[KATARIBE 30190] [HA06N] 小説『真紅闇』

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Date: Thu, 21 Sep 2006 21:58:36 +0900 (JST)
From: いー・あーる  <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 30190] [HA06N] 小説『真紅闇』
To: kataribe-ml@trpg.net
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2006年09月21日:21時58分36秒
Sub:[HA06N]小説『真紅闇』:
From:いー・あーる


ども、いー・あーるです。
ふっと湧いた、このイメージ。
これを、左脳のとよりんに捧げます。

……多分、右脳のとよりんには蹴飛ばされそうだけど。

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小説『真紅闇』
=============
登場人物
--------
 相羽真帆(あいば・まほ)
     :自称小市民。多少毒舌。去年十月に入籍


本文
----

 青を重ねて濃い色にしてゆくと、それは多分夜の空の色に近くなると思う。
それは決して闇ではない。星を許容し月を浮かべる。永遠に遠く永遠に広がる
が、それは決して闇ではない。
 重ねてゆくうちに闇に近づくのは赤……真紅。
 連なる鳥居の間の、真の闇。

            **

 856本までは数えていた。
 そこから先に越えた鳥居の数は……確かにこちらの足はひきずるようになり、
速さこそ激減したとはいえ、どう考えても200は越している。時間にしたら
そこまでの倍以上の距離を走っているのだから。

 走れといわれたかと問われれば、自分でもそれはあやふやになってゆく。
 でも、走れと言われたと同じ……いやそれどころではない強制力で、あの声
はあたしを走らせている。

(言っておくがね、時間は無限ではないよ?)
(旦那はだんだん弱るだろう)
(だんだん助かることは難しくなるだろう)

 あたしは何一つ出来なかった。
 あたしは何一つしてこなかった。
 そして恐らく、これから先も、あの人が倒れるほど走ろうとすることに、何
の助けも差し出せないだろう。

 だから。


 足は確かに、いつもよりも軽かった。
 長く長く走ることは判っていた。
 だから、その軽さに有頂天になることはやめようと思った。今ここで思いっ
きり走ったら、あたしは遠からず失速し、歩くしかなくなる。

 その判断はとても正しかった。
 でも、その判断でも足りなかった。


 石畳は、始めのうちは冷たかった。
 走りやすい場所だ、と、それは確かに思う。丁度鑿を使って整えたような石
畳は、高さもある程度は揃っていたし、それだからごく自然に走れた。冷たい
石であることも、辛いのは最初のうちだけだった。
 だけど、やっぱり石畳だ。完全に凹凸が無いわけでもなく、石を並べて隙間
が生じないわけでもない。確か549本の鳥居を数えたところで、あたしは小
さな隙間に足を取られて転んだ。
「……っ」
 ある程度、踏まれて滑らかな石だから、膝はざっとすりむいただけで終わっ
た。だけど咄嗟にかばった肘と掌は、見事に痣になった。倒れる勢いで石にぶ
つけたのだ。痣で済んでよかったのかもしれない。
 それでも、その時は、すぐと立ち上がって走り出すだけの元気があったのだ。
 その時は。


 息がふいごのようだ、と、形容したのはたしかカイロ団長。宮沢賢治。
 走っている間は、頭だけは自由だ。だからそんな下らないことだけは、腐る
ほどに頭から湧いて出る。
 気管支をひゅうひゅうと擦る息。その音。
 痰が絡むが、吐き出そうにも口の中は半ば乾いて吐き出せない。

 
 856本目で転んだ時がひどかった。
 細い隙間に、丁度右足の親指が入り込んだのだ。がん、と、転んで右の腕の
側面を一面青痣にしたが、痛みはそれよりも足元から来た。
 ぎん、と、額の上にまで突き抜けるような熱さ。
 爪が半分はがれていた。

 ぶらぶらしている爪に力を入れると、それだけで吐き気がするようなぶより
とした感触が起こる。他に何も無かったから、来ていた白い衣の裾を細く裂き
……またこれが、それに適した平織りの木綿なのだ……浮き上がり、少し丸まっ
て見えた爪を出来るだけ引き伸ばして傷口に押し付けるようにぐるぐると巻い
た。痛みは倍加したが、それでも気持ち悪さは激減した。
 裾を裂いている時に、今度は膝もざっくりと裂けていることに気が付いた。
どうやら岩の端が、ほんの少し尖っていたようだ。
 ほんの少しじゃなくてもう少し尖っていたら、これほど傷はひどくなかった
かもしれない。でも、痛みは少しも感じなかった。

 ぐるぐると巻いている間に、膝小僧にかかった衣がずくずくとどす紅い色に
染まった。乾くとくっ付いて、剥がすのに苦労だから、少し乱暴に膝から布を
剥がした。
 痛みも気味の悪いような感触も、足元からだった。
 膝なんて大したことじゃない。


 多分、爪を剥がすっていうのは、そのダメージの大きさというよりも、その
ダメージがある程度の期間続くってのが『痛い』んじゃないかと思う。傷の大
きさもその規模も、多分膝のそれのほうが大きかったろうに、あたしには大し
たこととは思えず、ただ爪先の、足を下ろすごとにぐに、と浮き上がる気色悪
さのほうが意識に大きかった。
 でも走らねばと思った。
 この気味悪さが忘れられるくらい、一心に走れば、と。

 ……それがどれだけ本当だったかは、今のあたしが知っている。
 もう、爪なんてどうでもいい。
 足が。
 太ももが千本の繊維に分かれて、その一本一本がぎりぎりと痛んでいる。い
や、まるでさび付いた部品のように、動かすごとにぎりぎりと音を立てている
ような気すらしてくる。
 膝の痛みも、石畳に打ち付けた痛みも。
 それに比べればスパイスのようなものでしかない。


 爪を剥いだことで、あたしはそこからの鳥居の数を数え損ねた。
 それでも目の端で、鳥居が何本も前から後ろへ、前から後ろへと流れて行く
のだけは確認した。
 何かの……そう、それこそ狐に化かされてるのかとも思った。同じところを
ぐるぐると回っているだけなのか、と。

 だけど。

 朱、丹色、真紅。
 人の手が触れて汚れたのだろう跡。
 濃い赤と少し淡い赤。その繰り返しのリズムをとってみても、それは永遠に
異なっていた。
 百桁目で繰り返しの起こる有理数。それならばあたしも足を止めたろう。
 無限に並ぶ、不連続の塊。
 鳥居で作られた、真紅の無理数。


 怖かった。最初のうちはほんとに怖かった。
 走らねば、この鳥居の最後まで行き着けない。それでまだ一度の、そのまた
半分でしかないのに。
 お百度、と言った。
 考えるだけで……絶望だと思った。

 絶望でしかないと思った。
 もうどうあったってこの賭けに勝てないって思った。
 でもそれはいやだった。

 相羽さんが居なくなることは、いやだった。
 何がどうであろうと、自分の全存在が転んで砕けて無くなっても。
 それだけは何があっても。
 いやなものはどうしてもいやだった。

 何度か叫んだと思う。
 声は出ない。出そうと思っても喉でひっかかって出ない。
 だけど。

 (いや)

 駄々っ子だと思う。無論そうだ。どんな理もあたしには無い。

(御前様の旦那……)
(長く、ないよ?)

 その言葉の、圧倒的な重みと疑いようの無い真実。
 唯一、その助けになることがこの道を走ることだとあたしは知ってる。
 それが段々……不可能になりつつあることも知ってる。

 でも。

 でもいや。
 
 でも、それでも、不可能でも何でも。


 (いや)


           **

 不意に足がもつれた。 
 不意に、というけど、半ば宙に浮きながら、あたしはそれを不思議と平然と
受け止めていた。
 運動不足の上に、これだけの距離を走っているのだ。もう足はろくすっぽ動
かないし、ただ振っているだけの手、肩でさえ痛む。
 だん、と……でもかろうじて顔だけは手でかばう。歯や鼻の骨は折れやすい。
ここでそれをやると、痛み以上にダメージが来る。
 かろうじてついた左の掌に、瞬時焼け付くような痛みが走った。
 持ち上げた手には、小さな……ほんとに小さな石が刺さっていた。

 石を抜き取るのは大したことじゃない。だけどそれで傷ががっと開いて、今
度は左の袖が血でずくずくになった。
 仕方が無い。傷口を押さえるのは着ているこの衣しかない。袖を少しずらし
てぎゅっと抑えて、何とか血を止めながら、あたしは立ち上がった。

 まだ、走らなければならない。
 否……走る、のだ。


 不定期にかかってくる電話を待ちながら。
 今日帰るか、明日帰るか、と、スーパーの魚の棚を見つつ考えながら。
 本当に唐突に、恐怖は沸き上がってきた。胃の腑を握りつぶし、きいんと歯
を浮かせるような恐怖が。

 何かあったら。
 もし、何かあったら。

 今のあたしには、そんなものはない。
 ただ……絶望している。いや、絶望しかけている。
 だけど。

 絶望しきったわけじゃない。

 
 おかしな想像をしている。
 あたしが走り続けている間……とにかく前に進んでいる間、相羽さんは無事
なのだ、と。未だあの人に最期は訪れていないのだ、と。
 そんなことはないのだ、と、どこかで冷然とした声が言う。それは単なる期
待、あの声はそんなことは一つも言わなかった。
 これだけ走って、これだけ怪我して、それは何の役にも立たないのかもしれ
ない。百度この道を行き来する前に、あたしはどこかで倒れるのかもしれない。

 こうやって転んでいるのも、もしかしてその事実を『仕方の無いもの』とし
てみなし、少しでも自己正当化したいからかもしれない。

 ……だけど。


 喉を、声がほとばしる。
 乾ききった喉を、そして口元を通って。
 声は……怖いほどにしゃがれている。

 
 いや、なんです。
 それでも、いや、なんです。
 道理に合わなくても、どこまでわがままでも、あんたが死んだって何一つ役
にたちゃしないよって、もし断言されても。

 あの人が助かるために、たった一つ出来ることがあるなら。
 それを止めることはいやなんです。

 あのひとが居なくなるのは、何があっても、どんなことがあっても。


(いや)


 
 がく、と膝が折れた。
 今度は何とか、上体までも叩きつけることにはならなかった。
 ただ、左の……かろうじてこれまで無傷だった膝を、ざっくりと切ってしまっ
た。

 膝の上にかぶさる布で、傷口を押さえる。
 下手に血が止まらないままだと、また傷口に布がくっついてしまう。

 不可能だ。
 無理だ。
 一度のまだ半分。そこまでも行き着いていないのに。
 不可能だ。


 ……でも。

 でも。それでも。

(いや)

 あの人が居なくなることは。
 あの人が居なくなってしまうことは。


 最初は禊用にも見えた白い衣は、すっかりと血を吸ってどす黒くなった。
 この衣が一面血を吸ってどす黒く乾いたら、もしかしたらこの鳥居の最後に
行き着くのではないか、と、ふと思った。
 ……思って、莫迦らしくて、哂ってしまう。

 その程度でこの道を通り抜けられるなら、あたしはとおの昔に自分の傷を引
き裂き、止まりかけた傷口を爪でほじくり返してやる。

 その程度のことならば。


 相羽さん。
 
 相羽さん。

 会えないのはいや。
 もう何も――――


 
 留学したのは聖書の本場。
 あちらで一番有名な祭は、過ぎ越しの祭。その起源は、延々遡って紀元前数
百年にも及ぶ(聖書の記述を元にすると、千年くらいは遡りそうである)。
『十戒』という映画が有名になったから、多分、モーセが海を左右に開く、と
いう奇跡についてはそこそこ有名じゃないかと思う。あれは、エジプトからユ
ダヤ人が逃げるシーンなのだが。
 実はあれ、もともとユダヤ人は、エジプト人から『お前らは災厄をもたらす』
と追い出された後のシーンなのだ。その追い出される前に、10の災いがエジ
プトにもたらされるが、最後の一つが凄まじかった。
 
 ユダヤ人たちは、その夜、血で自分の家の扉の周りを塗った。
 それが、災いを過ぎ越すための印だった。
 この印の無い家では、その夜、一番上の子供が根こそぎ……死んだのだ。

『ってことは、これ、ユダヤ人でも血を塗ってなかったら?』
『死んじゃったってことじゃないかな』

 ふいと思い出す。あれは花澄とあたし、そして専門で聖書学を学んでいる日
本人学生との会話だった筈だ。

『ほら、これは10の災いのうちの最後の一つだよね。ってことはここまでで
もう相当、ユダヤ人ってだけでリンチに遭っていいくらいのことが起こってる。
そこで、こうやって家のかもいに血を塗るってのは』
『自分がユダヤ人だって、周りに知らせることになるね』
『そして、エジプト人に襲われる可能性が跳ね上がることになる』

 そういう、印なのだ、と。
 そういう印を、彼らは塗ったのだ、と。

『……でも、ねえ』
 暫くの間黙って、考え込んでいた花澄がふいと顔を上げた。
『ねえ、これって、日本の鳥居に似てない?』

 扉の周りを、血で塗る、ということ。

『うわ』
『ああ、それ、言われてるよ。日本を知ってる先生も、そうじゃないのかな、
なんて言ってる』
 大基本として、日本という国は、留学先の国では人気があった。何と言って
も不要な差別が無い。アンチセミニズムなんて、さて聴いてすぐ判る人が、日
本人のうち何割いるやらってなものである。だから、古代のこういう話を、日
本人に絡める人は、結構居たのだけど。
『まじに?』
『いや、ほんとのことなんか判らないけどね』
 聖書学を学ぶ友人は、流石に困ったように笑った。
『でも、そういう連想をするのは、花澄一人じゃないよ』



 幾つもの鳥居を潜る。
 幾つもの鳥居を数える。
 幾つのも鳥居の……その合間を見る。

 どこもかしこも、真紅を重ねたような闇。

 ふと……留学中の、そんな話題を思い出したのは。
 起源はどうかしらない。全ての鳥居がそういうものなのかもわからない。

 だけど、この道の、この鳥居に関しては。


 これは。

(百度参った者達の血の跡)
(百度参った者達の)

 
 血に染まった、鳥居。


 考えて思わず笑いそうになった。笑うにはもう、喉に余分な空気なんて無く
なっていたけど。
 だけど。

 ひゅうひゅうと喉が鳴る。もうどうしようもなく肩が揺れる。


 その程度のことで相羽さんが助かるなら、あたしはもれなくあたしの身体を
細かく切り裂くだろう。出来るだけ長く、出来るだけ多くの血を生産し、完全
に流しつくせるように。

 
 あのひとが、それで、助かるなら。
 助かる、と……希望の欠片さえ、見えるのなら。

 足を持ち上げる。そしてまた下ろす。
 足を持ち上げる。そしてまた下ろす。


 鳥居の色は血の色。
 鳥居の向こうの闇は


 ――――真紅の闇。



時系列
------
 2006年8月

解説
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 夢の中を惑う真帆の見た風景。
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いじょ。

 ではでは。
 
 



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