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Date: Wed, 7 Jun 2006 00:13:27 +0900
From: "Hikaru.Y" <hukira@blue.ocn.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 29942] [HA06N] 小説『一山210円』
To: kataribe-ml@trpg.net
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ふきらです。
静かな創作部の風景。
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小説『一山210円』
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登場人物
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高瀬夕樹(たかせ・ゆうき):http://kataribe.com/HA/06/C/0581/
高校生で歌よみ。
関口聡(せきぐち・さとし):http://kataribe.com/HA/06/C/0533/
周囲安定化能力者。片目は意思と感情を色として見、片耳は異界の音を聞く。
ケイト:
蒼雅紫が生み出した毛糸のよく分からない生き物。癒し系。
本編
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いつもは騒がしい創作部の部室が今日は静かである。部屋の中にいるのは夕
樹一人。窓に近い椅子に腰掛けて本を読んでいた。右肘を机について、ゆっく
りとしたペースで文字を追っている。
部室のドアがカラカラと音を立てて、夕樹は顔を上げた。両手で本の山を抱
えた聡がニコニコとした表情を浮かべて彼の元へとやってきた。
「見よっ」
聡は持っていた本の山を夕樹の机の上に置いて、わずかばかり胸を反らし
た。
「25冊で、しめて210円だったんだー」
その声はまるで宝物を見つけた子どものように誇らしげである。夕樹は思わ
ず「お、おぉ」と読んでいた本をそのままにして身を乗り出した。
歌集や詩集だけではなく、小説やエッセイらしき本までいろんな種類のもの
が混ざっている。天や小口が日で焼けて少し茶色くなり年期を感じさせる本も
中にはあった。
「うちの近くで……何ていうのかな、路地の両側に本の入ったダンボール箱を
それぞれが並べて、青空古本屋をやることがあって」
聡が説明しているが、それが聞こえているのか聞こえてないのか、夕樹の視
線は目の前の本の山から離れない。
「そこで、一冊10円だっていうから、2日続けて10冊ずつ買ったら、最後の日
には、5冊10円にしてくれたんだ」
そこでやっと夕樹は顔を上げ、聡の顔を見た。
「いいなぁ、っていうか、うらやましい……」
がっくりと肩を落とし項垂れる。それを見て聡は苦笑を浮かべた。
「……いや、なんでそこでがっくりになるんだ?」
夕樹はそのままの姿勢で乗り出していた身を戻し、椅子に座り直すと顔を少
し上げた。
「この前かなり迷ったあげく、1500円の歌集を買ったところだというのに」
それを聞いた聡は「あー」と言いながら夕樹から視線を逸らす。
「それなのに君は210円で、これだもんなぁ」
ちらりと本の山に目をやると、盛大に溜め息をつき、夕樹は机に突っ伏し
た。
「いや、ええと、だから、読みたいのあったら貸すつもりで持ってきた
ん……」
だけど、と聡が言うよりも早く夕樹ががばっと起きあがる。
「え? 借りていいの?」
「……う、うん……」
あまりの変わり身の早さと、その勢いに一歩後退する聡。彼のポケットの中
からうにうにとケイトが顔を出し、くに、と体を捻った。
「じゃあ、遠慮無く……」
夕樹は身を乗り出して、本の山を上から一冊ずつ手にしてはパラパラと中を
見ていく。
「うわー……」
時折、歓声まじりにため息を漏らす。
聡はその様子を離れたところから見ていた。
開けてある窓から風が入ってきて、先ほどまで夕樹が読んでいた本のページ
を捲っていく。しかし、彼はそんなこと気にもとめず黙々と、本の山を崩して
いった。
「ほんとはダンボール箱一つかかえて帰りたかったんだけど、もう、本棚に場
所が無いし」
聡がポケットから出てきたケイトをあやしながら言った。
「ぐ…… 何で呼んでくれなかったんだか……」
本当に悔しそうな夕樹の呟きに、聡は「あはは」と乾いた声で笑った。どう
やら、その時にはそんなことは思いつかなかったらしい。
「いや、まあ、とにかく…… 一度に持って帰るのは無理かもだけど、どれで
も借りてっていいから」
フォローするように慌てて付け加える。
「うん……」
夕樹が力なく頷く。そして、一冊の本を手にして中を見、もう一度表紙を見
直してがっくりと盛大に肩を落とした。
「え、え??」
その落ち込みように慌てる聡。
「この前買った人の歌集だ、これ……」
そう言って夕樹は先ほどまで読んでいた本を指さした。聡がその本の表紙を
見ると、確かに夕樹が今手にしているのと同じ著者のものである。ただ、幸い
というか何というかタイトルは違っている。
「まあ、違うのだから良かったけど」
夕樹は顔を上げ、遠い目をする。
「……同じのだったら泣いてたね」
「……確かに」
聡は苦笑いを浮かべた。
「じゃあ、それ借りてく?」
聡が尋ねる。夕樹は手にしていた本をパラパラと捲った。
「んー…… そうだね。これは初期のだし、僕が買ったのは最近のだから比べ
てみるのも良いかもしれない」
「ああ。じゃ、これ高瀬君が読んだら、僕にも貸して欲しいな」
机の上に広げてある本を指して聡は言った。
「分かった」
「ありがとう」
そして、再び夕樹は本の山に取りかかる。その脇で聡は彼がチェックし終え
た本を一冊取ってパラパラと眺めていた。
「じゃあ、とりあえずこれだけ借りたいんだけど」
夕樹はピックアップした5冊を聡に見せた。
「うん、いいよ」
頷くと、聡は持ってきた本を鞄にしまい始める。
夕樹はさっそく借りた本を一冊読み始めた。
いつの間に聡のポケットから抜け出したケイトが机の上でポテポテと動き回
り、本を読んでいる夕樹の手に当たった。
「……ふむ」
彼は右手で本を押さえると、左手の指でケイトをツンツンと突いてやる。
構ってもらえたのが嬉しいのかケイトはぴょこぴょこと小さく跳ねた。
「それにしても、蒼雅先輩もよくこんなの作れるよねえ……」
夕樹は開いていた本に栞を挟んで閉じ、今度は両手でケイトの相手をはじめ
た。
「……え」
本をしまっていた聡が顔を上げる。
「ああ、どうやってるのか、不思議だよね」
遊んでいるケイトと夕樹を見て彼は微笑む。
「まあ毛糸で編んだのに得体の知れない不定形の生物らしきものになってたと
きと比べたら」
夕樹がケイトにデコピンをして言った。
「格段の進歩だよ」
聡は、それはその毛糸で編んで得体の知れない不定形生物になっちゃた奴な
んだけど、と思ったが、ひょっとするとこれよりも以前はこれよりもすごいも
のができていたのかもしれない、と思い直して、黙ったままでいた。
夕樹は片手で本を開いて再び本を読み始める。左手はケイトが相変わらずま
とわりついてくるのでその相手を続けていた。
聡は本をしまい終えると、しばらくその様子を眺めていたが、やがてケイト
をつまみ上げると「邪魔しちゃ駄目だよ」と囁いて、ポケットに入れた。
黙々と本を読む夕樹と、窓から外を眺めながらポケットから顔を出すケイト
をあやす聡。
今日の創作部の部室は静かである。
時系列と舞台
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2006年5月中旬。創作部部室にて。
解説
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積まれた本を目の前にして一喜一憂する夕樹。
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