[KATARIBE 31819] [HA06P] エピソード『研究対象』

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Date: Thu, 16 Oct 2008 01:06:39 +0900 (JST)
From: Subject: [KATARIBE 31819] [HA06P] エピソード『研究対象』
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2008年10月16日:01時06分39秒
Sub:[HA06P]エピソード『研究対象』:
From:久志


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エピソード『研究対象』
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登場人物
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 橋本保鷹(はしもと・やすたか)
    :ワーモグラな少年、のほほん天才くん。実は相当な隠れブラコン。
 初谷千波(はつがい・ちなみ)
    :初谷凪の息子。千華と双子。脳に『思考する』部分を組み込まれている。
 初谷千華(はつがい・ちか)
    :初谷凪の娘。脳と左目に、『情報を得る』為の機械を組み込まれている。
 初谷凪(はつがい・なぎ)
    :双子の父親。

目を引いたもの
--------------

 学校帰り。
 本を見たいという双子の片割れの言葉を受けて、保鷹は初谷の双子を連れて
近鉄吹利ショッピングセンター内にあるある本屋へと足を運んだ。

 千華     :「わあ」

 立ち並ぶ棚を見て目を輝かせる。

 千華     :「すごいね! 千波、ここはとっても広い、たくさん本が
        :ある」
 千波     :「そうだね」
 保鷹     :「専門書とかは……さすがに本格的なものはないけど」

 感情をまっすぐ素直に顔に浮かべ、口にする。
 日本人離れした風貌と、裏表のないまっすぐな……時に鋭いとさえ思う目が
くるくると表情を変える。

 保鷹     :「うん、ここは吹利で一番種類が豊富だから」
 千華     :「すごいね。あ、千波! あっち見て!」
 千波     :「ほら、そんなに大声を出さなくても見えるよ」

 はしゃぐ千華をたしなめるように、にこにこと笑顔を浮かべたままの千波が
後を追う。

 保鷹     :「…………」

 双子の背中を見送りながら、心のどこかで張り詰めたものが解けていくのを
感じる。

 千華と千波。
 どこか周りの生徒と違う、独特の空気を持つ異国の二人。

 この所、保鷹はこの風変わりな双子と行動することが多い。
 他の生徒達と違い、自分を特殊な目でなくありのままに見てくれる。そんな
安心感が、この二人からは感じられた。

 何度か感覚の違いや素っ頓狂な物言いで混乱したことはあるが、いずれも
彼らには悪意や他意はなく、全く心からの素の考えと行動の末であるというこ
とも理解している。
 だからこそ。

 保鷹     :「……落ち着く、のかな」

 小学校の頃同じ塾に通って同じく霞中に進学したニモとは、最近マトモに顔
を合わせて言葉を交わすのもあまりない。

 密かに噂されること。
 嫉妬や対抗心、畏怖や憧れ。
 保鷹の思いを他所に巡りはじめる周囲。

 保鷹     :「……はぁ」

 彼ら双子や、同じくクラスメイトのルーシーらと居る時だけは、息の詰まり
そうな空気から解放される気がする。

 保鷹     :「ん、と。どこまで行ったんだろう?」

 きょろきょろと見回して、本棚の合間を歩いて、遠目からでもひと目でわか
る千華と千波の姿を見つける。

 保鷹     :「千華さん」
 千華     :「…………」
 保鷹     :「?」

 無言でじっと見つめる先には平積みになった一冊の写真集。

 保鷹     :「……あ」

 表紙は宇宙空間と散らばる星の写真。

 千華     :「……宇宙だね」
 千波     :「うん」

 写真集の帯に書かれた『宇宙の神秘を知ろう』の文字。
 一瞬、保鷹も言葉をなくすほどに。

 そして。
 言葉を失う。

 5000円、帯の端に書かれた値段。

 頭の中で計算するまでもなく。

 保鷹     :「…………」
 千華     :「……ねえ、保鷹。質問なんです」 

 不意に、写真集を見つめていた千華が手を上げる。

 保鷹     :「は、はい」 

 千華     :「これ、全部ここで見て、全部憶えちゃうのって、泥棒の
        :はじまり?」 
 保鷹     :「…………問題ないと思う、けど」 

 憶えることは可能かもしれない。
 だが、この鮮明な色、情景を感じ取るならば。

 保鷹     :「どうせなら、写真集で欲しい、な」 
 千華     :「…………だって高いんだも」 
 保鷹     :「…………うん」 

 手元で使えるお金は千円と少し。
 現実は無常だった。

 ふと、それまで黙ったままだった千波が時計を確認する。

 千波     :「ねえ、20分くらい待てる?」 
 保鷹     :「え?」
 千華     :「うん。その間立ち読みしてるけど……どうすんの千波?」 

 微笑む千波に困惑する保鷹と、不思議そうな顔をする千華。

 千波     :「うん。スポンサーにきてもらおうと思って。あの人こう
        :いうの好きそうじゃないか」 
 千華     :「……来るかな」 
 千波     :「来るよ」
 千華     :「……保鷹、一冊あったら、みんなで、寮で見れるよね」 
 保鷹     :「……え?」 

 何がなんだか分からず双子の顔を見比べる保鷹と、自信たっぷりに笑う千波。

 千波     :「ちょっと待ってね」 

 ポケットから携帯を取り出すと慣れた仕草でダイヤルを押す。

 千波     :「……もしもし、うん、僕。凪は、衛星写真と宇宙の惑星
        :の写真は好き?……うん、だよね。2冊買うお金と一緒に
        :来て」 

 さらさらと瞬きする間に会話を終わらせると、返事も聞かずに電話を切る。

 保鷹     :「…………あの」
 千華     :「ああ……二冊分じゃないと、あの人、自分で持って帰っ
        :ちゃうね」 
 千波     :「うん。絶対駄目。そういうとこ譲らないから」

 困惑する保鷹を他所にお互い納得したように頷きあう双子。

 保鷹     :「えっと」
 千波     :「大丈夫、すぐ来るはずだから」

 笑顔で答える千波に、保鷹はそれ以上言葉が出てこなかった。


パトロン
---------

 20分。
 案外、退屈することなく時間は過ぎて。

 千華     :「見て千波、これ」
 千波     :「うん、綺麗だね」

 売り場で足を止めてのん気にはしゃぐ二人を見つめながら。
 保鷹の背後から素っ頓狂な声が響いた。

 凪      :「なになになに写真集? 二冊分って、2万円で足りるよ
        :ねっ?!」 
 保鷹     :「うわぁっ」 

 いきなり背後から現れたのは、以前紹介されたこともある双子の父親。

 凪      :「ああ、眼鏡のかわいい子だ……で、何、千波、どれ?」
 千波     :「これ。凪が一冊。僕らが一冊」

 両手に持って差し出したのは、先ほどの宇宙衛星や天文台からの写真の掲載
された写真集。

 凪      :「ああ……これは綺麗だね! いいね! 千波偉いね!」

 どっちが子供か分からないくらいのはしゃぎっぷりで、千波から渡された
写真集をめくって見ては歓声を上げる。

 千波     :「偉いのは千華だよ。見つけたのは千華だもん」
 凪      :「じゃあ、千華えらいね!よし買おう!」 

 合間、保鷹が口を挟む暇もなく、躊躇なく二冊の写真集を手にすると弾む足
取りでレジへと走ってゆく。

 保鷹     :「…………」
 凪      :「うん、これこれ。ああ、袋は二つにしてね、こっちは
        :子供にだから」

 呆然と見送った先、レジから少し離れた場所にまで通る声が響いてくる。
遠目からでも、楽しくてたまらないといった様子が見て取れる。

 凪      :「ほら、本だよ!買ったよ!」 
 保鷹     :「…………は、はい」 
 凪      :「じゃあ、しっかり見て学ぶんだ!」 

 どうだとばかりに袋を掲げて戻ってくる凪の姿を、双子は慣れたように見つ
めている。

 凪      :「宇宙は美しいし、科学は端正だ。物理法則は鋼の糸の
        :レース編みに、ところどころビーズを入れたようなものだ!」

 感極まったように両手を広げると、くるりと振り向いて手にした紙袋をさし
出す。

 凪      :「というわけで、一番えらい千華に。みんなで見なさい」 
 千華     :「はーい」
 凪      :「よしっ♪」

 じゃあね、と。自分の写真集の袋を小脇に挟んで弾むように歩き去ってゆく。

 保鷹     :「あ、ありがとうございます」 

 ようやく我に返って、走ってゆく背中に頭を下げる。


羨ましい
--------

 千波     :「じゃ、保鷹。帰って一緒に見よう」 
 千華     :「綺麗だから、早く見たいね、見たいね!」 
 保鷹     :「う、うん……楽しみ」 
 千華     :「おーっ」 

 走り去ってゆく凪の後姿と、双子とを交互に見ながら複雑な表情になる保鷹
に千波が微笑みながら言葉を付け足す。

 千波     :「凪はね、僕らの教育にはお金を惜しまないんだよ」 
 保鷹     :「…………はぁ」 
 千波     :「僕らを教育することが、あの人の研究だから」 

 一冊5000円以上する本を、電話一本で頼まれて即座に買い与えてくれる。
 その言葉だけで見れば、毎月のお小遣いをちまちまやりくりしている保鷹か
らすれば相当に気前のいい話でもある。

 保鷹     :「うらやましい……」 
 千波     :「そうかい?」 

 その答えは思いもよらず、少し尖った含みがあって。

 千波     :「本当に、うらやましいかい?」 
 保鷹     :「…………でも、ううん……よくわからないかも」 

 彼らがうらやましいと思ったのは、正直なところ、本当で。
 だが、だからといって自分が家族に不満を感じているかというと、もちろん
そんなわけはなくて。

 うらやましい。
 裏を返すと、そうなりたい、という言葉の意味。

 千波     :「保鷹、多分君はとても家族仲が良いんだね」 

 じっと見つめる目はひどく冷静で、しんと心を見透かすようで。

 保鷹     :「え……うん(こくり」 
 千波     :「あの人は、ぼくらを研究しているんだ」

 あの人、と言った。
 父親に対する感情と言うものをまるで感じない言葉で。

 千波     :「研究がうまく行く為になら、多少の出費はするもの
        :だろう?」
 保鷹     :「…………」 
 千波     :「だから、研究対象としては、積極的に学ぶ為に必要な
        :ものを言うのさ」 

 必要経費のうちだよ、と。
 そう感じてしまったことが、保鷹の胸にずきりと刺さった。

 保鷹     :「……うん」 
 千波     :「それは、……父親が研究者として僕らを見ることは、
        :そんなに羨ましいことなのかな」 

 それは嫌味でもなんでもなく。ただ純粋にまっすぐと見る目が合う。

 千波     :「僕は時々わからない」 
 保鷹     :「……甘やかすこととは、違うんだね」
 千波     :「甘やかす? まさか。
        :犬にベルを鳴らして餌をやる。餌をやらなければ研究に
        :ならないだろう?」

 その言葉の意味はわかった。
 そして、そのことを何の疑問にも感じていない風に笑う千波の姿が、胸に痛
かった。

 千波     :「そういう人なんだ。あの人は」 
 保鷹     :「…………うん」 

 穏やかに微笑む千波の心の奥に仄見える、父・凪に対する思いを垣間見てし
まったような気がして、保鷹は口をつぐんだ。

 千華     :「……かえるよー」 
 保鷹     :「あ、うん……」 

 千波と話している間、千華は立ったまま真新しい写真集を開いたまま、顔を
突っ込むように眺めていた。

 保鷹     :「…………」

 自分は幸せなのだろうと思う。
 みんながみんな愛されて幸せであるというわけではなくて。
 自分の幸せが当たり前で、当たり前すぎて、その感覚が普通だと思ってしま
うほどに。

 千波     :「千華ー、それ、先に見たらずるいよー」 
 千華     :「だって千波、話が長いんだもん、ねえ保鷹」 
 保鷹     :「あ、ううん、でも僕がへんなこといったから」 
 千華     :「言ってない言ってない。保鷹はふつう。千波がいっぱい
        :喋っただけ。だから、あたしが最初に見るー」 
 千波     :「そんなのずるいよー」 
 保鷹     :「で、でも転ばないようにねっ」 
 千華     :「だいじょぶ。あたし出来るから問題なし!」 
 千波     :「……もう」 

 わしっと千波の腕をつかんで胸を張る千華の手から、ひょいと写真集を取り
上げて。

 千波     :「保鷹、はい(にこっ)」 
 保鷹     :「は、はい」 
 千波     :「寮でみんなで見ようね」 
 保鷹     :「うん」 
 千華     :「ちぇー」 

 帰り道。
 写真集を読みながら嬉しそうに歩く千華と、いつものようににこにこと微笑
んで隣を歩く千波。

 保鷹     :「…………」

 いつもと変わらない二人。
 だけど。

 消せないシミのような小さな痛みが、心に残った。


時系列と舞台
------------
 2008年10月
解説
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 保鷹と千波と千華、写真集をかってもらう話。
 http://kataribe.com/IRC/KA-04/2008/10/20081005.html#220000
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以上


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