[KATARIBE 29838] [HA06N] 小説『春闇(下)』

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Date: Sun, 2 Apr 2006 23:38:06 +0900 (JST)
From: いー・あーる  <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 29838] [HA06N] 小説『春闇(下)』
To: kataribe-ml@trpg.net
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2006年04月02日:23時38分06秒
Sub:[HA06N]小説『春闇(下)』:
From:いー・あーる


ども、いー・あーるです。
もそもそしてます。
よやっと続きです。

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小説『春闇(下)』
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登場人物
--------
 相羽真帆(あいば・まほ)
     :自称小市民。多少毒舌。10月に入籍。 
 中村慶子(なかむら・けいこ)
     :中村辰彦の妻、蓉子の母。娘に良く似ている。或る事件の被害者。


本文
----
 
 憶えている。
 お幸せに、と、言った、あの人の言葉を憶えている。
 一体自分に何が出来るのだろうか、と。
 ……思い出す度に、思う。

        **

 がた、と、椅子が鳴って、初めて気が付いた。
 思わず……立ち上がりかけていたことに。

「…………あの」
「はい?」
「それって……相羽さんのお父さんを……」

 お母さんは、事故。
 お父さんは……事件、と。
 事故、という場合、そこに『意図』は存在しないと思う。事故を起こした側
は、場合によっては論外なほどに迂闊であったかもしれないが、少なくとも、
相手を害しようとしての行動ではなかった筈。
 だけど。
 事件。

 それは、つまり。

 中村さんはじっとこちらを見ている。
 その視線が肯定している。

「その、前に、通り魔で……って」

 その犯人は、でも。
 相羽さんのお父さんを巻き込む前に、この人を……?

 高校の頃に、お父さんが亡くなったと、聴いた。
 その……どれほど前か知れないが、しかしどう考えても数年も間が開いてい
たとは思えない。その時にこの人は、最低でも15年後に、まだ足を引きずる
ような怪我を負わされて……って……

「…………ちょっと待って下さいっ」
 悲鳴まじりの声に、でも、その人はひどく静かに答えた。
「犯人は覚せい剤常用者だったらしく……責任能力をとえなかったんですよ」
「…………そんなっ……」
 細い手が足を撫でる。まるで思い出すだけでその傷が痛むかのように。
 だと、いうのに。
「……せ、責任を取れないような犯人を、どうして野放しにっ」
 半分裏返ったような声。情けない。
 
「……同じ質問を、主人にぶつけました」
 淡々と。ただ、引きずっていた足をさすりながら、彼女は言葉を継ぐ。
「でも……裁くのは夫や警察の仕事ではないのだと、歯を食いしばって夫は私
に謝りました」
 ほんの少し、目を伏せて。
「私は……夫を責めたのを後悔しました」
 それは、わかる、の、だけど。
 中村さんを責めようなんて、あたしは今でも思ってないのだけど。
「あの事件を本当に心から悔しがっているのは、誰よりも夫だということを知っ
て」

 どれだけ捕らえても、裁判で刑が軽くなったらそれまでだ。
 そのことは……わかる。それは、わかる。
 ……でも。
 
 
 いつの間にか運ばれてきたパフェに目を落とす。
 中村さんは、やっぱりいつの間にか運ばれてきていたケーキを突付いている。

 ふっと考えが横に逸れたのは、この会話が辛かったからかもしれない。

「…………あの」
「はい?」
「立ち入ったことを……お聞きします、すみません」
 尋ねたいことを確認する。確かに……相当立ち入ったことを訊こうとしてる。
「でも」
「……どうしました?」
「…………どうして、ご主人と、別に……」
 そこまで理解されているのに。そこまで分かり合っているのに。
 だけど、確かに立ち入った質問だったと思う。その人は一瞬、顔を曇らせた。

「……辛かったのですね、きっと」
「え……」
「あの人が仕事から帰るまで、どんなに遅くとも……私は待っていました」
 とつとつと紡がれる風景は、身に覚えのあるもので。
「……ただ心配で、いつこのまま帰らないのかもしれないと」
 黒目勝ちの目が、ふっとこちらを向く。
「一度、覚悟したこともありました」
 ふと、思い当たる。
 それは、多分。
「あの時は……本当に、どんなに長い時間だったでしょうか」
 また、視線を深く落として。
「…………」
「わかっているんです、あの人も私も」
「……え?」
「心配のあまりに心がつぶれそうな思いをしていることも、あの人がそれでも
職務をまっとうすることも」
 はっきりと、そう言って……またその人は、小さくうつむく。
「ただ、少し……辛かったのです」

 辛い。それは判る。
 一週間、突然出張、と言われた時は怖かった。どれだけ大した仕事じゃない、
と言われても安心出来なかった。
 ……だけど、それでも、あたしは。

「でも、相羽さんがあなたと結婚したのは良かったと……私も心から思います」

 そうは、言われるのだけど。
 でも。

「……相羽さんと会って、すぐの頃に、いわれたことがあります」
「はい?」
「自分は死ぬなら二階級特進、死に場所を探してるって」
 中村さんは、くすくすと笑う。
 嘘だと思っているわけでは、無い。本当だと思っているからこその……笑い。

「頑張れ、見事だって応援しました」
「……きっと、夫も同じことを言うと思いますわ」
 優しい目、優しい声。でも。
「私は、それを知っての上だから、泣くわけにも、泣き言をいうわけにもいき
ません」

 辛いのは、判る。
 いつも思う。かつてのおネエちゃんマスターがその技を使わない理由とか。
 あたしはこの人の役に立っているかどうか。
 だけど……というか、だからこそ、というか。
 相羽さんが帰ってこないことに関してだけは、あたしは何も言わないし言え
ない。そして何よりあの人の傍を離れられない。
 辛いけど。離れているほうがよほど辛い。

「ええ、そんな人だから、私はこの人の為になろうと思いました」
 すう、と、視線が遠くを見る。
「……その気持ちはかわらないんです」
 ふと、視線があたしの目に戻る。まっすぐに見据えられる。
「その気持ちはかわりません、ですが。私には……私たちには蓉子がいます」

 その言葉が、ざくりと刺さった。

「あの人と蓉子と……二人は耐えられなかったのです」
 ああ、確かに。
 この二人ならば許せることであっても、蓉子ちゃんが許せないことも多いだ
ろう。
 心が狭いというわけではなく。
 蓉子ちゃんは、二人の子供だから。
「あの人は、だから……家を出ました。お互いなにも語りませんでしたが」
 
 だけど。
 家を出たって、それは解決にはならない。蓉子ちゃんの目の前から、当座問
題が消えているようなものだけれども。
 ……でも、それを奥さんに言うのは間違えているしなあ。

「でも、こうして相羽さんの奥さんと話せたのは嬉しいですよ」
「え」
 嬉しい……って?
「ずっと、相羽さんのお父さんの事件のことで、夫も思い悩んでいましたから」
 いや、それはそうだと思うけど。
 ……だけど。でも。
「……私も、後悔していたんです。あの事件のことで夫を責めたことを」
「でも、それは、責めても」
 被害者だったら、それは当たり前な気がする。

 と。
 ふっと……中村さんは、笑った。
「少しのろけ話をしますよ」
「は」
 惚気話?
「私が通り魔で足がこうなってから」
「はあ」
「……夜が恐ろしくて外にでられない時期がありました」
 それは……まあそうだろう。
「あの人、仕事の合間をぬって何度も帰りの遅くなった私を送ってくれました」
 判るような、何か意外なような。
「あの頃は、連絡はポケットベルでしたね」
 そういえば、確かにそういう時代だった、かな。
「……そうしてようやく夜に歩けるようになった時、いわれました」
 不意に、中村さんがくすくすと笑った。
「二度と恐ろしい思いはさせません、あなたは俺が一生守ります、と」
「……うわ」
 
 中村さんにはお会いしたことがある。
 一度は道場で、そして一度は籍を入れた後、刑事課で。
 ……とてもとても、そういう台詞を吐く人とは思わなかったけどなあ。

「そりゃもう、驚きましたよ」
「あー……」
 いあその。そこで『そうでしょうそうでしょう』と頷いてよいかどうか微妙
というかなんというか。
「いかにもいかつい、ひと睨みでヤクザもすくませる人が」

 ね、と、小首を傾げる。その様がとても愛らしくて。
 思わず……笑ってしまったのだけど。
 でも。

「……だから、余計に犯人がまた事件を起こしたことが辛かった」

 その言葉が……あたしにも辛かった。

「でも、夫を責めたのは間違いだったと、今でも思います」
「それは、でも」
 うまく言えない。無論中村さんを責める積りも無い。
 だけど。
「間違えて、いたとしても、それは」

 何と言えばいいんだろう。

「拳を握り締めて、口惜しそうに俯く夫の後姿が……今でも忘れられません」
 そうやって責任を感じる人と、本当の意味で責任を感じるべき人との乖離。
「本当に……辛くて口惜しかったのだと」
 責める権利のある人が、本当に責めるべき人を知らない、この現状と。
 どう言えば良いかわからないまま、唇を噛んだときに。

「だから、今はほっとしてます」
 ふ、と。
 意外というか……ある意味突拍子も無い言葉の、その次に。
「相羽さんも、あの人も、私も……縛られていたものからやっと逃れられたの
だと」
「……え」

 ……どういう、こと、だろうか。
 
「傷を負ってしまった相羽さんも、それを避けられなかった夫も、辛さに苦し
む夫を見ていた私も」
 
 血の気の引くのが、自分でもわかった。


 相羽さんの過去を、あたしは知らない。
 知らないからどうこう、とはもう思わない。もし知るべきことがあるなら、
相羽さんは後手にまわったとしても必ず教えてくれるし、嘘をつかない。それ
は判っている。

 だけど。

 中村さんや、中村さんの奥さんが安堵している、その理由をあたしは知らな
い。安堵するまでに何が起こったのかも、わからない。

 あたしは、この人達が安堵するようなことを、一つだってやってやしない。

「そんなに気圧されないでくださいな。あとは、私と夫とのことですから」
 気が付くと、その人は覗き込むようにこちらを見ていた。
「大丈夫ですよ」
 ほんのりと、笑っているけど。
 この人は、大丈夫だと、本当に思っているのだろうけど。
「…………はい」
「今日は、本当にお話できてよかったです」

 
 この人の言葉には、微塵の嘘も無い。
 だけど、どうしてそう言うのか、あたしにはわからない。

 どうして。
 理由もわからない。その原因も知らない。
 なのに……どうして。

          **

 お幸せに、と、あの人は最後に言った。
 その言葉を忘れたことは無い。

 どうしたら、相羽さんは幸せになってくれるだろう。どうしたら幸せなまま
居てくれるだろう。
 どうしたら。

 だから役に立たない……とは、思いたくない。それでもここに帰っていい、
帰ってくるところはここだけ、と、それだけは思うから。

 だけど。

 溶けかけたパフェを空にして、戻ってきた蓉子ちゃんと少し話して。
 慌てて買い物だけ済ませて。
 その間ずっと、考えていた。

 相羽さんが言わないことを、こちらから聞き出すことが良いか悪いか、判ら
ない。もしかしたら完全に無用なことかもしれない。だけど。

 
 …………だけど。

 思い上がりかもしれない。そんなこと出来ない、といわれるのかもしれない。
 だけど。


 だけどあたしは、貴方に幸せになって欲しいのです。
 その為に……何が出来るか、判らないけれど。


 路地の途中立ち止まって、暮れかけた空を見上げる。
 貴方を不幸にしたその事件は……一体どんなものだったろう。



時系列
------
 2006年3月中旬

解説
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 春闇の続き。微妙にこう、ねじまがりつつ……なんですが。
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 てなもんで。
 ではでは。
 


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