[KATARIBE 31343] [HA06N] 小説『琥珀の記憶』

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Date: Thu, 13 Sep 2007 18:18:46 +0900 (JST)
From: Subject: [KATARIBE 31343] [HA06N] 小説『琥珀の記憶』
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2007年09月13日:18時18分45秒
Sub:[HA06N]小説『琥珀の記憶』:
From:久志


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小説『琥珀の記憶』
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登場人物
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 本宮尚久(もとみや・なおひさ)
     :本宮法律事務所所長。本宮兄弟の父。人呼んで魔王。
 本宮麻須美(もとみや・ますみ)
     :尚久の妻。生まれつき体が弱い。異能の血を継いでいる。

響く音
------

 昔のことを思い出す。
 瞼を閉じ、記憶の中から響いてくる数々の音。

 安普請のアパートを軋ませて吹きすさぶ風の音。
 びりびりと空気を震わせて走る列車の轟音。
 夕飯時、せわしなくはしゃぐ子供達の歓声と妻の笑い声。

 子供達が寝静まった後のぱたりと静まり返った部屋で、グラスの中で微かに
軋む氷の音。

 かつて幾度となく耳にしていたはずの在りし日の残滓。

オールド
--------

 仕事帰り、ふと立ち寄ったシガーカフェでもらったオールドのビン。
 ずんぐりとした黒い胴に黄色いラベル、赤い蓋。かつて誰もが憧れて、何度
と仕事で心身共に疲れきったことだろうか。

 目に浮かぶ、すっかり日の落ちた道路を歩くかつての自分。
 線路そばの二階建ての古い木造アパート、雨ざらしで涙のような模様がつい
たコンクリートの塀、所々ぎざぎざした錆の浮き出た鉄製の階段を上り、並ぶ
薄い木製のドア、本宮の表札がついた家へと歩く。窓の向こうはもう明かりも
消えて、薄暗がりの中、しんとした夜の息遣いだけが迎えてくれる。
 極力音を立てないようそっとドアを開ける、かすかに蝶番が軋む音が寝静ま
った部屋に小さく響いた。
 明かりの消えた台所、申し訳程度の狭いダイニングに置かれたテーブルの上
には網の覆いをかぶせた夕飯がおかれ、傍らにはカレンダーの裏に書かれたら
しい『おつかれさま』の文字が並んでいた。

 心身ともに疲れきって帰ってきた日。
 静まり返った部屋、暗いダイニングで一人で食事をしながら、時々、流しの
下にしまってあったオールドのボトルを出してグラスを傾けた。
 静かに寝息を立てる子供達と、傍らで添い寝をしている妻の姿を眺めながら。


「あら、このビン」
 長椅子に身体を横たえて寝息を立てていたはずの妻の声。
「ああ、こないだGARDENに寄ったときにね。なんだか……懐かしくてね。帰り
に店長さんが譲ってくれてね」
「うふふ……取って置きの楽しみでしたからね」
「そうだね……」 
 疲れきって帰った体と心を染み渡るように癒してくれた、思い出のひとビン。

 名家だった親元を飛び出して駆け落ち同然で二人で暮らし始めて。
 生まれたばかりの長男と三人、列車が通るたびに窓がびりびり揺れる線路沿
いに立っていた小さな安アパートの六畳一間。踏みしめるたびに軋むような音
を立てる畳、一枚板のぺらぺらの薄いドア、幼子が夜泣きする度に近所迷惑に
ならないようにと小さな子を背負って夜空を見上げながら歩いた細い道。

「……この一杯を、ゆっくりと味わって……君と子供達の寝顔を見て」
 それでもようやく生活が落ち着いて、ふとしたひとときにグラスを傾けた時
の染み渡るような味。
「……すこし辛い生活だったかもしれないけど……幸せでしたよ?」
 微笑む妻の顔は、歳をおっても幾分のかげりも見せずに。
「そう、言ってくれるなら、救われるよ」
 目を細める。
 かつてあった光景を懐かしむように。


若き魔王
--------

 すやすやと寝息を立てる子供達の姿。
 まるでプロレスごっこのなれの果てのように、布団の上でころころと寄り集
まるようにして眠っている。
「……暴君達のおやすみだね」 
 眠る子供達の顔を眺めて、布団からはみ出した三男の体をそっと戻して掛け
布団を掛け、音を立てぬようそっとふすまを閉じる。
「お疲れ様、尚久さん。お夕飯、ご飯よそいますね」 
 少し小声で囁いて、瀬戸物の擦れ合う音がする。軽く暖めた煮物と子供達が
取ってきたという野草のおひたし、おふとワカメの味噌汁。
「ありがとう」 
 もう深夜に近い時間。
 2Kの和室は明かりを落して、ちゃぶ台に置かれた心ばかりの夕飯の前で両
手を合わせる。
「いただきます」
「はい」
 どんなに遅くとも、疲れて帰っても、いつでも笑顔で出迎えてくれた。

 この笑顔を得る為ならば、何をも惜しくないと。
 この笑顔を曇らせない為なら、どれほどの苦労もいとわないと。

「……尚久さん」
「はい?」
「……尚久さん……無茶だけはしないでくださいね?」 
「……うん……わかってるよ」 
 休みどころか子供達と起きて顔をあわせることすら数える程しかない生活。
「でも……せめてね、もう少し君や子供達の負担にならないように……したい
んだよ」 
「負担なんかありませんよ?今日もね、幸久と友久がのびるをとってきてくれ
たんですよ?食べれるから、って」 
 悪戯っぽく笑って。
「なんだかべ、申し訳ないんだ。僕の為に君にも子供達にも……苦労をかけて
しまってるから」 
 自分の我侭のせいで。
 あらゆる人に迷惑をかけ、混乱させ、最愛の人にも苦しい生活をさせている。
「尚久さん」 
 目の前に伸びる白い指が、つんと鼻先をつつく。
「え?」 
「なにか、嫌なことありました?」 
 一瞬、停まる。

 うまくいきかけていた話があった。
 念願の事務所を構えられるかもしれない、と。しかし本宮の本家に取り入ろ
うとする者に妨害されて、結局立ち消えてしまった事。

 ふわりと、目の前をよぎった白い手がそっと頭を撫でる。
「麻須美……」
「大丈夫、私達、みんな幸せだから」
 繰り返し、繰り返し、頭を撫でる手。触れるたびに胸につかえていた重みを
溶かしていくような。
「だから、そんなに焦らないで?」 
 ね?と、囁く声が沁みいるように耳に心地よい。
「この家に、私達の居るところに……ちゃんと帰ってきて顔を見せて? 私達
はそれでいいんだから」
「……うん」 
「少しだけ、お相伴しましょうか」 
 そっと立ち上がって、戸棚を空けてオールドのビンを取り出し、ちゃぶ台に
置く。
「……そうだね」

 グラスに注がれる琥珀の液体。
 くるくると、手にしたグラスを回して琥珀の水面が踊るのを眺める。
 傍らでグラスを手にした麻須美が小さく微笑む。

「……幸せ、か」
 喉がほんのり焼ける、ほんのわずかに残った残りの味を噛み締めながら、
ゆっくりと溶けるように、疲れや焦りが抜けていくのを感じる。
「あなたは幸せ?」 
「……幸せだよ」
 しっかりと、噛み締めるように。


記憶
----

 小さなビン。言葉に表しようのない時代懐かしさ。
 辛かった頃、苦しかった頃、がむしゃらだった頃。
 そして何よりも幸せだった頃。

 様々な出来事を思い起こさせる。

「尚久さん」 
「はい?」
 微笑む顔。
 あの頃から長くて短い年月が経ち、艶々とした髪には白みが増し、少し張り
を失った目尻に小さな皺が刻まれている。それでいて包むような穏やかな暖か
さは少しも欠けることはなく。
「幸せ?」
「……幸せです」 
 まだ、この暖かさを失いたくない。
 いつまでも、この幸せが続いてくれるものと、信じていたかった。
「ねえ、いつまでも……幸せでいて?」 
 伸ばされた手をそっと握り返す。
 少しでも力を込めたら壊れてしまいそうな程に細く頼りない小さな手。
「約束よ」 
「……はい」 
 包むように両手を重ねる。
「あなた、久しぶりに……少し飲みます? 一緒に」 
「そうだね……うん、そうしよう」
 オールドを二人で。
 あの頃のように。
 せめて、今このひと時だけは。

時系列と舞台
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 2007年5月の終わり頃。
解説
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 翳りつつある命、かつての思い出のこもったオールドと共に。
 http://kataribe.com/IRC/HA06/2007/05/20070531.html#000000
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以上。



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