[KATARIBE 29640] [HA06N] 小説『消失』

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Date: Tue, 3 Jan 2006 23:11:15 +0900 (JST)
From: 久志  <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 29640] [HA06N] 小説『消失』
To: kataribe-ml@trpg.net
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2006年01月03日:23時11分15秒
Sub:[HA06N]小説『消失』:
From:久志


 久志です。
先輩の古傷話、先輩が見た夢の話をちろっと書いて見ました。

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小説『消失』
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登場人物
--------
 相羽尚吾(あいば・しょうご) 
     :吹利県警刑事課巡査。ヘンな先輩。
 相羽真帆(あいば・まほ) 
     :自称小市民。多少毒舌。10月に入籍。

夢の記憶
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 夢だとわかっていて、それでも止められないことがある。

 濁った空、淡くけむるような霧雨が降っていたあの日。
 今のテーブルの前に座って文庫本を読んでいる――中学にあがって間もない
頃の自分。その傍らで、ふよふよと泳ぐ赤いベタを眺めながら水槽の表面を指
先でつついていた――あの日の母親。

「ねえ、尚ちゃん」
 呼びかけに返事をせず、机に向かったままページを手繰る。
「尚ちゃん、夕ご飯何食べたい?」
「魚」
「またあ? もう、ホントに献立に悩むお子様ねえ」
「別に、なんでもいいよ。ていうかそろそろ尚ちゃんてやめてくんない?」
「え、いいじゃない」
 難しい年頃ねえと小さくつぶやいてクスクスと笑う。細い切れ長の目と長い
髪を揺らして椅子から立ちあがる。

 これから、起きる出来事。
 でも、この時の自分では知りえないことで。

「母さん、傘は? 外降ってるけど」
「そうねえ、でもそんなに降ってないし」
「本降りになったらヤバイでしょ、傘持ってきなよ」
「降ってきたら尚ちゃん迎えにきてよ」
「ヤダよ」
「なんだ、冷たいの」

 お気に入りの品だという淡い緑のカーディガンを羽織り、財布を入れた手提
げを片手に持ってもう一度こっちを振り向く。

 行ったら駄目だ。

 わかっているはずなのに。

 この時の自分は知るよしもない。

「じゃあちょっとお買い物いってくるね。チロちゃんに餌あげておいて」
「ああ、ベタね」
「ちゃんと名前で呼んであげてよ」
 口を尖らせて抗議する母親に小さく手を振る。

「じゃ、いってきます」
「いってらっしゃい」

 霧雨の日。
 灰色に濁った空。

 長い髪、切れ長の目、小さく片手を振って玄関の向こうへ消えていった姿。


 水槽のモーターの音が響く。
 耳かき一杯の餌をすくって水面に撒く、ふよふよと浮き上がってきて水面に
浮かんだ餌をつまむベタをちらりと眺めながら、マグカップのコーヒーをひと
くち口に含んだ。

 この後に響くはじけるよな電話の音が――


 *


 青々と茂った木、見上げた空は奇麗に晴れていて。
 行き交う喪服の人並みをまるですりガラスの向こうにある世界の出来事のよ
うに眺めている。目の前の出来事に現実感を感じられない、ふわふわと自分の
意識が空に飛んで眺めているような奇妙な浮遊感。ただ現実に感じるのは両腕
に抱えた黒い額縁の重さだけで。

 酷い事故だったと聞いた。
 未成年の飲酒運転、百キロ越える速度で無理な追い越しを仕掛け、対向車線
の車と衝突、そのまま勢い余って歩道に乗り上げ通りかかった通行人を巻き込
んで激突炎上。加害者は免許取立ての十八歳の少年、被害車両に乗った家族三
人と巻き込まれた通行人――母親――を含めた五人全員死亡。

 あまりにも一方的な――過失事故。

 腰まで伸びた長い黒髪、自分に面影がよく似た顔、切れ長の目。いってきま
すと微笑んで小さく片手を振って玄関の向こうへ消えていった姿。
 それきり、二度とその姿を見ることはなく。

 桐の棺の中に納められているのは白い布に包まれた、人一人分にはとても足
りない大きさの遺体。

 これは本当に母親なのだろうか?

 棺の中には白い布に包まれた遺体と、隙間なく埋め尽くされた花。顔の位置
で開かれた棺の扉の中には、大きく引き伸ばされた白黒の写真。手を伸ばして
触れる。何度も何度も撫でた指先に感じるざらっとした写真の感触。

 軽く小首を傾げて見る白黒の顔。

『じゃあちょっとお買い物いってくるね』

 どうして?

 ……どうして。


 *


 街灯に照らされて、細かな霧のように降り注いでいた雨。
 すぐそこだからと、霧雨の中傘も差さずに出かけていった父親。

 テーブルの上に残された写真。
 思い出を――記憶の意味を残したいと、いつだったか父親がぽつりとつぶや
いたのをよく覚えている。


 駄目だ。
 この先を、見てはいけない。


 突然響いた轟音。

 玄関の向こう、霧雨にけむる中で見えた黒い影。
 仕事着から部屋着落ちした愛用品の紺のスラックスと白いポロシャツ、うつ
ぶせに倒れこんだ――父親。助け起こそうと触れた体はまだ温かくて。

 手のひらに感じたぬるりとした感触。
「親父?」
 呼びかける声に答えはなく。

 その、顔が。

 赤く。

 穴が。

 抉れて。


 遠くで誰かが叫んでいる。

 自分の記憶全てが現実を拒否する中で、なぜか無傷だった父の耳の形だけが
やけに鮮明に脳裏に残っている。


目覚め
------

 喉元を掴まれて引きずり出されるような、胸に詰まりそうな息苦しさ。
 目の前に広がっていた光景を振り払うように両手で顔を覆った。

「……尚吾さんっ?」
 広げた手の平、伸ばした手の指の隙間から見える白い肌掛け。
 そっと隣から腕に触れる手の感触。
「……真帆」
「はい」
 答えが帰るのと同時に手が伸びていた。

 腕の中に感じる存在、真帆は確かにここにいる。確かめるようにゆっくりと
腕に力を込めて、深く息を吐く。
「……悪い夢でも、見た?」
 背中に回された手が軽く背中を叩く。
「…………大丈夫、だから」
 真帆の肩に額を乗せて、もう一度深く息をついて目を閉じた。触れられたと
ころから溶け出すように自分の中で何かがほどけていくのを感じる。

 何度も何度も。
 あの時からずっと繰り返し見続けている夢。

 消えた母親の後姿。
 ――壊れてしまった父親の姿。

 自分の知らぬところで、全くの予感も言われもなく消えた命。

「……言えるようになったら、教えて」
 唇を噛んだ。
 言葉の節を浮かべようとして、肺腑をえぐるような痛みが刺さる。
「ここに、居るから」
 背中に回った手が何度も撫でる。
「…………ああ」
 抱きしめた腕に感じる感触と、額につけた肩越しに感じる体温。


『じゃあちょっとお買い物いってくるね』
 小さく片手を振って出て行ったきり、消えた母親。

『ちょっと、タバコを買いにいってくる』
 霧雨の中傘も差さずに買い物に出て――壊れてしまった父親。

 また。

 ……また?

「……真帆」
「はい?」
「……ずっといてほしい」
「うん」

 消えて欲しくない。

「どこにもいかないよ」
「…………ありがとう」

 一瞬、崩れそうになるのがわかった。
 誰よりも頑丈なつもりでいて、何も怖いものなどないとうそぶいて、その実
あっけないほど脆いことを自覚する。

 もう、亡くすのは耐えられない。


時系列 
------ 
 2005年12月初め。
解説 
----
 先輩の過去の古傷。消えた母親と壊れた父親。
-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
以上。



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