[KATARIBE 31276] [OM04N] 小説『言鏡』

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Date: Mon, 20 Aug 2007 23:06:25 +0900
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『言鏡』
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本編
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 あるところに美しい姫君が住んでいたという。
 この姫君、姿形が素晴らしいだけでなく学問にも通じており、その才能は貴
族の男に引けを取らずまさに才色兼備であった。姫君自身もそのことを誇りに
思っていた。
 そんな女性が世の男どもの目に留まらぬはずもなく、それはそれは毎日のよ
うに求愛の手紙が姫君の元に送られてきた。
 彼女はその手紙を読み、添えてあった歌には返歌をするが依然として正式に
付き合った者はいなかった。
 時が経ち、その内に姫君の両親は姫が誰かを愛している素振りすら見せない
ことを心配し始めていた。
 何故誰かと付き合わないのかと父親は尋ねた。
「素晴らしい手紙や歌を送ってくださる方は何人もいらっしゃいます。です
が、私には何かそれがうわべのようにしか思えないのです。それに私のこの美
しさに会う人はそういないはずです」
と、彼女は鏡に映った自分の顔を見ながら答えた。
「手紙を見ただけではその送り主がどんな顔なのか分からぬではないか。一度
会ってみるだけでもしてみればどうだ?」
 父親にしてみれば、会ってみれば姫君が惹かれる男が見つかるかもしれない
と思ったのだろう。
 そんな彼の言葉にも姫君は首を振った。
「その方と会わなくても書いてある文字を見ただけで私にはその方がどんな方
なのか分かるのです」
 やがて父親も諦めたのか彼女に結婚の話をしなくなっていった。それでも、
求愛の手紙は姫君の元に届いていた。


 ある冬の日のことである。その日はいつにもまして寒かった。
 火桶では炭がパチパチと音を立ててはぜている。
 姫君は寒がりであったので、ずっと火桶の近くで火にあたっていた。
 しばらくして向こうの方で父親の呼ぶ声がしたのでそこへ行こうと立ち上
がった。
「あ……」
 急に立ち上がったせいか、眩暈がして彼女は体をよろめかせた。
 とっさに何か捕まる物はないかと手を伸ばしたが、伸ばした先には何もなく
彼女の手は宙を掴み、そのまま倒れ込んでしまった。
 運の悪いことに倒れかかった先にあったのは熱い火桶であった。
「きゃぁぁ!」
 赤々と燃えている炭の中に顔をつっこんでしまった姫君は、つんざくような
悲鳴を上げた。
 何事か、とその悲鳴に驚いた両親は急いで姫君の部屋に向かった。
 部屋に入ったときイヤな臭いが彼らの鼻をかすめた。
 ひっくり返った火桶。その傍らには娘が火桶の近くにうつぶせになって倒れ
ている。
 あわてて彼女を抱え起こした父親はその顔を見て息を呑んだ。
 顔の右半分が見るも無惨な醜い顔になっていたのである。
 医者を呼び、ある程度の処置を受けて眠っている姫君の元に両親は座ってい
た。
「なんて可哀想な……」
 母親が袖で涙を拭った。
「うむ……」
 悲壮な顔で父親は眠っている姫君の顔を見た。
 治療を受けて痛みがだいぶましになったのかその寝顔は穏やかで、かろうじ
て無事だった左側は以前の美しい顔の面影をみせている。
「この子が目覚めたときに自分の顔を見たらさぞかし驚くであろうな」
 ぼそり、と父親が言った。
「えぇ…… もしかしたら、この子にとっては生きていることよりもつらいこ
とかもしれませんね……」
 その時、彼はあることを考えた。
「とにかく、この子が気をしっかり持つまで顔のことは触れないでおこう」
「そうですね」
「とは言え、自分でその顔を見てしまうかもしれぬ。屋敷の中にある鏡は全て
隠してしまうのだ」
 その行動は静かに行われた。
 姫君の家にある全ての鏡が集められ、蔵の隅へと隠された。
 その事件から二日後。姫君は目を覚ました。
 世話をしていた童女がそれに気づいて彼女の両親を呼びにいった。
 姫君の元に駆け寄ると両親はほっとしたような表情をした。
「気分はどうだ?」
 優しく姫君に尋ねた。
「えぇ…… あまり優れませんが…… 何か、顔がおかしい感じがします。右
目があまり開かないのです。それに触ってみると変な感触もあるんです」
 そう言って自分の顔を触ろうとする姫君の手を父親はやんわりと押さえた。
「触らない方がいい。少し怪我をしているんだからね。日が経てば治っていく
はずだよ」
 母親も彼の言葉に頷いている。
 姫君は何か釈然としないまでもとりあえず納得して手を下ろした。
「さ、休んでおきなさい。まだ本調子じゃないだろうからね」
 父親が姫君を寝かしつけて布団をかぶせた。
 母親は一足先に姫君の部屋を出ていき、その後に続いて父親が出ていった。
その後ろ姿を見送りながら、彼女の意識は再び闇へと沈んでいった。


 彼女が再び目を覚ましたとき、辺りには誰もいなかった。
 屋敷はひっそりと静まりかえっている。部屋の隅の方に置かれた火桶の中で
炭がパチパチと音を立てていた。
 彼女は父親の言葉を思い出しながらも、恐る恐る自分の顔に触れてみた。
 自分の肌ではないような感触。妙な違和感。
 どうなっているのか、鏡を見ようと部屋を見回したとき彼女は気づいた。
 鏡がなくなっている。
 ずっと置いてあった場所にも鏡はない。布団から抜け出して襖を開けた。
 太陽は出ているが、寝間着姿なので外は非常に寒い。
 記憶を辿るようにして屋敷の中を鏡を捜して歩いていたが、全く見あたらな
かった。
「おかしいわね……」
 母親の部屋にも鏡があったことを思い出し、そこに行ってみた。
 しかし鏡はなかった。間違いなくあるはずの場所にない。
 彼女は不思議に思い、屋敷中を歩き回った。途中で童女に出会ったので尋ね
てみた。
「鏡がどこにあるか知ってるかしら?」
 童女はあわてて首を振った。
「存じ上げておりません! あの、私、仕事がありますので……」
 そう言ってそそくさと台所の方へと行ってしまった。
 姫君はその態度をいぶかしく思った。
 自分が寝ていた間に何が起こったのだろう、と考えながらもあまりの寒さに
自分の部屋に戻ろうと廊下に出た。
 そこに水の入った桶があったのが見えた。顔を洗おうと思い桶をのぞき込ん
だ。
「!」
 水に映ったものを見て、あまりの恐ろしさに声も出なかった。
 見たものを確かめるためにもう一度桶の中をのぞき込んだ。
 映っているものは、半分が火傷によってただれた自分の顔。
「いやぁぁー!」
 顔を押さえてその場にうずくまる。映ったものが嘘だと思いたかったが、顔
を押さえている右手に伝わる感触が全てを物語っている。
 姫君は気が遠くなりかけた。
 悲鳴を聞いて、父親がとんできた。
「どうした?」
 かがみ込んだ父親の袖を震える手で姫君は掴んだ。
「私の…… 私の顔が……」
 目に涙を浮かべている姫君の顔を見て彼は哀しげな顔をした。
「鏡を見せて……」
 よろよろと力なさげに彼女は立ち上がり、ふらふらと歩いていった。
 そして、屋敷の中を隈無く探しはじめた。
 寝間着姿であるにもかかわらず、まるで何かに憑かれたかのようにあちこち
を探し回った。
 彼女の両親はそんな彼女を止めることができなかった。
 やがて彼女は裸足で庭におり物置へと進んでいった。戸を開けて中を探す。
 そこでやっと鏡を見つけた。
 ほっとしたように微笑んで姫君は鏡を抱え込んで明るい外へと出ていった。
 その中の一枚を取り出し改めて鏡で自分の顔を見た。
 映っているのはあの桶で見たのと同じ顔。
「この鏡は違う……」
 そう言って彼女は手にした鏡を大地に投げおろした。
 バリーン、と重い音がして鏡は粉々に砕け散った。
 彼女の両親は姫君の行動に唖然としていたが、その音で我にかえった。
 姫君は側に置いた違う鏡を取り出して自分の顔を見た。
「これも違う……」
 再び鏡を割る。
「壊れていない鏡はどこ……」
 ふらふらと歩き出す。足下には割った鏡の破片が散乱している。
 あわてて父親が彼女を抱き留めた。
 彼の腕の中で姫君は虚ろな目で
「鏡、本物の鏡は……」
 とつぶやき続けていた。
 母親はそんな彼女を見てしゃがみ込んで嗚咽を漏らしていた。


 父親の手によって姫君は布団へと戻された。
 その日から彼女はやせ衰えていった。
 食事を口にもせず、布団の中からずっと天井を見つめていた。
 求愛の手紙も数が減ってゆき、とうとうたった一通しか来なくなった。
 両親はそれらの手紙を姫君に見せないでいた。
 しかし、手紙は必ず一通は送られてくる。
 姫君が火傷を負ったという話はどこからか漏れていってはいるのだが、それ
でも手紙が来るのは姫君のことを本当に愛しているからだろう、そう両親は
思った。
 父親はその手紙を虚ろな表情をした姫君に見せた。
「この手紙の主は今までずっと送ってきているのだ。どうであろう、読んでは
みぬか?」
 そう言ってその手紙を彼女の枕元に置いて部屋を出ていった。
 彼が部屋を出た後、しばらくして姫君はゆっくりとその手紙に視線を移し
た。
 文字を見た瞬間、彼女の目がピクリと動いた。
 体を起こしすっかり細くなった手でその手紙を開け中に目を通した。

『言の葉を尽くして我が身こがすとも君愛づ心消えこそはせず』

 何のことはないただの恋いこがれる気持ちを歌にしたもの。凝った技法も使
っておらず、ただ率直に「愛している」と言っており以前の姫君にとっては目
にもかからない歌であっただろう。
 だが、今の彼女には書かれてある文字がそれ以上の全てを物語っているよう
に感じた。
 逢ってみよう、どこからかそんな気がわき上がってきた。
「この人ならきっと……」
 確信に近い希望を感じた。
 いそいそと紙と墨を用意してその男に宛てて返事を書き、それを童女にこと
づけさせた。
 程なくして返事が返ってきた。
 曰く、「三日後の夜にお迎えに来ます」
 その日から姫君は元気を取り戻した。
 出された食事もちゃんと食べるようになった。
 母親はそれを見て今度は安堵の涙を浮かべた。
 そして三日後。
 この間で彼女の体調を元に戻すことはできなかったが、普通の生活ができる
くらいまでは回復していた。
 果たして夜になり、牛車が姫君の屋敷の前に現れた。
 舎人が牛車の簾を上げ中に姫君を入れた。
 その間、彼女は右顔を袖で隠し続けていた。
 乗ったのを確認して牛車はゆっくりと進み出した。
 暗い牛車の中で、姫君は不安になっていた。
「本当に私のことを愛してくれるのかしら……この顔を見ても……」
 物思いに耽っていると、いつの間にか牛車は止まっていた。
 簾が上がり月明かりが中を照らす。
 上弦の月はそんなに明るくないはずなのだが、彼女にとってはその明かりは
満月の光と同様に感じた。
 月明かりを背に一人の男が手を差し出した。
 出発したときとは違い、舎人ではなく着ているものから見て彼らの主人のよ
うであった。
「あなたは?」
 右顔を隠しながら彼女はその男に尋ねた。
「私は広野是満と言います。さぁ、どうぞ外へ」
 少しの間姫君はためらっていたが、是満はそんな彼女の手を優しく取った。
 握られた手の感触が彼女を安心させた。
 是満に従って牛車を降りる。そこには池とその近くに建てられた小さな屋敷
があった。
「どうぞこちらへ」
 二人は池が見える簀子縁へと進んでいった。
 そこから見える風景は静かできれいなものだった。
 空に出ている月と池に映っている月。月光に照らされいるものも同様に池に
映っている。
 池のある線を軸とした対称な風景。
 二人は静かにそれを眺めていたがやがて姫君の方が口を開いた。
「どうして私なんかを……? 昔ならともかくとして今の私は醜いですの
よ?」
 是満は彼女の方を向いて優しげに言った。
「あなたに手紙を出しその返事を見たときに私は、あなたはきっと素晴らしい
女性に違いない、そう思ったのです。勿論、あなたのお顔を見たことがありま
せんでした。ですが手紙に書かれてある文字を見てそう確信したのです」
 彼女は驚いて思わず顔を覆っていた手を下げてしまった。
「あなたも文字を見てそう思われたのですか?」
「ええ。この池のように形のあるものを映すことは非常に簡単ですが、それは
あくまでも見た目だけなのです。その内面まで教えてはくれません」
 彼は続けた。
「文字はその人の心を映すものだと、私の父はいつも言っていました。私もそ
う思います。そしてそれが本当であることは今日、あなたに初めてお会いして
分かりました」
 是満が黙り、再び辺りを静寂が支配した。
 今度は姫君が口を開いた。
「本当のところ、私、すごく怖かったの。私の顔を見たらすぐに嫌われるじゃ
ないかって……」
 彼女は目を閉じた。すると顔の右側にあの優しげな手の感触が伝わってき
た。
 目を開けると彼が姫君の顔を慈しむかのようにそっと撫でていた。
 彼女の目に涙がにじんだ。
「何を言うんですか。私はあなたがどんな姿になろうとも気持ちは変わりませ
ん」
 その言葉に姫君はクスリ、と微笑した。
「あら、ひどいこと。それではまるで私が化け物になるかもしれないような言
い方ではありませんか」
 是満がたじろんだ。
「いや、けして、そういうわけでは……」
 姫君は自分の顔を撫でている是満の手をそっと握り、目を閉じて、次に来る
言葉を予測した。その後の彼女の答えも……
「私と結婚してください」
 彼が言った。
 それは彼女の予想通りの言葉であった。
 そして、彼女は心に浮かべていた答えを口に出した。

解説
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ただ平安時代っぽい話。

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