[KATARIBE 28128] Re: [HA06N]小説:『書架』

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Date: Sun, 09 Jan 2005 02:25:43 +0900
From: gallows <gallows@trpg.net>
Subject: [KATARIBE 28128] Re: [HA06N]小説:『書架』
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gallowsです。長い物何度も送ってすいません。
ぶらさがり改行しわすれてたので再送します。
やりたかったのはコメディです。

-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=-=
小説:『書架』
=============
登場キャラクター
----------------
 津山三十郎(つやま・さんじゅうろう)
     :ネコ耳をつけた長身痩躯の変わり者。
 桜居津海希(さくらい・つみき)
     :クラスメイトの優等生、だが。
 大江頼子(おおえ・よりこ)
     :津山の幼馴染みにしてクラスメイト。姉御肌。

本編
----

 久々の雨が図書室の窓をパタパタと打つ音が聞こえる。もう七月も半ばだと
いうのに。
 梅雨がいつ始まっていつ終わるのか、テレビを見ず、世間話もしない俺には
そんなことがわからない。今年はイメエジの中の梅雨よりも雨が少ない。時期
的にも遅かったという印象がある。だが毎年「今年はおかしい」を繰り返して
いるような、そんな気もする。
 雑多な思考が脳の一部を占有している間も目は文章を追っていく。雨音より
も速いペースで文字を消化していくリズム。書架と書架の隙間に細長い手足を
折りたたみ、誰にも見つからないようにして過ごすこんな時間を俺は好ましく
思う。
 三時間かけてハードカバーを一冊読み終える。刑事裁判における人権論がど
うこうという内容。さして興味のある分野じゃなかったがそれなりに楽しめた。
図書館で読む本はいつもランダムに決めているのでこういう出会いもある。
 携帯電話の時計を見るともう四時を回っていた。俺はゆっくりと立ち上がり、
静かに伸びをする。
 視界の端に、少女が映った。
──桜居津海希《さくらいつみき》?
 図書室の書架は裏板が最小限で、本の背表紙と一つ上段の横板の隙間から向
こう側が抜けて見える。
 そこから、窓際の自習スペースで本を読むクラスメイトの少女の姿が見えた。
 黒のノースリーブのシャツから伸びたか細い腕がこまめに動く。二つに結っ
た髪は緩やかにウェーブし、肩の上で腕の動きに合わせて揺れている。
 少女と言っても俺と同じ高校一年生だ。だが身長150cm足らずであろう彼女
の子供じみた体躯は、183cmの俺から見て少女と呼ぶのが妥当に思えた。
 今は期末試験期間中で、図書室には通常の手段では入れないようになってい
る。当然ここには俺と桜居以外に人はいない。
 そう、俺自身図書委員の特権を利用して鍵をくすねて潜り込んでいるのだ。
図書委員でもない桜居がここにいるのはどういうわけだ?
 そう考えたら、好奇心は衝動となって俺を動かし始める。
「珍しいな。調べものか?」
 背後から忍び寄り唐突に声をかける。
 桜居の二つに結った色素の薄い髪が獲物を見つけた肉食動物のような速度で
旋回し、鋭い視線が俺に向けられる。
 否、その様は本当に肉食動物のようで俺はイニシアティブを取ったはずなの
に一瞬竦んでしまう。
「なんだ、津山君か」
 淡い栗色の髪と同じ色の瞳は俺を認めると柔らかくなり、そのまま背けられ
る。さっきの動物じみた反応とそぐわぬ落ち着き払った声。
 正面から桜居を見据えるのは初めてだった。こんなに睫毛の長い人間を見る
のも。口の中が乾く。柄にもなく緊張した俺は軽口を叩く。
「教師じゃなくてよかったな」
「そうね。少し驚いた」
「すまん」
 桜居が机に向き直る。さりげない動作で読んでいた和綴じの本をノートの下
に積むのを、俺は見逃さない。
(──出雲異聞拾遺)
 化け物の生活様式について書かれたレアな一冊。この学校にある本の中でも
俺の中で特別なものだった。だが、何故桜居が?
「よく図書室にいるとは聞いてたけど、こんな日までいるなんて。熱心なの
ね」
 立ち上がりながら桜居は言う。革鞄に本やノート、筆記用具を速やかにしま
い込む。どうも、俺の視線を気にしている。
「他にすることもないからな」
「期末試験中なのに、随分と余裕」
「それはお前だろう、優等生。俺は戦闘放棄してるだけだよ」
 冗談めかして頭に乗せたネコ耳を揺らしてみせる。こう言う時にこの飾りを
うまくジェスチャアに盛り込むと大概受けるのだ。が、言ってることはただの
事実だった。
 俺は最初から期末試験を諦めているからこうしている。対して桜居は普段か
ら勉強が出来るタイプで、試験前だからと言って慌てることはないのだろう。
「勿体ない。頭よさそうなのに」
「眼鏡をかけているからか?」
「私は、眼鏡をかけている人を見ても目が悪いんだろうなと言う印象しか持ち
ません」
 そういって微笑む桜居は絵に描いたような優等生で、それだけに今の状況と
のギャップが腑に落ちない。
 俺はイタズラめかして言う。
「じゃあ、ネコ耳をつけているからか?」
「つっこんだ方がいい? ……いつも思っていたのだけど、それ、何の意味が
あるの?」
「いつも聞かれるが意味はない」
 真実、意味はなかった。意味はもう失ったと言うべきか。だけど俺はネコ耳
を毎日つけている。それは失われた過去と繋がり続けるための接点なのかもし
れない。
「今の会話から変な人という印象は強まった。頭がよさそうだと思ったのはも
っと別の理由よ。それだけの奇態をしてクラスにも先生にも馴染んでいるって
凄いことでしょ?」
「奇異の目で見られているよ。それでも昔から付き合いのある奴は中学の頃か
ら見慣れているからな。俺が、格別周囲に配慮しているわけじゃない。桜居は
霞山をわざわざ見に行くか?」
「行かないわね」
「名所なんてそんなものだ」
「なるほど」
 適当な言葉だったが桜居は納得したように頷いた。あまり長話したくもない
のだろう。
「それじゃあそろそろ帰ります」
「ああ、調べものは終わったのか?」
「ええ、まあ……」
 桜居はちらっと視線を逸らした。俺は話を図書室に忍び込んだ理由に戻そう
と思ったが、やめる。
 追求してはいけない気がしてしまった。そうして俺は桜居の目が緊張と怯え
を孕んでいることにやっと気付く。
「じゃあな。鍵は俺がかけておくからそのままでいい」
「ありがとう。また明日、教室でね」


 帰宅後、俺は晩飯もそこそこに部屋に籠もった。木造平屋の二階、北側に俺
の部屋はある。八畳程の部屋は見渡す限り本が積まれて、中を覗いた母親に大
渓谷と言わしめた状態になっている。
 その大渓谷の奥深く、畳に敷かれた万年布団にあぐらを掻いて俺は桜居につ
いて思いだしてみる。
 桜居は成績もいいしクラス委員などしているから教師の信頼も篤い。
 それでなんだ。それだけだ。俺が桜居について知っているのはそれが全てだ
った。桜居の私生活、交友関係、なにもわからない。
 クラスの誰とも親しいように見えるしそうでないようにも見える。学校外で
見かけたことは一度もない。
 そういえば中学時代に体調を崩して長期療養していたという噂を聞いたこと
がある。それが何を意味する? たぶん、俺にはなんの関係もない。
 桜居と俺にはなんの接点もない。今日のことを忘れればきっと、俺の残りの
余生であいつと関わることはもうない。
 あいつは陽の当たるところで立派に生き続けるのだろうし、俺は日陰で死ん
でいくのだ。その可能性はひどく俺を退屈にする。
 そんな桜居が図書室に忍び込んでまで出雲異聞拾遺を読んでいたのは何故か。
あの本は通常の手段では取り出すことはおろか存在を知ることもないはずだ。
本来学校図書室にあるべきものではない。
 考えるほどに桜居津海希という少女が俺の中で謎めいたモノになっていく。
直感が俺の好奇心を刺激する。
 俺は布団から立ち上がり、ケータイで幼馴染みの大江頼子に電話をかけた。
 三回のコールの後、ケータイのスピーカーから頼子のいらついた声が聞こえ
てくる。
「なんだい? 三十郎と違ってこっちは忙しいんだけど」
「今ちょっといいか?」
「いや、だから忙しいって。ていうかお前もたまには試験勉強しろ」
「試験というのは日頃の成果を問うものだ。前日になって焦って仕込むもんじ
ゃない」
「そういうのは日頃勉強してから言えっての。じゃ、切るよ」
「聞きたいことがあるんだが」
「長いの?」
「それなりに」
「じゃ、明日放課後にでもな」
 頼子は話を打ち切って電話を切ろうとしている。
 俺は部屋の窓から二畳ほどあるベランダに出て声を張る。
「よりこたーん、おねがいにゃん!」
「うぜぇッ!」
 即座に向かいの部屋の窓が開いて頼子が顔を出した。
 頼子の家と俺の家は隣同士なのであった。


「と言うわけだ」俺は夕方の出来事をかいつまんで話した。頼子にお願いする
時のツボは心得ている。十年来の付き合いだ。
「あー、桜居ね。ハイハイ」
 頼子は窓際で煙草を吹かしながら言った。
「驚かないんだな」
「だって鍵貸したのあたしだ」
 頼子は俺と同じ図書委員であり、俺と同じように時折勝手に図書室に忍び込
む。桜居がピッキングの達人であったり、俺が催眠術で操られて手引きをして
いたのでない限りは鍵の出所はこいつ以外にない。
「まあ、そんなところだろうと思った」
 雨はとっくにやみ、湿り気のない風が吹いている。空はもう真っ暗で星が瞬
いてる。以前大阪に出かけた時には随分星が少なく感じられたので、ここいら
はそれなりには田舎なんだろう。
 俺はプラスチックのすのこの敷いてあるベランダの床に座り込み、頼子の煙
草の火を目で追っていた。
「煙草、体に悪いぞ」
「それはあたしに馬鹿って言ってるのか?」
「わかるか」
 頼子の眉間に皺が寄る。こいつは俺と同じ眼鏡紳士会の会員だが、感情が表
に出やすい。眼鏡たるものクールでなくてはいけないと言う会員の心得に大い
に反している。ちなみにその会は俺がいつか結成しようと目論んでいたものだ。
「ふぅ。話は終わりだな」
「あ、ちょっと待て」
「待たん」
 ぴしゃりと窓が閉められ、ご丁寧にカーテンまでかけられる。
 俺は夜気を吸い込み再び声を張った。
「うぇーん、待ってほしいにゃー。話はこれからなのにゃん!」
 カーテンと窓が一度に開かれる。
「うぜぇっつってんだろがッ!」
 ガーンと俺の顔面にステンレス製の灰皿が叩き付けられた。窓を開けてワン
アクションでこんなものを命中させるこいつはなかなかのやり手である。
「つっ……眼鏡をかけてる人に……非常識だぁ!」思わず声が裏返る。鼻血が
出そうだ。
「お前に常識を問われたくない。変態ネコ耳男め!」
「わかった。悪かったから。少し待ってくれ」鼻梁を押さえながら、再び窓を
閉めようとした頼子を制止する。
「なんなんだよ」
「図書準備室の開かない書架知ってるよな」
「水原センセの?」
「そう。水原が入院してから誰も開けられないあれだ」
「どうせ水原センセの私物しか入ってないんだから問題ないだろ」
「そうなんだが、まあ聞けよ。桜居が読んでいた本、あの書架に収まっていた
ものだ」
「はぁ?」
「これはお前の手引きでもないだろ?」
「まあな」
「大体おかしいと思わないか。わざわざあの優等生が誰もいない図書館に忍び
込む理由ってなんだ?」
「さあ、余程急ぎの調べものでもあったんだろう。金持ちの考えることはわか
らない」
「金持ちなのか、桜居」
「かなりな」
「……どういう生き物なんだ。アレは」
「それは私も知りたい」
 世の中にはなんでも持っている奴というのがいるものだ。どれか一つ俺のネ
コ耳とでも交換してくれないだろうか。
 しばし会話が中断する。
「……なあ、頼子。お前桜居について俺よりは知っているよな?」
「大概のことはお前よりは知っている。なんだ、桜居に気があるのか?」
「いや、そういうわけじゃない」軽く動揺するのが自分でもわかる。
「アレは私のお気に入りなんだから。手を出すなよ」煙草の火を窓枠でもみ消
しながらドスの利いた声で頼子は言った。この女はそういう趣味なのだ。
「幼馴染みとして忠告しておくが、お前こそ手をださんようにな」
「わかってないな。あたしゃ眺めていられればそれでいいのだ。あの筋張った
手足がそそられる」
「俺はもう少し……イヤイヤ、そんな話をしたいんじゃないんだ」話は逸れた
が頼子が乗り気になってくれたようなのでよしとする。
「桜居って水原と繋がりがあるのか?」
「そんな話は聞かないねぇ。大体水原は高等部の受け持ちだし、あたしらが高
等部に上がってすぐに休職しちゃっただろ。図書委員で世話になってたあたし
やお前はともかく、ほとんどの生徒は名前も知らないんじゃないか?」
「そうか……そうだよな」
 水原は俺の通う吹利学校高等部の日本史教員で、図書室の管理者でもあった。
 偏屈な独りものの老人で、例の書架には稀覯本もいくらか混じっている。昔
頼んだが俺は見せても貰えなかった。おそらく他の文芸部や図書委員でも同様
だろう。
 何より入院先に中身も定かでない棚の本を借りに行く生徒は不自然だ。
「三十郎、何が知りたいんだ?」頼子の怪訝そうな声が俺の思考を妨げる。
「いや、どうやってあの開かずの書架を開いたのかと思ってな」
「うーむ」
「頼子、桜居津海希はピッキングが趣味という噂は聞いたことがないか?」
「それはもう噂というより風評だな。そりゃないだろー。大体それならあたし
に鍵を借りに来る必要もない」
「それもそうか。それにあの錠はかなり難物だったし、桜居の身長では椅子に
立ち上がる必要もあるな」
「あんた、まるで試したみたいな……」
 幼馴染みに、信じられないようなモノを見るような目で見られるのも乙なも
のだ。
「読みたかったからな」
「アホ。見つかったら事だぞ」
「昔の話だ」
「三十郎、あんたその時にちゃんと鍵かけなかったとか言うオチはない?」
「流石にそれはない。よな?」
「聞くなよ。そうか、それで桜居が持ってたって本があの書架のものだって知
ってたわけだ」
 開かずの書架は前面にスチールの引き戸が付いていて、スリットから中を覗
き込むことくらいしかできないのである。
「そう言うことだ。とにかく、あの錠は鍵穴も小さいし変に錆び付いているし
でな、慣れた人間でもかなり時間がかかるはず」
「まあ、時間はあっただろうけど。どっちにしろあたしに鍵借りに来てるんだ
からそれはないだろうね」
 そもそも桜居はどこで開かずの書架の存在を聞きつけたのだろう。あの書架
のことは図書委員の間では有名だが一般の生徒が気にかけるようなものでもな
い。
──一般の生徒ではないのか。
「三十郎、桜居の読んでた本てどんなの?」頼子は二本目の煙草に火を付けな
がら聞いてきた。
「化け物の本だ」
「化け物? あんたの好きな妖怪とか都市伝説とかのあれ? 桜居がそんなの
読むかね」
「読んでいたのだから仕方ない。出雲異聞拾遺。出雲周辺に居住してる化け物
達についてまとめてある。十六種くらい載ってたか」
「お化けがどこかに居住するかね?」
「普通は出雲に伝わる伝承とかだよな」
「その本は違う、と」
「地に足のついてる化け物なんだな。生活様式や集落の人数まで書かれていた
くらいだ」
「いつの本?」
「江戸の後期、具体的な年代は記事によってまちまち」
「江戸時代にも設定マニアっていたんだね」
「そりゃあ、いただろう。シチュエーションフェチもいればキャラ萌え原理主
義もいただろうし、シャーロキアンやポッタリアンだっていたに違いない」
「後半の人々はオーパーツにでも触れたのか?」
 頼子がまたアホを見るような目でこちらを見ている。慣れるとコレがたまら
ない。巷で流行りのマイナスイオン効果というのは多分こんなのだ。
「それにしても、優等生と異聞拾遺か」
 異聞拾遺は俺にとって特別な本だ。俺の世界観を支える重要な要素とすら言
える。
 異聞拾遺において化け物は現象ではない。集落を持って生活する人間の隣人
として記されている。馬鹿げた奇書だ。だがその視点は俺が子供の頃から信じ
ている世界と合致していて、都合が良かった。
 そんな本を桜居が必要とする理由は何か。ただのオカルト趣味にしては必死
すぎやしないか? 趣味に没頭する人間というのはまあいる。俺のように。だ
が桜居はそうは見えなかったし、そもそも異聞拾遺の存在を知っていることが
不可解だった。
 それとも、あの書架の噂を聞きつけて強引にこじ開けたとし、ランダムに選
んだのがあの本だったのだろうか。その可能性は如何ほどだ。他に優等生の好
みそうな本があの棚にはいくらでもある。
 ならば、どんな可能性がある。
 俺の思考はそこで止まってしまった。
「三十郎、あんたまたおかしな事考えてるんじゃないだろうね」
「まだ、それほど考えてない」
「馬鹿馬鹿しい。今度は桜居? 何回目だよ一体」
「もし桜居がそうだとしたら、四回目だな。呪い師の血統の由香ねえはただの
バイト巫女だった。不老不死の煙草屋の婆さんは一昨年死んじまった」
「そんなものだよ。それが普通なんだ」
「だが、まだ結論の出てない謎もある」
 しばらく二人とも黙り込んでしまう。
 俺の考えはいつも馬鹿げている。それはわかっている。だが俺にはそう思わ
なければならない理由があるのだ。
「つきあってられないね。時間切れだ」
「どうした?」
「試験勉強だ」
「おお」
「おおじゃない! 明日放課後図書委員のミーティングあるだろ。続きはその
時って事にして今日は三十郎も勉強しときな」
「善処しよう」
 頼子はほとほと呆れたといった様子で窓を閉め、俺は部屋に戻ってそのまま
就寝した。


 翌日。期末試験はその全行程を終えた。晴れやかな顔持ちで遊びに出かけて
いく奴らがいた。安堵した表情で家路につく奴らもいた。俺は、何も変わらな
い。
 二年の男女が使わなくなったホワイトボードを運び出し、残りの面々は黙々
と、或いは友人とおしゃべりしながら図書準備室の本の整理をしていた。
 俺は一つ右の書架で作業している頼子に視線を送ってみる。
 頼子は妙に背の高い女なので、高い棚の荷物取りに励んでいた。女子に囲ま
れて妙に嬉しそうにしている。当然俺の事なんて無視だ。
 周囲の女子もやはり同性の方が色々頼みやすいんだろうか。その一角だけ男
女率が逆転していた。正直少し羨ましい。
 いつのまにやら疲れた表情の三年がやってきていて、休み期間中の図書館解
放日がどうこうという話を始める。
 三年は二学期以降はあまり委員会にも関わらなくなるのでもしかすると今日
が見納めかもしれない。
「じゃ、そんな感じでこれから頑張ってくださいね」
 お疲れ様でしたー、と適当な挨拶を交わしてみなバラバラに帰っていく。
 最後には、俺と頼子が残った。
「三十郎。他の人がいるところであたしを妙な目で見るな」
「妙な目ってどんな目だ」
「周りの子達がネコ耳男がこっち見てると怯えていたぞ」
「言わせたい奴には言わせておけ。俺は気にしない」
「あたしが気にするんだ」
 それは俺のことを慮っているのか、それとも自分がネコ耳男と噂になるのが
イヤなだけなのか。間違いなく後者なので聞く気も起きない。
「さて、それじゃ調べてみますか」
「ああ」
 鍵の開け閉めが無理だとしたら、書架自体に何か抜け道があるのだろう。ど
うやら頼子も同じ結論に辿り着いていたようだ。
 二人して水原の書架の周りをぐるぐる回ったりする。
「外面にビスとかは見えないやねぇ。しっかり溶接されてる」
「埃がたまってるな。大がかりな作業をすれば手形が残りそうだ」
「結構丈夫な作りだね、コレ」
 背面は壁に接している為に確認できなかった。壁に穴を開けて本を取り出す
ことは可能だが、今のところこの建物の外部に大穴が開いていたという話は聞
かない。
 一応二人で棚自体を動かせないかも試してみたがビクとも動かなかった。こ
れを動かせるとしたら桜居には重量挙げの才能もあることになる。
。
「この引き戸、持ち上がるな」
 スチールの引き戸を真上に持ち上げたところ、わずかに動いた。だがレール
から外すには不足だ。
「あー、なんか天板の溶接が少し馬鹿になってるね。今三十郎が持ち上げたら
上に隙間が出来たよ」
「頼子、ちょっと椅子持ってきて天板持ち上げてくれないか。二人がかりでや
ればなんとか外せそうな気がする」
「椅子に乗るのか? あたし今日スカートなんだが」
「ええい、誰がそんなもの見るか気色の悪──ごふぅっ!」
 脇腹を抉り込むように蹴られた。視界が滲んでいく。だが俺はうずくまって
涙を堪える。男の子だから。
「……く、口が過ぎました。後生なんでお願いします」
「仕方がない。頼子さんは頼まれると弱いから頼子さんなんだ」
 蹴られた脇腹を押さえながら、それなら最初から素直に聞いてくれ、と思う。
 頼子がパイプ椅子に立ち上がり、いっせーのでかけ声をかけて同時に力をか
ける。天板が2cmほど持ち上がる。
「まだか三十郎! この姿勢きつい!」
「ちょっとまてっ」
 俺は引き戸の取っ手と、反対側の側面を両手で抱え込むようにして持ち上げ
る。しかし天板は細かく上下し、なかなか引き戸をレールから持ち上げきれな
い。
 俺はタイミングを計って手前に引き戸を引く。うまい具合にレールから外れ
てくれた。
 二人とも床にへたれ込んでしまう。無理な姿勢で力を入れ続けたものだから
節々が痛い。
 俺と頼子は呼吸を整えながら書架の中を眺める。古書独特の匂いが中から漏
れだした。一仕事やり遂げた気分だ。
「あたし、この中始めて見た。たいしたもんだな」
「そうだな」
「にしても、こんだけある中でよく桜居が読んでいた本がわかったな」
「一通り全てに目を通したからな」
「……暇人め」
「価値観の相違だ。さ、元に戻すぞ」
「えー」
「このままにしとく訳にもいかんだろ」
「ったく、ほんとに桜居こんなことして中の本取り出したのかぁー?」
 それは、俺も引っかかっていた。頼子と俺のような長身の人間二人でやっと
外せたのだ。桜居の小柄な体格で、しかも一人となればこれは不可能なんじゃ
ないだろうか。
 そう、普通の人間には。
 口にするとまた頼子に馬鹿を見るような目で見られることは分かり切ってい
たので、俺は黙って引き戸をレールにはめ込む作業に専念する。
 共犯者がいるという線もある。
 だが俺はある妄想に強く惹かれていた。それは桜居が異聞拾遺に掲載されて
いるような、化け物であるというアイデアだ。


 夕暮れの図書室だった。俺は、いつものように書架と書架の隙間のスペース
に体を折り曲げている。
 そしてじっと、息を潜めていた。自分が無機物であるかのように。気付かれ
たら殺される確信。初夏の暑気がねっとりと肌にからみつく。
 俺は上半身をねじり、本の背表紙の隙間から向こう側を覗く。書架と本の背
表紙によって織りなされた回廊の一番奥。大量のテキストによって霞みそうな
場所にスチールの書架が置いてある。開かずの書架。
(違う、あれは壁一枚向こうの図書準備室にあるはずだ)
 大きく裾の広がった黒地のロングスカートの少女が開かずの書架の前に立つ。
 少女は引き戸に手をかけて何度かガタガタと揺らす。その度に俺は書架の中
に自分が閉じこめられているような錯覚を覚える。
(違う、あれが開かずの書架でもなんでもない事は俺が証明している)
 スリットの向こう側から、彼女がこちらを覗き込んでいる。
 俺はいつの間にかすっかり開かずの書架の中に閉じこめられている。薄いス
チールの戸の向こうに彼女がいる。
 そうして、彼女の上半身が伸び上がった。
 背中が天井をこする音が聞こえる。長い腕がぎしぎしと書架をこじ開ける様
が、書架の中からありありとわかる。
 もう、ここは、安全ではない。


 人の気配に俺は目を覚ました。なにか妙な夢を見ていた気がする。馬鹿馬鹿
しい妄想を抱えているからあんな夢を見るのだと、俺は吐き捨てた。
 試験休み初日。頼子から連絡があった。桜居が再び鍵を借りに来たらしい。
 本を返すのだろうと見込んだ俺は誰もいない図書準備室に忍び込んでずっと
本を読んでいた。そうしている内に眠りこけてしまったらしい。
 あらかじめ本の詰まった段ボールをいくつか移動して身を隠せるスペースを
作っておいた。
 桜居が本を返す瞬間を見たい。ただそれだけの好奇心で。
 鍵を開けて入ってきた桜居はグレイのワンピースを着ていた。夢は所詮夢に
過ぎない。
 すぐに扉の鍵をかけ直し、姿勢良く水原の書架に向かって歩いていく。だが、
ふいに立ち止まった。
 きょろきょろと辺りを見回している。
 俺は息を潜めて夢の中と同じように自分が無機物であるという自己暗示をか
けていく。
「やっぱりいた」
 あっさり見つかった。
「……ん、奇遇だな」
「なんのご用かしら」
 涼しげに微笑む。桜居のそんな笑顔を見ていると何故かこちらの肝まで冷え
込んでくる。
「たまたま、な」
「たまたまで立ち入り禁止の校舎に入り込む?」
「そんなこともある」
 桜居の目から徐々に穏やかさが消えていく。
 俺は立ち上がって体勢の優位だけでも取りたかったが、狭いところに無理に
体を押し込めたために無様に座り込むことしかできなかった。
「津山君、なにを嗅ぎ回っているの?」
 俺は見下ろされるようにして睨まれている。心拍数が上がっていく。
 沈黙が流れる。
 正直発見されるというのは想定外だった。それまで何度も頭の中で考えてい
た展開が全てパーだ。何よりも見つかることを考えていなかった自分がパーだ。
この時ばかりは頭の悪さを呪う。
「何か言ったらどう?」
「……」
 目を合わせるのが辛くなってきた。腕を組み真正面から睨む桜居の視線が痛
い。言葉が出てこない。冷汗ばかりが出てくる。
 俺は桜居の黒いエナメルのサンダルを見つめながら言葉を選び出す。
「桜居に、興味があるんだ」
「……え?」
 素直にでた言葉が効いた。
 桜居は意味を取りあぐねたに違いない。
 萎縮した俺に活路が見えてくる。
 空気を変えるなら今しかない。俺は脳をフル回転させて意表をつくことに専
念する。
 俺は自分の頭のネコ耳を撫でる。いけるという勇気がわいてくる。脳の中を
電流がほとばしる。高速回転。自らを煽動。そして暴走。
 俺は両手を広げて声を張る。
「そうだ。気になって気になって仕方がないんだ!」
「は?」
「初めてあった時からそうだったんだ。不審な行動を許して欲しい。君への想
いは俺を愚かにした!」
「ええと……」
「恋という麻薬に囚われた囚人とはまさに今の俺のことを表現するに相応し
い!」
 勢いに乗って俺は立ち上がった。
 桜居は明らかに引いている。
 俺は自分の言葉に青ざめる。一瞬でもこんな言葉がまかり通るとでも思った
のだろうか。
 チキンランで真っ直ぐ落下していくイメエジが頭の中で繰り返される。
 それでも引くに引けずに俺は言葉を繋げた。
「俺と桜居の出会いの場所だから、ここで言いたかった。俺と添い遂げよう…
…?」
「あの、ごめんなさい」
「う……」
 桜居の拒絶は早かった。
 そうだろうとも。そうだろうとも。
 俺だってこんな暴挙にでるつもりはなかった。変態と罵られながらも積み上
げてきたささやかな自己愛が崩壊していく。
 確かに桜居を異性として意識はしたかもしれない。化け物かもしれないとい
うアイデアはそれを煽ったかもしれない。だがそれはこんな風に消耗されるた
めのものじゃなかったはずなのだ。
「ちょっと待ってね。頭が混乱してしまって」
 頼む、整理しないでくれ。
 逃げ出したい衝動に駆られる。
 あと何を言えばいい? 決まっている。もうダメなんだから聞きたいことは
全て聞いてしまえばいい。もう俺はおかしな人でいいじゃないか。今までと何
も変わらないのだ。
「そうだ。もういい。ならば聞くぞ。桜居は、さては、その、異聞拾遺の化け
物関係だったりするんだろう!」
「っ!」
 あれ? 桜居が戦慄した。
「そうとしか思えない節がある」
──ような気がする、と心の中で続ける。
「何を言ってるのか、意味がわからないのだけど」笑顔で返す桜居の顔には余
裕がない。
「今更隠すのか?」高鳴る鼓動を押さえながら俺は眼鏡をかけ直し余裕ぶって
みる。こういう時に眼鏡は実に有効だと思う。
 桜居はため息をついて、手で俺を制止する。
「……どこで見たの? なるべく見つからないようにはしていたのだけれど」
 ビンゴ、なのか?
「告白はこの話をする前に私を味方に付けておきたかったと言うこと? だと
したらいくらなんでもやりすぎよ。馬鹿にしてる」
 顔の左半分を手で押さえながら声を抑えて言う桜居の様子は、冗談に付き合
っているようには見えない。
 そして俺は、打ち震えていた。
「ふ……ふはは……ふはははっ! そうか、本当にそうなのか。スッゲー! 
桜居、最高だ。最高の気分だ。ありがとう。ああ、ありがとうありがとう!」
 俺は心底愉快な気持ちになっていた。この瞬間、明るい世界に生まれ落ちた
気分だった。もう桜居が適当に話を合わせているだけだとしても一向に構わな
い。この錯覚に溺れられれば俺は満足だ。だから俺は笑い続ける。声を張って、
徐々に押さえて、それでもおかしさは止まなかった。
「何がそんなにおかしいのかわからないんだけど」
 桜居の視線が突き刺さる。こんな風に人を見る女だったのか。怒りと軽蔑が
顔面に張り付いている。だけど今の俺には通用しない。俺は生まれ変わったの
だ。真の確信を手に入れたのだ。世界はおかしくっていいんだ。
「……まあいいわ。白状するからそっちも白状なさい。どういった用件なの?
 いや、その前にあなたは何なの?」
 桜居は慎重な態度で言葉を選びながら俺に質問を投げかける。
「すまん、取り乱したな。何って?」
「だから、どういったものなの? その耳、飾りじゃないんでしょ? 化け猫
の類?」
 真顔で言っている。どうしよう、と思う。俺もやっと冷静になってきた。桜
居はどうやら俺のこの耳を見て化け物の同類だと認識しているようだ。正直に
言っちゃっていいんだろうか。
 突然自分の置かれた立場がまずいものな気がしてきた。桜居が本当に化け物
だとしたら、命に関わったりもするんじゃないだろうか。
 俺はネコ耳をつまんで引っ張ってひとしきり悩み、ぼそりと呟いた。
「……いや、ただの飾りだが」
 ああ、言ってしまった。桜居が呆然としている。口をぱくぱくしている。表
情がコロコロと変わる。俺はもうそれだけで満足。長生きよりも幸福な人生。
やった、桜居の顔が真っ赤だ。
「なっ……なっ、なっ! そんな馬鹿なことあるわけ!」
「馬鹿って?」
「飾りで年中そんなの付けるわけないでしょ!」
「ええい失敬な! 本当に生えていると思う方が余程馬鹿げている!」俺は開
き直る。これが常識的な人間の強みというものだ。お前が化け物だろうと知っ
たことか。無意味にふんぞり返ってみせる。
「白状しろってのよ往生際悪い!」
「やめっ、引っ張るな! 痛いっ!」
 桜居が背伸びして頭の耳を掴んだ。地肌に特殊な接着剤で貼り付けているそ
れはそう簡単には剥がれないが、それだけに力がかかれば当然痛い。
 チビの癖に凄い力だった。流石化け物。俺は足をかけられて床に突き倒され、
胸を肘で押さえつけられる。このままだとすぐにも関節を取られて動きを封じ
られそうだった。
 身の危険を感じた俺は思わず本気を出して突き飛ばす。
 桜居がネコ耳の片方を掴んだまま床に転げた。体のどこかを金属製の机の脚
に打ち付ける鈍い音がする。桜居の頭部が、ごろりともげる。
「ひぃっ!」
 首が、首がもげた!
 俺は床にへたりこんだままその光景から目が離せなくなる。呼吸が困難にな
り、気管がヒューヒューと音をあげるのがわかる。
 なんだかひどく不条理なものを見せられている。夢の続きなのか、これは。
 まずは冷静になって一つずつ状況を整理しよう。
 そんなに強く突き飛ばした覚えはない。正当防衛にあてはまるのだろうか?
 
 そもそもここなら目撃者も居ない。
 いや、密室状態だけに出入りできた人間は絞られるのか。どうする? どう
する?
 どうにもならなかった。俺はいつの間にか桜居の頭部を見失っていた。無惨
に転がる首なし死体。その手に握られたネコ耳。どんなダイイングメッセージ
だ。そう言うのはもう少しわかりにくくしてくれないと困る。
「やりやがったわね」桜居の怨みがましい声が頭上から響く。
 咄嗟に見上げる。
 日の落ちかけた夕暮れの図書準備室に、生首が浮かんでいた。首はすぐ背後
の扉に濃い影を落とし、その実在を誇示している。
「は、ははははは」
 もう考えるのは無駄だ。化け物なんだから。そうだ。化け物なんだから首く
らい飛ばすんだ。ジオングだってあれくらいの芸当はする。
 そう考えたら俺は安心できた。単純な思考は強固だ。強固な思考は順応が早
い。
「桜居、元気そうで何より」
 自然に言ったつもりが妙に爽やかになっていた。我ながら壊れかけている。
 いいじゃないか、頭部だけの桜居。俺は頭だけになっても桜居を差別したり
はしない。
 桜居は桜居で俺の方をじっと睨み付けていた。頭部だけに睨み付けられる状
態というのはなんだか目のやり場に困るらしい。これは俺の人生の中でも初め
ての発見の一つといえる。
「ぷっ!「
 桜居が突然吹き出した。
「……あなた、その頭」
 右耳、といっても勿論飾りの方だが、を引きちぎられた俺は、右上方の頭部
が随分サッパリしていた。
 つまり、三角形に禿げているのだ。
「なによそれっ」
「髪の毛生やしたまま接着剤を使うわけにもいかないんで……」生首女に笑わ
れるのは心外だ。
 生首女はぷかぷかと浮いたままひとしきり笑う。何とかその笑いを噛み殺そ
うとしてる配慮がまた俺を傷つける。ああ、笑われるのなど普段は気にしない
のに。
「ああ、なんだか馬鹿馬鹿しくなってきた」
「だから言っただろ。飾りだって」
「あり得ない、本当に」
 どっちがだ。
 俺は肩をすくめて桜居に奪われた耳を拾いに行く。ついでにひっくり返った
彼女の脚が露わになっているのを盗み見たがこれくらいは許されるだろう。
「ぐあっ!」
 許されなかった。視界がクラクラした、浮いているというのにどれだけの力
がかかっているんだ。
「目がいやらしい!」
「涙目になるくらいなら頭突きなどするなっ」
 頭突きをした方も結構痛かったらしい。意外と間抜けな女だ。いや、思えば
さっきから抜けまくっているから今に至るのか。桜居は本当は隙だらけなのか
もしれない。
「もう、いいから体起こして頂戴。なんにもよくないけど」
「細っこい脚だ。もっと食え」
「うるさい!」
 子犬のように良く吠える。渋々と桜居の体を起こしてやると首はあるべき所
にすっぽりと収まる。胴の方に縫いつけてあったヒモが首との繋ぎ目をするす
ると縫いつけていく。その様はグロテスクだったが面白かった。
「じろじろみないでよ」
「こんな傷があったのか」
「傷じゃなくてこういうものなの。普段は化粧で隠してる」
 俺もすっかり落ち着きを取り戻し、手近にあった椅子に座ってその様子を見
守る。桜居はぱたぱたと首にファウンデーションを塗っていく。その仕草は少
しエロティックだ。我ながらマニアックな趣味だと思う。
 一度割り切ってしまえば簡単なものだった。俺の世界への認識は間違ってい
なかったというだけのことだ。
「そうか、異聞拾遺にあった飛び首の一族ってわけか」
「まあそんなところ。吹聴しないでよ。私だって物騒なことはしたくないんだ
から」
「そんなつまらん事はしないよ」
「ならいいけど」
 桜居は訝しむようにしてこちらを見る。
 桜居の言う物騒な事というのがどういう事なのかは、あまり考えたくない。
「ねえ、どうして私を化け物……なんだか癪に障るわね、この呼称。そんなも
のだと思ったの?」
「ああ、きっかけは開かずの書架だ」
「開かずの……?」
 俺は桜居にここに至るまでの顛末を語り聞かせてやった。水原のこと、俺と
頼子の推測、
そして書架の開き方。
「実際に人間の体でやってみればわかるが、あんなものお前の体格で開けられ
るわけがないんだ。桜居が今日一人でここに来た段階で共犯がいるという線も
消えたしな」
 そこまで言い切って俺は桜居の方に目をやった。ぐうの音も出まい。ここい
らで少しいいところを見せたかった俺は謎解きをする探偵のような心持ちで
蕩々と語りあげた。桜居は途中から頭を抱えっぱなしだ。ここに来て俺はやっ
と優位に立った。
 話が終わると、桜居はがっくりうつむいたまま鞄から渋い根付けのついた何
かを取り出した。
「……鍵?」
「そう、そこの書架のね」深くため息をつく桜居。
「津山君の推理には呆れかえるわ」
「む。同意しておく」
 こうなったら開き直るしかない。結果往来だ。勝利は俺の手にあるはずだ。
「もう、どうしよう。こんなに自己嫌悪するの久しぶりなんだけど。何でこん
な奴に正体明かしちゃったんだろう。あー、もう」
 椅子に座ったまま祈るように頭を抱え込む桜居。その自分への呪詛は徐々に
小さくなり、聞こえなくなるような音量になってなお続く。
 俺は桜居が不憫に、というよりも怖くなってきて、つい間抜けた事を口走る。
「大丈夫か?」
「……お陰様で」
「すまん」
「あのねぇ……」


 準備室の鍵を閉めて二人で校内からこっそりと抜け出す。日は既に落ちてお
り辺りは薄暗い。足下に注意しながら階段を駆け下り、靴を履き替えてグラウ
ンドに飛び出す。
守衛に注意しながら裏門を抜けるとやっと一息つけた。
 俺は移動時に愛用してる薄手のニット帽を被り桜居の後ろを歩く。
「水原先生はね、古書店のネットワークじゃちょっと知られてる人なのよ」
「ふむ」
「私も一族に関する資料集めてたら水原先生に行き着いたというわけ。まさか
自分の学校の教員だとは思いませんでしたけどね」
「だが、あの偏屈な爺さんからよく鍵を借りられたな」
「偏屈? とっても親切だったわ。最初は不躾なのを承知で入院先に買い付け
に行ったのよ。私」
「あの本をか?」
「他にも何冊かね。そうしたら売るつもりはないけど読みたければ自由に読ん
でいいって鍵を貸してくれたというわけ」
「あの水原が? 信じられん」
「敬意と熱意があれば話を解してくれるタイプよ、あの方」
 確かに俺には両方ともない。
「なら、何で忍び込んだ?」
 後ろめたいことがなければ堂々と取りに来ればいいのである。元はと言えば
こそこそとしていた桜居が悪い、と思った。
「図書準備室は一般の生徒は入れないし、どこに人の目があるかわからないで
しょ。あんな本を読んでるところ見られて正体を疑われたくないもの」
「普通はあの本から桜居を化け物だなどと類推することはないだろう」
 とはいえ俺がその類推をしてしまったのであまり説得力がない。
「普通はね。だけど同じような身の上だったり、化け物を退治するのが仕事の
人達だったらどうかしら?」
「そんな奴らがまだ学校にいるのか」
「さあ?」
「ぞっとせんな」
 嘘だ。俺は今楽しくて仕方がない。今も口がにやけてしまっている。
 その様子を察したのか桜居は深くため息をついて続けた。
「そういうわけですから、さっきも言ったけど口外無用でお願いします」
「わかっている。こんな楽しいネタそうそう人に教えてやるモノか」
「……あのねぇ」
 もうつっこむのにも疲れたという様子で桜居は歩き続けた。俺もなんとなく
無言になってしまう。
 前を歩く桜居の後ろ姿は、姿勢が良く均整もとれていて、細すぎることを除
けばやはり好ましく感じられた。何よりも頭が外れるというのが面白い。
 しかしこんな風に一緒に歩くのも今日が最初で最後かもしれない。それを思
うと、あっさりふられてしまったのは惜しまれる。やはりネコ耳がまずかった
のだろうか。俺は軽く自分の生き方を見直してしまう。
「桜居」
「今度は何?」
「これからもこうして二人で会えまいか」
「……どこまで本気だかわからないけど、好きな人いますから」
「そうか」
 素直に残念だった。
 まあ仕方ない。
 そうしているうちに桜居の利用するバス停に着く。まったく、あっという間
だ。俺はこのまま徒歩で帰るのでここで別れることになる。
 バスはすぐさまやってきて、エアシリンダの機械音と共に扉を開く。
「いいこと教えてあげる。私が霞山に行かないのはあそこが本当の霊場だから。
なるべく変なモノに関わりたくないの」
「そうか、なるほどな」
「あなたの言う楽しい事なんて結構どこにでも転がってるモノよ」
 そう言い残して、桜居はバスに乗り込んでいった。
 俺はしばらくそのバスのテールランプを見送り帰途についた。

時系列
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 2004年7月。吹利学校高等部。

解説
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 津山三十郎が異能や他界の存在を確信し、桜居津海希にふられる話。
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gallows <gallows@trpg.net>



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