[KATARIBE 29049] [HA14N] 小説『茨猫・第七章』

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Date: Sat, 13 Aug 2005 01:48:03 +0900 (JST)
From: いー・あーる  <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 29049] [HA14N] 小説『茨猫・第七章』
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2005年08月13日:01時48分03秒
Sub:[HA14N]小説『茨猫・第七章』:
From:いー・あーる


ども、いー・あーるです。
というわけで続きです。
(何だかばててますが)

***************************************
第七章:人は透明な軌道を進む
============================

 淡い青磁の色に包まれたまま、静かに落ちてゆく。
 きしり、と細かい砂を踏むような感触と。
 乾いた空気。

「ここは」
「野枝実の夢の、とっかかり」
 一瞬の空白の後に目に映った風景は、風景と呼ぶのも憚られるほど素っ気無
いものだった。
「これが」
「そう……ここから野枝実の夢に入って行くんだけど」

 あどけなくも見える少女の顔が、瞬時、鋭いものになった。

「友久、これは納得して欲しいんだけど」
「何だ」
「あたしは確かに、夢を変えられる。あんたも、夢を変えることは出来るかも
しれない」
 でも、と、素早く言葉を繋いで。
「本当にあったことが、実は一番強いのよ」
「本当に?」
「ほら、昔のことを思い出す夢ってあるでしょう?」

 別に完全に一致する必要は無いんだけどね、と、胡蝶は言う。

「でも、本当に昔、そういうことがあって、それを思い出しながら夢に見てい
る時に、昔そうだったってのは、本人覚えているわけじゃない?」
「それはそうだろうな」
「だから、本人の、実際の記憶のほうに夢を流すのは、楽なの、普通」

 普通はね、と、胡蝶はしみじみ繰り返す。

「でも、有り得なかった方向に夢を歪ませるのは……」
「難しいのか」
「あたしには、出来ないわけじゃないけど」
 ちょっと言葉を切って。
「あんたには無茶」

 だから、と、次の言葉を紡ぎかけて、胡蝶は、と、口をつぐんだ。
 つぐまざるを得なかった……というのが、本当かもしれない。

「奴の、夢は?」
 尋ねる声に、少女はく、と、一度息を呑んでから、声を発した。

「ついてきて」



 ざあ、と。
 木々の間を走る風の音。
 そのたびに、微かに紅の色を帯びた地面の上を、さらさらと動く影。
 目を射るような陽光。

 足元に目をやる。
 影は、無い。

「……ここは?」
「野枝実の、夢」
 少女はちょっと肩を竦めた。
「まずは……ちょっと見てもらおうかな、夢を」
 話すのはまずいか、と友久は問うた。声自体は聞こえないから問題は無いけ
どね、と胡蝶は答えた。
「でも、夢を変えたいから、あたし。その時には多分返事出来ないよ?」
「それは構わない」
 その答えに、少女はこくりと頷いた。

「……じゃ、取りあえず最初は、見てて」


 白く陽光を反射する地面。
 小さな窓の並ぶ、建物。
 壁に描かれた、ウサギや犬、そしてカメやカタツムリ。
 小さな子供が喜びそうな形にデフォルメされた。

「……幼稚園よ」
 問う前に、胡蝶が呟いた。

 いつのまにか。
 小さな子供が、砂場に座り込んでいた。

「……奴か」
「そう」
 
 青いスモック。手には小さな黄色いスコップ。
 平均的日本人よりも色の淡い……栗色の、癖のある髪は、ちょうど肩あたり
で揃えられている。
 小さな白い顔に、やはり色素の薄い目だけが大きい。
 如何にも不器用な手付きでスコップをいじくる少女の面影は、二十年後の彼
女に、確かに重なるものだった。

 ぱたぱた、と、足音が妙に耳に響いた。

『あーあたしのっ!』
 ぱっと顔を上げた少女が避ける暇も無く。
 建物から転げ落ちるようにやってきた少女が、その肩をどんと押した。
 弾みで、野枝実は転がるように砂の中に倒された。

「動くんじゃないわよっ」
 ぴしり、と胡蝶が声を放った。

 取り上げられたスコップの黄色が、砂場の中で光るようにも見える。
 不器用に顔の砂を払っていた少女の手が、止まった。

『こっち来い!』

 砂だらけの前髪の間から、猫を思わせる大きな目が相手を見据えている。
 否……相手の、影を。

『なおちゃんのかげ、しんちゃんのかげ、まなみちゃんのかげ!』

 するすると、呼ばれた子供達の影が、少女の方に集まってゆく。
 
『みんなみんな、こっちに、来いっ!』

 少女の高い声が、夢自体を歪ませる。
 
 集まる影、渡される影のスコップ、わあっとあがる泣き声と悲鳴。それらは
皆、うす淡く蒼の色のフィルターをかけられている。
 既に、取り返しのつかない過去、と、思い切られているように。
 
 小さな子供の影と、その真中にいる小さな少女と。
 逃げてゆく子供達を、少女は黙って眺めていた。
 一度だけ、その顔がくしゃっと歪んだ。
 手を上げて、顔をこすりかけて……その手はふっと力を亡くしたように、ま
た降ろされた。
 
 どこか、困ったように、少女は影の子供達を見ていた。
 口が小さく動いた。
 なんと言ったのかは、わからなかった。

 周りの影は、わらわらとしゃがんだ。
 少女が慌てたように、一緒にしゃがみ込み、砂にスコップを突き刺そうとす
る。まるで影達と一緒に遊ぼうとでもするように。
 影の子供達は、どこか空ろな声を互いにかけながら、砂に手を突っ込んでい
る。その砂が動かないのに、友久は気がついた。
 野枝実の手だけが、砂を掴んでさらさらとこぼす。

 と。

 影の子供達が揃って立ち上がった。
 立ち上がって、後ずさりした。
 一歩、二歩。

 そしてわああああと悲鳴を上げながら、逃げていった。


「動かないで!」
 鋭い声が飛んだ。
「まだ終わってないのか」
「まだ終わってないわ」
 切り揃えた髪の下の目を、きゅっと細めて、胡蝶は応じた。
「まだ……これからよ」
 言いながら、少女は右の手を掲げた。

 ざあざあと、音がその声に重なった。
 ざあざあと、大きく揺れる木。
 その影。
 
 影の中に、ほつんと、人が立っていた。

 恐らくは今の野枝実よりもまだ若い、娘。
 白いエプロンに、パステルトーンのブラウス、ジーンズのスカート。
 丸い顔。大きな目。

 まるで能面のように……デフォルメされたように、無表情な顔。

 口元だけが、ゴムのように動いた。


  ばけも

「!」
 瞬時、胡蝶の手が動いた。右の指先から無数の細い糸がきらきらと光りなが
ら放たれ、真っ直ぐに野枝実を目指す。
 
     の

 最後の音が放たれた途端、少女の姿は奇妙な具合にぶれた。
 最初は、その輪郭がぼやけた。まるで残像のような姿と、動いている姿と。
 その間のずれが、二、三度と脈動するように膨らみ、そして縮んだ。
 そして……
 …………ふっと少女は二人になった。

 立ち尽くしたまま、ただ娘を見上げているだけの野枝実と。
 悲鳴の前駆のような細い声を喉からこぼして、しゃがみ込む野枝実と。

 そして胡蝶の細い糸は、立ち尽くす野枝実に集中した。淡い色合いの髪に、
大きく見張ったまま何の表情も浮かべていない目に、ぶらんと降ろした手に。

 一瞬、胡蝶の糸に包まれた少女は、その輪郭を鮮やかに浮き上がらせた。

 一瞬…………

 きゅっと、胡蝶が片頬を引きつらせた。

 空白。ほんの数秒の。


『…………ぁぁあああああああっ』

  
 そして途端に。
 揺り返すように、夢の中の時間が勢い良く流れ出したように見えた。
 座り込んだ少女の、喉の奥から振り絞るような悲鳴。その声がはっきりと形
を取るにつれ、胡蝶の糸に絡まれた少女の姿は薄れてゆく。
 ちい、と、胡蝶が悔しげに唇を噛んだ。

『みんなっ!』
 
 少女の手が、砂を叩く。

『みんないっちゃうよっ!』

 顔をくちゃくちゃに歪めて、少女が泣く。
 もうどうしたら良いのかわからないように。
 小さな身体一杯の悲しさや悔しさを、もてあますように。

『みんなみんな行っちゃうよ………っ』


「まだちょっと待ってってばっ!」
 目の前に細い腕を突き出されて、友久は身を乗り出していたのを自覚した。

「……どういうことだ」
「本当は、消えたほうが、本当なの」
「つまり」
「昔の、本当の野枝実が取ったのが、消えたほうの行動」

 残った野枝実を眺めながら、胡蝶が言う。
 少女は砂の中に突っ伏すようにして泣いている。
 引き裂くように、泣き続けている。

「本当は、泣きもしないで、先生を見ていたらしいんだ」
 きゅ、と、悔しそうに口元を歪めて、胡蝶は言葉を続ける。
「でも、今の野枝実は……泣いてしまう」

 泣き声は、ようよう小さくなった。
 むくりと起き上がって、少女は小さな手で砂をこすり落とした。
 落とした先から、また涙がこぼれる。
 
『みんな……』

 砂だらけの拳を目に当てて、少女は泣き続ける。


「諦めるのが、正しいのよ」
 ぴしり、と、胡蝶が声を放つ。
「諦めて、もう仕方ないって……思いを断って、そして野枝実は今まで来たん
だわ」
 視線の先で、少女は泣き止まない。決して大きな声では無く、ただ聞いてい
る者が辛くなるような声で。
「なのに、今の野枝実は泣き止まない。前に進もうともしない」

 突き刺す勢いで、胡蝶が友久の方を見上げる。
 お河童の髪が、鋭い弧を描いた。

「信じられもしない癖に、諦める度胸すら今はもう無い!」
 なんてこと、と、本当に悔しげに呟くと、胡蝶はまた少女を眺めた。

 泣いていた少女が、ふっと顔を上げた。
 上げて、最後の泣き声を飲み込んだ。
 諦めるのか、泣き出すのか、その境の奇妙な表情が小さな顔を覆って。

「!」

 ふっと少女が消えた。
 きゅるきゅると、耳の辺りで、何かが巻き戻るような感覚があった。
 
「時間が、戻るわよ」
 素っ気無く、胡蝶が呟く。
「どういう……」
「夢がまた、最初から始まるわけ」
「今のが……か」
「そうよ」

 ざあ、と、風が吹く。
 白茶けた埃っぽい風。
 鋭い光が、木々の影に途切れて舞う。

 少女が砂場に座り込んだ。


 少女を突き飛ばす手。奪われるスコップの色の鮮やかさ。
 子供達に逃げられるのは、案外慣れていたみたい、と、胡蝶は呟いた。
「でも、先生は大好きだったみたいだし……先生も、野枝実が苛められてたら
周りの子を叱ってたみたいだしね」
 良い先生だったんでしょうよ、と、嘲笑うように。

「良い先生。良い人」

 でも化け物だってさ。
 くすり、と、異形の少女は笑ったまま友久を見上げた。
 挑むように……また同時に嘲るように。

「どうせ、どこに行ったって、そうなるのよ」

 どこへ行っても、孤独は付きまとう。
 どこへ行っても、結局は独りになる。

「座り込んで泣いてどこにも行けなくなるよりは、諦めて歩き出す。昔ちゃんと
野枝実はそう選んできたし……だから説得だって出来る筈なのに」

 なのに、と、言いかけて、胡蝶はまた唇を引き締めた。
 右の手をすいと持ち上げる。小さな掌が淡く輝いている。

 そしてまた、その手から細い無数の糸が放たれた。

 二人の野枝実。
 ただ、静かに相手を見上げる野枝実、と。
 ぺったりと座り込んでしまう野枝実と。

 そしてまた、泣き叫ぶ野枝実だけが残った。
 小さく舌打ちして、胡蝶は細い糸を腕の一振りで手繰り寄せた。
「……ちょっと」
「何だ」
「手伝いなさいよ」
「……何を、どうしろと」
「消える野枝実を、消さないようにするの!」

 少女は、しゃくりあげている。
 泣き声は、決して大きいわけではない。
 形にならないようなやりきれなさを、けれども声にしてぶつけることにすら、
慣れてはいないのかもしれない。

「前に、進めたいのよ、この夢を!」

 刺し貫くように。
 その声の含む……真実。

 泣いていた少女が、顔を上げた。
 諦めきれずに、けれども諦めねばならない痛みが、幼い顔にひどく不釣合い
に映った。

「……えみ」

 呟いた声は、世界の巻き戻る感覚に押し潰された。
 少女が、消えた。

 
「どうすれば」
「え?」
「前に進む」
 え、と、胡蝶が困惑したように顔を上げる。
「だから野枝実が諦めたら」
 
 その言葉が、友久の耳には異様に腹立たしいものに聞こえた。
 それと読み取ってか、胡蝶は口をつぐんだ。

 夢が始まる。そして繰り返す。
 逃げて行く子供達。それを見送る少女の目。
 (今でも似たような目をする)

 決して、後を追わない目だ。
 追うことの無駄を、知り尽くした目だ。

 逃げて行く影を見る目。 
 それが実体の無い波のように砕け散る様を、追うでもなく見る目。
 (決して追わない)
 (決して手を伸ばさない)
 
  『しんどくは、ない?』

 不意に……思い出す。

  『ここに居て、晃一の面倒見て……とばっちりまで食らって……
      ……しんどくは、ない?』

 転がり込んで、既に数ヶ月。
 何を今更、と、その時は思った。
 けれども。
 
「……ちっくしょうっ!」
 不意に胡蝶が、吐き捨てるように呟いた。
 視線の先で、在るべき……否、過去そうであった少女の姿が、消えてゆく。

 そして夢の中、過去から剥離した少女が形を取る。
 伸ばさなかった手を伸ばそうとし。
 尚、その手を伸ばし切れずに。

『みんないっちゃうよ……』

 それでもその手を、降ろすことも出来ず……

「……野枝実!」

 差し伸べた手は、それでも少女の手をすり抜けた。


*******************

 ああ、なつかしひ(とおいめ)
 ……というわけであとは忘れよう(おい

 ではでは。



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