[KATARIBE 29786] [HA06N] 小説『アーリークロスと南京錠』

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Date: Tue, 21 Feb 2006 20:40:48 +0900 (JST)
From: みぶろ  <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 29786] [HA06N] 小説『アーリークロスと南京錠』
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2006年02月21日:20時40分48秒
Sub:[HA06N]小説『アーリークロスと南京錠』:
From:みぶろ


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小説『アーリークロスと南京錠』
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 登場人物
  水沼総(みずぬま そう)
  :吹利学校新一年生                 
舞台   吹利近郊
時系列  2月下旬 夕方

本文
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 走る、走る。必ずパスが来ると信じて、前へ。
 相手のボールになったら全速力で自陣に帰り、敵のサイドアタックを警戒す
る。ウィングバックというポジションはこの繰り返しだ。自分が前に走ってい
れば千載一遇のチャンスだったり、戻るのをサボったがために守備駒が足りな
くなったりするので、ぶっ倒れるまで走るしかないのだ。
 パスが来た。敵からボールを奪ったディフェンシブハーフから、芝生を削る
ようなグラウンダーのロング。走りながら右足で受け、スピードを落とさずに
前へボールを運ぶ。敵のサイドバックが斜め前から止めにきた。ゴール前には
フォワードが二人、相手のセンターバック三人に囲まれている。10番がゴー
ル前に走り込もうとしており、やや後ろを併走するように相手のマーカーが二
人。完全なカウンターだ。いますぐゴール前にボールを放り込めば、確率のい
い攻撃になる。
 チェックに来たサイドバックの前で止まり、フリーになっている10番にパ
スを出すべく右足を振った。それを防ごうと、サイドバックがパスコースに入
ろうとする。瞬間、ピッチにひねりこむように軸足をひねり、右足の軌道を変
えた。ボールは10番のいる方向には飛ばず、軸足にあたって進行方向へ転が
る。彼はそれを追いかける形で加速し、マーカーを完全に置き去りにした。フ
リーになった!
 フォワードをマークしていたセンターバックが一人、フォローのために走り
寄ってくる。そう、これでペナルティエリア内は3対2。右足を鋭く振りぬく
と、ボールはドライブしながら青空を切り裂いて味方の元へ飛んだ。
 
 ――すべて金網の向こうの出来事だ。
 帰宅中に目に入った大学生同士の試合に、総はサッカーへの未練を思い知ら
された。13歳以下のナショナルユースに選抜されたこともあるのに、一度の
怪我ですべてが絶たれた。対戦相手の悪質なタックルは靭帯と半月板を傷つけ
ていたのだ。リハビリには成功したが、サッカー選手としてはもう終わりだっ
た。
 総は金網を強く握り、つきはなした。もう、自分には縁の無い世界なのだ。
錆の浮いた空色の塗装が小さく抗議の声を上げた。

 マンションの鍵は開いていた。普通ならまだ誰も帰らない時間だが、玄関に
母のパンプスがあった。
「お帰りぃ」
 ダイニングのほうで声がした。それには応えず総はスリッパを履き、ダイニ
ングに向かう。
「お帰り」エプロンをした母が、もう一度。
「早かったんだね」
「だって今日は合格発表じゃない」
「そう」
 総は冷蔵庫からコーヒー牛乳をとりだしながら、シンクで野菜を洗う母のほ
うを見た。どうだったの、と目が聞いていた。わけもなくいらついて、黙って
グラスにコーヒーを注ぐ。ぴし、と音がしてグラスの縁が少し欠けた。気づか
れただろうか。
「――どうだった?」
「受かってたよ」
「おめでと。いっぱい買い物してきてよかった」
「ふうん」                   ・・・・・・
 総は目を落とした。欠けたグラスの縁は小さくて、何も見えない。ただ窓の
無いダイニングの暗さに染まっていた。
 膝を怪我したときから、総のまわりではやたらガラスが割れるようになった。
総が割っているのではない。ひとりでに、割れるのだ。その破片には総にしか
見えない何かが映っていた。
 家の中のガラスや鏡が割れることを、両親はストレスから息子が破壊してい
ると判断し、カウンセラを連れてきた。このことは総にとってさらなるストレ
スを招き、自分でガラスを割るようにもなった。カウンセラは、総には軽い空
想癖と虚言癖があるが心配しなくてよい、と両親に告げた。毒にも薬にもなら
ない発言は、時として人を安心させる。両親はとりあえず大事には至らないこ
とに安心した。
 総は、両親は安心したいがために占いよりも科学的に見える手法をとっただ
けなのだと考えたが、どうして安心したかったのかまでは考えなかった。客観
的にみれば、カウンセラは十分働いたと言えるのだが、少年にとって見ればそ
うではなかった。よくある話だ。とりわけ総が閉口したのは、親がやたら話し
かけてくるようになったことだ。もともとそれなりに交流のある親子だっただ
けに、その「とってつけた感」は総を刺激した。
「部屋、暗い? 電気つけようか」
「いいよ。節約してるんだろ?」
「別にそういうわけじゃないけど……」
「どっちみち、すぐ部屋に行くから」
 母の目を見て、すこし額に汗が出た。別に拒絶しているわけじゃない、自分
の部屋に行くだけで、どうしてそんな悲しい顔をされなきゃいけないんだろう
か。
「ごちそうさま」
「先生にもお礼しなきゃね」
「いいよそんなの」
「なんでそういうこと言うの。ちゃんと教えてくれたから合格できたんでしょ」
「あの人家庭教師だろ。仕事じゃん」
「また――」
「ランニングしてくる」
 総はグラスと母を置いて、部屋に入った。

 部屋にいるより、外のほうがなんとなく申し訳が立つような気がして、総は
走った。100メートルを11秒台で走れたころとは比べ物にならないが、そ
れでもまだ同世代の平均より速く走れるだろう。医者は、同好会程度のサッカ
ーならできる、と言っていた。
 気づけば、さっき見たサッカー場に着いていた。ピッチにはもう誰もいない
。出入り口には南京錠がかかっていた。総は顔を上げて大きく息を吐いたが、
息が白い季節は終わっていた。空は朱から藍に褪せはじめている。
 総はもう一度南京錠を見た。
 サッカー部以外。なんとなく、そう決めた。
 総の周りで割れたガラスにはいろいろなものが映っていた。前を歩くばあさ
んが交通事故にあう様子だったり、自分がコンビニでおでんを買う様子だった
りだ。ただ、サッカーをしている自分の姿が映ることは無かった。一度も。だ
からこれは、自分にとっての儀式なのだ、と総は子供じみた考えを支持するこ
とにした。
 サッカー場の溝に、大学生が捨てたのかジュースの瓶が落ちていた。総がみ
つめると乾いた音を立てて割れ、手巻き寿司を食べる自分の姿が映る。
 総はすっかり暗くなったアスファルトを思い切り蹴って走り出した。青い空
気の中を、前へ、前へ。

             ―― 了 ――


解説:
 身の上ばなし。


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