[KATARIBE 29863] [HA06N] 小説『宵闇』

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Date: Mon, 24 Apr 2006 00:31:45 +0900 (JST)
From: 久志  <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 29863] [HA06N] 小説『宵闇』
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2006年04月24日:00時31分45秒
Sub:[HA06N]小説『宵闇』:
From:久志


 久志です。
闇シリーズに補足しようとしたら色々湧いてきた。

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小説『宵闇』
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登場人物
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 丹下朔良(たんげ・さくら)
     :吹利県警刑事課元ベテラン刑事。1988年当時、事件担当。
 相羽尚吾(あいば・しょうご)
     :吹利県警刑事課巡査。ひきずる過去あり。1988年当時、高校生。
 本宮尚久(もとみや・なおひさ)
     :本宮法律事務所所長。1988年当時、相羽の後見人

回想 〜丹下
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 1988年5月
 すっかり日の落ちた街並は、灰色の刷毛でひと塗りされたかのように薄ぼん
やりとした灰色に染まっている。昼間ならば、車の通りもあり学校帰りの子供
や買い物をする主婦らで賑わう道も漆黒に染まりきらない中途半端な都会の夜
に覆われて、通りは通勤者達が帰路につく時間にはいささか遅く、かといって
寄り道をした者達が帰宅するにはまだ早い時間帯。宵闇の時ともまた違う不安
定な空隙。
 人波の途切れた狭間の時間。
 霧雨の夜に起きたあの惨劇もこの時間だった。

 丹下朔良は勤め先である吹利県警を後に普段の帰りと違う道を一人で歩い
ていた。人気の失せた住宅街、一週間前に起きた凶悪事件の影響もあってか、
どこか怯えたような警戒をあらわにした空気を肌で感じる。
 道すがら考える、忘れようもないあの事件。
 父一人子一人のささやかな家庭を襲った悪夢のような出来事。たった一人の
肉親を失って、近しい親戚もなく天涯孤独の身になり、あまつさえベテランの
鑑識や長年事件に立ち会った丹下でさえ目を背けたくなる程の惨い遺体を目の
当たりにしてしまった少年のことがいつまでも丹下の頭から離れなかった。
 既に犯人は捕まり、証拠も明らかで事件として既に丹下の手から離れている。
だが、事件は本当に終わりだろうか?
 何故裁けなかったのか、何故防げなかったのか。
 どうして新たな犠牲者を出してしまったのか。
 やり切れない思いと、後悔と、口惜しさを抱えながら、丹下の足は少年の住
む家へと向かっていた。

 申し訳程度に道路を照らす街灯の明かりの向こう、辿り着いた家のドアの前、
濃いグレーのスーツ姿にエナメル張りの鞄を右手に提げた男がドアの前で佇ん
でいるのが見えた、ふと人が近づく気配に感づいたのか歩いてくる丹下に顔を
向けて軽く会釈する。
 スーツの男は穏やかな笑顔を浮かべながらも、全く隙というものを感じさせ
ない底知れなさと、どこか見る者の背筋を伸ばさせるような強い意志を感じさ
せた。
「こんばんは、こちらに御用ですか?」
「特に用ってわけでもないんだがの」
「そうですか」
「ワシは吹利県警の丹下ってもんだ、そちらさんは?」
「本宮法律事務所の本宮尚久と申します」
「ああ、なるほど」
 丁寧に頭を下げる本宮の姿に納得したように丹下が頷いた。人の良い穏やか
な笑顔も隙を見せない意思の強さも微塵の乱れもない丁重な態度も、人に信頼
されることを第一とする職業から考えると得心が言った。
「奴を、訪ねてかい?」
「ええ、法定代理人としてこちらにお邪魔したのですが」
 ふと言葉を止めて、本宮の視線が閉ざされたドアの向こうへと移る。つられ
て顔をあげた丹下の額に深い皺が刻まれた。
「居留守か」
「ええ、何度もご連絡差し上げたのですが」
 小さく息を吐いた本宮の姿は、つい先ほどまでのいかにも信頼できる弁護士
という作りこんだ雰囲気とうって変わって、どこか心配性の父親を思い起こさ
せる。
「てことは、アンタも知ってるのか」
 あの事件のことをと名言しない丹下の問いかけに、同じく言葉を口にせずに
本宮が深く頷いた。
「あれから、どうだい?」
「殆ど誰とも口を聞かない状態だそうです。担当の医師の方からしばしの療養
を勧めたのですが、それも頑として聞かず家に帰るの一点張りだったそうで」
「そうか」
 閉ざされたドア、何もかもを拒絶するかのように。
 その前に立ち尽くしたまま、丹下にも本宮にも少年の為にできることはなく。

「なあ、本宮さんよ」
「はい」
「法は万能かい?」
「いいえ」
「だが、ワシらは法を守らなきゃならねえ」 
「ええ、それはお互い様でしょう」

 法を守り、市民を守る。
 人権を守り、正義を守る。
 何が間違っていたのか。

 閉ざされたドアの向こう、答えはなく、ただ全てを拒絶していた。


欠落 〜相羽
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 穴がある。
 胸の奥、ぽっかりと開いた黒い穴。
 体中から見えない何かを吸い取っていく、黒い穴。

 前髪を伝って流れ落ちる雫。
 明かりの消えた薄暗いバスルームの中、水煙に照らされた青いタイルがぬら
ぬらと光って生き物の体内のようにうごめいて見てる。降り注ぐシャワーの水
は既に冷え切った体には何の感触もなく。すっぽりと薄い水の膜で包むように
相羽の体を伝って流れ落ちていく。
 バスタブの中、両腕で足を抱えこんで額を膝につける、噛み締めた歯の間で
軋むパーカーの袖。
 喉の奥からこみあげてくるものを押し込めるように。
 胸の穴から這い出してくる何かを封じ込めるように。

 穴がある。

 ぽっかりと開いた黒い穴。

 顔の。

 真ん中に。

 赤い。

「……っ」
 冷え切った二の腕に食い込む爪の感触が、かろうじて途切れそうになった相
羽の意識を繋ぎとめる。
 降り注ぐシャワー、響く水音に混ざって遠くで微かに聞こえるベルの音。
 誰かがきている、自分を呼んでいる。

 誰が、呼んでいる?
 黒い穴の向こうから?

 膝に顔を埋めたまま耳を塞ぐ。
 
 何も聞きたくない。
 何も考えたくない。
 何も見たくない。


無明 〜丹下
------------

 閉ざされたドアの前、本宮と二人立ち尽くしたまま。
 何度となく鳴らした呼び出しベルの音にも何の反応を返さない。いるという
ことだけはわかっているのだが、此方の呼びかけには全く応じない。
「なあ」
「はい」
「アンタはいつからここにいた?」
「貴方が来る十数分程前ですね」
 既に丹下の問いかけを予想していたかのように、素早く返事を返して腕時計
を確認する。丹下が家に着いてから既に三十分近い時間が経っている、何より
ただの居留守と言い切れないどこか不穏な様子を丹下も本宮も感じ取っていた。
そして、互いがこの次にどういう行動をするかは読めていた。
「行くか」
「そうしましょう、この際仕方ありません」
 言うが早いか丹下がドアノブに手をかけるのを軽く制して、本宮が胸ポケッ
トから少し先端の曲がった針金を取り出した。
「少々お待ちください、手荒なのはよくありません」
「おい」
 鍵穴に針金を差し込んで、左耳をドアに軽く押し当てながらゆっくりと針金
で中を探る。長年ピッキングの手口をいくつも見てきた丹下ですら感嘆する程
の捌きでものの一分としないうちに鈍い音を立てて鍵が開いた。
「開きました」
「アンタ、何者だい?」
「弁護士です」
「今日日の弁護士はピッキングの真似事もするもんなのかい」
「状況によります、それに今は事件担当の県警刑事さんが立ち会って下さって
いますし」
 ぴくりと丹下の眉が上がる。
「なぜワシが刑事だと知っとるかの」
「蛇の道は蛇です、それより今は彼の身のほうが心配です」 
「ワシを体よく利用しおったな」
「不法侵入でなく緊急回避ということで。では、相羽さん、お邪魔します」
 毒づく丹下をよそに、律儀に玄関の前で一礼しつつ上がっていく。
「食えねえ野郎だ」
 ぼそりつつぶやいて本宮の後に続いた。

 ***

 一歩足を踏み入れた居間は、どこかどこか生活臭を感じさせない乾いた空気
に包まれていた。台所のステンレスの流しは使った形跡もなく、テーブルの上
には大量の写真がバラバラに置かれたまま放置されている。良く見ると写真の
表面に微かに埃が積もっている。ふと、丹下は事件の調書の中にあった一節を
思い出していた。
 被害者男性は自宅で写真の整理をした後、煙草を買いに外出した帰りに自宅
付近で被疑者に散弾銃で撃たれて死亡。顔面中央を穿った凶弾は人の顔の原型
すら残さず完膚なきまでに破壊しつくされていた。

 テーブルの上に散らばる写真、それきり止まってしまった時間。
 そして、ガランとした部屋の中、微かに響く水音。

 ――水音?

「この音は」
「浴室ですね」
 ふと、現実に引き戻すような悪寒が丹下の背中を走る。
「まさか」
「急ぎましょう」

 部屋の奥、浴室の引き戸を開けた途端むせ返るような水煙に顔をしかめた。
叩きつけるようなシャワーを浴びながら、バスタブの中でジーンズにパーカー
姿の少年が体を折りたたむように両腕で膝を抱えたまま俯いている。
「おい、ボウズ!」
「相羽くん!」 
 咄嗟に飛び出して少年の肩をつかんだ。
「しっかりしろ!」
 掴んだ肩は力なく丹下の手に揺さぶられるままで。
「おい、ボウズ、しっかりしろ!」
「丹下さん、とりあえず彼を外へ」
「わかった」
 叩きつける水にも構わず、両腕で抱え込むように少年の体を引張り挙げる。
決して小柄ではない濡れそぼった体は、力なくだらりと両腕がたれて氷のよう
に冷たかった。
「相羽くん、私がわかりますか? 相羽くん」
 両手にもったバスタオルで包むように体を拭いながら呼びかける本宮の声に
もなんら反応を示さない。

 無機質で、生気の失せた、何もかもが凍りついた能面のような顔。
 何も見えていない、硝子玉のような瞳。

 殺されたのは、被害者だけでなく。

「なあ、本宮」
「なんでしょう」
「心、殺しても罪には問えねえんだなあ」
「…………」
 問いには答えず、タオルを一枚丹下に差し出した。
「丹下さんも、風邪を引きますよ」
「……すまん」

時系列 
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 1988年5月。霧雨の事件の後。
解説 
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 事件の後の丹下さんのお話。
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以上。



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