[KATARIBE 28643] [HA06N] 小説『光魚浮遊街』(下)

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Date: Sun, 10 Apr 2005 20:47:52 +0900 (JST)
From: いー・あーる  <furutani@mahoroba.ne.jp>
Subject: [KATARIBE 28643] [HA06N] 小説『光魚浮遊街』(下)
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2005年04月10日:20時47分52秒
Sub: [HA06N] 小説『光魚浮遊街』(下):
From:いー・あーる


ども、いー・あーるです。
『光魚浮遊街』の続きです。

************************************

0:4

 光海に向けて波動を放て

 鼓動に似た速さで
 鼓動に似た鋭さで

 
 先輩

 せんぱい

 ***

4:

 ぱかんと卵が割れるように目が醒めた。
 傍らの目覚まし時計は、5時半を示している。
 不思議と、寝なおそうという気分にはならなかった。否。
 ひどく、気が急いた。


  せんぱい


 慌てて着替えて靴に足を突っ込む。いい加減に髪をまとめ、三つ編みを頭に
止めつける。六時にはまだ悠々間がある頃に、あたしは外に飛び出していた。


 大手町の駅で降りて。
 白っぽい構内を走り抜け。
 官庁街へと向かう階段を駆け登り。
 
 登り切ったところで、目の前を光がよぎった。
 細い、流線型の、青味を帯びた光。
 さかな。


「せんぱい」


 視線を上げると、アスファルトに斜めに当たる光の照り返しの中に、はつみ
がいた。
 正確に言うと、はつみの顔と右手、そして胴体が。
 すう、と、蒼い細い光が幾筋も、彼女から流れてゆく。

「来てくれたんだ」
「……来たよ」

 半透明のはつみの顔は、うっすらと輝いて見えた。
 まるで、色づいた光の塊のように。

「私、ほぐれていくところなんです」

 奇妙な言葉に、けれども不思議と納得した。
 彼女は……確かに、彼女の両足と左手は、ほぐれてしまったに違いない。

「ほぐれて、魚になっていく?」
「そうそう」
 あはは、と、はつみは笑った。
「そして、泳いでいくんです」
 それだけは変わりようのない、丸い目をこちらに向けて。
「先輩、ついでですからちょっと泳いでみませんか?」

 がらんと幾つも並ぶ、人気の無いビルの群れ。かこんと蒼い空を映した、無
数の窓硝子。するりと思い出したように吹く風。
 
「れっと、おーらい」

 小さく呟く。と同時にあたしもまたこの伽藍とした街の空へと浮き上がった。
 はつみと、はつみの魚達も一緒に。

 体感的には『落ちてゆく』のだけれども。

 高層ビルを抜けたところで、ストップをかける。そして、地上のアスファル
トの街を見上げる。
 不思議なほど、その街は儚く見えた。

「せんぱい、気がつきませんか?」
 光の蒼い魚達ははつみを囲んで、脈打つように動いている。
「この街には、流れがあるんです」
「流れ?」
「だんだんと、人の心をほぐしてしまう流れが」
 ふわり、と、はつみは笑う。まあるい光のような笑み。
「私、自由になりたかったんです」

 残像の残るような優美な動きで、はつみは残った右腕を広げて見せる。胴体
と細い喉、そして右腕に絡みついた細い糸が、きらきらと光を放った。
「それは?」
「私、何時の間にかがんじがらめになってたんですよ」
 細い指で、喉のあたりの糸を辿りながら、はつみはやはりどこかふわりとし
た口調でそう言った。
「だから、自由になりたかったんです」
 糸は、虹の色を映して光る。
「……はつみ、それって……」
 がんじがらめになった糸。それがはつみの心を示すのならば。
「失恋したから?」
 下手に言葉を飾るような能はあたしには無い。それでも流石に直截的に言い
すぎたかな、と、言ってから後悔はしたのだが。
 ああ、やっぱりそうとられちゃうんだなあ、と、はつみはやはり奇妙に明る
い笑いを浮かべた。
「失恋がね、きっかけだったのかもしれません。……でも、それだけでこんな
にぐるぐる巻きにはなりませんよ」
「……じゃあ……」
「疲れた、のかな?」
 絡み付いた糸ごと、はつみは腕を軽く振った。
「頑張って頑張って……疲れた、のかなって」

 30年。
 互いに、生き方は異なっていたと言って良い。恋愛を最初っから相手にしな
かったあたしと、自他ともに認める「恋多き女性」だったはつみ。けれども、
自分の生き方をへし折ろうとする相手には真っ向から立ち向かうあたりはよく
似ていた気がする。だからこそ、彼女はあたしを先輩と呼び続け、あたしは彼
女をはつみ、と呼び捨てにする。
 30年。
 逆らい続け、戦い続け、息つく暇なく抗い続けるのには、それなりに疲れる
に足る長さである。

 思う。
 多分、はつみも、今度の失恋が相当に堪えたのではないのかな、と。
 そして、堪えてしまう自分に、唖然としたのではないのかな、と。

「頑張るのにね、疲れたんですけど」
 はつみはやはり、淡々としてそう言う。
「でも、もう、がんじがらめになってるんです。生きる生き方。歩く歩調。全
部……何て言うかな、戦闘仕様になってしまってて」
 苦笑。
 それさえも鈍い輝きを保って。
「頑張る、って、自分をがちがちに固めてしまって……確かにそれって不自由
なんですけど、一度ほどけてしまったら、多分私は一人で立てない」
 立てないんです、と、繰り返して、はつみはあたしを見る。
「自由になるには、あたしは、あたしを細切れにしてやるしかなかったんです」


 ぎりぎりと縛られた糸。
 その、胃の腑のあたりを締めつけた細い隙間から。
 するり、と、彼女の破片が流れるようにはがれて落ちた。
 細い欠片はそのまま、流線型の蒼味を帯びた細い姿に変わってゆく。


「自由にならない自分に、いつまでも我慢して、そんなもんだって思うのは」
 はつみは、あたしを見ている。
「厭だったんです、私」


 J・ティプトリー・ジュニアの短編集「星々の荒野から」に、自称郵便配達
の女性の話がある。
 きっかけ、理由、そんなものは一切書かれていない。ただ、現実と潔く袂を
分かち、元気良く荒野を歩いてゆく彼女と、彼女の荒野を共有することも出来
ない人々の姿が描かれている。
 自由に、自由に。荒れ果てた世界を郵便を持って歩き続ける彼女。
 そして、それを嘆く、彼女の母親。
 どうして、どうして自由など無い、と、あの子は諦めなかったの、と。

 ……嘆くのが、父親ではなく、母親であるところが。
 切り刻まれるほどに痛む話……で。


「せんぱい」
 ふと、はつみが声をかけた。
 あたしは黙って彼女を見上げた。
「先輩は、あの話みたいな自由は嫌いでしょ」
「…………うん」
 ああやっぱり、と、彼女は笑った。
「先輩ならそう言うって、思ってました」
 そう言いながらも、彼女の目は挑戦的にこちらを見ていたのだけれども。
 だから、彼女の問いも、わかったのだけれども。


「先輩なら、どうします?」

 
 蒼光る魚が、あたし達を取り囲む。
 りいん、と、底びかる光の中で、あたしは考えた。

「その自由に、憧れないわけじゃないよ」
 自由に、自由に。どのようなしがらみにも既にとらわれる事の無い姿で。
「あんたの自由に、憧れないわけでもない」
 自分をがんじがらめにしているものが、自分を作っている。そのうっとおし
さから無限に自由になりつつあるはつみ。
 囚われから、抜け出す。風の自由度をもって。

 でも。

「でも、あたしは、厭だ」
 
 言いつつ、思う。
 そう、言ってのけるあたしの根拠は、何だろう。
 そう、言い切るものは……………


 …………怒り、だ。


 拳を握り締める。怒りを先鋭化させるために。

「はつみ」
「はい」
「あたしは、絶対に屈しない。自由にならない自分を諦めない」
 百人のうち九十九人が諦めても。それが当たり前だと嘲っても。
「でも、あたしは、逃げたくない」

 自分を縛る……囚われる糸。そのしがらみ、その重さ。
 
「でも、あたしは……その糸からまるごと自由になる」

 はつみがちょっとだけ、目を丸くした。
「どうやって?」
「そんなこと、わからない」
 でも、それでも。
「あたしは、ここで自由になる」

 どぶ泥の泥の中で、もがくのは辛い。
 でも、もがき進む中であたしは強くなる。
 越せない苦しみは、無い。

 信じるように、あたしたちは成ってゆく。

「はつみ」
「……はい」
「ここに、流れがあるって言ったよね」
「……はい」
「はつみは、その流れに乗ってるんだよね、今」
「そう……です」
「それがあたしとは違う」
 詭弁に似ている。けれども嘘じゃない。
 嘘でなどあるものか。
「あたしは、流れに乗らない。あたしが流れを起こす」
 虚を突かれたように、確かにはつみが息を呑んだのがわかった。
「がんじがらめになったあたしごと、あたしはあたしの流れを起こす」

 ざあ、と、確かにその時、止めつけていたピンを弾いて、三つ編みがほどけ
て散った。
 

 あたしは、あたしの流れを起こす。
 一番困難な道で。
 一番逃げたくなる方法で。


「……先輩」

 ふと気がつくと、はつみの右の手もまた、先のほうからするりと魚に変じて
だんだんと明るくなる空の中に溶けていた。
「私、魚になりますね」
「うん」
「先輩が、流れを起こしたら、私その流れに沿って遡っていきます」
 にこにこと、はつみは笑っている。
 ある意味で、最後まで諦めなかった……故に、一つの奇跡として彼女は魚に
変じつつあるのだ、と。
 何故か、そんな風に思った。
「先輩のところまで、辿りついて見せますね」
「うん」
 だから、あたしも笑った。
「待ってる」

 もしかしたら、あたし自身がどこかで倒れるかもしれない。
 どうにもならない自分を抱えて、砕けるのかもしれない。
 ……けれどもそれは、今じゃない。

「もうそろそろ、人が来ます」
 ちょっと首を傾げて魚を見ていたはつみがそう言った。
「……じゃ、戻らなきゃ」
 言いながら……とても、それがつらかった。
 はつみは……魚になってしまうはつみは。
「あのね、先輩」
 語尾が少し震える。気がついたのかついていないのか、はつみは昔とそっく
りの調子で、そうあたしを呼んだ。
「結構、この街に、魚は多いんですよ」
 え、と、言いかけた言葉を遮って。
「また、来てくださいね」


 真っ直ぐに地上まで浮上……地上から見れば落下……して、掌で地面を叩く。
そのまま前転して足を地上につける。
 途端に、あたしは重力どおりに動くようになる。浮かび上がることも無く、
落下することも無く。

 二つ向こうのビルの影から、足早に青いつなぎの男性の姿が現れた。

(戻らなきゃ)
 心中で呟いて、一歩足を出して……堪らずにあたしは振りかえった。


 あお。

(うわっ…………)

 灰色とメタリックグレー。その色を一瞬圧倒するほどの、蒼の流れ。
 さかなたち。
 街路樹を呑みこみ、ビルの壁を覆い尽くしながら、見えることの無い潮の流
れに沿って、延々と泳いでゆく…………


 一瞬。

 そして……街は、やはりひどく人工的な違和感ごと、陽光のもとに存在して
いた。


 ***

5:

 はつみが亡くなった、との知らせが届いたのは、それから一ヶ月後のことだっ
た。
 結局、あれから一度も目覚めなかったようだ、と、晶子はくぐもった声で、
そう教えてくれた。

 一ヶ月。
 長いのか、短いのかはわからない。

 
 一週間後。夜遅く車に乗り込んで溜息をついたところで、窓硝子をととんと
叩く音がした。
 外を見ると、魚がいた。
 蒼い光の、細い魚だった。

「はつみ」

 声をかけると、魚は少しの間こちらを向いて静止していたが、そのうちまた、
ととん、と、硝子を叩いて……そしてそのまま行ってしまった。


 流れは、あったのかもしれない。
 けれども……はつみを留めるほどに、強い流れでもなかったのだろうか。

「またね」

 呟いた途端に、目の奥が熱くなった。
 あたしは、キーを差し込んで思いっきりひねった。


 月は、今夜はまだ見えない。

 

****************************************

という話です。
時系列を考えると、この後すぐに真帆は、『へし折られた』んでしょうな。
……ある意味非常に、皮肉な話ですが。

ではでは。


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