[KATARIBE 30958] [HA21N] 小説『還ってくる者〜居場所』

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Date: Sat, 7 Apr 2007 00:51:01 +0900 (JST)
From: Subject: [KATARIBE 30958] [HA21N] 小説『還ってくる者〜居場所』
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2007年04月07日:00時51分00秒
Sub:[HA21N]小説『還ってくる者〜居場所』:
From:いー・あーる


ども、いー・あーるです。
流しますー(既に前置き無いあたりがぐてぐてです)

**************************
小説『還ってくる者〜居場所』
===========================
登場人物
--------
 片桐壮平(かたぎり・そうへい)
   :吹利県警巡査、魂の無い不死身の男。
 今宮タカ(いまみや・たか)
   :流れを見、操る能力者。多少不思議系。
 今宮 昇(いまみや・のぼる)
   :タカの父。妻の死後、子供との交流はほぼ一切無し。
 薬袋 隆(みない・たかし)
   :タカの母、紗弓の弟。相手の過去を見る異能者。
 白橡 (しろつるばみ)
   :裏葉柳医院の生き残り。しばらくの間、片桐家にて静養中。
 

本文
----
 家中の引き出しを探って、一枚の紙を見つけ出す。

(その……片桐さんだっけ。その人の電話番号は分かるかね)
 娘が居なくなったらどうしようと思っていた。娘が居なくなることが心配な
のではなく、いざという時に、あの子を可愛がっているだろうその誰かが、自
分の手元から引き離すのではないかと怖かった。
 だから。
(なんで、とーさん)
(いざっていう時に、連絡したいじゃないか)
 不要領な顔をしてこちらを見ている娘に、丁寧に言い聞かせた覚えがある。
(たとえばね、タカがうちに居ない時にその……片桐さんのところに電話して、
タカが居るならそれでよし、居ないなら探しに行くって出来るじゃないか)

 とにかく手元から離したくなかったが為に、無理矢理聞き出した電話番号。
 それを、こうやって使うとは……思わなかった。

              **

「おう、起きたか」
 何だかんだ言ってくたびれたのだろう。まだ眠たそうな顔のタカが、ベッド
の上で目をこすっていると、声がかかった。
「…………おはようございます」
「ほら、朝ごはんでけとるぞ」
 ……と言っても、そもそも台所道具がそう揃っているわけではない。インス
タントのコーヒーか紅茶、それにパンと目玉焼きが、コタツの上に並んでいる。
「……はい」
 着替えようとして、着替える必要が無いことに、タカは気がついた。考えて
みれば、昨日はコートを脱いだだけで眠ってしまったのだ。
「ごはんー」
 やっぱり眠そうな声に顔をあげると、いったいこの狭い部屋のどこに居たの
か、淡蒲萄があくびをしつつ、大きく伸びをしている。そしてその横に。
(あれ?)
 小さく小さく、膝を丸めるようにして座り込んでいる、少女。

 
 朝ご飯を食べたのは、結局3人だけだった。
 ツインテールに髪を結った少女は、淡蒲萄の妹だという。さして広くもない
部屋の隅にぴったり背をくっつけて、膝を腕で抱え込むようにして座り込んで
いる。淡蒲萄が何やら話しかけていたようだが、結局朝ご飯いらないんだって、
と、存外あっさり戻ってきた。



「あたしちょっと出かけてくるね」
 玉子焼きとパンを片付けた淡蒲萄がそう言って家を出てゆくと、暫く部屋の
中はしんとした。
 沈黙の中で、だんだんとタカは昨日のことを思い出した。
 泣いて泣いて、泣き疲れて眠る、その前のこと。

(タカっ!)
 
 夢か、と、少しだけ思った。
 思いたかった。けど。

 自分がここに居ること。その理由。

 食パンを一枚とってぱくりと齧る。その歯型をなんとなく見る。
 草食動物を食べる肉食動物みたいな……そんな歯、だろうか。

(タカのせいじゃない)
(けれども)

 口の中のパンが、急にからからに乾いた気がした。何だか飲み込めない。
 
「……タカ」

 声をかけようとした片桐の手元で、携帯が鳴る音がした。

「あ……もしもし?」
 多少ぶっきらぼうな声に答えたのは、ある意味ひどく意外な人物だった。
『もしもし。私です。今宮です』

 一瞬返事のしようが無いまま、片桐は黙る。携帯の向こうから、淡々とした
声が続く。

『…………申し訳ない、片桐さん』 
「はい、ああ……」 
 相手の声は十分に冷静で、多少早口になっている以外は感情の波を示すよう
なものはない。
『急なことなんだが、タカの叔父がそちらに行く。今こちらに電話してきて場
所を訊かれた』
 淡々とした声が、一瞬だけ途切れて。
『タカを引き取りたい……と』
「……」
 それに関して、片桐にしては言うべき言葉が無い。確かに普通、父親が子育
てを放棄した(とこの場合してもよいだろう)場合、近親者がその子を引き取
るのが普通の筈だ。
 だが。
『多分時間が無いから、一言だけ。私は貴方にタカを引き取ってもらいたい』
 少し咳き込んだような声が、言い回しも言い訳も無しにそう告げる。
「……だが、その口調じゃと、なんぞ裏がありそうにみえるのう」 
『ある。だが、説明する暇はない。あれはすぐにそちらに向かう』

 昨日の今日。父親の声には、しかしタカに対する悪意は感じられなかった。
 そもそも……悪意は多分、無かったのだろうとも思う。
 だからこそ、あれほど無惨なことになったのかもしれないが。

「決めるのはタカじゃ、その意思に反することはできん。だが」 
 電話の向こうから、何かを言おうとする気配が伝わる。それを抑えるように。
「タカが望まない、と感じたら、ワシは渡さん、それだけじゃ」 
 一瞬、沈黙があった。
『……私が言うのはちゃんちゃらおかしかろうが、でも、あの男は危ない』
 ひどく切羽詰った声が、そこまで言った時に、玄関についたチャイムが鳴る
音がした。
「……お」
『来たか』
 どうやら電話越しにその音が聞こえたらしかった。
『……タカを、宜しく』
 その言葉はどこか、首筋に落ちた氷の欠片を思わせた。
 
 
 うすべったい玄関の扉の向こうに立っていたのは、確かにタカに良く似た顔
の若い男だった。背は普通、少し痩せたように見える身体つき。瞳と虹彩が均
一の色合いの、どこか引き込まれるような目元には、優しげな笑みを浮かべて
いる。

「失礼します。今宮タカの叔父の、薬袋隆と申します」 
「ああ、どうも。片桐と申します」 
 どうぞ、と手で示す。相手はにっこりと笑った。
「どうも」 


 どうぞ、と言うほどのものではない。入ったら即部屋である。部屋の隅に座
り込んだ白橡は身動きもしなかったが、コタツの前に座り込んでいたタカは、
ぱっと顔を上げた。
「隆おじちゃん?」
「おはよう。大変だったね」
 ふわりと優しい笑顔を少し曇らせて、隆は身を屈めてタカに声をかけた。
「…………」
 すうっと、タカの顔から血の気が引いた。



 ひゅ、と、喉の奥で、音が鳴った。
 怖さの音だ、と、どこか他人事のように思った。

 母親の家族は、殆ど誰も今宮家を訪れることがなかった。唯一、それでも年
に一度くらいやってくるのがこの叔父だった。
(タカ、元気だった?)
 そう言いながら、ぽうんと抱き上げて、高い高いをしてくれる。そしてぽん、
と下ろしてから、隆叔父は父と母のほうを向く。 
 時々は家族と一緒に外に出かけた。列に並ぶのか、と、うんざりしている父
親の代わりに、タカの手を繋いで一緒に並んでくれたこともある。
 一番、親しかった、叔父さん。

 その、目元から。

「……タカ?」

 どくどくと、零れてくる黒紫の粘液のような流れ。
 月が膨らみ、また欠けてゆく。その間度々父親の目元から流れてきたどす黒
い流れにそっくりなその流れは、けれども勢いも量も父親の比ではない。優し
げな笑い顔を覆い隠す勢いで、その何かはこぼれおちてゆく。飛沫を上げるよ
うに。
 飛沫の向こうの叔父の顔は、ひどく恐ろしい形に歪んでみえた。

「…………っ」
 かたかたと震え出したタカの視野から、不意に叔父の顔が消える。腕を引っ
張られてそのまま背中の後ろに廻される。
 微かな、煙草の匂い。



 腕をひっぱって、背中に隠す。タカの怯えようは、ただごとではなかった。
 客観的に見て、隆という人物がそこまで怯える要素があるかといえば、これ
ははっきりと無い。部屋の隅に座り込んでいた白橡が、ちらりと隆を見て、ま
た視線を泳がせる。そのどこにも恐怖らしいものは含まれていない。
 だが。
「……単刀直入に申します。今宮から聞きました。タカがお世話になっている
とか」
 白橡のほうを少し笑って見やると、彼はコタツの向こうにきちんと正座をし、
片桐に向かい合った。
「ただ、こちら……大変な目にあったお嬢さんを預かっておられるとか」 
 にこり、と、今度は明白に白橡を見て言う。どうしてそのことを、と、一瞬
疑問符が浮かんだが、それを形にする余裕も無い。びくん、と肩を跳ね上げた
白橡を庇うように、片桐は言葉を挟む。
「まあ、そういう嬢ちゃんに色々縁があってのう」 
「ええ、でもその上でタカまで、となれば大層ご迷惑でしょう」 
「いや、むしろタカには助けてもらっとるな」 
 きっぱりと言い返した片桐を、少し笑みを含んだままの隆が小首を傾げて見
やった。
「そう、でしょうか?」
「おう」
 シャツの袖をタカが握り締める。その感触を痛いほど感じながら、片桐は言
葉を続けた。
「それに……」 
「はい?」 
「ワシは今タカに必要なことをしとるだけじゃ」 
 手を伸ばし、タカの頭をそっと撫でる。かたかたと、小刻みに震えているの
が、その手から伝わった。

 ……何をそんなに、怯えているのか。
 怯える何かが、この男にあるのか
(あの男は危ない)
 電話越しでも分かる、切羽詰った声。

「ええ、今宮の義兄から聞きました。本当にお世話になっているとか」 
 穏やかな声は、決して相手を否定しない。
「ですが……あのお嬢さんも、今は大変でしょうし、タカも今は大変かと思い
ます」
 けれども簡単に折れることもしない。
「一応これでも、タカの叔父ですし……僕が暫くタカを引き取ったほうがいい
かと思いまして、参りました」

 真綿で首を絞めるような口調に、片桐は一度目を細めた。

「ワシはタカがいることを迷惑とは思わんし、タカがここに居ることを望む限
り手放すことはない。それで親族の権限やっちゅー話をふるんやったらワシか
らタカの父に直接はなしをつける」
 考える。
 昨日の今日、タカの父親が電話をかけてくる意味。
 とてもではないが、電話などかけられる立場でないと、それは重々分かって
いるだろう。理解もしているだろう。
 それでもかけてきた。その……危機感。
「あんたが出てくるのはその後じゃ」 

 きっぱりと言い切った片桐のほうを、隆は少し首を傾げてみやっていた。
 じきに苦笑が口元に浮かぶ。
「……何か僕について、悪い話でも義兄からお聞きになったんですか?」
「さあのう、ただ、ワシが最優先するのはタカの意思じゃ」 
「……ふむ」
 一つ頷いた隆は、ふとにっこりと笑った。そのままタカのほうを覗き込むよ
うに見やる。
「タカ、どうする?」 
「…………っ」
 びくり、と、跳ね上がるような気配があった。
 伸ばした手の先で、小さな頭が火のように熱くなっていた。



 どうしてこんなに怖いのだろう、と、タカ自身も不思議に思う。隆叔父の口
調も笑い顔も、以前と少しも変わらないのに。
 
 どくどく。どくどく。

 憎しみや怒りではない。むしろそのほうが分かりやすかったかもしれない。
けれど、叔父から流れてくるその『何か』は、そんな単純なものではない。ど
ろどろと……これだけ触れたくも無いほどの恐怖を運ぶものでありながら、し
かしどこかに、好意に似た色までも含まれる。

 どくどく、どくどく。

 この一ヶ月。優しく声をかけてくれる父親の目元から、そして口元から零れ
てきた何かに似たもの。襲い掛かってくるような恐怖。その実体への恐怖。

「タカはいい子だよね。今までずっと、片桐さんに迷惑かからないようにして
きたよね?」 
 タカの恐怖を目の当たりにしても、隆の振る舞いは微塵も変わらない。本当
ならどうして怖がっているのか、と、問い詰めても不思議ではないのに、やは
り穏やかな笑顔のまま彼は言葉を継ぐ。 
「でも……どうだろう、今、タカが居るのって……本当に迷惑じゃない、のか
な?」
「…………っ」 
 その言葉は……刺さった。

(タカのせいじゃない)
(それは確かだ)

 そう、父親でさえ、タカに悪意があったとは微塵も言わなかった。
 悪意があったほうがある意味では簡単だ。その悪意や間違いを取り除けばい
い。無論、そう簡単に取り除けないものではあるのだろうけど。
 でも。
 悪意も無い。意識も無い。ただ肉食動物が草食動物を食べるように。

(おじちゃんに迷惑をかけてる……?)
(あのおねーちゃんに、も?)

 部屋の隅に座り込む白橡を、思わずタカは見やる。視線の先でぶるり、と、
白橡は身体を震わせた。

「ワシは迷惑などと思ったことはないぞ」 
 ふ、と、背中がふわりと暖かくなった。
 何度も何度も、背中を撫でてくれる手。

「ええ、それはそうでしょう」 
「……迷惑かけてるのは、こっちだから」 
 そして、短く告げる声。三角座りのまま、白橡が顔だけをこちらに向けてい
る。やあそうじゃないんだけど、と、隆は苦笑した。
「お嬢さんが片桐さんに迷惑をかける……いや、それは迷惑じゃないな、それ
は構わないことじゃないですか?」
 だよね、と、隆はタカのほうを見る。
 タカも、それには頷くしかない。
 頷いたタカのほうを、隆はにっこりと笑って見やり……そしてまた言葉の剣
を突き刺した。

「ただ……それが二人ならば、大変、だと思うよね?」
 にっこりと笑顔で、刺した剣をねじ込むように。
「……タカ?」 

 
 
 悪意に満ちた問い、と、聞こえた。
 昨日の今日。父親に、母親を殺した者として糾弾され、無惨なほどあからさ
まに棄てられてしまった子供。その子供に向かって『お前は邪魔なのだ、お前
は迷惑をかける者なのだ』と、言葉を選びながらも繰り返す。
 だから。

「ちっとも」 
 半泣きの顔になって、それでも必死に歯を食いしばるタカの背中を何度も何
度も撫でてやりながら、片桐は言い返す。
「そこでなあ、ワシに迷惑がかかるかもしらんと脅すような奴に」 
 にこやかな顔はそのままに、隆の目元だけがぎらつくように鋭くなる。その
顔に向かって片桐は断言した。
「……タカは渡さん」 
「…………」
 ひどく厭な目つきのまま、隆がこちらを見る。そのまますう、と、彼はまた
視線をタカのほうに向けた。
「……タカ」 
「……以上じゃ、悪いけど今日のところはお引取り願えるかの」 
「いや、タカは、どうしたいのかな?」 
 遮るように言った片桐の言葉を、さらに押しやるような手つきを、隆はした。
「タカの意思、でしょう?…………どうしたいのかな?迷惑でもここに残りた
いのかな?」
 その言葉自体は、それだけ聴けば別に何てことのないものだ。無論何か責め
られるものでもない。
 けれども。

(迷惑でもここに残りたいのかな?)
 その言葉が今のタカをどれだけ傷つけるのか、この男が気がついていないと
は思えない。わざわざとその言葉を、それも自分は全く悪党に見えない立場で
使うということ。
 ぎゅ、と、タカが腕にしがみついた。


 
 迷惑。
 たくさんのたくさんの迷惑。

(めいわくをかけてもここにいたい?)

 とーさんは、タカがかーさんを殺したと言った。
 タカのせいじゃないけど、殺したと言った。

 迷惑ならいい。まだいい。だけど。

 ……この人までも自分を嫌いになったら。
 嫌いにならずとも……もう二度と見たくない、と、水に叩き込むようになっ
たら。

「…………っ」 
 怖くて怖くて、タカは片桐の腕にしがみついた。
(隆おじちゃんが正しかったら)

 父親が叩き込んだ水の中から、引き上げてくれたこの人までが、自分を嫌う
ようになってしまうとしたら。

「……タカ?」 
 ほんの少し笑いを含んだ、隆の声。
 がたがたと、タカの身体が震える。

 ……と。

 しがみついたタカの手の上に、ふわり、と、手が重ねられた。
 大丈夫、大丈夫、と、言葉の代わりのように。

(ここにいたいです)
(おじちゃんところにいたいです)

「…………ぁ」
 でも、どうしても、どうやってもその一言が言葉にならない。泣きそうになっ
たタカの頭を、たん、と、何かが叩いた。
「あ……」
 それがみやまだったと、分かるのはもっと後。その時はただ、その衝撃に押
し出されるように、タカは声を放っていた。

「…………タカ、ここに居るっ!」 
 目の前の男の顔が、あのどす黒い波の向こうで、今度ははっきりと引き歪む。
必死で目を閉じながら、タカは叫んだ。
「おじちゃんとこにいるっ!!」 



 この穏やかな顔が、ここまでの負の感情を表すか、と思うほどに。
 隆の表情の変わりようはすさまじかった。
 ぎりり、と、噛み裂くほどの強さで唇を噛み締める。その目がみやまを睨み
据え……そして一度息を吐いて。

「……ご迷惑なのに」 

 柔らかな声のどこかに、ひどく苛立つ色が残っていた。

「…………ぅぁ……」 
 悲鳴未満の声をあげるタカの頭を、片桐は撫でる。何度も何度も。
 大丈夫だから、言っていいのだから、と。
「…………でも」
 しがみつかれた腕が少し痛かった。それほどに必死にすがっているのだと思っ
た。
 そして、がたがた震えながら、それでもタカは言い切った。
「でもおじちゃんとこ、いる……っ」 
 天にも地にも縋るものの無い者のあげる、悲鳴のように。
 

「…………仕方が無いねえ」 
 ふ、と、呆れたような声がそう言った。
「わかりました。暫くは片桐さん、貴方にお預けします」 
 にこっと笑って隆は立ち上がる。今までの表情が何かの間違いかと思うよう
な、人懐っこい笑顔だった。 
「……ただ、貴方も、ご職業柄か、何人も子供さんを預かられているようです
ね」 
「…………」
 その言葉と表情に惑わされぬように、片桐は相手の顔をじっと見据える。気
がついているのかいないのか、隆はやはりほんのりと笑ったまま言葉を続けた。
「タカは貴方になついている。確かに今はお預けしたほうがいいのでしょう。
だけど、迷惑になるようなら僕が引き取ります」
 にこにこと笑いながら言うと、彼はふいと身を屈めて、タカの視線と自分の
それとを合わせた。
「おじちゃんの迷惑になりたくないよね、タカ?」 
 びく、と、小さな肩が跳ねた。
 その背中に手をやり、撫でる。薄手のセーター越しにも、肉の薄い背中がか
たかたと震えているのがわかった。
(大丈夫じゃ)
 何度でも言ってやりたかった。迷惑でなどないのだと。ここに幾らでも居て
いいのだと。
(ワシがついとる) 
 決めるのはタカ。それは変わっていない。けれど。
(こいつには、タカは渡さん)

 理由は分からない。けれどタカをこれだけ怯えさせる相手に、渡す気は無い。

「それじゃあ今日は帰ります……あ、そうだ、片桐さん」 
 それでも隆の笑顔は、やはりどこか憎めず、人懐こいものだった。
「また、連絡致します」 
 言いながらするり、と立ち上がる。そのまま扉の前まで行ったところで、ふ
い、と彼は振り返った。

「そうだ、タカ」 
 びく、と、少女が大きく身体を震わせる。それに向かってにこやかに、彼は
言葉を放った。
「片桐さんはとてもいい人だ。だから迷惑なんて絶対言わない人だ」 
 にこやかな言葉が、けれど抜けない棘を植えつける。
「甘えないように、ね?」 
「…………」 
 ぐしゃ、と、タカの表情が崩れる。必死になって泣くのを堪えるように。
「それじゃあ」
 その全てを見て、しかし隆の表情は微塵も動かなかった。人懐こい笑みは、
微動だにしなかった。
「さようなら」
 その言葉と一緒に、扉がぱたんと閉まった。

 扉が閉まり、足音が続く。階下に下りてゆく音が、暫く続いた、後。
 ひゅぅ、と、小さな音がした。
 泣き声に似た、音だった。

「…………おじちゃん……」
 かたかたと震える手は、いつのまにか片桐の腕から離れている。まるで先刻
の叔父の言葉を守ろうとでもするように、ぎゅっと握り締められて。
「タカ」
「……ごめんなさい……っ」

 引き裂くような細い細い声。
 放たれた途端、抑えられなくなったように。

「おじちゃんごめんなさい、おねーちゃんごめんなさいっ」 
 たがが外れたような、泣き声だった。
 わんわんと泣きながら、それでもタカは手を伸ばそうとはしなかった。
 ぎゅっと、両手を拳にしたまま、ただ立ち尽くして……声をあげて泣いた。

「泣かんでええ」 
 セーター越しに骨の分かるような、痩せた小さな背中。泣き声と一緒に震え
るように上下する。
「タカは、悪くない」 
 何度も何度も撫でる。手の下で、少女は何度も首を横に振った。
「タカ、迷惑かもしれないけど、でもごめんなさいっ」 
 ごめんなさい、ごめんなさい。抱き寄せた手の中で、哀れなほど少女は繰り
返す。
「……でもタカ、ここに居たい……っ」
 かすれるような声がぎりぎりのところで告げる、最大限の我侭。
 11歳。それくらいの我侭はまだまだ言って構わない筈なのに……
 
「謝らんでええ」

 母親の死の責任を負わされ。
 父親からは殺すべきだと断言され。
 自分がここに居ることが迷惑だと、一人残った叔父からはくどいほどに言い
聞かされて。
 それでも、泣きながら叫ぶ……たった一つの願い。
 だから。

「ずっとここにおれ」
 何度も何度も、繰り返し頭を撫でながら言う。何度も何度も、この子が安心
するまでは。
「居りたいだけずっと、ここに居ったらええ」
「ごめんなさいっ」
「タカ」

 必死に下げる頭を、一度しっかりと抑えるようにする。

「あのおっちゃんと、ワシと、どっちを信じてくれるか?」
 涙で一杯の目が、その時ばかりはきっちりと片桐を見据えた。

「……おじちゃん!」
 断言した少女の頭を、もう一度片桐は撫でた。
「だから、ここに居れ」

 引き結んだ口元が、ゆっくりと崩れて。
 見据えた目が、まただんだん涙で一杯になって。

「うわぁあああっ」

 泣き叫ぶ少女の背中を撫でる。何度も何度も。
 背中にのしかかる惨い過去を……少しでも払うかのように。



時系列と舞台
------------
 2007年3月20日。ギリちゃん宅での風景。

解説
----
 つまりそういう裏のある叔父と、ギリちゃんとの一騎打ち第一回目。
***********************************

 てなもんで。
 であであ。 
 
 



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