[KATARIBE 31348] [OM04N] 小説『形変わりて』

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Date: Mon, 17 Sep 2007 21:47:29 +0900
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小説『形変わりて』
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本編
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 河原院の近くの屋敷に吉川忠平という名の貴族が住んでいた。
 異国の物の収集を趣味とし、それに対する情熱の注ぎようは周囲も呆れるば
かりであった。
 ある日のことである。
 桜の花が咲き誇り、都は薄い花霞に包まれていた。
 宮中から帰った忠平の元に友人である佐木朝永という男から『珍しい物を手
に入れたので見に来い』と言伝てが届いた。
 朝永は遣唐使の一員として唐に渡り、先日戻ってきたところであった。忠平
の趣味を知っているこの友人はこの国を発つ際に「おもしろい物があったら
持って帰ってくる」と言ってくれていたのであった。
 それ故、忠平は彼の誘いを今か今かと待ちわびていたのだ。
 忠平はその知らせを聞くや否や、急いで従者を伴って朝永の元へと参じて
いった。
 太陽は既に西の山に沈み、辺りは夜になっている。
 夜の闇は全てを包み込むように黒く暗い。
 空中を飛んでいく小さな影は巣へ急いでいる鳥なのだろうか。
 風が吹く。暗闇にも負けぬ花の香がそれに乗って忠平の鼻腔の奥を刺激し
た。
 春とは言え、鴨川の近くを歩いているために少々肌寒い。
 彼は一つ身震いをした。
「寒うございますね」
 前を歩いている従者が言った。
 忠平は彼が持っている明かりをぼんやりと眺めながら「ああ」と答えた。
 大路を歩いているのはこの二人だけ。
 他に人の姿は全くなかった。
 やがて、朝永の屋敷へとたどり着く。
 忠平が屋敷の者に案内され朝永の部屋に向かうと、その友人は部屋で彼の到
着を待っていた。彼の横には大きめの木箱がある。
 忠平の視線は入ったときからそこに吸い寄せられていた。
「とりあえず、一杯やろうではないか」
 そう言って友人は酒を取り出した。
「よく帰ってきた」
 忠平が杯を軽く上げる。
「おう」
 朝永がそれに応じ杯を上げる。そして、一気に飲み干した。
 しばらく二人は飲み交わしていたが、忠平は我慢しきれなくなって朝永の隣
に置いてある箱を指さした。
「さっきからずっと気になっていたのだが、あの箱は一体なんだ?」
 待ってました、とばかりに朝永が微笑む。
「まあ、開けてみるがいい」
 忠平は頷き、木箱へと近づいた。
 少し開けた戸の透き間から風が吹いて、燈台の炎が揺れる。
 二人の影もゆらりと揺れる。
 忠平は木箱に掛けられた紐をゆっくりと解く。
 箱を開けると屏風が一つ納められていた。
「出しても良いか?」
 友人が頷くのを確認すると、忠平は膝立ちになり箱の中に両手を差し入れ
た。
 そして、抱きかかえるようにして屏風を取り出した。
 よく見えるように灯りの近くで屏風を立て、開く。
「おぅ……」
 忠平の口から歓声とも溜息ともとれる声が漏れた。
 その屏風には一人の女性が座っている姿が描かれていた。
 さすがに唐の物らしくその女性の着ているものはこの国のものとは違ってい
る。
 口元に笑みを浮かべている。その顔は絶世の美女と評しても物足りぬくらい
美しく、しかしそれでいてどこか寂しげな表情であった。
 忠平はポカンと口を開けたままその屏風に目を奪われていた。
「どうだ?」
 朝永の声にハッと我に返った。
 と同時に自分の顔が赤くなっていることに気づいた。
「いやはや…… まあ、何というか…… 美しいな」
 あまりに気の利かない台詞ではあったが、朝永は自慢げに頷いた。
「そうだろう。だがな、驚くべき事はその絵だけではないぞ」
 その言葉に怪訝そうな顔をする。
 おもむろに朝永は近くにあった燈台の火を屏風につけた。
「あっ」
 思わず忠平は声を挙げた。
 だが、屏風に火が燃え移ることはなくそのまま消えていった。
 その様子にただただ唖然としていた。
「どうだ凄いだろう」
 近づけた火を元の位置へと戻しながら喋る朝永の声の自慢げな調子がいっそ
う強くなった。
「どういうことだ?」
 腑に落ちないといった表情で忠平は尋ねる。
「この屏風に使われているのは普通の紙のように見えるがどうやら違うらしい
のだ。俺が聞いたところによるとどうも火鼠の毛を織り込んでいるらしい」
「火鼠の毛? まさか、本当に実在するとは……」
「本当にそうかはよく分からないがな」
 朝永は残っていた杯の酒を飲み干すと忠平の持ってきた酒を自分の杯に注い
だ。
 忠平もいつの間にかなくなっている杯に酒を注ぎ、屏風の絵をじっと見つめ
ていた。
 二人して黙っている。
 草の鳴る音が幽かにする。
 床に落ちる月明かりが暗くなり、また明るくなる。
 ふと、忠平が顔を上げた。
「そろそろ帰るとしよう。良い物を見せてもらった」
 腰を上げ、部屋を出ていこうとするその背中を朝永が止めた。
「お前、この屏風が欲しくないか?」
 忠平がゆっくりと振り返る。
 朝永は彼を見上げていた。
「何?」
 さっき言われたことが信じられないようである。
「だから、この屏風が欲しくないのかと聞いておるのだ」
 忠平は躊躇した。
「いや、それは…… 欲しいと言えば欲しいが…… 俺にくれるのか?」
「ああ」
 そっけないその返事にますます疑念の色を深めてしまう。
「本当にいいのか?」
「良いと言っているだろうが。何か面白い物があったら持って帰ってくると
言ったのは俺だぞ」
 忠平はしばらくうつむいて黙っていた。
「分かった。有り難く頂戴する。だが、これを今いる者で運ばせるのは少々骨
が折れる。明日取りに来させるがそれでいいか?」
「うむ」
 その夜はそれでお開きとなった。


 次の日。
 忠平は従者に昨日言っていた屏風を取りに行かせた。さすがにただで受け取
るのは申し訳ないと思ったので、上質の反物をその屏風の代金代わりにと言付
けている。
 やがて太陽が中天にさしかかった頃、待ちに待った従者たちが帰ってきた。
 早速自分の部屋に運ばせる。
 運ばれた木の箱は結構古ぼけていた。
 蓋の部分に何か文字が書かれているような気がするが箱が汚れているのと、
その墨自体が薄れているのとで読むことは不可能だった。
 慎重な手つきで箱の紐の結び目を解く。
 それから蓋をゆっくりと退ける。
 昨夜の動作の繰り返し。
 それでもその緊張感は決して薄らいではいなかった。
 屏風全体が目に入ってくる。
 少し震える手でその屏風を箱の中から取り出す。
 明るいところで見たそれは昨日よりも一段美しく見える。
 忠平は屏風を立てるとじっとそれを眺めていた。
 時折、溜息をついては首を振るという行動を繰り返す。
 外が赤くなってしまっても、まだ屏風の前から動かずにいた。
 その行動は今まであったことではなく、尋常でなかったのでこの家に仕える
者たちは「もしかして、物の怪にでも取り憑かれたのではあるまいか」と不安
を感じていた。
 太陽が完全に沈みきった頃にやっと忠平は飯の支度をさせた。
 とりあえず、危惧していた事態は起きなかったので従者たちは安堵した。
  しかし、その安堵は一時のものでしかなかった。
 その日を境に忠平は次第にある病にかかったかのようになっていった。
 朝夕の食事もそこそこに宮中に出仕する以外はほとんど自分の部屋に閉じこ
もってしまう。
 かといって、部屋で何かしているわけではなくただぼぉとしていたり例の屏
風を見ていたりする。
 はたまたそうかと思えば、今度は急に夜中にこっそりと屋敷を抜け出して一
人で町中を歩いたりもする。
 見るに見かねた従者は屏風の前の持ち主である朝永のところに相談を持ちか
けた。
 忠平の変わり様を聞くとその朝永はある程度予測していたかのような苦い顔
をした。
「そうなってしまったか……」
 腕組みして考え込んでしまった彼に従者はおずおずと尋ねた。
「あの、どういうことなのでしょうか?」
「あ、ああ。言ってしまって良いものかどうか……」
 それを聞いて従者の顔が青くなる。
「何か酷いことでも?」
 朝永は慌ててそれを否定した。
「そうじゃないが……恐らく彼は恋煩いにかかってしまったのだろうよ」
「は?」
 呆気にとられた顔をする従者。それを見て朝永は苦笑した。
「恋煩いというと……相手は何方なのでしょう?」
「あの屏風の女だよ」
 従者は更に呆気にとられたような顔をした。
「まぁ、どこまでひどいかは見てみないと分からないな……とりあえず今日は
忠平はいるよな?」
 従者は頷いた。
「じゃあ今から行ってみよう」
 そう言うと朝永は立ち上がりスタスタと出ていった。
 その後を慌てて忠平の従者が追う。
 屋敷までの道では朝永は黙りこくっていた。
 従者の方も自分から話しかけるわけにも行かず、何故か彼の後ろをとぼとぼ
と歩いていた。
 忠平の屋敷につくと従者は急いで門を開き、朝永を中へと招き入れた。
 部屋には忠平がやはり屏風の前に座っていた。
 障子が開く音を聞いて、後ろを振り向く。
 その動作は凄く緩慢としていた。
 朝永の姿を確認すると再び屏風の方を向いた。
 彼はやせ細っていた。
「こりゃあ、重傷だな」
 その様子を見た朝永が言った。
 人払いをすると部屋の中に入り忠平の後ろに座った。
「おい、ちょっとこっち向け」
 これまたゆっくりとしたした動作で朝永の方に今度は体ごと向いた。
 こっちを向いた忠平の顔を覗き込むようにじっと見る。
 忠平はその動作に少し眉をひそめた。
「お前……誰かのことが好きだろう?」
 朝永のその言葉に彼は驚いたようだった。
「……いや、そんなことは……」
「ないとは言わせないからな。病気でもないのに食が進まないとか、活力がな
いなんてものは恋煩いしかないんだから」
 そこで二人は黙った。
 しばらくして友人の方が口を開いた。
「で、その屏風の女が好きなのか」
「……ああ。毎日彼女のことで頭がいっぱいで、彼女のことを考えると他のこ
とが全く何も手につかないんだ」
「そこまで彼女のことが好きなのか?」
 朝永のその質問に忠平は微笑みを浮かべて遠くを見つめるような目をした。
 本人にしてみれば凄く幸せそうな表情なのだろうが、現在の彼の様子ではど
う見ても危ない人にしか見えない。
 そんな彼を見て朝永は何も言えなかった。
「時々、彼女が俺に向かって話しかけてくれるんだ」
 朝永は訝しげな顔をする。
「彼女が話しかける? それはつまりその絵が話しかけているということ
か?」
 忠平は頷いた。
 朝永は思わず彼の両肩を掴み揺さぶった。
「おい、しっかりしろよ。絵が話すはずがないだろうが」
 痛そうな顔をして忠平は朝永の手を肩から外した。
「話すはずがないと言われても、現に聞こえているんだからどうしようもない
だろう」
 朝永はしばらく黙っていたが、やがて肩をすくめると立ち上がった。
「ま、好きになることは結構だが思い詰めるのも問題だと思うぞ」
 そう言うと彼は部屋を出ていった。 
 部屋に残った忠平は屏風の絵を慈しむように撫でた。
「あぁ、こんなにも俺はお前のことを思い、お前は俺のことを思っている。な
のに抱き合うことすら出来ないなんて……」
 いつの間にか話し声は途切れ、代わりに寝息が部屋を満たしていった。
 寝ている忠平の顔は辛そうな苦悶の表情であった。
 絵の中の女もまた微笑んではいるが辛そうな表情だった。


 全てが終わる日は普通の日のようでそうではないものである。
 その日は春だというのにやけに乾燥していた。
 乾燥していたのに曇っていて風が強かった。
 変な天気だと誰もが思っていたに違いない。
 出仕していた朝永は宮中に吹いてくる風に不吉な匂いを嗅いだ。
 何の匂いかを考えているうちに遠くの方から煙がなびいているのが見えた。
「火事か!」
 朝永の声を聞きつけたのか数人の貴族たちが彼の元へとやってきた。
「どうやらそのようですな」
 と、一人の貴族が言った。
「おや……」
 他の貴族が煙の方向を見てしばらく思案顔をした。
「あれは……河原院の方ではないか?」
 そう言われて火の方をよく見ると、確かに都の端の方から火が上がってい
る。だが、そこは河原院とはずれていた。
「まさか……いや、まさかな……」
 朝永はその火の手が上がっているところに誰の屋敷があったのかは簡単に思
い出すことが出来た。


 一方、河原院の近くの地域では炎から逃げる人たちでごった返していた。
 燃えている家の中には忠平の家もあった。
 その家の周りで忠平の従者が中に向かってしきりに叫んでいた。
「忠平様! 忠平様!」
 次第に炎は屋敷を覆っていきその形を崩していく。
 叫んでいた従者も自分の身の危険を感じてその場から逃げていった。
 燃えさかる屋敷の中には屋敷の主人である忠平が一人残っていた。
 残っていたというよりは逃げ遅れたというのが正しいか。
 一度は屋敷の外に出たのだが、屏風を中に置き忘れていたことに気がついて
他の者の制止を振り切り部屋に戻ったところで柱が倒れ閉じこめられたのだ。
 忠平は屏風を抱きかかえていた。
「もうすぐ死んでしまうのか……」
 屏風の女を見る。
「だが、これで俺とお前は同じ灰になれる。やっと、一緒になれるんだ」
 火の粉は忠平の着物を焦がしていく。しかし、屏風に火の粉がついても屏風
が燃える気配はない。
 そこで忠平は朝永が言ったこの屏風のことを思い出した。
「お前は燃えないのか……なんと言うことだ、死しても俺たちは一緒になれな
いなんて」
 忠平は涙を流した。
 屏風に涙が落ちた。
 屏風の中の女は依然として寂しげに微笑んでいた。
 そして……天井が落ちた。


 朝永の嫌な予感は的中していた。
 仕事を終えて急いで忠平の屋敷へと向かった。
 向かって行くにつれて火事の痕が至る所に残っていたのが目立ってくる。
 忠平の屋敷の前に到着する頃にはポツポツと雨が降り始めていた。
 辺りで遅すぎる雨を呪う声が聞こえてくる。
 朝永はただただ立ちすくんでいた。
 雨は焼けた材木を冷やした。
 辺りが水蒸気に覆われていく。
 朝永は屋敷跡に入っていった。
 今までの記憶を頼りに忠平の部屋らしきところまで行く。
 そこに朝永の期待していた物はあった。
 一つの屏風。
 焼けずに残ったのだ。
 友の形見にと屏風を持ち帰ろうとしてその絵を見た。
 朝永の目が大きく開かれ、危うく屏風を落としかけるところだった。
 屏風の絵が変わっているのだ。
 そこに描かれているのは一人の女性ではなくて一組の男女。
 彼らは恋人のように抱き合っていた。
 男性は背を向けているので顔を見ることは出来なかった。
 朝永はこの男が忠平であると確信した。
 そして、女性の方の顔も今までのような寂しげな顔ではなく幸せな表情を
していた。
「一緒になれて良かったな」
 朝永は屏風にそう言った。

解説
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以降、その屏風を見た者はいない。

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