[KATARIBE 32374] [HA06P] エピソード『転居』

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Date: Fri, 4 Jun 2010 23:09:28 +0900 (JST)
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エピソード『転居』
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登場キャラクター

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 無戸室近衛(うつむろ・このえ)
     :吹利に越してきたCGデザイナー。子供みたいな男。
     :201号室の新たな住人。
 新間紗枝(あらま・さえ)
     :「しんかん壮」の大家。以外と根に持つタイプ。
     :101号室。
 ??
     :102号室の怪しげな人。

本文

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 春も終わりの兆しを見せ初めた5月の中旬の昼下がり。
 近鉄吹利駅近郊。町外れの印象を持った住宅街の片隅にぽつんと存在する木
造建築アパート。

 その建物の前に一人の少年がいた。

 少年     :「ここかよ………ボロアパートじゃねぇか。」

 呆れ顔で呟く。
 少年―――のような容姿をしているがれっきとした成人男性である。
 男の名前は無戸室近衛。先日仕事をやめ、再就職と共に吹利に引っ越してき
た新参者である。

 近衛     :「どこが、鉄筋コンクリートだっつぅの…」

 手元には用紙があり「しんかん壮」と大きく書かれていた。
 内容はどこにでもある物件紹介だが、その幾つかに赤線が引かれていて、

 鉄筋コンクリートに赤いペンで二重に丸がつけてあった。

 近衛     :「完、全、に、木造じゃねぇのか…」

 目の前に立つのは築30年以上はあろう木造のアパート。
 窓ガラスがカタカタ言いそうで部屋の中はしめっぽそうで夜な夜な漫画を描
き続ける変人達が住んでいそうな…

 近衛     :「はぁ……物件確認もしねぇで契約した報いか…」

 額を手で押さえて、深くため息をついた。

 女性     :「あのぉ〜……」
 近衛     :「あ…?」

 やや苛立ったような声色で声のしたほうに振り向く。
 スーパーの袋を両手にかかえた女性が、半べそかいてそこに立っていた。

 近衛     :(なにか、嫌な予感がしてきた…)

 女性     :「……んまり」

 女性はポロポロと涙を零しはじめる。

 近衛     :「……ッ!?」

 そして、ゆっくりと口を開いた。

 女性     :「あんまり、ボロいボロい言ぅなぁ!!このチビ!」
 近衛     :「なっ!?」

 言い返そうとして何やら自分がすごく悪いのではないのかと思うからか、
何やらピクピクと動くだけに終わった。

 無戸室近衛―――
 初対面の女性に泣きながらチビと言われた初めての体験だった。


 女性     :「えぇ…ごほんっ」
 近衛     :「今、口で言ったろ…」
 女性     :「う、うるさいですね。」

 しんかん荘一階。
 見知らぬ女性に奥の角部屋に通された上、泣き止むまでの数分を無言で過ご
す羽目になったのは日ごろの行いの悪いせいである。

 と思いながら、近衛は頬杖ついて浅くため息をついた。
 女性はどこからか紙を持ち出してきて、こちらの顔を見ながらゆっくりとし
ゃべりはじめた

 女性     :「今日、新しく入ってこられる予定の…む、と…」
 近衛     :「う、つ、む、ろ」
 女性     :「あ。うつむろ、このえさんですね」

 女性は、なるほどー、と何やら嬉しそうに呟いて、きりっと視線を近衛に向
けた。

 女性     :「『しんかん荘』の大家の、新間紗枝です。」

 ことさら大家を強調して胸を張った。

 紗枝     :「ボロくなんてないですよ!それにちゃんとした鉄筋こん
くりーと造りです!」

 ぐぐっと、正式書類を近衛の前に出して、ぷんぷんと擬音の似合いそうな仕
草で怒っている。カタカナが苦手なのか、発音がどこか古い。

 近衛     :「ちっ…聞かれてたのか…」
 紗枝     :「あー!今舌打ちしたー!」
 近衛     :「う…すみません…」

 しゅん、と項垂れる近衛。

 紗枝     :「わ、分かったら良いんですよ…」
 近衛     :(ちょろい…)
 紗枝     :「鍵渡しませんよ…」

 心の内を読まれて跳ね上がる近衛。

 近衛     :「嘘には疎いと思ったのに…えっと、失礼しました。」
 紗枝     :「うん。」

 しっかりと姿勢を正して深く頭を下げると、大家はにっこりと和やかにほほ
えんだ。

 近衛     :「あらためまして、無戸室近衛です。今日からこちらでお
世話になります。」
 紗枝     :「はい。よろしくお願いします。」

 また、次はむかい入れるように、にっこりとほほえんだ。
 近衛もまた、息をつく。嫌味な感じではなく、少し笑ったように。

 紗枝     :「じゃぁ、お部屋に案内しますね。希望は、確か…」
 近衛     :「201号室」
 紗枝     :「はい。じゃぁ、行きましょう。」
 近衛     :「うぃっす。」

 ふと壁から視線を感じた気がして、近衛は振り返る。
 そこにあったのはただの壁、だったが…

 紗枝     :「どうかしましたか?」
 近衛     :「んー…?いや、別に。何でもねぇ…かな。」

 首筋にちりちりと違和感を感じた気がした。
 何もないのだから、何もないのだろう…と荷物を持って紗枝について部屋を
出た。

 新間紗枝の住まう101号室の隣。
 102号室―――

 ??     :「新しい人なんて、ひっさしぶりじゃないのぉ…」

 声は壁に向かって放たれていた。
 正しくは壁の向こう。無戸室近衛に向かって――

 紗枝     :「きょろきょろして、目新しいものでもありました?」
 近衛     :「いや、ボロいなぁ…て」

 ぎゅるん、と紗枝が振り返り、笑顔を向けた。
 笑顔を向けただけだった。

 近衛     :「情緒があって…良いかなぁ…って」

 笑顔を向けられただけ、だったが冷や汗が垂れた。
 意外と怖い大家だな、と心の中で呟いて紗枝についていく。


 部屋は紹介上の数字より広く感じた。
 6畳間に台所、シャワーのみのトイレ別、とあったので狭いイメージだった
が通り良く歩く幅に何の支障もなさそうな造りだった。

 近衛     :「へぇ…部屋の中は綺麗さな。」
 紗枝     :「中は?」
 近衛     :「中も。」

 満足そうな顔で頷く紗枝を見て、部屋の中に入る。
 埃がない。掃除してくれたのだろう。

 近衛     :「ありがとうございます。」
 紗枝     :「はい。」

 太陽の入り方も申し分ない。
 窓を開けて、空気を部屋に入れる。

 近衛     :「この街が、少し好きなったかも。」
 紗枝     :「ようこそ、吹利へ。」

 近衛が照れたように笑うと、紗枝は変わらず和やかに笑った。


 無戸室近衛の新生活がはじまる。

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