはありません。
(いるといたら、それは別の理由でしょう。) 実際は、雑談をより楽しいものにするために、サイコロをふるのです。
  
 同様に、Sinさんたちや、私も含め近似のスタイルをプレイする人間は、 TRPGをより楽しむために、創作の要素を組み入れてるのです。
 
 創作だけが楽しいのなら、陽陰さんのおっしゃるように 素直に創作活動をすればいいという考えもなりたちます。 が、TRPGの楽しさってのは、創作性だけではなく、サイコロをふるだけでも、 ゲーム性といったものもあるわけで。 創作性と同様、それらも、一つの楽しさだけど、そのどの部分を 強調して楽しむか?ってのは、それこそ、個人の自由であり、さまざまな 部分に焦点をあてて楽しむことが出来るというのが、プレイスタイルの幅が出来るってことだと思います。
(これは、もしかしたら、さまざまなシステムを体験するより大事なことかも・・)@
 
 それなにに、これを一つの(自分にとって望ましい)遊び方に限定し、 それ以外の遊び方を異端としようというのは、まったく、
「排他的」であるといわざるをえないと思います。
 
 3327さんや陽陰さん自身が、どういうお考えなのかは別としまして、 よく、この手の創作性などを重視したスタイルに関し、懐疑的、否定的な態度を とる人に関して、上記のような意味での排他的な姿勢、理解のなさが見受けられる気がするのですが・・
1998年06月20日:13時39分37秒
sinさんへ / 3327
私の感じた問題点は陽陰さんの下記の書き込みの通りです。あんなに上手く説明できませんけどね。
98年06月20日:01時46分43秒RE:第三世代RPGについてっ / 陽陰 <こちらをご覧ください
あと、速見さんは肯定的な意味合いで
>数人が寄り集まって、机つなげて、コーラかっくらってわあわあ言う、というスタイルには、それなりのノウハウの蓄積があるのではないかと(笑)。
と書かれたようですが、私はこんな雑談にノウハウも何も存在も必要も無いと思いますし、こんな事にノウハウが必要になるようなら、おっしゃるようなパターンのゲームなど不可能です。ってゆうか、こんな事がノウハウなきゃできないなら、人間として程度低すぎですね。

>前略:ストーリーの盛り上がりにゲーム自体の価値をおいたシステムも商品化されている訳ですし、予定調和な部分が大きいというだけでTRPGのプレイスタイルとして認められない:後略
こんな事は言っていません。
では、確認として新たにお聞きします。
1:競技性を省いた
2:一応、ダイスを振ったりはしていますが、それはそれをやめてしまうと本当にただの素人即興演劇会になってしまうのでやり続けているという感じです。
3:シナリオには「達成するべき目標」なんてありません。一応、シナリオごとの区切りやオチをつけるためにヤマ場は用意していますが、最初からそれをクリアすることを目的にプレイするようなことはないのです。
1から3に関してもう少し詳しくお願いします。

私には、
1は、目的 (目的意識) をなくした/奪った。に見え、
2は、各システムごとの特徴を無意味なものにし、同時に、行為自体の、結果や、やる前の不確定性を無意味にしている (結果がどうだろうと、やろうとがやるまいと、どちらであれ関係なくしている) ように見え、
3は、1、2と3から総合して考えるに、プレイヤーがやりたいこと (プレイヤーレベルでの目的は奪われていないので) 、つまり、参加者各人のエゴを満たすための集会でしかなくなり、
最後にこれを肯定する補強として、
4:1シナリオは20〜30のシーンに分割されており、シーンによってマスターも交代します
一つのシナリオで20〜30回もマスターが変わる? 持ち回りにしないと、各人のエゴを満たすのは難しいし、そうするには、交代回数は多くなければいけませんからね。
考えてみて下さい。普通、シナリオをこんなに細分化しますか? メリットはなんですか? 他にどんな理論的な整合性の取れた理由があるんですか?

態度とは、ロールプレイです。頭で考えていなくても、態度に出てしまいます。
最適化された行動パターンからは内容や目的を推理できます。極めて高い精度で。
私はシャーロックホームズほど頭がいい訳ではありませんが、ここまでコテコテだとこの意見を否定できません。
重大な要素が抜けていない限り、筋を通して考えるとこうなってしまいます。

規則性、方法論、再現性。これらは趣味と呼ばれる全てに存在します。体育系趣味でも文系趣味でも、です。

あなたの書き込みに重大な抜けが有ることを期待します。
現状では、あなたの意見を肯定的に見れません。
1998年06月20日:05時43分53秒
定型は確かにあるかもしれません / Sin
 >速水螺旋人さんへ
 
 仰ることは良く分かります。少し頭が冷えました。考えてみれば、「うちはうちのやり方があるから良いんです」みたいな方向に逃げ込むのなら、このような場所で発言する意味はありませんでした。それに、ダイスを振らなければ即興演劇になってしまう、という言い方もあまり良い表現ではなかったかも知れません。
 >新しく人を入れるということを考えても、一定の定型
 >はあったほうがいいのではないでしょうか。
 >なんせ、「カタチ」があればタイヘンわかりやすいです
 >から。
 それでも、速水螺旋人さんの書き込みを読んで思ったのですが、僕がTRPGを始めてそれ程間もない頃の初心者向けの案内に「TRPGとは会話とダイスでする“ごっこ遊び”みたいなもの」というような表現がみかけられて、この説明は大ざっぱでも十分TRPGの核心をあらわしていると思うのです。そして、僕はTRPGに定型があるとすれば、このようなものじゃないかなと思います。
 >3327さんへ だから、少なくともその考えの上ではうちのスタイルが、TRPGではない雑談のようなものだということはないと思うのですが。加えて言えば、「熱血専用」のようにミッションの成功失敗ではなく、ストーリーの盛り上がりにゲーム自体の価値をおいたシステムも商品化されている訳ですし、予定調和な部分が大きいというだけでTRPGのプレイスタイルとして認められないというのは納得がいきません。
1998年06月20日:05時04分01秒
マクロな定型、ミクロな定型 / 河嶋陶一朗
 河嶋の個人的考えを言わせてもらえば、
 TRPGに限らず、全てのエンターテイメント、アミューズメントに「定型」などありません。あったとしてもそれは「幻想」でしょう。消費者がその商品を使ってどう楽しもうが(TRPGの場合はプレイスタイルかな?)、(それが違法な使用法でない限り)止める権利など、メーカーやクリエイターにはないわけですから。
 ただ、悲しいかな「TRPG」は、参加者の間で、ある程度の「定型」もしくは「共通認識(TRPGとはこんな遊び、TRPGはここが面白いなどといった気持ち)」が必要な遊びだとも思います。恐らく、TRPGに限らず完全に一人で楽しむ娯楽以外は、結構「定型」って必要じゃないでしょうか?
 
 恐らく最近のTRPGがロールプレイに特化していった傾向にあるのは、そうした「定型」を創りたい、っていうデザイナーさんたちの無意識な思い故でしょう。だって、最近のTRPGって、「天羅」にしろ「熱血」にしろ「番長」にしろロールプレイ、世界観、ゲームだけでなく、例えばロールプレイ重視っていう「プレイスタイル」まで商品の中にパッケージされてるような気がしますし。あ、「トレイダーズ」もゲーム的っていう「プレイスタイル」が入ってますね。
 これってデザイナーのお仕着せのような気もするけど、自分(仲間)の嗜好がはっきりしている人にとっては、ゲーム選びに失敗する可能性が少なくて親切なんじゃないでしょうか。
 Sinさんがそれらを遊ばないのは、自分たちのプレイスタイルと合わないからでしょうか? それとも単純に世界観とかが気に入らないのかな。
 
 閑話休題。
 で、Sinさんの書き込みを読んで思ったことは、少なくともSinさんのゲーム仲間は信頼できる方たちなんだろうなぁ、ということです。だから、Sinさんのいうようなプレイスタイルで、十分に楽しめるのでしょうし。少なくとも河嶋のサークルであのプレイをするのは難しそうです(うちは飽きやすいのが多いので、プレイスタイルに関してもあれやこれやと変えています)。個人的にはうらやましいっす。
 ただ、もしその仲間内の間でSinさんたちが共有している「面白さ」を理解していない人がいたら……まぁ、いたらそういうプレイスタイルがそもそも成立しないと思うのですが……
 逆にいないということは、(ちょっと詭弁的な言い方をすれば)Sinさんのいうプレイスタイルってのが、Sinさん自身の否定する「定型(ただし、仲間内限定)」なんだと思います。あと、Sinさんが言う「定型」ってのは、コンベンションプレイヤーとか、固定的な仲間を持っていない人にとっては、やっぱ欲しいんじゃないかなぁ。区別するために、前者をTRPGの「ミクロな定型」、後者を「マクロな定型」と呼んでみることにします。
 
 河嶋は、TRPGがもっと普及するためには「マクロな定型」が必要なのかな、と思うことが多々あります。もしもそんなものができるとしたら、みんなが共存できる「定型」だといいなぁ……なんて青臭い台詞を吐いたりして(笑)。「中庸」を主張するのには、そういった気持ちが隠れているのかも?
 ぬぬ、ちょっと言いたいことが絞り切れませんでした。すげぇ乱文な上に長文。
 申し訳ない。
1998年06月20日:04時32分23秒
TRPGの定型 ……案外あるような気がする / 速水螺旋人
>Sinさんへ
>TRPGに定型というものが存在するのでしょうか?プレイ する人間たちが納得していて、それを自分たち以外の人間に押しつけるような意図がない限り、何でもありだと思うんですが
 
 たしかに、上記の場合では定型はないでしょう。
 しかし、視点をもう少しマクロに見ると、より多くの人にわかりやすいスタイル、というのはあると思いますよ。
 
 ダテに20年かけて築き上げてきたシステムじゃないと思いますからねえ。
 数人が寄り集まって、机つなげて、コーラかっくらってわあわあ言う、というスタイルには、それなりのノウハウの蓄積があるのではないかと(笑)。
 新しく人を入れるということを考えても、一定の定型はあったほうがいいのではないでしょうか。
 なんせ、「カタチ」があればタイヘンわかりやすいですから。
 
 「カタチ」がなければ、そりゃもう説明しにくいホビーになると思いますぜ。
1998年06月20日:02時23分27秒
補足 / Sin
 どうも、僕の発言が誤解されているような気がするので、補足させていただきたい と思います。僕は別に一般論として話をしているわけではなく、あくまでうちはこのよ うにプレイしています、と発言しているつもりなのですが。例えば、このスタイルを他 の方々にも推奨するとか、このスタイルは優れているとかなどと発言しているのなら ばともかく、僕の発言にはうちなりにTRPGをやる目的を追求していったらこうなりまし たという以上の意図はないのです。
 ただ、僕は思うのですが、TRPGに定型というものが存在するのでしょうか?プレイ する人間たちが納得していて、それを自分たち以外の人間に押しつけるような意図 がない限り、何でもありだと思うんですが、こんな考え方は間違っているのでしょうか?

(sf:重複削除しました)


1998年06月20日:01時46分43秒
RE:第三世代RPGについてっ / 陽陰
 初めまして、健.さん。
 
 >マスターの権限は強くあるべきか?
 はい。少なくとも、どのプレイヤーもマスターの採決について文句を言わないと言うくらいの権限は必要です。
 そうでないと、紛糾した場合に、際限なく時間が掛かってしまいます。
 また、プレイヤー間の平等すら失われることになります。(多数が正しいなんて、誰が決めた?)
 まあ、全員が、完璧に我を押さえられ、相手の心を思いやることが出来るんなら別でしょうがね。
 
 尚、Sin氏の挙げられた、第三世代RPGというモノに関しては、私は懐疑的です。
 
 理由は以下の通り。
 ・RPGを遊ぶ全員が、確実に即興で面白い話の展開に持っていけるわけではないし、初心者になると、なおさら、その比率は低くなる。こういったモノは、訓練が必ず必要であり、それを無視できるほどの才能を持った人は殆ど居ないからである。
 もちろん、マスターの創作能力の優位は絶対ではないし、その必要もないが、少なくとも、即興で作られる話よりは面白いものである。
 これの証拠に、演劇等の歴史のあるエンターテイメントに於いて、即興劇の演じられる割合に対し、台本と演出のある舞台が演じられる割合が非常に多いことである。
 
 ・再現性がない。
 
 ・もし仮に、話の美しさのために、失敗や選択ミスがフォローされるようなことがあるのなら、それらの行動を実際にとることにいかほどに意味があるのか。その様なことをするのならば、それは既にゲームではなく、素直に創作活動をした方がいい。

(sf:重複削除しました)


1998年06月20日:01時25分06秒
RE:第三世代RPGについてっ。(2) / Sin
 >マスターの権限は強くあるべきか?
 うちの場合、少なくともプレイ中に関して言えば、マスターは司会進行役プラス脇役専門のアクター程度に考えているので、権限はあまり強くないと思います。で、ゲーム外では、プレイヤー、マスターの立場を問わず次回以降の内容について願望や意見があればプレイに反映するようにしていますが、同じ件に関してプレイヤーとマスターの意見が対立した場合は大抵プレイヤーの主張が通ります。ただし、このようなシステムでは誰が何をしているのか分からないような状態に陥る可能性も強くあるので、キャンペーンで起こる全てのことは僕が代表責任者として管理しています。
 僕の私見としては、必ずしもマスターに権限がある必要はないと思いますが、問題が生じた際のために責任の所在を明らかにしておいた方が良いと考えています。それは、参加者が納得できるものであれば、代表者でも、全員で決めたルールでも何でも良いとは思いますが。

(sf:重複削除しました)


1998年06月20日:00時22分07秒
・・・先に謝っときます、ゴメン (Shinさんへ) / 3327
・・・先に謝っときます、ゴメン

へえ、雑談にゲームって名前付けるためにサイコロ振ってるんだ

これ見て腹が立ったんなら、自分達の雑談 (ゲーム) をおかしいと思ってるってことだろうね。きっと。
1998年06月19日:23時55分34秒
RE:第三世代RPGについてっ。(1) / Sin
 はじめまして、建さん。最近、ルーンクエスト関係の掲示板に書き込みをしているSinと申します。ずっと同じ中学の仲間だけでプレイしているため、世事に疎いかも知れませんがよろしくお願いいたします。ちなみに、プレイしているゲームはRQ専門です(昔はD&D,AD&D,SWなどもプレイしていました)。マスター、プレイヤー両方ともやっています。
 さて、第三世代RPGについてですが、うちのサークルでは天羅、熱血等のシステム自体がそれに属するゲームはプレイしたことがありません(熱血のルールブックは持っています)。しかし、うちのプレイスタイル自体は、建さん、SHINさんの仰る第三世代RPGを実践していると思います。
 具体的には、TRPGの持つ競技性をほぼ完全に切り捨てたスタイルというのがうちのプレイスタイルです。一応、ダイスを振ったりはしていますが、それはそれをやめてしまうと本当にただの素人即興演劇会になってしまうのでやり続けているという感じです。もちろん、シナリオには「達成するべき目標」なんてありません。一応、シナリオごとの区切りやオチをつけるためにヤマ場は用意していますが、最初からそれをクリアすることを目的にプレイするようなことはないのです。1シナリオは20〜30のシーンに分割されており、シーンによってマスターも交代します。このような形ですから、シナリオを一人のマスターが作るということもありません。最初に大まかな筋を決めたあと、シーンごとに分担して作成します。当然、マスター兼任のプレイヤーはシナリオの大筋を理解してプレイに臨むことになりますが、目的をミッションの達成ではなく、物語の共同創作に置いているので問題はないと判断しています。
 というようなスタイルなので、うちはプレイヤーとマスターの境界線はかなり曖昧です。ただ、このスタイルを追求した目的は、「マスターがプレイヤーと同様に楽しむ」ためではなく「プレイヤーがマスター並みに楽しむ」ことだと考えています。
1998年06月19日:21時20分30秒
Re:マスターをする動機 / 建.
プレイヤーがこんなに面白いんだからマスターはもおぉっと面白いにちがいないっ!てのが始めた理由ですか。
ただゲームを造るのがもっと前からあって(双六なんかを造ってました)。マスターにはプレイヤーよりも造る楽しみが大きいのは確かですね。それこそ何から何まで・・・とは大袈裟かもしれませんが、近いものはあります。好きじゃなきゃできない仕事かな。

GM人口を増やすには・・・
マスタリングをトランプなんかの親ぐらい気軽にできるようなものにする・・・は未来に置いといて
マスター任せのプレイに偏らないようにすること、かな?プレイヤーが能動的に動いて。それでマスター権限侵しちゃだめだけど。


1998年06月19日:20時29分20秒
第三世代RPGについてっ。 / 建.
ええと、すでに過去ログに行ってしまいましたが、「第三世代」について。
あれから色んなサイトをめぐって、この言葉が様々な意味で使われていることに気がつきました。「第三世代」は天羅をはじめすでに確立されていたにも関わらず「新しく造られるべきは〜」などといってしまったため、誤解を招いてしまいました。おわびいたします。(ソード・ワールド、ロードスあたりからゲームを始めた人のこともこう呼ぶようですし)

ただ、私が考えたものと天羅、熱血等は違うようです。マスターがプレイヤーと同様に楽しめるというのをこれらとすると、私はプレイヤーがマスター並みに楽しめるものがこれからできるんじゃないかと思ったのです。(Once upon a timeが気になる・・・)

もちろんそんなものを簡単に思い付けるわけもありません。皆さんにお尋ねしたいことがあります。

マスターの権限は強くあるべきか?

マスターが強すぎたら一本道シナリオとかの問題がありますし、いなければ無法状態。だからほどほどにプレイヤーより力の強いGMがあるんだとは思いますが、弱くても(全員同等に近くても)どうにかやる方法があるんじゃないか?てことなんですが。

皆さんのご意見が聞きたいです。何しろ世間知らずなもので。
ひどい文章ですいません・・・。


1998年06月19日:19時43分21秒
RE:マスターする動機 / 陽陰
 でぶねこ氏の質問に対する回答をば。
 
 ・マスターの面白さとは結局何でしょう? マスターの行っているゲームとは、はたして?
 
 謎かけの楽しさ。
 ストーリ作成の楽しさ。
 多数のキャラクターを操る楽しさ。
 そしてスリルと緊張感。
 
 ・もっと、マスターやってみたい!と思う人を増やすにはどうすればいいのか?
 
 苦労する点と同時に、楽しい点を提示すること。
 実際に役に立つ方法論を伝えること。
 何するのかを教えること。
 マスターが楽しんでいるところを見せること。
 
 ・マスターをしない理由とはどんなものがあるのでしょう?
 
 先述。
   
 ・世の中には困り者のマスターさんがいます。また、自分のマスタリングも、困ったちゃんのようなことをやってしまう危険も伴っています。
 マスターしようとする動機にその遠因があるということはないのでしょうか?
 
 マスターの楽しみが暴走した場合、困ったマスタリングになってしまうというおそれは多大にある。
 これは、本人の節度以外に、私は回答を提示することは出来ない。
 
 ただ、言えることは、根本的にマスターに向いていないという人は存在するということだ。
 例えば、
 
 ・場の雰囲気をかぎ取れない人。
 プレイヤーの反応を読みとり最善の対応をとることがマスターの仕事の一つであるから、そう言ったことが全く出来ない人は、マスターには向いていない。
 
 ・想像力に欠ける人。
 ・(主に人生の)引き出しが少ない人。
 マスターには「ある程度」のクリエイティブな能力は必要である(馬場講座でどれほど言われようともだ)し、致命的なほどそれに欠けている人もまた、存在するのだ。
 また、マスターは臨機な対応を求められる場合がままあり、これらは致命的な欠点となりうる。
 
 ・暇がない人
 最低限の暇はマスターには必要である。
 プレイヤーが殆どする必要のない事前準備というモノが有る程度は存在するからである。
 
 等々。
 そのような者にマスターを行わせることは、どちらにとっても悲劇的なことである。
  もちろん、これらは、マスターを一度もやらずに知ることは出来ない。
 だからこそ、マスターに向いていないと思うより先に、これを何度か行うべきであると私は思う。
 
 と、まあ、である調で書いたら、硬く&偉そうになってしまいました。
 もし、マスターをしようかと悩んでいる人が居たら私はこういいます。
 「マスターはプレイヤーよりも楽しいよ。
 まあ、とりあえず、向いてるかどうかって悩む前に、やってみようよ。
 出来るだけの手伝いはするし、相談にも乗るよ」
 ってね。
1998年06月19日:10時45分43秒
LOG 009 / sf
 マスタリング研究室 LOG 009として1998年06月09日から1998年06月19日までのログを切り出しました。

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