[KATARIBE 31029] [HA06P] エピソード『悲劇と出会い』

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Date: Mon, 21 May 2007 13:38:44 +0900 (JST)
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2007年05月21日:13時38分43秒
Sub:[HA06P]エピソード『悲劇と出会い』:
From:久志


-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-= 
エピソード『悲劇と出会い』
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登場人物
--------
 吉川慶子(よしかわ・けいこ)
    :ごくごく普通のOL。事件により人生が一変する。
 中村辰彦(なかむら・たつひこ)
    :吹利県警刑事、1987年当時若手。現在はマル暴中村。
 丹下朔良(たんげ・さくら)
    :吹利県警刑事、面倒見のよいイイ親父。
 深山壮平(みやま・そうへい)
    :吹利県警刑事、丹下の相棒。卜部奈々の実父。2007現在では故人。

通り魔
------

 20年ほど前の出来事。
 日もすっかり暮れた道を一人の女性が歩いている。

 慶子     :「ふぅ……もうこんな時間」 

 もう深夜といっていい時間帯。
 腕時計を確認しつつ、かつかつとローファーを鳴らして歩いている。

 その近くの駐車場に一人の男がうずくまっている。

 男      :「くそう……やつだら、やつらがくる……」 

 がたがたと身体を震わせながら、その目は血走ってて瞳孔が開いている。
 せわしなく荒い息を吐き、口元からはよだれが伝っている。
 明らかに薬物中毒の症状。

 小刻みに震える手には飛び出しナイフがしっかりと握られている。

 男      :「くる……ちくしょう、やつが、やつらが……」 

 圧迫するような夜の闇。
 周り全てが敵、自分を誰かが追ってくるという強迫観念に囚われながら。
 敵、やつ、敵がくる、自分を殺そうとしている。

 男      :「ちくしょう、ちくしょう……」 

 そして少し離れた位置から近づいてくる足音 

 SE     :カツカツカツ 
 男      :(びくっ) 

 確実に近づいてくる。

 男      :「…………ひっ」 

 額ににじむ脂汗、震える手、握り締めたナイフ 

 男      :「くそう……」 

 やるならやってみろ。
 ナイフを手にしたまま、よろよろと立ち上がる男。

 慶子     :「……はぁ」

 ようやく家のすぐ近く、すぐ手前にある駐車場の前にさしかかって一息つく。

 その時。突然目の前に飛び出してくる人影 

 慶子     :「!」
 男      :「ちくしょう!!」 

 現れた男の姿に咄嗟に声も出せずその場に立ち尽くす慶子。
 振り上げた男の手に握られていたのは……

 慶子     :「きゃああああ!」 
 男      :「ぶっころしてやるっ!」 

 反射的に逃げようとした慶子の足に目掛けて、まっすぐに突き立てられる
ナイフ。

 慶子     :「あああああ!」
 男      :「……はぁ……はぁ……」

 悲鳴を上げて倒れこむ。
 倒れこむ慶子の姿を見て、ガクガクと震えて立ち尽くしている男。

 男      :「……ひぃ……あ……」 

 そのまま踵を返すと何かにおわれるかのように走り去ってゆく。

 慶子     :「……た、たすけて……だれか……」 

 太ももに柄まで深く突き刺さったナイフ。
 伸ばした手、触れるのは冷たいアスファルト。
 ずるずると這いずり助けを乞いながら、後から後から涙が頬を伝う。

 慶子     :「……たすけて」 


歯軋り
------

 吹利県警にて。
 しかめ面で腕組みをする男。見事なまでに禿げ上がった頭と右目の眼帯。
 とてもそうは見えないが吹利県警捜査課の刑事である。

 丹下     :「……通り魔、か」 
 中村     :「はい、被害者は吉川慶子。被疑者は伊東数昌、指定暴力
        :団湊会に学生時代から関わりがあり、今回も薬物中毒によ
        :る幻覚が原因と思われます」

 丹下の隣で言葉を続けるがっしりとした大柄な男。同じく吹利県警刑事、
まだ見習いから昇格したばかりの若手でもある。
 報告は淡々とした口調だったが、中村の目には言葉にできない怒りが渦巻い
ていた。

 丹下     :「……そうか」 

 手にしたタバコをもみ消しつつ、小さく息をつく 
 中村が怒り、丹下がやりきれない溜息をつく理由。

 捕まった男は、以前も同じように傷害事件を起こしていた。
 そしてその時男を捕まえたのは丹下と中村の二人だった。

 中村     :「…………また、ですよ」 

 ぎりぎりと歯をかみ締めつつ、中村が押し殺した声でつぶやく。

 丹下     :「中村、少し落ち着け。奴の調書は深山に任せろ。こっち
        :は被害者のほうをあたる」 
 中村     :「……はい」 

 ベテランであるの丹下と若手の中村。若手育成の他に少し頭に血が上りやす
い中村を抑えると言う役割もになっている。

 丹下     :「しかし、ひでぇ話だな……いくぞ、中村」 
 中村     :「…………」

 ぽつりとつぶやいた丹下の後を唇をかみ締めたままの中村が続く。

 被害者、吉川慶子。
 右足太ももにナイフによる深い傷を負い、治ったとしても元のように歩ける
かどうかはわからないという状態。

 中村     :「丹下さん……保護って、なんなんすかね」 
 丹下     :「……さあな(肩をすくめる)」 

 以前、男は傷害で逮捕され送検された。
 しかし、心神喪失状態と判断され起訴されず措置入院後数ヶ月での犯行。 


病院
----

 病院の一室。
 ベッドの上で目を覚ました慶子。
 そのまま、なにをするとでもなくぼんやりと天井を見つめている。

 慶子     :「……」

 水の中にいるようなぼやけた意識。
 少し離れた位置から人の話し声が聞こえる。

 中村     :「少しでもお話をお聞きしたいのですが」 
 看護婦    :「……そうしたいのですが、本人も大分ショックを受けて
        :いるようで」 

 看護婦と思われる女の声と少し野太い男の声。
 顔を少し横に向けて、看護婦と押し問答している大柄の若い男とその隣で静
かに黙っている禿頭の男 

 慶子     :「……ん」 

 身体を起こそうとするも、痺れたように足が動かない。

 看護婦    :「あら、吉川さん。気がつかれました?」 
 中村     :「吉川慶子さんですね」 

 顔を向けた慶子の前にずいっと乗り出す男。
 がっしりとした体格につり上がった太い眉、いかにも強面といった意志の
強そうな目がじっと慶子の顔を見る。

 慶子     :「……え、は……はい」 

 思わずびくりと身体を震わせて、小さく答えた。

 中村     :「吹利県警の中村と申します」 
 丹下     :「吹利県警の丹下です」 

 胸ポケットから手帳を出して頭を下げる二人の男。
 抗議しようとした看護婦に丹下が頭を下げてやんわりと押しとどめる。

 慶子     :「……警察」 

 警察が自分を訪ねてくる理由。
 ふと。

 夜の闇。
 突然目の前に現れた……男。
 そして、痛み。

 慶子     :「……」

 きゅっとシーツを掴んで身体を震わせる。
 あれから、ひたすら助けを求めて意識を失って……

 中村     :「……この度は本当に」 

 きゅっと眉を寄せて、心底口惜しそうな顔で中村が口を開く。

 中村     :「まだお辛いとは思いますが、当時のことをお聞かせ願え
        :ませんか?」 
 慶子     :「…………」 

 シーツを掴んだまま、唇をかみ締める。
 涙がこぼれそうになるのを必死に堪える為に。

 中村     :「……お願いします」 

 深々と頭を下げる姿には男の強い意志を感じさせる。

 慶子     :「…………はい」 

 頬を一筋、涙が伝った。


不起訴
------

 事件発生から暫く。
 目撃者の証言、指紋から割り出された男はすぐに吹利県警に身柄を拘束され、
被害者の証言、動かぬ物的証拠を集め、逮捕送検された。
 だが。

 中村     :「不起訴!?」 

 吹利県警、刑事部。
 デカ部屋と呼ばれる一室に中村の怒号とばしんとデスクを叩く音が響いた。

 丹下     :「……そうらしいの」 

 疲れたように肩をすくめて丹下が頷く。
 中村の怒りの理由は痛いほどわかった。

 中村     :「どうしてですか!?前回それで奴を不起訴にして、奴を
        :野放しにして……また悲劇がおきたんすよ!」 
 丹下     :「……」 

 握り締める拳、かみ締めた歯。
 丹下を責めるのはお門違いであり、どうしようもないことであるのは中村に
もわかっていた。

 中村     :「……どうして」 

 ギリギリとデスクの上で拳を握り締めて。

 丹下     :「……傷を、つけたくないんだろうなぁ」 
 中村     :「…………」 

 丹下と中村の脳裏によぎる吹利地検検事の姿。
 いかにも日の当たるエリートコースのみを歩んできたという取り澄ました顔。
 起訴後、裁判で有罪にできなかった場合、将来性に傷が付くというまことし
やかな噂。
 
 中村     :「……くそっ」 

 どん、と拳でデスクを叩く。

 中村     :「……くそっ!こんなの……まるで、ザルで水すくってる
        :のと変わらないじゃないすか!なんで!」 

 何度も何度も。

 丹下     :「よせ、中村」 
 中村     :「……ちくしょう」 

 ぎり、っと。かみ締めた歯が音を立てる。


謝罪
----

 病院にて。
 通り魔事件から幾日かが過ぎ、傷は塞がったもののまだ足は思うようには動
かない。いや、もう二度と思うようには動いてくれないのかもしれない。

 慶子     :「……っ」

 杖を握る手に力をこめて、一歩一歩踏みしめるように廊下を歩く。
 せめてまともに歩けるようにならなければ、今後の仕事にも差し支える。
下手に長引いて休職が長引くと特にこれといった技能も持っていない慶子は職
を失ってしまうかもしれない。

 慶子     :「…………」 

 ふと、足を止めて。
 唇をかみ締めてこみ上げてくる涙を堪えた。

 中村     :「吉川さん!」
 慶子     :「……あ」

 背後からかけられた声に顔を上げる。
 よく通る聞き覚えのある声。

 中村     :「……吉川さん」

 振り向いた先、スーツ姿のがっしりとした男がこちらに歩み寄ってくる。

 慶子     :「刑事さん……」
 中村     :「こちらにいられると聞いたので」
 慶子     :「はい」

 無理に笑おうとした慶子の前で、中村が深々と頭を垂れた。

 中村     :「…………申し訳、ありません」 
 慶子     :「……え?」 
 中村     :「……申し訳ありません……本当に」 

 わけがわからないといった顔の慶子の前で、深々と頭を下げて謝罪する。
 それが自己満足に過ぎないということは中村にも良くわかっていた。
 だが。

 中村     :「……申し訳ありません」

 起訴できなかったこと。
 捕らえたはずの凶悪犯を野放しにし、また被害をだしてしまったこと。
 どうにもできないもろもろのことを思いながら、ただひたすら謝り続ける。


溜息
----

 吹利県警にて。
 デカ部屋で丹下は珈琲を片手に一息をついていた。その傍らには丹下の長年
の相棒である深山が同じく珈琲をすすりながら小さく溜息をついていた。

 丹下     :「中村の奴は?」 
 深山     :「……彼女のところに」 
 丹下     :「……そうか」 

 言葉を切って、目を伏せる。
 中村の怒り、やりきれなさは丹下も深山も同様だった。

 深山     :「彼のせいではないんだよ……でも」 
 丹下     :「気がすまねえ、んだろうなあ……奴は」 
 深山     :「……そうだね」 

 溜息をつきつつ、デスクに向き直った。


後遺症
------

 事件から幾分時間が経った頃。
 慶子も努力の甲斐あり仕事に復帰することとなった。

 会社の人   :「うーん、君もすごく不幸だったというのもわかるんだ」 
 慶子     :「……はい」 

 言葉を濁し、まるで腫れ物に触るかのような雰囲気で慶子に語りかける。

 会社の人   :「でも、この時期に君だけ残業なしということはできない
        :んだよ」 
 慶子     :「……はい」 

 仕事上、月末はどうしても深夜に及ぶ残業がある。
 たとえ夜道が怖くとも、杖無しでは歩けなくなった身になろうと。

 会社の人   :「……いや、なるべくこちらも考慮するけど、ね」 
 慶子     :「……申し訳ありません」 

 深々と頭を下げて、杖をつきつつ席へと戻る。

 慶子     :「……」

 こみ上げる涙を必死に抑えつつ、作業を再開する。
 痛む足をさすりながら、考えが巡る。

 あの事件以来、夜道が恐ろしくて一人では歩けなくなった。買い物はできる
限り休日に買いだめをし、夕方以降は近所に行くときでも家から一歩も出なく
なった。傷つけられた足は元のように歩くことはできず、時折疼くように痛ん
で慶子を苦しめた。そして、これほどのことをしておきながら、刺した当人は
起訴もされることなく措置入院だけという実質野放しに近い状態であるという
こと。

 慶子     :「…………どうして」 

 かすれるような声に涙が滲む。


仏頂面
------

 県警にて。

 中村     :「……」

 背中に鬼でも背負っているかのような気迫でデスクに向かって書類を書いて
いる中村の姿。

 女子職員1  :「……最近、いつもに増して中村さん怖いねー」 
 女子職員2  :「うん、こないだの事件で……」 
 女子職員1  :「ひどい話よねえ、あんな凶悪犯が二度も」 


帰り道
------

 夜。
 すっかり日の落ちた深夜近い時間帯。

 慶子     :「…………」 

 やっと仕事を片付けて、会社をでて杖を突きながら歩く慶子。
 いつぞやと同じ時間帯、よく似た状況。
 ただ、違うのはもう逃げることはできないということ。

 かつん、と小さな音を立てつつ震える手で杖を突きながら歩く。

 慶子     :「…………」

 また、どこからかあの男が飛び出してこないか。
 罪に問われなかったあの男が夜の闇に覆い隠されて今でも何処かに潜んでい
るのかもしれない。
 振り上げられたナイフ。
 今の慶子には走ることもかわすこともできない。

 慶子     :「……うぅ」 

 かつ、かつ、と歩きながら。
 一歩歩くごとに曲がり角や電柱の影から誰かが飛び出してくるかもしれない
という恐怖と不安に襲われる。

 慶子     :「…………う」 

 できることならば今すぐ駆け出したい。
 駆けて、家に飛び込んで鍵をかけて布団をかぶってしまいたい。
 だが、それは適わぬことで。

 ちょっとした人の声や、車の発進音を聞いただけで杖を持つ手が震える。

 慶子     :「……怖い」 

 かつ、と足を止める。
 もう泣きたくて泣きたくてしょうがなかった。
 早く家に帰りたいと願っても、まだ家までは半分ほど。時刻を見ると以前の
慶子ならばとっくに自宅についている時間帯だった。

 慶子     :「……もう」 

 このまま座り込んで泣いてしまいたい。
 もう苦しみたくない。

 ??:「どうしました?」 
 慶子     :(びくっ) 

 背後から聞こえる声。
 野太い、だが何処かで聞き覚えのある、若い男の声。
 ばっと振り向いた先、大柄の男が立っている。

 中村     :「……吉川さん」 
 慶子     :「……あ」 

 中村と名乗ったいつぞやの刑事。

 慶子     :「……中村さん」 

 ふとこみ上げてくる安堵の息。
 同時に我慢していたはずの涙が頬を伝って、その場にへたり込む。

 中村     :「吉川さん!どうしたんですか?」 

 慌ててしゃがみこんだ慶子の傍らにかけよって肩を支える。

 慶子     :「……すいません、急に……」 
 中村     :「…………」 

 あとからあとからこぼれてくる涙を拭いながら、声を押し殺して泣いている。

 中村     :「……いえ……あなたは、何も悪くない」 

 かがみこんで落ち着けるように肩を撫でて声をかける。
 何の落ち度もない慶子がこんな風に怯えて泣いてしまうことが痛かった。

 中村     :「泣かないでください……」 
 慶子     :「ごめんなさい」
 中村     :「家までお送りしますから、大丈夫です」

 子供をあやすように背中を撫でて、そっと立ち上がらせる。せめて今彼女に
できることは他に思いつけなかった。

 帰り着いた家の前。

 慶子     :「あの、中村さん……本当にすみません、ありがとうござ
        :いました」 
 中村     :「いえ、お役に立てなくて」 

 恐縮して何度も頭を下げる慶子に会釈して。胸ポケットからメモ用紙を取り
出してカリカリと電話番号を書いて手渡した。

 慶子     :「これは?」
 中村     :「もし、今日のように辛い日があったら……いつでも言っ
        :てください、できるかぎり、お送りします」 
 慶子     :「え?でも、申し訳ないです」 
 中村     :「いえ……そんなことしか、できませんから」 
 慶子     :「…………」 
 中村     :「……こんなことで罪滅ぼしになるとは思いません、
        :ですが……俺でできることなら、力になります」 

 深々と頭を下げて。

 慶子     :「……はい、ありがとうございます」 
 中村     :「はい、では失礼します。」

 もう一度深く頭を下げて踵を返す。 

 慶子     :「……」

 去ってゆく中村の背を見送って、ドアを閉めた。


わかりやすい
------------

 後日、吹利県警での光景。

 丹下     :「中村、もうあがりか?」 
 中村     :「ええ」 

 顔をあげて目を丸くする。
 かといって決してサボりでもなければ仕事が中途半端なわけでもない。
 定時はとうに過ぎ、提出しなければいけない書類は総て上がっている。だが
普段の中村を知る者ならば、それは随分異様な行動に見えた。
 実際、現在は待機中でありその行動にはなんら問題はないのだが、ドがつく
ほどの仕事好きで常にがつがつと事件を追っているはずの中村がそそくさと
帰宅する図というのはあまりに珍しい。

 中村     :「では」 
 深山     :「お疲れ、中村くん」 

 どこかそわそわするように身支度をして、なにかあったらポケベルにお願い
しますと言い残し、出際に一度襟を正して県警を後にする。
 残されたのはひらひらと手を振って送り出した深山と唖然とする丹下。

 丹下     :「……どうしたんだ、奴は」 
 深山     :「ふふん、丹さん。わかってないなあ」 
 丹下     :「なんだと?」 

 人のよさそうな笑顔を浮かべてくすくすと笑う深山を振り返って怪訝そうな
顔になる。愛想がよく世話焼きのお人よしといった風情の相棒はどうやら何か
を知っているらしい。

 深山     :「若いんだから、ねえ。中村くんも」 
 丹下     :「……若い?……あ」 

 うんうん頷く深山、ふと丹下の脳裏に浮かぶ女性の姿。
 通り魔事件の被害者女性。
 中村が頭に血を昇らせて必死に追っていた……あの事件。

 深山     :「ふふ」 
 丹下     :「…………それでか」 
 深山     :「わかりやすい子だね、まったく」 
 丹下     :「しょうがねえ奴だな」 

 やれやれと肩をすくめて息をつく丹下とおかしそうに笑う深山。


帰り道
------

 特にとめどなく会話をするというわけでもなく、時折ぽつりぽつりと何気な
い話題を口にしながら、日の落ちた夜道を二人並んで歩きつつ。

 中村     :「……」 

 杖をつきながら歩く慶子に速度をあわせながら歩く中村を見上げる。
 この少し無口で大柄な男に帰り道に送ってもらうようになってから大分経つ。
最初は怖そうな印象を受けたが、決して粗暴でも横柄でもない、少し不器用な
所のある優しい男だということ。

 慶子     :「すみません、刑事さん、ホントはお忙しいんじゃないん
        :ですか?」
 中村     :「待機中ですから」 
 慶子     :「……でも、助かります」 

 ちら、と隣の慶子を見て。

 中村     :「こんなことしか……できませんから」 

 心の奥からこぼれるように。
 後悔と悔しさと、なんとかしたかったという想いを含んで。

 慶子     :「……」 

 一瞬、悲しそうな顔をして、慶子は再び歩き出した。


休日
----

 ある日の休日。
 待ち合わせの場所で時計をちらりと確認する慶子。
 昼間の通りは夜とうって変わって人通りも多く、どこか安堵する。

 あの事件があるまでは、当たり前だった安心感。

 慶子     :「……」

 もう思うように動いてくれなくなった足をさする。

 中村     :「すみません、待ちましたか?」 
 慶子     :「いえ、すみません、お忙しいのに」 

 ばたばたと大柄の男。
 買い物に付き合うという約束での待ち合わせ。

 中村     :「いえ、大丈夫です」

 そのまま背筋を正して隣を歩く。
 足を痛めた慶子の歩調に合わせいつでも助けられるようにと。

 慶子     :「あれ以来……夜が怖くて……もう殆ど外に出られなくな
        :ってしまって」 
 中村     :「…………」 
 慶子     :「ありがとうございます、中村さん……」 
 中村     :「……はい」 

 普段の倍以上時間をかけて歩き、たどり着いた色々な店。

 慶子     :「あの……中村さんは見なくてもいいんですか?」
 中村     :「いえ、俺は平気です」 
 慶子     :「……ええと」 

 あちこち回るにつれ、つき合わせて悪いという気持ちが膨らんでいく。
 それほどに女性服売り場で中村の姿は思いっきり浮いていた。杖をついて歩
く慶子についてまわり、あれこれ服を選ぶのを腕組みして待っている。
 ある意味、営業妨害になっているのではないかと心配になってしまうほどに。

 慶子     :「……どうしよう、かな」
 中村     :「…………」

 後ろで仁王立ちしている中村を気にしつつ、服に目をやる。
 足が不自由なままで歩くのも不恰好な今、どんな服が似合うというのか。

 中村     :「きっと似合います。あなたなら、何を着ても」
 慶子     :「え?」

 ずいっと、一着の服を手にとって慶子に差し出す。

 中村     :「……あまり、こういうセンスは自信ありませんが……
        :そう思います」 
 慶子     :「あ、はい……」 

 物怖じする慶子の背を後押しするように。

 店員     :「ご試着ですか?」
 慶子     :「あ、はい……では、すみません」

 試着室で手にしたワンピースを眺めて。

 慶子     :「……後押しして、くれたのかしら」

 体に当てて鏡の向こうに笑いかけて。

 慶子     :「ありがとう、中村さん」

 試着室から出て、腕組みして仁王立ちで待っている中村に笑いかける。

 慶子     :「ええと……どうでしょう?」 
 中村     :「…………」 
 慶子     :「おかしいですか?」 
 中村     :「い、いえ、おかしくありません……その、似合ってます」

 一見しかめっ面のように見えて、実際は怒っているわけではなく。

 慶子     :「そうですか、よかった」 
 中村     :「……はい、似合っています……えーと」 

 たどたどしく、言葉を詰まらせる。
 褒めたいと思っているのに、うまい言葉が出てこない。

 慶子     :「嬉しいです、中村さん」
 中村     :「いえ……はい」

 だんだんしどろもどろになる中村を見て、思わずくすくすと笑いがこみ上げ
てきた。


 慶子     :「……今日は、本当にありがとうございました」 
 中村     :「はい」 

 買い物袋をベンチの脇に置いて、ジュースを手の中で転がす。ひやりとした
感覚が疲れた体に心地よい。

 慶子     :「……中村さん」 
 中村     :「はい」 
 慶子     :「……本当に、ありがとうございました……」 
 中村     :「俺は、平気です」 
 慶子     :「いいえ、中村さんに送ってもらえて、一緒に帰ってもら
        :って……私すごく助かったんです」 
 中村     :「……」 
 慶子     :「……あの事件以来、一人で外を歩くのが怖くて、夜が怖
        :くて……」 

 缶を転がしながら、ぽつぽつとこぼれるように出てくる言葉。

 慶子     :「……でも、中村さんのおかげで、救われたんです」 
 中村     :「でも、こんな事件がおきてしまったのは、我々が」

 言葉を切って、拳を握り締める。
 あの男を野放しにしてしまったせいで。
 慶子さんのような人こそ、守らなければいけないはずなのに。

 中村     :「吉川さんが、こんな目にあってしまったのは……」
 慶子     :「…………」 

 そっと中村の拳に重ねられる手。
 びくりと中村の肩が跳ねる。

 慶子     :「ありがとう、中村さん」 
 中村     :「…………」 

 額に汗を滲ませつつ、握り締めた拳を開いて細い手を壊れ物のようにそっと
握った。


宣言
----

 公衆電話で受話器を手にとってキャッシュカードを入れる、残り度数はまだ
余裕があった。慶子はすっかり慣れた手つきでプッシュホンのボタンを押し、
中村のポケベルにコールした。

 慶子     :「忙しいのかしら」

 迎えにこられる時はすぐさまポケベルに返信が来るのだが、今日は中村から
の連絡はない。もっとも職務上いつもとはいかないのは知っているが。

 慶子     :「……そうね……もう、大丈夫」 

 いつまでも甘えてはいられない。そうでなくとも多忙なはずの中村にこれ以
上負担をかけたくないというのも本心だった。

 帰り道。
 もう深夜に差し掛かった時間帯。街灯はあるものの道はかなり暗い。
 事件の前までは一人でも平気で歩いていたはずなのだ、歩けないことはない。

 慶子     :「……だいじょうぶ」 

 かつんと杖をついて。
 一歩一歩夜道を歩く。

 慶子     :「……大丈夫、大丈夫よ」

 暗がり。夜の闇の圧迫感。
 中途半端に街灯に照らされた道。
 曲がり角に電柱の影に家々の隙間に、何かが潜んでいる、そんな感覚。

 慶子     :「……大丈夫よ」 

 きゅっと杖を握り締めて。
 もう事件から随分経つのだ、慣れなくてはいけない。
 いつまでも恐怖を引きずって中村の負担になるわけにはいかない。

 慶子     :「……」

 冷たい汗が伝う。
 杖を持つ手が微かに震える。
 踏みしめた足に力が入らない。

 夜の道。
 這い上がってくるような恐怖感。

 慶子     :「うぅ……」 

 足を留め、自分自身を抱くように。

 慶子     :「……たすけて……」 

 視線がさまよい行き着いた先は閉まった店の前にある公衆電話。足を引きず
りながら無我夢中で受話器を掴みカードを入れる。指先を叩きつけるような勢
いで番号を押す。

 慶子     :「……中村さん……」 

 必死に涙を堪えながら。


弾丸
----

 吹利県警にて。
 追っていた仕事に片がつき、刑事部面子は遅い休憩を取っていた。

 丹下     :「ふぅ」 

 珈琲をすすって、禿げ上がった頭をひと撫でする丹下。その隣では同じく肩
を鳴らしながら小さく息をつく深山の姿。その向かいで相変わらずのしかめ面
で珈琲を飲んでいる中村。

 中村     :「!」

 珈琲のカップを片手にもったままポケットに手を入れて、がたんと音を立て
て中村が席を立つ。

 深山     :「中村くん?」
 中村     :「すいません、失礼します」 

 そのまま回れ右をして駆けていく。

 丹下     :「中村?」 
 深山     :「うん、若いなあ」 

 呆然と中村の背を見送る丹下となにやら頷きながら笑う深山。
 ばたばたと普段の中村とは思えないほどの速さで片づけを済ませるとまた駆
け足で戻ってくる。

 中村     :「すみません、お先に失礼します!」 
 深山     :「はい、おつかれさん」
 丹下     :「おい……」

 のんきに手を振る深山と状況が読めない丹下を置いて、スーツの上着をひっ
つかんで走り去っていった。

 深山     :「いいなあ、うん」
 丹下     :「……やれやれ」


宣言
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 時間の感覚がわからない。どうしようもなく時間が長く感じる。
 電話ボックスの中透明な壁にもたれたまま、慶子は必死で涙を堪えていた。

 外は暗い。
 明るい電話ボックスの中にいるせいか一層暗さが引き立って見える。

 慶子     :「……中村さん」

 震える体を抱きしめながら。

 と、遠くに見える人影。
 ばたばたと駆けてくる男の姿。

 慶子     :「……あ」 

 見覚えのある。
 いかつい大柄の男が。

 中村     :「慶子さん!」 

 ガラス戸をあけて、息を切らしながら目の前に立っている姿。

 慶子     :「……中村さん……」 
 中村     :「無事ですか?慶子さん」 

 いつの間にか、呼び名が吉川さんから慶子さんになっていることに二人とも
気づいていない。

 慶子     :「……すみません、中村さん……」 
 中村     :「……慶子さん」 

 そろそろと中村の袖を掴んで、胸に額をつける。

 慶子     :「……ありがとうございます、中村さん」 
 中村     :「…………」 

 そっと慶子の肩に両手をのせる。細い肩は微かに震えていた。

 中村     :「慶子さん」 
 慶子     :「……はい?」 

 ひとつ、息を吸う。
 ゆっくりと慶子の体を離して、涙の浮かんだ目をじっと見つめる。

 中村     :「もう……二度と恐ろしい思いはさせません。あなたは
        :俺が一生守ります」 
 慶子     :「……え?」 
 中村     :「……俺と、結婚してください」 


時系列と舞台
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 1987年くらい。
解説
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 http://kataribe.com/IRC/HA06-01/2007/05/20070513.html#210000
 通り魔事件と中村夫婦の馴れ初め。
 この後、犯人は裁かれず、再び相羽の父の殺害事件へと繋がっていく。
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以上



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