| 先日、自分とかなり年の離れた人とセッションを囲む機会があり、別にいつも同じ世代の人間同士でTRPGを遊んでいるわけではないのだが、なかなか新鮮な楽しさと驚きが幾つもあった。そして、その時の台詞の「PCが死ぬようなセッションなんてやってませんよー」という一言が、今回の考察の主題でもある。 何も「PCが死なないセッションをやっていないなど、TRPGプレイヤーとしては、まだまだじゃな」なーんて事を言うつもりはない。死ぬセッションの方が偉いなどと言うのは、とんでもない勘違いである。 思うのは、今現在、TRPGを遊んでいる人間の世代、遊ばれているシステム、セッションの傾向は千差万別であり、「セッションに於いてPCの死ぬ可能性」も千差万別なはずである。ただ、それを事前にプレイヤーに伝える事が少ないなぁ、と思うのである。コンベンションでは、あまり見る事が少ない様な気がする。 例えば、TRPGをそれなりに遊んだ人間に「ソードワールドRPGとダンジョンズ&ドラゴンズ(以下D&D)でPCが死に易いゲームはどっち?」と尋ねれば、大抵は「D&D」という答えが返ってくる。この理由は、「同じ事をやった場合のシステム的な死に易さを比べている」わけだからである。 しかし、「AさんのソードワールドRPGのセッションとBさんのD&Dのセッション、PCが死に易いゲームはどっち?」という問いの場合、「AさんのソードワールドRPG」という答えが返ってくる場合がある。これは、「Aさんのマスタリングとシナリオは、BさんのマスタリングとシナリオよりPCに対して厳しい」という状況が存在するからである。 マスタリングとシナリオが、システムで提供されている「PCの死に易さ」より「PCの死のバランス」に対して強いのは良いか悪いかと言えば、私は「良い」と思う。それは、システムが有限であり、その中で遊ぶ為には、正当であると考えるからだ。そう考えれば、「死ににくいD&D」や「死に易いソードワールドRPG」を遊ぶのはありだし、実際そうした状況は多いと思うのである。 しかし、コンベンションや知らない他人と遊ぶ機会に行くと、「D&D」です。とか、「ソードワールドRPG」です。というだけで、セッション内の生死バランスを全て語っているような気がする。システムが提供しているバランスを忠実に守っている場合はそれでも良いと思うが、「システムが提供しているセッション内の生死バランス」とは何だろう、と考えると、やはり言う方がいいだろう。 また、「D&D」や「ソードワールド」を遊んだことが無い人間に対してもある種の目安になるはずである。「死に易いセッション」である事を知っていれば、プレイヤーは、最初から用心するであろうし、それをせずにだまし討ちの様にPCを殺すのであれば、それはセッションとして楽しむ事ができない。(GMは、PCを殺すのが勝ち、とでも思っているのであろうか?と考えてしまう) そこで、セッション内の生死のバランス、というものを構成する要素を考えてみる事にする。 まず、全てが上手く行った場合のPCの生死の可能性である。通常は、PCの行動が全て上手く行われた場合はPCが死ぬ事は無いというのが普通である。しかし、中には、「PCが全滅する」という前提でセッションを行う場合もありうる。(こういうセッションを行う為には、プレイヤーとGMの同意が最重要であると思うが) 次にPC達の行動がGMから考えて「普通に」行われた場合の生死の可能性である。これは、全員生き残るから全滅まで様々な場合が考えられる。システムにも左右されるだろうし、GMにも左右されるだろうが、通常は、「全員生き残る」とするのが通常である。普通にセッションをして「誰かが死ぬ可能性がある」というセッションであるという場合、GMは、「自分が考えられる以上の行動をPCに求めている」か「PCの存在をグループ単位で考えてしまって一人毎のPCの存在に対して感覚が鈍くなっている」場合がある。後者の場合は、例えば、「一人、二人死んでしまっても、セッションの目的が達成されればセッションは成功」と考えてしまう場合である。その場合の成功は、死んでしまったPCにとっては、別に成功でない場合が多い。この点は、GMとプレイヤーとの同意が必要な部分だろう。 次に「プレイヤーのまずい行動」、「ダイス運が悪い場合」はどうなるだろうか。ここで難しいのは、果たして「まずい行動とは何だろう?」という事である。「普通の行動」の話とも重なるのだが、どちらも「GMの感覚」に過ぎないのである。GMが頭の良い人であれば、その「まずい行動」とされるレベルも上がってしまうとも言える。そうした事を避ける為には、「状況から類推できる事をしなかった」という事がある種の目安であろう。例えば、罠がありそうな扉で盗賊が罠を調べなかった場合などである。PCの「良い行動」をGMは予測できはしないから、そうした点では、「普通の行動」か「失敗した行動」かがGMの生死バランスの目安になるはずである。 次にダイス運であるが、ダイス運というのはプレイヤーがどうする事もできない事柄である。できてしまったら、それはイカサマというのである。そう考えると、行動の成否で上手く行ったのに、サイコロが悪いだけで、自分が死んでしまうというのに耐えられるほど、TRPGというのは手軽なゲームでは無い気がするのである。つまり、個人的には、行動の成否よりも、サイコロの出目の方が、キャラクターの死に影響を与えるというマスタリングは避けたいがいかがだろう? まとめると、まずシステムとGMのシナリオから導かれる「普通にセッションを終えた場合のPCの死に易さ」というものがあり、そこから「PCの行動」、「PCのダイス目」、「GMのダイス目」によってどれだけPCの死に易さが変化するか、と考える事ができる。 ちなみに、今まで述べた事を元にして「PCが死に易い状況」を順に書くと以下の様になる。 1:GMから見てPCの行動が最適でダイス運も良い場合 2:GMから見てPCの行動が普通で尚且つダイス運も普通の場合 3:GMから見てPCの行動が普通だが、ダイス運が悪かった場合 4:GMから見てPCの行動が失敗したが、ダイス運が普通の場合 5:GMから見てPC行動が失敗して、ダイス運も悪かった場合 番号が大きくなるほど、死ぬ可能性は、通常のセッションであれば大きくなると考える。(1)を別枠にしているのは、これが「全員生き残る」ではないというセッションというのは、特異なセッションであると考えるからである。 それぞれを考えていくと、要素として難しい事になるので、通常は表で(2)の時の生死バランスと「PCが一人でも死ぬ時は?」、「全滅のラインは?」になるはずである。なぜならば、GMが普通に想定している「普通のセッション」は(2)のはずである。また、プレイヤーとして考えるのは、「死のバランス」なわけであるから、「PCが一人でも死ぬ時は」と「全滅のラインは?」という事が気になるわけである。また、セッションによっては、「余程変な事をしなければ、PCが死ぬ事はない」というセッションも存在する。(まぁ、そういうセッションでもいきなり王族に刃を向ければ、死ぬかもしれないけどね) 以上の事を踏まえて、GMに対する「セッションでのPCの生死バランス質問シート」というものを以下に作ってみた。まぁ、これそのままでなくてもいいが、こういう質問によって、GMの「傾向」を知る目安にはなるだろう。
繰り返すが、「PCの生死のバランスが厳しい方が良いセッション」というつもりは全く無い。セッション毎にシステムが同じであってもPCの生死のバランスが変わっても良いはずである。私が問題にするとすれば、どんなセッションであっても同じPCの生死バランスを求めるプレイヤーであり、システムに対して凝り固まったPCの生死バランス観を持ち、それから外れるGMを非難するタイプのプレイヤーであり、PCの生死バランスをプレイヤーに明示しないGMである。 この文章は、GMとプレイヤーが「PCの生死バランス」という事を考えて、それがセッションに与える影響を良い意味で活用する為の下地となるように考え書いています。PCが死ぬ可能性のあるTRPGもPCが死なないTRPGも面白いはずなのである。TRPGの楽しみの要素はそれだけではないのだから。たまに、違うタイプをやってみるのも、楽しいよね。その「違うタイプ」をこの文章を活用して知って下さい。 |