TRPGのための言語技術設定の部屋 LOG 001

TRPGのための言語技術設定の部屋の1998年11月19日から2000年04月28日までのログです。


2000年04月28日:20時58分04秒
[発話技法]形式分節が準客観基準であること / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 「[発話技法]基礎形式の分節について(一行掲示板抜出転載)」 (当掲示板,抜出転記者:鍼原神無,2000年04月28日:20時49分44秒)、の内でアタシははじめの内間違った事を主張してます。

 次の部分が間違った意見です。
 「効果値が装甲値に足りないのでダメージは入りませんでした」を意味するのに「カンッ」(手ではたくジェスチャー)で済ませる人っているでしょう、あれは技法としての演技と思うな。
 
 はたのさんに指摘されて、意見を修正しているのですけど、「カンッ」は、発話形式としては「描写(+身振り)」です。
 
 一行掲示板での文字数の少ないやりとりを、後から読み返すとかえってわかりづらくなっちゃってる気がしますけど。
 もう一度、「発話形式が準客観である事」について書いておきます。
 
 「効果値が装甲値に足りないのでダメージは入りませんでした」を意味するのに「カンッ」+(手ではたくジェスチャー)を使う場合。
 
 発話、「カンッ」の省略された部分を補ってみます。
 普通「〔矢が〕カンッ〔とはじかれた〕」だと思います。
 
 これは、「物語世界内の第三者的視点、または仮構の客観的視点から、物語内の仮構事象について語る発話」ですので「描写」と判断されます。
  
 もし、それまでのセッションの経過などから「カンッ」が、「〔俺は〕カンッ〔と矢をはじいた〕」、と判断されたなら、それは「セリフ(演技)」です。
 普通はそうゆう事をセリフで言いつづけるキャラはいないと思いますけど。「レレレ」のPCならそんなのも出るかもしれないですね。
 
 で、「発話形式が準客観である意味」をフタツ挙げておくことができます。
 ひとつは、発話された語句の省略された部分を補って、最も自然と思われる補完をしたとき、その発話がなんの形式であるかは客観的に分類できる(複合形式化もしれないけど)、ってこと。
 「何が最も自然な補完である」か自体は客観的とは言えない。けれど、人が違っても概ね一致するでしょう(準客観)。
 
 ふたつめは、特に「セリフ(演技)」なんですけど、形式分節では、「感情がこもってる(と感じられたかどうか)」は判断基準に介在させない、とゆうこと。
 いつも書くことですけど、「感情がこもってる(と感じられた)から演技だ」って捉え方は、セッション現場ではわかるんです。アタシも決して全否定はしないですが。
 しかし、そうした感じ方を元にして、技法の善し悪しをかんがえてゆくのは得策ではないと思います。
 
 例えば、「ここは『セリフ(演技)』を使いたいんだけど、まだセッション序盤だから、棒読みですませておくか」とかそうゆう考え方の方が、実際は(もし、「セリフ(演技)」の使用に重きを置くなら)役に立つと思います。
 
 要するに上記のような意味も含めて、「形式分節の考え方が準客観」って言い方が成り立つわけです。
 
 それから「カンッ」が「用語だ」って説について。 これはアタシもなるほど、と思いました。説得力あります。
 ただ、こうゆう考え方をしてると、ほかにもドンドン「用語」が増えていかないかな? って気がします。 技法を考えてく場合は、例外の類はできるだけ少なくして、少数の基準からできるだけ多くの事例が整理できた方がよいと思います。

 「カンッ」が用語だって説、アタシは反対ではないですけど。やはり技法としては「描写」とゆう事にしておいた方がよいように思います。
2000年04月28日:20時49分44秒
[発話技法]基礎形式の分節について(一行掲示板抜出転載) / 抜出転記者:鍼原神無
#この投稿は、まほろば一行掲示板のガイドライン、「有用な投稿内容については工房・匠の各掲示板に必要に応じて整形して転載することは推奨されています」を受けたものです。
#アタシが、面白そうな話題と思ったものを、一行掲示板から勝手に抜き出し転載させていただきました。
#元の投稿は、一行掲示板 LOG 068にある、2000/04/26:10:37:16〜2000/04/26:12:47:43の間のものです。
#話の流れがわかり易くなるよう整形、前後関係の入れ替え、他、などの編集作業を加えました。
#投稿者各氏のお名前は、LOGの表示のままで、敬称は入れていません。
 
はたの:ボードゲームの長考の方が「考えている」だけマシ、って話もある。何も考えていない「自己陶酔型演技」ってのもあるからねぇ。することは決まっているんだが(例:敵に攻撃を仕掛ける)その前に「苦悩」しておかんといかーんって感じに「自己陶酔演技」しているのを見たら、Aボタン押してスキップしたくならんかね。
#こっそり「何かハの字型のもの」を握って「親指をパタパタと動かす」ポーズをとったりして:-P
 
ありよし:「『自称意思決定重視』の人は意思決定をするという理由で、思考停止に時間をとるので、非常に迷惑である。よって『意思決定』は必ずしもゲームに必要ない」とかだとおかしいですね
 「長考」はいいんですよ。問題になるのはただ「悩んでいる」だけの状態。カタンでサイコロ振るのに3分ぐらい悩むとか、ロックで実はそこにいたをするかどうかで5分ぐらい悩むとかです。
 
はたの:そういえば、戦闘で敵が攻撃するたびに「しゅぅじゅぼぼぼぼ」とかかんとか擬音を言うマスタがいたなぁ。そのたびに処理が停止する(...ひょっとして言っている間に目標値計算をしていたのかもしれないが、そんなにややこしいゲームではなかった)ので、心の中で「Aボタン連打」でした。#できの悪いコンピュータSGみたいじゃったよ〜。
 
ありよし:MtGで攻撃宣言をするときに、ただ殴るジェスチャーをするだけでどのクリーチャーが宣言しないプレイヤーもいました(笑)ああ、うっとうしい
 
はたの:まぁ、どっちも嫌ですけどね。コンピュータゲームで「何のリアクションも無く、画面がブラックアウトする」「スキップできないムービー」が嫌われるのと一緒って言うか。
 
カンナ(鍼原神無):「効果値が装甲値に足りないのでダメージは入りませんでした」を意味するのに「カンッ」(手ではたくジェスチャー)で済ませる人っているでしょう、あれは技法としての演技と思うな。
 状況依存性がルールを参照して明瞭だから、暗示がコントロールされてるだけでさ。 これって、処理時間短縮のための技法ですよね(?)<「カンッ」(手ではたくジェスチャー)
 もちろん「何今の?」って聞かれたら明示的に説明しなくたはならないのは当然前提。
 
はたの:むぅ。「カン」は演技なのかぁ。だとすると「ゴブリンAを『ざくっ』」ってのも演技なのか。なんかその感覚には違和感を感じるけど。
 
カンナ(鍼原神無):いや、感覚で違和感感じるのはわかります。準客観基準としてはそうみなさないと、技法整理も偏った内容になるって話。
 「カンッ」の例で言ったら「これはルール的な状況依存が明瞭・だから・良い演技」って考えた方が、自己陶酔演技の人も「そっか、そーゆーのがTRPGではよい演技なのか」とか考えてくれるかなー、とか<希望的観測。
 
ありよし:擬音とかは演出の部類に入ると思います
 
カンナ(鍼原神無):あー、うん「演出」って観点も分かり易いですよね。
 ただね、「演出」って観点を技法に導入して技法整理してくには、「TRPGは物語ではない」のドグマが邪魔っけで(笑)
  
はたの:「ざくっ」と切る。レベルだと、演出いうよりは描写の部類に入ると思うけどなぁ。
 
カンナ(鍼原神無):なるほど、確かに「ザクッと斬った」は描写形式ですよね。確かに。
 
ありよし@駄文:「ふにゃ」っと切るだとしまらないなあ。「はにゃ〜ん」って感じとか言われてもよく分からないし(爆)
 
カンナ(鍼原神無):「〔そのPCは〕ザクッと斬った」だから「描写形式」だわ。
 「〔その矢は〕カンッ〔と跳ね返った〕も「描写形式+身振演技」ですね。なるほど。
 
はたの:「ロケットランチャーをドカンとぶっ放すよ〜」の延長で「『きゃー』と悲鳴をあげるよ」があって、その延長で「『はっきりいわねぇとぶっ殺すぞ』と脅すよ」があるから、単なるセリフの使用は「演技」と思えないんだろうなぁ。
 
いいだ:「すでに参加者間で言語と同レベルに共有されているため暗示性の少なくなった演技」でわ>カン
 
カンナ(鍼原神無):えっと、それはそー言ってもよいんですよ>暗示性の少なくなった演技>いいださん
 ただ、発話の基礎分節が、準客観の技法だ、ってことの意味は、省略された主語を補完する時、何が自然か?って判断基準(準客観)があるわけです。
 「カンッ」ならば、「〔矢は〕カン〔とはじまれた〕」ならば、描写形式。「〔おれは矢を〕カンッ〔とはじいた〕」ならば演技形式<でも、そーゆー事セリフで言ってくキャラはめったにいないよねー(笑)、ってあたりが準客観の判断基準なわけです。
 
はたの:「暗示性の少なくなった演技」といってもやっぱり違和感感じるなぁ。普通「はじかれる矢の演技」っていいかたはせんと思うし。「はじかれる矢の描写」はすると思うが。
 むぅ。そういう意味なのか<準客観。
 
カンナ(鍼原神無):うん、だってさー、感情がこもってるかどーかなんて結局は主観じゃん<少なくともセッションの現場では。
 アタシはポリグラフしながらセッションなんてまっぴらごめんだし。
 
はたの:「カン」の主体が「はじく人間のほう」とは思わなかったので、なんだか話がわからなかった<準客観
 
PALM-12@ぼそぼそ:#ちなみにPALMは、ノーダメージの「カン」は、演技・描写から成立したTRPG用語だと思っていました。 もちろん、演技や描写の中に含まれる用法もあると思いますけど、基本的には演技や描写では無くなっているのですね。 いいださんの意見に近いと思う。
 
はたの:#おおぅ。そういわれると納得だ<「カン」は用語。
 
カンナ(鍼原神無):#なるほどー、「用語」かー。なるほどねー。
 
YAN:正解の時に「ピンポーン」というのに近いかな>「カンッ」。割と一般にも通用しそうな気が。
 
カンナ(鍼原神無):そりゃ状況によりますってば(笑)<「カンッ」。割と一般にも通用しそう<YANさん
 
はたの:たしかにやわらかいものが当たった場合(例:強酸性の体液)/やわらかいものに当たったとき(例:ローブ)でも「カン」って言ったりしますからね。もはや擬音でもないものな。
 
カンナ(鍼原神無):バッティング・センターとかテニスコートで、「カンッ」って言ったら別の暗示が発生<冗談ですけど。
 もしくは、雀荘で(苦笑)<冗談ですよー
 
彬兄@冗談追加:素人名人芸>カン
 
いいだ:えと、真面目に仕事してる間にずいぶん話しが進んでしまったので浦島な感じのですが、暗示の機能に関しては「言葉か身振りか」とか「発話者の区別」よりも記号化と共有の度合いによるのでわ、と思うのです。
 発話者をPLでなくPCにして使える記号を制限することによって含みを持たせるとかってのはあるとおもうのですが。
 
カンナ(鍼原神無):はい、それもその通りです<共有の度合いによるのでわ、と思う<ところが、「共有」とううヤツは普通体験に基づくので、言語化されてかないと、体験が異なる者の間での共有が困難にもなると考えます。
 
 うん、それはTRPGしてて面白い知恵の絞りどころのひとつなんですよね<発話者をPLでなくPCにして使える記号を制限することによって含みを持たせる
 
 例えば、「深淵」のPCが自分の持つ「運命」の内容を知ってるか、ってゆーと、知らないとき/中途半端に知ってる時/予感だけがあるとき/知らない時比較的詳しく知っている時、、などなど諸々がある、とかですよね<発話者をPLでなくPCにして〜
 
いいだ:はい。記号化の度合いにもよると思うのです。多分鍼原さんのおっしゃる言語化と同じ意味かと思うです。
 えと、身振りによる記号よりも言語による記号の方が良く整理されているという点では異論はないです。
 
 あ、そんな感じです>例えば、「深淵」のPCが〜
2000年04月24日:07時54分55秒
[発話技法]発話形式の基礎分節:暫定版(長文) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕

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「TRPG総合研究室」から話題を引っ張ってきました。
#TRPGセッションで用いられるコミュニケーション技法に、準客観的基準を設けながら技法整理を考えてゆきたいと思います。
#この投稿では、特に発話(オーラル・コミュニケーション)の基礎形式を考えます。

 
#この投稿は以下のような構成を持っています。
はじめに
本論
「描写/セリフ(演技)」の分節について
発話形式の判断基準(第一段階「描写/セリフ(演技)」)
発話形式の判断基準(第二段階「局外/説明/描写/セリフ(演技)」(暫定版)
第二段階形式分節(発話形式)の機能と特性(暫定版)
「セリフ(演技)」の暗示性について
「セリフ(演技)」形式の機能と特性
メッセージコミュニケーションと解釈のメカニズムと「セリフ(演技)」

はじめに
 まずは、セッションで使えるコミュニケーションを、仮に、オーラルな「発話」と、ボディランゲージである「身振り・表情」に分節します。
 この投稿では、オーラルな「発話」の技法を整理してゆくための、準客観的基準を検討してみます。(言語は文化的な約束事にすぎませんので、あくまで準・客観の基準です)
 
本論
「描写/セリフ(演技)」の分節について
 ここで「分節」って言ってるのは、「実態では連続してて区別が明瞭につけづらい諸々を整理してくために、方法的に一旦分けて考えること」、を意味します。言語学の考え方です。それを応用しました。
 
発話形式の判断基準(第一段階「描写/セリフ(演技)」)
=形式=
描写の形式:語られた語句が示唆する発話主体が、実在のPLの立場と解釈されるもの.
セリフ(演技)の形式:語られた語句が示唆する発話主体が、架空のPCの立場と解釈されるもの.
 
=事例=
描写:PL「私のキャラは、移動の支持を力強く言いました」
セリフ(演技):PC「俺は行くぞ」
セリフを含んだ描写:PL「私のキャラは『俺は行くぞ』と言いました」
 
 「セリフを含んだ描写」の形式が、セッションで使用される事は多いです。
 しかも、「セリフを含んだ描写」を、演技のつもりで使っても、聞かれた人に描写と感じられることもあるし、その逆もある。
 だから、「描写/セリフ(演技)」は整理の必要上、分けただけ(分節)なんですね。
 
 さて、「発話形式の基礎分節が、現代思想や構造主義を知らないと理解できない」だかなんだか、見当違いでナンセンスな憶測が述べられてるみたいですけど。
 アタシ的には、意味不明なコメントに困惑って感じ。
 
 「描写/セリフ(演技)」、つまりは、PLの立場からの発言か、PCの立場からの発言か、それの解釈ができないTRPG経験者はいないと思います。
 PL発言/PC発言って区別は普通、体験的に理解されることが多いんだと思います。それを、準客観的基準として使えるように、形式的判断基準をきちんと整理してるだけなんですね。
 
 ただ、セッションでGM、プレイヤーを問わず、用いられるオーラルコミュニケーション(発話)の形式基礎分節、第一段階の「描写/セリフ(演技)」だけでは不充分とは思います。
 
 とりあえず、「局外/説明/描写/セリフ(演技)」って分節をわかり易く提示できないかな、と検討中です。
 
発話形式の判断基準(第二段階「局外/説明/描写/セリフ(演技)」(暫定版)
 以下は、まだちょっとわかりづらいと思うんで、仮ヴァージョンです。
 
 「セリフ(演技)」は、物語世界内のPCの立場から物語世界内の仮構事象について語る発話、です。(←「描写/セリフ(演技)」の分節と同じです)
 「描写」は、物語世界内の第三者的視点、または仮構の客観的視点から、物語内の仮構事象について語る発話。(←と、変更する可能性を検討中です)
 「説明」は、実在のPLの観点から、物語世界内での仮構事象、及びセッションの実際について語る発話、と言えばよいかな?(検討中)。
 「局外」は、実在のPLの観点から、実在世界の事象について語る発話、でどーかな?(検討中)
 
 第二段階の「局外/説明/描写/セリフ(演技)」の分節は、まだ必ずしもわかり易くないと思います。繰り返すけど検討中ヴァージョンです。
 第二段階の分節も、なんとか、大学の専門課程前(昔、一般教養課程って言われてたヤツ)で、言語学やれば教わる程度の一般教養レベルには、まとめたいと思っています。(言語学ですので、現代思想とは、直接は関係ありません)
 
 基礎分節に基づく整理の考え方は、次のように進められるべきでしょう。
・分節項ごとの形式の概念規定(準客観的条件)をできるだけわかり易くする。
・それぞれの形式の機能、特性を整理。
・形式が複合・混交した場合の、機能の複合を整理。
・単形式、複合形式、それぞれの、機能・機能複合それぞれのメリット/デメリットを整理。
・単形式、複合形式、それぞれが、セッションのどうゆう局面で、どうゆう目的に活用できるかを検討。

 疑問を持つ方もおられると思いますので、補足説明しておきます。
 「描写/セリフ(演技)」の分節から、「局外/説明/描写/セリフ(演技)」の分節に詳細化した時、「描写」形式の概念規定が変更される見込です。これは最初の分節での「描写」形式に含まれてる諸々がさらに分節されるため、と考えてください。
 
 で、とりあえず、概念規定の仮ヴァージョン(もっとわかり易くしたいです)で、それぞれの機能について考えてみます。
 こっちも検討中・仮ヴァージョンです。
 なお、「局外」の形式については、含まれる事例が多岐に渡るので、今回はちゃんとは考えません。
 「説明」と「局外」を足すと、いわゆる「プレイヤー発言」の集合になります。
 
 多分、今のとこ、あんまりすっきり分けられてないのが、この「説明/局外」の間の分節だと思います。
 とりあえず、物語世界内の仮構事象について語るプレイヤー発言が「説明」。
 その他、ルール解釈やセッション・プレイや、プレイヤー間会話など、セッションの運営を含めた、実際・実在について語るプレイヤー発言が「局外」、って整理はどうかな、って考えようとしてるわけです。
 
第二段階形式分節(発話形式)の機能と特性(暫定版)
「説明」=(仮)実在のPLの観点から、物語世界内での仮構事象、及びセッションの実際について語る発話.
機能:情報伝達⊃実在人物の実際状況理解.
特性:「客観性>主観性」⊃構想.
 
「描写」=(仮)物語世界内の第三者的視点、または仮構の客観的視点からの物語内仮構事象について語る発話.
機能:情報伝達⊃実在人物の仮構状況解釈
特性:仮構の客観性⊃構想
 
「セリフ(演技)」=(確)物語世界内のPCの立場から物語世界内の仮構事象について語る発話.
機能:「仮構人物の仮構状況理解・解釈⊃担当者の実際状況理解・解釈」>情報伝達
特性:暗示性⊃仮構の主観性⊃構想
 
 「セッションの実際」、または「実際」、ってのは、とりあえず、セッション展開のゲーム的側面とセッションプレイについて諸々、と思ってほしいです。
 例えば、ルール運用の妥当性解釈や、プレイング方針についてや、セッションプレイ(GM「ちょっと時間がおしてます、マキましょう」とか)。
 
 セッション展開から離れてしまった、ルール談義や、雑談、マナー関連、その他(PL「すみませんお手洗いタイム」とか)の方は、「局外」と考えてく見込みです。
 
 「状況理解」は、セッション内容に関しては、システムに含まれる論理面、数値面に従っての判断。セッションのゲーム的側面(狭義のゲーム的側面)についての判断、とも言えます。
 また、「セッションの実際」についての「状況理解」もあるはずです。そっちは「局外」でまとめる見込みなので今回は検討されません。
 
 「状況解釈」は、セッション内容に関しては、システムに含まれる言語面についての解釈、特に語り-語られる物語的展開についての解釈(相互了解)。
 また、「セッションの実際」についての「状況解釈」もあるはずです。そっちは「局外」でまとめる見込みなので今回は検討されません。
 
 「仮構の客観」ってゆーのは、物語世界内の世界法則に準拠した客観性。魔法が実在したり、SFガジェットが実在したり、そーゆーのを含んだフィクションを含んだ客観性の事。
 
 「構想」ってゆーのは、行為の狙いとか、演出意図とかの諸々のことです。
 
 どーですか?
 ここまでのとこでも、いろいろ疑問や、突っ込みがあると思うんですけど。仮ヴァージョンなんで、いろいろご意見をお聞かせいただけると助かります。
 
「セリフ(演技)」の暗示性について
 で、ここからは、一応アタシ的には、確定項である、「セリフ(演技)」の機能/形式と特性について考えてみます。
 特に、もんだいが多いと言われる過剰演技の類ですけど、これは、技法としての「セリフ(演技)」の機能が、諸々の発話形式との関連の内できちんと位置づけられていないために、活用法が見失われている面があると思います。
 発話形式としての「セリフ(演技)」の主機能は暗示性です。TRPGセッションで用いられる、コミュニケーションの内で「暗示」が持つ機能を整理すれば、演技の有功活用や、過剰な演技の境界を徐々にはっきりさせてくことができると思われます。
 
「セリフ(演技)」形式の機能と特性
「セリフ(演技)」=(確)物語世界内のPCの立場から物語世界内の仮構事象について語る発話
機能:「仮構人物の仮構状況理解・解釈⊃担当者の実際状況理解・解釈」>情報伝達
特性:暗示性⊃仮構の主観性⊃構想
 
 「セリフ(演技)」の特性は、暗示性が高いことです。発話形式の基礎分節の中では一番高い。
 発話の主体が、「物語世界内のPCの立場」ですので。まず「仮構の客観性」に準拠しなくてはなりません。そして、TRPGの暗黙のルールのひとつ(と思うんですけど)、「PC/PL分離の原則(仮称)」に従って、プレイヤーは知っていることでも、知らないもの・として、発話しなければならない(事がすごく多い)。
 だから、暗示性が高くなるのはあたりまえなんですね。セッションのメカニズムと自然言語本来の性質によるわけです。
 
 もちろん、部分的に情報伝達も含まれますけど、断片的です。「セリフ(演技)」単体を、情報伝達の目的に使用することは、適していません。
 
 ですから、判定が必要な行為申告が見込まれる局面では、「セリフを含んだ描写」とか「説明で補足されたセリフ」の形式が必要になります。
 
 もしくは、GMなり、同卓プレイヤーなりから、「今のセリフの狙いや含み(暗示)」について質問を受けた場合、「セリフ(演技)」を発話したプレイヤーは速やかに応答しなくてはなりません。
 ただ、このとき、もともと、相互了解コミュニケーションの解釈が期待されていた「セリフ(演技)」に込められたメッセージは、必ずしも論理的に説明されるとは限らない、ことは理解されるべきです。←解釈される必要がある(ことが多い)って意味です。
 
 暗示性が高い「セリフ(演技)」によるやりとりには、情報伝達の機能が低い代わりに、1.「『セリフ(演技)』に込められた含みを解釈する楽しみ」と、2.「同卓メンバーの疑似体験を誘発する特性」とがあります。
 
メッセージコミュニケーションと解釈のメカニズムと「セリフ(演技)」
 言語コミュニケーションの発信→受信のメカニズムで考えてみます。
 1.「『セリフ(演技)』に込められた含みを解釈する楽しみ」は、発信者の言語センス・知識、と受信者の言語センス・知識とに依存して、深くも浅くもなります。
 2.「同卓メンバーの疑似体験を誘発する特性」は、セリフに込められた含みがちゃんと解釈されないと発動されません。これは、相互了解コミュニケーションが、コミュニケーション関与者たちの言語知識・センスに依存する準客観である以上、仕方のないことです。
 
 ただ、メンバーは言語センスを具体的訓練で磨くことはできます。
 言語センスは磨けば延びますし、言語センスが伸びると副次的に言語知識も増えます。
 解釈センス、解釈能力の方も、言語知識が増えると、増大します。
 
 「解釈」とか、「相互了解コミュニケーション」とかについて説明しましょう。
 
 ここで言う解釈は、基本的には、誰もが日常生活でやってることを、少し意識的にやるだけのことです。
 例えば、会社の勤務時間中、上司に「カンナッ!」って呼ばれたら、(えー、アタシなんかポカしたかしら?)とか解釈します。でも、上司の人柄をよく知ってたら、「はいはい(今度は何でしょうか?)」とか、解釈するかもしれません。
 上司が、すっと寄って来て「カンナくん、ちょっと今よいかね?」って言ったら、かえって緊張したりしますよね。「はぁ、今は急ぎはこれだけですから、少々のお時間でしたら」とか慎重に対応しちゃったりなんかして。
 
 で、これって、その時の状況(口調や仕種やTPOや)とか、それまでの認識(最近仕事関係で何が起きてるか、とか、上司の人柄の理解)があるからできる解釈なわけ。言語学では「状況依存的解釈」と呼ばれます。
 それから、会話の前後関係や、どこで口篭もるかとかから、段々と意味が絞られてく経過がありますよね。こっちは「文脈依存的解釈」と呼ばれます。
 文脈解釈の方は、個々人の言語知識と言語センスに依存します。
 
 さて、状況依存・文脈依存の解釈は、あらゆる言語コミュニケーションにつき纏います。
 「今は勤務時間中だから」、「今は昼休みだから」、「今はオフタイムで同僚と赤提灯にいるから」、ってTPOごとに解釈のための参照枠が、あまり意識されずに変動してくだけのことです。
 
 言語学では、自然言語によるあらゆるコミュケーションで、情報伝達の側面と相互了解の側面がある、と認められています。
 情報伝達の発信が、コード発信、相互了解の発信が、メッセージ発信と呼ばれます。
 また情報伝達の受信が、解読、相互了解の受信が解釈と呼ばれます。
 
 例えば、法律的に正規の契約書などでの言語使用は、情報伝達>(相互了解≒0)
 文学などでの言語、特に詩的使用では、(情報交換≒0)<相互了解
 日常的な言語使用では、法的な言語使用時と、詩的な言語使用時との中間的な比率で、情報伝達の側面と、相互了解の側面とがせめぎあっている、と論じられています。
 
 「『セリフ(暗示)』の発話形式は、暗示性が高いと言いましたが」、これは、「TRPGセッションで用いられるコミュケーション形式の内では、メッセージが豊富なもの」、と言い換えて構わない。
 
 自然言語のコミュニケーションでは、何がしかの割合で、情報伝達/相互了解が、混在している、と述べました。 ですので、TRPGセッションで用いられる「説明」でも「描写」でも、「局外」ですら、メッセージ性は認められます。
 例えば、「GMちょっと休憩お願いします」が、(プレイヤー間で打ち合わせしたいんです)のメッセージを発していたり、(GM、ちょっとあのうるさいプレイヤーについて相談したいんですけど)のメッセージだったりが、状況依存で解釈されたりはあります。
 TRPGセッションでよくありがちなGMによる、シナリオの狙いの暗示・誘導も、こうしたメッセージ性が活用されています。
 
 「説明」では、情報伝達に比重が大きく寄った発話が期待されます。元々適してますし。
 「セリフ(演技)」単体は、暗示は豊富で相互了解の面に偏っていて、情報伝達の比重は軽い。
 
 もし演技をセッションで有功活用しようと思うなら、この暗示や、メッセージコミュニケーションをどう活用するか、と、情報伝達が必要な局面では、他の形式の発話などで、どう補ってゆくかが、技法活用の戦術になるわけです。
 
#この投稿は以上です。 

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99年10月19日:08時41分54秒
[語彙を豊富にするノウハウ【補足】]言語の意味とレトリック(Re:感想と質問#2 ) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>混沌太郎さんへ
#とりあえず、別のトピックにわけてみました。
@混沌太郎さんWrote(「[語彙を豊富にするノウハウ]感想と質問」,当掲示板,99年10月19日:02時55分01秒)
>最初の例に関しては、「構文に応じて」がキーでしょうか。つまり、文脈等は意に介さず、文法的な形式のみで文中での単語の意味を特定できるか、ということではないかと思いますが、まあそれは大抵無理でしょう。しかも残念ながら日本語の場合、品詞が変わるだけで違う単語になってしまうので、良い例が思いつきません。
 
 はい、そーですよね。
 「文法的な形式のみで文中での単語の意味を特定できるか」と言うと、アタシも無理だと思うんですね。
 ところが、掲示板でも、ときどき「自分はキチンと文章を書いているのに、誤読された」ってみなす人がいますよね。
 もしくは、筆者が意図していた文意以外の読解を認めない人とか。
 これらの発想はせんじつめると、「文法的な形式+単語の意味の辞書的な正さで文の意味は特定できる」って前提がないと出てこない発想だと思うんですね。
#単語の意味、については、混沌太郎さんが疑問を提示してくれましたけれど、混沌太郎さんが言われるとおり「この文中におけるこの単語の意味」というような、限定された局面で使った方がしっくり来る」んですよ。
#もしくは、「単語意味」を「単語が意味し得る事がらの総合」としてて、「文章において絞り込まれる単語の意味」を「(単語の)文章上の価値」と呼ぶかですね。
#「概念」というのは、基本的には「事物の概念」のことですので、「単語が意味し得る事がらの総合」は必ずしも概念とは限らないことになります。
#まー、ふだんは「概念(コンセプト)」も「観念(アイディア)」も区別無しに使われて、それでも通用するんで、構わないっちゃ構わないんですけど。「単語の意味/文の意味/文章の意味」みたいな話題では、ちょっと細かく区別してった方がよいかなぁと思います。
#もし、混沌太郎さんが「意味されるもの=概念」ってことを示唆してられるのなら、その通りなのですが……。このシリーズでは、アタシ的には言語記号論の概念を(笑)導入しないで、どこまでコミュニケーションの実態に即した現代的な言語思想について説明できるかちょっと試みてみたいと思っていまして(だって、言語記号論の用語持ち出すと評判悪いんだもん:苦笑)。それでまぁ、用語を使うと簡単言えるところもいろいろ言い回しを考えて書いてる面がありますです。
 
>二番目の考え方の例では、「単語ごとに個性的な結びつき方を持っている」ということですので、前後の文脈やその文章が言及しているテーマまで考慮に入れることにより、辞書に「六つの用例が記載されていた」としても特定の意味に絞れる、ということでしょうか。
 えぇとですね、「文章が言及しているテーマまで考慮に入れることにより、辞書に『複数の用例が記載されていた』としても特定の意味に絞れる」ということではあるのですが……。
 
 また極端な例を考えてみましょうか。
 例えば「なんとか」って単語と「かんとか」って単語があったとして、どちらも辞書に六つの用例が記載されていたとします。六つの用例を一対一に対応させていくと、一言一句違わぬ用例(用法)が六つずつ載っていたとします。
 
 ところが、「なんとか」の解説記事では、1=A,2=B,3=C,4=D,5=E,6=F.と記事が記載されていたのに、
「かんとか」の方では、1=F,2=E,3=D,4=C,5=B,6=A.となっていたとします。
 
 もしこうした事例があったら、「なんとか」と「かんとか」は同意語ってみなしてよいはずですけど、それでも、「単語が意味し得る事がらの結びつき方の個性」は違うわけです。
 「なんとか」を用いた方が相応しい文章と、「かんとか」を用いた方が相応しい文章は、ちゃんと区別がつくわけです(もちろん「どっちを使ってもいいやぁ」って文章もあると思います)。
 
>「事がらの総合」としていますが、それは単語の総合的な意味を考えた場合の話であって、個々の文章では「個性的な結びつき」により意味は特定される、と。
 個別の文章で意味が絞り込まれるのは(混沌太郎さんも言ってられますけど)、これは、単語の方の性格が、文脈によって絞られるわけです。
 
 で、まー、「キチンと、文(または文章)の表面上の意味を(ほぼ)一つに絞り込んで、単語の意味の広がりをニュアンス(含意)に押さえるレトリック」と、「文の表面上の意味も複数の読解が可能な(多義的な)ままにしておくレトリック」とがありまして、この二種類は別のテクニックなわけなんですよね。
 
 言語は本来多義的でして、単語も多義的です(固有名詞は例外)。
 ですので、辞書には大抵複数の用例が記載されています。
 例え、辞書に用例が六つしか記載されていなくても、単語が担いえる意味は、通例六つ以上なのです。
 辞書に記載されている用例は、単語の使用で担い得る意味の代表例にすぎないと言えるわけです。
 
 これも、あたりまえのようですけど、「辞書の記載事項は、単語の“正しい”定義」だと見なす人は、なんとか、辞書に載っていない単語の用法も、記載事項(“正しい”定義)の解釈から導こうとしたりします。
 「辞書に載っていない単語の用法を辞書の記載事項から導き出すこと」、これって間違いとは言いきれないんですけど。そのときに、ある単語の、類語や対照語との関係性を考慮にいれるようにしないと、すごく強引な論理が展開されることになっちゃう、のがもんだいなんです。
 
#これは、ある単語を好き勝手に“定義”してどんな意味にでも用いることができるということではありません。
#文意が通るか通らないかは、「単語の意味(意味し得る事がらの総合)」によって規定されています。
#で、「単語の意味(意味し得る事がらの総合の単語ごとに異なる個性)」は「辞書を読むこと」で理解してゆけるわけです。
 
#「用例」と「用法」の差は、混沌太郎さんの言われる通り、通例は、「辞書に記載されているのは単語の用法」と言った方が、通りはよいと思います。
#ただ、アタシ的には、「単語は辞書に記載されている用法以外にも使用し得る」、「その意味で、辞書に記載されているのは用法の例(笑)にすぎない」という面を強調したかったんです(なんか「用例」「用法」以外によい言い回しはありませんでしょーか?:笑)。
99年10月19日:08時31分31秒
[語彙を豊富にするノウハウ【補足】]文法と文章の意味(Re:感想と質問 ) / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
>混沌太郎さんへ
#さしあたり、簡単にお応えできることを先にお応えしておきたいと思います。
@混沌太郎さんWrote(「[語彙を豊富にするノウハウ]感想と質問」,当掲示板,99年10月19日:02時55分01秒

>大学一般教育過程で英語を学ぶときに、「受験で身につけた文法知識はすべて忘れるように」
 
 義務教育の教育過程で教えられる英文法の文法思想がすごく古臭い、という話ですね。
 アタシの書いた[語彙を豊富にするノウハウ]の関連で言うと、義務教育の教育課程で教えられる文法思想での「文章の意味をどぅ考えるか」と、「意味と文法の関係」についての考え方が古い、ってあたりがポイントです。
#言語学の方では、義務教育で教えられる英文法は、「一世紀くらい古い思想」とも言われるようです(19世紀の思想ってことですね:笑)。
 
・古い文法思想は「文の形式が異なっても、意味は同じであり得る」という前提が強いんです。
 例えば受験で、ある例文を能動態から受動態に変形したりする、問題をよくやったと思うんですけど。
 これは能動態の文と(それを変形した)受動態の文の、意味は同じって思想が根本にあるんです。
 
・これに対して、より、言語の実態、例えばコミュニケーションの実際などに近いところで構想されている現代的な文法思想では、「文章の形式が変化すればその意味も異なる」と見なされます。
 能動態の文と、それを変形した受動態の文も意味が異なる、とみなされます。
#って、言うと「あったりまえじゃん、そんなの」って言う人もいると思うんですけど(笑)。
 
 何がもんだいになるか?とゆーと、もし文法的に“正しく”変形された文の意味が同じ、であるのだったら、ある文章の中の一文に文法的変形操作を加えたアレンジ文(文章)の意味も同じでなければならないはず、−−だけど、そうはならない、ってとこが重要ポイントなんです。
#ある文章を構成する一文に文法的変形を加えた場合、文章の意味は変ってしまう、と言うことですね。
 
 現代的な文法思想で言われる「意味」には、文脈的な意味やニュアンス(含意)も含まれます。
#というか、コミュニケーションの実際に近い場面で、ニュアンス(含意)や文脈についての文法も扱うのが現代的な文法なわけです。
 古い文法思想では、文の(表面上の)意味だけに注目し、ニュアンス的なものは、曖昧さとして脇に追いやられてる、とも言えます。
 ニュアンス(含意)というと、「文章の内容とは関係ない枝葉末節」、「そゆーことに捕らわれるな」的に見なす意見もまだあるのですが。「含意」というくらいですので、それもまた立派な意味(文、または文章の意味)だ、みなし得るわけです。
 
 コミュニケーションの実際を考えたときに、「文章の意味」というものの理解を変えざるを得なくなったのが、“一世紀前の”文法と、現代的な文法の思想の違いなわけですね。
#能動態と受動態の事例は典型的なのでひとつだけ挙げましたけど、「文章と意味」の考えかたの変質は、他にもいろいろな文法上のもんだいに波及しています。
#もし、この辺のことについて、もう少し突っ込んだことに興味をお持ちの場合は、次の概説書とかがお勧めできます。
池上嘉彦,『<英文法>を考える <文法>と<コミュニケーション>の間』,ちくま学芸文庫イ−11−1,ちくま書房,Tokyo,1995. ISBN4-480-08230-1 C0182
99年10月19日:02時55分01秒
[語彙を豊富にするノウハウ]感想と質問 / 混沌太郎
私もそうですが、一般的には、自分の知る表現の外側に関しては割と無頓着に言ったり書いたりしているのではないでしょうか。自分の知る範囲内では最善を尽くすとしても、です。そうしてみると、このノウハウはなかなか魅力的です。
とはいえ、実践するには当座の必要性か仲間が欲しいところ。私などは類語辞典を漫然と読む程度が関の山でしょうか。

大学一般教育過程で英語を学ぶときに、「受験で身につけた文法知識はすべて忘れるように」と言われたことはないのですが、これはどういう意味でしょうか。
私は大学生になってから英語のTRPGルール(と本業の方の論文・・・って主客転倒ですね)を読む上で結構重宝したのですが。

どうも抽象的な例というものは分かりにくいので、できれば具体例の方が良かったのですが、とりあえず自分で解釈してみました。6面ダイスの喩以降は以下のような解釈で良いのでしょうか。

最初の例に関しては、「構文に応じて」がキーでしょうか。つまり、文脈等は意に介さず、文法的な形式のみで文中での単語の意味を特定できるか、ということではないかと思いますが、まあそれは大抵無理でしょう。しかも残念ながら日本語の場合、品詞が変わるだけで違う単語になってしまうので、良い例が思いつきません。
二番目の考え方の例では、「単語ごとに個性的な結びつき方を持っている」ということですので、前後の文脈やその文章が言及しているテーマまで考慮に入れることにより、辞書に「六つの用例が記載されていた」としても特定の意味に絞れる、ということでしょうか。
「事がらの総合」としていますが、それは単語の総合的な意味を考えた場合の話であって、個々の文章では「個性的な結びつき」により意味は特定される、と。
例えば、「崩れ」と言う単語も、単語の意味の変化を対象として用いていることから、物理的にばらばらになることではなく、整っていた状態が乱れるという方の意味で使っているとわかります。
最後に、「単語の意味(の総合)」について述べておられますが、これは実際の使われ方を何例も知ることにより、その言語における環境での「関係の近い語との差違」を見抜いて単語を使い分けるということでしょうか。
例えば、言葉の「乱れ」ではなく「崩れ」と表現しているところから、どちらかと言えば「歓迎できない」という感情よりも「単純なエントロピーの増大」的な判断の方が強く出ている、とみなすことができる、とか。
さらに進めて、この使い分けが筆者の意識を反映したものであるのか、それとも「崩れ」としている人々の意識を想定して書いているのか。いや、それは流石に「単語の意味」の範疇を越えていますね。

それから用語の定義ですが、「用例」とされているのは「用法」とした方が良いと思います。「用例」というのはその単語を含む例文のことを指すのが一般的です。
また、単語の「意味」として、様々な情報を含んだ総合的なものを指していらっしゃいますが、私は「この文中におけるこの単語の意味」というような、限定された局面で使った方がしっくり来ると思います。
総合的に指す場合には、最終的な関心が個々の意味に指向している場合には「意味」で良いと思いますが、それ全体を取り上げて論じようという場合には「概念」とした方が良いのではないかと思いました(この辺分かりにくくて済みません。私の考えもまだ浅いもので)。

(sf:依頼により重複削除しました)


99年10月17日:08時59分48秒
[語彙を豊富にするノウハウ【理論】]単語の意味と使用法 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
#「[語彙を豊富にするノウハウ【実践】]辞書の読み方の習得法」の続きです。
 
■ちょっと理論編(単語の意味と用例)
 単語の意味はひとつではなく、本来言語とは多義的だ(固有名詞は例外ですが)ということは、誰でも経験的に知っていることなのですが。辞書に記載されている項目記事は、単語の意味ではなく用例にすぎない、ということを実感を伴って理解している人は割と少ないように見受けられます。
#アタシが思うに、これは、ほとんど文部省の義務教育過程が生んだ害ではないかと思うのですが。
#特に、国語教育での採点法と英語授業での古い文法思想に基づいた文法教育の害が多いと思います。
#大学一般教育過程で英語を学ぶときに、「受験で身につけた文法知識はすべて忘れるように」と言われて愕然とした人も多いと思います。
 
 辞書に記載されている項目記事は、単語の意味ではなく用例にすぎない、とはどういうことでしょうか?
 例えば、ある文章を構成するずべての単語を辞書でひいたとき、どの項目にも六つの用例が記載されていた場合を考えてみます。
#実際にはこうした事例は考えづらいのですが、ここでは抽象的にそういう事例を想定してみます。
 
 この抽象的な想定の場合、「単語の意味」とは、各単語が1〜6の意味を持っていて、丁度6面ダイスを一直線に並べるてその表面を眺める様に、予め確定された各単語の意味を構文に応じて並べることで、文意味が定まる、−−とこの様なイメージで「単語の意味」や「言語の多義性」を理解している人が少なくないと思います。
 
 6面ダイスの喩で示したようなイメージは、言語の本性を考えると不自然なイメージなんですね。 単語の意味を、特定の数のいくつかの概念のたんじゅんな集合として理解していくと、特定の単語が文脈によっては、極端にかけ離れた意味を担い(場合によっては辞書に用例も記載されていないような意味すら担うこともありあます)、にもかかわらずコミュニケーションが成り立ち得ること、の理由が理解困難になります。
 
 また、単語の意味がなぜかある時期に、唐突に変化するかの説明も困難になります。
 それどころか、ほとんどの場合、単語の意味の変化を、「崩れ」としてしか評価できなくなります。
#単語の意味というのは変化せざるを得ないものですので、それを「崩れ」としてしか、評価できない思想というのは割と不毛だと思うのですね(この件には、異論もたくさんあるでしょうが)。
 
 「単語の意味」というのは、「ある単語が意味し得る無数の事がらの総合」であり、「その意味し得る事がらの総合は、単語ごとに個性的な結びつき方を持っている」、と、そうした在り方でイメージした方が、語彙を豊富にしてゆくに際しては有効です。
#うえのイメージも、言語の本性ということを考えるとまだ図式的で近似の説明にすぎないのですが、それでも、先に挙げた6面ダイスのイメージよりは、まだ実態に近いイメージです。
 辞書に記載されている項目記事は、「単語が意味し得る概念」の代表的な例をピックアップしたものです。
 辞書の記載内容は、単語の意味ではなく用例だからこそ、辞書は「単語の意味(の総合)」を考えながら読むようにしたほうがよいのですね。
 そして「単語の意味(の総合)」は、辞書の各記載項目だけではなくって、類語・同意語や対照語・反意語など、関係の近い語との差違を考えることで理解できてゆくわけです。
 「読む」と「ひく」との差は、「ひく」方は丸暗記、または、そのままの引用であるのに対し、「読む」は「考えながら読むこと」なわけです。
 
■語彙の豊富さ
 普通、豊富な語彙、「知っている言葉がたくさんある」−−、つまり辞書に記載された用例について知識が豊富にある、といったことが連想されると思います。
 ところでそうした知識の量とはまた別に、限られた語彙でも、それを使う用法について応用力がある、という面も語彙を豊富にしてゆくためには重要な側面です。
 普通言われる語彙、数多くの単語を知っている知識の量は、「辞書をひくこと」でのびてゆきます。
 
 一方、単語使用の応用力の方は、「(考えながら)辞書を読む」ことをしないとなかなか延びません。
 語彙、つまり単語についての知識量と用法の応用力は、車輪の両輪のようなものなので、どちらか片方だけ偏ると、コミュニケーション能力も偏向して、うまくいかなくなってしまうものです。
#特に文章の読解力は、単語使用の応用力を伸ばさないと、偏る傾向があります。
 
 今回ご紹介してみました、辞書の読み方、−−辞書の読み方の慣れてゆくノウハウは、どちらかというと、単語使用の応用力から伸ばしてゆく手法です。
 たいていの人は義務教育や日常生活を通じて、すでに必要充分な語彙数(知識量)を身につけているものです。ですので、応用力を伸ばしてゆく手法はかなり有効です。
 また、今回ご紹介した手法を重ねてゆくと、徐々に類語・同意語や対照語・反意語についての知識も豊富になってゆきます。ですので、応用力を伸ばしながら、付随して知識量も増えてゆく、というお得な手法なわけです。
99年10月17日:08時52分38秒
[語彙を豊富にするノウハウ【実践】]辞書の読み方の習熟法 / 鍼原神無〔はりはら・かんな〕
 大学の一般教養過程なんかで、語学とか(後、一部の文学とか)やると多分「辞書はひくものではなく読むもの」とか言われると思います。
 「辞書を読む」ことは、語彙を豊富にしてく手法のひとつなんですけど。「辞書の読み方」に慣れてくノウハウってゆーのがあるんで、ご参考までに整理して書いてみようと思います。
 
 最終的には、複数の辞書を読み比べて、単語の意味を考えながら読む、ってゆー段階が目標になるんですけど。そこまでゆくにはちょっとした慣れが必要です。
 特に、複数の辞書で、同じ項目(単語)についての記述だけ読み比べるのは、慣れてないと、読み込むのむづかしいと思います。
 
■同意語・類語と反意語・対照語
 辞書を読むことに慣れてゆくには、まず、一冊の辞書である単語の、A「同意語・類語」についての記述、次にB「反意語・対照語」についての記述を読み比べるようにしてゆくとよいと思います。
 
 ところで、日本語の辞書類で、類語や対照語などのレファランスが豊富な辞書って、あまり見かけないと思うんですね。広辞苑なんかでも、不充分な気がします。どちらかと言うと、「反意語・対照語」についての記事が「類語・同意語」についての記事より多い辞書載の方がよく見られる気がしますが。
 
 ですので、いきなり複数の辞書を読み比べるより前に、一冊の国語辞書(できれば「反意語・対照語」の記載が豊富なものがよいでしょう)と、補助的に類語辞典を一冊決めて辞書を読むようにしてゆくとよいと思います。
 
 類語辞典に関しては、アタシのお勧めは、『類語国語辞典』,角川書店,Tpkyo. isbn4-04-012000-0 c0581、です。
 いくつか試してみたけどアタシはこれが使いやすいと思います。
 
 反対語辞典も補助として一冊いいのが欲しいところですが、アタシは人にお勧めできるほど、「コレ」ってゆーのをまだ見つけられないでいます。いちおー、角川のと三省堂のとを持って使ってるんですけど、どちらもどちらという感じは拭えません。
 
■練習用の文章を用意する
 さて、まず、ある文章、それは掲示板への投稿用でも、同人誌向けに用意した文章でも、なんだったらお気に入りの小説の一節でも構いません。ともかくなんでもよいから文章を用意します。
 
■練習用文章の単語を類語で置き換える
 次に、類語辞典を使いながら、用意した文章を構成している単語を一語ずつ類語に置き換える作業をしてみます。
 はじめのうちは、どれか一単語だけを置き換えてみるので構わないと思います(このとき固有名詞は関係ないです、類語とかありませんから:笑)。
 
 類語辞典は、実際に見るとすぐわかりますけど、ある項目に類語として掲載されてる単語群の内、半数以上は特定の文章の置き換えに使えません(笑)。意味がかけ離れていて、そぐわないんですね。
 慣れるまでは、多少ムリがある程度の類語も置き換えてみて、最初の文章をアレンジした文章をいくつか書き出してみます。書き出してから、さらにチェックして、文意の通らない文章は除外していくとよいと思います。
#このステップは慣れると短縮できて、文章を書き出さなくても、文意の通らない単語、すぐに見分けられるようになります。
#このステップでおこなう作業は「文意の通らない文章を除外すること」で「文意やニュアンスが変化しちゃった文章」は除外せず残すようにしてください。
 
 さて、ここまで準備ができたら、元の文章とアレンジした文章群を読み比べます。それぞれの文章の意味やニュアンスには多かれ少なかれ違いが生じているはずです。
 この文意やニュアンスの違いがどうして生じてるかを考えることが辞書を読むことの出発点です。

■辞書を読む
 まず、辞書で置き換えた元の単語の項目を見ます。大抵、複数の用例が記載されているはずです。 元の文章の文脈をみて、文章の内で単語が担っていると思われる意味(表面上の意味)を辞書の記載項目の内から特定してみます。
 次いで、先にピックアップした類語への置き換えをした文章(アレンジ文)についても、置き換えた類語について、文脈から単語が担わされている表面上の意味を日本語辞書の記事から特定してみます。
 ここまで準備すれば、後は「単語の意味」を考えながら辞書を読んでくだけです。
 それぞれの類語ごとに、「文章の表面上の意味(用例)」と、「背後に隠れてしまった意味(用例)」の関係を考えます。
 これが、アレンジ文それぞれの文意やニュアンスに差違が、なぜ生じているかを考えてみることにつながります。
 
 実は、単語の意味というのは、文章の文脈によって特定されるとみなしたた方がよいのですが。ニュアンスの差も、かなりの部分、文脈によって表面から隠れてしまった単語の意味(用例)の影響で生じていますす。
 もちろん、構文や、修飾語などによって生じるニュアンスもありますが。今回説明している手法で、特定の文のアレンジを比較するのは、そうした構文や修飾語といった条件を単一化しておくためなわけです。
 単語の違い、以外の条件を制限することで、類語の持ち得る意味の差違を考えてゆく手法なわけです。
 
■反意語・対照語の利用
 ここで、各アレンジ文の文意やニュアンスの差違の“正体”が今イチわからない場合は、反対語辞典を投入するとよいでしょう。類語の表面上の意味の区別がほとんど辞書の記事からwからない場合でも、類語それぞれの反意語・対照語を比較すると意味の差違がはっきりすることがあります。
 このような作業を繰り返していくと、単語の意味について考えながら辞書を読むコツにだんだんと馴染んできます。
 
■辞書を読み比べる
 当然ながら、辞書にも編纂者や執筆者がいますので、辞書ごとに編集方針というものもあります。同じ単語についての記載項目も複数の辞書間で比較すると微妙な差違があるのですが、そこまでを読みとるには、ある程度慣れが必要です。
 というのは、辞書の記載項目の記事内容は、ぱっと見では似た様な記述であることが多いからです。
 類語間の微妙な意味の差違を考えながら読みとるようにしてゆくと、辞書の記事内容を読むコツに習熟してゆけるわけです。
 
 実際には、掲示板への投稿文を推敲する際などにこうした訓練手法を導入してみると効果が出るのではないかと思います。
 
#「[語彙を豊富にするノウハウ【理論】]単語の意味と使用法」に続きます。
99年08月31日:17時59分53秒
暗号なら / レイナス
 はじめまして。少し書きこんでいきたいと思います。
 自分は今、オリジナルの世界を作っていますが、ここでは言語が複数あるので、それを利用しています。つまり異種族の言語で話せば、充分暗号として機能するんです(PCが知らないことを前提にしていますが)。余りやらないほうがいいとは思うんですが、PCが何を話しているのか興味を持っても、正確に確かめることはできません(嘘をついても判らない)。ネタばらしをするときに、謝る事になりますね。
 とりあえず言いたいことを言ったのでまた今度。
99年06月05日:12時33分46秒
暗号の話はいかがでしょうか / 混沌太郎
 暗号関連の話題もここでよろしいでしょうか。
 
 暗号といっても色々種類があるので、
 
 "ATVLR LRSI"
 
 みたいな、字をずらすタイプのものはかなり数学が入ってきますが、
 
 「熊の毛皮700頭分、7月中旬に東プロイセンに到着予定。」
 
 のような、隠語式の暗号はRPGでもフレイバーを出すのに使えそうです。
 (たとえばこの場合、熊がロシアを表し、毛皮の数は軍の人数/100を表します)
99年05月25日:13時55分32秒
言葉遊びRPG / 建.
4-woodsさん、どうもはじめまして。
実は「言葉を中心に据えたRPG」というのは同人ルールでWWW上に公開されている「言霊」というRPGを拡張したものでして、簡単にルール概要を説明すると

・あ〜ん、71の仮名が書かれたカードを各自持つ
・手札の文字をつけた言葉を使えば何でも魔法が使える

というものなんですね。だからむしろ「こじつけ」が重要になるわけです。GMは精霊役をやり、その言葉をどう理解するかというのを判断するのが仕事になります。
そこに妖精物語的な物語創造システムを持ち込もうというわけです。言い間違いが本当になる事件(言禍)、精霊が仕事を手伝うかわりに魂をよこせ、ただし3日以内に名前を当てたら…というもの(真名)、奇妙な法則で戦いを挑む言霊使い…などです。

「かるた遊び」複数の道から正しい道を選ばねばならない…だがじっくり選んでる余裕はない!後ろからはやつらが迫ってきているのだ。だがこの先の道とて危険なことには変わりない…と、ここで数枚のカードをGMは場に出します。一部は公開し、一部は未公開。そこから正しいと思われる道をプレイヤーが1枚選ぶわけです。情報は頭文字のみ。公開札にはヒントもつけましょう。内容の判断はマスターが下しますが、条件次第でプレイヤー宣言も可能。


99年05月18日:23時41分15秒
言葉遊びでRPG / 4-woods
こんにちは。健.さん。始めまして。

思い付きですが呪文の体系にしてしまうとかはいかがでしょうか。
例えば「か、す、た、な」の四つの力をもつ魔法使いは
・「たか」(鷹)空を飛ぶ、物を見つける
・「たす(ず)な」(手綱)動物をあやつる
・「すな」(砂)水を干上がらせる、眠らす
・「なた」(鉈)木を斬る→森に道を作る
・「かたな」(刀)武器の攻撃力を上げる
と、行った具合に。(上の例ではこじ付けがひどすぎますが。)

もっともプレイ中の煩雑さを考えると設定にとどめるのが無難かも知れません。
99年05月11日:21時12分43秒
【言霊】言葉遊び超能力。 / 建.
えらくご無沙汰しておりました、建.です。RPGとはいまいち関係ないんですが…。
言葉を中心に据えたRPGを作ろうと(1からじゃないけど)しており、中心に言葉遊びの概念を持って来ようとしているのですが。
実際にセッションに活用できる言葉遊びにはどんなものがあるでしょうか?

最近のテストプレイでは「たぬき」をしました。そのダンジョン内では言葉に「た」をつけてはならないというものです。…マスターの情景描写が一躍トップでした。
「きみちは」「あ、今言っ
#幽遊白書の「タブー」から。
行為判定にも文字を使用するルールなのでできることですが。
とりあえずこんなのもあるぞ、でいいのでご意見を聞きたいです。

ほんとは「その遊びからどうシナリオにするか」という基本になるシステムを作らんといけないんでしょうが…。


99年04月22日:17時19分59秒
この掲示板は良い! / 4-woods
と、タイトルを見た時思ったのですが…。
ぜんぜん動いてないみたいですね。

RPGのプレイ中(マスター、プレイヤー双方)、最も気になるのがキャラクター(シナリオ)の描写のメインになる「しゃべる」です。
描写の手段として図や絵を用いてもやはり言葉の善し悪しが決めてですね。

98年12月12日:12時08分36秒
なるほど / 琴羽乃彩
やっぱ、表現の仕方一つで雰囲気はかなり変わるようですね。
盗賊が罠感知マシンとなってしまうというのは、経験しているので身にしみました。
反応が遅くなってすいませんでした。
98年12月04日:17時25分08秒
Re:情報の表現 / metral
 「君には、罠は無い様に思える」
 って応える事が多いです。
 良いとこまで行ってて失敗している時には
 「君にはその罠を見つける事が出来なかった。もう一つはっきりしない」
 って応えるようにしてます。
98年12月04日:17時21分19秒
oop! Teleporter(re:情報の表現) / TTB
こんにちは。TTBです。(^o^)
>たとえば、罠感知の結果を「罠はなかった」というのと
>「罠は見つからなかった」というのでは、見つからなかったと
>いうほうが雰囲気が出るのでは、と思うのですが。
 そうですね。違うでしょうね。私は、できるだけ、手触り(感触)なども描写するように試みます。慎重に、罠を発見しようと試みているPCは、勤めているわけですよね。
 
 特に盗賊のキャラクタが専門に、罠感知をするシステムのときには、なんか、さらっと流してしまうと、そのプレイヤーは、「罠感知マシン」みたいなものになってしまいがちなので、そのようにならないように勤めます。
(その人はマシンじゃなくて、PCをプレイしたいと思うのです)
 
 なんか、罠のありそうなものが、見つかるたびに「盗賊、仕事だぞ」とか、他のプレイヤーにいわれてダイスを振っているだけじゃつまらないと思います。そういう、「おい、盗賊」とか呼ぶプレイヤーには、注意するようにします。
 
 あとは、そうですね。ここは、盗賊の見せ場でもあるわけですから、表現するときに、盗賊のプレイヤーを見つめて、描写することも、心掛けているつもりです。まあ、盗賊に限らず、個々のプレイヤーの見せ場では、できるだけ、そのプレイヤーの方を向いて話すことですか。
 
 なんか、まとまりのない話かもしれませんが、何かのお役に立てば幸いです。
98年12月04日:16時14分08秒
情報の表現 / 琴羽乃彩
ほんとーに、ちょっとした事なのですがプレイヤーに情報を与える際に、表現を変えるだけで雰囲気が変わると思いません?

たとえば、罠感知の結果を「罠はなかった」というのと「罠は見つからなかった」というのでは、見つからなかったというほうが雰囲気が出るのでは、と思うのですが。

皆さんは、どういう表現の仕方とかしているのですか?
98年11月25日:16時42分41秒
建. / 「助さん、ナイスアイディアじゃ!」
こんにちは、ヌケサクさん。未熟者に意見をくださりありがとうございます。
下の「雰囲気を壊す一言」についてのことですね。

RPGの言葉において一番大切なのは、時代考証のような正確さではなく、 誤解なくマスター・プレイヤー間での情報がやり取りできるという正確さだと考えます。
そのためならば時代劇で表題↑のようなセリフも可です。雰囲気も大切ですが必要なのは最低限の誤解ない(させない)情報であり、雰囲気はその後余裕があればでいいと思います。時代考証はそのまた先でしょう。
#私自身は雰囲気で押すタイプなのでそれっぽい言葉に頼ったりしますが

余分な一言によってまったく違うイメージをもたれてしまう、ということがあります。 逆に言葉が足りなくてGMの意図とは違う方向にイメージがいき、全員の想像している情景に違いが生じてしまうということもあります。

例として、「アフリカ」という言葉。これだけだと半分くらいの日本人は太鼓がどんどこどんどこなるジャングルのようなすごいイメージを持ってしまうかもしれません。
これに「アフリカ・民族紛争」と少し現実味ある言葉を加えてみましょう。 槍と盾を持ってときの声を上げるイメージを持つ人はさすがに減るでしょう。
さらに「アフリカ・民族紛争・地雷・日本製兵器」とつなげていくと、もう太鼓の音は聞こえません。

この時、「ダイヤモンド」「大陸縦断鉄道」といった言葉が続いていたら同じアフリカでもまったく違うイメージが形成されていたことと思います。 適切な言葉を補うことで共通のイメージを抱かせることができるのです。ただし、多ければいいわけではありません。 現実味あるシナリオでうっかり「ライオン」「サバンナ」などの単語を出していたら、アフリカに高層ビルがある(当然ですが)なんて思いもよらなくなってしまいます。

後は書き言葉でなく話し言葉である、ということですかね。頭の中で漢字変換しなけりゃいけないような難しい単語はわかりやすさを妨げ、思考を鈍らせます。

逆に「専門用語をならべてけむに巻く(単にわからない、と答えるよりプレイヤー自身わからないと納得できる)」「イメージの誤解を利用したイベント(「伝説の戦士」は男か?金持ちの家は豪邸か?)」 という上級テクニックもあるんでしょうが、危ない綱渡りであることは自覚しておいたほうがいいかもしれませんね。 本当にプレイヤーが分からない状況は避けたいです。

RPGが想像の遊びで、その想像がGMの言葉に頼るものであるならば、まだまだ言葉について考えるべきなのかも知れません。うむ。勉強あるのみ。


98年11月23日:00時50分45秒
雑感(本当に雑感なのですが、お許しください) / ヌケサク
 
>「竹を割ったような人だ」
>「竹?なぜあなたはそんなことを知っ
>ているのですか」(ゲームが違うような…?)
 
 ぼくはこれには極力こだわらないようにしています。 極力というのは、実はこだわる質なので、押さえておるというしだいなのです。それをいいますと、「これでおまえも一巻の終わりだあ」とは日本の中世・近世物では言えなくなったりしますしね(これは映画のオープンリール一本分のことを一巻と呼んだことから来ているので)。ぼくは言葉には普段恐ろしくうるさいので、知り合い・友達からよく「つらい」といわれてしまうんです。あ、つまりこだわってもいいのですが、少なくともぼくはこだわらないということですよ。そういう人間もおりますよ、ということでしかありませんが。
 
 あと、ゆっくり話すよう心がけています('-')b。早口でしゃべるときはたいてい実は根拠がないという自覚、ごり押しの説得という自覚のせいだったりするからです。ただし、ゲームを離れたときのわたしは早口野郎とよく呼ばれます(^-^)。また、さらに「落ち着いてしゃべると、すんごくのろい」ともいわれます。どーすりゃいいんだ。
98年11月19日:20時22分01秒
言葉は剣よりも強し。〜SWORD&WORDS〜 / 建.
早くも掲示板を立ててくださってありがとうございます。>sfさん
はっ、TTBさんに先を越されてしまった。
2番乗りの、建.という未熟者です。まずはちょっとしたことから。

ファンタジーRPG中で使われている言語は何だ、という話がよくでてきますよね。
「竹を割ったような人だ」「竹?なぜあなたはそんなことを知っているのですか」(ゲームが違うような…?)
とまあここまで極端でなくとも、ちょっとした一言が世界の雰囲気を壊したりします。日本語での駄じゃれとか、現代知識とか。
その中でもリドルをやるときは言葉に気を使います。 頭文字を読む、並べ替えるなど…。 たいていは英語ということでアルファベットを使いますね。

そのなかで今まで印象に残っているのはとあるゲームブックのリドルなのですが、
「s」「w」「o」「r」「d」の五枚の石版を使って竜を呼び出し、暴走させてしまった主人公が、それを
「力を制するは真の言葉なり」という導きの元に「WORDS」と並び替えて竜を制する、というものです。
こりゃアルファべットじゃなきゃ無理だわ。(^^;)

逆に現代日本が舞台の妖魔夜行では「掛詞」が役に立ちますね。妖怪のイメージが作りやすい。
「闇」と「病み」とか。
慣用句はどちらでも使いやすいです。「嫉妬の炎」「真綿でしめるよう」「足が棒になる」

言葉から思いつくシナリオのネタの例でした。


98年11月19日:07時48分14秒
「あ、え、い、う、え、お、あ、お」 / TTB
 こんにちは、TTBです。(^o^)
 若いころは、ボイスコントロールもした覚えがありますが。もう声は出ないですね。
 まあ、掲示板はいい声でなくても話せるので、よしとしましょう。(^^;)
 
 If you have it, You want to share it. If you share it, You don't have it. What is it ?
 
 ゲーム始めたてのころは、こういうリドルに感心して、凝っていたこともあります。
 
 ただ、ややもすると、自己満足になりがちでしたね。最近では、わかってもらえないと困る(ゲームにならない)ので、少なくとも、人には伝え、人から伝えられるという言語の目的を重視できるようになったと思います。
 
 TRPGで、「言ったもの勝ち」みたいな風潮があると、コミュニケーションゲームの側面からは、早口で捲し立てたりする困った人を生み出しそうですね。
98年11月19日:06時46分39秒
TRPGのための言語技術の部屋 / sf
 TRPGに使える「言葉」についての掲示板。各種の言語、セッション中の会話、謎かけや、会話の口調、抑揚、緩急などを扱います。
 ……ということで、TRPG.NET二万カウント記念として、二万カウントを取得された建.さんの要望を得て作成いたしました。

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